2016年06月26日

とうといおしえ

私は、何を隠そう、飲みにケーションが大好きなんです。
というか、それがないと、本音で話ができないくらい、話下手なんです。
でもそれじゃあ、いくらなんでもそろそろまずいかもなあ、と思っていたのですが。




先日、とある方と、仕事の帰りに一杯飲んでるときに言われたのが。




貴方の言葉には愛がない。




ガツーンときました。
これに追い打ちをかけるように、周りで飲んでいた人たちも。





そうだそうだ、きくけんの言葉には愛がない。





との大合唱。





正直、凹みました。
自分でもわかっているだけに凹みました。
しかもそこにいるほぼ全員がそう思っていたというのも凹みました。





ある時期まで、それでいい、と思っていたのも事実でした。
でもある時期から、それじゃまずい、と思って、自分なりにいろいろ気を付けていたつもりでした。
でも、周りには、見透かされていました。





嗚呼、どうしたらよいのだろう。
どうしたら自分の言葉に愛が持てるのだろう。





そう思ったら、居てもたってもいられなくなりました。
でも、同時に気づきました。





私には、まだ、そういうことを教えてくれる人たちがいるんだ。
そして、それじゃだめだよ、と教えてくれる人がいるんだ。
きくけんは理屈っぽすぎるのだと教えてくれる人がいるんだ。
そして、それは、とても有り難いことなんだ。





尊い教えは他者からしか受けられない。
言葉に愛が持てるかどうかはわかりませんが、他者をもっと大事するように努力しようと思います。
そして、そういう尊い教えをもたらしてくれる飲みにケーションも、やっぱり大事にしようと思います。






   
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2016年06月20日

こんヴぃヴぃありてぃ

イヴァン・イリイチ曰く、




生き残れるかどうかは、自分たちが何ができない(すべきでない)かを速やかに学ぶことにかかっている。



そして、
 


環境危機の唯一の解決策は、もし自分らがともに仕事をし互いに世話しあうことができるならば、自分たちは今より幸せになるのだという洞察を、人々がわけもつことなのである。






私はこれはとても難しいことだと思うが、非現実的なことではないとも思う。
生き残らねばならない、危機を解決しなければならない、ということになれば、それに関わる人たちは同じ認識をもつことができると思う。




裏を返せば、そうでなければなかなかそういう認識を共有するのは難しいのではないか、とも思う。
既成概念を逆倒するのには知的な勇気が必要だ。
危機は勇気を起こすきっかけになる。





コンヴィヴィヴァリティ=自立共生には、新しい世界に向かうためのヒントが詰まっている。




   
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2016年06月12日

こうほうしえん

この夏から新たに2件の現場が始まります。
木造の道の駅と、保育園併設の高齢者用住宅です。
どちらもすごく大変な思いをして、チーム一丸となって設計をまとめ上げた案件です。
これらが実際に建つのだと思うと、毎度のことながら心が躍ります。





しかしながら、今回はどちらの案件も私が最前線の担当者ではないのです。
私の役割は、最前線の担当者の後方支援です。 
そして、今、私はその後方支援にやりがいを感じ始めています。





骨は拾ってやるから、好きなようにやってみろ!
かつて私がそうしてもらったように、そういう姿勢で後ろに控えたいと思います。





この姿勢は図面を描く、ということについても同じことが言えます。
かつては自分の図面を描くことで精いっぱいで、人の描いた図面をじっくり見るという時間も余裕もありませんでしたが、今、後方から支援をする立場になって、いろんな人が描いている図面を見る機会が増えました。





複数の案件の図面を見ていると、一つだけの案件に集中しているときには気づかない、いろんなことに気づくことができるというのが、この後方支援を始めてからの収穫でした。





今、我が事務所で描いている図面の共通の課題は何か?
よく描けている図面と、そうでない図面の違いは何か?
この図面を描いている担当者は、どんなことに悩んでいて、なぜそれが解決できないのか?





部分最適を目指しつつ全体最適を創り上げること。
建築デザインも組織運営も、目指すところは結局同じ。





担当者ががむしゃらになるのは、仕方のないこと。
当然、視野は狭くなる。
そのとき、周りを見回して、複数の案件のことも気にしながら、あるべき方向に導いていく。





そういうやり方で、熱い奴らを支えていきたい、と思っています。





   
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2016年06月05日

しごとのりょういき

毎日毎日、いろんなことが起こる。
それだけ、ひとつのことに集中する時間がとれなくなる。




時間を細切れに活用することも学んだつもりだけど、それはやっぱりルーティンにしか活かせない。
だから、検討する時間を確保することが大事だということも学んで、その時間を確保しようとしているけど、やっぱりだんだんそういう時間は削られてくる。




だから、目下、自分にとって「検討」というのは仕事の時間以外の時間に考えることと同義になってきている。
それを労働時間というのかどうかはわからないが、私にとってはそれが最もしっくりくる時間の使い方のような気がしてきた。





「検討」というのは要するに「考える」ということ。
「考える」ということに際限はない。
「生きる」ということは「考える」ということなのだから。





なにも建築に限ったことではない。
身の回りで起きていることや、見聞きすること、全てが考える対象になる。
その「考えたこと」が結果として建築や仕事に還ってくる。






事務所にいるときにやるべきことは何か。
事務所の外にいるときにやっていることとは違うことをやるというのが自分のスタイルになってきている。






外で考えて、内で実行する。
時間を有効に使うためにもそういうやり方が合理的だと思うようになった。





仕事、というのはどこまでのことを言うのか。
私にとって、建築というのはその領域が決めづらい仕事なんだと、最近、とみに思う。


   
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2016年05月30日

ゆめ

街区をまたがるほどの大きな現場。
そこに向かおうといつもの道を急いでいたら、道路そのものが通行止めになってた。
仕方がないので回り道。
坂を上って曲がり角にちょっと古い軽量鉄骨の建物が。
坂の下から立ち上がって、登り切ったところで2階になってる。
そこから入るといい感じの飲み屋街。
昼だったのでしまってたけど、そこで働いているらしき女の人がすっぴんで立ってる。
通り過ぎようとしたら声をかけられた。


彼女:なんだか最近始まった工事でここが揺れてんのよ。


私:そうなんですか?


彼女:貴方、工事監理の人なんでしょ?もしなんか壊れたらそちらに連絡すればいいの?


私:結構離れてるんでそんなに影響ないと思いますよ。



と、行ったそばから、かたかたかたと金属音と結構な揺れが。
おまけに奥からちょっとこわそうな旦那らしき人がこっちに向かってきた。
ちょっとやばい感じになってきなあ。



と、ここで目が覚めた。
うなされているなあ。俺。


   
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2016年05月22日

せかいのしくみ

この世の中には不条理が満ち満ちている。
理屈が通らないこともある。
理屈通りのこともある。
どちらが正しいということではない。
単にそうなっている、ということである。




不条理によるしわ寄せはいつも弱者に向かう。
自分がその弱者になることもあるし、相対的にもっと弱い人たちもいる。
それをどうにかしたいと思う人もいるし、どうしようもないと思う人もいる。




特に子供は素直だからモロにその不条理に相対する。
世の中が人によって形作られているのだとすると、人は皆はじめは子供なのだから、子供が最も大事になるということになる。





不条理に立ち向かっていくには世の中の成り立ちを知る必要がある。
宇宙の原子は全体の約4.5%、あとは暗黒物質と暗黒エネルギーで満たされているらしい。
しかしながらそれは科学者がそういっているだけで本当かどうかを確かめる術は一般市民である私にはない。





ただ、それが正しいかもしれないと思うのは、暗黒物質、暗黒エネルギーというのは、現代の科学によってもそれがなんなのかよくわからないらしく、ようするに世の中にはわからないことの方が多いという実感ととても符合するという事実である。




たかだかここ二百年程度で成立した民主主義や資本主義が至高の制度だと思えない私としてはとても都合のよい事実である。




そんなことを夕食時、家族でそれとなく議論したら、息子とかみさん曰く、




「二百年程度で起こったことがそれまでの数万年で起こったことと比べてどっちが価値があるなんてわからないじゃない」



との意見。




確かに。




時間が長けりゃそれで価値があるとも言えないですね。
じゃあ何が価値があるの?と聞くと。





「そんなことはわからん」




とのシンプルな答え。






ここに踏み込むと話が長くなることが分かっている家族は、それ以上私との議論を望んでいないようでした。






でも、私は思うのです。
世の中はどのように成り立っているのか。
なぜこんなに悲しみが充満しているのか。
なぜこんなにせつないことが多いのか。




それは暗黒物質、暗黒エネルギー、別名ダークマターが多いからなんです。





明るい、理解できる、開明的なことはほんの一部なんです。
ほとんどわからないことだらけなんです。






それが、私の実感と符合する事実です。
それが、私の思う世界の仕組みです。










   
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2016年05月15日

せんもんか

専門家と一般人とを分けているものは何か。
それは、ずばり、一般の人が持っていない情報と技能を持っているかいないかの違いだということができます。




では、一般の人が持っていない情報と技能を持っていれば専門家になれるのか。
というと、そこはそんなに簡単じゃなさそうです。





一般の人が持っていない情報と技能を持っていることだけでは専門家とは言えないかもしれません。
まず、情報と技能を「持っているだけ」ではほかの人に「持っていること」を知らせることできません。






自己アピールでも広告宣伝でも何でもいいので、とにかく知らせればいいのだ、ということに一旦してみます。
では、知らされた一般の人は自分が持っていない情報や技能を持っている人を知ったとして、それですぐにその人をその道の専門家だと思うかどうか。





そんなことを考えながら、NHK大河ドラマ「真田丸」を見ていました。





真田丸は私が今、毎週楽しみにしている唯一のテレビドラマで、脚本は三谷幸喜さんが書いています。
このドラマで話題になっているのが、時代劇の現代的解釈です。




武家の娘きりが、あんな言葉遣いするかあ?

とか、

上杉景勝があんなに頼りなかったかあ?

とか、

家康と秀吉があんな密会したかあ?

とか、




数えればきりがないくらいの???のオンパレードです。





でも、もう一方で思うのです。
私がそうであろうと思っている武家の娘や上杉景勝や徳川家康や豊臣秀吉のイメージは、いったいどこから来ているのだろう、と。




よく考えてみれば、今、私が抱いているイメージは、これまでの歴史の教科書や先生たちから教えられた刷り込みの知識でしかありません。
一旦そう思うと、もしかしたら真田丸で描かれているきりや景勝、家康、秀吉だっておんなじ人間なのだから、真田丸で描かれているようなことも本当にあったのかもしれない、なんて思ったりするのです。




ここで、はた、と気づきました。
三谷幸喜さんは間違いなく脚本を書く専門家なんだと。
多分私より歴史の情報や脚本を書く技能をもっていることは間違いないでしょう。
でも、それに加えて、その「使い方」を知っているのだと私は思いました。




専門家というのは他の人がもっていない情報と技能持っていて、それでいてかつその情報と技能を「使いこなすこと」ができる人のことをいうのだと、思いいたりました。




三谷さんは時代劇を現代的に描くことで、私に、その時代はもしかしたらそういうこともあったかもしれない、という、私が今まであまり感じたことがないことを感じさせてくれました。
それは多分、私だけではないようで、最近になって、まことしやかに秀吉は実は信長のことを嫌っていて、手紙の中では呼び捨てにしていたというような情報も出てきています。
これがすべて真田丸のせいだとまでは思いませんが、でも多分、そういうムーブメントを起こすきっかけにはなっているのだと私は思います。





今、私が携わっている建築設計ということを生業とする建築家は一般の人が持っていない情報と技能を持っていると思われて「いました」。
もう多分、建築家以上に建築の情報を知っている一般人はいると思いますし、技能にしても3D で間取りが簡単に作れるツールが出回っているのだから、建築家だけが特段特殊な技能を持っているともいえないと思います。





そんな中、建築家が専門家として生き残っていくために必要なことは、新しい情報や技能を得ることも大事ですが、それ以上にそれらを「使いこなす」ことなんだと思います。
では、建築家が持っている情報と技能を「使いこなす」というのは、どういうことなのか。






建築家は「人」です。
そして人はそれぞれ違います。
だから建築家それぞれの「使いこなし方」があるはずです。






三谷幸喜さんは脚本家です。
脚本家は三谷さんだけではありません。
宮藤官九郎さんだって脚本家です。
クドカンも私の好きな脚本家の一人です。
そしてクドカンは三谷さんとは違う「使いこなし方」をしていると私は思います。







