歴史と日本人―明日へのとびら―

日本という国は、悠久の歴史を持つ国である。 この国に生まれた喜びと誇りを胸に、本当の歴史、及び日本のあり方について考察してみたい。 そうすることで、「明日へのとびら」が開かれることだろう。

蓑田胸喜の政治思想―国家は改造できない―

『論語』の有名な一節に「子曰く、学びて時にこれを習う、またよろこばしからずや。朋遠方より来る有り、また楽しからずや。人知らずして恨みず、また君子ならずや」というものがある。学んだことが自らの血となり肉となることはなんて喜ばしいことか。人に知られていないからといって恨んだりしないのが君子ではないか、という最初と最後の一節はわかる。だが真ん中の説で友達が遠くから訪ねてくるのは楽しいですねとは当たり前すぎるのではないか、と言われる。遠方から来る「朋」とはいったい誰なのだろうか。
本を読んでいると著者の言葉によっていままでもやもやとしていた感性が、何かに導かれるように確固たるものになっていくことを感じることがある。そんなとき、著者が目の前に現れてきて、教えを受けているかのような気持ちになることがある。その師は、場所はおろか時代をも同じくしていなくとも、人は言葉で誰かとつながることができる。それこそが「朋」が遠方よりやってきた瞬間なのだろう。だとすれば、最後の、人が自分のことを知らないからと言って恨まないのが君子ではないかという章句にもまた違った解釈が生まれ得るのではないか。つまり今の自分が誰からの理解も得られず不遇だったとしても、自らの考えを言葉にさえ残しておけば、遠く離れた誰かが、百年先、千年先の誰かが自らの価値を拾い上げてくれるかもしれない。だから恨まないのである。その可能性だけを信じて世俗の栄達よりも己の言葉を残し続ける人間。それはまさしく「君子」ではないだろうか。
同じく『論語』に、「徳は孤ならず。必ず隣りあり」という言葉がある。徳を持つ者には必ず味方が現れるという意味だが、これも同じく、なぜ徳は孤立しないのか。遠い過去に、そして遠い未来に、この広い世界のどこかに、必ず自らの徳に共鳴する人物がいるからである。目先の私欲ではなく、百年前の人物から学び、百年先の同朋に語りかける。まさに君子のみがなしうる仕事ではないか。それを目標としたとき、必ず人間の在り方から議論を出発させなければならない。目先の制度など、はるか先にはどうなっているかわからないからだ。

制度を論じるものは必ずスローガンで人を籠絡しようとする。だが、スローガンなんかでは人は変わらない。表面上動いたふりをするだけである。真の自覚がなく、制度だけ変更して何かをなし得たかのように満足しているようでは駄目なのである。
本当の問題は、制度や構造といった無機質なものにあるのではなく、人間そのものにある。人間の在り方を問うことなしに現代社会の問題を抉り出すことなどできない。制度の変更を主張すれば、それは「わかったつもり」になるかもしれないが、制度を変えるだけでは国家が真に健康を取り戻すことはない。

