歴史と日本人―明日へのとびら―

日本という国は、悠久の歴史を持つ国である。 この国に生まれた喜びと誇りを胸に、本当の歴史、及び日本のあり方について考察してみたい。 そうすることで、「明日へのとびら」が開かれることだろう。

崎門学報第十三号に拙稿が掲載されました

崎門学報第十三号に拙稿が掲載されました。今号では「平泉澄の歴史観」と題し平泉の歴史観とその主張を取り上げました。
上記リンクから読めますのでお目通しいただけたら幸いです。

官治・都市・成長の欺瞞と山河・民族・ふるさとの復興

わが国の歴史を紐解けば、社会的政策を「お上」が決定してきたことは否定しがたい。無論それはわが国に限らず世界的共通事項だと言えなくもないのだが、どうにも歴史の負の部分に「官治」の影が付きまとうことは否定しがたい。
明治時代、わが国はプロイセンをモデルとした官僚社会を作り上げた。それは植民地化の脅威の中で生き残りを図るための方策であった。中央集権体制の確立は、エリート官僚のもと「欧米に追い付け追い越せ」という国家目標に特化させるものであった。それを支えたのが帝国大学(東京大学)を中心とした大学組織である。敗戦を経て、現在に至るまでも大学の中央集権体質は変わっていない。いまでも高級官僚は旧帝大出身者で占められているのがその証である。
そうした社会の中で学生は東京を中心とした大都市圏に集められ、卒業後は官僚になろうが民間企業に行こうが大都市圏に就職し、地元に帰らなくなってしまうのである。もちろん職歴もない学生を育て上げるだけの体力のある会社はそう多くなく、それが大都市圏に集中しがちなのは自然の道理ではある。だが、こうした中央集権体質はふるさとの人材を枯渇させようとする圧力になり続けている。
わが国の産業社会は一次産業二次産業を軽んじ続けてきた。欧州などでは農家は国境警備隊の意味合いも持ち、大事にされてきたのだが、わが国では島国ということもありそうした意識は育たなかった。バブル崩壊以後若干弱くなったとはいえ、依然中央の官僚が偉いという意識は根強く残っている。
官僚や会社員だらけになってしまった現代の日本社会は、「暮らし」と「労働」が完全に分離してしまった。
われわれは家族の暮らしと、会社員としての労働に一日を完全に分断されてしまっていて、そこに相関関係のない二重人格の生き方を強いられている。こうした生活の中で両親への敬意が自然に育まれるだろうか。大都市圏に長距離通勤を強いられる中で、家庭は労働の疲れを癒す場所でしかなく、地元の人々と交流する必然性をもはや持ち合わせていない。これで地元への愛着や地域への帰属意識が育まれるだろうか。
会社員の登場は経済効率を格段に良いものとした。だが、それと引き換えに失ってしまった生活がある。ふるさとの荒廃の根本原因は、大学、官僚制、カイシャという中央集権体制が、人々をふるさとから引きはがし、一人の学生、一人の国民、一人の従業員(労働者)という地元のバックボーンのない「砂粒の個」に仕立て上げたためである。大学、官僚、カイシャは父、祖父、といった祖先から受け継ぐものが何もない。ただマニュアル化された「作業」だけが引き継がれていく。そこに祖先から続く「縦の流れ」はない。郷土もない。ただただ金銭貸借があるだけなのである。
「ふるさとに暮らす真の生活」への回帰を阻む考えの一つに、新自由主義がある。新自由主義の人間観は、「人々は自分の利益になるように動くもの」であり、バックボーンの違いや、道徳心による行動というものは、ほとんど念頭に置かれていない。その意味で新自由主義は官治国家と大変相性が良いのである。「民間にできることは民間に」「既得権益の打破」を訴える新自由主義はともすれば官僚社会と対立するものであるかのように見られがちである。だが「規制緩和」とは、どの産業を育成するためにどの規制を緩和するか政府が決定するということである。即ち政府権力の強化につながりかねないのである。
選挙を通じて地元民の声を中央に届けることこそ、各地方(選挙区)から国会議員が選ばれる大きな理由だったはずだが、いつの間にか本末が逆転し、党中央が決定した政策に賛同しなければ議員として公認されない風潮になってしまった。いまや議員は中央のやり方を地方に押し付ける先兵となってしまったのである。
