歴史と日本人―明日へのとびら―

日本という国は、悠久の歴史を持つ国である。 この国に生まれた喜びと誇りを胸に、本当の歴史、及び日本のあり方について考察してみたい。 そうすることで、「明日へのとびら」が開かれることだろう。

ご譲位のお言葉に関して―「皇室令」「宮務法」の体系を復活せよ―

 本年八月八日、今上陛下がご譲位のご叡慮を示されたが、そのお言葉を享けて、いわゆる保守派を中心にある種の「困惑」があったように思われる。その一つの要因に、陛下が「天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したい」とされていながら、摂政の設置を明確に退けられている点にも表れている。というのも、多くのいわゆる「保守派」は、有識者会議を見てもわかる通り、陛下のご譲位に向けたお言葉が発表されるようだ、というニュースが流れても「摂政を置くということでよいのではないか」という程度の認識でしかなかったからだ。もちろんわたしも例外ではなく、不明を恥じなければならない。やはり陛下が当用憲法における天皇の地位、権限にあれほど配慮されていながら、それでもなお摂政の否定に言及されたのは、深い意図があると理解すべきではないだろうか。しかし陛下はその「深い意図」を公にはされないであろう。したがって拝察申し上げるよりないのであるが、不勉強なわたしにはそれも難しく、述べられることは限られているが、二、三書き残しておきたい。

 すでに多くの識者に指摘されているのが、陛下は宮中祭祀の削減への対策として、ご譲位を決断されたのではないか、ということだ。戦後、GHQは当用憲法において天皇を「国民統合の象徴」とし、その地位を「国民の総意」に基づくとしたうえで、神道や日本神話との関係を絶つことに血道をあげた。その一つに「神道指令」があり、その結果宮中祭祀は国家的儀礼から、「天皇家の私事」へと変更された。
 変えられてしまったのはそこだけではない。皇室典範は、戦前は憲法と並立した存在であったが、戦後は憲法下にある一法律に改められた。なおかつ、皇室典範の下位にあった天皇や皇室に関する法律、いわゆる「皇室令」「宮務法」はことごとく廃止されることとなった。「皇室令」は皇室、家族等に係る法律の総称で、帝国議会は関与せず定められた一連の法体系のことを指す。具体的には、「皇室会議令」、「摂政令」、そして「皇室祭祀令」などがある。「皇室祭祀令」は祭祀の日にち、儀礼等について定めたものである。宮中祭祀は「天皇家の私事」とされたために、公務としての法的根拠をGHQに失わされているのである。
 昭和天皇の御代の最後期には、宮内官僚が暗躍し、祭祀を簡略化、形骸化、廃止すべく動いていた。それへの対抗策として昭和天皇もたびたび「ご譲位」を口にされていたという。平成の御代になっても、今上陛下が体調を崩された際に真っ先に削減されるのは宮中祭祀であるという。
 これらの事象は、官僚がイデオロギー的に宮中祭祀を疎ましく思い、廃止に走ったというだけではない。既に述べたように、皇室の「私事」としてすでに公務としての法的根拠を失っている宮中祭祀は、法的根拠のある他の公務より軽んじられるのは、官僚が機械的に事務作業を行うだけであったとしても、有りうべきことなのである。宮中祭祀は皇室と国民の信仰的、精神的結びつきを考えるうえで欠くべからざる行事であるが、このようにして徐々に形骸化されつつあるのである。
 ところで、有識者会議では一部委員が「摂政」を提案しているわけだが、しかし摂政に関する規定も戦前の宮務法にあったにもかかわらず、それが失われているということは、摂政を設置することは法整備を行わなければ実質的にできないということである。現状、摂政は「公務を代行する」という程度の規定しかないが、戦前の宮務法では、「摂政は憲法改正の発議ができない」など、天皇の権限との違いも明確に定められていた。そうした体系が閉ざされてしまったのである。

 このたびのご譲位の思し召しは、陛下の健康問題に矮小化して捉えられてはならない。それらは単なる引き金に過ぎない。戦後ほとんどの日本国民が見て見ぬふりをしてきた皇室に関する法制度の破壊が、これほど問われている事象はないのである。戦後日本人が伝統の保持を皇室にのみ押し付け、GHQに毀損された法制度は触れず、経済成長に邁進してきたツケが噴出したのである。
 この問題は摂政でも特措法でも解決できる問題ではない。また、単に陛下のご意志でご譲位を可能にするだけで解決する問題でもない。日本人にとっての皇室を改めて確認し、法制度としては皇室典範を戦前のように憲法の外に出た存在として位置づけなおし、宮務法の体系を復活し、当用憲法の破棄ないしは無視が必ず必要となる。そのうえで、ご譲位を可能にするのであれば、宮務法の体系に、戦前にはなかった「太上天皇」の規定を設けなければならないのである。もちろん「摂政」を置くという選択をしたとしても同様である。