このあたりから「世界を動かす」ことを考えていこうと思います。







   
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2016年05月08日

せかいをうごかす

今日でゴールデンなお休みもおしまいです。
今回は、人間というものについてしっかりと考える時間を創ることができました。 
そういうことをきちんと落ち着いて考えるのがとても久しぶりだったので、何から入っていくか考えあぐねていました。
すると、ちるちるみちるではないですが、そこにはとても身近な「わたくし」という存在がありました。





一周まわって還ってきたような感じなのですが、私はあるときまで「わたくし」のことだけしか考えていなかったといって過言でない時期がありました。
いい年のおっさんになって、それじゃいかんということで周りに目を向けてから至ったのが「世界全体がわたくしなんだ」という認識でした。
何が起きてもどんな状況でも、なんとかそれを受け止めることができるのは、 そういう状況も含めて今の「わたくし」なんだという理解の仕方をするようになったからです。




 そして今、人の力を結集して物事に当たるにあたり、そういう「世界」をそのまま受け止めるだけではなく、それを能動的に「動かしていく」ことが必要なのだと切実に思うようになりました。
簡単に言うと「世界=状況 を動かしていく」ということが必要だと思うようになったということです。 





実はこのことはずいぶん前の若いころにも思っていたことで、ただただがむしゃらに状況を変えようとして結局うまくいきませんでした。
なので今度は、ただただがむしゃらに、ということではなく、きちんと考えなければならないと思ったのです。





で、はじめの話に戻りますが、「世界=状況」をつくっている一番大きな要素は「人」なのだから、その「人」について、ちゃんと考えなければならないと思った次第なのであります。





仮に「人=世界」だとすると、人というのはその人以外の周りの人の影響を受けながら生きているということになります。
と、いうことは、関わる人同士の関わり方が動けば「人=世界」も動くことになるのだと思います。
と、いうことは、「人」の一人である「わたくし」の関わり方が動けばその周りの「人」の様相も変わってくるのではないかと思いいたりました。





今、私は今年の目標である「人の話を聞く」ということを徹底的に意識して実践しているつもりです。
でも、それだけではただ単に「聞く」という受動的な関わり方でしか関われないので、もっと能動的な関わり方が必要なのだと思うようになりました。





その能動的な関わり方というのは何なのか。
このゴールデンなお休み中に考えて至ったのは、




「答を一緒に見つけること」




ということです。





人の話を聞くだけでなく、 ただたんに状況を放置するのではなく、
一緒に考えること。
そしてできれば、考える本人が自分で答えを見つけること。




そういう関わり方をすることで「世界=状況=人」は動くのではないか。
早速これから実践してみようと思います。





こういうことを考えることができたのは、やっぱりお休みがゴールデンだったからだと思います。
こういうマストでない時間の大事さに気づくことができたのもゴールデンなお休みの収穫でした。

   
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2016年05月02日

ちてききどうりょく

今年もGWがやってまいりました。
ここ数ヶ月、全力で走ってきましたので、少しお休みをいただくことにしました。
と、いうわけでかなりゴールデンなお休みでございます。




そんなさなか、業務は着々と進行しており、締め切り間近の案件や、今にも始まりそうな案件が目白押しです。
今までは、そういう時に休んでどうするんだあ!と自分を叱咤激励しながら突き進んでいました。
でも、ある時から 気づいたんです。




一つ二つならいざ知らず、いくつもあるプロジェクト各々を自分が中心になって切り盛りするのは限界がある。
自分がかつてそうだったように、自分で仕事をまとめられると思っている自信たっぷりの部下たちが沢山いる。
今は、そういう部下たちを如何に活かすことができるかを考えるステージではないか。




このように書くと、如何にも上目線で偉そうなのですが、はたから見るのと実際やってみるのは雲泥の違いです。
少なくとも何も考えず、成り行き任せにやっていてうまくいくことでは絶対にない。
と、いうことで、このGWはこの、如何に部下を、人を活かすことができるか、ということをテーマに考えてみようと思っています。




今、自分なりに腑に落ちている考え方が「知的機動力」という考え方です。
それは、集団としての指揮系統はしっかりと存在していても、全ての構成員が自律的に知的に機能する能力である、と私は認識しています。





ビジョンを共有し、やるべきことのゴールを設定したら、あとはそのゴールに向かって各人が自律的に考えて行動する。
構成員の誰かが何らかの理由でチームから離脱しても、他の誰かがそのフォローができる能力を常に持っている。
デジタルな情報だけでなく、人的インターフェースから得られる感覚的情報を咀嚼して、何がベターかを総合的に判断する。






これらのことをどのようにすれば実現できるか。





まずは各人が自律的に知的であること。
自ら考えて行動し、結果を報告、共有すること。
そこからだと思います。






今の私の仕事としてはビジョンを浸透させることと知的機動力が発揮できる体制を構築することが第一の仕事だと思っています。
だけど、それがなかなか難しい。





師匠Iさんは「組織設計事務所というのは自律的な個人である建築家の集団であるべきだ」と常日頃からいっていました。
しかし、私が見る限り建築家という人種は、自律的であれば集合して仕事することが難しく、自律的でなければ個人として仕事するのが難しい、というやっかいな人種であります。





そういう建築家集団が如何に「知的機動力」を持ち得るか。
チャレンジングではありますが、考え甲斐のある問いだと思います。









   
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2016年04月24日

つたわるということ

この一年の目標を「人の話を聞く」ということにしたことは、今の私にとってとてもタイムリーなことでした。
そしてこれは私にとってなかなか簡単にはいかないことなんだということに気づき始めました。
なぜにそのように思うかというと、人の話を聞く、ということが、どうしたらそうできたということがといえるのか、ということがよくわからなくなってしまったのです。




その人の話をただただひたすら聞くことが、人の話を聞くということなのか。
もう少し正確に言うと、人の話は聞いているのですが、そこにちゃんと相互理解があるのかどうかがよくわからないのです。





この目標を立てた時には、人の話を聞くと結果的に自分の主張を抑えることになって、話している人がとても活き活きと自発的に物事を進めるようになると感じたのです。
それはそれで確かにそうなのですが、ではそれだけが人の話を聞く、ということなのかということに疑問を感じたのです。





自発的にやればそれでいいのか。
活き活きとしていればそれでいいのか。





何かが足りない。
そんな気がしてました。
で今日、閃きました。





「伝わる」こと。
これが人の話を聞いたということの証なんだと思いました。






これまでの私は「伝える」ことばかりに一生懸命でした。
でもいくら私が頑張っても伝わらなかった。





伝わるということ。
一方通行ではなく、お互いに。
それが、人の話を聞いたかどうかということの、最もわかりやすい証なのだと思います。






が、払拭できないことがひとつ。
伝わったかどうかは、確認のしようがない。
それは、伝え合う各々の本人にしかわからない。






でも、なんとなく、伝わる。
その、なんとなく、が実は最も大事なことなのかもしれない。
それは理屈ではないところで感じることなのかもしれない。






そしてそれは、見る、ということにもつながっているような気がします。



   
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2016年04月16日

ぐんけんちく

160415_1



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女川に行ってきました。
最初に行った時ひたすら土を盛っていたその場所に、新しい駅舎やプロムナードが整備されていました。
目に見えて、まちが蘇ってきているという印象を受けました。





ただ、周辺ではまだまだこれから整備していかなければならないエリアが残っているという印象も同時に受けました。
不思議なもので、建築というのは単体でぽつんと建っていても、それがどんなに立派であっても、あまり活き活きとした感じに見えないんです。
特に、女川のような、敷地そのものを作り直している土地では、その印象が更に強まる気がします。





そんな時、一角だけでも建築が集まって、そこを巡る道が整備されて、それぞれの機能が結びついているような使い方がされているところがあれば、そこに生活感がかもしだされてきて、そのとき人がそこにいなくても活き活きとした雰囲気が生まれてくるのだと感じました。





人がこれから新しいことにチャレンジしていく場所や力強く楽しく生活しようとしていく場所では、大きな単体の建物だけではなく、いろんな機能をもったいろんな形の群建築が創られるべきだと強く感じました。






そしてその群建築はいろんな建築家によって設計されるべきで、マスタープランがどうのとか、デザインの統一性がどうのとか、そういう議論だけではなく、そこに再び生活を根付かせるために創るという一点だけを大事にして、いろんな考え方を包含した包容力のあるまちをできるだけ早く創るべきなのではないかと、私は思いました。





そうはいっても、それぞれの単体の建築に対する好みや嗜好はそれぞれあってしかるべきで、そういうことも含めてどうしたいのか、どうしていくのが良いのかを考えるのが建築家の職能なのではないかと思います。












  
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2016年04月10日

きちく

鬼畜という言葉を辞書で調べてみました。


鬼畜

鬼と畜生。転じて残忍で無情な人のたとえ。



さらによくわからなかったので畜生という言葉も調べてみました。


畜生

けだもの。また、鳥獣虫魚の総称。
人に値しないもの。人をののしって言う語。


世にいう鬼畜の所業というのは、上記のような残忍で無情な人に値しないものの所業ということなのだと思います。
何を指してそういうかというのは、時と場合によっていろいろでしょうが、内面的には、残忍であるかどうか、、無情であるかどうか、人に値しないかどうかを考えればおのずと判断できることです。
そして、大きな声で言うことではありませんが、多分私はその鬼畜の部類に入る人間性を持っていました。



いや、過去形で言うのも正しくないかもしれません。
今も、残忍で無情で人でなしであることは変わりないかもしれません。
唯一、変わったことは、鬼畜の私でも何とかこの社会とかかわりをもって生きていけているということです。




このブログにはさんざん書いているので今更繰り返しませんが、私は少年期から青年期まで、世の中とうまくやっていくことが苦手でした。
それは、多分私が鬼畜だからと、今、自覚しています。




ただ、そんな私がなぜ、社会となんとかやっていけているのか、と自問したところ、やっぱり、周りのいろんな人やことに助けてもらって、育ててもらったからなのだと思います。





建築という一生涯かけて身を投じられる仕事に巡り合えたこと。
ぺいぺいの私を、一から育ててくれたメンターがいたこと。
成長しきれない私を、我慢強く待ってくれてる家族がいること。





結局、私は運が良いんだと思います。
こんな私を必要としてくれる家族や仲間や仕事があるということは、鬼畜の私が鬼畜なりに、助けてもらった恩返しをしなければならないと思わされるに余りある幸運です。





だから私と同じような鬼畜の建築家を私は見捨てません。
建築家であるかぎりは、ドロップアウトするぐらいの気概をもってなければなりません。
この世の中を斜めに見れるから、世の中に訴えられる力を持った建築を生み出せるんです。





鬼畜は鬼畜なりに生きる道があります。
私は私なりにその道筋を示したいと思います。












   
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2016年04月03日

つよみのつくりかた

人を活かす組織はどうあるべきか。
行きついた答えは、一人一人の強みを活かす組織であること。





考えてみれば当たり前ですが、人はみんな強みと弱みを持っているものだと思います。
でも、だれにも負けないほどのものを持っている人というのはなかなかいないと思います。
斯くいう私もそうです。




ナンバーワンでなくてもいい。
みんなオンリーワンなんだから。




そういう言葉が流行った時期もありましたが、私は何の意味もない言葉だと思っています。
オンリーワンなのは私はただ一人しかいないという意味で当たり前です。
それだけで何かの価値があるとは私は思いません。





言葉は適切ではないかもしれませんが、中途半端な強みしか持たない人が集まって、どうやったら強い組織が創れるのか。
私なりに至った答。





強みを複数にすること。
あれとこれが得意という組み合わせとすること。





例えば。




スケッチができるマネージャー。
短くて的確な打ち合わせが得意な構造設計者。
積算ができる意匠設計者。




趣味との組み合わせでも強みは創れます。





学校が得意な園芸好きな人。
福祉施設が得意な本好きな人。





園芸ならランドスケープ、本好きなら図書館といったありそうな組み合わせじゃないのがいいんです。
関係なさそうなことを組み合わせて、新しいものを創る。
しかもそれができるのは、その組み合わせが得意な人がいるからこそです。





一つのことではナンバーワンになれなくても、組み合わせの強みがあればその組み合わせが他になければ必然的にナンバーワンです。
ちょっと変わった人が多い設計事務所というフィールドにはあってる強みの創り方だと思います。