蓑田胸喜という人物がいた。人は彼を悪しざまに罵り、「狂人」と言った人もいた。だが、本当にそうだったのだろうか。「狂人」は極端な例としても、蓑田を煽情的な言論ばかり述べていたような人物であるとの評価は数多くなされてきた。なるほど蓑田の言葉はたしかに煽動的な言葉遣いが多かった。だが、それに囚われて蓑田の本当の思想になかなか気付けなかったのは、人々がいかに世俗の栄達、力関係に汲々とさせられているかを思い知らされる。
保田與重郎の自叙伝と言える『日本浪曼派の時代』のなかに蓑田胸喜について触れている箇所がある。
有名な慶大教授の蓑田胸喜氏は、東大で哲学を専攻した学者だが、ある時私に、我々は経済学を学ばなかつてよかつたねといつた。経済学をやるやうな人間は、みな人がらがいやしいと極言して嘆息された。そのころの東京大学経済学部の教授たちをながめて、この批評が当つてゐると、私は思つた。そののちの戦中戦後のその人々の世渡りぶりを見て、私の心は滅入つた。蓑田氏については私はよく知らないが、戦後にこの人を非難罵倒することによつて、自己弁護をしたやうな多数の進歩主義者の便乗家とはちがつて、私の印象では清潔な人物だつた。極めて頑迷固陋といはれたが、筋が通つてゐた。勿論日本浪曼派とは無関係な人である。ずゐ分困らされたといふ人がゐるときいたが、世間栄達に無関心なものなら、何も困る必要はない。世渡りの妥協を自他に顧ない人で、世間の世渡りの思惑を無視する人があるものだ。困らされる人が、本当の学者なら、困るといつてはならぬ。文士とか政治家とは、みなさういふ超世間的のものだ。しかし世間なみの公務員や会社員の職をおびやかすやうなことには、よほどの思慮がなくてはならぬが、文士同志学者同志では、さういふ世俗の思慮は無用でよい。教授の職より学を愛することの出来る人なら、蓑田氏を怖れる必要がなかつた筈だ。権力地位より正論に謹んだ人で蓑田氏を怖れた例を私は知らない。『保田與重郎全集』第三十六巻193頁。旧字体を新字体に改めた。
これほど蓑田を正面からまともに評した人は他にはいないだろう。蓑田は己の主張に一本筋が通った人で、ときに論証が至らぬままに早急に結論を出しすぎていると感じる部分もあるが、それは文章を書くものなら誰でも陥る可能性のある範囲内であり、決して狂人扱いされるものではなかった。
例えば立花隆は『天皇と東大』で蓑田を、狂信的に赤狩りを行ったといった類の評価しかしていないが(下巻55頁等)、蓑田胸喜の思想は全くそういうものではない。片山杜秀が「彼らには彼らなりの批判の論理が一応あったのであり、その思想排撃の論説の中には、今日もなお読み込むに値するものがある」から、「どうして「戦時中の一時期の悪夢としか言いようのないもの」とまとめて片づけてしまうことができようか」。と言い、蓑田の思想をその師三井甲之とともに「天皇の存在する日本は何もせずともそのままでよい国のはずで、どこが悪いからいじろうとか、体制を変革しようとか、余計なことを考える必要はないということである」と評して、彼らが左翼だけではなく北一輝や大川周明、権藤成卿も激しく批判していることに注目している(『近代日本の右翼思想』93〜97頁)ように、蓑田は決して単に赤狩りをしていたわけではないし、東大への私怨によるものでもない(こともあろうに東大で反国体的教説がなされるとはけしからん、と思っていたことは確かだろうが)。
ちなみに片山は蓑田の思想を、天皇の存在する日本はこのままで良い国だから体制を変革する必要はない、という考えだと単純化して述べている。たしかに蓑田は左右に関わらず体制を変革する思想を攻撃し、「マルクス主義である」と決め付けたが(蓑田にとっての「マルクス主義」とはカール・マルクスの思想と言うよりは現行の秩序を乱す思想の象徴であっただろう)、現状にまったく問題がないと思っていたわけでもない。蓑田は反共的であったが、いわゆる資本主義的な発想を擁護したわけでもないし、資本主義の進展により貧者が生活難に陥っている事態をよしとしたわけでもない。蓑田は言う。「筆者がかくいふ(=国家社会主義批判の中で私有財産制度を廃止することの不可能性を説いた)のは、断じて『私有財産制度の神聖不可侵』を説かんとするものではない。かかる観念はことに日本の国法上には本来ないのである。帝国憲法第二十七条に曰く、『日本臣民ハ其ノ所有権ヲ侵サルルコトナシ公益ノ為必要ナル処分ハ法律ノ定ムル所ニヨル』」と。而して伊藤公『憲法義解』は右後に註していふ、『所有権ハ国権ニ服属シ法律ノ制限ヲ受ケサルヘカラス…無限ノ権ニ非サルナリ…各個人民ノ所有ハ各個ノ身体ト同ク国権ニ服属ノ義務ヲ負フ者ナルコトヲ認知スルニ足ル者ナリ』『公益ノ為ニ必要ナルトキハ各個人民ノ意向ニ反シテ其ノ資産ヲ収用シ以テ需要ニ応セシム此レ即チ全国統治ノ最高主権ニ根拠スル者ニシテ而シテ其ノ条則ノ制定ハ之ヲ法律ニ付シタリ』『普天之下莫非王土、率土之浜莫非王臣』―これ実に林氏らの希求せる『国家社会主義』の最高の理想的原理ではないか? 何を苦しんで西欧起源の『国家主義と社会主義の結合』といふ如きつぎはぎものを模索するの要あらん。われら日本国民は帝国憲法を遵守することによつて、資本主義または私有財産制度の弊害はこれを公然論議しまた合法的に改革し得るのである」(『蓑田胸喜全集 四巻』767〜768頁)。蓑田のこの帝国憲法解釈は拡大解釈であろう。だがあえて帝国憲法に即して論じているところに蓑田の思想的特徴がよくあらわれているように思えてならない。

日本文化は、混淆の文化ともいわれる。岡倉天心が「シルクロードの終着駅」と呼んだように、アジアの様々な文化が日本で溶け合い、さらに、明治維新頃からは西洋の文化をも取り込んだ。これを雑種の文化と呼ぶ人もいる。だが、世界に於いて雑種ではない文化など存在しない。そして、雑種の中にも異文化を取りこむ芯がなければ、異文化に飲み込まれて、日本は今の姿を保てていなかっただろう。その芯とは何かを考え続けた人物の一人に、蓑田胸喜がいるのではないだろうか。
竹内洋は蓑田やその師三井甲之について、こう述べる。「明治の知識人にとって、西欧は外側にあるぶん和魂洋才がありえた。しかし、しだいに西欧は知識人の身体文化となった。西欧は知識だけでなく、風物にも食い込んだ。しかるに満州事変の勃発もあいまって、人々は民族のアイデンティティを求めざるを得ない。そうした時代に、本郷知識人のアウトサイダーであった蓑田や三井は、帝大教授の身体に洋魂洋才(「半西欧人」)の生ける凝縮つまり万悪の根源をみる」(「帝大粛正運動の誕生・猛攻・蹉跌」『日本主義的教養の時代』44頁)。
蓑田胸喜は親鸞や山鹿素行などを多く引用し、しかも非常に好意的に評価している。思うに蓑田は仏教という外来思想を日本化した親鸞を称揚し、儒教と言う外来思想を日本化した山鹿素行を称揚したのであろう。西洋思想は誰であろうか。蓑田は自分であるという自負があったかもしれない。すでに「原理日本」最初の号に書いた「高畠素之氏の「反訳思想」」においてこう述べているのである(ちなみに「反訳」とは「翻訳」のこと)。「東洋文明の摂取に当つてもその過程には単なる反訳模倣時代と人物とがあつたけれども、日本人はそれに止らず進んで創造的開展を与へたのであつた。儒教仏教によって代表される印度支那の東洋思想は先には聖徳太子によつて、後には親鸞素行によつて折伏摂取されてしまつたので、日本の仏教と儒教とは本来の意味での仏教儒教ではないもになつたのであつた。若しさうではなく日本が何処までもそれらの東洋思想に反訳模倣的態度で終始したであらうならば、日本もまた印度支那と同一の運命に陥つてをつた筈である。さうならなかつたところにこそ日本精神日本思想に「東洋一の美点」ともいふべきものが潜んでいるので、真の日本精神は「知識を世界に求め」つつ「大いに皇基を振起」し来つたのである。それが日本精神に独自のものであつた」(『蓑田胸喜全集 一巻』269頁)。長々と引用したが、ここには日本思想の優越が語られる一方、外来の排除とも無制限の需要とも違う、蓑田の外来思想に対する考えがよくあらわれている。