 既に述べたように、宮中祭祀は、さまざまな変容がありながらも、記紀や民族信仰に端を発する、ご皇室と国民の民族的信仰的紐帯というべき最重要事項である。それを歴代陛下や皇族の努力に押し付けることはその性質にふさわしくないことである。今回のご譲位に関する事態でまず最初に議論されなくてはならないことは、戦後における天皇の位置づけの異様さを認識し、それにもかかわらず歴代陛下の努力によってかろうじて伝統を繋いできた事態に深く思いを致したうえで、「皇室令」「宮務法」の体系を速やかに回復すべく制度を整えることである。

本を買う悦び

 先日、久々に池袋のジュンク堂を訪れた。ジュンク堂は比較的学術的な専門書も多く取り揃えており、ここを訪ねて関心のある分野の書架に行き、背表紙を眺めているだけでも大いに刺激を受けることができる。
 ついネット書店に頼ってしまうと、「読むべき本がない」なんて思ってしまう。そうではない。自分が本を探していないのだ。ネットのような検索頼みのツールでは、読書は広がりを見せない。ネット書店は大変便利ではあるが、やはり本屋に行って背表紙を触っていくことがとても大事なのだと気づかされる。本屋に行かないと読書が貧しくなる。

 同じく本を探す悦びを感じることができる場所に古書街がある。古書街をゆっくり散策して、表のワゴンセールから奥の雑然と積み上げられた本まで眺めると、うれしくなってくる。「まだまだ読みたい本がこんなにある。」それだけで生きていける。

 そういえば私生活で嫌なことがあると、いつも大型書店か古書街に行く自分がいる。本の背表紙を一冊一冊触って、舐めるように見回すことで何となく癒される自分がいる。まだ読むべき本がある、まだ自分の知らないことが世の中には山ほど眠っている。そう思うだけで日ごろの嫌なことなどもうそこまで深く気に留めなくなっている。まぁなんとかなるだろう。そんな気持ちになるのである。どうせ世の中は未知で溢れているのだから。気にしたって仕方ないのである。

 本を買うことは一種の娯楽なのだ。私は買った本はすべて読むが、たとえ読まなかったとしても本を買うこと自体に一種の娯楽性が潜んでいる。たいてい本を買うことが好きな人は、本を読むことが好きな人ではあるが、「本を買うこと」と「本を読むこと」はやはり別個の趣味である。「本を買う楽しみ」というものが間違いなく存在するからだ。

 批評家若松英輔氏の父は、晩年目が悪くなり本をほとんど読めなくなっても、本を買い続けたという。それも家計の負担になるほどに買い続けたという。何となくわかる気がする。やはり私も、本を読めなくなったとしても、本を探し、買い続けるような気がする。
 本の存在自体が何か人を癒し、鼓舞する力を持ち続けているように思えてならない。

本土決戦論―敗戦の日を迎えるにあたって―

今年八月に書いた没原稿を掲載する。

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日本人の心

わたしにとって切実に論ずべきこととして心から離れないことは、日本人の心の問題である。経済成長がかくも日本人の心をむしばみ、日本社会を堕落させてしまったことに対するやるせなさである。「インバウンド」とか「爆買い」と言って誤魔化しているが、いまや日本は、外国人の購買力に依存し、彼らの無尽蔵な欲望を満たすことでかろうじて経済を維持しているのである。その意味では、「Tokyo」とか「Osaka」と言った経済圏は、意外にしぶとくその命脈を保つのかもしれない。だが、日本の伝統や、共同体や、民族性はどうだろうか。既に過去の遺物となってしまったのだろうか。
日本人はもう、伝統や先例、因習を頑なに守っていこうという意志を持たない。生活の便利さの追求は世を挙げて行われ、信仰心も薄く、共同体意識も弱い。微弱になった信仰の代わりに、数々の電化製品やレジャーが入り込み、便利ならそれでよし、楽しければそれでよしとなり、国はただの市場と化した。市場は、文化も伝統も民族性も破壊しながら、カネは天下の回りものとばかりに、今日も空転し続けている。
なぜ、いつから日本社会はこのように堕落してしまったのだろうか。そして、われわれがこの堕落から立ち直る方法はあるのだろうか。わたしは、本土決戦にそれを探る鍵があるのではないかと考えている。