   
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2016年03月27日

げきどう

もう年度末。
正月明けからの4ヶ月は怒涛の勢いで過ぎていきました。
正月が終わったと思ったら、あれっ?もう年度末?みたいな感じ。
こうやってどんどん年をとっていくんですね。




でも、ただ漫然と過ぎ去ったというわけでなく、いつも以上に激動の数ヶ月でした。
まあ、年度末はいつも〆切を抱えてわたわたしているのは毎年なのですが、今年はちょっとそれに心理的なものも加わって、いつもの倍は疲れました。
きっとこのまま突っ走ると身も心もボロボロになってしまうという危機感を覚えたので、少し今後どうしていくべきかを真剣に考えました。




最近、打ち合わせしたお施主様はチームを率いるマネージャーなのです。
打ち合わせの中で、おっしゃった一言が突き刺さりました。




俺は、プレイングプレーヤーだからさあ、ぜんっぜん時間とれないわけよ。




私はこれは、名言だと思いました。




巷にはプレイングマネージャーという言葉が流布していますが、その実はプレイングプレーヤーだということです。
少し解説すると、マネージャーというのは管理職なのですが、その管理職が本来やるべき業務管理ができなくなるくらい現場の仕事を自分でしているということです。
そうしなければならない理由はいろいろあると思いますが、そうしなければ仕事が回らない、というのはどの業界でも同じなのかもしれない、と私は思いました。





また、別のお施主様は、この方も管理職なのですが、管理職は部下の倍働かなきゃならないんだ、と言っていました。そうして初めて組織というのは機能するんだとも。





私も管理職なので、このお二方のおっしゃることはよーーーーーくわかります。
でも、そんなことずっと続けていたら、本当に身が持たないと思います。
せめて、プレイングプレーヤーからはなんとか脱せねば、と今、真剣にその方法を考えています。





冷静に考えると、プレーヤーであることに喜びを感じていたのがつい最近までの私でした。
でも、誰かがやらなきゃいけないことなんだから、求められたらやる。
そう決めたのも最近でした。
その両立をどうしたらできるかを考えているのが現在です。





そんなことを考えている間にも、仕事はどんどん進んでいきます。
ゆっくりじっくり一人で考えにふける時間もだんだん少なくなってきました。
考えずに流れに身を任せるもの一興ではありますが、それで自分が幸せになれるかは疑問です。
なので、なんとか考える時間を確保して、この状況にどう対するかを見出さねばなりません。






これまでと違う心理的な動きが加わったことが、この年度末はいつも以上に激動している、という感じにつながっているのだと思います。
それと同時にいろんなプロジェクトで起こっている数々の問題に対しては、なんとかすればなんとかなる、というくらいの肝ができたという実感も得ました。






建築の仕事はやればやるほど、次はこうしよう、ということがうまれてきます。
だから、本当はそれを自分でやりたい。
でも、その全てはやれない。
だから、部下に託す。
そこまではわかった。






託し切れればそれでいいのだけど、そうはいかないこともある。
だから自分でやる。
それと同時に他にやらなきゃいけないこともある。
それをどうやったら両立できるか。






やっぱり最後は「人」に戻ってくる。
事務所は「人」が支えていて、「人」が価値を生む。






激動のさなか、探し求めていたものが見えてきた気がします。
「建築家」というのは「人」を束ねることができる人のことを言うのかもしれません。






   
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2016年03月21日

しごとのかち

先週一週間はいろんな人と会って話しました。
そろそろそういう世代になってきたのだなあと、一時引きこもりがちだった今でいうコミュ症気味だった私としては、我ながら自分の変化に驚いています。
 



でも、やはり人と会うって話すというのはソクラテスの昔から学びの原点で、そういう機会があってこそ自分だけでは思いつかないことも考えるようになるのだと、最近本当に思います。
そんな学びの一つとして、この一週間で考えたことを書いてみようと思います。






6年ほど前、私は「建築の付加価値とはなにか」ということについて書きました。 
今読み返すと、ずいぶん固い青い文章でこっぱずかしくもありますが、そのとき考えたことの延長に今週の学びがありました。 




以前は付加価値を決めるのは生産者だと思っていました。
だから必要ないものも生産されて、消費者がそれを消費せざるを得ない状態を創る。
それが付加価値を生み続けるシステムだと思っていました。





でも、もう一つ、絶対になくならない価値がありました。
それは。



難しいことをなんとかしてより良いことにすること。



です。




先週会った人はみんな何らかの難しいことを抱えていました。




新しい仕事を狙っている設計事務所長然り、
これから出向することになっている社員然り、
地域をかえていくことになる地域事務所所長然り、
世界を股にかけて飛び回っているお施主様然り、
新しいことを始めようとしているママ友然り。




みんながみんななんらかの難しいことを抱えていることで共通でした。
でも、もう一つ共通していたことがありました。



みんな楽しそうなんです。
ワクワクしている感じなんです。
辛い、大変だ、と口ではいっていながら、これから向かっていく困難を何とか解決しようと必死に考えていて、その話をしているときの皆さんの目は輝いているのです。




そして。
その難しいことがなんとかなる、ということは、難しいことをそのままにしておくよりも間違いなく価値のあることです。
困った状態を何とかすることができるから新しいことが始まるのだし、そうしてほしい人にとっては、そうできる人がいるということはとても価値があることです。




建築に限ったことではないと思います。
仕事の価値は難しいことを何とかより良くすることに潜んでいるのだということが、この一週間でよくわかりました。




その価値は生産物に付随する付加価値だけではなく、生産する側にやる気と熱意を注ぐことができるいわば生産価値ともいうべき価値を纏っています。






やるべき仕事のフィールドがだんだん見えてきました。




   
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2016年03月13日

ぺなるてぃ

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人間というのは弱いもので何かをなさねばならないと決めた時にそれがなかなかできないという性を持っているのだと思います。
文明社会は倫理を守るということを人類に定着させるために罰則を発明しました。
罰則がなければ決して倫理を守ることができないのが人間という悲しい生き物の本性で、その証はこれまでの歴史に照らして明らかです。




公私共々倫理を守るということの難しさを実感している私は、わたくし、の生活エリアでもある約束を守るためのルールが課されております。
それは。





電気、照明をつけっぱなしで寝たら1ペナルティ。
10ペナ溜まったらかーちゃんと息子にケーキをごちそうする。




というルールです。
10ペナというのはそう簡単に溜まるものではないと思いきや。
年末忘年会の時期や飲み会が重なった時、いとも簡単に10ペナ溜まってしまうのです。





こうやってブログを書きながら寝てしまったこともあります。
仕事をしながら疲れて寝てしまったこともあります。
 趣味のサイトを見ながら寝てしまって、かーちゃんがこっそり電源を落としておいてくれたこともあります。




このペナルティは息子にも伝えられており、最初こそ、とーちゃん寝ちゃったらペナルティだよ、と優しく声をかけてくれていたのに、最近ではケーキが食べたいが故にむしろとーちゃんをわざと寝かせにかかっているような始末です。




ことほど左様にペナルティの恐ろしさを肌身に感じているにも関わらず、これまで重ねたペナルティは数知れず。
本日は溜まっている13ペナ分でケーキをごちそうすることになってしまいました。



かーちゃんは町がホワイトデーということで浮足立っていることもあり少し上機嫌だったので、 これで13ペナを帳消しにしてもらえるかと思いきや、そこはそうは問屋が卸さない。
3ペナは残したままこれまでの10ペナ を清算したのでした。



あと7ペナ残っているとはいえ油断は禁物です。
春は飲み会も増えてきます。
社会倫理を守るべく、努力しようと思います。 


 
  
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2016年03月05日

もうけかた

なんだかあまりにも直接的ですが、ビジネスを遣っている限り、どうやったら儲けることができるかを考えることは避けては通れません。
正直そんなことには興味がなかった時期もありました。
でもしかし、自分が必要とする分くらいはちゃんと稼げるようになっていないと、やりたいこともやれないことになることを肌身に感じたんです。
だから、どうやったら儲かるかを考えてみました。




いろんな人に反感を買いそうですが 、私が至った答は至極シンプルです。
元手をかけずに、利益率の高い仕事をする。
これだけです。




問題はこのことが建築設計というフィールドで可能なのかどうかということです。
ホリエモンのような経営者に言わせれば、儲かる仕組みの事業を選ぶのが当たり前であって、儲からない仕組みの事業を儲かるようにするために四苦八苦するのはアホくさいことなのでしょう。






実は私もそう思います。
建築設計なんて、そもそも儲かるような仕事ではないんです。
それでも儲けようと思ったら、元手である人件費を削るか、高い設計フィーをとってくるかのどちらかです。





効率的な仕事が取り出さされているのはどこの業界も同じだと思いますが、建築設計、監理の仕事を効率化しようとしたって、かかる費用が人件費である限りそこには限界があります。
であれば高い設計フィーをとってくるしかないのでは?
そんなことは一朝一夕でできることではありません。






じゃあ、どうしたらいいんじゃあ!!
 と叫びたくなる毎日です。





もんもんと考えていたら少し光が見えました。
我ながら結構面白いアイデアだと思います。
このアイデアはもう少し温めて育てていこうと思います。





設計事務所の資産は結局「人」だということです。
「人」で儲ける仕組みを創っていきたいと思います。


   
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2016年02月29日

しゅらば

効率的に働く、ということは重要なのはよくわかります。
でもそれが、限られた時間の中でいろんなことを経験しなければわからない「建築」というフィールドを豊かにするかどうかについては、よく考える必要があります。




この週末、修羅場でした。
でも修羅場を経験済みの師匠を中心としたチームだったから何とか乗り切れたんだと思います。





効率的に仕事をするということは、修羅場を避けるというやりかたかもしれません。
 断言します。
修羅場を乗り切るには修羅場を経験している必要があります。
だから。





これからは、どうすれば効率的に修羅場を経験することができるか、という矛盾を真剣に考える必要があると思います。




   
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2016年02月21日

とくしゅぎのう

この年になってもう一人師匠が増えました。
これは、もう、ほんとうに有り難いことです。
私はとてつもなく幸せということばかりではない人生を送っていますが、こと人との出会いに関してだけは恵まれていると思います。
そのときそのときのタイミングにあったメンターに出会えるというのは本当にラッキーです。
その新しい師匠から聞いた話に妙に心が動かされたので、今回はそれについて書いてみようと思います。





師匠Aさんは、若いころからでっかい現場を渡り歩いた、いわばたたき上げの職業人です。
そのAさんは、図面を描くことが大好きなんだそうです。
その大好きな図面に、その頃のAさんの先輩、上司は赤ペンでチェックを入れたのだそうです。
しかも原図にです。
赤ペンチェックを入れられた原図を横に、また一から図面を書き直して〆切に間に合わせるという、理不尽この上ない状況で仕事を楽しそうにやっていたのがAさんでした。





そのAさんは今や管理職になっており、私は何かと相談に乗ってもらっているんです。
その相談の席上で、ぽつりと言ったAさんの言葉は重かった。


「かつては設計図を描くということは特殊技能だったんだ。今はCADのおかげで特殊技能がなくても設計図が描けるようになったんだな。」



確かにその通りだと思いました。
何度か我が事務所の昔の手書き原図を見たことがありますが、それはもう、その図面そのものが作品といっても過言でないくらい美しく、線の太さや文字のきれいさ、読みやすさはもちろん、図面そのもののレイアウトからして美しいと思わせるものでした。




これはだれでもできることじゃない。
ごく一部の限られた人間だけができる仕事だ。
そう思わせる迫力が、それらの原図にはありました。




でもAさんは単に昔を懐古しているだけの人ではありませんでした。




「俺も昔はこだわってたけどよお、今はもうCADも使いこなせるから昔みたいなこだわりはあんまりなくなってきてんだよなあ」


といって笑ってました。
これをどうとるかは人によっても違うかもしれませんが、私はAさんはそのこだわりを完全には捨ててはないと思います。
でもそれに固執してては時代において行かれる。
そういう危機感があるからこそ、考え方を変えようとしているのだと思います。





そして、Aさんは人を管理する、という新たな特殊技能を身に着けています。
豪快な態度の裏側で、事細かに人を見て、あらゆることに気を使っていることを私は知っています。
それが図面を美しく描くという特殊技能と全く別なものだとは私には思えないのです。




