歴史と日本人―明日へのとびら―

日本という国は、悠久の歴史を持つ国である。 この国に生まれた喜びと誇りを胸に、本当の歴史、及び日本のあり方について考察してみたい。 そうすることで、「明日へのとびら」が開かれることだろう。

著作一覧

備忘的に私が活字媒体に掲載されたものをすべて掲げる。随時更新していく。
◆単著
『資本主義の超克』(令和元年、展転社)
『筆一本で権力と闘いつづけた男 陸羯南』(令和2年、K&Kプレス)
『大和魂の精神史』(令和3年、望楠書房)
『岸田総理に伝えたい 新自由主義の転換はふるさとの復活から』(令和3年、望楠書房)
『読んでおきたい日本の「宗教書」―日本人の生き方を考える12冊』(令和4年、宗教問題)
◆共著、編著等
『権藤成卿の君民共治論』(令和元年、展転社)⇒論考
ラジャー・ダト・ノンチック『日本人よありがとう 新装版』(令和3年、望楠書房)⇒解説
『日本再建は水戸学国体論から!』(令和4年、望楠書房)⇒論考
◆単行本所収論文
『西尾幹二のブログ論壇』(平成22年、総和社)「おかしな竹田恒泰氏の論文」(「耕」名義)
◆雑誌論文、書評等
◇国体文化
「陸羯南の国家的社会主義」(平成28年5月号)⇒『大和魂の精神史』
「資本主義の超克とその先の国家論」 銑(平成29年4月号〜平成30年9月号)⇒『資本主義の超克』
「神の目線に立つな―中島岳志『保守と大東亜戦争』批判」(平成30年11月号)⇒『大和魂の精神史』
「分断と強権の時代―いま改めて国家を問う」 銑(平成31年3月号〜令和元年10月号)
 (断と強権に抗するネーション
 僭主はいかにして登場するか
 9駛匹寮鎖
 ぴ體観・資本・愛国心
 ダ府が必要なくなる時が来る…?
 死刑は正当化されるか
 民のための政治と「民意」への不信
 ┯⇔狼々修痢崟府」よりも相互扶助の「共同体」を
「座談会・平成人による平成論」上中下(令和元年5月号〜7月号)
「書評 相澤宏明『法華経世界への誘ひ』への誘ひ」)「実践行動」の指針(令和2年7月)
「書評 堀雅昭『靖国神社とは何だったのか』」(令和2年12月号)
「風土と共同体に基づく経済」 繊(令和2年1月号〜継続中、令和3年2月号のみ休載)
 ,覆湿暖饑覗税は愚策なのか
 日本が外国人労働者に見捨てられる日
 リベラリズムの欺瞞『労働者の味方をやめた世界の左派政党』
 い覆鴫な討亮匆駝閏膽腟措圓録用できないのか
 ザ畭絣很浸彖曚鯒咾
 Ε哀蹇璽丱觧埔豬从僂ら國體に基づく経済へ
 Ъ卅劼箸い考え方(1)江戸時代
 ┝卅劼箸い考え方(2)西郷隆盛
 社倉という考え方(3)柳田国男
 社倉という考え方(4)権藤成卿
 冷戦思考から純正日本民族主義へ
 技術革新の正体見たり ―すべての技術革新は賃下げに通ず
 すべての道は自治に通ず
 基軸のない戦後日本
 社会を貫く縦軸
 暗租への信頼―一神教と多神教
 運与契い寮い剖ζ餌里鯡笋
 欧呂襪なる農本世界へ
 崖丙垢郎遒蕕譴
 看惜楴腟舛脳綉藕駝瑛ザ政治を改めよ
 ㉑俗悪カネ儲け主義を克服する建築、都市の模索
 ㉒新自由主義からの転換は岸田政権に可能か
 ㉓風土と共同体に根差す信仰を論ず
 ㉔出口王仁三郎の皇道経済論
 ㉕ふるさとへの愛情を語ろう
 ㉖日本人と古神道❶神仏分離の光と影
 ㉗日本人と古神道❷世界に通ずる原初的信仰に帰れ
 ㉘日本人と古神道❸教派神道と第二維新運動
 ㉙日本人と古神道❹筧克彦『古神道大義』の信仰と新時代の経済
 ㉚日本人と古神道❺田中逸平の信仰とアジア主義
 ㉛日本人と古神道❻神道史が教える日本人の道義回復の必要性
 ㉜日本人と古神道❼ムラの結束を恐れる資本主義
 ㉝日本人と古神道❽伝統的古層と身体的感覚に還れ
 ㉞日本人と古神道❾神道者による反資本主義論
 ㉟日本人と古神道➓土地の売買を禁ぜよ
 ㊲日本人と古神道⓫ナチスドイツの有機農法と神道
 ㊳新世代のアジア主義へ❶アジア主義は足し算の論理ではない
 ㊴新世代のアジア主義へ❷アジア主義はブロック化の推進ではない
 ㊵新世代のアジア主義へ❸日本文化はアジアから生まれた
 ㊶新世代のアジア主義へ❹事大主義を捨てよ
 ㊷新世代のアジア主義へ❺帰る場所としてのアジア
◇月刊日本
「読者より」欄(平成27年10月号)
「書評井尻千男『歴史にとって美とは何か』」(平成28年9月号)⇒『大和魂の精神史』
「読者より」欄(平成29年4月号)
「ふるさとを復活させよう」 銑(平成29年10月号〜平成30年8月号・隔号掲載)⇒『ふるさとの復活から』
 |亙って言うな―地方創生の欺瞞
 観光立国とインバウンド依存経済の限界
 4閏9餡箸隼埔豸桐主義の悪弊
 さ制緩和による町の空洞化を防げ
 ツ磴垢る最低賃金を見直し東京一極集中を改善せよ
 δ礇┘優襯ー生活への転換で近代文明を転換せよ
「イギリスよ、お前が言うな!問題の本質は植民地支配の残滓だ」(特集:これが、ミャンマー「ロヒンギャ問題」の真相だ)(平成30年5月号)