三井甲之は昭和二十年七月、「天壌無窮必勝の信念」と言っているだけではダメで、「億兆一心義勇奉公」を果たさなければ、という当時の意見を明確に否定した。何よりも「天壌無窮神州不滅」であることを確信することが先決であり、「億兆一心義勇奉公」はそれに伴う結果でしかなかった。それは「億兆一心義勇奉公」によって「天壌無窮神州不滅」を達成しようという平泉澄らの議論とは対立するものであったという(昆野信幸『近代日本の国体論〈皇国史観〉再考』7頁)。「観念右翼」の面目躍如と言ったところであろうか。
なるほどこういう議論を眺めていると、三井や蓑田は「天壌無窮」「神州不滅」をひたすら叫ぶだけの狂人として理解されかねないだろう。だが、彼らの議論が常に人間の在り方から出発していることを忘れてはならない。彼等は自らの思想の実効性など気にしているわけではない。百年前、千年前の先人から声を聴き、百年先、千年先の日本人に働きかけている。「億兆一心義勇奉公」を重んじたとき、それは「現実的」のようでいて、実はその目線が「今」にしか向いていない。時空を超えた長い目で見たとき、「天壌無窮」「神州不滅」と「億兆一心義勇奉公」のどちらが上位の概念化と言えば、「天壌無窮」「神州不滅」に決まっているのである。
三井や蓑田は親鸞の絶対他力の思想に傾倒していた。人為的に世の中の在り方を変えようなど自力救済の不遜極まる行為である。天皇のもとにある「あるがままの日本」を深く自覚し、それに身をゆだねることで一体となっていく。それこそ悠久の大義に沿う行為なのである。
三井や蓑田は百年前、千年前の先人から声を聴き、百年先、千年先の日本人に働きかけることを目指していたに違いない。それがなかなか理解されない時に、彼等はその苛立ちをもっとも煽情的な言葉で表現したのではないだろうか。

平泉澄や崎門学などの考えでは日本の国体が無窮であるということは、皇室や国民のたゆまぬ努力によって支えられてきたのであって(「億兆一心義勇奉公」)、そのまま与えられたものではないという観点に立つ。それは確かに細かく見れば三井蓑田の世界観と対立するものであっただろう。だが一方で、大きく見れば三井蓑田も「億兆一心義勇奉公」を否定したわけではないという点で両者に大きな違いを認めることはできない。三井蓑田はまず「天壌無窮神州不滅」の深い確信を求めたのであって、それのない中での「億兆一心義勇奉公」の奨励はつまらぬ制度変革の議論に終始しかねない。それでは西洋思想に毒されたわが国の社会科学的知識を改めるには至らないどころか、むしろ悪化させることになりかねないのである。多文化を包摂した日本。それはアジアの各思想から、明治維新後は西洋思想にまで及んだ。しかしその中には一本貫く中心がある。その主体なしに外国の文化文明を取り込むことなどできようはずがない。その中心こそ「天壌無窮神州不滅」である。その中心への深い確信なくして如何なる議論も始まるはずがない。

細かい議論の際は置いておいて、戦前昭和の時代は人間の生死の問題や如何にして生きるのかという問題がそのまま政治的大義に直結する時代であった。ここでいう「政治」とは「政権」とか「政局」の意味ではなく、「政治思想」の意味である。例えば林房雄は『青年』で、次のように言うのである。
「人間のすべての社会的活動を、その努力を、その創造を否定するならば、人はただ、生まれ、食べ、交尾し、子供をうみ、そして死ぬてんとう虫と異なるところはない。だが、人間はてんとう虫ではない。人間を「万物の霊長」と称する古典的解釈は、けっしてまちがいではなかった。虫は自然の意志のままに生きそして死ぬ。人間は自然の意志に従うと同時にこれに逆らって、生き、死に、しかも、ついに大自然の意志を完成するのだ。
大義のために死し、わが名を青史に列ねようとする努力―これこそ人間として誇りうるただ一つの人間的努力である。自分はまちがっていなかった。迷う必要はない。」(『現代日本文学館28 林房雄・島木健作』112頁)

なお、三井や蓑田、あるいは平泉澄も含め戦前には天皇親政論者が多かったが、蓑田も含めた天皇親政論者が天皇の独裁を主張しているかのような誤解もいまだに多い。上杉愼吉は「国体に関する異説」で「仮令心に君主々義を持すると雖も、天皇を排し人民の団体を以て統治権の主体なりと為すは、我が帝国を以て民主国なりと為すものにして、事物の真を語るものに非ずと為すのみ」と言う(『近代日本思想体系33 大正思想集機6頁)。あるいは蓑田胸喜は「帝国憲法第十条に曰く『天皇ハ行政各部ノ官制及文武官の俸給ヲ定メ及文武官を任免ス』と。(中略)行政法を講ずるもの、その直接の第一依拠を本条に求めざるもの一人としてなきにも拘らず、美濃部氏を始め従来殆どすべての行政法学者は異口同音に『行政権の主体は本来国家である。』の語を以てその論理を進むるのである。これいふまでもなく憲法論上に於ける『国家主体・天皇機関説』の行政法論へのそのままの適用である。即ち、『統治権の主体』を以て国家となすの結果、その統治権の一成素たる『行政権の主体』も亦国家なりとするのである」(蓑田胸喜『行政法の天皇機関説』原文旧字、蓑田胸喜全集第六巻231頁)という。
両者がここでこだわっていることが『統治権の主体』という言葉であることに注目したい。「統治権の主体」即ち「主権」なのだが、現代風に言い換えれば、政治の正当性あるいは正統性の所以ということではないだろうか。なぜ政府は行政的命令を国民に発する権限があるのか、その由来は天皇ではないのか、単に国民としてしまってよいのか、と問うたのである。あるいは、行政官は天皇に任命されるが、それは天皇が大権を持っているからではないのか。大権を持っていないものがどうして任命できるのか、と問うたのである。
蓑田胸喜は「天皇親政といふことほど西欧に所謂独裁政治と遠きものはない」という。天照大御神も八百万の神の意向を確認し、孝徳天皇は臣下と共に治めたいと欲せられ、明治維新の際には万機公論に決すとされた。独裁は天皇みずから取られなかっただけではなく、国家機関(=政府)にも許さなかったことを強調した(「天皇親政と輔弼機関の分化重層」『蓑田胸喜全集』第六巻964〜966頁)。蓑田は決して議会が存在することを否定していない。議会が政党に私物化され浅はかな民意が大手を振うことに嫌悪感を示したのである。天皇親政論は天皇独裁論ではない。