部分を詳細に描きつつ全体のバランスを整えることができる人はそう多くはいないと思います。
美しい図面が描ける人には自然とそういう見方が沁みついているような気がします。
そして、さらにそれを人間関係にまで広げて適用できる人もそう多くはいないと思います。
その両方ができるというのはやっぱり立派な特殊技能だと私は思うのです。





図面も人間関係も自信をもって得意とは言いづらい私としては、Aさんの背中から学べることを学んでいくしかないのだと思っています。
   
Posted by k33 at 23:42Comments(0)TrackBack(0)建築 

2016年02月15日

うぬぼれ

昨日、これまでの十数年間、私はずっとうぬぼれ続けていたことに気づきました。




我ながらこんなに長い間うぬぼれ続けてこれたことを少し誇りに思うとともに、これからはもう少し謙虚に生きようと思いました。   
Posted by k33 at 05:51Comments(0)TrackBack(0)心情 

2016年02月07日

じぞくのぱわー

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伊勢神宮に行ってきました。
さすが日本一のパワースポット 、朝早い時間に行ったのですがすでに駐車場は満車でたくさんの人で賑わっていました。



私はここを訪れて、日本には他の国に誇れる文化がしっかりと根付いていることを確信しました。
とにかく手仕事が素晴らしく、金物一つとっても軒先に使われている雨樋一つとっても、細やかな職人技が感じられてとても興奮しました。



式年遷宮が完了した直後なので、美しい白木の社殿を参拝することができました。
神楽殿でご祈祷もしていただき、古来から続く祈祷儀式も拝見いたしました。



神域境内は霊験あらたかな雰囲気が漂っており、ただならぬパワーをいただいた気がします。
それもそのはず、今回の式年遷宮は第62回ということで、これまで約1300年脈々と受け継がれてきたことの重みは想像を絶するものがあります。




公私共々いろいろなことがあったこの機会に「お伊勢参り」ができたことは単なる偶然ではないような気がしていて、諸々織り交ぜて祈念してまいりました。





お参りが済んで少し興奮から覚めてきたころ、このお伊勢さんは究極のリサイクルシステムだということに想いが至りました。
式年遷宮に代表される材料のリサイクルシステムだけではなく、産業、心情など、人が生きていくために必要な継続性を持続させる生まれ変わりのシステムがここにはしっかりと根付いていると感じました。





私が特に感じたのは、この「お伊勢参り」と地元産業、そこに住んでいる人々、そこを訪れる人々が一体となって、常に移り変わる世情とバランスしながら生きるということを持続させているというシステムが成り立っているということでした。
これはほかの観光地でも同じことが言えるのかもしれませんが、「お伊勢さん」はその中心となる神宮の存在がずば抜けています。






そこにあるものがどこの国にも負けないくらい素晴らしいものがある地域は、持続可能な「生き続ける」システムを持つことができる。





ということは、システムというソフトを成り立たせているのは、ハードである「もの」なんだ。
その「もの」に何かが宿っているからこそ、人を惹き付けてやまないシステムが成立する。





究極のものを見て、そんなことを思いました。
頂いたパワーを明日からの「もの創り」の世界に注いでいこうと思います。





   
Posted by k33 at 17:36Comments(0)TrackBack(0)建築 

2016年01月31日

やりたいことともとめられること

やりたいことを仕事にできて幸せだねと人に言われます。
確かにそうなんです。
やりたくないことを仕事にしているよりよっぽど幸せだと思います。




でもです。
やりたいことをやるということは やっぱりほかの何かとバーターなんです。
普通の人が享受していることよりも、やりたいことの方がやりたいから、普通の人が享受していることを犠牲にしても、それが痛みにならないくらいやりたいことがやりたいということなんです。





それくらいやりたいことだからこそ、私は20年以上も建築やってこれたんです。
そういう気持ちをどれだけわかってくれているか。





それをわかってもらうことを期待することこそ無駄かつ無理というものです。
所詮、やりたいことをやりつづけるというのはそれができない人にとっては単なる我が儘です。
公私共々、そういう世間の受け止めかたが私は骨身に沁みています。





確かにそうです。
単なる我が儘です。






だからこそ、せめて、それをやるからには、世間様に求められることはやらねばならぬと思うのです。
それが私が私のやりたいことをやりつづけるための免罪符です。






そんなことは単なる私の思い込みかもしれません。
誰も私のことを我が儘だとは思っていないかもしれません。
でも私は私のことを我が儘だと思っています。





だからせめて求められることはやろうと思います。
そのうえで私のやりたいこともきっちりとやらせてもらう。





公私共々、そういう姿勢を貫こうと思います。



   
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2016年01月25日

ひつようとされること

早くも1月が終わろうとしています。
光陰矢の如し。
おかげ様で忙しい毎日です。




先週、新たな仕事が始まりました。
ここ最近、仕事の始まり方が私にとって少しづつ変わってきました。
以前と変わってきているのは、上役から話が降ってくるのではなく、自分でお施主様に会いに行ってお仕事の話をいただいてくるようになってきたことです。





年齢や立場に照らせば当たり前といえば当たり前なのでしょうが、いよいよそうなってくると、仕事をいただくということがどんなに大変なことかが骨身にしみてわかるようになりました。
そんな営業仕事を全く理解していなかった若かりし頃の私は、「なんだ、●●崢度のしごとかよ」とか「たった●●円しかもらえないの?」とか、今の私が聞いたらぶっ飛ばしてしまいそうな言葉を平気で発してました。




今の聡い若手はこんなあほなことはさすがに口には出しませんが、心の奥底でどう思っているかはなんとなく想像がつきます。
でも、今、私は断言します。





建築設計のお仕事をいただけるということは、それだけでとてもありがたいことです。
お施主様の問題を建築設計で解決できるという機会は、実はそんなに多くありません。
むしろ設計は、問題解決全体の一部分でしかなく、そのあとの運営、管理を含めた全体が本当に求められている解決すべき問題であることが多いのです。





あとはどこにお金を割くかということで、設計以外にかかるコストのほうが断然多いのは自明です。
そのバランスの中で、設計事務所を選択して仕事を発注するのがお施主様の苦悩です。
そこを押してわが社に依頼してくださるということは、そうする必要があるというお施主様側の理由があるからだと私は思っています。





設計コストが安いとか仕事が確かだとか、具体的な理由はいろいろ浮かびますが、私が今一番感じていることは、お施主様に我々が「必要とされること」が最も大事なことだということです。





必要だから数ある同業他社から私たちを選んでくださり、
必要だからお約束した費用を払ってくださり、
必要だからまたお声をかけていただける。






そういう「必要とされること」をお施主様にプロジェクトを通じて提供していくのが、我々の社会的使命なのだと思います。





では、何が必要とされているのか。
どんなお施主様でも共通なことと、各々のお施主様毎に違うことの両方があると思います。
そこをしっかり見つめながら、プロジェクトを推進していこうと思います。




   
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2016年01月17日

ぜろべーす

先週、「ことを創る」ことに励んでいきたいということを書いたので余計にそう思うのかもしれませんが、実は何も決まっていないゼロベースからスタートするのがプロジェクトだということに意識が向くようになってきました。





世界を見回すと経済発展著しいアジア諸国でこれまでにないビルディングタイプの建物を建設しようとすると、今まで存在していなったルールや基準のようなものを創るところから始めなければなりません。
まずはそのための委員会を創って、そのメンバーを募って、責任の所在をはっきりさせて、会議を開いてみるけれど、メンバーが毎回入れ替わったり、委員同士の意志疎通が難しかったりでなかなかうまくいかないことも多いようです。 




国内でも少子高齢化社会に適したコンパクトシティの在り方などを議論し始めていますが、山里に住んでいる人をどうやって都市に誘導するのかといった具体的な議論については、既得権の問題や民主主義の論理など、どちらが正しいという性質のことではない判断が迫られる場面もあるようです。




こういうことを考えるためには、まずはこれまでの既成概念を捨てて、これからそれを始めるためにはどうしたらよいか最初っから考えることが必要となります。
もちろん、これまでに行われてきた類似事例や同種の経験も役には立つのでしょうが、時代背景や文化が違うのですからそれをそのまま当てはめて、だからこうすべき、ということも簡単には結論できないことも多いと思います。




結局、そこに関わってる人たちが、どうすれば目的とするものを創れるかを 一生懸命考え続けるしかないんだと思います。今までだって、今までなかったことやものは、そういう一生懸命考えた人たちによって創られてきたんだと思います。





こうすればこうなる、というマニュアル的思考から脱却して、前人未踏のこれから時代に即した新しいことやものを創る思考を養うことこそ、これからの建築家の職能だと思うのです。





ゼロベースで考えること。
「ことづくり」には欠かせない思考形式だと思います。


   
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2016年01月10日

ことづくり

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日曜日、家族で公園ランチをしてきました。
ここのところ、プライベートライフはそれなりに平和になってきました。
この経験を通じて、私は私の昨年と今年の目標を全世界の人が忠実に実行し続けることができるなら、きっと世界平和は実現できると確信するに至りました。




どんなことでも、考えているだけでは何も起こらず何の確信も得ることはできません。
やはり、なんらかの「こと」を起こすからこそ、そこから何かを学ぶことができるのだと思います。





建築設計の世界も川上業務から入り込まないとなかなか仕事に結びつかないとよく聞きます。
川上というのは正に「もの」が生じる前の「こと」をつくる段階で、そこで「こと」を創るからこそ創られるべき「もの」が見えてくるのだと思います。




だから目線が川上に向かうのは当然ですが、どうやってその川上で起きている「こと」づくりに関わっていくことができるのか。
今まではそこを営業的な立場から情報収集していちはやく求められる「もの」にたどり着くよう努力していたのですが、これからはもっと違うアプローチがあり得るのではないかと思っています。





この週末は、我が部の新年会でした。
今、私たちの部はいろんな意味で盛り上がってきており、仕事は超忙しいですがそれでも部内のコミュニケーションを密にやっていこうという機運が満ち満ちています。
今回は、退職された重鎮や今の重鎮、はたまたお施主様まで交えて、いい意味でも悪い意味でも無礼講の大盛り上がりの飲み会になりました。





こうやって、みんなで盛り上がって楽しくやっていこうというのも「こと」づくりといえると私は思っていて、これがこれからどのような展開になるかはわかりませんが、きっとこの「こと」が起こらない時とは違う「もの」づくりにつながっていくと私は思っています。
そして我が部には忙しいにも関わらず、こういう楽しい「こと」づくりに積極的なメンバーがいて、彼女らがいるからこそ、これからの未来は明るいのだと思います。




そんなことで、仕事もプライベートも、これからは積極的に「こと」づくりに励んでいこうと思います。

   
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2016年01月03日

あけました2016

早いもので正月も今日で終わり、明日からはまた新しい日常が始まります。
年始はいつも通り実家に帰省し、姪っ子、甥っ子と一緒に爺さんとお正月をお祝いしました。




一年の間で兄妹家族が集合するのは正月と盆くらいなのですが、 その息子や娘と一緒にいると、同じ家で育ったことによる偏りというか傾向というのはしっかりと次世代に伝わっていくのがよくわかり、いい意味でも悪い意味でも、そこを変えたかったら生まれと育ちを何世代にも遡ってその偏りを自覚しないとなかなか変えられるものではないのだなあ、と妙に納得しました。




そんなことを感じるようになったのは人生の曲がり角、折り返し点に差し掛かったことを自覚するようになってからです。確か最初に折り返し点を意識したのは6年ほど前だったと思います。
そのときから自分の周りの見え方や考え方が変わり始めて、うっすらと、ぼんやりと次に何をやるべきかをいうことを模索しつづけてきたような気がします。




6年というのは時間がかかりすぎのような気もしますが、今まで見えなかった折り返し点から先の景色が、やっとはっきりと見えてきたような気がしてます。
その景色には、これまで来た道とは違う、いろんな意味で新たな冒険ができそうな道が見えます。
これまでの育ちと偏りを自覚しつつ、新たな道を歩んでいければと思っています。




新たな道にはいろんな試練も待ち受けていることと思います。
順風満帆にというわけにはいかないかもしれないけど、次の折り返し地点まで全力で走りぬきたいと思います。




試練にくじけそうなときはこのブログにカタルシスを求めようと思います。
と、いうわけで、皆さま、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。