書評 拳骨拓史『親日派朝鮮人消された歴史』(平成31年8月号)
「孤高の言論人 陸羯南」 銑(平成31年1月号〜令和元年12月号)⇒『陸羯南』
  崙本新聞社員タリ。月給四十円」正岡子規と陸羯南
 ∽仔遒力何佑箸い生き様「飯が食えなくても、文章を書かなきゃならんからな」
 「現代もまた、『日本』新聞と陸羯南とを切に求めている」丸山侃堂、眞男父子と羯南
 ぜЬ譴箸靴討瞭本新聞社「社長などとは決して言わなかった」
 ァ峺珪襪硫次誰人か天下の賢」弘前と陸羯南
 条約改正反対運動と陸羯南
 福沢諭吉と対決した陸羯南
 陸羯南とルポタージュ
 陸羯南の税制論
 福本日南と羯南のアジア論
 羯南と支援者たち
 羯南の死
「今こそ、陸羯南に学べ! 」(令和2年12月号)
「読者より」欄(令和4年5月号)
◇季刊日本主義
「いま日本精神を考える」 銑(平成29年夏号〜平成30年冬号)⇒『大和魂の精神史』
 |詫と日本精神―経済成長、国益、ナショナリズムに回収されない日本精神とは
 ¬声9饋莠腟舛箸浪燭世辰燭―「数値化される国益」と「数値化されない国益」を巡って
 F本人にとって儒教とは何か
 づ賤里侶从僂叛祥里離┘灰離漾次重頂蠖竜舛旅墜桟从冢世鮟笋辰
 サ鵡Щ囲困般宗悦ー霊性と伝統を巡って
 μ田胸喜の政治思想
 Ч勅蔀羶瓦寮治論
「赤瀾会の女たち : 伊藤野枝と権藤誠子」(平成30年春号)⇒『大和魂の精神史』
「思想としての「アジア主義」を考える」(平成30年夏号)⇒『大和魂の精神史』
「書評『天皇とプロレタリア(普及版)』」(平成30年夏号)⇒『大和魂の精神史』
「「日本国憲法=日米同盟」体制の閉塞」(平成31年春号)⇒『大和魂の精神史』
◇日本(日本学協会)
「渋川春海の尊皇思想」(平成29年4月号)⇒『大和魂の精神史』
「神道・農本・アジアー幡掛正浩の日本論」(令和4年3月号)
◇愛媛県師友会機関紙「ひ」⇒ひの心を継ぐ会機関誌『ひ』
「伝統と信仰」(平成28年2月)⇒『大和魂の精神史』
「『土居清良』を拝読して」(平成30年12月)
◇大亜細亜
「陸羯南のアジア認識―『国際論』を中心として」(創刊号、平成28年6月)
「価値観外交の世界観から興亜の使命へ」(創刊号、平成28年6月)
「トランプ大統領就任の意味と興亜の使命」(第二号、平成28年10月)
「柳宗悦のアジア的価値観」(第二号、平成28年10月)
「外国人労働者問題から見る目指すべき大道の覚醒」(第二号、平成28年10月)
「近世東洋史」(第三号、平成29年5月)
「書評古谷経衡『アメリカに喧嘩を売る国フィリピン大統領ロドリゴ・ドゥテルテの政治手腕』」(第三号、平成29年5月)
「右翼から国士へ」(第四号、平成29年10月)
「書評浦辺登『玄洋社とは何者か』」(第四号、平成29年10月)
「アジアをいまも蝕む欧米列強植民地支配の残滓―ロヒンギャ問題」(第五号、平成30年3月)
「岡倉天心と霊性」(第五号、平成30年3月)⇒『大和魂の精神史』
「権藤成卿の思想をいま顧みよ―権藤成卿生誕百五十周年記念祭報告」(第六号、平成30年7月)⇒『権藤成卿』
「保田與重郎の『絶対平和論』を読む」(第六号、平成30年7月)⇒『大和魂の精神史』
「いまこそ神政維新の精神に立ち返れ」(第七号、平成30年12月)⇒『大和魂の精神史』
「戦後ナショナリズム批判ヾ飮鰍鍛法(第七号、平成30年12月)
「東洋王道の大義を胸に抱け」(第八号、令和元年七月)
「戦後ナショナリズム批判∋頁藁紡析此(第八号、令和元年七月)
◇崎門学報
「明治以降における忠臣蔵―福本日南と浅野長勲が掘り起こした忠臣義士の物語―」(第十号、平成29年7月)⇒『大和魂の精神史』
書評「山本直人『敗戦復興の千年史』(第十号、平成29年7月)
書評「山口翔『永遠の忠臣蔵』(第十号、平成29年7月)
「山本七平『現人神の創作者たち』を通して崎門学を考える」(第十一号、平成30年1月)
「山本七平『現人神の創作者たち』を通して崎門学を考える」(第十二号、平成30年5月)
「平泉澄の歴史観」(第十三号、平成30年9月)⇒『大和魂の精神史』
「天皇親政論」(第十四号、平成30年12月)⇒『大和魂の精神史』※部分所収
「社倉論」(第十五号、令和元年8月)
◇維新と興亜(『崎門学報』と『大亜細亜』が合併)
「同胞と呼べる国家へ」(創刊号、令和元年12月)
「江藤淳と石原慎太郎」 銑(創刊号〜第三号)
「書評田中秀雄『石原莞爾と小沢開作』」(創刊号、令和元年12月)
「表紙の写真 四元義隆「興亜」」(創刊号、令和元年12月)
「グローバリズム幻想を打破し、興亜の道を目指せ」(第二号、令和2年4月)
「書評浦辺登『勝海舟から始まる近代日本』」(第二号、令和2年4月)
「表紙の写真 片岡駿の生涯と思想」(第二号、令和2年4月)
「河上肇の生き様―愛国心と愛政権心の境目」(第三号、令和2年8月)
「書評 坪内隆彦『徳川幕府が恐れた尾張藩』」(第三号、令和2年8月)
