歴史と日本人―明日へのとびら―

日本という国は、悠久の歴史を持つ国である。 この国に生まれた喜びと誇りを胸に、本当の歴史、及び日本のあり方について考察してみたい。 そうすることで、「明日へのとびら」が開かれることだろう。

言葉は水物

 ものを書く仕事をいくら積み重ねても、決して楽にならないと書いたのは小林秀雄だが、本当に書くという行為は難しい。
 同様に、読むという行為も難しい。読んだつもりでいた本を再読した際に、今まで気づかなかった側面を見出すことなど日常茶飯事である。
 書くからには誰かに読まれ、受け入れられることを望んでしまうものである。だがそれを念頭に置きすぎると書けなくなっていく。文章には毒がなくてはならない。それはいわゆる毒舌と言うことではない、人を死に追い込むような、突きつける牙がなくてはならない。そんな牙を失った微温的議論に価値はない。

 今年三十一歳になり、少しづつ年を重ねてきたが、年齢とともに書けなくなってきている気がするし、読めなくなっている気がする。それは世事に翻弄される人間の世迷いごとでしかないが、読めもしない、書けもしない人生に意義などあるのだろうかと思ってしまう。しかし読み書きには暇な時間が絶対に必要なのである。忙しい人間からはわかりやすい文章は生まれるかもしれないが、良い文章は生まれない。

 書けない時はどう頑張っても書けない。言葉が自分の中から出てくるまで必死に待たなければならない。ある日種から芽吹くように飛び出してくる言葉を逃さないように書き留めておく必要がある。言葉は水物である。書き留めておかないと、せっかく生まれた言葉は誰にも読まれることも書き留められることもなく消えてしまう。

 もし、本を書ける機会がいただけるのならば、読む人が誰かに伝えたい思いが湧き上がってくるような本を書きたい。それがもしできたらものを書く人間の冥利に尽きるであろう。

一介の草莽として論ず

 儒書の中でも基本の部類に入る本に『孝経』がある。儒学は独裁を擁護する思想のように言われることもあるが、それが間違いであることは『孝経』を読めばよくわかる。『孝経』は親子関係だけではなく、君臣間の関係についても語った本である。
 『孝経』の「諫争章」では、子は父の言うことにそのまま従うのが孝だろうか。そうではない。諫めてくれる人がいるから道を違わないのである。君臣の関係も同じであり、不当、不善、不正があれば必ず子は親に諫言しなければならない、臣は君に諫言しなければならない、と言っている。ここで重要なことは上位者の絶対化を禁じていると共に、君臣間と家族間を同様にみなしているということである。この家族主義的国家観は東洋に独特のものであり、欧米流の社会契約的国家観とはまったく質を異にする。日本ではこのような有機的国家観のほうがなじむと思われるが、それは日本人の伝統にこの家族的国家間が根付いているからである。例えば穂積八束は国家と国民の関係を、個人が契約を結ぶような社会契約的国家観ではなく、家族のような国家となることを望んだ。

 皇室に対しての諫言を不敬だ不敬だと騒ぎ立てるよりも、皇室の問題点を進んで指摘するのが本当の忠である。余りにも不敬だと騒ぎ立てすぎれば、あえて危ない橋を渡り皇室に諫言をなすものはいなくなってしまう。そのとき皇室は裸の王様となってしまい、ゆっくりと衰微していくであろう。そのようなことがあって良いはずがない。

 天皇陛下が諫言を善しとしなければ、進んで罰を受ける覚悟は持つべきであろう。だが同時に周りがご叡慮も明らかになる前から勝手に忖度し、不敬だと騒ぎ立ててつぶそうとするのは如何なものか。それこそ陛下の御簾に隠れて人を撃つ類の人間であろう。敬不敬の前に一介の文人としてあなたはどう考えるのか。わたしが関心を持つのはそこである。

 皇室への言及を「言論の自由」などというつまらぬ概念で正当化すべきではない。何を言ってもよい言論の自由などこの世にいまだに一度も現れたことなどないではないか。皇室に限らず、ある種のタブーがあるのはむしろ当然のことである。しかし、たとえ一部敬を欠く表現があったとしても、その者が皇室の永続を願う限りその言葉は尊重されるべきである。言葉狩りから何かが生まれることはない。

 人の言葉を抜き出して、不敬だ反日だと騒ぐのは運動家の理屈である。わたしは運動家は信用しない。運動家に真摯な思索などあるはずがない。

 読者はどう思っているかわからないが、自己評価としては「歴史と日本人」は皇室の話題が少ないと思う。出てきても、それは皇祖皇宗から続く日本の伝統と文化、民族の信仰を体現する存在としての皇室、天皇であって、具体的な人格を持った天皇についての言及はほとんど行っていない。それをもって「お前は西尾幹二に影響を受けた天皇抜きのナショナリストだ」と言われたこともある。西尾幹二の影響は否定しないが、たぶんわたしも西尾氏も「天皇抜きのナショナリスト」ではない。まず一介の草莽としてどう考えるかを重んじているからである。
 頭山満は「一人でいても寂しくない男になれ」と言ったが、ある者の権威に寄りかかることは、一人になれない人間になるということだ。これに関してはわたしも自分ができているかは心もとないが、少なくともそうあるべきだという廉恥は備えているつもりである。

『月刊日本』平成27年10月号「読者より」欄再掲

昨年10月号の『月刊日本』の「読者より」欄にわたしが書いたものが掲載されている。同誌の発売から時間が経ったこともあり障りもないと思われるので、本ブログでもその文章全文を掲げておく。

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本号では特にロマノ・ヴルピッタ氏の『「日本のくらし」を守る決意はあるか』が印象に残りました。

戦後日本において目指すべきことが「国家の再建」ではなく「個人的な生活の豊かさ」になってしまったとのご指摘はもっともだと思います。

池田内閣では所得倍増が掲げられ、岸内閣にあった安全保障論議は棚上げされてしまいました。その前からすでに「もはや戦後ではない」などという標語が叫ばれるなど、敗戦以降の日本人は「個人的な生活の豊かさ」にばかり目線が向いていたと言われても仕方がないでしょう。その中で置き忘れられたのが国家などの公共性への思いであり、敬神の観念ではないでしょうか。そういったものは、古い上着よさようならとばかりに、時代遅れなカビの生えた遺物に過ぎないと捨てられていきました。

テレビ、洗濯機、冷蔵庫といった家電製品が普及し、人々の生活は豊かになりました。家事に割く時間の減少は地縁・血縁によるしがらみから人々を解放した一方、共同体と敬神に基づく「くらし」が退潮し、生活に市場が入り込むこととなりました。いつの間にか市場に依存し、市場に依存しなければ何も生活ができなくなってしまいました。それはこの時期に始まったことではありませんが、この時期に特にひどくなったと言えるでしょう。

このような、池田内閣が成立した昭和35年(1960年)の頃の日本を、桶谷秀昭は「六〇年代の日本は、ふりかへつて茫然と困惑に陥るやうなものがあつた」(『昭和精神史 戦後編』)と述べています。これは、政治の季節が終わり、政治で解決できなかった賃金格差などの問題が(のちの時代から見れば一時的にせよ)「経済成長」ですべて解決してしまったという困惑ではないでしょうか。

その困惑は戦後二十五年目の昭和45年に噴出することになります。よく引用される一文ではありますが、三島由紀夫は「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行つたら「日本」はなくなつてしまうのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである。」と記します(「果たし得ていない約束」)。この言葉は昭和45年7月7日のサンケイ新聞夕刊に記されたのでありました。同年の8月には、桶谷秀昭が「敗戦時の空白と寂しさがわたしに教えたものは、体制であれ反体制であれ、およそ支配イデオロギーはその中核に決定的な虚偽を隠蔽して、のさばるということである。そしてその虚偽を見抜くのは、すべての橋を焼き、己一個の生存の暗い根底に立ったときである。敗戦時の感慨は、国破れて山河あり、であった。戦後二十五年の今、国は復興して山河は滅びようとしている。公害だけではない。われわれの内なる日本の滅亡である。これがほんとうの滅亡ではないか。」と記しています(「八月十五日の記憶」)。同年11月には、三島が自決します。

