巡礼:ノンビリ歩く巡礼の路

巡礼は旅のルートは既に定まっている遊行ですが、巡礼をするスタイルは人により様々ですが、私の巡礼はノンビリ歩き続けることです。誰もが巡礼に行こうと思った時点から、巡礼路は私達を迎え入れます。

2010.03.29最初のブログ投稿から93か月:【巡礼:ノンビリ歩く巡礼の路】を閉設しようと思います。歩いた距離も計算できませんが4,000kmは越えているでしょう。

2019.06.27
    (志摩市あずり海岸:大晦日の夕方で何だか寂しそうな姿)

 ブログ投稿を始めたのはサンチャゴ巡礼の準備の段階からでした。サンチャゴ巡礼の航空券の購入した直後に想像もしなかった2011.03.11の東日本の大震災です。そこでキリスト教徒が四国遍路を始まりました。歩き四国遍路は「遍路病にかかる。脱出するタイミングが難しい」と言われます。私は3度目の歩き遍路での高知市で無事に杖を置くことが出来ました。この途中でサンチャゴ巡礼(フランス道)800kmを家内と一緒に歩き終えてブログ投稿の当初目的も達成できました。その後もブログは続けてきました。

 

 多くの出会いがあり、この間に年齢を重ね74歳になっていますが、幸いなことに週3日の仕事は続けています。しかし、遍路を始めた頃は日に40kmを越えて歩くことありましたが、今では高低差が500mの山道を歩きかねています。なにより残った行程ばかりが気になり「ノンビリ歩く余裕」ができなくなってしまったことは意外です。交通機関を利用して歩く距離を少なくした西国巡礼も、最終は自家用車を利用しての巡礼です。看板に偽りありですが西国巡礼も満願寺までは来ました。

 

 「スクラップ&ビルド」は何かを始めるにはスクラップしなければ始まらないと知りました。「此れから何を始める」を考えるには、9年間も親しんだ【巡礼:ノンビリ歩く巡礼の路】を完結しようと思います。今後には9年間の体験したことが反映するはずです。巡礼の縁で多くの友人ができたことも大きな力になり、巡礼での神様からの大きなプレゼントです。これからも大切にしたいと思っています。

 

 誤字脱字が多く自分勝手なブログを読まれた方々に感謝しています。暫くの間は、誤字脱字を修正してから完全閉鎖することにします。ありがとうございました。


揖斐川の上流にある谷汲に西国三十三観音霊場結願・満願のお寺があります。江戸時代はこの霊場を終えて中山道を歩き江戸に帰ったのです。巡礼は家に帰るまでが旅、ここは最終場所ではなく多くの峠を越える中山道、まだまだ旅の中間場所だったのでしょう。

2019.06.25No1
 明日は令和が始まる日です。当然に今日は平成の終わる日で此の日に合わせて「ノンビリ歩く巡礼の路」も最終日にしようと思いました。近鉄鵜方駅をAM545に出て名古屋駅に向かいます。JR名古屋駅から大垣駅に、更に樽見鉄道の乗り換え谷汲口駅で下車、名阪近鉄バスで谷汲山に着いたのは、AM1010過ぎでした。

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平成最後の日に結願・満願で参拝する方も多いと思ったのですが、バスで下車したのは3名のみです。雨男を自負する私にピッタリの雨の参拝になりました。立派な参道の両横には土産物と食事処の店が並んでいますが活気は全く感じられません。

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広々とした石段を登ると真正面に本堂があります。ご詠歌は現在・過去・未来とあり本堂・満願堂・おりずる堂の三カ所をお参りすることになります。

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御朱印も3つ頂きましたが、四国遍路から使った白衣を納めるため持参してきました。サンチャゴ巡礼は大聖堂から更に80kmを歩き大西洋の波打つヒィステーラの地で巡礼者が自らの手で衣服を燃やし(現在は火災の恐れがあり燃やことが禁止されているのでは)、未来に向け歩みだす巡礼者が多くいます。四国遍路の霊山寺で買って常に使用した白衣です。しかし、西国巡礼では着ることは皆無でした。