「表紙の写真 青年日本の歌 悲歌慷慨の日は去りぬ」(第三号、令和2年8月)
「国が責任を果たす積極的な財政支出を」(第四号、令和2年10月)⇒『ふるさとの復活から』
「永井了吉 その自治論と産業倉庫論」(第四号、令和2年10月)
「蔵書紹介 村上一郎『草莽論』他」(第四号、令和2年10月)
「表紙の写真 永井了吉『革新日本の理論と政策』」(第四号、令和2年10月)
「原田伊織『昭和維新という過ち』の過ち」(第五号、令和3年2月)
「興亜先覚の地、弘前 陸羯南と山田良政」(第五号、令和3年2月)
「蔵書紹介 権藤成卿『自治民範』他」(第五号、令和3年2月)
「政治に巣食う商人を許すな」(第六号、令和3年4月)
「蔵書紹介 柳宗悦『手仕事の日本』他」(第六号、令和3年4月)
「二度の東京五輪が示す開発の害悪」(第七号、令和3年6月)⇒『ふるさとの復活から』
「農本主義と現代の農業問題 グローバルアグリビジネスを打ち破れ」(第七号、令和3年6月)
「書評 杉本延博『国家社会主義とは何か』」(第七号、令和3年6月)
「グローバリストの祭典が示す日本終焉」(第八号、令和3年8月)
「財界に甘いのは尊皇心がない証拠」(第八号、令和3年8月)
「三上卓の知られざる佐賀人脈 松尾静磨と舘林三喜夫」(第八号、令和3年8月)
「書評 鈴木宣弘『農業消滅』」(第八号、令和3年8月)
「グローバリストが農業を破壊する」(第九号、令和3年10月)
「経済弱者に優しい水戸学 構造改革論は尊皇愛国思想に非ず」(第九号、令和3年10月)
「水道私物化は売国の所業」(第十号、令和3年12月)
「高度経済成長とアメリカが日本農業を破壊した」(第十号、令和3年12月)
「書評 堀茂『無脊椎の日本』」(第十号、令和3年12月)
「水道私物化を主導する野田由美子の正体」(第十一号、令和4年2月)
「食糧生産とは安全保障である」(第十一号、令和4年2月)
「新自由主義者の次の目標はスーパーシティだ」(第十二号、令和4年4月)
「遺伝子組み換え食品がもたらす日本人の絶滅」(第十二号、令和4年4月)
「デジタル化でまた国民資産が売られていく!」(第十三号、令和4年6月)
「書評 鈴木宣弘『協同組合と農業経済』」(第十三号、令和4年6月)
「安倍晋三の国葬儀に反対する」(第十四号、令和4年8月)
「書評 西部邁、福田和也著、木村岳雄監修『論語清談』」(第十四号、令和4年8月)
「ボーダレス幻想を完膚なきまでに捨てよ」(第十五号、令和4年10月)
「誠の人 前原一誠❶〜❸」(第十五号〜十七号、以後続)
「書評 鈴木信行著『指名手配議員』」(第十五号、令和4年10月)
「クリスマスの馬鹿騒ぎとリベラリズムの醜悪」(第十六号、令和4年12月)
「書評 井上芳保著『鬼滅の社会学』」(第十六号、令和4年12月)
「政治に道義を、新自由主義に葬儀を」(第十七号、令和5年2月)
「書評 荒谷卓、伊藤祐靖著『日本の特殊部隊をつくったふたりの異端自衛官』」(第十七号、令和5年2月)
「日本をダメにするジャニーズと吉本興業」(第十八号、令和5年4月)
「橘孝三郎が問うたものは何だったのか」(第十八号、令和5年4月)
「書評 樋口穀宏『中野正彦の昭和九十二年』」(第十八号、令和5年4月)
◇宗教問題
「現代日本人のための垂加神道入門」 膳兮鈎罅、┷衞膤惴Φ羃駝承繊愚泥執筆分だけ以下に掲示
 /皺耽斉擦箸浪燭(第31号、令和2年9月)
 は蘇洩神さと中臣祓(第34号、令和3年6月)
 Э請鮑廚良活と垂加神道(第37号、令和4年2月)
 日本初の暦と渋川春海(第40号、令和4年11月)
◇『史』(新しい歴史教科書をつくる会)
ブックエンド田村秀男『景気回復こそが国守り脱中国、消費税減税で日本再興』(令和3年3月)
ブックエンド高橋繁行『土葬の村』(令和3年5月)
ブックエンド坪内隆彦『水戸学で固めた男 渋沢栄一』(令和4年3月)
リレー随想「日本人が培った精神文化が重要」(令和4年9月)
◇選報日本
【特別寄稿】グローバル資本主義で日本が守れるか?歴史から現代を問う(令和2年8月)
【書評】坪内隆彦著『徳川幕府が恐れた尾張藩』 維新へ導いた初代藩主遺訓とは(令和2年8月)
◇農業組合新聞
小野耕資『筆一本で権力と闘いつづけた男 陸羯南』【自著を語る】(令和3年1月27日)⇒『ふるさとの復活から』
◇不二
新春随想「コツコツと文章報国」(令和3年1月号)
◇新風(維新政党・新風機関紙)
「皇道経済に基づき協同社会を守れ!」(令和3年9月)
◇経綸(一般社団法人日本經綸機構機関誌)
三井甲之の山縣大弐研究とシキシマノミチ(第146号、令和4年5月)
正倉院と國體(第147号、令和4年9月)
◇表現者クライテリオン
「読者からの手紙」欄(令和5年1月号)
◆懸賞論文(受賞作のみ)
福岡憂国忌懸賞檄文 佳作「グローバリズム・新自由主義から国民共同体を防衛せよ」⇒『ふるさとの復活から』