本土決戦の経緯と「心法」

昭和二十年夏、わが国の戦局が思わしくない中、軍部は日本本土における地上戦を構想するようになる。國體護持を目的として、大本営を松代に移し、連合国軍の上陸に備え始めた。連合国軍が侵攻してきた場合、出来る限り抗戦して敵の消耗を図りつつ、侵攻してくる敵を日本本土深くまで誘い込んだ上で撃退するというものだ。
昭和二十年四月から沖縄戦が開始され、六月には沖縄がほぼ占領される。七月にはポツダム宣言が出され、降服が現実味を帯びてきたが、はたして國體が護持されているのか不明瞭であったために、国内でも降服すべきか論争があり、受諾しないでいたが、原子爆弾の投下を受けて降服することとなった。
日本の降服に当たっては、断固降服すべきではないという一派が存在した。彼らは戦争の続行を主張し、クーデターを計画したが失敗に終わっている。俗に宮城事件という。彼らはなぜ戦争の続行を主張したのだろうか。クーデターの中心人物の一人である井田正孝中佐の手記がある。長いが引用したい。

国敗れんとするや常に社稷論―すなわち「皇室あっての国民、国民あっての国家、国家あっての国体である」となし、国体護持も皇室、国民、国土の保全が先決なりと主張する。唯物的な国家論―なるものがある。社稷論は敗戦の寄生虫であり、亡国を推進する獅子身中の虫である。
社稷論第一の誤謬は、形式的なる皇室存続主義にある。形骸だけを残して精神を無視するものである。皇室の皇室たる所以は、民族精神とともに生きる点にあるがゆえに、精神面を没却した皇室には、意義も魅力もないことを深く考察すべきである。さらに彼らの出発点は、皇室の名を利用する自己保存であることを看破せねばならぬ。
社稷論第二の誤謬は、機械主義的な敗戦主義にある。開戦に当たっては傍観的あるいは逃避的態度を取り、戦局の推移につれて、第三者の立場から戦争を批判し、国民戦意の喪失にこれ努めたのである。その言うところは皇室の存続であるが、真の狙いは国家の面目よりも、物質的な生活苦ないしは戦争の恐怖に対する利己心以外の何物もない。
さらに戦争を挑発しながら、敗戦主義を指導した一派のあることを忘れてはならない。かくて、社稷論は軍人を除く上層階級に瀰漫し、さらに平泉学派も節を屈してこれに参画するに及び、神州不滅論は大転換を見るに至った。
(田々宮英太郎『神の国と超歴史家平泉澄』180頁からの孫引き)


彼らは皇室も国家も単に存続するだけでは駄目で、「形骸だけを残して精神を無視するものである」ものであり、民族精神とともに生きなければいけないという。彼らは勝算などまるで問題にしておらず、ただ「民族の精神」、「国民戦意」、「国家の面目」を失わないようにするため、戦争の継続を主張したのだ。
桶谷秀昭は「本土決戦といふのは、一億総特攻の思想であり、日本国民の生命のすべてを挙げるだけでなく、日本列島そのものを特攻とする思想である。/これは戦術とか作戦構想の名にあたひするであらうか。それは戦法といふよりは心法である。」(桶谷秀昭『昭和精神史』587頁、/は改行)と評している。本土決戦は作戦の問題ではなかった。後に残された日本人の精神(=「心法」)の問題である。
本土決戦以外にも、作戦の問題ではなく後に残された日本人の精神の護持を目的として立案されたものに、特攻がある。特攻作戦の発案者とも言われる大西瀧治郎は「この神風特別攻撃隊が出て、しかも万一負けたとしても日本は亡国にならない。これが出ないで負ければ真の亡国になる」「ここで青年が起たなければ日本は滅びますよ。しかし青年たちが国難に殉じていかに戦ったかという歴史を記憶する限り、日本と日本人は滅びないのですよ」と言ったという。大西のこの発言は、軍事的効果のみを考えたのでは全く理解することはできない。しかし、戦闘の勝敗を超えた「日本人の存続」を考えたとき、どうしてもなされなければならぬ作戦であった。