蓑田胸喜を「全体主義者」「ファシスト」とレッテルを貼って片づけようとする議論も後を絶たない。だが先ほど蓑田が「天皇親政といふことほど西欧に所謂独裁政治と遠きものはない」と論じていたことを引用したように、当然と言えば当然だが、蓑田もまた独裁政治を厭う人間だったのである。そして戦前昭和では日独伊三国同盟を結んだ頃から、ナチスドイツやムッソリーニのファシズムに対する軽薄な共感を示すことも多かった。近衛文麿もヒトラーのコスプレをしたこともあった。しかし蓑田は、ヒトラーやムッソリーニに対し痛烈な批判を加えていたのである。
もっとも、蓑田は最初からヒトラー、ムッソリーニに批判的だったわけではない。ムッソリーニが出てきた当初は、蓑田はムッソリーニに「宗教的信念」と「道徳的感激」が政治の上に集中させられつつあると、祭政一致の大理想を見ていた(『学術維新原理日本』蓑田胸喜全集第三巻305〜306頁)。ムッソリーニは「まことの人生宗教、祖国愛の熱烈なる求道者」であると絶賛している。
しかし『学術維新』においては「ナチス精神」は國體の相違から来る思想を除いてはわが国の武士道と通じるものがあると述べている(『学術維新』蓑田胸喜全集第四巻715頁)ものの、この時すでに『我が闘争』に見えるアーリア民族優越論と日本文化に対する蔑視的個所を指摘し、抗議していることは注目すべきことである(同724〜725頁)。蓑田はそのうえでナチス追随の日本の言論の風潮を批判したのである。
ここでは蓑田がヒトラーやムッソリーニをどう評価していたかと言うよりも、彼らに対する評価基準に祭政一致ともいうべき道徳と政治の統一を望んでいたことの方が重要である。

蓑田胸喜は「日本」という概念を原理的に信仰した。蓑田は日本文化が支那文明もインド文明も包摂しうる強固な理念であると考えた。それらを熱烈に進行することに因って自ずから物事は展開していくのであって、人為的な力で変革しようなどという自力救済の思想を蓑田は認めなかった。
蓑田の思想を一言でいえば、「国家は改造できない」と言うことであろう。国家改造とは国家が機械的に改変できると考えているということであり、国家を唯物的に考えているということだ。制度が変われば、システムが変わればバラ色の未来が訪れる。そんな妄想を垂れ流せるのは国家がシステムによって運営されていると信じているからである。国家はシステムではない。国家は生命体であり、共同体である。したがって改変の方法は構成員一人一人が自覚し、覚醒していくことだ。

一読者として、政策の議論にはある特有のつまらなさがある。それは「仏作って魂入れず」になりはしないかという懸念である。政策を論じるならば、そこに込めた精神を論ずるべきであり、そうでなければ片手落ちになのである。
政策の議論をすれば「具体的」で精神の話をすれば「抽象的」で「口先だけなら何とでも言える」。そのような陳腐な心性に甘んじることはできない。何のために政治を論じるのか。それはわれわれが政権担当者となって甘い汁を吸うためではない。果たすべき大義を先人から預かっているからだ。それを果たすには通り一遍の政策の議論で済むはずがない。
蓑田が明治天皇御製をその著作に挟み込むのはつまらぬこけおどしでもなければ狂信的な精神でもない。そこに先人から受け継いだ大義が宿っているからだ。

バングラデシュのテロとアジア主義、維新

 バングラデシュで武装集団が外国人客らを人質に立てこもり、日本人も犠牲になる事件が発生した。実行犯は現地ではエリート層に属する青年であるとみられ、イスラム国との関連が取りざたされている。許しがたい事件ではある。
 しかし同時にわれわれの側にも見直すべきところはなかったのか。

 小泉内閣がイラク戦争に賛同し、戦争協力に踏み切ってからというもの、日本政府の態度は常にアメリカに寄り添うものであった。この間にわが国の総理大臣は何人も変わっているが、皆ほぼ一様に「テロとの戦い」等、アメリカ政府が述べる「戦争の大義」を繰り返したに過ぎなかった。そこには苦悩も感じられず、自らの言葉すらも失ってしまった姿がある。
 アメリカがイラク戦争でフセイン政権を倒したころから、イスラム世界には無秩序が一層広がり始めた。当時、ブッシュ政権は「フセイン政権を倒せばイスラム世界に民主化がドミノのように広がり始める」と薄甘い楽観論を述べていたが、ドミノのように広がったのは「民主化」ではなく「無秩序」や「憎しみ」の方であった。フセインを倒し、ビンラディンを倒し、カダフィを倒したが、中東から無秩序と憎しみの連鎖が断たれることはなかった。アルカイダの次はISILと、イスラム勢力は過激化する一方ではないか。アメリカは泥沼化した戦争に入り込んでしまったのである。グローバル資本に搾取された欧米のイスラム系移民の憎しみと、戦争により平穏な生活を失った中東・アフリカの憎しみが結びついて起きたのが一連のテロ行為である。
 日本はアメリカとともにイスラム世界に無秩序や憎しみをもたらした張本人であるということを忘れてはならない。しかも、さしたる使命感もなくただ保身のためだけにそのような選択をしたということを、胸に刻み付けるべきだ。

 しかも日本をはじめとした国際資本は、現地民を低賃金で使い捨てる縫製工場を乱立させ、いわゆる「ファストファッション」はバングラデシュをはじめとした低賃金労働によって支えられている。現地民は一日十二時間以上働き、休みも月に一、二回しかないと言う。また、工場からの汚染水や農薬による深刻な健康被害、川や海などの汚染による漁業被害が現地では起こっているという。こうした代償を払いながらも、肥え太るのは巨大資本だけであり、現地民を搾取している巨大資本には、もちろんわが国の資本も含まれている。