千葉県議候補折本たつのり応援稿


こちらは、千葉県議会議員候補、折本たつのり、折本たつのりでございます。
しがらみのない公正な県政に取り組む、折本たつのりです。


折本は完全無所属、既成政党の支援を受けず、退路を断ち、孤軍奮闘で取り組んでおります。折本たつのりです。
今回の千葉県議選、浦安選挙区は大変な激戦となっております。
4名中2名当選のなか、折本たつのり候補は自民党、立憲民主党、日本維新の会という大政党を相手に、まったく引けの取らない戦いを繰り広げております。
大政党に入れば楽な選挙戦ができたかもしれません。しかしそうした楽をしてしまったら、統一教会、創価学会、連合などの労働組合といった大組織に毒された政治になってしまう。
真に市民のための政治をするには、苦難の道を歩まねばならない。
そうした決意が、折本を突き動かしております。
選挙前には、すべてのお宅に戸別訪問をさせていただきました。
毎週日曜日午後、新浦安駅前広場で定例演説を行いました。市政報告会も行いました。
そして今回の選挙に臨むにあたり、折本は「演説マラソン」と称し、街宣車に乗らず、市内を駆け回りながら、市民の皆様に支持を訴えております。
文字通り浦安市内を駆け回り選挙戦を繰り広げているのが、折本たつのりでございます。
1日30キロ以上市内を走りお訴えさせていただいております。
毎日30キロ走りぬいているのですよ皆さん。
できますか皆さん。相当の覚悟がなければできないことではないでしょうか。
若いです。今回の千葉県議選浦安選挙区最年少の候補です。激務を乗り切る体力がございます。
ぜひとも折本たつのりにご期待ください。