私は当時生まれておりませんので分からない部分もあります。しかし、そこに何かもやもやした鬱屈した気持ちを共有できるような気がしてなりません。戦後、経済発展し、日本は確かに豊かになりました。でも、これで良いのだろうかという困惑。社会問題の解決を経済成長に全て委ねる無力感。わかりやすい悪辣な権力者が目の前に見えるわけではなくなったにもかかわらず、何かに支配され身動きできない、気が晴れない感じ。そんな思いは今も続いているように思えます。

「戦後の日本を現実に支配している思想は「平和」でもなければ「民主主義」でもない。それは「物質的幸福の追求」である」(「戦後と私」)と江藤淳が言うように、「物質的幸福」ばかりが追求されてきましたが、経済成長が一段落した今日、もはや再び格差を拡大させることなしに経済成長を成し遂げることは難しくなっています。しかしそこに未来はあるのでしょうか。

問題は思うより深刻で、格差を批判する側さえ、「生きさせろ」と富の分配を訴えることはできますが、分配の「質」を問えないのです。言い換えれば何が社会として「正しい」分配なのか、それを問えなくなってきているように思えます。経済競争に敗れた側の「物質的幸福」がおざなりにされていることへの異議申し立てはできますが、「社会全体がどうあるべきか」ということが問えなくなってきています。それをするのは「きれいごと」であり、押しつけがましく説教臭いことなのです。それはなぜかと言えば、戦後日本が社会性よりも個人の幸福追求を重んじてきたからでしょう。しかし、このままで国が維持できるでしょうか。「内なる日本の滅亡」を、受け入れることができるでしょうか。私はまさに、「それでもいいと思っている人たちと、口をきく気にもなれない」思いです。私は「個人」を軽んじるわけではありません。ただ、経済発展以上の「価値」は、この世に本当にないのかと疑問に思えてならないのです。

三島由紀夫がこのままいったらなくなってしまうのではないかと危惧した「日本」、桶谷秀昭が言う「内なる日本」、そしてロマノ・ヴルピッタ氏が「神州不滅」という言葉に託した「日本のくらし」。これらにはすべて通底するものがあります。それは物質的幸福を超えた大いなる価値です。そしてその価値を日本に求めました。その言葉を深く胸に刻む必要があるように思われてなりません。

ヘイトスピーチに対する考え

 「我々は政治において政治を見ず、時折その間から発せらるる生のうめきに鋭敏でなければならない。政治や経済を「現実」と見るのは誤りである。現実とはそれらの根元に流るる人間のぢかの生命に他ならない。」(『亀井勝一郎全集』第十三巻46頁)


 ヘイトスピーチに対するわたしの考えをこのブログで以前書いたことがあると思っていたが、断片的に触れていたものはあったものの、見つけることができなかったので今回取り上げたい。最初に掲げた亀井の言葉は当然この問題とは全く関係ない文脈で発せられたもので、たまたま見つけたものであるが、この問題に対するわたしの考えをよく示していると思うので掲げておく。

 結論から述べると、わたしはヘイトスピーチに対して「許されてはならない」という意見である。ヘイトスピーチは侮蔑的、低俗的発言であるのみならず、言行不一致の極みであり、顧慮するに値しない。
 ただし、移民政策によって外国人が押し寄せることで現地生まれの住民ともめ事が起きるというのは世界的に見ても珍しいことではない。個人対個人はともかく、集団対集団はそう簡単に分かり合えるものではない。ヘイトスピーチはそうした人間の偽らざる醜い本音という部分も否定できないのではないか。そして「ヘイトスピーチは良くない」と言いながら裏では低賃金労働者を得るために更なる移民の流入を求める大企業、富裕層がいて、それの走狗となる政治家、官僚がいる。住民どうしの摩擦がその原因を作ったこれらの連中に向かわず、お互いへの罵声にしか向かないとしたらそれはなんと悲しいことであるか。ヘイトスピーチ問題で最も非難されるべきは移民流入肯定論者である。移民流入肯定論者はまったく許せない存在である。奴隷商人として社会的に非難されるべきだ。歴史も伝統も文化も日本語も破壊し、市場だけ残そうという輩である。いま日本に残るもっとも反日的な分子ではないだろうか。「国民戦線」創設者のルペンはフランス人にはフランス人の、イスラム教徒にはイスラム教徒の伝統があるのだから、互いに尊重し合って、互いの場所に入り込んではいけないと言ったという。この部分に関してはまさにその通りであろう。

 日本は移民を「外国人労働者」と名を変えて誤魔化している。「研修」と称して当然守るべき最低賃金などの決め事を無視した労働がまかり通っている。ひいては、日本人労働者の賃金の低下圧力にもなっている。摩擦が起こるのは当然である。たびたび述べるように、その憤りの感情が根本原因を作った側に向かないことが問題なのだ。
 研修による移民は不法滞在の温床になっている。不法滞在をしているかもしれない外国人でも雇うのは、企業は外国人なら低賃金で働かせることができるからだ。その意味では外国人労働者の増加は、雇う側が招いているといえる。企業が生き残るために日本社会を破壊し、到底生活できない、今後の仕事にも結びつかない仕事をさせているという点で外国社会をも破壊していると言える。今の日本は3Kと呼ばれる仕事が、発展途上国の国民によって担われる事態となっているが、その社会は、先進国住民の生活を発展途上国民が底辺で支えるという構図である。そして途上国は人材の流出に悩まされるのである。日本の企業努力が移民の増加と国際的階級格差を促進し、アメリカの一人勝ち体制とともに国境概念は薄れ、人々は不安、社会秩序の乱れ、混乱の中で日々生活していくことになる。これを未然に防がねばならない。それには国境の壁を厚くするほかないだろう。民族・国家という安定した心理基盤を絶えず求め続けることこそが本当の国益である。

 故郷の喪失は世界大で見ても民族主義の喪失なのである。地球規模の画一化がアメリカの手によって異常なまでに進んでいる今日、民族主義は危機に瀕している。自分の企業の都合で外国人や日本人の貧困層の人生を振り回す連中は国賊と言ってよい。日本に限らず、各国の「極右」団体は移民の排斥を主張しているのもそのためである。特に欧州では、その排斥された移民が、原理主義と結びつきテロ行為に走るという哀しい現実もある。コスモポリタンもどきが多いこの日本国では、そういうことに鈍感で、安穏としているのである。
今、世界各地でホームグロウンによるテロ行為が発生しているが、グローバリズム、資本主義がホームグロウンによるテロをもたらした根本原因であることを認めることである。移民の子孫が自国社会に適応できず疎外され、低賃金労働につかざるを得なくなっている。移民一世では本国よりは生活状態が良くなることや、本国への仕送りの使命感から労働に甘んじることができるが、二世以降はそうではない。言葉もセミリンガル化し高度な事象を理解することは難しく、将来の展望もない彼らが過激思想に染まることも不思議とすべきではないのである。もちろん外国人が即犯罪者であるかのような偏見は慎むべきなのであろうが、それは問題の根本原因をおおい隠すことになってはならない。
 資本主義の発達はグローバリズムをもたらしたが、このグローバリズムは人々を故郷喪失の憂き目にあわせた。それは移民により故郷から引きはがされた人々を指すのはもちろん、資本主義的開発で故郷が様変わりし、すっかり民族の面影を破壊されてしまったことをも示す。祖国の共同体が機能しなくなってきたことが、資本主義即ちグローバリズムがもたらした負の側面である。ホームグロウンの問題はその極端な事例として注目されるべきであろう。
 移民も二世、三世と定着してしまえば、低賃金労働を生まれながらに押し付けられなければならない理由を持たない。その不満にテロ組織が忍び寄り、心の隙間を利用するのだ。大事なのはその「心の隙間」をもたらしている資本主義、グローバリズムに対する疑念を持つことである。

