2015年10月18日
ひきこまれる
本でも、絵画でも、面白いとか、美しいとか、良いというものは、他のそうでないものと何が違うのかということに思うところがあったので書いてみます。
同じようなことが書いてあったり、同じような構成であったりしても、何かが違う。
それは何かということは、直感的にはわかるのですが、なかなか言葉にしづらいんです。
なんとなく、ほかのより面白い。
なんとなく、ほかのより美しい。
このなんとなく、ということの中身はいったい何なのか。
そんなことを、なんとなく考えていたある日、いきなり閃きました。
惹き込まれる。
これだ。
これが、あるかないかだ。
つらつら読んでいても、ついつい読みすすめてしまう。
なんとなく見ていても、ついつい足を止めてみてしまう。
そうしたいかそうしたくないかに関わらず、そうさせてしまうもの。
それが、面白いもの、美しいもの、良いものとそうでないものの違いなんだ。
アフォーダンスは形態や環境を行動要因として扱いますが、この行動要因のなかに「惹き込まれるかどうか」ということを加えてみると、より豊かな行動学が生まれると思います。
好みは人それぞれ違います。
「惹き込まれる」というのは「好み」とは別のものだと私は思います。
「好み」は主体によるもので、「惹き込まれる」ということは客体によるものだからです。
ものに力があるというのはそういうことなんだと合点しました。
同じようなことが書いてあったり、同じような構成であったりしても、何かが違う。
それは何かということは、直感的にはわかるのですが、なかなか言葉にしづらいんです。
なんとなく、ほかのより面白い。
なんとなく、ほかのより美しい。
このなんとなく、ということの中身はいったい何なのか。
そんなことを、なんとなく考えていたある日、いきなり閃きました。
惹き込まれる。
これだ。
これが、あるかないかだ。
つらつら読んでいても、ついつい読みすすめてしまう。
なんとなく見ていても、ついつい足を止めてみてしまう。
そうしたいかそうしたくないかに関わらず、そうさせてしまうもの。
それが、面白いもの、美しいもの、良いものとそうでないものの違いなんだ。
アフォーダンスは形態や環境を行動要因として扱いますが、この行動要因のなかに「惹き込まれるかどうか」ということを加えてみると、より豊かな行動学が生まれると思います。
好みは人それぞれ違います。
「惹き込まれる」というのは「好み」とは別のものだと私は思います。
「好み」は主体によるもので、「惹き込まれる」ということは客体によるものだからです。
ものに力があるというのはそういうことなんだと合点しました。