2019.06.25No92

2019.06.25No2

サンチャゴ巡礼と四国遍路や西国巡礼との違いは、何かにつけてお寺でお金が必要なことです。入山料、拝観料、朱印・祈祷料など納めることになります。華厳寺は入山料が必要ではありませんが、白衣を納める際に祈祷料が予想外の高額で不覚にも「たか!」と声に出してしまいました。僧侶は「祈祷して納めさせていただきます」と言われましたが納得できた訳ではありません。今更持ち帰れないし「しかたないか!」此れが西国巡礼の結願・満願寺の最後の遣り取りです。

 

2019.06.25No91

昔の西国巡礼では参拝を済ますと精進料理から解放され食事に鯉を食べたと言われますが、海辺に住む私は川魚が苦手で、若い女性の「つきたての草餅ですよ」に誘われ草餅3個がバス停での昼ご飯になりました。帰りのバスに乗るのを待つたのも3名だけです。3名以外に誰もいない無人駅に着いて暫く列車を待ちました。結願した感動も達成感も沸いては来ませんが、無事に巡礼が終わった安堵感は確かに感じました。

 

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【思ったより早く名古屋駅に戻り書店に、これで西国巡礼も終わりました】


近江八幡の安土城跡に近い山にある開基を聖徳太子とする古刹です

2019.06.22No1

昨日の夕方から降り始めた雨も夜明け前に止んだようですが、深い朝霧に覆われた駅前のホテルを出ました。この数日間は地図の代わりのカーナビに目的地を入力して、音声に従い車を走らしてきました。

少し前までは観音正寺の参道は急な石段を苦労して登たのでしょうが、今は西側と東側の両方から車で登れるようになっています。カーナビは近江八幡駅から時間的に近い西側ルートを選択しています。しかし、お寺のHPでは駐車場から緩やかな参道の東側ルートを勧めているので、安土城跡を通過し東に大回りしました。

2019.06.22No2

2019.06.22Mo3

駐車場に着いても深い霧は消えません。静寂を切り裂くように、短い間隔で新幹線のレールの音が響きます。それ以外は静穏としている不思議な趣の参道を歩きます。最初に出会ったのが観音正寺の奥の院です。鳥居の奥の巨石も朝霧に埋もれ、神仏の境界線すら亡くなってしまった感があります。元々存在しないのが我が国の信仰なのでしょう。

少し歩き2004年に落慶した本堂前に来ました。霧に包まれた本堂も古くからの建造物といった趣がありあるます。朝霧は何もかも朧げにしてしまいます。

 

2019.06.22No4

秘仏が大半の西国霊場ですが、新たに刻まれた白檀の千手千眼観音坐像の本尊前でノンビリと納経も済ませました。納経帳にも印を頂き、珍しく参拝記念と「御本尊御分身 白檀根付」を頂きました。

2019.06.22No5

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次第に朝霧が消えて行きます。青空から光に包また境内は全く異なった印象ですが、変わらないのは新幹線レールの事です。その音を聞きながら9年間と長かった巡礼の旅も終わったと思いました。

 

2019.06.22No7

高野山から始まった四国遍路、サンチャゴ巡礼、2回目の通し打ち歩き遍路、三度目歩き遍路の高知での結願、今回の西国巡礼と繋がってきました。言葉に纏まりせんが満願寺を前にして「確かに何かと触れ合った」と実感したことで、巡礼の終わりを感じました。一度目の四国遍路の途中で地元の方が「キットお大師様にお会いするよ。それは鳥や花やミミズかもしれないが」と言われることが納得できたと思いました。

西国巡礼で多くの霊場を思いだすのでしょうが、朝霧の本堂でお会いした千手千眼観音坐像は忘れることがないと思います。朝も早々だったのか本尊を清められている白衣の僧侶の姿に、サンチャゴ大聖堂でヤコブ像に後ろからしがみ付いて祈った私たちを見たようでした。

2019.06.22No8

西国巡礼は江戸時代になると、観音信仰と庶民の物見遊山と合わさった旅だと言われます。何かと線引きし理屈を重ねるよりも、何れも旅を与えて下さった方の慈悲を身近に感じます。

 

【安土城跡の本丸まで登って基礎石を見つめ、形あるものは全てなくなり、何かの礎になることを教わりました】


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