戦後、茫然とした日本人

結果として言えば、本土決戦は沖縄を除いてなされなかったと言ってよい。それが現在まで残る沖縄の「捨て石にされた」という意識の所以であろう。
沖縄戦は凄惨な持久戦となり、多数の犠牲者が発生した。沖縄にのみ自国民と領土を犠牲にする選択を負わせる結果に終わったことで、戦後、沖縄は本土が主権を回復した後もアメリカに占領されることとなり、今も多くの米軍基地が残ることとなった。それ以上に問題であることは、現代の日本人がこうした経緯にほとんど無自覚なことである。特攻は後生の日本人のための貴い犠牲だと考えることはできても、沖縄に対してもそのような目で見ることができる人は、残念ながらほとんど稀なのである。
戦後の日本人が敗戦により茫然とし、それが落ち着いたときに、まるで敗戦を見ないようにするかの如く経済大国の実現に邁進したことを丹念に取り上げる論客に、桶谷秀昭がいる。
桶谷は「昭和二十年八月十五日の正午」には、敗戦による茫然自失の感覚がかつてはあったが、「この嘘のない純粋な感触の記憶は、やがて戦後の新文学の高い声に吹き消されたかのやうに、人の記憶から失はれた。かういふ記憶を抱いて生きるといふ生き方をしなかつた。/それが日本列島の美しい海浜を埋め立て、石油コンビナアトを建て、経済大国を実現する本能に駆り立てられた生き方であつた」という((「近代日本人と道」『時代と精神 評論雑感集 上』31頁/は改行)。
また、「敗戦時の空白と寂しさがわたしに教えたものは、体制であれ反体制であれ、およそ支配イデオロギーはその中核に決定的な虚偽を隠蔽して、のさばるということである。そしてその虚偽を見抜くのは、すべての橋を焼き、己一個の生存の暗い根底に立ったときである。敗戦時の感慨は、国破れて山河あり、であった。戦後二十五年の今、国は復興して山河は滅びようとしている。公害だけではない。われわれの内なる日本の滅亡である。これがほんとうの滅亡ではないか。」と記している(「八月十五日の記憶」)。
「内なる日本人の滅亡」を問題とする桶谷の議論は、後生の日本人のために本土決戦や特攻が必要だと考えた先人と、深く魂で通じ合っているように思われる。

現代人の心性について

日本は本土決戦を行わず敗戦という選択をした。これは皇室の国民とともにある姿勢、国民の犠牲を避けようとされる叡慮、国民と日本文化さえ残っていれば、日本は必ず甦るという確信と、さまざまな思いの果てに決断されたであろうことは疑いようがない。世界史においてたびたび繰り返された、国王がさっさと亡命してしまう事例などよりもはるかに偉大で崇高な態度であった。しかし物事には裏表があるものであり、やはり本土決戦を行わないことによって、「生き延びられればそれでよい」という観念を植え付けはしなかったか。醜の御楯となる誇りは忘れ去られてしまい、現代人はいきなりその感覚を取り戻すのは難しくなってしまった。少なくともその感覚を持てない自分を恥じ入ることから始めなくてはならない。
「特攻隊員の犠牲のおかげで今の経済発展がある」と言われることがある。坂口安吾ではないが、「嘘をつけ! 嘘をつけ! 嘘をつけ!」と叫びたくなる。特攻隊員は、家族、故郷、生まれ育った自然のために命を散らしたのであって、その故郷を荒廃させ、自然をショッピングモールに変えた我々の堕落した生活なんぞのために命を散らせたのではない。特攻隊員は、我々が豚のように肥え太るために命を散らせたのではない。われわれはむしろ、祖国のために命を懸けた彼らを裏切ることで日々を生きている。その罪悪感から逃れることはあってはならない。
靖国神社は信仰的施設である。信仰とは特定の宗教を指すものではない。信仰とは己の一身を超えた大いなるものへの帰依である。靖国神社に宗教性があるかどうかは何とも言い難い。国民儀礼とも言えるからだ。しかし間違いなく信仰性はある。信仰とは先人の声を聴き、己の生き様を省みることである。その意味で靖国神社はまさしく信仰的な施設である。靖国神社はむしろ「○○が叶う」と言った現世利益を売りにした宗教施設よりもはるかに信仰的とさえ言えるのかもしれない。靖国神社への参拝は現世利益と言うよりも、むしろ現世否定と言ってもよい。靖国神社に眠る英霊より祖国に献身した人間は、今生きている人間には一人もいないからだ。祖国に献身した生き様を突き付けられ、欲望に塗れただらしない自らの生活を恥ずかしく思い、せめて一つだけでも英霊に恥じぬ行いをしようと努めようと決意する場所が靖国神社なのである。

