September 04, 2016

「ウィザードリィがRPGの元祖」と言い出したのは誰なのかしら・破説

いつしか、「コンピュータRPGの元祖」と呼ばれるようになっていた『ウィザードリィ』。
そう呼ばれるようになった原因が気になりだして、
先月「序説」と銘打ってこんな記事を書きました。
(まだ読んでない方は、この記事を読む前に先に読んでくださいませ)、
さらなる調査のために、いつか『ログイン』誌を漁らねば…と思っていたのですが。

筆者が現在在住している名古屋の周辺の図書館で検索してみると、
なんと名古屋大学中央図書館にログインのバックナンバーがある事が判明。
ホームページを見たりtwitterで聞いてみたりしたところ、
学生でなくても利用目的を所定の用紙に書いて提出すれば閲覧できる…との事だったので、
ある真夏の暑い日に、名古屋大学まで足を運び、
実際にログインのバックナンバーを確認してきました。


ログイン誌で初めてウィザードリィが取り上げられたのは、
まだ定期刊行になっていない時代、1982年9月発行の「Vol.2」です。
しかも特集記事でもなんでもない、アメリカの最新ヒットチャートで1位を取った作品の紹介で、
記事としての扱いは相当小さいです。

いま全米で人気ナンバーワンのソフトウェアは、Sir-tech Software Inc.製の「Wizardry」だ!
最近のアメリカのソフトウェアの流行である"剣と魔法"(スウォードアンドソーサリー)の世界を描いたロールプレイング・ゲームなのだが、とにかく難しい。
日本のAppleユーザーでも、ソフトの名前は知っているのだが、やったことがないという人が多い。
(中略)
ぶ厚いマニュアルがついていて、遊びまくるには、一晩がかりではすまないあたりに、人気が集まっているのだろう。

(「ログイン 1982 Vol.2」、P120より引用)

この時点では、まだ「元祖」とは呼ばれていません。


次にログイン誌にウィザードリィが登場するのは、
1983年に月刊化を果たした後の6月号。
大々的にゲームソフトを特集した号であり、
その中に「ロールプレイングゲームが80年代の新しいゲーム宇宙を構築する」と題して、
ウィザードリィやウルティマの特集記事が組まれています。
記事では、ウィザードリィを以下のように紹介。

パソコンが登場する前からボードゲームのひとつに、ロールプレイングゲームというのがあった。
この代表作が"ダンジョンズ&ドラゴンズ"。
これをコンピュータ化したのがウィザードリーなのである。
(中略)
ところで、前述のダンジョンズ&ドラゴンズを、なんとかコンピュータでやれないかと考えた人物がいた。
それがサーテック社のMr.ロバート・ウッドヘッド。
当時、コーネル大学で心理学を学んでいたコンピュータ・フリークだ。
大学での友人、アンドリュー・グリーンバーグと協力して、ウィザードリーのプログラム開発に着手。
約1年かけて、1981年9月、この画期的で決定的なゲームソフトは世に出た。

(「ログイン 1983 No.6」、P120より引用)

D&Dをコンピュータで遊べないかと思い、2人の大学生が開発した…という、
現在でも広まっている認識がこの記事で示されています。
しかしながら、「画期的で決定的」としながらも、
まだまだ「元祖」という表記は行われておりません。
(しかし、公式の日本語化が存在しない時代とはいえ、
この記事に使われてる「ウィザードリー」「トゥレバー」「ウェンダ」という表記が何とも…w)



続く1983年7月号には、ウィザードリィを手掛けたsir-tech社への訪問記事が。
原作者として知られるロバート・ウッドヘッド氏とアンドリュー・グリーンバーグ氏、
そしてロバート氏と共同でサーテックを設立したノーマン・サーロテック氏へのインタビューが掲載されています。
現在でも各所のインタビューに応じているロバート氏とは違い、
ゲーム関連メディアに出ることのなくなったアンドリュー氏のインタビューが掲載されているのはかなり貴重なので、
以下、その内容を要約してみますと…