   
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2015年12月26日

そうかつ2015

昨晩は事務所の大忘年会でした。
 「言いたいことを秘め」まくった今年一杯のストレスを発散しまくっちゃいました。
人間の根幹に触れる話題は、もはや酒の席ですらしづらい年嵩になってしまいました。
若手と飲んでドン引きされるたび、これでもまだまだ「言いたいことを秘めてる」のになあ、とどんだけ世間はちゃんとしてればいいんだと、空恐ろしくなります。



こんな感じで大盛り上がりの忘年会のあと、20年来の付き合いの同輩とぐだぐだ飲み続け、結局帰れなくなってしまいました。彼はかなり率直な物言いをする人で、いろんなところで軋轢を生むくせに、トモダチが天文学的に多い人なんです。
なぜに貴方みたいな人がそんなに多くの人から好かれるの?と直球で質問したら、彼曰く「とても気を使ってしゃべっているから」と宣う。とくに文字に残るメールやらラインやらでコミュニケーションをとるときは細心の注意をしているとのことで、人の気持ちを逆なでしない言葉遣いと、快い感情を思い起こすような馴れ馴れしさを絶妙の技術で使いこなしていると豪語していました。
ほほう、なるほどねえ、でも、俺にはまねできんなあ、といった先から目の前でラインし始めやがって、深夜の文字のつぶやきが飛び交う電脳空間に少し淫靡な雰囲気を感じながらおっさん二人で酩酊したのでした。




と、いうことで、今年の総括です。





人はどう思うかわかりませんが、私としてはこの一年、相当「言いたいことを秘めて」きました。
その結果起こったことは私にとって革命的ともいえる変化でした。




言いたいことを秘めるということは、結果的に自分の主張を抑えるということにつながりました。
こちらが主張を抑えて人と向きあうと、相手が自分の主張をするようになりました。
面白いことに、そうなってくると、人はとても楽しそうに、時には真剣に話をするもので、そういう話を聞いているうちに、こちらも楽しく、時には真面目に考えるようになるのでした。




これまたとても遅い気づきなのかも知れませんが、人とコミュニケーションをとるときには、自分が言いたいことを言うよりも、コミュニケートしている相手が言いたいことを聞いて、相手が楽しく真剣に話せるような雰囲気を作る方が、自分にとっても楽しく真剣なコミュニケーションの機会が得られるということが、今年一年かけてわかりました。





と、いうことで、来年の目標は、




「人の話を聞く」




ということにしたいと思います。





ただ聞くだけではなく、積極的に聞く。
なんならこちらから出向いてでも。
「聞く」ということにはそれだけの価値があると感じてます。




これまでに発見した「よく見る」とか「掘り起こす」という行動概念は「聞く」という具体的な行動目標につながりました。
今まで10年間の総括を読み返してみて、今やっと「聞く」ということが目標にできるようになったのだなあ、なんて遅い歩みなのだろうなあ、と我ながら情けなくなりました。





そんな情けない私も、今年一年、なんとかやってこれました。
これまでいろんな話を聞かせてくれた、周りのみなさまに感謝しつつ。





また、来年もよろしくお願いいたします。
みなさま、良い年越しを。


















   
Posted by k33 at 16:22Comments(0)TrackBack(0)総括 

2015年12月20日

そりゅーしょんびじねす

年明けからまた新規案件が増えることになり、同時進行案件が我が部の部員数を上回ることになりました。
部員全員一人ひとりが数件の案件を同時に切り盛りしなければならず、しかもそれをできるだけ内製化するように部を運営するというのが私に与えられたミッションです。



これは建築設計業界に限らず、どこの企業でも求められる管理能力だと思うのですが、正直、自分が今まで長時間労働と外注協力依頼でなんとかやってきた手前、特に若手に対して短時間労働と内製化をいきなり押し付けるというのはちょっと理に反するような気がしています。



というわけで、なぜ私はこれまでの建築設計を進めるにあたり長時間労働と外注協力依頼をしなければならなかったのかということについて、考えてみました。




思い当たったのは、自分の設計スキルやデザインの勉強のため、コンペ、プロポなどの仕事を通じて、直接関係のない他事例の納まりを調べたり、類似案件の資料を集めたりして、自己投資のため居残って仕事をしていた時期が明らかにあったということです。そのときは時間など気にせず、時には会社に泊まり込んで、よりよい提案を創ることに必死でした。
コンペ、プロポだけではなく、基本、実施設計、現場監理の各タームにおいても同じように自分の至らないところを発見するたび、それを何とかするべくじたばたしながら夜を徹して仕事をしていました。





時間がないプロジェクトをまとめるために、能力のある協力企業に仕事を分担してもらうことで、自分のやるべき設計分野の仕事に集中できるということも経験を通じて徐々に学んだことでした。
そこに至るまでは、自意識の葛藤があったり協力業務の難しさを痛感したりして、うまくいったこともいかなかったこともありましたが、得難い学びであることは間違いありませんでした。







そのころの様子の一端はこのブログの数年前の記事に生々しく残っています。
私にとってのその時期の経験が今の自分の血肉を創っているといっても過言ではなく、だからこそ、こういう経験をこれからの若い世代から奪ってしまってよいものかどうかを迷うのです。





しかしながら、迷うばかりでは前にすすめませんので、一つの仮説を立てました。





もしかしたら、私はあの時、提案に何が求められているのかちゃんとわかってなかったのではないか。
もしかしたら、私はあの時、協力企業に求めるべきことがちゃんとわかってなかったのではないか。
だから盲目的に、とにかく調べて、とにかく考えて、そこから見つかった答がプロジェクトの答だと思い込んでいたのではないか。
だから時間もかかったし、協力企業委託の要否があいまいなまま仕事をすすめてしまたのではないか。






この仮説にこれまでの私の経験で得たことが活かせるとすれば、問題解決のスキルを発揮することではないかと思います。



プロジェクトの何が問題で、それをどうしたら解決できるか。



そのことを定点観察しながら各プロジェクトを進めるようにしていくことができれば、少なくともプロジェクトの狙いや外注依頼の是非を事前に担当チームで共有できるのではないかと思います。
自己投資のための時間についても、ある程度は必要だと思いますので、その狙いを明確にしてある程度計画的なものとできるのではないかと思います。






時代が変わったとはいえ、これからの人にとっての設計業界が時間を無制限に投資できるアーティスティックなフィールドでなくなっていく傾向があるのは、個人的には少し寂しい気がします。
それでも、限られた時間と制約の中で、最大限良いものを創る努力を続けることは、建築を創るものとしての最低限のマナーだと私は思います。






いっつも問題が山積みになる建築設計はソリューションビジネスそのものです。
その知見を部の運営にも活かしていきたいと考えています。







   
Posted by k33 at 10:23Comments(0)TrackBack(0)日常 

2015年12月13日

きょうかん

いよいよ忘年会シーズンに突入です。
先週は我が部の忘年会がありました。 
ただ飲むだけというのも何なんで、研修会と称してその前に某サッシメーカーのショールームの見学 をしてきました。




見てきたのは自然換気システムのショールームで、室内に煙を満たして、換気の様子を可視化するというものでした。実際に見るのはやっぱり想像とは違って、言葉にうまくあらわせませんが、空気の流れが目に見えるということのはインパクトがありました。





その後、忘年会と相成り、部のメンバーといろいろな話をしました。
実は我が部は、春から結成会も開けてなかったので、ほぼ初めての部の飲み会という機会になりました。飲みながら思ったのは、この部を是非盛り上げていきたい、という気持ちが沸き起こってきた最近の心境の変化でした。






実は、行き掛かり上、突然この部をまとめる立場になってしまった私は、最初は正直何ができるのか、よくわかりませんでした。
でも、その立場でその立場っぽくふるまっているうちに、だんだん部の雰囲気やメンバーの仕事のことが気になるようになってきました。
最初は意識していませんでしたが、そのうちそれが自然と気になるようになっていって、最近では、部がなんらかの形で盛り上がっているととてもハッピーな気分になるようになってきました。





以前私は、他人と自分が本当の意味で共感することは不可能で、できることは同じ体験を共有することのみなんだ、という気づきを得たと書きました。
今は、それでも共感しようとすることは大事なことで、それは不可能だとわかっているけど、それに近づけるようにせめて共通の体験を積み重ねる努力をすることはできるのではないか、と思うようなりました。




そこまでは頭でわかっていたのですが、その先の感じ方の変化が私にとって革命的でした。
体験を共有しながら自分がなろうとする役割になりきっているうちに、不思議と共感らしい感覚が生まれてくるのです。
部のだれかが悲しんでいたら悲しくなるし、喜んでいたら嬉しくなるんです。





だから今、自分の変化も含めてとてもエキサイティングな毎日を送っています。
研修会も飲み会も仕事も、部のメンバーと一緒になって楽しもうと思います。







   
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2015年12月06日

じゅうねんらいのゆめ

先週、担当案件の地鎮祭がありました。
祭事終了後、お施主様のスピーチで、このプロジェクトは、お施主様企業社長が就任以来、10年来の夢だったことを知りました。その10年で私たちがかかわったのは2年ほどでしたが、確かに最初聞いたのは大きな夢を描いた壮大なプロジェクトでした。 それをここ2年ほどであらゆる現実的な観点から見直して、実現可能なプロジェクトに落とし込んだのですから、お施主様企業内部ではそれこそ喧々諤々の議論があったものと思われます。




それを象徴するように設計過程では、スケジュールが差し迫る中、様々な要望があらゆる角度から飛び出してきていました。私たち設計チームは、お施主様のご要望をできるだけかなえようと努力いたしましたが、力及ばず、やむなくあきらめざるを得ないご要望もありました。〆切と予算がある中での業務なので、 その範囲でできることを精いっぱい盛り込むことを目指しました。



私たちなりに、できるだけのことはやったという達成感をもって臨んだ起工式だっただけに、社長様の熱い思いを聞いて、まだやれることはあったのかもしれないと思いなおしました。10年間の想いを最後の2年に集約し切れたとはどうしても思えないので、これから竣工までの期間でできるだけのことをしようと思います。



と、いう青い想いの一方で、わが事務所は少し同業他社と比べてサービスが過ぎるという反省もしていかねばなりません。お施主様に喜んでいただける仕事を各担当者が全力でやりとげることが、わが事務所のモットーでありますので、そこはぶれてはいけませんが、それをやりつつ、数多くのお施主様に喜んでいただけるように、業務量を配分していかねばなりません。




10年来の夢を背負いつつ、これからの10年先を夢見て、前向きに取り組んでいきたいと思います。



   
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2015年11月27日

いろいろなみち

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北陸方面のオフィスビルの竣工後6ヶ月点検に立ち会ってきました。
とても丁寧に使っていただいていて、 大きな不具合もなく一安心しました。
ただ、オフィスというのは、正に生き物のようにその内実が変わるもので、竣工当初思い描いていたのとはまた別の使い方をされている部分もあったりして、早くも間仕切りが変わっていたり、照明が変わっていたりしてました。
かと思うと、設計当初の意図通りに使っていただいている部屋はむしろ当初の意図を超えるくらいに、しっかりお施主様の執務空間として馴染んている様子も見ることができました。
と、このように、カチッと意図を固めて設計するのが我が社のスタイルなのですが、すぐそばにそのような考え方と対照的な建物が建っていたので、そちらも拝見してきました。






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写真でみるより、ずっとダイナミックで、素晴らしい建物でした。
緩やかに空間を区切り、その隙間にプログラムをはめ込んでいっているような創り方だと感じました。
先のオフィスビルと施工会社が同じだったようで、一緒に見にいった元現場所長は、この木の角度を決めるためのモックアップ模型がかなり早い段階から現場事務所においてあったのを見たことがあるといっていました。
確かにランダムに見える木ルーバーは、それぞれ微妙に角度を調節することにって隙間のない天井に見えたりするのです。
これは相当検討したんだろうな、とその検討にかけた担当者のエネルギーに脱帽しました。





2つの建物を見比べて思ったのは、手法はいろいろあるけれと、良いモノを創ろうとしている、ということは一緒なんだな、ということです。
いろんな道はあるけど、目指すところは一つ。
そしてその目指すところがどういうものなのかということは、なんとなく伝わってくる。
そういうものなんだということがわかりました。











   
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2015年11月23日

ぜんていをうたがう

設計をする前に示される条件。
その条件を満たすことができるように設計するのは大前提です。
でも、その前提そのものが求められていることと矛盾することがある。
それに気づけるかどうかは前提を疑うことができるかどうかによります。