 ときおり新自由主義的な政治家などが「日本人の若者はハングリー精神を失った」「外国人の方が優秀だ」といい若者バッシングを繰り返した揚句「若者を甘やかすな」とか「移民の積極化」などを叫んだりする。しかしその背後には大企業の「注文」に合うように軍隊教育まがいの「指導」を受けさせられている外国人労働者の実情がある。そして本国に逃げ帰れないように労働者をだまして多額の借金を背負わせたりする不当な輩もいる。人身売買、奴隷貿易も同然なのだ。奴隷売買のようなことが現に行われていて、それらをダシに甘い汁を吸うものがいることは確かだ。奴隷貿易化した外国人労働者は本人の希望とは無関係に使い捨てられている。長期的には外国人に対して行われているような劣悪な待遇が日本の下層民に対しても当たり前のように行われる日がやってくるだろう。かといっていま日本政府がたくらんでいるような、「数年働かせて本国に返してしまおう」という働かせかたも、人の人生を馬鹿にしているとしか思えない。人間は経済成長のために翻弄されるだけの存在ではない。

 最後に少し抽象的な理論を述べておきたい。わたしが理想とするのは、各民族が自らの伝統、文化、民族の誇りを保持しつつ互いに共生し、切磋琢磨することである。そのためには世界を画一化させる思想に反発し、世界各国をそれぞれの土着文化に回帰させなければならない。移民政策はその土着文化をかき混ぜて破壊させる行為である。土着文化こそ人間の魂、生命である。土着文化は一身を超えて、歴史的にわれわれの過去・現在・未来をつなぐ一本の流れである。それへの敬意が必須なのである。

『国体文化』5月号に拙稿が掲載されました

 『国体文化』5月号に拙稿が掲載されました。「陸羯南の国家的社会主義」です。関係各位には謹んで御礼申し上げます。本稿はわたしの修士論文を短くしたものです。ご覧いただけましたら幸いです。

武士と商人―その精神的反抗―

 世界の有力者の租税回避地を利用した課税逃れについて記載されているパナマ文書が公開されたことが世界的に話題を呼んでいる。タックスヘイブンで税金逃れをしている大企業や富裕層は、日本は世界第二位で、そのほとんどが法人だという
 自民党をはじめとして日本はカネを稼ぐことにうつつをぬかすような国づくりに精を出し、社会に還元することを見失っている。そもそも法人は株主に利益を還元するためだけに存在するのであって、理論上は他の何物にも責任を負っていない。法の網を潜り抜け、グレーゾーンでカネを稼ごうが、それにより株主に還元できていればそれが是とされるのである。法人は他のいかなる都合も考慮しない。法人の傍若無人がまかり通っているのが現代社会である。それは今に始まったことではない。大窪一志は『自治社会の原像』を、日本社会から「現場の力」がなくなってきていることを指摘することから始めた。「社会」が市場に取って代わられ、「現場」の権限が奪われ、人々が助け合う余地が狭められていった。日々の仕事が官僚的になり、人に付いた仕事を誰にでも代替可能なものにしていったことが原因である。その結果、かえって社会はギスギスした息苦しいものとなっていった。人々の間にあったはずの共同関係はいつの間にか雲散霧消し、物が人を使う世の中が訪れ、職場は荒廃した。仕事への愛情は失われ、会社員に求められるのはどこからか降りてきた「上」からの指示を粛々と実行し、「成果」を挙げることのみになったのである。その方が「成果」を挙げ、「成長」を達成するには効率的であったが、その反面職場は崩壊し、人々の交情は失われた。会社員を続けても、恋人はおろか一人の友人もできない時代となったのである。