  • ロバート氏と共同制作する前のウィザードリィのプロトタイプ(BASIC版)は
    友人が集まって退屈し始めたときに誰かが発言した、
    「D&Dをコンピュータにプログラムして遊べよ」という言葉が制作のきっかけ

  • 最初は3D描画の登場キャラクター1人のゲームだったが、
    自室に遊びにくる友人の反応を見て改良を続け、
    1年ほどで現状のウィザードリィに近いものになった(但し、描画は2Dになった)

  • ロバート氏に出会ったのはアンドリュー氏が大学院1年のとき。
    PLATOの管理を任されていたアンドリュー氏が追い払っていた学生の中の1人にロバート氏がいた
    (なお、このインタビュー中ではPLATOについて「"プレイト"というビデオゲーム」という表記がされており、インタビュアーはPLATOを当時の大学間ネットワークでなく1つのゲームとして誤解していた模様である)

  • 自分の作ったゲームに似ていた『ウルティマ』が売り出されて悔しい思いをしたが、
    同時期にロバート氏が複雑なプログラムを手掛けて権利関係もアンドリュー氏に一任すると提案して共同制作が始まった

  • 製品化作業を進めていくうちにロバート氏の提案したゲームデザインも多く組み込まれ、
    最終的にはウィザードリィはアンドリュー氏とロバート氏の共同著作になった


後に権利問題でサーテック社と喧嘩別れし、法の道に進む事になるアンドリュー氏ですが、
インタビュー内で権利関係の発言が目立つあたり、1983年当時に既にその前兆はあったのかもしれません。
そして、この訪問記事の冒頭にはこんな記述が。

コンピュータ・ロールプレイングゲームの本家本元。
ウィザードリーを世界に送り出したサーテック社を探し求めて地球の裏側へ。

(「ログイン 1983 No.7」、P72より引用)


「元祖」という表記ではないにしろ、
それに近い「本家本元」という表現が使われています。
とは言え、この頃はCRPGも決して数が多くなく、
その中で完成度が高く、売り上げ上位を記録し続けていたウィザードリィを称賛する意で、
特に深く考えずにこういった表記を使ったのではないかと思われます。


1983年11月号では、安田均氏によるRPGの紹介記事、
「ロールプレイングゲーム世界への招待」が掲載。
最初に元祖RPG『D&D』の紹介に始まり、
その後現れた『T&T』『(ドラクエがかつて欧米で別名を名乗らざるを得なかった原因の)ドラゴンクエスト』、
『ルーンクエスト』『トラベラー』といったRPGを紹介し(この頃は「TRPG」という表記はなかった)
そしてコンピュータRPGの紹介に至っています。
ここでは『アカラベス』『ダンジョン・キャンペーン』『テンプル・オブ・アプシャイ』など、
『ウィザードリィ』以前のコンピュータRPGを多数紹介しておりますが、
その中でも「初めてのコンピュータRPG」として紹介されているのが、
1978年に発売された『ビニース・アップル・マナー(Beneath Apple Manor)』。
このゲーム、「ローグより先に出たローグライクゲーム」、
そして「ドラクエ以前にスライムを顔の付いたモンスターとして表現したゲーム」として有名だったりするのですが、
それはともかく、この時点ではウィザードリィ「元祖」論はほぼ表れていないと言ってよろしいでしょう。


それからちょくちょくとウィザードリィに関する記事は『ログイン』誌に掲載されるのですが
(4の発売決定を伝える速報や、サーテック社と『ウルティマ』のオリジン社が共同制作を予定している…など。
後者はどうもお蔵入りになった模様)

決定的な転機は1985年5月号、ウィザードリィ#4の発売直前と銘打った特集記事。
(なお、#4の発売についてはその後2年以上延期される)

それでもって、WizardryIVの完成を記念して、
心に残る青春の思い出、あの懐かしの名作ロールプレイング。
これぞ元祖。
アミューズメントの総本家、WizardryI "Proving Grounds of The Mad Overlord"をふり返り、
しかる後に、新たな感動を胸に秘めて、期待の新作に話を移しましょう。
とまあ、こんなスケジュールなんですが、よろしかったですか?