 そうした対米追従の外交とグローバル資本による搾取が、テロの直接的原因ではないだろうが、遠因となっていることは否定できないだろう。

 歴史を近く見たときのアメリカニズム、長く見たときの西洋近代の価値観、そういったものを根源的に見直さなくてはならない。各国がそれぞれ培った伝統文化に回帰することが、それへの強力なアンチテーゼになるとわたしは考えている。そしてそれを主張した人達こそ、戦前のアジア主義者たちであった。

 アジア主義は確かに列強の植民地政策に対する反発と言う側面もあった。しかし彼らはそこからさらに一歩哲学的に踏み込んで、西洋近代の価値観の根本的な見直しにまで言及していた。『大亜細亜』の創刊の辞でも、「メッカ巡礼を二度敢行した興亜論者田中逸平は、「大亜細亜」の「大」とは領土の大きさでなく、道の尊大さを以て言うとし、大亜細亜主義の主眼は、単なる亜細亜諸国の政治的外交的軍事的連帯ではなく、大道を求め、亜細亜諸民族が培った古道(伝統的思想)の覚醒にあると喝破した。大道への自覚と研鑽、伝統の回復こそが大亜細亜の志なのである。國體の理想に基づき国内維新を達成し、亜細亜と道義を共有していくことが、我らが目指す道なのではなかろうか。それが「八紘為宇の使命」にほかならない。」と謳われている。

 わたしの個人的見解だが、例えばかつて民主党政権時に持ち上がったような「東アジア共同体」構想のようにアジア各国との単純な政治経済的連帯、EUの東アジア版を作るような構想ではダメで、そこに「国際資本の規制、撲滅(アジア域内であっても)」と「各国の伝統への回帰」がなければならない。そしてそれを実現させるためにはあらゆる政権を打倒しなければならないぐらいの困難な道が待っていることくらいは自覚しているつもりである。
 そのためにまず大アジア主義発祥の地日本で、維新が為されなければならない。維新とは単に政府転覆を意味するのではなく、しつこく述べるように、「国際資本の規制、撲滅」と「伝統への回帰」への国民の自覚と覚醒が目指されなくてはならないのである。単に政策の問題ではなく、「自覚と覚醒」が必要だというところが重要な要素なのだ。

大アジア研究会発行『大亜細亜』創刊

 わたしも参加している「大アジア研究会」の機関紙『大亜細亜』が創刊されました(リンク先ご参照)。

 わたしは「陸羯南のアジア認識―『国際論』を中心として」と、「時論 価値観外交の世界観から興亜の使命へ」の2本を書かせていただきました。

 ご参照いただけたら幸いです。

大亜細亜創刊号

左の画像からも『大亜細亜』の閲覧が可能です。是非ご覧ください。

良書紹介 11

 イギリスのEU離脱によって、グローバリズムが終焉を迎えるのではないかと言う甘い期待を述べたが、グローバリズムは意外に複雑だ。というのもグローバリズムは国際企業を中心とした市場秩序が国境や文化の壁を破壊していくというボーダレス・エコノミーの部分と、超大国(アメリカ)の国益に過ぎないものを「これがグローバルスタンダードです」とすべての国に押し付けていくという帝国主義の部分がないまぜになっているからだ。そのどちらもわが国にとって有害でしかないが、その事象を分析するときは両面を見なくてはならないだろう。今回のイギリスのEU離脱については、シティの金融市場の崩壊を見る一方、アメリカの国益の押し付けについては何も毀損されていない。少し自分も浮かれ過ぎていたかもしれないと思ったので記しておきたい。

 さて、久しぶりに良書紹介を行いたい。
井尻千男『歴史にとって美とは何か 宿命に殉じた者たち』
小川栄太郎『小林秀雄の後の二十一章』
中島岳志『下中弥三郎』

 井尻千男『歴史にとって美とは何か 宿命に殉じた者たち』は井尻の遺稿集である。特に「醍醐天皇とその時代」が素晴らしい。天皇親政―遣唐使廃止―古今和歌集編纂の三つの自称が織りなす当時の精神状況を鮮やかに描き出しており読む者に深い感動を与える。

 小川栄太郎『小林秀雄の後の二十一章』は力の入った書物であり読む者を引き込む力がある。著者が安倍総理礼賛であるため、なかなかその本を開くのが遅くなってしまったが、その著書は非常に素晴らしいものであった。

 中島岳志『下中弥三郎』は数々の思想遍歴のある下中の思想を、本人の発言、行動を丹念におさえることで描き出している。下中の人生を貫くユートピアへの思いを描いたことは大いに興味深いものとなっている。

 良書に触れることは脳のごちそうであり、食事が欠かせないのと同様に脳には読書が欠かせない。その中でも素晴らしい本に出合うことで自らの思想がより研鑽されれば良いと考えている。

グローバリズムの終焉―英国のEU離脱について―

 英国が国民投票によってEUから離脱することとなった。それによって今国際社会に大きな衝撃が走っている。短期的な目で見れば世界経済が混乱し、日本にとって不利益が起こる事態となるだろう。
 しかし長期的な目で見た場合、事態はまったく異なる。そもそも今回の国民投票では、事前の予測では残留派が多数を占めるだろうと言われていた。しかし地方部で離脱派が多く、その声に押し切られる形で離脱が決まることとなった。残留派であったキャメロン首相は辞任を強いられることとなった。

 EUは国境を無化させるグローバリズムの象徴でもあった。しかし、グローバリズムにより移民が押し寄せ賃金は上がらず、地方は荒廃し、格差が一段と開くこととなった。そして移民が多くなることに因って自らの国のよって立つ基盤が見えなくなってしまった。