アジア主義者竹内好が問題としたのは、「民族意識」であった。いわゆる左派的論客が「民族意識」が解体されることを封建制からの脱却であるかのように肯定的に捉えていたのに対し、竹内は民族意識を欠いたところに、文学も文化も革命もあり得ないと確信していた。外来思想にかぶれ、国籍のない抽象的な自由人をきどっても、それは政府や資本の奴隷にしかならないと論じたのである。竹内は60年安保に反対したが、それは非常にナショナリスティックな意識からであった。もちろん「民族」という概念自体は近代の産物である。だが、その民族観念の原初たる同朋感情、文化、歴史は前近代からもたらされたものである。
高度経済成長期、日本は人口増が見込まれていた。人口増に対応するため、郊外型の都市開発が乱発された。人口増加が下火になった現在、それは地方コミュニティの崩壊となって跳ね返ってきた。市場経済は基本的に自然の循環を断ち切って、物質的に「成長」することを目指している。むしろこうした自然循環は経済発展に邪魔なものであった。自民党保守派は無論、憲法九条真理教と化した戦後左派も、この問題に無自覚であった。戦後左派は左派と言いながら民族意識を軽んじ、怯懦を正当化する「平和主義」を基調としていたために、己の身さえ豊かであればよいというエゴイズムと親和的であった。そもそもが憲法九条なるものがアメリカの庇護下で経済成長に注力することの自己正当化でしかないのだから、自民党保守も九条左派もそれを本気で打倒する気がまるでないのは当然と言えよう。戦後体制の打破なくして地方の衰退の問題、資本主義の問題点は語れないのである。
われわれはいま、快適で便利な都市という箱の中で生かされているブロイラーと化している。それはちょっと郊外に行ったくらいでは何も変わらない。何処の土地にも所有権が定められており、お金なくして生活ができない限りそれは「都市」の範囲内である。だがそのブロイラーは本当にこれからも生かされるのだろうか。野村秋介は言う。
  「勿論、〈反共〉は我々にとっても極めて大切な課題である。しかし更に大切なことは、敗戦によって壊滅された〈祖国日本〉そのものの復興なのである。(中略)経済大国営利至上主義にうつつを抜かし続けた日本は、いまもって、敗戦で喪失した〈民族的魂〉の回復はなされていないのだ。〈反共〉に目がくらんで、 〈日本〉そのものの復興をおろそかにしてはいなかっ たか、という慚愧の思いがなくてはおかしいというのである。/さらに営利至上主義は、日本的文化、ことに神道の母体である日本の〈山河〉を無定見に破壊した。日本人が、神州清潔の民とか東洋の君子国とか呼ばれる、特異な民族性をつちかい得たのは、一に山紫水明なる日本の〈山河〉あったればこそである。(中略) かかる状況を可能として来た大企業における決定的な罪過は、戦後三十余年間、『民族』を単に『マーケット』 として見下して来たことだ。それは民族国家に対しての冒涜でなくて何であろう」(『友よ山河を滅ぼすなかれ』 46 頁、「/」は改行)。
「戦後というこのブヨブヨの飽食の時代の中で、タラ腹食って肥満し、ガキの頃からやれ塾へ行けの一流大学に行けのと親にケツを叩かれ、成れの果てはサラ リーマンか役人に仕立て上げられてだ、微々たる月給をもらってやれマイカーだ、やれマイホームだのと、汗水たらして稼いだ金を大企業・大資本にそっくり搾りとられて、これではまるで近代化された鶏舎にいるブロイラーと何ら変わりないではないか」( 『いま君に牙はあるか』2頁)
これ以上に付け加える言葉は無用であろう。

*月刊日本平成三十年二月「ふるさとを復活させよう」、国体文化平成30年3月号「資本主義の超克とその先の国家論 十二」における拙稿の抜粋を加筆した

スロー運動の真意

本日はわたし自身の備忘録、メモ的更新である。

だいぶ以前からの動きであるが、スローライフ、スローシティ、スローフードという動きがある。スローフードの運動は日本でもよく知られているが、せいぜいマクドナルドなどのファーストフードを食べない運動としか理解されていない。しかし実はスロー運動は深い内容を持っている。