(「ログイン 1985 No.5」、P86〜87より引用、強調は筆者による)


この記事自体はかなり軽い文体で書かれており
(『ログイン』という雑誌自体も、割とノリの軽い雑誌である)、
そう深く考えずに「元祖」という表現を使ったようにも思えるのですが、
ともかく筆者が確認する限り、この『ログイン』1985年5月号が、
『ウィザードリィ』を「元祖」とする記述の初出です。



その後同年に『ウィザードリィ』の日本語版発売が決定し、
ログイン誌でも多くの特集記事が組まれるようになるのですが、
『ウィザードリィ』に対して「元祖」という表現が、
もはや確定的なように使われていきます。

ついにあのコンピュータRPGの元祖Wizardryが日本向けに移植される。
発売以来はや4年。その間ヒットチャートの上位に根を下ろして動かないオバケ的ゲーム。
なぜこれほどまでに、世界はWizardryに熱狂するのか、
その秘密がもうすぐ私たちにもわかるようになるのだ!

(「ログイン 1985 No.10」、P126より引用)

日本版Wizardryは、4機種まとめて年内発売の予定だ。
もう少し、もう少し辛抱すれば、
念願の元祖コンピュータRPG、Wizardryがプレイできる。

(「ログイン 1985 No.11」、P133より引用)


以上から考えるに、1985年以降に『ログイン』誌を手掛けたライターや
それを読んだPCゲーマーの間で、
「ウィザードリィはRPGの元祖」という認識が出来ていき、
そして訪れたファミコンブーム真っ只中の1987年末〜1988年始に、
上記の認識を持ったライターによって、
『少年ジャンプ』系列誌で「ウィザードリィはRPGの元祖」という紹介をしたことで、
この認識は大きく拡散したのではないか
…というのが現状の筆者の仮説です。


今回は『ログイン』誌について調べてみましたが、
機会があれば同年代のゲーム雑誌(『月刊遊撃手』など)についても調査を行い、
何か新たな事実があれば、また別途記事を設けて紹介したいところではあります。
(とは言え、さすがにこれを収録してる図書館は東海近県では見つからない…)


(ウィザードリィとは直接関係のない余談)
ログイン1984年4月号には、
日本製CRPGの草分けである『ザ・ブラックオニキス』を開発したBPS社へのインタビュー記事が掲載されています。
そこで制作を手掛けたコンラッド・龍弥・小沢氏は、このような発言をしています。

「当時、ハワイ大学にはPLATO(プレート)システムという通信ネットワークがありました。
 このネットワーク上にあるD&Dゲームが載っていました。
 ちょうどEpyx社の"Temple of Apshai"のようなタイプのゲームです。
 なんでも12歳の天才少年が書いたソフトらしいですが、
 それをプレイし続けているうちに、僕の中にコンピュータRPGを書いてみたいという欲求が生まれたのです」

(「ログイン 1984 No.4」、P117より引用)

ブラックオニキスにも、PLATOの影響が少なからずあったとは…!

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この記事へのコメント

1. Posted by hally   September 06, 2016 09:46
ブラックオニキスの件は僕も実は記事にしようと思って準備していたのですが、先を越されてしまいました(笑)。

記事中、小沢氏が影響を受けたのは76年頃の「テンプル・オブ・アプシャイ」のようなゲームということですが、システム的にそう言えそうなのはpedi5, dnd, Orthackオルサンクのどれかしかありえません。しかし「12歳の天才少年」のくだりは、OublietteやAvatarを思わせます。実際のゲームシステムもこれらに近い。いったい真相は…。というような話です。僕のほうも近いうちに書ければなと思っています。
2. Posted by jzunkodj4y   September 06, 2016 19:24
ブラックオニキスのインタビュー内のPLATOへの言及は本当に予想外で、
「こんなところで繋がってたんだ!」とあやうく図書館の中で声を挙げそうになりました(笑)
言われてみれば確かにブラックオニキスのシステムも「Wizの簡略化」だけでなく、
OublietteやAvatarからの影響がありそうですね。

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