折本は完全無所属、ひとりで戦っております。
ひとりで何ができるのか、当選しても議会でひとり孤立するだけではないかと思われるかもしれません。
しかし「一人だからこそできる」。そのことを強く訴えさせていただきたいのです。
大組織の庇護を受けて当選してしまうと、党のお偉いさんや業界団体、そうしたものの利害に忖度し調整しなければなりません。
そうしたしがらみにがんじがらめになってしまうため、議員は何もしなくなってしまうのです。働かない議員が生まれるのです。
折本は一人です。一人だからこそ、折本が必要と感じれば、すぐにやります。
こんなことがありました。ロシアウクライナ戦争で食料危機が叫ばれている。その中で一次産業のない浦安はどうなるのか、食料自給率の低い日本はどうなるのか。
そこで折本は自ら高知県の市議と人脈を築き、あるいはいすみ市の調査も行い、有機農業の給食利用についても知見を深めてまいりました。
いま、お手元にスタッフが折本の政策についてお配りしておりますが、折本が掲げる政策は机上の空論、きれいごとではございません。
いま申し上げたような折本の経験に裏打ちされた、確かな内容が記されているのです。折本の経験の結晶です。
是非お手に取ってご覧いただけたらと思います。どうしてこうなっているのか、なぜ必要なのか、折本にぶつけてみてください。
必ず熱い思い、たしかな知識をもとに回答してくれるはずです。どこかの団体や党のお偉いさんから入れるように言われた政策ではないからです。
これも、折本がひとりだからこそできることなのです。完全無所属だからこそできることなのです。


折本の好きな言葉がございます。政治に目覚めるきっかけとなった言葉と言ってよいと思います。
戦前の政治家、中野正剛の「天下一人(いちにん)を以って興る」という言葉です。
世の中は一人、「この指とまれ」と勇敢に旗を振り続ける、そんな人を起点として出来上がっていくんだという意味です。
そのためには一人一人が強い独立心を持たなければなりません。
国際社会はいま、激動の時代を迎えております。浦安の問題は浦安だけで完結するものではなく、千葉県、日本、そして世界の動向といやおうなしにリンクしております。
いま、日本は激動の時代を迎えております。
嵐のような状況を生き残るためには、大組織に便乗するような人ではなく、危機の時代の中で何をしなければならないか、何ができるか、自らの頭で考え、動き、実現させることができる人物こそが必要なのではないでしょうか。
「党より人物!」
絶えず激変する今だからこそ、党ではなく、真に自ら動ける人物を選ぼうではありませんか。
無所属、いかなる組織からの支援も断り、独立独歩の道を歩む折本たつのりこそ、危機の時代を乗り切るために必要な人物なのです。


先程来、折本は一人である、一人だからこそできることがいっぱいあると申し上げてまいりました。
他方、別の観点から見れば、折本は一人ではありません。
選挙スタッフは折本の友人のみで取り組んでおります。既成勢力に頼らないという折本の信条を実現するために集った人々です。
みんな、折本が素晴らしいと思うから、日本に必要だと思うから、折本を一人で戦わせるのに忍びないから、
手弁当で朝から晩まで尽力し、声を張り上げ皆様にお訴えさせていただいているのです。
応援演説に来てくださっている諸先生も、折本を買っている高く評価しているからこそ、所属組織を超えて、個人としてともに戦って下さっております。
浦安市民の皆様は、投票という行動で折本たつのりを支援してください。期待を示してください。市民の皆様だけにできることです。
「1票は皆様の愛です」といったアイドルがおりましたが、まさに、組織に縛られない折本への1票は、市民の皆様からの期待、愛であると言えると思います。
浦安市民の皆様一人一人が、その期待を、愛を持っているのです。ぜひ投票に行きましょう。期待を示しましょう。未来に賭けましょう。
折本たつのりこそ、浦安の希望です。千葉の未来です。日本の宝です。
ぜひとも折本と一緒になって、明日の浦安を、千葉を作っていこうではありませんか。
折本たつのり、折本たつのりをどうか、どうかよろしくお願い申し上げます。
お力をお貸しください。一緒に浦安の未来を作りましょう。

『表現者クライテリオン』2023年1月号の読者投稿に寄稿いたしました

『表現者クライテリオン』2023年1月号の読者投稿に寄稿いたしました。
クライテリオンのメールマガジンにて全文が配信されましたので、こちらでも全文を公開したいと思います。

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農の価値を見直せ


 十一月号では、堤未果さんと藤井聡編集長の「『農』は日本の心」対談が印象に残った。特に近代化の進展により、人が消費者や生産者などに極限まで分業され、単一の役割に閉じ込めるところがあるという論旨には深く頷かされた。

近代化自体がゲマインシャフトを重んじる世界とは程遠い側面があり、われわれはそうした側面を意識しながら次なる社会を構想していかなければならないのではないだろうか。

 また、モンサント(現バイエル)に代表されるグローバルアグリビジネスは、各国が農とともに培ってきた伝統を破壊し続けてきた。

モンサントがイラク戦争後灰燼に帰したイラクに進出し、遺伝子組換種子と除草剤を補助金付で無償提供することでイラクの伝統農法を完膚なきまでに打ち砕いたことは有名な話だ。遺伝子組換の種子と除草剤の効果により、最初は豊作となるが、次第に土地が痩せていき、大きな収穫は見込めなくなる。
 しかしそのころには伝統農法のノウハウは継承されずに絶えてしまっており、苦しくなるとわかっていても、引き続き種と肥料と除草剤を買いつづけざるを得なくなる。儲かるのはグローバル企業だけという事態が世界中で発生している。