 突飛に聞こえるかもしれないが、実は武士道はそうした時代への反抗ではなかっただろうか。武士道は太平の世に生み出されたものである。武士道は、江戸時代太平の世が訪れ、勘定方が出世し、日々の仕事が官僚化していく中で生み出された武士による日常に対する精神的反抗である。武士道と後に称される思想が生み出された時代である江戸時代は、同時に商人道も説かれた時代であった。山本常朝が武士道の代表的書物である『葉隠』を書いた時代と、石田梅岩が石門心学で商人道を説いた時代はまったくの同時代である。そして両書が書かれた江戸中期は、日本社会において資本主義が始まった時代でもある。
 江戸時代同様に、あるいは江戸時代以上に武士道が説かれた時代が、明治時代である。明治期の反資本主義的感情は、旧武士層によって担われた。中江兆民は足軽身分の子であるし、山路愛山は幕臣の家に生まれている。三宅雪嶺も陸羯南も武士層に属する。ただし山路家は天文方であり、三宅は藩医の家柄、陸は茶道師範の父を持つなど、武士の中でも周辺に属する家柄であることは興味深い。少し時代を遡っても、反資本主義的な言説を残している藤田東湖や吉田松陰、西郷隆盛など、思い浮かぶ人物はみな武士層である。社会主義者で言えば、堺利彦は没落士族、高畠素之も士族、木下尚江も士族である。ただし幸徳秋水と山川均は士族ではないようだ。社会主義とは少し違うが、田中正造も士族ではない。調べ出すときりがないが、明治時代の思想と階層の関係は注目すべきだろう。ただし、資本主義的な言説を唱えた人物を調べても、福沢諭吉や渋沢栄一は幕臣、田口卯吉も士族、若き日は資本主義思想家だった徳富蘇峰も士族であり、あまり深い因果関係を考えすぎても間違えてしまうだろう。ただ、初期の反資本主義に間違いなく大きな影響を与えているのは武士道である。
 少し出自の話を続けよう。武士道にこだわり、「士道不覚悟」と味方を粛正していった新選組は武士ではなかった。神風連の乱を起こした熊本敬神党は武士でも下級の身分に属し、上級士族は横井小楠など西洋文明を受け入れる方向に向かっていった。上級士族だからこそ武士道へのあこがれのような感情がなかったのかもしれない。
 出自の話をすれば、山鹿素行は浪人の子、山崎闇斎も浪人の子と言われる。浅見絅斎は医者の子である。武士道にとって重要な思想を打ちだした人物が、これほどまでに武士の出自でないということはもっと注目されて良い。笠井潔は武士と商人を対比して商人を擁護する形で『国家民営化論』を書いている。だが実は武士道は武士でない人物によって醸成されてきたということも可能なのである。そもそも武士道は、乱世の時代には謀略・だまし打ちなども知略の結果と称賛されてきた。それが太平の世になると、「卑怯なふるまいをしない」といった倫理性を帯びたものに変容していく。源平合戦から鎌倉時代にかけて、あるいは戦国時代から江戸時代にかけても同様の思想的変遷をたどっている。後世のわれわれが思い浮かべる武士道の印象は太平の時代に生まれたもののほうである。謀略の称賛は、戦略性に富んではいても思想性には乏しいからであろう。
 三宅雪嶺は『偽悪醜日本人』の「悪」で、日本人は正義を心に抱かないと非難する。正義ではなく、時流や強者に尾を振って媚び、文明開化となればすぐ掌を返して文明開化に熱狂する。海外の文物を導入することに必死になり、国内興隆に目を向けない。調和を考えず、商人は公益と称して己の利益を増大させることに熱中している。努力を軽視し、貧民を軽んじ、巧言やお世辞が上手いものだけがいい思いをする。いかに彼ら豪商が華美な装束をまとい、豪華絢爛な住まいに身をおき、洋行を自慢しようとも、彼らは卑しい人種である。彼らを排撃し、社会に重きをおかせないようにすべきだ。米国流の拝金主義に乗っかり、個人の利害に汲々として、公共の大事は腐敗を究めるのである。士族の風尚美徳と、公共のために死を視る精神により維新は誕生したのであるから、士族を重きにおくべきであると主張した。当時の三宅は旧士族への期待を持っていたわけだが、それは商人道を批判したわけではあるまい。むしろ武士層に利害を超えた精神的価値を重んじる姿勢を見出し、これを称賛したのである。
 あるいは、幸田露伴が資本主義的風潮に対し江戸の職人気質を礼賛したこともあった。また、明治二十年代に条約改正や欧化主義に抵抗した国粋主義者の社会主義感覚はむしろ儒教の「仁」の政治の実行という意味合いがあった。「社会主義」は「個人主義」の対極とみられ、むしろ日本の国体に合うものと受け止められた。高畠素之がいわゆる社会主義から国家社会主義に「転向」し、上杉愼吉などと連携していくようになることを非難するような議論は日本の社会主義史を踏まえない見解だろう。もちろん細かい意味での意見の変遷はあったに違いない。だが、上杉が国家と社会は分離できるものではない、すなわち国家主義と社会主義も分離できず、社会主義的思想が国体の清華を発揮するのに適したものだ、と述べるとき(田中真人『高畠素之』203頁を引用者意訳)、それは明治の国粋主義者の社会主義論ととても似通っており、私には陸羯南の「国家的社会主義」が重なって見えてくる。
 社会主義もまた国民への博愛の情として理解されたのであり、革命思想としては理解されなかった。社会主義が「階級闘争」と「プロレタリアート独裁」の共産主義になるのは明治末から大正時代にかけてである。それまでは社会主義とは博愛、現代でいえば福祉を重んじるというくらいに受け取られたのと同時に、資本主義の興隆によって起こった道義の荒廃を救うものとして、孟子の文脈で社会主義は理解された。幸徳秋水をはじめ初期社会主義者はみな耶蘇(片山潜、木下尚江、山川均、大杉栄、荒畑寒村、安部磯雄)か孟子の信奉者(幸徳秋水、堺利彦、河上肇)であった。武士道もまた強者の弱者への横暴を嫌いむしろ弱者へのいつくしみをたたえる思想であった。この点で三者は互いに結び付いていた。社会主義は唯物主義とも言われるように西洋では耶蘇の信仰と相性が悪いのだが、明治日本においてはそうはならなかったのである。
 幸徳秋水は社会主義を実現する目的を武士道の実現においた。社会主義は経済的平等と同時に理想的人間像の提示といった作業が行われてきた。幸徳の場合、武士道の精神こそが目指すべき人間像だった。幸徳は武士道を振起する手段はないか、と聞かれたら社会主義の実現にあると答える、とした(『市場・道徳・秩序』151頁)。同様に陸羯南も、「士族社会」に自主独立の気風があるのは世禄という恒産があったからだとした(同前155頁)。桶谷秀昭は、この頃の社会主義を「修身」の延長だと捉える。そのうえでそこから革命思想への転換を、「自分が未知の何ものかに変らなければならないといふ強迫観念に似た衝動」であったと評した(『昭和精神史』88頁)。
 幸徳秋水は社会主義を武士道の復活として述べていたというが、武士道とは志を立て、自分は商人とは違うという自覚を持ち、利益を超えた「国家全体の価値」を想い行動することであった。武士道は社会主義の始まりであると同時に国粋主義の源流でもある所以である。
 幸徳と国粋主義者の関係は絶えることなく続いていた。陸羯南は自らの新聞『日本』に、幸徳の著書の広告を出し、三宅雪嶺とともに足尾銅山鉱毒事件において、幸徳とともに田中正造を支持する言論活動を行っている。幸徳の遺著となった『基督抹殺論』には、三宅雪嶺が序文を寄せている。これは大逆事件で幸徳が逮捕されたのちに出版されたものであり、そこに序文を寄せるなど並の覚悟、交友ではできないものであろう。そこでは、幸徳は不忠不孝の名のもとに死に就こうとしているが、窮鼠と社鼠のいずれかを選ぶのか、と問われている。窮鼠とは追い詰められて決起した幸徳であり、社鼠とは社に巣食う鼠、君側の奸のことである。そのいずれを選ぶのか、と問うたわけである。
 幸徳は大逆事件を起したとされているが、皇室と社会主義は矛盾しないとも述べている。社会主義とは社会の平和と進歩と幸福を重んじる思想であり、そのために有害な階級を廃そうというものである。明治維新によって四民平等が達成されたことも、それにあたる。また、古来名君と呼ばれた人物は皆民のために尽くした人間である。故に仁徳天皇のように、民の幸福を自らの幸福とされた、祖宗列聖(歴代の天皇)の事績は、決して社会主義に悖るものではなく、むしろ社会主義に反対するものこそ国体に違反するのではないかと述べた(「社会主義と国体」『幸徳秋水全集 第四巻』、筆者意訳)。この幸徳の論理を、当時の社会に受け入れられるためのレトリックに過ぎないと思う人もいるかもしれない。そういう側面もあるかもしれない。だが、小林多喜二が仁徳天皇の大御心の話を母親に話していたように、必ずしも社会主義者が即マルクス主義による革命を考えていたとは言い切れない面もあるのではないか。
 中村勝範『明治社会主義研究』によれば、幸徳はマルクスやクロポトキンを真に理解していたとは言えないという。そうかもしれない。幸徳の教養の基本は漢籍であり、西洋の理論は漢籍の教養による発想を理論化するのに参考にした程度だったのかもしれない。
 山路愛山も、社会主義を墨子の兼愛や堯舜の道にも通じるものとみており(「社会主義管見」『明治文学全集35 山路愛山集』46頁』)、明治社会主義の一つの特徴ともいえる。坂本多加雄『近代日本精神史論』によれば、山路愛山は「平民主義」に基づき歴史を叙述していたが、一方で自身は士族階級の出身であり、平民の台頭は士族の没落であるということを重く受け止めざるを得なかったという(講談社学術文庫版35頁)。山路は武士層の官僚化と士農工商の階層間の移動が少なかったことを江戸時代の「堕落」「老化」を見てこれを批判している。福沢諭吉に限らず、山路や陸も明治社会を実業の時代と捉え、各人が商売、生産を通じて国家に貢献することを主張した。だが福沢とは少し異なり、山路や陸は実業に携わることを名誉とみなさない士族出身の青年層に対し反政府的ナショナリズムを説くことで、実業に携わることに意味を与えていった。政府から恩給をもらわなくとも自らの身を立て、ときには政府に異議申し立てもしつつ国家に貢献する青年像を描いたのである。
 また、山路は陸についても、「三宅雄二郎氏、陸実氏も亦名を会員名簿に列し、殊に陸氏の如きは深き興味を社會主義に有し、其主宰する日本新聞に於て人間は自然の状態に満足して已むべきものに非ず。弱肉強食の自然的状態を脱し、強もまた茄(くら)はず、弱も茄はざる一視同仁の人道を立てゝ自然の運行以外に別に人間の天地を開くは是則ち社会主義の極意なるべしとの意を述べたり」(「現時の社会問題及び社会主義者」『明治文学全集35 山路愛山集』370頁)と回想している。この回想だけでも陸の社会主義理解に強い儒学の影響を見てとることができる。
 晩年の上杉愼吉は、「貧乏でなければ本とうの愛国は出来ぬ」(『日本之運命』189頁)とまで言い、無産者を救済しようとする。「我が無産の貧乏人は、燃ゆるが如き愛国心を持つて居るけれども、今は上流の人々の我が儘に憤激して、動もすれば非国家主義に陥らんとする傾向になつて居る彼等は横暴なる資本家地主を恨むのである、不肖は其れは当然であると思ふ、而して資本家地主を悪むの情強きが為め、思はず社会主義に乗ぜらるゝのである(中略)経済上の不平苦痛は、彼等を駆つてそこまで連れて行くのである、気の毒なるは我が忠良なる無産の愛国者ではないか、其の心中の煩悶を酌んでやらなければならぬ」(同28頁)という。富豪は金儲けのために国家を使う。国家を害し、同朋を傷つけようとも、金の為なら何でもする。神ながらの日本は鬼畜の世界になってしまった、道徳も何もないではないかと嘆くのである(同37頁)。
 ここまで戦前の社会主義についてみてきたが、彼らが貧しき人々を救うべきだと考えていたと同時に、国内で荒廃した道義の復興を考えていたことが伺える。道義の復興を彼らが考えたとき、念頭に浮かんだものの有力な一つに武士道があった。ところで笠井は武士と商人を対比して商人を擁護したが、笠井自身は一つの主義を重んじる武士的な部分を残しているようにも感じられる。堺屋太一や竹中平蔵のような商売性しか感じられないような人物とは異なる。
 少し蘊蓄が長くなった。さきほどからたびたび笠井の『国家民営化論』における武士と商人の対比を批判してきたが、一方で敗戦後の日本に限定して考えれば、太平の世になったにもかかわらず武士道の倫理性は忘れ去られて、かといって商人道があるわけでもなく、ただ利益だけが追求される世の中になったのである。葦津珍彦はこのことを、「敗戦後の日本国は、こんどは国中にただ一人の武士も残存させないことにした。しかし時代は流れ移ってゆくけれども、現世に激しい戦闘の消え去るようなことは、その兆候すらも見えていない今日である」(葦津珍彦『武士道』48頁)と表現した。ある意味現在は利益を得るための謀略渦巻く(戦国時代などと同様の)争いの時代なのである。資本主義による競争の激しさは倫理性を打ち捨てなければ到底生き残っていけぬような時代へと、われわれをいざなったのだ。

