今や誰もが知っている大東京の名所の数々を、昭和と平成の写真で比較する特集第2弾です。様変わりを繰り返す大都会の変遷を垣間見ることができます。


銀座4丁目交差点(東京都中央区)の昭和20年(1945年)と今 その1
 向かいの三越デパーが焼きただれているなど、前年の東京大空襲の跡が随所に残る終戦直後の交差点だ。ただ1932年(昭和7年)に外装を耐火用の天然石で造られた和光ビルは健在で、現在にその姿を残している。
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銀座4丁目交差点(東京都中央区)の昭和33年(1958年)と今 その2
 中央通を走る都電と交通整理中の警官の制服が懐かしい! 営団地下鉄丸ノ内線(現・東京メトロ丸ノ内線)の西銀座駅が前年開業し、銀座線銀座駅との乗り換えが開始されたことで、地下鉄利用者が倍増。銀座4丁目の交差点はこれまで以上に待ち合わせスポットとして名を馳せた。
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東京タワー
(東京都港区)の昭和33年(1958年)と今
 着工わずか1年4カ月で竣工となった東京タワー。その全景が一望できると、当時絶好の撮影スポットであった、札の辻交差点からのワンショットだ。タワー左下に国会議事堂、さらに左端には慶応大学図書館が見える。
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浅草寺雷門(東京都台東区)の昭和29年(1954年)と今
 浅草のシンボル的門だが、1866年(慶応元年)に起こった田原町大火で焼失して以降、100年近くも写真のような仮門でまかっていたという。現在の門は1960年(昭和35年)にパナソニックの創設者・松下幸之助の寄進より再建された。
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表参道(東京都渋谷区)の昭和28年(1953年)と今
 明治通りの交差点から青山方向を撮影。3年ほど前に植えたばかりの参道両脇のケヤキの木がまだ小さく、左奥には完成したばかりの同潤会アパートが見える。またアパートの手前に渋谷川があったが現在は暗渠(あんきょう)化されている。
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勝鬨橋(東京都中央区)の昭和32年(1957年)と今
 隅田川の最下流に位置する数少ない可動橋。撮影当時は中央部が跳ね上がり大型船の通行を可能にしていたが、高度経済成長の進展による交通量の激増で次第に跳開数が減少。1970年(昭和45年)11月を最後に開閉システムは封印された。
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浅草駅ビル(東京都台東区)の昭和6年(1931年)と今
 関東初の本格的な百貨店併設のターミナルビルとして開業。その堂々たるたたずまいは、昭和初期を代表するアール・デコ様式の建築物として地元の誇りだった。1974年(昭和49年/写真中)にアルミ製外壁が貼られ様相が変わるも2012年に開業当時の姿を取り戻した。
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三吉橋(東京都中央区)の昭和4年(1929年)と今
 関東大震災からの復興事業で京橋区役所(現中央区役所)前に新設された橋。川の形状から全長15メートルの“Y字形”フォルムとなり、たちまち東京の新名所となった。現在は川は埋め立てられ首都高速が走っている。
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東京ドーム(東京都文京区)の昭和32年(1957年)と今
 1936年(昭和11年)にプロ野球専用球場として誕生した後楽園球場を中央に、左に後楽園競輪場、右に国鉄の水道橋駅が写る。競輪場は1972年(昭和47年)に後楽園ジャンボプールに改装、さらに1988年(昭和63年)には球場も撤去され東京ドームとなった。
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日本橋(東京都中央区)の昭和27年(1952年)と今
 麒麟の中央柱はもちろん、橋の両端にある獅子像柱まではっきりと見える、終戦から7年、焼け野原から立ち直りつつある街並みも印象的だ。ただこの美しい景観も、1963年(昭和38年)に橋上に首都高が建設され大きく変わってしまった。
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歌舞伎町交差点(東京都新宿区)の昭和44年(1969年)と今
 現在では三ノ輪〜早稲田間を走る荒川線しか見ることのない都電だが、昭和40年代には都内の至る所で乗車ができた。特に国鉄新宿駅から四谷を抜けて半蔵門まで走る新宿線は、乗車率が高くドル箱路線であったという。
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お台場(東京都港区)の昭和33年(1958年)と今
 台場公園から東京タワーを臨んだショット。当時はレインボーブリッジはもちろん、芝浦埠頭界隈の埋め立て&再開発もなく見晴らしは格別! ゆえに船上から東京タワー見物が、現在のナイトクルーズ同様に大流行だったという。 
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六本木交差点(東京都港区)の昭和34年(1959年)と今
 道路中央に緑地帯を備えた六本木通りがやけに広く感じるのは、真上を走る首都高速3号線がまだ存在していないからか!?  写真正面に見える誠志堂書店は、六本木アマンドとともに長らく六本木の名物として賑わっていたが、2003年(平成15年)に閉店した。 
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新宿3丁目交差点(東京都新宿区)の昭和26年(1951年)と今
 新宿2丁目交差点付近からJR新宿駅方面に新宿通りを写した1枚。中央に緑地帯を持つ新宿通りは終戦直後から賑わいを見せていた。ちなみに右端上には進駐軍に接収されていた頃の新宿伊勢丹の鉄塔が見える(伊勢丹の接収解除は1953年/昭和28年)。
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鎗ヶ崎交差点(東京都渋谷区)の昭和37年(1962年)と今
 駒沢通りと旧山手通りが交わる交差点。恵比寿から向かって左手は淀橋台という台地で、その昔、遠く富士山から伊豆箱根の山々が一望できたという。昭和30年代は都電が恵比寿〜中目黒間のつなぐ主力であったが、昭和39年(1964年)に地下鉄日比谷線が開通。乗車客激減もあって昭和42年(1967年)に廃止された。また道路の上を横切っているの玉川上水の分流のひとつ「三田用水」で、江戸時代には上水道として、その後は農業用水、恵比寿ビール工場の雑用水などとして利用されてきたが、昭和50年(1975年)に廃止なり、約40mほどあったこの架け樋も昭和57年(1982年)に撤去された。ちなみに右のトンネルは三田用水の下をくぐっていた道路用と掘られたが、その後、利用されることもなく埋められた。
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