こうした末期的状況に陥っている近代農業を、小手先の次元ではなく、根本哲学から何とかしなければならないと強く思う。

 こう考えたときに思い起こすのは、戦前の農本主義思想家・権藤成卿である。

 権藤はその主著『自治民範』の冒頭で以下のように言う。

 居海に近き者は漁し、居山に近き者は佃し、民自然にして治る、古語に云ふ山福海利各天の分に従ふと、是の謂なり。

 海に近いものは漁をし、山に近いものは耕し、山の恵み海の恵みに従うことで民は自然に治まるのだという。

当たり前のことを言っているようにも聞こえてしまうが、現代社会こそまさにその土地で取れるものではなく、地球の裏側から人工的に作った農産物や海産物を運んでくるようなやり方が効率的だと考えてきたのである。

しかしそうした自由貿易を前提にした議論はウクライナ事変で崩れ去り、また、地球規模で商取引を行うことで経済発展するのだというグローバリズムは、甚大な格差をもたらす負の側面が明らかになった。

 権藤が重んじた概念に「社稷」がある。社は土地の神、稷はその土地にできる穀物の神で、その土地土地で取れた穀物を氏神様に祀る地域共同体のネットワークを社稷といった。そしてその中心にあるのが天皇であり、各社稷による自治を尊重するのが、古代天皇の理想とした政治であったというのが権藤の主張であった。

 権藤が重んじた「自治」とは、政治権力の動向に左右されない民衆の生活慣習(=「成俗」)に基づくもので、成俗こそ民衆が生活の必要から紡ぎあげてきた伝統であった。

 こうした権藤の思想は、グローバリズムが極点化した現代だからこそ見直される価値がある。例えば二〇〇〇年ごろにバングラデシュの農村で起こった、「ノヤクリシ・アンドロン(=新しい農業運動)」という農業運動は、農薬、化学肥料を止めて、村の共有地の池や湿地、共有林の生態系を取り戻そうという運動であった。

バングラデシュはグローバル農業資本が持ち込んだ農薬や化学肥料により土壌や水質の汚染が深刻になり、収穫量が下がっていたのだ。それへの対案は伝統的暦に基づく農法であり、村で種子倉庫を共同管理するといった「共同体の農業」であった。

農薬を使わない代わりに、伝統的無農薬農法では虫や鳥が作物の成長を助ける。短期的に見れば迂遠なようだが、これらの取り組みにより固有種が守られ、農作物の生物多様性が確保され始めている。こうした活動こそがベンガルの伝統を守ることに繋がっているのだ。

 衣食住が共同体と共にあった時代こそ幸せで、そうした時代には農業は決して産業的商品ではなかった。農は共同体の信仰と共にあり、収穫は神に感謝しムラで分け合った。わが国でも、こうした伝統農業の価値についていま一度見直さなければならない。

大アジア主義とは何か〜真実の歴史を知ろうー戦後封印されたもう一つの近代史を解き明かすー〜

以下告知いたします。


大アジア研究会講演会
大アジア主義とは何か〜真実の歴史を知ろうー戦後封印されたもう一つの近代史を解き明かすー〜

日 時:令和4年12月3日、13時半開場、14時開演、16時終了
場 所:中台地域センター(板橋区中台1-44-8、東武東上線上板橋駅から徒歩8分)

講演「王道アジア主義の系譜-西郷隆盛・石原莞爾・木村武雄」(講師:坪内隆彦)

講演「岡倉天心と大川周明」(講師:小野耕資)

講演「頭山満と内田良平」(講師:折本龍則)

参加費:1000円

主催:大アジア研究会、共催:『維新と興亜』

連絡先:mail@ishintokoua.com

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国体文化七月号に拙稿が掲載されました

国体文化七月号に拙稿が掲載されました。
今号も古神道について書いています。今回は「田中逸平の信仰とアジア主義」と題して、戦前メッカへの二度の巡礼を成し遂げた日本人イスラムの草分けである田中逸平について描きました。ご覧いただけたら幸いです。

ZAITEN八月号に拙著書評が掲載されました

ZAITEN八月号「BookReview」欄にに拙著『読んでおきたい日本の「宗教書」』書評が掲載されました。
ありがとうございます。

国体文化六月号に拙稿が掲載されました

国体文化六月号に拙稿が掲載されました。
今号も古神道について書いています。今回は「筧克彦『古神道大義』の信仰と新時代の経済」と題して、筧克彦の『古神道大義』の内容と資本主義が軽視した土着性について描きました。ご覧いただけたら幸いです。