後生に伝えるべき日本人の魂

日本人が一致団結し、祖国防衛の魂を全霊で発揮しなければならない。そのような危機感を心底抱かねば、独立を維持していくことなど到底できない。形式上の独立は保てるかもしれないが、強国に蝕まれて手も足も出ない姿しか許されないであろう。
強国のどこかに従っていれば、政府や市場は残るかもしれない。だがたとえそこに政府や市場が残っていたとしても、祖国に魂をささげる人が残らなければ、それは死んだ国である。われわれは生きながらえるだけではなく、日本人の魂を後生に伝えなければならないのだ。

書き手になるということ

書き手になることは、書くことを生きることの中軸に据えることである。人は誰でも、心のうちにあることを真剣に書き記そうとするとき、書き手に変貌する。
逆に、どんなにたくさんの書物を世の中に出していたとしても、自らの心の奥底にあるものとの出会いから逃れようとする者は、ここでいう書き手ではない。
文字を書く人は無数に存在する。しかし、書き手が同様に存在するわけではない。魂の言葉を世に顕現させたいと願ったとき人は、はじめて書き手となる。
(若松英輔『生きていくうえで、かけがえのないこと』31頁)


当時一大学生だったわたしがこのブログを始めてから10年が過ぎた。自分なりにまじめに考えたり、調べたり、言葉を紡いできたつもりである。だがわたしがやってきたこの程度のことはしょせん独りよがりというか、他人からしてみたら取るに足らない努力に過ぎないのではないか。そんな不安も同時に持ち合わせている。

わたしは書くことを本当に生きることの中軸に据えてきただろうか。書きたいことを文字に残すために、文字通り身を振り絞って、寝る時間をも惜しむように取り組んできただろうか。

おそらく性格的には、毎日コツコツ体を壊すほどの無理はせずなすべきことを少しずつ進めていく方が性に合っている。何時間寝たか寝なかったかなどは自己満足の世界であり、何の関係もないことだとも思うこともある。だが、それでも自分には全霊を傾けているのだろうか、と劣等感にさいなまれる。

ただ、読むことと書くことなしの人生を生きなさいと言われたとしたら、そんな人生に希望も喜びも何も感じられないだろうということも確かなのだ。

アマゾンレビュー「ルポ ニッポン絶望工場」

本日紹介するのは出井康博の『ルポ ニッポン絶望工場』である。私がアマゾンに書いたレビューを引用する。

外国人を酷使し、見捨てられる日本

日本にも他国と同様、多数の外国人が「移民」として流入している。しかし政府は公式には移民政策をとっていない。彼らは「留学生」や「研修生」という名目で日本に入ってきている。これが非人道的な低賃金労働の温床となっている。
彼らを酷使する日本企業は無論、現地の業者、日本語学校などが彼らを送り込み、ピンハネをしている実態も描かれている。
彼らがこの構造に気づいたとき、日本人を恨み、「反日」化して日本から去っていく…。
一説には欧米で繰り返されるテロ行為はこうした低賃金労働による「恨み」が大きな影響を与えているとも言われるだけに、この問題は看過できるものではない。
一般の日本人にも無縁な話ではなく、彼らが超低賃金労働で働かされていることは日本人労働者の賃金の下降圧力にもなっている。
もはや現代日本の生活は彼ら超低賃金外国人労働者の存在なしには成り立たない。
しかしこの生活は法や人道を公然と無視する労働環境によってまかり通っているのであって、われわれは今の「豊かな」生活なるものを根本的に疑ってかかるべきではないだろうか。
ヒトモノカネが「自由」に行きかうグローバリズムがゆがみを見せる中で、全く新しい共生の理論が求められているように思う。


ところで「絶望工場」という書名は鎌田慧のルポから来ていると思われるが、鎌田のルポも私は好きである。いわゆる左翼的な論調ではあるが、非正規雇用の問題など低賃金労働の問題点を先駆的に取り上げたことは注目すべきである。

アマゾンレビュー「GHQが恐れた崎門学」

坪内隆彦著『GHQが恐れた崎門学』についてレビュー致しました。
脈々と継承された國體思想の大義
親から子に、師匠から弟子に脈々と國體思想の大義は継承、発展され、ついに明治維新に至った。
本書はこれを証明するために維新志士を鼓舞した5冊の本を取り上げ、その本の内容ばかりではなく、周辺の情報を織り交ぜながら、大義の継承の歴史を描いている。