 移民は二重の意味で社会を崩壊させる。一つは外国人が多く入り込むことでアイデンティティが揺らぐこと。もう一つは低賃金労働者が多く入り込むことで賃下げ圧力となり、格差が拡大することだ。多くの英国人が移民による失業や社会福祉のタダ乗りに反感を持っていた。英国民のこの決断は国際政治、国際経済を大きく動かすに違いない。端的に言ってグローバリズムの時代は終焉し、ナショナリズムの時代が幕を開けるということである。

 ところでアメリカのトランプがこの問題について、イギリスのEU離脱を好意的に見ていることは興味深い。トランプは記者団に「グレートなことだと思う。ファンタスティックなことだと思う」と述べ、さらに、英国民投票と米大統領選での自らの選挙戦について「実に類似している」と語り、「人々は自分の国を取り戻したいのだ。独立が欲しいのだ」と述べたという。もちろんこれはトランプの機を見るに敏な政治家の本能かも知れないが、しかしトランプが国際資本から縁遠い存在であるのかもしれないということも思わせるのである。内向きになる国際政治国際経済では、だましだまされる外交関係が求められる。卑近なたとえで言えば、本能寺の変の後、上杉、北条、徳川、豊臣の勢力争いを利用してうまく泳ぎ回った真田昌幸の態度が求められるのである。アメリカについていくだけの我が国の国際政治的態度や、自動車などの輸出産業に頼った経済政策も見直しも迫られるに違いない。

 もちろんイギリスはヨーロッパ大陸からドーバー海峡を隔てていることで、EUの中では「異端児」であった。今回の事態も大きな問題にならず収束してしまう可能性も考えられる。冷静に状況を見つめるべき必要があることは疑いない。しかし、一つだけ言えることはグローバリズムは早晩そっぽを向かれる日が来るということだ。思想もまた人間社会の原初に立ち返ることが求められている。

 今回の件はわが国にとって朗報であり悲報である。グローバリズムによる国際資本の跳梁、移民導入の機運、外国崇拝が終わりを告げるかもしれないという意味では朗報であるが、その後に訪れるナショナリズムの時代を、いまだに冷戦時代の外交、軍事構造から改められていないアメリカべったりのわが国が生き残っていけるだろうかと言う意味で悲報である。われわれは激変しつつある国際政治経済のうねりの中で自らの生存を達成しなければならないのだ。