ある重合住宅の案件で、これまで要求のなかった身体障がい者のための住宅 のプランタイプを検討してほしいとのお施主様の要望がありました。
あまり設計期間に余裕のない案件だったので、まずは言われた通り、身体障がい者用の住宅タイプが入れ込めるかどうかを検討することにして、その結果、なんとか入れ込められそうだという結論を得ました。





早速、お施主様になんとかなりそうだと報告しようとしたのですが、その検討をした設計者が待ったをかけました。
曰く、「身体障がい者用の住宅は車いす対応とできるが、非常時の避難はどのように考えるのか」との指摘。
確かに。
設計している施設はその他用途との複合施設で、住宅部分は2階以上とならざるを得ません。





私は言われるまでこのことに気づかず、もう少しでお施主様に間違った結論を伝えるところでした。
この設計者に救われました。





私のモットーは「前提を疑え」のはずでした。
それがだんだん徹底できなくなってきていることに気づかされました。
この設計者はきちんと「前提を疑う」ことができていることがわかって、私は自分も気を引き締めなければと思いなおしました。






さっそく、このことについてお施主様と協議、その結果、さらなる問題が勃発しました。
すると今度は設計チームにざわざわと不安な雰囲気が流れ始めました。






その問題は果たして本当に問題なのか?
次は私が「前提を疑う」本領を発揮する番だと思っています。










   
Posted by k33 at 08:29Comments(0)TrackBack(0)建築 

2015年11月15日

なかま

基本的に私は自分を変わり者だと思っています。
そんな私を受け入れていれる人もそんなに多くはいないと思っています。
 受け入れざるを得ないから受け入れてくれる。
そういう環境が今、私は生きている社会だと思っています。





なぜ変わり者だと思われるかということについても自覚しているつもりです。
当たり前だと思われていることに疑問を差し挟むから、というのが大きな理由だと思います。
誰だって面倒くさいことは嫌いです。
私だって嫌いです。
できれば面倒くさいことは避けて通りたい。
でも避けて通ればもっと面倒なことになると思うからあえて今、面倒なことをやるということだけのことです。






世間はそこが私と違います。
面倒なことは誰かが解決してくれる。
それまで自分は面倒なことに巻き込まれたくない。
それが一般論だと、私は思っています。





でも、建築をやるっていうのは、敢て面倒なことに首を突っ込むということです。
やらなくていいことをあえてやる、ということです。
私はそう思っていますが、そう思わない人がいるということも理解できます。





ラッキーなことに、私にはそういう私を理解していくれる仲間がいます。
かつて私が、面倒なことを引き起こしていたとき、彼は静観していました。
そして今、かれが面倒なことを引き起こしているときに私は静観していました。
そうやって面倒なことにどちらかが声を上げて、どちらかが抑えていました。





そうやって私たちは一緒に歩んできました。
面倒なことをやらないと何も変わらないし、進まない。
やり方は違うけど、その一点で私たちは同志なんです。





私は彼を仲間だと思っています。
くだらないことをくだらないと共感できる、仲間だと思っています。
いままでもこれからも。






   
Posted by k33 at 21:08Comments(0)TrackBack(0)日常 

2015年11月09日

いべんと

先週末は事務所の仲間と銭洗弁財天に行ってきました。
雨の中、10人以上集まって、なかなか盛大なイベントになりました。




私はこれまで数回行ったことがありましたが、今回初めてお札とクレジットカードを洗いました。
大人になったんだなあとひとりごちてしまいました。




そのあと皆でおしゃれなイタリアンレストランでランチをしました。
そこで、総合戦略開発部をつくろう!みたいな前向きな話も飛び出しました。




農業と、商業と、外食業と、建築の融合をしよう!
なんて話しで盛り上がりました。




いばらくこういうイベントがなかったので、なかなか刺激的な会になりました。
なによりも、銭を洗って、それを使って、その銭を増やそう、というコンセプトがしっかりしてます。
建築やるのも大事だけど銭も稼がなきゃね、というトップからのメッセージもさりげなく込められています。




今回話し合ったことがその場の面白話で終わらないように、いろんなことを仕掛けていきたいと思います。













   
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2015年11月01日

かんしゃ

昨日、私の師匠が事務所を引退されました。

前触れなく、突然でした。

とても偉大な師匠でした。

私には人生の師と仰ぐ人が三人います。

最後まで残っていた師匠が引退したことで、事務所に師匠と呼べる人がいなくなってしまいました。

いつか来るだろうと思っていましたが、とうとう、この日がやってきてしまいました。

師と仰げる方に出会えた私は、とても幸せでした。

いろいろなことを教えていただきました。

これからはその教えを胸に、真摯に建築に取り組んでいこうと思います。

wさん、ほんとうに、ほんとうにお世話になりました。

長い間、我々を引っ張っていってくのは大変な仕事だったと思います。

wさんに認めてもらえる建築を目指して、これからも精進してまいります。

ありがとうございました。




   
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2015年10月25日

たくしかた

以前「わがごと」というタイトルで、部下に託す仕事を如何に我が事として捉えるかが課題だということを書きました。




先日、中学の時から付き合ってる友人と話す機会があり、同じ年齢のサラリーマン同士、抱えている悩みも同じで、如何に部下に託した仕事を我が事としてとらえるかということについて議論しました。
彼は、与えられた仕事を自分の仕事だと自覚して自信と責任をもって仕事をしている部下になら託すことができるといっていました。それを聞いた私は、自信はともかく責任をもたないで仕事をする部下っているの?と疑問に思ってそう聞くと、彼曰く、そういう部下がいるそうです。





まあ、人が集まって仕事をすれば、そういう人が全くいないということはありえないので、そういう人もいるということですが、彼と一致した意見としては、そういう人は仕事の現場から去れ!ということでした。





こんなことを書くと、とても独りよがりな言い方であんまりよろしくないのですが、でも、プロってそういうものだと思います。
責任を感じない人に責任を感じさせるのが上司の仕事だという理屈もありますが、上司ができるのは責任を負わせる環境を与えることであって、責任を感じさせることではありません。
あくまでもその部下が自分で感じられるかどうかということなので、それは他人にはどうしようもありません。






もう一つ、彼と一致したのは、見込みのある奴は勝手に成長するということです。
だからそういう環境を与えてやるだけでいいか、というとそうではないということでも一致しました。
勝手に成長する奴は何故かってに成長するかというと、自分で成長する糧を得てくるからです。
どんな環境にいても何かを得る事ができる奴が勝手に成長するんです。





上司となる私たちは、彼らと仕事をするときはその糧を奪われる立場にならなければなりません。
私たちが汗水垂らして得てきたスキルや知識を、これから成長する奴らに奪われていかねばなりません。
だから、自分が持っているものを全力で部下に伝える必要があるんだと二人で合点しました。





そして時には、全力で伝える、ということが感情的な表現になってしまうこともあります。
昨今ではもうはやりませんが、私たち世代まではそういう環境でやってきました。
次の世代がどうするのかは次の世代の仕事ですが、今私たち世代ができることで精いっぱいやるしかありません。




彼と話した帰り道、上記のことをリフレインしながら考えて、部下に託す仕事を我が事として捉えるためには、自分の持っている糧を奪ってくれる部下を持つことが必要なんだと結論しました。




人に託す、ということは。



仕事を奪われるということ。
だから、俺が持っている糧も使って真剣にやれ、という言いたくなる、ということ。
そして、それをできるだけ言わないこと。




私にとっての託し方はそういうスタイルなんだと自覚しました。






   
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2015年10月18日

ひきこまれる

本でも、絵画でも、面白いとか、美しいとか、良いというものは、他のそうでないものと何が違うのかということに思うところがあったので書いてみます。



同じようなことが書いてあったり、同じような構成であったりしても、何かが違う。
それは何かということは、直感的にはわかるのですが、なかなか言葉にしづらいんです。



なんとなく、ほかのより面白い。
なんとなく、ほかのより美しい。



このなんとなく、ということの中身はいったい何なのか。
そんなことを、なんとなく考えていたある日、いきなり閃きました。



惹き込まれる。
これだ。
これが、あるかないかだ。



つらつら読んでいても、ついつい読みすすめてしまう。
なんとなく見ていても、ついつい足を止めてみてしまう。




そうしたいかそうしたくないかに関わらず、そうさせてしまうもの。
それが、面白いもの、美しいもの、良いものとそうでないものの違いなんだ。





アフォーダンスは形態や環境を行動要因として扱いますが、この行動要因のなかに「惹き込まれるかどうか」ということを加えてみると、より豊かな行動学が生まれると思います。





好みは人それぞれ違います。
「惹き込まれる」というのは「好み」とは別のものだと私は思います。
「好み」は主体によるもので、「惹き込まれる」ということは客体によるものだからです。




ものに力があるというのはそういうことなんだと合点しました。










   
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2015年10月12日

よろこび

また一つプロジェクトが動き出しました。
しばらく止まっていた保育園と高齢者と障がい者の複合施設の実施設計です。




これから年度末までに完了、といういつもの通り、とてつもないスケジュール。
でも、基本設計までのスタッフがそのまま担当するということもあって、みんなテンションmaxで盛り上がっています。
そのテンションにつられて、私も久しぶりに休日自宅でスケッチなぞを書いてみたりしました。




手というのはまるで脳ののように記憶をしているもので、描いているうち以前基本設計で考えていたことが、 どばどばあふれだしてきました。
おうおう、これはなんなんだ、と思いながらお施主様からの新たな無理難題に取り組んでいるうちに、基本設計時のコンセプトを崩すことなくデザインできることがわかってきました。





確かに年度末までの期間は大変だけど 、それを越したらまた新たな世界が創れると思うと本当にワクワクします。
今、別の複合施設の現場監理もやっていますが、躯体が立ち上がって、図面の線が実際の材料になって、自分がそこの中に入る空間になってくると、何度やっても設計という仕事ははとてつもないことをやっているんだと、空恐ろしくなります。





恐ろしいのと楽しみなのを毎回繰り返しているうちに、そういうことをできる仕事が喜びになりました。
これだけ取り出して書くと正に変態でしかありませんが、そういう変態なことをやって金を稼げる仕事というのはとても貴重な仕事だと思います。





世の中が変わるにつれ価値観は変わっていくけど、 なくしちゃいけないこともあると、私は思います。
仕事の喜び、というのはそのなくしちゃいけないものの一つだと、私は思います。   
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2015年10月04日

としつき


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こんな感じだったボーズが、約7年たって、






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こんな大きな息子になりました。


 写真の大人は7年前は私ですが、現在はじいちゃんです。念のため。



成長ってのはすごいですねえ。
中身はまだまだ子供ですが、がたいだけは親に似たのかクラスでも大きいほうに育ちました。



7年という年月は、赤ん坊を小さな子どもにするくらいの期間なんだなあと、改めて気づかされます。
そういえば、7年前くらいには、私はいろんなことに憤って現状を変えようとしていました。
今、その同じ憤りを次の世代が感じているようです。
私は、自分がそうだったのと同じように、次の世代が憤ってなんとかしようとしていことをうれしく思います。
それと同時に、今度は自分が憤られる側になっていることもだんだん自覚してきました。




この土曜日は息子の運動会でした。
夕食は奮発して家族で寿司を食べに行きました。
夕食の会話で息子は今の自分の想いをストレートにぶつけてきました。
彼もいろいろ世の中の矛盾を感じることがあるようです。




私も世の中の矛盾を創っている先行世代として批判される立ち位置になってきているんだ、ということを自覚しました。
私は、私がそうしてほしかったように、次の世代の憤りを真正面から受け止め、必要があればしっかり議論しようと心に決めました。




そういう議論ができる日がすぐそこに来ているかと思うと、不思議ととてもワクワクします。



   
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2015年09月27日

くのう

このブログは私にとっての心理的排泄だという原点に戻って、久しぶりに本音で毒を吐こうと思いましたが、今年の目標が「言いたいことを秘める」ということだったことも思い出したので、少し捻って書こうと思います。





私は、世の中には絶対に正しいことなど存在しないという姿勢で、すべてのことを一度疑って自分が心底納得したことしか信じないという、ちょっと困った人生を生きていきました。
なので、何をやるにも、どーでもいい、ということは殆どあり得ず、必ず「何をすべきか、それは何故か 」ということに自分なりの答をもっていたいという、周りの人から見ると相当鬱陶しいタイプの人間です。