スロー運動は俗に言って大量生産、大量消費から地産地消型の動きに転換していこうというものだ。こうしたスロー運動は土着の文化、つながりを基盤としており、例えば各地で伝統的に栽培されている作物の保護、復興や有機農業なども訴えたりしている。
ホルモン剤や抗生物質を大量投与して無理矢理育てられた畜産物や遺伝子組み換え作物など、大量生産大量消費社会の中で生み出されたものの中にはどう考えても自然の摂理を無視しているものが目立つ。そうしたものへのアンチテーゼもスロー運動の一環なのだ。

先鋭化した場合は、ジョゼ・ボヴェのように、マクドナルドの建物を破壊する人物も現れている。ボヴェは、WTO(世界貿易機関)を「健康と食料、労働などあらゆる人間の営みに侵食する『執行権』『立法権』『裁判権』を兼ね備えた『市場原理主義の超権力』である」と述べているが、まさに農作物を「知的財産権」をタテに私物化するグローバル種子企業の暗躍に対する憤りをも連想させるものである。

もちろん農作物などに限らず、仕事などにおいても人もいつでも入れ替え可能な方向に変えられようとしている。スロー運動は目先の農業問題等も主張するが、より根源的に「この世界すべてがカネで置き換え可能なものにされつつある」現状への抵抗、変革運動なのである。各地が培ってきた文化、歴史などを尊重することもそれにあたる。

『国体文化』九月号に拙稿が掲載されました

『国体文化』九月号に拙稿「資本主義の超克とその先の国家論(十八)」が掲載されました。
ご覧いただければ幸いです。

本連載は本号で完結となります。
最終回は総括としてわたしの思いを述べております。

資本主義の問題と皇道経済論

資本主義には、われわれが何かを成そうとする動きを萎えさせてしまう働きがある。
「そんなので採算が取れるはずがない。どうやって飯を食うんだ」という類いである。
そうやって、何かを成す力をなえさせた後で、「生活するために仕方なくしなければならないこと」に時間を割かせるのである。
新自由主義全盛の世にあって、その傾向はますます強まった。
市場は、共同体と共同体を商売を通じて繋ぐものだが、市場に依存すると不思議と共同体が分裂していき、人々は砂粒の個になっていく。市場は契約関係で成り立っており、互助からなる共同体的紐帯を薄れさせるからであろう。
現代は故郷喪失の時代である。それは単純にシャッター商店街の広まりといった生活の面にとどまらない。ふるさとと呼ぶべき人間の感性や価値観、情感を養う場所の崩壊である。
いまの経済学は人間に対する省察を欠いており、人間は合理的に利潤追求だけをするものと考えられている。そこに他者への共感や義侠心は念頭に置かれていない。そういう概念は実証できないからであろう。
いまや経済学はGDPを増やし経済成長させることにしか力点を置いていないが、戦前の皇道経済論は、このような人間の衰退に真剣に取り組むものであった。
現代社会の崩壊の危機を目前にして、あらためて皇道経済論が必要とされるべき所以である。

書評:中島岳志『保守と大東亜戦争』

まったくひどい本があったものだ。
わたしは原稿を書くにあたっては氏の著作を大いに参考にしているところがあり、見解の相違を感じながらもその著作には敬意を払うものである。しかし本書はひどい。粗雑、ご都合主義というに尽きる。論理破綻、矛盾も甚だしい。

いちおうあらすじを紹介しておくと、いわゆる保守思想家として名高い竹山道雄、田中美知太郎、猪木正道、福田恒存、池島信平、山本七平、林健太郎らは戦後の革新思想にも批判的であったが、同時に戦前の大東亜戦争に批判的であった。
一方で「その後の世代」である渡部昇一、中村粲、小堀桂一郎、石原慎太郎、西尾幹二らが大東亜戦争肯定の立場であり、それが著者には納得できないのだという。
元来保守主義は理性を過信せず、設計主義的な革新を厭い、熱狂から遠いものだ。「その後の世代」の言論は保守主義と異なるところがあるのではないか、というものだ。