 私はかつて以下のように書いたことがあった。手前味噌ではあるが再掲して本稿を終わりたい。
グローバル資本主義の問題点

 資本主義の進展により人がカネに動かされ、利益にならないものが軽んじられる傾向は、経済のグローバル化により一層拍車がかかった。世界経済はグローバル化と称してあてのない拡大を続け、それは輸出入の「自由化」から、人材の行き来、カネの出回りにいたるまであらゆる範囲に及んだ。だがそれらはほぼ惨憺たる失敗に終わっている。金融関係はリーマン・ショックで破綻し、人材の行き来はあらたな底辺層の登場と、中間層の消失、格差の拡大につながっている。通貨の統合は周辺弱小国の破綻となって跳ね返ってきた。それがなくとも統合により零細農家が続々と廃業しており、失業率は高止まりし、いずれはガタがくる仕組みであった。
 通信、交通技術の進歩により、市場は国境をはるかに超えて拡大している。だが、そうした中に生まれた「グローバル」な市場には歴史的積み上げがない。シルクロードの交易などと現在のグローバル経済は全く異質なものである。
 グローバル化は国境の観念を消失させようとする。それは制度面でも、意識面においてもそうである。自然発生した事物と人間とのかかわりなどは、むしろ人為的に制御することが必要になる。現在の資本主義市場はマネーゲームやあるいは赤の他人が集う職場で仕事をする形態から見ても、人為的な事物である。人為物の暴走は人為で止めるよりあるまい。ましてやグローバル化など、市場の拡大のために自然発生的に培われた国境の概念をも超えようとしているのだから、全く人為的な産物と言うべきだろう。
 いくら言い訳をつけても、自由競争の結果は経済の無政府状態にならざるを得ない。無政府状態という言葉がわかりにくければ、無秩序状態と言い換えてもよい。企業家は雇用や国際競争力を人質にして賃下げの容認を迫る。そのつけは政府が支払わざるを得ない。そうならないように政府は「自由貿易協定」という名の密室の交渉で、自国に有利になるように他国と条約を結ぼうとする。しかし、それが成功したとしても、やはりそのうまみは1%にしか入らず、99%は貧困化するのである。そうして経済の無秩序化は深刻になっていく。
 元来、資本主義は、「すべての価値を市場が決める」という前提で成り立っている。その市場がなぜ公正な判断を下せるのか、という疑問に対しては「神の見えざる手が働くから」というオカルト信仰でごまかしてきた。だが、市場は個人が生活できるほどの所得を本当に与えるかどうかはわからない。「グローバル化」によりますますそれは不確かなものになった。物価は先進国基準であっても、賃金は新興国と「競争」させられるのだとしたら、それは人が生きられない仕組みである。しかし、資本はその帰結に責任を負わない。それは、資本主義が国家や社会を軽んじる思想だからだ。
 そのような非道な仕組みは改めるべきだが、グローバル化を肯定する論者は、市場社会の中で「努力」して「自分の価値を上げること」、つまり「競争」で優位を築け、と言うのである。だがこれは実際の給与生活者、即ち国民の多くを占める会社員の生活に何ら立脚していない。
 生まれ持った風土や文化を離れて企業が存在できると言う考えそのものが「グローバル化」の空論とも言える。人々が「自然」に育んだ文化や歴史を無視した、のっぺりとした「各国画一的な市場」というものは存在しない。仮に資本が海を越えるようなことがあったとしても、それはその先で必ず現地の文化の研究に迫られることだろう。ローカル市場は思うほどやわではない。ただし、グローバル市場とは違った論理で動いているので、グローバル市場の論理を杓子定規に当てはめてしまうと、おかしなことになるのである。「自国でダメだったから他国で儲ける」式の理屈は通用しない。いくら「グローバル化」だの「民間にできることは民間に」と叫んでみたところで、有事になればむき出しの国家の論理に支配されるのが現実の社会である。
 言うまでもなく国に存在する「規制」の多くは、慣習からなっており、社会の安定や秩序を守り、弱者を救う「持ちつ持たれつ」の関係が明文化されていったものだ。それを破壊して経済成長がなしえるなど、狂気の沙汰である。「規制緩和により既得権が解消されることで、誰にでもチャンスが訪れる」などというのは笑えない錯覚である。概して規制を「不便」と感じるのは強者であり、要するに規制緩和とは強者が弱者からより多くむしり取るために足かせを外せと言っているに過ぎない。政治力学上から言っても、多額のカネを献金してくれそうな有力な企業が規制緩和を要望するから政治家も動くのであって、その逆はあり得ない。したがって、「規制緩和」は概して既存の秩序を破壊して、弱者を苦しませる結論になってしまうのである。社会秩序を破壊した果てに「成長」がある、という幻想。その幻想はたとえ成長がなかったとしても、「まだ破壊が足りない」ということで正当化される。それはまるで「革命」の結果が惨憺たるものであったとしても、「まだ革命が足りないからだ」と言う理屈で正当化しようとした思想を見るようだ。新自由主義と共産主義は、真逆にありながら同じ発想をする双子の兄弟である。
 グローバル企業は、平時にしか成り立たない幻想の世界で商売を行っているようなものだ。そもそも市場の形成に際しては、同じ通貨(もしくは交換比が明確な通貨)を使い、会話が通じ、安全であることが不可欠だ。これらすべて市場だけではなしえることではなく、あくまで政府の前提があってこそ成り立つものだ。要するにこの通貨、言語、安全の前提が成り立たなくなった時点で、「グローバル」と言う幻想の世界はいつの間にか消滅して、世界は相変わらず主権国家の論理で動きだすのである。政府は今やグローバル企業の稼ぐ外貨なしでは運営もままならず、それゆえ政策的にあれこれ「支援」して見せるのだが、それはもはや「幻想の世界」なくしては立ち行かない、哀しき政府の姿でもある。賃上げしたり、企業に社会負担を担わせようとすれば「国外に出ていく」と脅しをかけられ、負担から逃れようとされる。また、そうした企業がはびこれば、優遇措置をとることで企業を誘致しようとする政府も出てくる。それを実現するための負担は一般国民から取られていく。我が国の企業は内部留保を多く抱えており、供給力に比べて需要が弱いとされる。ならば需要側(=消費者、=一般労働者)に優遇措置をとり、供給側(=企業、≒富裕層)に負担を願うのが当然の措置というものだ。だが企業が圧力をかけるため、その措置は取れない。企業の側も株主等に配当責任を負っており、おいそれと認めるわけにはいかない。しかし認めなければ結局需要は尻すぼみに小さくなり、経済は回らなくなるのである。ここに「社会的ジレンマ(=わずかの不利益を甘受すればかえって良い結果が出るにもかかわらず、誰もが自分だけはこのわずかな不利益をも逃れようとするために、結果より悪い状況に陥ること)」が発生している。
ところで今、安倍内閣のもとで賃上げ要請が行われているが、それによる賃上げは物価高に比してごく小さいものにとどまっている。したがってその影響はほとんどないと言ってよい。
 原理的に考えてみれば、新自由主義は規制緩和を好み官僚主導を嫌い、グローバル化や市場による競争を好意的に見つめることなど、国家意識が希薄な思想である。だからこそ新自由主義者は政府の役割を「夜警国家」などとたとえて見せるのである。三島由紀夫が嫌った「無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国」(「果たし得ていない約束―私の中の二十五年」)とは資本主義を骨の髄まで沁み渡らせた国家のことである。それは新自由主義の跳梁によってますます進んでいくだろう。

柳宗悦のアジア主義

 柳宗悦は民芸復興運動や朝鮮美術の再評価などで知られているが、一般社会におけるその思想に対する理解は表面的なものにとどまっており、深いものになっていない。もちろんわたしも未熟な理解ではあるが、整理する観点から柳の政治思想を書きとめておきたいと思う。

 柳は明治二十二年に海軍少将柳楢悦の三男として生まれた。旧制学習院高等科を経て東京帝國大学卒業。専攻はウィリアム・ブレイクやウォルト・ホイットマン等の英語圏の宗教哲学であった。柳は西洋宗教思想に対する論文が多かったが、ある時東洋思想に開眼し、東洋文化に対する論考を発表し始めた。
 旧制学習院高等科から東京帝國大学在学中に、同人雑誌グループ白樺派に参加。生活に即した民芸品に注目して「用の美」を唱え、民藝運動を起こした。

 東洋文化について論じはじめたのとほぼ同時期に、柳は朝鮮文化への関心を示すようになった。朝鮮民画など朝鮮半島の美術文化にも深い理解を寄せ、京城において道路拡張のため李氏朝鮮時代の旧王宮である景福宮光化門が取り壊されそうになると、これに反対抗議した。
 その主張は文化に関する所にとどまらず、大正8年に朝鮮半島で勃発した三・一独立運動に対する朝鮮総督府の弾圧に対し、「反抗する彼ら(朝鮮人)よりも一層愚かなのは、圧迫する我々(日本人)である」と批判した。