 現代は、武士道も商人道も廃れ、官僚的な法人の都合が独り歩きしている。このような事態に対する精神的反抗ののろしを上げなければならない。一人一人が自己の裁量、自己の発想に基づいて日々の仕事が行われる世の中でなければならない。日常の小さな基点から反抗が必要だ。
 「人間のすべての社会的活動を、その努力を、その創造を否定するならば、人はただ、生まれ、食べ、交尾し、子供をうみ、そして死ぬてんとう虫と異なるところはない。だが、人間はてんとう虫ではない。人間を「万物の霊長」と称する古典的解釈は、けっしてまちがいではなかった。虫は自然の意志のままに生きそして死ぬ。人間は自然の意志に従うと同時にこれに逆らって、生き、死に、しかも、ついに大自然の意志を完成するのだ。
 大義のために死し、わが名を青史に列ねようとする努力―これこそ人間として誇りうるただ一つの人間的努力である。自分はまちがっていなかった。迷う必要はない。」(林房雄「青年」『現代日本文学館28 林房雄・島木健作』112頁)

 林房雄が述べたのは、ただ生まれ、食べ、交尾し、子どもを産み、死んでいくだけで甘んじることのできない人間の姿である。人間は己が全体に寄与している実感を求めるものなのだ。
 われわれの人生は次々と襲い来る世事に翻弄され、時に喜び、時にいら立ち、ままならぬ難題に煩悶し、苦しみ、もがき、それでもやっとこやっとこ歩いている。しかし、それは己の一身のことばかりに夢中になり、周りに思いをいたすことができない様でもある。おそらく今のわれわれの人生はそういったままならぬものに満たされており、何かが変だ、おかしいと思いながらも、その正体が見抜けずに仕方なく惰性のままに日々を繰り返している。
 労働者は、あるいは会社員は、と言い換えてもよいが、自分の人生、自分の生活、自分の運命をほとんど自分で決めることができない。休みの日も労働時間も仕事内容も、勤務先も、取引先さえもどこかの誰かが勝手に決めたものに左右されている。市場競争の結果、自営業よりも雇用者の形態のほうが「効率的」だと結論が出たのであるが、その結果、「各人が自由に競争できる」などという建前は全くの空語となった。自分自身の生活を、運命を、他の誰かに翻弄されて終わるのか。その無力感は無視できないものがある。
 自己決定など幻想だと知っている。だがそれでも今の会社員生活はあまりにもその行動すべてを他人に支配されすぎている。あるいは「他人」という人物に支配されているのではないのかもしれない。労働力は商品である。してみれば資本の論理に支配されているのである。人を馬車馬のごとく働かせた挙句、馬車馬のごとく働かせてくれたことに感謝するよう強要しようという雰囲気が会社にはある。いかにも不気味であり、こういう感覚をとても肯定する気にはなれない。競争は、地位や貧富で人を差別しようとする人間の嫌な面と分かちがたく結びついている。会社という組織は、その競争の嫌な面を増幅する装置である。業務を指示監督する立場である以上に、上司を人格的に逆らい難い存在に仕立て上げようとする。そこは、一度目をつけられたら、後々までささやかれ、ことあるごとに嫌がらせを受ける密告社会である。人の足元を見ることにばかり長けていて、相手が逆らい難いと見るや途端に無法な要求を恥も知らず押し付けてくる。「結婚したり子どもが出来たら転勤させられる」という噂はその典型的な例である。「会社」とか「職場」という利益社会のもつ怖しさは会社員として働いたことがあるものは多かれ少なかれ自覚していることである。自らが稼げればほかの連中はどうなってもよいと考える冷酷で残忍な人間が、会社の上層部を形成している。いや、彼らの人格がそうだというよりも、彼らも何かに駆り立てられてそういう方向に走らざるを得なくさせられている。そのことが資本のもつ最大の問題であろう。
 カネの為に身を屈する人間は、心の底ではカネを憎んでいる。手にした札びらは、屈辱の数でもあるのだ。
働くとは、元来そういうものではなかったのではないか。社会を構成するのは、国民一人ひとりであって、決して会社や資本ではないはずだ。それらは、便宜的に置かれたものに過ぎなかったはずだ。ところが、その道具のほうに振り回されて、肝心の一人ひとりがその生活を失って働く道具のように扱われていることに疑問を感じなければならない。生産も消費も、企業あるいは資本にとっての利用価値で計られ管理され、それによって生活が左右されてしまう。こんなことはおかしいではないか。大事なのは各自の尊厳であって、決して会社などではない。
 われわれの生活は日々何かと忙しいものだ。だがその忙しいことを誇る気にはどうしてもなれないのである。暇人を見つけ、それを「活用する」などと称して労働の場に引きずり出そうという大きなお世話を焼こうとするのが「忙しい」人間である。有限の人生の中で、そもそも何のためにせわしく飛び回るのか考えなければならない。しかし、それを考える余裕があるのは概して暇人の方なのである。せわしない生活には、自分の生活を自分で決められない苦しさがある。もちろん、自己決定など幻想である。しかしそれは、会社や資本に支配される生活を正当化するようなものであってはならない。平凡な人生を気楽とみなすのはどうなのか。志を果たし得ない人生は、ただ生活苦だけがある針のむしろかもしれないのである。いずれにしても、生活に自己決定権がないのは問題だろう。
 われわれは自分の生活を自分で決めたいのである。自分の志、自分の運命を他人に押し付けられるのはうんざりである。資本が自ら肥え太るために使役されるのは、もうごめんなのである。
 かつて人々は賃労働者になろうとした。家族やムラの論理から逃れるためである。しかし、賃労働者になっても新たな拘束や服従を強いられるだけであった。自ら生産手段を持った農民や家族的自営業者は、子どもを会社員にさせようとする。それは子どもをプロレタリアあるいはプレカリアートにすることと同じである。自ら生産手段を持たない者はどこまで行っても奴隷同然である。ここまで言ってはいけないのかもしれないが、わたしは会社員にまっとうな幸せなど訪れるはずがないと思う。