補論として書かれた原田伊織批判、大宅壮一批判も秀逸で、大義からではなく権力闘争と利害関係からしか歴史を見れない不毛さを論じている。


ちなみに本書で批判している原田伊織『明治維新という過ち』についてもレビュー致しました。
浅薄な幻想史観
著者は今の安倍政権を首相の家系から「長州」とみなし、「長州」に日本が支配されている状況を明治維新に遡って批判している。
だがこれは歴史を見ない(あるいは表面上見たふりをしているだけの)ファンタジーである。
既に戦前においても護憲運動や宮中某重大事件などで「長州閥」は解体させられていた。著者が口を極めて非難する大東亜戦争は「賊軍」の家系を持つ東条英機によってはじめられたではないか。

この本は維新期をダシに安倍政権を貶めようとする意図で書かれたものであり、噴飯物である。
わたしも安倍政権には批判的ではあるが、こういうやり口は好まない。

なお、本書を徹底批判した本に、坪内隆彦『GHQが恐れた崎門学』がある。


原田氏の坪内氏への反論も聞きたいところである。

アマゾンのレビューを書きました 二

またアマゾンのレビューを書かせていただいたのでご報告します。

井尻千男『歴史にとって美とは何か』
本書は井尻の遺稿集である。単行本未収録の論文を集めたもので、主要論文に「醍醐帝とその時代」が挙げられる。
宇多天皇、醍醐天皇の時代を「シナ文化への憧憬」から「天皇親政」「自国文化への確信」への大転換期と位置づけ、摂政・関白の廃止、遣唐使の廃止、古今和歌集の編纂をその時代精神の表れであるとみた。本論文は単に過去の歴史を描いたのではなく、過去を通して國體の大理想を強く訴えかけている。
「醍醐天皇とその時代」の初出は平成二十五年に「新日本学」に掲載されたものである。井尻はその翌年に入院し、平成二十七年に亡くなった。本論文は井尻の最期に遺した論文といってよい。


竹葉秀雄『青年に告ぐ』
学問という「道」
現代人は資本主義的な自己利益の充足に馴れきって、精神の救済を後回しにしている。心ある人でさえ、その主張は単純な政策論議に限定されていて、その奥に潜む魂を問題としない。『青年に告ぐ』は、「使命に生きる」ことを称えた本である。
孔子も、釈迦も、キリストも、ソクラテスも、マホメットも、道元も、中江藤樹も、吉田松陰も皆その青年時代に、内奥の神の声を聞いて、その道に生きた人たちである。哲学と求道は不可分のものである。思想とは単純な論理的正しさを問うだけのものではなく、人格の陶冶、社会の道義的進歩と結びつかなくてはならない。
学問は世界を認識する手段に過ぎないというのが近代科学的態度であろうが、竹葉秀雄にとっては、学問は全身を捧げるべき「道」であった。本書は竹葉のそうした姿勢がうかがえるものとなっている。


藻谷浩介『里山資本主義』
里山から見る新たな価値
資本主義はマネーゲームの域にまで高められ、現実の生活と全く乖離したところで巨額のカネが動くようになっていた。その体制の崩壊がリーマン・ショックだったと言ってよい。本書はそうした認識の下に、里山を媒介とした地産地消の経済を取り上げていくものだ。中でもエネルギーの地産地消の事例は本書でたびたび取り上げられており、エネルギー効率だけを目的とした発電ではなく、その地で取れるもので、環境に負荷をかけることなく発電し、生活する方法を模索している。
今の日本の都市部の経済の仕組みは複雑に入り組んだ流通経路により成り立っているが、ひとたびその流通経路が途絶えてしまうと何一つ生活できないコンクリートジャングルになってしまう。生きるのに必要な水、食料、燃料をお金を払わずとも、完全にとまではいかなくとも、ある程度自給できる社会こそ本書が豊かな生活としてたたえるものである。金銭は所詮物と物の交換に使うものであり、それ以外ではない。しかし資本主義に染まりきった生活では金銭は単なるものの交換手段ではなくそれ自体が一つの価値になって、カネを持つものが持たぬものより立派で上等な人間であるかのような観念が人々に染み付くことになった。だが金銭のみに守られる人生はさもしく、金銭以外のものに支えられる人生は豊かだ。


いずれも本ブログもしくは活字媒体にわたしが書かせていただいたものからの部分的な抜粋です。

アマゾンのレビューを書きました

アマゾンのレビューを書かせていただきました。

まずは坪内隆彦氏の『維新と興亜に駆けた日本人』である。

本書は西郷南洲から内田良平まで、明治〜戦前昭和期に活躍した國體の理想を追求した20人の評伝である。
著者が編集長を務める「月刊日本」の連載をまとめたもので、連載の全体像およびそこからの単行本収録者は著者ホームページで示されている。

