私は、「事(じ)の一念三千の教主」であられる、五井野正博士がご執筆された、「 法華三部経大系総論を読んで初随喜を得てから、法華経及び大乗仏教、またヒンズー経の経典や著作を読み続けてきました。その中でも特に中心と位置づけられる、「法華経」に関しては、岩波文庫版「法華経」を2回読み、次いで「梵蔵伝訳法華経」河口慧海著を通読し、現在は「梵漢和対称・現代語訳〜法華経 上・下」植木雅俊訳に目を通しています。

 「法華経」の漢訳には、「正法華経」「妙法蓮華経」「添品妙法蓮華経」の三訳が有名ですが、日本では特に鳩摩羅什訳の「妙法蓮華経」が名高いと思われます。

 ただし、訳本が原典の内容を正確に伝達しているか否かは、翻訳者の知識度・教養等に依存します。例えば、タイトルの「法華経」に関しては、「Wikipedia」に拠れば、「大乗仏教経典『サッダルマ・プンダリーカ・スートラ(Saddharma Puṇḍarīka Sūtra、सद्धर्मपुण्डरीक सूत्र)』(『正しい教えである白い蓮の花』の意 」とされています。「Saddharma」を正しい教え(正法)と訳すか、「最も勝れた教え」と訳すか、「妙法」と訳すかで違いが生じてきます。

 1901年にチベットまで出向いて、法華経の原典を探し求めた
河口慧海は、以下のような解説を残しています。

<以下引用>

 題して法華経と云うは、この名称の世人に親好深きに随うのみ。梵語の題目を羅馬字によって書せば、Saddharma, puṇḍarīka mahayānā sūtram 即ち薩(サド)は妙の義にして、達磨(ダルマ)は法なり。 puṇḍarīkaは白蓮華にして、mahayānāは大乗、sūtramは経なり。而して西蔵訳は全くこれに合し、妙法白蓮華大乗経と訳せり。古来漢訳にはpuṇḍarīkaは華または蓮華となすも、これにては妙法の比喩として純潔白洋の妙味を示すこと能わず、言語に白蓮華という所に一目瞭然妙法の浄相を観ることを得るなり。これ本書に於て妙法白蓮華経の訳語を採る所以なり。

<引用終了>

 この文章から、法華経に関する
河口慧海の深い洞察力が伺えます。

 これに比すると、
「梵漢和対称・現代語訳〜法華経 上・下」植木雅俊訳は、原題を「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」と訳していることからも判るように、文法的に正確な訳行に努めている点は素晴らしいのですが、内容に詩的・芸術的要素が欠けているように思われます。

 この点に関して、五井野博士の 
 法華三部経大系総論」を再読してみると、「世(間)法・真理法・仏法・妙法」の違いとして解説がなされています。この解釈など、字面に捕われず、その本質を熟知されている博士だからこそなせる、最高の表現(方便)とも呼べると思います。

 博士の著作で表現されているように、法華経は仏法ではありません。仏法ならば悪世末法の世には広まらないからです。法華経は仏法ではなく仏法を超えた妙法なのです。そして法華経は諸仏の智慧ではなく諸仏の本体です。法華経は法でなく事(じ)であり、実教であります。そして妙法蓮華経は虚空界での事の説法の場を意味し、これが天台の摩訶止観で述べられている三千世界のことなのです。

 「妙法」とは如来の事(じ)のことであり、仏と仏の冥合した世界にある法の事であり、仏と仏のみが諸法実相を知るとされています。

 博士の表現を引用すれば、

<以下引用>

 法華経を説くという事は人天の世界が空に向かい世界を虚空界にしてしまうという事なのですからそこまでして説かなければならない必要性がない限り説かれるものではありません。

 ところが逆に世界が壊の様相を表すだけでなく衆生までに壊が起きて、あるいは仏教の力を利用して真理からも外れた地獄の地獄、のような世界に入った時、あるいは大菩薩が大願を終えた時にあるいは大菩薩が地獄に落ちてしまった時に諸仏の智慧の範囲を超えれば法華経を説かずとも諸仏の実体の事(じ)が顕れてくるのです。それを十王経(仏説ではない)のように諸仏を地獄の冥王の如くとらえれば永遠の地獄と化してしまうのです。それ由、釈迦の出現の使命は法華経の世界を示す事にあり、その様なひどい世界に入る前に出来る限りの人を救う事にあったのです。 

<引用終了> 

 ここまで「妙法」の本質が解き明かされたことはなかったように思われます。

 さて、 
鳩摩羅什訳「妙法蓮華経」には薬草喩品の後半部分が抜け落ちている事が知られています。この部分の訳本は、岩波文庫版にも「梵漢和対称・現代語訳〜法華経 上」にもありますが、私個人としては「梵蔵伝訳法華経」河口慧海著〜巻の五 薬草章第五(薬草喩品)の訳が最も素晴らしいものと思われます。

 この中に表現されている「生盲者の譬喩」は、著名な「法華七喩」にも取り上げられていません。これは分量が多いので、印象的な箇所を引用しておきます。

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<以下引用>

 一切諸仏を了解したる者は  完全円成の仏陀なり
 常に百の方便を以て     それにて衆生に法を説く

 かの衆生等に如来は巧妙なる方便を以て三乗を説明し給えり。それは恰もかの仙人等が五神通を得て眼が全く清浄なるが如くに菩薩は菩薩に心を起こし、無生法忍を得て、無上完全円満の菩提を明瞭円満に成仏する者なりと見るべし。そはかの大医師の如くに如来を見るべし。生盲者の如きは愚痴にて盲となれる衆生と見るべし。風と胆と痰の如くに貪欲と嗔恚と愚痴と六十二見とみるべし。四種の薬草は空と無相と無願と涅槃の門なりと見るべし。

 次に如来は彼に法を示し給えり。(中略)かれはその菩提心を生じて輪廻にも住せず、また涅槃にも住せざらん。かれは三界を全く了解して、十方の世界は空にして化現のごとく、現実のごとく、夢と蜃気楼と、反響の如くにして、一切法は不生にして、不滅無繋縛、無解脱にして暗昧にも非ず、光明にも非ざるなりと見るなり。たれにもかくの如く、深遠なる法を見ず。聞きしところの者は、三界の総べてに満ちたるところの衆生の思想と、欲望の差別を不見の理趣によって見るなり。
 
<引用終了>