こういう意見があること自体は否定するつもりはない。
おおまかな筋だけ聞くと「そういうこともあるのかな」と思ってしまう。

だが中島氏による上記の論証たるや支離滅裂なのである。
理由は簡単で上記で取り上げた人物はそれぞれ意見が異なるところがあるのにそれを見ずに、上記ストーリーにそぐわないものは完全に無視しているからだ。
なので少しでも上記著者の著作を読んでいるものには違和感だらけになってしまう。

一例をあげよう。
田中美知太郎や猪木正道は、戦前はアナキズムに共感する思想を持っていた。アナキストと保守派が意外に共通するところが多いのはそれはそれで興味深いテーマなのだが、それは本稿とは関係ない。ポイントはアナキストが戦争に反対の考えを持っていたところで、それは「保守主義が戦争に反対だった」ということになるのか? という素朴な疑問である。
戦後のイメージで「保守」としているだけではないのか。しかも中島がこれらを知らないはずがなく、確信犯的ミスリードではないのか。

二つ目。
保守派が大東亜戦争を肯定するのはおかしいし、南京虐殺や従軍慰安婦否定はなおおかしいと述べている。だが南京虐殺否定の最初のきっかけは何か。それは中島がいう「保守主義者」に入れている山本七平の「百人斬り」批判である。もちろん山本は「百人斬り」を否定しただけだといえる。だがそれをきっかけに南京虐殺否定論が起こっていることは疑いない。これを無視するのはおかしいのではないか。

三つ目。
中島氏は、竹山道雄が親戚である一木喜徳郎にならって天皇機関説を肯定し、筧克彦の天皇親政論は狂信的で「唐人の寝言」だと考えていたことを紹介する。竹山がそういう考えであったことは確かだろう。ところで中島先生、保守は理性を妄信しないのではなかったのですか? なぜ天皇機関説の時は「理知的」「制度設計的」な機関説を肯定して、天皇親政論を退けるのでしょう? ご都合主義ではないですか。「懐疑の精神」なるものは天皇機関説のどこにあるのでしょう。ちなみに上杉愼吉といい、筧克彦といい極めて冷静に天皇親政論を語っているので、熱狂には当たらない。

四つ目。
猪木正道が河合栄治郎と研究会を行い、その死にあたっては「日本軍国主義」に殺されたと痛憤した旨紹介している。だが単なる病死の河合を「日本軍国主義」に殺されたというのは大分熱狂しているように見える。またこの時猪木が読んで感動したという西谷啓治『世界観と国家観』を紹介しているが、西谷は京都学派で「近代の超克」を論じた人物ではないか。整合性がなさすぎるのではないか。

五つ目。
「その後の世代」の議論の紹介が、中村粲と小堀桂一郎くらいしか行われていない。
まさか「日露戦争までは良かったがその後軍部が統帥権を振りかざし暴走したからよくない」と言っていた渡部昇一や神道系の議論を嫌う西尾幹二では都合が悪かったからではないかとうがった見方をしてしまう。

それにしても、ストーリーを定めてそのストーリーに沿うものだけをピックアップする論法はずいぶん「構築主義的」「設計的」で「懐疑の精神」に欠けるのではないかと思うがいかがだろうか。