著者は、「私利私欲を優先させ、長いものに巻かれ、行動する勇気を持たない。国家の理想を描かず、愛国心を持たず、ただ強い国に阿る。そのような政治家や言論人は、決して本物の日本人ではない。」(はじめに)と強く語る。では著者にとっての「国家の理想」とは何か。「国体の理想の追求はまた、物質至上主義、人間中心主義、競争至上主義といった西洋近代文明のあり方を乗り越えようとする文明戦でもあった。」(同)という。本書は、反共を旨とした戦後の右翼思想に一石を投じるとともに、「国家の理想」を抱いた真の日本人のあり方を戦前の日本人の生き様を通じて描こうとした労作である。


次に同じく坪内隆彦氏の『アジア英雄伝』である。

興亜論者がアジアの志士とともに目指した西洋近代文明の克服。この大理想が完全に忘却され、戦後日本はいまだに対米従属の状況に甘んじている。これは占領政策によって自虐史観と物質至上主義を植え付けられたからだという。つまり日本がアジアと向き合うためには、まず国内維新を必要なのだ。

アジア主義は、アジアの広大かつ多様な歴史、宗教、民族、文化を前提としていないといわれる。だがアジア主義はアジアに一様な共同体を確立しようという動きではない。アジアの多様性を、多様なままにその特色を発揮しつつ、相互に認め合うことを理想としている。本書は歴史人物の評伝でありながら、そのような著者の理想が伝わるものとなっている。

本書はそうした興亜論、対米自立の最良の手引きである。


今後もレビューを書くことがあればご報告いたします。

澁川春海の尊皇思想

本稿はネット検索と私の事前知識だけで作ったものだが、今後文献研究も行い、良いものとしてまとまりそうならしかるべき媒体に活字化すべく努力したい。本稿は下書き、骨子案といったところである。

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澁川春海という人物
澁川春海(しぶかわ・しゅんかい または はるみ)は、江戸時代の天文学者として著名な人物である。また、近年では冲方丁『天地明察』の主人公としても有名であろう。日本で最初に地球儀を作った人物としても知られている。また、囲碁棋士としての側面も知られており、多彩な活躍をした人物である。だが、澁川春海は山崎闇斎から垂加神道を学んだ人間であり、尊皇思想家でもあったのだが、その一面はほとんど忘れ去られているといってよい。本稿ではそうした澁川春海の尊皇家としての一面を紹介したい。
皇紀二二一六年(寛永十六年)、澁川春海は江戸幕府碁方の安井家・一世安井算哲の長子として京都四条室町に生まれた。父の死とともに「安井算哲」の名を継ぐが、年少のため安井家は継ぐことができなかった。二三一九年、二十一歳の時幕府から初めて禄を受けるが、その年にはもうシナで元の時代に作られた授時暦の改暦を願い出ている。その時は、春海の改暦願いは受理されなかったが、春海はシナの暦をそのまま採用しても決して日本には適合しないと主張し、国産の暦の作製に尽力。ついに三度目の上表によって春海の暦が朝廷により採用されて、貞享暦となった。これが日本初の国産暦であった。この功により、二三四五年(貞享元年)に初代幕府天文方に任ぜられることとなった。

暦を作るということ
ところで暦というと、現代人はカレンダーのような実用的なものと思ってしまうが、実用性だけではなく、暦を採用するのは天子の専権事項であった。江戸幕府の圧迫下に置かれていた当時の朝廷においてすら、それは例外ではなかった。即ち春海は幕府の天文方として録を食むも、天使の専権である暦の採用をわが国風に基づいたものにすることに成功したのである。
余談ながら島崎藤村の小説『夜明け前』において、主人公青山半蔵は明治政府の太陽暦の採用に対抗して皇国暦の建白書をしたためるのだが、これも暦というものが単なる実用品を超えた存在であることを念頭に置いての行動である。
天子とは天地を総攬する存在であり、天を司るとは暦を定めるということであり、地を司るとは土地制度を定めるということである。したがって、古来政治においては暦の策定と土地制度は、単なる実用的な政策以上の意味合いを持つことになったのである。
春海は囲碁を打つ時も天文の法則をあてはめて、北極星を中心に天体が運行する発想から、初手は必ず碁盤の中央、天元に打ったという。ところで北極星、即ち北辰も、『論語』に「子曰わく、政を為すに徳を以てすれば、譬えば北辰の其の所に居て、衆星のこれに共するがごとし」(金谷治訳注)とあるように、天子のもたらす理想の統治を示すものであった。即ち、春海にとっては暦も囲碁も、天子を中心とした「あるべき秩序」を立証していく存在に他ならなかったのである。