 「今の若者は無気力だ」という。そういう側面もあるかもしれない。だが問題は若者に限ったことではない。無気力は社会全体を覆って、人々から生き生きとした活力を奪っている。マニュアルと規制に縛られた日常に気力、活力が入り込む余地はない。よって活力が萎えてしまうのだ。
 産業革命以降、資本主義の進展により「公」の絶対性は減少していったが、同様に「私」の固有性も失われていった。「私」は努力と研鑽により作り出される無二の存在ではなく、凡庸で無個性で誰にでも置き換え可能な存在に変わっていった。
 資本主義は、人々を結びつけていた伝統的で細やかな関係をことごとく金銭的関係に置き換え、敬虔な信仰、武士道の美学、町人道さえも無力化させた。医者、文学者、教師に対する人々の尊敬の念を剥ぎ取り、彼らを売上だけを気にする賃労働者にした。教師を労働者のようにみなしたのは日教組によるものという決めつけがなされたが、日教組は幸いにも大した影響力を持っていない。むしろ資本主義的感覚の広まりのほうが大きいのではないだろうか。
 自由放任により社会が発展するなど空想に過ぎない。すでに明治四十一年刊行の山路愛山『現代金権史』においてすら、「政府の世話焼きは余計の沙汰なりと憤慨したる所にて、其実電信も政府に掛けて貰ひ、鉄道もこしらへて貰ひ、学校も政府の脅迫に依りて出来、銀行の営業振り、簿記法の記入方、乃至チョン髷を切るべきことまで政府の世話を受けて渋々進みたる人民が自由放任を口にしたりとて、それは親掛りの子息が贅沢にも親の干渉に不平を鳴らすに殊ならず」と揶揄されているのである(『明治文学全集35 山路愛山集』46頁)。自由放任などと主張しても、政府のインフラを使い、政府に教育された労働者を使っているなど政府にことごとく依存しているではないか。そんなのは親に育てられていながら親の干渉に文句を言っているのと同じだ、というわけである。
 個人には寿命があるが法人には寿命がない。今の日本は企業ばかり肥え太る法人資本主義と化しているが、それは市場の命運が法人の都合に左右されて、個人では如何ともしがたい性格を持っているということである。法人は裕福であるが個人は貧しい。個人は「法人の都合」を叶えるためだけに使いつぶされていくだけの人生しか持ち合わせていない。それは経営層であっても同じことである。
 わたしのことを左翼的だと思う向きもあるかもしれない。資本主義批判や会社批判に対してはそういう眼で見られたこともある。だが、国民の生活に思いをはせない愛国者などあり得ない。本当に日本と言う境界、日本人という所属を重んじるならば、生活に苦しむ同胞に対するまなざしがあってしかるべきだ。
 戦後、右翼・保守派によって「戦後思想を克服する」ことが唱えられた。たしかにそれは重要だが、目的ではない。挑発的な言い草をすれば、そんなものは人生の目的たり得ないごくちっぽけなものである。日本の歴史、文化、伝統に参与し、その偉大な伝統に、自らも黄金の釘を打ち付けて次代に託すことこそ、人生の大目的にふさわしい。
 日本人が各人その美質を発揮するためにも、経済問題は克服されなければならない。この大目的の前では、右翼と左翼の違いは大した問題ではない。無論皇室に害をなそうとするような思想は到底受け入れることはできないが、そういったものを除外すれば、右翼と左翼には共通する点も多く、お互いの意見を参照し、より高めることができるように思う。このブログで以前にもたびたび述べている通り、右翼と左翼と言う分類自体が冷戦期にしか通用しない代物なのだから、いわゆる「右翼的」、「左翼的」と称される思想に元来共通点が多いことはむしろ当然のことなのだ。

 今後の日本社会をよりよくしていくための対策はいくつか考えられる。政策的には家族的自営業を支援し、大企業に対する法人税の増額、累進課税の強化、タックスヘイブンを利用した税金逃れの防止、地産地消の推進、フランチャイズの出店制限による地方の特色を生かした街づくりなどである。
 また、精神的には、武士道、商人道に倣いマニュアルよりも各自の精神の働きを重んじることだ。
 人は、一人一人に宇宙を持っている。人と人との交流は、宇宙と宇宙の交錯でなければならない。それは法人の都合に囚われぬ日常を大事にすることから始まる。人と人との交情は決してマニュアル化できないものである。誰にも替えがきかない、文字通りかけがえのないものを大事にすることが求められているのである。

福本日南『元禄快挙録』

 年末には毎年のようにテレビドラマになっている「忠臣蔵」。言わずもがなであるが、江戸時代に起きた赤穂事件を題材とした物語である。吉良上野介に切りかかったことに因り切腹させられた浅野内匠頭の仇を討つため、大石内蔵助らが決起し、吉良を打ち取り、浪士らも切腹となる話である。江戸時代、事件が起こった翌年から歌舞伎等の演目に取り入れられるほどの大きな話題を呼んだ事件であるが、実は江戸時代には幕府の弾圧を逃れるために室町時代の話であると偽装するなど、さまざまな潤色を加えざるを得なかった部分が多かった。大石内蔵助は大星由良助となるなど、登場人物の名前も変えられていた。

 現代のような史実に近い形での物語となった忠臣蔵のブームは、実は明治時代から始まっている。そのブームを作った人物の一人が、福本日南である。福本は福岡県出身。陸羯南と新聞『日本』を興した人物の一人で、三宅雪嶺などと並んで陸が不在、体調不良の時等に社説を担当できる人物の一人であった。陸の病気、死により『日本』の経営者が変わると、旧『日本』系の同人は一斉に同紙を離れることになった。多くは三宅雪嶺とともに『日本人』に合流、『日本及日本人』と改題することになるのだが、福本は地元の九州日報に行くことになる。この九州日報は玄洋社系の新聞で、古島一雄など『日本』関係者との縁も深い新聞である。この九州日報に連載されたのが、『元禄快挙録』であった。『元禄快挙録』は日露戦争後の武士道礼賛の空気に乗って大いに注目され、忠臣蔵が日本社会に根付くことになったのである。『元禄快挙録』は現在岩波文庫化もされている。

 『元禄快挙録』はその題からもうかがい知れる通り、赤穂浪士が主君の仇を討つために立ち上がった行為を義挙とたたえるものである。それは書き出しの「赤穂浪人四十七士が復讐の一挙は、日本武士道の花である。」(岩波文庫版上巻15頁)という一節からもうかがい知ることができる。だが一読してすぐ気づくことは、福本は義挙礼賛の信条を顕にしつつも、極めて冷静かつ正確に史実を記録し、伝えようとする立場を崩していないということである。現代史学の目からすれば間違いもあるようだが、俗論も多かった赤穂事件の実相を伝える書物として、原題でもその意義は薄れていない。

 『元禄快挙録』の筋は現代人には半ば常識化した「忠臣蔵」の物語なのでいちいち紹介していくことはしないが、読んでいてわたしの心に留まった部分をいくつか触れていこうと思う。

 一つ目は、赤穂浪士の決起に際し、山鹿素行の思想的影響を重視している点である。実際大石内蔵助は山鹿の門弟だったわけだが、山鹿とのかかわりや山鹿自身の思想の紹介に多くの頁を割いているのは印象深い。
 二つ目は吉良上野介を守るために戦って戦死した家来に対しても称賛を惜しんでいないということである。「吉良家名誉の士とも言うべきである」(下巻138頁)と短いながらも最大級の賛辞を送っている。一方で吉良上野介を見捨てて逃げた人間への評価は辛辣で、「卑怯を極めた」(下巻139頁)と罵っている。