青松寺を訪問

東京・愛宕にある青松寺を訪問いたしました。

ここは東京タワーの近く、愛宕グリーンヒルズなどのあるオフィス街にあるのですが、近代的な都市の中に突如として閑静な寺院が出てくるので不思議な気持ちになります。

ここにはいくつか史蹟があり、それを訪ねるのが目的です。

まずは「孤忠留魂之碑」。これは昭和二十年八月十五日に日本の降伏をよしとせず立ち上がった畑中少佐らを慰霊する碑です。
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宮城事件については尊皇派においても異論のあるところだとは思いますが、連合国からの国体護持の確約が取れていない段階での降伏は陛下を危険にさらしかねず、断じて承服できないとの思いから立ち上がったものです。
蹶起した畑中少佐らは平泉澄博士の教えを受けたもので、強い尊皇心を持っていました。
ただ、当の平泉博士や同じく平泉博士の教えを受けていた阿南惟幾陸相は、心情は理解するものの、蹶起には強く反対しました。
西内雅氏や吉原政巳氏など当時野に居た平泉門下生もかかわるところがあり、戦後(自決を止められ生き残った)井田中佐らと手記を残しています。
同事件はクーデター計画はありましたが、成功する見込みのほとんどないもので、命を賭した問題提起と言った要素が強いのではないかと思います。その意味で五・一五事件や神兵隊事件に近いものがあると考えています。
もちろん彼らを鎮圧した側にも尊皇心があり、非常にギリギリの状況下における決断ではなかったかと考えています。
同碑は青松寺が管理している墓所の敷地内にあり、通常門徒以外立ち入り禁止の区域に存在します。寺に電話したところ「お参りであれば入ってよい」とのことであったのでお参りいたしました。写真はお参り後失礼したものです。本来八月十五日付近にお参りする予定だったのですが、下調べが足りずお参りできなかったので日を改めました。写真で分かる通りわたしが訪れたときはすでにお花が供えられており、誰かがお参りしたものと思われます。










同碑の隣には肉弾三勇士の像もありましたので併せてお参りいたしました。
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なお、青松寺の敷地内には、インドネシア独立戦争に参加した市来龍夫、吉住留五郎に対して1956年にスカルノ大統領が送った記念碑があります(こちらは誰でも訪れることができます)。
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「独立は一民族のものならず 全人類のものなり」という言葉が記されています。
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大東亜戦争はそれまでの興亜論者の主張を横取りした面はあったものの、ともかくも「東亜開放」を戦争の大義としていました。その崇高な使命に共感した兵もおり、そうした人たちは日本の敗戦後もインドネシア独立戦争などに参加したのです。インドネシアを再植民地化しようとするオランダ軍との激戦で、インドネシアにおける大東亜戦争に匹敵するくらい激しいものでした。
「アジア解放」の大義が息づく一例と考えます。

『国体文化』八月号に拙稿が掲載されました

『国体文化』八月号に拙稿「資本主義の超克とその先の国家論(十七)」が掲載されました。
ご覧いただければ幸いです。

本連載は来月号で結論にたどり着くので終了となります。

読書メモ:橘孝三郎『皇道哲学概論』

天皇論五部作もこの『皇道哲学概論』で最終巻となる。だが、この『皇道哲学概論』には新しい議論はほぼなく、これまでの四巻の要約総括という位置づけと言ってよいだろう。

神楽歌に縁を持つ大嘗祭は皇道文明の本質であり、その真意義は「土とま心」である。
というように大嘗祭の意義は他の四巻でも触れられているが、本巻で補足されている。

橘孝三郎は「神武天皇は征服王ではない」としており、それはその通りであろうが、「神武肇国」と呼んでいるところはむずかむずかしいところである。わたしなど素人考えでは肇国はイザナギイザナミであって神武天皇は「建国」であるように思ってしまうが、橘は神武天皇の征服性を否定したことに因り神武「肇国」という表現になっているのだろうと思われる。

ベトナム戦争後の国際情勢などを踏まえて文明論を展開するのもまた興味深いところの一つである。

レーニンはマルクス主義に追うところはなく、農民と離れずにいた「土とま心主義」「ま心の人」ときわめて高く評価していることも興味深い。それに対してスターリンはマルクス主義に毒された独裁者であり、中共に対しても同様の評価である。スカルノ、ネール、ナセルらはマルクス主義に学ぶところがありワンマン独裁的なところがあるという評価も面白い。

シュペングラーの「西洋の没落」に大いに影響を受けているところ、ベルグソン哲学の強調、ムスビ思想の主張なども面白いところであるがこれは全四巻にも出てくる箇所である。

橘の皇道哲学の真骨頂はその結論にある。
神武肇国以来、瑞穂の国であるわが国はすべてを神と人に捧げる「創造的人格」を有し、それは人類文明史上崇高無比の理想国家であると説く。
そのうえで「すめらみこと文明」の希少価値は過去に存在していたというだけでなく、将来の文明を創造しうる価値にあると説く。
それを踏まえ「現実に、西洋文明は没落を開始した。世界人類文明史は新らたな精神的開発救済向上文明を迎へ入れななければならん。そのために、アジアの天地に於て、現実に、具体的に、日本皇道、支那王道、印度菩薩道三大道協力、新開発救済文明創造運動を、世界人類文明史は迎へ入れなければならんのである。蓋し、神の摂理にして、世界的至上命令そのものである。
されば、
「皇道日本の世界史的大使命」
と称す。之に標語して、
「土とま心」
と曰ふ。」
と述べている。

