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広重 名所江戸百景深川洲崎十万坪 

東京の礎を築いたのは誰か

1990年、当時の鈴木俊一都知事が、

・江戸城を築いた太田道灌

・江戸に幕府を置いて国政の中心とした徳川家康

・そして京都に都を戻そうという動きに抵抗して
東京に置き続けることを決断された明治天皇

3人の名を明確に挙げて示した

江戸東京博物館にある 巨大は、徳川家康公の銅像は

東京湾の方角を向いた亀の上にのり、
江戸幕府が15代まで続いたことに因み15段の石の台座が載り、
その上に陣羽織姿で江戸城の方角を向いて立ち、
伸ばした左手には鷹がのっている。

古来寺院の石碑はミノガメ(蓑亀)の甲羅を土台にすることが多く、
世界の縁台を支える尊い精霊」として拝められ、

徳川家康が好んだ 鷹には
鷹と鷹匠は「言葉は通じないが、意思は通じる」。
鷹狩りが人心力にすぐれた
天下人の権威づけが 意図されていた  

「亀」と「鷹」。水の中から人の顔を仰ぎ見るものと、
空から人の背中を垣間見るもの。

巨大な銅像を見ながら 今も変わらない 
国際都市 江戸-東京のしっぽに 興味を持った 

江戸の時代では 90パ-セントが緑地。
その緑地には 時代の流れで 高層ビルになっている。

江戸の生活は 現代のライフラインとは ほど遠い
まず 電気がない。テレビもなければ パソコンもない。

季節の移り変わりに対する関心は
現代とは比較にならないほど大きく、
暦事は 江戸の生活を彩り 武士でも 商人でも。
またどのような貧しい裏長屋の住人でも
同じような生活のリズムとして 季節の歳事が
催されてきた。

浮世絵の中の江戸の一年。
こうして辿ってみると 江戸の生活で、
季節が 多彩に 人々の共通の心象風景として
息つき その人との付き合う慈しみの願いが
現代にも絶えることなく受け継がれてきた。


西山松之助の「江戸時代の文化の位置づけ」によると

江戸の人々が祭礼・縁日・開帳などで社寺に詣でたり
伊勢や富士、大山への参詣の旅に出かけたり 
花見や月見 納涼に出掛けたり歌舞伎や吉原、盛り場に
興じる一連の文化的な消費衝動に根ざす「行動文化」として位置づけた

封建社会における諸矛盾や開放する自己解放装置であり 
そこに埋没する身分制社会を超越する展開が見られた。
江戸の行事は多く 神社仏閣が多い。
地域性や階層性、正業によってそれぞれの文化
が 習合し影響しながら存在している。

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江戸東京博物館では 初期展示計画では


1 花見や潮干狩りなどの 自然と交流の場
  小高い丘陵や小山・小川・川岸や海辺で行われる事が多い。
  消費生活中心とする人々が 季節に合わせて自然と親しむ場を
  求めて出掛ける。自然の移ろいを五感で感じながら 都市生活の活性化を
  与えていった。 

2 神社仏閣で行われる祭祀や法会など「神仏との交流の場」
  人々の不安や願いを たくさんの神社仏閣が 縁日・祭礼・法会
  開帳などを 通して叶えてくれる。現世利益を叶える神仏
  との結縁の場を求めて参拝にでかける。「守り」「防ぎ」「払い」
  が 沢山の交流の場にもなっていた。 

3 市と名付けて 人形や玩具 熊手や正月用品を買い求める「物と交流の場」
  市という中世以来の交易を目的の場として場ガ 神社仏閣などの境内を
  借りながら開催される。市は、都市住民の生活必需品を買い求める場
  そこから近郊の商品が持込まれ 江戸と江戸近郊、江戸の外の人々との
  物を通した交換交流の場にもなっていた。

として 分類されていった 

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自然の暦の中で活きている 江戸の生活感を探ってみたくなった

何といっても 日の出 日の入が 「江戸の時間」
蝋燭しかない時代。
少し小高い丘からは 四方が見わたせた。
江戸の町は どこからでも 富士山が見えるように作られたとか 

今では どこからでも 見えるのは スカイツリ-。

好奇心をくすぐる「季節のしっぽ」を ちょいと 引っ張り
たぐりよせると「
江戸のしっぽ」が 見えてきた。

江戸を楽しみのなら 
江戸の概略 から
江戸の季節を楽しむなら 
歳時記から

グイっと 「しっぽ」を 手繰り寄せ 見えてきた 江戸時代 。
浮世絵と一緒に 季節を楽しんで下さい。


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