そんなことに付き合える人間はめったにおらず、それは家族であっても例外ではありませんでした。
休日、私は私のやるべきことやしたいことをしているだけなのに、それが家族のことを全く気にしていないと捉えられたこともあって、ある時から「ファミリーデー」を創ろうと決心したのでした。
その日は「ファミリーデー」だと決めた休日は、できるだけ日中は家族と過ごすようにしていました。





しかし、その「ファミリーデー」にも家族から物言いがつくようになりました。
かーちゃんと息子が言うには、出かけるにしても遊ぶにしてもとーちゃんが決めているのは面白くない。
なので、どーせなら、自分たちの行きたい場所に行って遊びたい。
と宣う。






ああ、そおなの、うん、いいよ、どこにいきたいの?
と聞いたら、
USJに行きたい!
とのこと。





USJ?いいよ、じゃあ、いこう!
と、いうことで、行くことは決まり。
その後、数週間いろいろ忙しかったこともあって、ほったらかしていたら。
ある時、かーちゃんとの口論でこんなことを言われました。





とーちゃんは家族のためにとかいうけど、結局自分の都合を優先するんだよね。
あなたは自分のことしか考えられない人なんだっていうことよね。





何をいまさら、と反論しようとも思いましたが、それも大人げないので、
よし、わかった、じゃあ今この場で段取りしたるわ!とチケットゲット、ホテルも押さえて大阪一泊旅行をセットしました。





正直、USJってそんなに興味ないし、わざわざ一泊で遊びに行くってのはどうなんだろう、
と思い悩んでいたある日、Rebeccaが復活したというニュースを知って、ネットでそのドキュメンタリー番組を見ました。
往年の踊り狂っているnokkoは、実はそのとき自分のやりたいことと大人の要求のはざまで悩んでいたそうで、今やっと娘のために歌うという歌の楽しみを見出したということを本人が語っていました。






なるほど、自分のためにではなく人のために歌うのが楽しくなったのかあ。
と妙に感心した私は、よし、今度のUSJ旅行は、できるだけ私の意志は脇において、かーちゃんと息子のしたいようにさせてやろう、とこの時心に決めたのでした。






そして旅行当日。
始発の飛行機で大阪入り、USJ到着したらすでにとてつもない人、人、人。
当然、どのアトラクションも1時間待ちは当たり前、一日いてまわれたアトラクションは3か所くらい。
さらに息子はジェットコースターや怖いホラー系はいやだというので、唯一楽しそうだったゾンビナイトもちょっとだけ見ておしまい。
その後はかーちゃんの希望で道頓堀に移動、お好み焼きを食べてホテルに帰りました。
次の日通天閣を堪能して飛行機で帰京、疲れ切って自宅に帰ってきたのでした。





やってみて思ったのは、100%人に合わせる人の希望を叶える、というのはとてもしんどい、ということです。
そして、そうされている本人たちは、それにあまり気づかないということもわかりました。
でも、だからこそ、かーちゃんと息子は余計なことを気にせず、自分たちの行きたいところに来れてやりたいことがやれて楽しい!という感じになったのかなとも思います。





復活したRebeccaは前とは違う、熟成された良さがあると思いましたが、私には若いころの踊り狂っているnokkoのいたRebeccaの方が輝いて見えました。
我が我がのギラギラした目が印象的で惹き付けるものがありました。









私は最近つまんなくなった、おとなしくなったと方々で言われます。




こころにきりかえスイッチがあったらいいのに。




痛切に思います。




   
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2015年09月21日

しょうらいこうそう

激動の日々が続いています。
前に書いたコンクリート打ち立会は午前中のみ、午後から会議となってしまいました。
もう、以前と同じような働き方ができなくなりつつある時代なんだと痛感しています。





今まで通りに行かなくなってきたということは、これから先のやり方を考えなけばならない、ということです。
簡単なことではありませんが、私はそういう海のものとも山のものとも知れないこれからのことを考える、ということは嫌いではありません。
むしろ、今までこうやるべきとかこうするべきとか思っていたことを実現するチャンスだと捉えています。




人口は減っている。
高齢化が進んでいる。
空き家が増えている。
国内需要は減っている。
年金は破たんする。
経済成長率はとても低い。
地方分権は進む。
行政機能は拡散する。
海外進出が進む。
環境破壊は止まらない。
次世代エネルギー開発が進む。






ある意味これからのことが読みやすい世の中です。
そのなかでこれからの建築設計事務所はどうあるべきか。






すこしづつ考えています。







   
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2015年09月14日

そしきろん

新しい案件が2件、一気に動くことになりました。
加えて、10月中旬提出のプロポーザルもはじまりました。
さらに、これからの組織の在り方を議論していくチームのメンバーを仰せつかりました。




こうなることであろうことはわかっていました。
なので、個人から組織へと、徐々に軸足を移してきていました。
今までやってきたことの成果が試される時が来たと感じています。




これは私の持論ですが。





自分がこうしたいとか、こうあるべきだということを押し付けるだけでは、組織はなかなかうまくいきません。
組織を構成する個々人が、そうあるべきだろうと思わないと、そうあるべきこともうまくいかないことが多いと思います。
個々人がそうあるべきだろうと思うことはそれぞれ違うのが当たり前です。
だから全員のこうあるべきだろうと思うことを実現することは現実的にはとても難しいことなのだと思います。





でも、それでは組織はバラバラになってしまう。
だからまとめ役が必要なのです。





そのまとめ役がなぜまとめ役となりえるのか。
それはきっとまとめ役が優秀だからとか力があるからとかいう理由ではありません。
それはきっと、組織を構成する個々人にとってその人がまとめ役であるほうが都合が良いからです。





これが私なりにたどり着いた組織論です。
この持論を軸に、次の展開に臨みたいと思います。










   
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2015年09月07日

うちはなし

今年度内完成の2年越しの現場が盛り上がってきています。
敷地条件が厳しく、地下を掘るのも鉄骨を建てるのも、 現場は相当苦労していました。
鉄骨建て方が終わり、これからコンクリート躯体を打ち始めるという段階です。



 
鉄骨鉄筋コンクリート造という構造で、外壁にコンクリート打ち放し部分があり、ここがどれだけきれいに打てるかがポイントとなる建物です。 
私にとっては久しぶりに立ち合いができる現場のコンクリート打ち放しなので、いまからワクワクしています。




そんなワクワク感を現場担当者に伝えたところ、「えっ、本当に立会するんですか?」との反応。
「するにきまってるでしょ、前からそう言ってたでしょ。」と返すと、
「マジだったんですか、わかりました、やりましょう。」とやる気になってくれました。




このやり取りから感じたのは、監理者が打ち放し現場に立ち会うということが、この現場担当者にはこれまであまりなかったことなのではないか、ということです。
私は若いころ、コンクリート打ちがうまくいかなかった現場を経験してから、打ち放しが仕上げに現れる設計の時は、できる限り打ち放し現場に立ち会うよう心に決めています。




型枠職人、鉄筋職人、設備相番、現場職員と一緒に木槌で型枠をたたいたり、バイブレーターのかけ方をアドバイスしたり、みんなで一緒にドロドロのコンクリートを締め固める。
私にとってそれは仕事であると同時に、現場でものを作っている一体感を感じられるお祭り的なイベントでもあります。




もちろん現場は監理者がいないほうが自由な感じてできるのでしょうが、そこを無理を言って仲間に入れてもらうというのは、これまでの経験では、現場でものを作っている職人さんたちにとっても悪いことではないという印象があります。




そんなわけで、この現場監理を担当している女性部下に「一緒に型枠叩くぞ!」と喝を入れたら、
「わかりました!ガンガン叩きます!!」との頼もしい反応。




打ち放し立会は今週末の予定です。
コンクリート打ちの祝祭性を楽しみながら、次の世代にその祝祭性を引き継いでいきたいと思います。






   
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2015年08月31日

はーどしんぐす

「何」を「どのように」やるのか。
それを考えることがリーダーの仕事だと思います。



「何」という目標を決めた時には、なぜそれが目標なのか。
「どのように」という手段を決めた時にはなぜその手段でなければならないのか。
これらの問いに常に答を持っていなければならないのがリーダーです。



そしていったん決めたら、その方針を貫き通すべきです。
貫き通すという姿勢が、「目標」と「手段」が決められた意味を周りのの人に感じさせるということになるからです。



しかしです。
物事はそんなに簡単にいかないものです。



以前、私は自分の思うようにならないことも受け入れられるようになったと書きました。
それは、思うようにならないのが、自分を取り巻く人間関係や環境であったという感覚だったと思います。
今は、私にとって、思うようにならないと思うのは、突然降りかかってくるトラブルやアクシデントが主なものになってきました。




いままでまったく問題なかったことに突然問題が見つかり大事になる、とか
大事な打ち合わせを控えているときに、家族が倒れる、とか
普段であれば困らないことなのに、そうなっちゃ困るときにそうなる、とか




数えあげればきりがないほどです。




ここで私は考えました。
今までは、仕事も遊びも生活も一続きの山あり谷ありという一つのフィールドでくくった人生イメージを抱いていました。
ですが、現実は、人生は不連続に断続的につながっているネットワークみたいなイメージになってきました。





以前は如何に失敗しないかということばかり気にしていました。
ある時から、ある程度失敗を許容して、それをどう回復するかを考えるようになりました。
そして今は、何がどうなるかわらないことを前提に、そのとき起こったことを如何に次の展開につなげるかという考えになってきました。






決定的に困るのはいったん決めた「何」を「どのように」やるか、ということが突然のアクシデントでぶれることです。
でも裏を返せば、その程度でぶれることは、結局貫き通すことができないことなんだということに気づける契機でもあります。





ハードシングスは、今までとは違う何かをもたらしてくれる契機なんだととらえて、いろんな展開を考えていこうと思います。


















   
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2015年08月24日

りそう

ずいぶん前に、理想は幻想であることには気づいたけど、それがなぜ幻想なのかについては深く考えたことがなかった。
今日から短い夏休みとなることもあって、少し真面目に考えてみた。



理想が理想として生き生きとしているためには、たぶんあまり「知らない」ということが重要なのかもlしれない。
年をとると理想を抱きづらくなるのはいろんな経験を積む分、いろんなことを知ることになるからなんだと思う。
それは環境的なこともあるけど、多分に内面的な問題なんだと思う。



だから、年をとった人が理想を抱き続けるということには、とてつもなくエネルギーがいることで、これに比べれば理想なんて幻想だからと、とっととあきらめてしまったほうがよっぽど楽だ。
でも結局、理想を抱き続ける人ってのは、そうしたくてそうしてるんじゃなくて、そうしなければ生きていけないからそうしているという意味で、多分相当自己中心的な人間なんだと思う。



そういう自己中心的な人間が社会生活を営むには、理想を共有できない人間との関わりを前提としなければならず、それが理想が幻想でしかないという現実を叩きつけられる契機になっている。



理想はその原義的に、今実現していないから理想なのであって、それが実現されたらどうなるかを本当の意味で他人とは共有しづらいし、もし共有できたとしても、それが自分の考えている理想と同一のものなのかを確かめるすべはない。
しかし、えてして理想を実現するには、人間社会と関わらなければならず、その中にも自分とは異なる理想を持っている人もいたりして、同じ志にうたれたりはするけども、やはり本当の意味で理想を共有しているかどうかはわからない。



人はそれぞれ考えて生きているので、誰かが誰かの考えかたに優劣をつけるというのは間違っていると私は思う。
だから人それそれ、いろんな理想があってよいと思うのだが、その理想同志が相容れないこともままある。



その相容れない状況が、理想は幻想なのだという感覚を生むのだと結論した。
でも、よく考えたら、理想が相容れないのはそもそもの前提なんだ。
だから幻想ということを前提として、それがどうやったら実現できるかを考えなければならない。



多分他者も幻想としての理想を抱いている。
まず、それを理解することから始めようと思う。





   
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2015年08月17日

あたらしいしごと

世間はお盆休みですが、今年はすこしずらして夏休みをとることにしました。
この時期に我が部のチーム体制を調整して、これからの集中業務に備えようといろいろ策を練っていました。