 儒学的教養を基に書かれた書物は、自らの心魂をいかに作るか、いかに腹を決めるかという観点が自然に表れることが多い。本書もその例外ではない。印象的な一説をご紹介したい。

「天下の危険は、山にもあらざれば、川にもあらず。実に人情反覆の間にある。昨日までは肩を並べ、席を列ね、いずれ劣らぬ忠勤の士と見えた赤穂の藩臣らも、主家の断絶に会うて、魂魄を失い、会議のたびごとに、十人減り、二十人減り、寔に頼み尠ない有様を現出した。しかしながら志士は溝壑に転ずることを忘れず、勇士はその元を喪うことを忘れぬ。真の志士、真の勇士は、国家播蕩の際において見れる」(上巻129頁)

「ここに至って自分は長嘆してやむ能わざるものがある。彼八人の逃脱連といえども、ここに至るまでには、他の尊敬すべき忠義の諸士と異ならざる幾多の辛酸を嘗めてきたに相違ない。殊に毛利小平太のごときは、一挙の前日までも、衆と労苦を分ち来たのである。而うしていざ討ち入りという場合に臨み、その節を失うたので、ついに永く不忠不義の人となった。けだし彼らはこれによって五年か十年か生き延びたであろう。しかしながらこれがために永く歴史上に光輝ある生命を喪い、しかのみならずその五年か十年の残生の憂苦、懊悩、悔恨、慚愧のうちに悶え、この世からして焦熱地獄の底に陥った。『元禄快挙録』を読んで、士の最も留意すべきところは、実にこれらの辺にある」(中巻307頁)


 福本日南の『元禄快挙録』は忠臣蔵を掘り起こすことになったわけだが、明治時代の国粋主義者たちがこうした歴史や日本文化の掘り起こしに大きく貢献した例は多い。富士山を「日本の山」と称えた志賀重昂、日本美術の岡倉天心などが有名どころである。福本日南の「忠臣蔵」もその一つとして数えることができる。国家は「想像の共同体」であるという議論がある。だがそれは標準語やマスコミの力で無から生み出されたかのようにみなすのは誤りである。特に日本のような国家の場合はそうである。近代国民国家はある日突然人工的に模造されたものではない。前近代の大きな遺産と準備過程を経て成立したものである。そこに西洋近代の影響は否定できないだろう。だが同時に日本の伝統を踏まえ、移行していくことにこだわったのもまた明治時代の特徴である。西洋近代に倣わなければ生き残っていけなかった時代にあって、いかに日本の伝統を残しながら生き残っていくか暗中模索した時代でもあった。

竹中平蔵は新自由主義者か?

 私はかつて、竹中平蔵について本ブログで以下のように書いたことがあった。以下再録。

 安倍内閣では産業競争力会議なるものを開催し、竹中平蔵を委員として招聘し、新自由主義的な政策が練られている。安倍総理はどちらかと言えば新自由主義から遠い人物だと見られがちである。それは今回の政権奪取時にもそうであったし、小泉総理の後を継いで総理大臣になったときもそうだった。だがどちらも実際は新自由主義的な政策を実行しようとしている。安倍氏は愛国や保守を隠れ蓑に新自由主義的な政策をとる人物ではないのか。そういった意味でも安倍内閣は正当に批判される必要がある。この新自由主義と比べれば幾分ましなものの、財政出動を旨とする思想もまた、単に政府が介入したほうが、経済が活性化される場合もある、といった程度の考えであった場合、新自由主義と同じ穴のむじなだ。国を率いる立場として、その社会の構成員それぞれが生活を営めるよう苦慮するのが政治家の職務であるはずだ。それは経済的な効率よりもはるかに重んじられるべきものだ。安倍内閣はこの財政出動論と新自由主義論が奇妙に結合して成立している。
 安倍内閣は第一次で「美しい国」と言っていたときより、第二次の「経済の再生」と言っている今のほうが、したたかで政治家として成長している、という見方がある。だがアベノミクスの金融緩和や成長戦略などは、大方アメリカで行われていることの後追いでしかない。むしろ第二次安倍内閣のほうが、理想を放棄した分一層対米依存を強めているという見方もできるのではないか。
 竹中平蔵は新自由主義者と呼ばれることを嫌う。竹中は「経済思想から判断して政策や対応策を決めることはありえない」(『経済古典は役に立つ』5頁)といい、小泉総理にこれからは新自由主義的な政策を採用しましょうなどと言ったことは一度もないという(佐藤優、竹中平蔵『国が滅びるということ』20頁)。日々起こる問題を解決しようと努めてきただけだ、というわけである。だが、あまたある事象の中でどれを問題とし、どういう解決を図るかは、やはり思想が大きな影響を与えているのではないか。あるいは竹中にとって市場原理によって物事を解決することは自明のことだと思っている余り、それが一思想に過ぎないことが見えていないのだろうか。ところで佐藤は竹中のマルクス理解の正確さをほめたたえているわけだが(『国が滅びるということ』11〜12頁)、知っていて言っているのかどうかわからないが、竹中は高校生の時期に民青に関わっていた(佐々木実『市場と権力』25〜29頁)。竹中は確かにイデオロギー的に新自由主義を信じている人物ではないのかもしれない。自由放任と「神の見えざる手」の信奉者ですらなく、むしろその時々で流行りの議論に飛びつき、それを日々起こる課題に対応しているだけだ、と嘯く類の人間と言ったほうが適切だろう。竹中の比較的古い著作、例えば私の手元にある『民富論』(1994年刊行)を紐解けば、そこでは竹中はインフラなどの「社会資本」の重要性を説いたり(65頁)、自由貿易は錦の御旗ではない、というなど(172頁)、現在の竹中の印象とはまた違った側面を見ることができる。竹中が小泉内閣の時は新自由主義的な発想から政策を進め、今安倍内閣においても、「アベノミクス」のブレーンの一人となっているのは本人にとっては矛盾ではないのであろう。
 現在の日本の状況はと言えば、労働者の労働条件を守るよう訴える労働組合は有名無実であり、そういった社会保障はお上頼みという状況である。中間組織は資本主義の進展に伴い、その力を失いつつある。それは決して望ましい状況とはいえない。安倍総理は自ら経済界に賃上げ要請をしたが、それは賃上げという方向性に導こうという意志は正しいものの、方法論として政府が直接救済を目指した点で課題がある。インフレ政策は公共事業等の需要を増やす政策があって初めて意味がある。私は安倍内閣が訴える「国土強靭化」に賛成する。でなければインフレは燃料費等の高騰や資産の目減りを招き、貧富の差を広げるだけだ。そうでなくさせるためには、供給過多で、需要が不足している状況を改善するために、国が間接的に需要を増やす必要がある。公共事業はその一つの手段だ。その際には単なるハコものを作るのではなく、文化や風土を生かすものにすることが重要である。そして、国家と国民、市場ばかりでなく、社会には様々な中間的集団が存在することを念頭に、それらの復活を目的とした事業をすることが必要だ。総理が自ら賃上げ要請をせざるを得なかったのはこうした中間組織が機能しなくなりつつあるからではないか。だとすれば中間勢力の復活は急務である。
 所詮「デフレ解消」は消費増税の隠れ蓑にすぎなったのだろうか。そもそも金融緩和によりインフレを起こすことで消費が喚起できると考えるのは、カネさえ配れば皆モノを買うだろうという拝金主義的発想と紙一重だ。確かにデフレは経済を停滞させるが、その反対のインフレ政策なら良いという考えは安直ではないか。デフレは海外投資を促進させるばかりでちっとも国内経済が栄えなかった。しかしインフレにしても、一般庶民が潤う体制になっていなければ、その恩恵が社会に行き渡らないことになる。結局のところ、大企業や富者に応分の負担を求め、中間層を育成し、低所得層の底上げを図ることでしか健全な経済は達成されないのである。
 かつてデフレ下で好景気だった時も、従業員の給料は増えるどころか減り続けた。企業は内部留保と配当ばかり増大させてきたからだ。その流れは今の安倍内閣の政策ではとどめる力にはなりえていない。デフレ時代の負の遺産とも言えなくもないが、一度海外進出したものは容易には国内に還流しない。少々のインフレ政策では国内に雇用が戻ることはないし、国内産業の復興もない。グローバル化よりも、日本国民が幸せになるような経済のあり方でなければ意味がないのである。その前提は見失ってはならない。CSR、企業の社会的責任というと企業が安全や環境に配慮しているかが問われるわけだが、それも大事ではあるものの、企業の社会的責任とは、社会全体のために労働条件を改善することだ。
「再びアベノミクスと現時経済の問題点を論ず 四」