月刊日本読者投稿全文

月刊日本5月号読者投稿欄に寄稿した拙稿を全文公開する。

本誌4月号の南丘喜八郎主幹の巻頭言及び中村友哉編集長連載「新日本及日本人」におけるウクライナ寄りの報道姿勢に強い疑問を感じる。
ロシアによりウクライナ侵攻が行われ国際的に大きな課題となっていることは確かであるが、そもそも戦闘を仕掛けたのはロシアでも戦争を仕掛けたのはアメリカであるという根本姿勢を欠いている。
アメリカはソ連崩壊後もNATOを解散させず、ウクライナにゼレンスキーという傀儡政権を樹立させた。さらに歴史をさかのぼれば世界有数の穀倉地帯で豊かだったウクライナは、アメリカの新自由主義政策で内政が崩壊し、徐々に米国寄りに侵略され続けた。挙句が傀儡ゼレンスキー政権の登場である。プーチンは東漸する西側勢力に対し我慢に我慢を重ねつつ、捲土重来の機会をうかがっていたのだ。それが今回のウクライナ問題の根本原因である。
ロシアへの全面支持を要求するつもりもないし、そうした考えはわたしも持っていないが、ウクライナに対する過度な同調はアメリカの戦争犯罪を見過ごすことになりはしないか。アメリカには軍産複合体があり、一定年ごとに戦争を要求する好戦的国家であり、そのためにイラク、アフガニスタン、リビア、シリアといった国々が独裁認定をされ攻撃された。アメリカの世論調査ではウクライナ情勢で「米国が主要な役割を果たすべきだ」という回答が26%にとどまった一方で、「小さな役割を果たすべき」は52%、「役割を果たすべきではない」との回答は20%に上ったという。アメリカ国民が望まない戦争を、軍産複合体に篭絡されたバイデン政権がまた果たそうと躍起になっている。バイデンは「プーチンは権力の座にとどまることはできない」などと好戦的発言をして他国首脳からたしなめられる始末だ。
本誌にはそうした現状への憤りが感じられない。ましてやアメリカの傀儡政権に草莽崛起の志など認めるわけにはいかないし、ロシア非難にリアリズムを超えた理想などあろうはずがない。日米同盟を寿いでいる自民党政権と大同小異だ。ロシアのプーチン大統領が日本の歴史教科書について「誰が原爆投下したかを言わず、真実を無視している」と語ったというが、全くその通りではないか。アメリカへの怒りが欠けているのではないか? それをプーチンに教えてもらっていること自体恥とすべきではないのか?
日本のメディアは判で押したようにアメリカ寄りの報道一色で、それが、わが国の独立が政治のみならず脳髄までいかに侵されているかをまざまざと証明している。化学兵器云々だプーチンは精神を病んでいるだの、イラク戦争の再来で根拠不明な情報が飛びかい、それに踊らされている様は滑稽だ。まさに属国! プーチンの戦争犯罪ばかりを並び立てて、アメリカの戦争犯罪に対してダンマリを決め込むことのどこが平和を望む態度なのか。鈴木宗男氏が「話し合いを無視したゼレンスキーにも問題がある」と発言し非難を浴びたが、わたしには何がおかしいのか全く分からない。その通りではないか! このような議論すら抑圧される国が現在の日本なのだ。本誌4月号においては鈴木宗男氏、稲村公望氏の論考がアメリカの情報戦略に毒されていない全く正しい見解であると思う。
日本国の独立自尊、自立と再生を目指すのであれば、まずはアメリカ寄りの報道姿勢の見直しからではないだろうか。アメリカ寄りの報道姿勢の深刻な反省なくして日本の明日など存在しない。
本誌4月号ではウクライナ国旗が表紙に掲げられているが、日本国の独立自尊、自立と再生を目指す雑誌ならば毎号日の丸が掲げられて然るべきだ。それこそがアメリカ支配から脱する草莽崛起の志である。

国体文化五月号に拙稿が掲載されました

国体文化五月号に拙稿が掲載されました。
今号も古神道について書いていきます。今回は「教派神道と第二維新運動」と題して、本来あるべき姿に戻るはずであった明治維新がただの近代国家建設にすり替えられたことへの異議としての古神道について描きました。ご覧いただけたら幸いです。

日本人は神道思想を自覚せよ!

昭和四十二年、イギリスの歴史学者であるアーノルド・トインビー氏が伊勢神宮を参拝した。このとき、トインビーは伊勢神宮に強い宗教精神を感じた。そして「伊勢神宮はすべての宗教の根源的な統一性を感じさせる聖地だ」といったという。
伊勢神宮の式年遷宮で造りかえられるのは社殿だけではない。宝殿外幣殿、鳥居、御垣、御饌殿など計65棟の殿舎のほか、714種1576点の御装束神宝(装束や須賀利御太刀等の神宝)、宇治橋なども造り替えられる。社殿内に奉安される装飾が施された宝刀、彩色された馬の彫刻、弓矢、機織りなどの神宝類も古式に則り材料が調達され、伝承された製法ですべて新造されるのである。それは復古的再生、すなわち維新を思わせる。