皇紀のはじまり
神武天皇の即位した年を元年とする皇紀は、明治五年の太政官布告を以て定められた。西暦でいう紀元前六六〇年を皇紀元年とする算定は、この時初めて公式化された。しかし皇紀は明治維新政府が日本書紀の記述を基にこの時突如定めたものではない。その前の江戸時代からの議論の積み上げがあったうえでの公式化であった。
その西暦でいう紀元前六六〇年を皇紀元年とする算定を初めて行った人物こそ、澁川春海に他ならない。春海は『日本長暦』において、日本において暦が施行された以降の全ての暦を参照し、神武天皇即位紀元まで遡り暦法を作成した。春海は垂加神道の説に従って、古暦復元と貞享暦編纂の意義を説いたのである。後に本居宣長は『真暦考』で、古来の日本にそのような日時の意識は無かったと批判しているが、おそらく春海にとってそのようなことは大した問題ではなかったであろう。北辰(=天皇)を中心として天体が運行し、その秩序を以て時が定まることを立証することが目的であったに違いないからである。
春海の『日本長暦』に刺激され、様々な人物が『日本長暦』を補完、訂正し、日本古来の暦を充実させていった。藤田幽谷は、『暦考』の中で日本の最初の暦の頒布を、推古天皇十二年の元嘉暦(当時百済で採用されていた暦)導入とする説を唱えた。

おわりに
既に本文中にも述べた通り、澁川春海の事跡を想うに、天子を中心としたあるべき秩序を立証すべく奔走したと考えられる。春海にそのような強い尊皇思想をもたらしたのは、山崎闇斎の垂加神道と考えてよいであろう。

生命の希薄化

 啓蒙的な合理主義によって世の中が進歩していき、発展していき、幸せになっていくー近代社会が描いた未来像である。それを達成するために、合理主義の名の下にまず信仰が「迷信」とされた。次に芸術が解体され、学問は実証可能なもの以外は排除され、文学や音楽は売れ行きだけがそれへの価値を示す指標となった。歴史が権力闘争と利害関係の織り成す群像劇に置き換えられていくのと同時に、人々が真に仰ぎ見る正義を貫いた姿が見えにくくなった。その合理主義の究極が、国家を解体するグローバリズムである。だが、グローバリズムの破綻と金融工学の失敗は、われわれに合理主義の限界を教えた。むろん、合理的な態度は冷静な判断をもたらすと言う意味で人間に必要なものだ。捨てられるべきは合理主義以外のいかなる発想をも打ち捨て、未開野蛮時代遅れとみなす態度であろう。

 イスラム原理主義はそれら合理的世界観へのアンチと見られる事がある。だが、彼らもジハード以外に信仰的価値を見出せないある種のニヒリズム的心情を抱えている。さらに言えば彼らのルーツは、ソ連に抵抗するためにアメリカが育成した集団である。アメリカとイスラム原理主義もまた、同じところに起源を持っている。

 国家と、伝統的に培った信仰とが巧みに共存し、人々の精神的安寧をもたらす世界観は、なかなか現代で想像しづらくなってしまった。わが国では伝統的に民俗信仰による共同体的国家観を培ってきたと言える。しかしそのわが国ですら、ビジネス文化と外国人労働者の流入なくして回らない経済が、共同体的国家観をはぐくむ事を妨げている。今こそ日本の伝統の古層に還り、自ら培った世界観を取り戻す事が求められているにもかかわらずである。

 神武天皇は八紘為宇を宣言し、それがわが国の建国における大きな精神のひとつとなっている。八紘為宇はナショナリズムではない。しかしすべてをまぜこぜにするグローバリズムでもない。「各其処を得る」、すなわちすべての民族がその培った伝統を発揮し、共存していくことである。相互理解の下に各住む領域を定め、共存していく事ではないだろうか。

 最初に書いたとおり、合理主義による近代社会は人間を真に鼓舞する、生命の源を希薄化させてしまった。それへの批判精神を持った上で、新たな理想を提示しなければならない。それこそが「八紘為宇」の世界観である。新たな大理想を描き、それへの実現に努めることがわれらの使命ではないだろうか。
管理人について

陸羯南翁


中田耕斎

昭和六十年生まれ。明治期の国民主義者、陸羯南(くがかつなん・写真)の思想に共鳴する。戦前日本の国粋主義に興味を持つ。
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