すると、上司から、新しい仕事の声掛けがありました。
以前弊社が設計した建物の改修の相談が来ている、ついてはお前言って話聞いてこい、ということでした。
はい、わかりました。といったものの、どのような話なのかもわからず、とにかく行って話を聞くというシチュエーションで、しかも初めてお会いするクライアントのところに一人で行く、というのは初めての経験でした。





行ってみればなんとかなるもので、クライアントの担当者もとても真摯な方でして、とても一生懸命、こうしてほしい、ああしてほしいということを懇切丁寧に説明していただいたので、仕事の中身の濃密さも理解でき、ここはしっかりと検討してからお応えするべきということでいったん社内に持ち帰り、検討させていただくことにしました。





持ち帰ってから上司と検討したところ、これはぜひやるべきだろうということで、スキームの検討に入りました。
 いろいろ検討していると、思い通りにいかないことも出てきたりして、もう少し具体的にご要望をうかがって、詳細な調整が必要となるだろう、ということで、この仕事をチームとして担当するように割り当てました。
これまで得てきた情報と、検討したことを伝えて、後は任せる!としたかったのですが、担当者は夏休みに入る直前だったりして、しばらくは私がとりまとめをせざるを得ないようです。





こんな感じで始まった新しい仕事は、私にとって新しいステージの始まりでもありました。
仕事を創って部下に割り当てる、という仕事は思っていた以上に気苦労が大きいものでした。
なにも始まっていないので気苦労も何もないんじゃないの?と言われればその通りなのですが、他人と自分は全く違う人格なので、自分の思うとおりに仕事は進まないだろうし、それが良い結果を生むこともあるだろうけど、そうでないこともある程度予測していなければなりません。
その時、私は関係ありませーん、みたいな態度はとりたくないので、ある程度関与していくことになると思いますが、それだって十分ではないでしょう。
こんなことを考えているうちに昔お世話になった上司が見せてくれた作業日報を思い出しました。





その上司は私に自分の作業日報を見せて、「俺、20個のプロジェクトやってるから行が足りないんだよねえ、だからいっつも2枚になっちゃうんだよ」と笑っていました。
生意気な若造だった私はへえ、すごいですねえ、と口では言いながら「20個っていったって、かけてる時間は1個当たり5〜10時間程度じゃないの、その時間で何ができるっていうんだろう?」と内心思っていました。
実感として、その上司がやってたことは、社内のプロジェクト会議に出席してただ話を聞いて、たまに、こうしたら? みたいなことを一言二言いってただけ、という印象でした。






今、思います。
その上司は全てのプロジェクトに自分で目を通して、内容を確認していたんだと。
そして、危ないことになりそうな芽を早めに摘んでいたんだと。
だから、20個のプロジェクトをやっていたんだ、と自負していたんだと。





その時の若造きくけんには、上司の気苦労がわかりませんでした。
私も同じ道を歩むことになるのでしょうか。
同じ気苦労をするのであれば、もうちょっと違うやりかたもあるような気がしています。
それはどんなやり方なのか。






今、そんなことを考えています。   
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2015年08月09日

わがごと

人がやっていることも自分がやっていることとしてみることができるか。
それが今の私が抱えている問題です。
これができるかどうかが今後の私の建築家人生を大きく左右することになるような予感がします。




我事としてやるのであれば、どれも同じように手を抜かずにやることが当然です。
でも、本当にそんなことができるのか?
実はそんなことができるとはちょっと思えないというのが正直なところです。
でもです。




直接の担当は誰でも自分の案件は一生懸命やっているのだと思います。
そのどれかは見るけどあとはほったらかしというのは、我事として見るという姿勢に反しています。
ジレンマです。




ただ、「俺も一緒にやっているんだぜ!」という気持ちを伝えることだけはできると思います。
そして我事として考えるならば、もし、自分がその直接の担当だったらどうするか、ということへの自分なりの回答を常に持っていたいと思います。
だからやっぱりどれも手を抜くことはできないのだと思います。





これから動く案件がどっと増えることになると思います。
そうなる前に、我事としての関わり方に自分なりの答えを持っていたいと思います。








   
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2015年08月02日

とおくてちかいこみゅにけーしょん

この土日は奥多摩のバンガローに泊まってバーベキューをしてきました。
自分たちだけでは多分企画しきれないであろう、この時期なかなか空きの見つからないキャンプ場に、ママ友家族から一緒に行こうと声をかけていただき、場所の手配から食事の調達まで面倒をみていただいたという、とても恵まれた環境下で野趣あふれるバーベキューを楽しんできました。






昼間は近くの渓谷で川遊び。
こどもたちはどちらの家族も入り混じって水浸し。
夕方になる前に炭に火を起こし、山のような肉を焼きまくり、子供たちは8時くらいには撃沈。
ここからが、大人たちのディープタイム。





一緒に泊まったママ友家族は、以前私が初めて御呼ばれした時に大酔っ払いになってしまったにも関わらず、何故かきくけん家とはフィーリングが合うようで、今回も酔っ払いはしましたが、政治談議からお互いの家庭のことや仕事の話まで、結構突っ込んだ話題で盛り上がりました。





酒が入っているということもありますが、 大人同士でここまでディープな話ができる関係というのも、私の周りにはあまりなくなってきていて、話をしていてわかったのは、お互い普段はあまり近い距離ではない分、いろんなことが話し合えるのだなあということでした。






あまりに近すぎる会社の同僚や上司、部下、はたまたかーちゃん、息子、親戚といった家族とは違う距離感で思うことを交感しあえるという関係は、とても貴重な関係のような気がします。
お互いに客観的に話が聞けるし、言いたいこともあまり遠慮なく言えるというのは、日常で抱えているやるかたなさを浄化するカタルシスのようなもので、お互いの家庭にとってとても良いことのような気がしました。





豊かな大自然の中、電気もガスもないコテージの前で、自分たちで火を起こして肉を食い酒を飲み語り合うというのは、スタイルとしてとても原初的で、だからこそ心も裸になったコミュニケーションがとれたのかもしれません。





具体的な内容というよりも、この原初的なコミュニケーションスタイルが今、足りなくなってきているような気がします。
メールやラインで言いたいことを包み隠しながらバランスを考えてやりとりするコミュニケーションも全く無駄だとは思いませんが、人と人とが語り合うには距離感を持ちながらも、時には辛辣なことも言い合える肉感的なコミュニケーションも大切な気がします。





これは結構、今の世の中では「言うは易し行うは難し」なことなんだと思います。
とくにビジネスの場面では望べくもないくらい難しいことでしょう。
でも、人間同士の付き合いにはきっと必要なことだと思います。




遠くて近い関係。
このコミュニケーションのスタイルをあらゆる場面に取り入れていけたらと、今、思っています。




   
Posted by k33 at 22:16Comments(0)TrackBack(0)心情 

2015年07月26日

とりまとめ

暑いですね。
息子は夏休みに突入しました。
はやくもかーちゃん、ストレスフル。
今日は一日自由時間をくださいとの申し出がありまして、とーちゃんは快く承諾。
とーちゃんもいろいろ大変なのになぜにそんなにしっくりと交渉がまとまったかと申しますと、昨日一日とーちゃんが自由時間をもらったからなのでした。
このように、何かをお願いするときは何をを差し出すというのが交渉事の原則で、そうするからこそ、利害関係が必ずしも一致しなくても譲歩することができるというものです。





話は変わりますが、このブログには記事ごとのカテゴリーがありまして、そのカテゴリーごとの記事数が表示されています。
私はこのブログを「建築ブログ」だと思って書いているのですが、「建築」カテゴリーよりも 「日常」「心情」カテゴリーの記事数のほうが断然多いんです。
このことには実はずいぶん前から気づいていたのですが、ブログのコンセプトが「建築をやってるサラリーマンの心情を綴っていく」 ということなので、それでいいんだと思っていました。
とは言いながら、少し冷静に考えてみると、ある時期から、建築そのものの思考から、それにまつわる人間や社会に対する思考に私自身の重点が移ってきたのだということに気づきました。





それはいつごろからだろうと過去を思い返してみると、多分5年くらい前からが分岐点だったような気がします。
それまでは自分一人の内面とそこから生み出す建築のことだけにしか興味がなかったといっても過言ではないとおもいます。
5年くらい前から「建築をつくるというのは多くの人が関わって初めてできることで、だから関わる人や社会のことを考えなければよい建築は創れない」ということを明確に意識するようになったのだと思います。





我ながらなんて気づきが遅いのだと呆れますが、一旦そう思うとそこを突き詰める性分の私は、ある意味この5年間、人間や社会のことを考え続けてきたとも言えるのではないかとも思います。
その成果が、最近の家庭の平和やチームとしてのモチベーション向上の雰囲気に顕れはじめてきたのかな、と自負しています。






私は純粋な運命論者ではありませんが、自分の力だけではどうしようもないことがあることは認めています。
今ここに私があるのはそのようになるようになっているからだということを受け入れられるようになりました。
そう思えるようになるのに5年もかかってしまいました。





その5年間のうち、2年間お世話になった上司が会社を去ることになりました。
いろいろ教えていただきました。
その教えを頂いたので、上司がやっていたことを引き継くことを承諾しました。





とりまとめを担いながら、ひとつひとつの建築を良いものにしていくにはどうしたらよいか。
それが次の私の課題になりそうです。


   
Posted by k33 at 08:42Comments(0)TrackBack(0)心情 

2015年07月20日

たいわ

私が社会人になったときと比べて、連絡方法は格段に便利になりました。
一言も直接会話することもなくメールのやり取りだけで仕事をすることも珍しくなく、何かの機会に会って名刺を交換して初めてお互いの顔を知る、ということもままあります。
それだけ、直接会う、ということをしなくても進められる仕事が増えたともいえると思いますが、同時に、会って話せばわかることが、メールだけの連絡ではお互い思い違いをしていたりすることもあり、そのための調整をしないと全く違う方向に話が進んで行ってしまうということになることも実体験としてありました。




そんなわけで、私個人はもともとアナログ傾向があることもあって、できるだけ会って話をするか、それが無理なら電話で話をすることとセットでメールを使うことを心がけています。
しかしながら、いやいや、私はメールや文書だけでやりとりは十分できるよ、忙しいし、いちいち電話かけてきたり、会いに来なくていいよ、という方も中にはいらっしゃって、そういう方には無理にこちらのやり方を押し付ける必要はないかな、と思うので相手様にあわせるようにしています。




私個人ではこのように比較的簡単に考えているのですが、これが団体としての判断となるといろんな人がいてまたややこしい。
相手がその必要がない、と言っても会って話したほうが気持ちがわかる、とおっしゃる方もいれば、
その必要がないという人には会って話しても意味ないんじゃないかという人もいるし、
その必要があるかないかわかんないけど、来たきゃ来てもいいよという相手もいるし、
とにかくまあ、いろんな人がいるわけです。




とにかく会えばなんか会話することになるのだから、という強い主張を持った方の意向により、今回はやっぱり会って話をしたほうがよかろうということになりまして、先週末、地域事務所行脚をしてきました。





結果的には、やっぱり会って話せばいろいろなことがわかるわけで、特にメールや文書からは読み取りづらい、気持ちやニュアンスのようなものを知ることができたのはとてもよかったと思います。
しかし、一旦その気持ちを知ってしまったからには、そこをちゃんと考慮して今後の対応をせねばならないということになるのは当然で、そこのところがどのようにできるのか、というのが今後の課題です。





自分で言うのもなんなんですが、私は結構クールでドライな傾向があるので、気持ちは気持ち、事実は事実として比較的切り分けて考えるほうなのですが、そうでない方も中にはいらっしゃって、気持ちは受け止めるし、事実も受け止めるし、というとてもしんどいことをやろうとしている人もいます。




人間は十人集まれば十通りの考え方があるのは当たり前なので、いろんな考え方があってもよいと思いますが、答えを出すときはその十通りの考え方を集約せねばなりません。
集約の仕方はいろいろあると思いますし、答えは一つとは限りませんが、それを導くことができるのはやはり気持ちやニュアンスを知ったうえで答えを出すというプロセスなのだと思います。
翻って考えてみれば、このプロセスこそ対話というものであり、個人、団体を問わず行われてきた人類の知恵なのだと気づきました。





設計の仕事はある意味対話の連続なので、それを業としているプロフェッショナル集団である我々がその対話ができないわけがない。
単なる民主主義を超えた対話から導く答えを見つけ出そうと思います。









   
Posted by k33 at 08:36Comments(0)TrackBack(0)日常