聖書の世界では、神から自然が生まれるが、日本神話ではその逆で、自然から神が生まれる。日本に生まれ暮らしていると当たり前と思ってしまうが、それこそが日本人の信仰の大きな特長である。
神道は太古より信仰されてきた日本の宗教だ。自然に対して畏敬の念を抱き、石にもかまどにも金属にもありとあらゆるすべてのものに神が宿ると考える。これが八百万の神という考え方だ。そして人間は死しては八百万の神の一員となり、子孫の活躍を見守る存在となる。生きては天皇に仕える忠臣となり、死しては国を守る「先祖」となる。これこそが神道の考え方だ。すなわち神道は祖霊を祀り、祭祀を重視する信仰でもあった。
神社の簡素素朴さ、それを囲む杜の霊気、それこそは神道を特徴づける事象だ。
そして文字通り日本人の血肉となってきたコメ。そしてアワやヒエ。こうした穀類は神道の精神を象徴する作物であると同時に、皇室を支える精神を象徴するものともなった。

日本人は主な動物性タンパク源を魚介類に求めた唯一の民族だ。それは殺生を禁じた仏教の影響も強いが、穢れを嫌う神道の精神でもあったのではないか。もちろん獣類もひそかに食されてはいたが、畜産が文化的影響を及ぼすまでには至らなかった。この点自然を支配、管理しようとする畜産文明圏のような発想は持たなかった。
日本における高温多湿の風土、そして台風に代表される自然災害の多さは、日本人に自然と共生する世界観をもたらした。
雨の多さは水の清潔さと多さをもたらした。志賀重昂は『日本風景論』で日本風景の特色を水蒸気と火山においたが、さもありなんと言うべきであろう。水蒸気と火山がもたらす豊富なミネラル分は豊かな海を作り、海産物を発達させた。そしてそうした自然の恵みに感謝する信仰が生み出されたのである。

神道はつねに政治に翻弄されてきた。飛鳥時代、仏教に崇仏論争とそれに伴う戦乱に敗れ、神仏習合の中で生き抜いてきた。しかし神道の生命力は強く、むしろそれは仏教の神道化という側面もあった。とはいえもともと経典のない神道は、仏教理論なしには体系的な説明ができない状態に陥ったことも否定できない。江戸時代にはそうした神道を古代のあるべき姿に戻すために、儒教を媒介にしつつ「本来あるべき神道」が模索された。垂加神道などの儒家神道はそうした取り組みの一つであった。
そのため幕末から明治初年に至っては神仏分離の掛け声が強くなった。明治初年には神仏判然令が出され、神社と寺は分けられることとなった。これが「排仏毀釈」の掛け声につながった。排仏毀釈は日本文化を破壊し日本人の信仰心を弱めてしまう弊害の多い取り組みとなってしまったが、そもそも寺が幕府の徴税機関、人民管理機関と堕していて、恨みを買っていた現実も背景にはあった。
その後明治時代に打ち出されたのは、国家神道である。国家神道は神道国教化という平田篤胤の国学の理想を放棄した果てに成立したなれの果てのようなもので、神道者からも不満の声が上がる代物であった。伊藤博文を代表として、明治の元勲は神道を軽んじており、なおかつ欧米列強からは「信教の自由」を建前としたキリスト教布教要求が寄せられていた。そこで「神道は宗教ではない(国民儀礼である)」という建前の元国家神道は形作られた。戦後はこうした国家神道のくびきからは逃れることができたが、GHQに日本がファシズムに陥った元凶であるかのように言われ、徹底的に弾圧された。確かにアジア開放の旗印のもとアジア各国に神社が作られるなどのことはあったが、全体主義の元凶とまで言われるのは大げさだろう。そもそもアジア世界を植民地支配しキリスト教などを強制したのは欧米列強ではなかったか! それを言うに事欠いて「戦争遂行の精神的支柱」とまで言うのは、欧米による邪教意識がないとは言えないのではないか。
とはいえ神社界は国家からの庇護もなくなり、そのあるべき姿を見失ったまま交通安全家内安全といった現世利益を祈るばかりの場所となりつつある。

産業・文化面でも神道は苦境にある。
戦後復興の中で製造業が重んじられ、第一次産業はその犠牲になり続けてきた。
肝心要のコメの生産さえ、近年ではおぼつかなくなりつつある。グローバル資本はアメリカ政府を使って「市場開放」を建前に米国産農作物を日本人に押し付け続け、稲作文化をも壊滅に追い込もうとしている。アメリカ自身も「日本弱体化」を旨とする占領政策の下、余剰生産物を日本に押し付け、日本人の食生活は欧米化してしまった。それは皇室の伝統、日本の文化と大衆の生活とが遊離するきっかけともなった。このままでは日本人の精神は破壊され、日本が日本でなくなってしまう。
日本人は自分たちのルーツも、歴史との繫がりも知らない、根無し草になってしまっている。これほど豊かな信仰文化を持ちながら、日本人の信仰は「無宗教」だと思っている人が多い。しかしそれで日本文化を守れるか? 世界観を守れるか? 日本人の本質を貫くことができるかは、信仰の自覚にかかっている。
管理人について

陸羯南翁


愚泥

昭和六十年生まれ。明治期の国民主義者、陸羯南(くがかつなん・写真)の思想に共鳴する。戦前日本の国粋主義、農本主義に興味を持つ。著書『資本主義の超克〜思想史から見る日本の理想〜』(展転社、令和元年)
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