 例えば笠井潔や竹内靖雄と言った、「無政府資本主義」ともいわれる人物と竹中平蔵は明らかに異なる。笠井や竹内は市場に「国家権力以外による秩序」や「共生」を見出す。その細部の意見には賛同できない所も多いが、それでも思想を信じるものに通ずる「ある種の美しさ」を感じることができる。しかし竹中にはそれがない。共産主義、ケインズ、新自由主義、アベノミクスとその時の流行に自らを合わせてきた政商ともいうべき存在が竹中平蔵だ。竹中に主義はない。ただ権力への迎合があるだけなのである。

トランプ大統領待望論の対米依存

 古谷経衡氏が対米自立派のトランプ大統領待望論について書いている。(http://blogos.com/article/169061/)

 トランプは確かに日本に米軍基地を置くさらなる代償を求め、それに応じなければ撤退も視野に入れているようだ。対米自立を論じてきた身としては、その実現が案外間近に迫ってきていることに対する期待感もないではない。だが、ふと思うのはこのようなトランプの考えに乗る形での対米自立は、果たして本当に歓迎すべきことなのだろうか、ということだ。

 対米自立は必然的に自主防衛を伴う。したがって自ら国を守る覚悟が政治家にも国民にも求められる。トランプの意向だからということでなされる対米自立には、この覚悟が欠けている。そのような態度で国が維持できるはずがない。

 そもそも「アメリカの意向だから」と言う理由で「対米自立」をするのは本当に「自立」なのだろうか。むしろアメリカに翻弄されて自ら政治・外交方針を決められない、「自立」とは程遠い政治ではないだろうか。
 むしろ吉田茂の時代のようにアメリカに屈従するふりをして経済的利益をせしめようとする態度のほうがはるかに自主的態度に思えてくるから不思議だ。

 日本がアメリカに対し死んだふりを繰り返しながら、対米自立の機会を虎視眈々とうかがい、そんな中でようやく訪れた僥倖であるというならば話は違う。だが実際はそうではない。突然突飛な発言をする大統領候補が現れ、予想に反し大いに支持を得ているらしいと言うだけのことである。

 外圧でしか政治が動かないというのは望ましいことではない。その場の雰囲気に流され、何らの国家意思も、その意志を実現するために周到に準備を行う戦略も、忍耐強く実現の機会をうかがうしたたかさも、今の為政者にはかけらもない。政治は国会議員の不倫および問題発言や、野党の離合集散など、目も当てられぬ状況であるが、それは政治が深刻になっているからではない。むしろ政治が深刻、真剣な性質を失って選挙という名のお祭り騒ぎにうつつを抜かし、与野党で政争ごっこを繰り広げることでかろうじて衆目を引きつけているだけのことである。政府の発言に信用はなく、議会は愚弄され、何ら人々の興味を引きつけるに足りないのである。やむなく政争ごっこで馬鹿騒ぎをしているだけの連中に、国家意思など期待すべくもない。

 対米自立にアメリカの意向など二の次である。まず日本がどうあるべきで、どうしたいのか。それが明快になって手段の議論が始まる。まずはそれすらもできていないという現実を見据えることからではないだろうか。

大アジア主義と政教一致

 私事ながら16日から体調を崩していた。動いたり走ったりする体力はないものの、病気に対する抵抗力は強いつもりでいたが、今回は長引いてしまった。
 自ら言うのもおこがましいが、病床にあっても食欲は衰えたが読書欲は衰えなかったところは良かった。時間もあったので、特に読み込むことができたのは田中逸平『白雲遊記』(論創社)と田中逸平研究会編『近代日本のイスラーム認識』(自由社)である。

 田中逸平は明治15年生まれで日本人イスラム教徒の草分け的存在である。田中が『白雲遊記』を著すのと同時期には満川亀太郎が『奪はれたる亜細亜』を、大川周明が『復興亜細亜の諸問題』を上梓する時期に当たる。この三者に共通することは大アジア主義を主張しただけでない。それまでのアジア主義は日本支那印度の関係にとどまっていたが、彼らはそれに加えイスラム圏を「アジア」の問題として捉えたのである。

 田中は、アジアは古来聖人が命を受け、大道を明らかにし、広めてきた場所である。大アジア主義の「大」とは領土の大きさのことではない。道の尊大を以ていうのである。しかし西洋文明が押し寄せることで、智に偏し物欲が人を苦しませている。大道は廃れんとする中、大アジア主義を問うときが来たのであると説く。田中は大アジア主義をアジア諸国の政治的外交的軍事的連帯に求めない。はたまた白人に対する人種的闘争にも求めない。大道を求め、それぞれの文化で培った伝統的思想(「古道」)の覚醒に努めるべきだというのである。日本においては「神ながらの道」がそれにあたるという。田中はイスラムにもその「古道」が流れているのを感じ取ったのである。

 伝統的信仰を取り戻し、侵略者を追い払うことを通じて、立国の精神を共有することが大アジア主義の志であった。それは必然的に政教一致の政体を模索することにつながるであろう。

 そもそも政教分離とは政治と結びついていた教会に反発したプロテスタントが聖と俗を分離し、あるいは市民革命以降の近代西欧国家で既存の境界と結びついた権力を打倒することで確立していったものだ(もちろん国によって複雑な歴史的経緯をたどっている)。政教分離が確立されたことに因り、政治は世俗化し、世界全土にその影響を及ぼすことができるようになった。もちろんカトリックももともと普遍(「カトリック」の語源)を謳う宗教であり、国籍にとらわれるものではないが(その意味ではイスラム教も仏教も儒教も普遍を謳う宗教だ)、世俗と宗教との関係が切れたことで世俗権力は自由に動き回ることができるようになった。もちろんプロテスタントも帝国主義政策に加担しているから完全に逃れたわけではない。

 いずれにしてもその頃より宗教の力は弱くなり、政治に限らず諸事世俗化が進むこととなった。世俗化した世の中は「欲」「利害関係」によって統合されるよりない。それを打破しようとしたのが大アジア主義である。政教分離と言っても政治とは「まつりごと」であり、宗教と切り離せることは絶対にない。

 おそらく大アジア主義は具体的には帝国主義への反発、現代においてはグローバリゼーションへの反発を意味しようが、それにとどまらぬ趣をも含んでいる。それは政教分離原則のもとあまりにも世俗化し過ぎた政治や経済の問題でもあるが、より根本的にはわれわれの生き様の問題である。気づけば世事に追われ、自らの一身より大いなるものに思いを馳せない生活が続いている。「俗中の俗」(村岡典嗣)は休みなくわれわれの日常をさいなむが、その中でも過去・現在・未来を貫く一本の流れに対する敬意と参与を志す、「俗中の真」を忘れずにいることは政局などよりもはるかに重要なことである。
管理人について

陸羯南翁


中田耕斎

昭和六十年生まれ。明治期の国民主義者、陸羯南(くがかつなん・写真)の思想に共鳴する。戦前日本の国粋主義に興味を持つ。
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