橘の文章は戦前も戦後もそうだが抽象的議論も多くわかりにくいところがある。
しかし文明史的に大転換が必要であり、その転換はアジアで培われた文明であることを説いている。そしてそれは決して西洋世界にとっても異質なものであるはずがなく、かつては西洋世界においても理想とされていた文明ではないのか、というのが、わたしなりに要約した天皇論五部作の橘の主張であり、その世界観、現状把握、理想は大いに学ぶべきものがあると言えると思う。

読書メモ:橘孝三郎『皇道文明優越論概説』

天皇論五部作第四段は『皇道文明優越論概説』である。「概説」と謳っていながらこれも千頁以上の大著である。天皇論五部作はこの巻から歴史を踏まえた哲学的議論に入っていく。
この巻から、橘孝三郎の問題意識を象徴する語と言ってよい「土とま心」が頻繁に登場する。その意味でも重要である。

さて、『皇道文明優越論概説』であるが、目次を見ると緒論があって支那王道文明、印度菩薩道文明、埃及オシリス文明、ギリシャ知性文明、ローマ共和文明、キリスト教文明、近世西洋科学文明、皇道文明優越論とある。
この目次を見ると世界の諸文明に対し皇道文明がいかに優れているかという戦前にありがちなお国自慢的叙述なのではないかと思ってしまう。だが実際中身を見ると全くそうではないことが分かる。なぜなら橘が上記諸文明で否定的に扱っているのは「近世西洋科学文明」のみだからだ。ここに橘の思想の真骨頂がある。「近世西洋科学文明」以外のすべての文明は「土とま心」を基調とした文明であり、だからこそ尊いというのである。

支那王道文明は祖先崇拝、宗廟祭祀を基準として起こり、堯舜禹、文王武王周公などによって創造された王道文明国家であると説く。始皇帝の独裁政治によってそれは破壊されてしまったが、劉邦によって再興されたという。

印度菩薩道文明は古仏教やヒンドゥー哲学と日本神話の比較を通じて両者の本質が同一であったと説く。

埃及オシリス文明はナイルの恵みから生まれたエジプト文明を、天地自然の大いなる恵みを母として生まれた「土とま心」の文明であると説く。
同様にギリシャ哲学、ローマ、キリスト教の中に偉大な文明を見だしていく。

「土とま心」とは、「土」は農業、ひいては土着のものを大切にすること、「ま心」とは大いなるものへの敬意、敬虔な心である。この心こそもっとも重要なものであるとしている。

翻って近世西洋科学文明は「神」の観念をへし折り、「金」と「物」にばかり関心が向くよう転換させてしまった。それは核戦争の危機となって人類に襲い掛かっている。それを克服できる兆候は見えないのであるが、しののめのあかりがないというわけではない。しかもそれはアジアにあるというのである。
それが皇道文明である。

皇道文明は支那王道文明や印度菩薩道文明などのよいところを吸収し文明を充実させてきた。すめらみこと信仰こそが世界を救済する思想であると説く。
無論日本史においても堕落がないわけではない。しかし大化改新や明治維新など再び輝きを取り戻して来た。現状では日本も近世西洋科学文明に汚染されているが、天皇のみは神代からの性質を失わず踏みとどまっている。日本人は天皇を中心として世界救済開発文明創造運動に取り組むべきだとしている。

橘は東京を「生地獄」と呼ぶなど経済開発に対しかなり辛辣である。「土とま心」はおそらく晩年になって使いだした用語であろうが、その問題関心は橘の生涯を貫いたものである。
管理人について

陸羯南翁


中田耕斎

昭和六十年生まれ。明治期の国民主義者、陸羯南(くがかつなん・写真)の思想に共鳴する。戦前日本の国粋主義に興味を持つ。
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