 あまり知られていないことではあるが、柳が関心を示したのは朝鮮文化だけではなかった。柳は世界中のありとあらゆる伝統的民芸品、工芸品に関心を持ち、その保存を訴えた。柳は、民芸や工芸の中に伝統が生活に息づいていた様を見たのである。「工藝の美は、傳統の美である。傳統に守られずして民衆に工藝の方向があり得たらうか。そこに見られる凡ての美は堆積せられた傳統の、驚くべき業だと云はねばならぬ。試みに一つの蟲を想へよ、その背後に、打ち續く傳統がなかつたら、あの驚嘆すべき本能があり得たらうか。其存在を支へるものは一つに傳統である。人には自由があると云ひ張るであらうか。だが私達には傳統を破壊する自由が與へられてゐるのではなく、傳統を活かす自由のみが許されてゐるのである。自由を反抗と解するのは淺な經驗に過ぎない。それが拘束に終らなかつた場合があらうか。個性よりも傳統が更に自由な奇蹟を示すのである。私達は自己より更に偉大なもののある事を信じていい。そうしてかかるものへの歸依に、始めて(ママ)眞の自己を見出す事を悟らねばならぬ。工藝の美はまざまざと此事を教へてくれる」(柳宗悦『民藝大鑑 第一巻』13頁。原文踊り字使用)。
 柳は民芸品や工芸品、そして晩年に唱えた仏教的信仰を通して近代が失ったゲマインシャフト的共同性や、神聖なるものへの敬虔な感情を取り戻そうと論じていた。

 柳宗悦の思想には、アジア的な多元的価値観を維持しようとする願いが込められている。多元的なものは多元的なままで一元的であるという発想が非常に強い。各自は各自の文化、歴史、伝統を維持していくことで世界は発展するという価値観を強く抱いていた。それは明治国粋主義と通ずるものである。それを理解しなければ柳の朝鮮への共感は理解できない。

 ゲマインシャフト的社会と信仰とは密接不可分なものである。柳は「信仰の世界を只夢見る様な想像の世界だと思ふであらうか、否、信仰の世界よりも、より具像な世界を吾々は持つ事が出来ぬ」(柳宗悦「存在の宗教的意味」『柳宗悦全集』三巻9頁)という。信仰は、死者との対話である。死者が甦り、再び現世に影響を与えることを信じない者は、伝統を信じることができない。死者は、その残した事績や言葉に触れることで、何度でも甦るのである。祖国の運命を悠久のものにする力が、伝統や信仰にはある。美とは、この伝統や信仰の結晶と言ってよい。そこには、武力や金力に負けぬ力がある。

 「伝統は一人立ちができないものを助けてくれる。それは大きな安全な船にも等しい。そのお蔭で小さな人間も大きな海原を乗り切ることが出来る。伝統は個人の脆さを救ってくれる。実にこの世の多くの美しいものが、美しくなる力なくして成ったことを想い起こさねばならない」(「美の法門」『柳宗悦全集』十八巻19頁)。ここまでくると伝統は「他力」に似てくる。自力救済を重んじる現代社会とは異質な発想であるが、そこに美を認めるのである。
 個人の力などごく儚いものである。卑小な個が人生の荒波を超える際に、伝統は大きな助けとなる。伝統は古き良き生命の継承であって、現状維持でも過去の繰り返しでもない。古き良き生命が、自らの人生を支えてくれていることへの自覚である。柳は、「一切の偉大なる芸術は人生を離れて存在しない」と述べたが(「宗教家としてのロダン」『柳宗悦全集』一巻481頁)、それは芸術に限ったことではない。偉大なる事業は人生を離れて存在しない。即ち、伝統や信仰を離れて存在しないということである。人生は絶えず人間性の表現を追い求めている。敬虔な信仰を抜きにして、精神の深みを悟ることはできない。

 柳は信仰や美に、乱れた世を清め美しくする力があると信じた。争いからは何も生まれない。人間が本来持っている情愛によって世を美しくできる。情愛は誰にも奪えないと考えた。
 伝統は自らの意志で選ぶことのできない、不可避の選択である。不可避の選択とは先人からの声にいやおうなく拘束されるということだ。伝統は人間の感性に染みついている。卑小な欲望でなく、感性に委ねたとき、それは先人の声に身をゆだねることである。

 柳の信仰や伝統文化への敬虔な態度をわれわれは今一度顧みる必要があるのではないか。

日本人の「魂の飢え」

 明治日本はそれまでの封建的主従関係を打ち捨てて近代化に走ったことから、深刻な道徳の混乱に陥っていた。その道徳の混乱を収めるために、様々な教えが活発に唱えられた。仏教、儒教、神道、武士道…。明治時代は宗教の時代でもあるということだ。急速な近代化への反発が様々な信仰への傾斜となって表れた。その中でも特異な位置を占めのが耶蘇教である。明治時代は安土桃山時代と並んで広く日本に耶蘇教信仰がひろまった時代である。

 明治日本の耶蘇教は、必ずしも欧米崇拝の中から生まれたものではなかった。耶蘇は儒学に代わり日本人の道徳を作る指針として受け入れられたのであった。したがって明治時代の耶蘇教とは儒学に大いに影響を受けている者が多いし、その耶蘇教理論は耶蘇を語っているようで儒学や武士道を語っているかのような響きさえ感じることがある。経済合理性を超えた「価値」が見失われた時代に見出されたのが耶蘇であった。これは江戸時代において仏教も儒教も体制と結びつき官学化していたためであり、あるいは神道は人々に道徳を強いる強制力を見つけにくかったからであろう。

 わたしの出身大学である青山学院大学は日本で有数の耶蘇教色の強い大学である。毎日礼拝が行われ、耶蘇教の授業は全学生必ず取らなければならなかった。耶蘇教徒でもなく、たまたま合格してしまったから入学してしまったわたしのような学生にとって、その時間は不可思議な時間でしかなかったが、不思議とキャンパス内の世俗的時間よりは、礼拝堂の敬虔な空気の方が居心地が良かった。わたしの耶蘇嫌いでありながら耶蘇に関心を持ち続ける複雑な感情はここから始まっている。
 今も忘れ得ぬ光景がある。耶蘇教の授業で家の近くの教会の礼拝に参加し、レポートにまとめて提出せよという課題が与えられた時だ。地元の教会に行くと、そこは不思議な空間だった。牧師が説教をしているのを大人たちがききながら子供たちはわぁわぁ遊んでいる。礼拝が終わると自然とお昼の時間となり、各自弁当を持ち寄って近所の人と交換し合ったりしながらワイワイ楽しんでいたのだ。もう日本の都市部からは喪われたと思っていた小共同体がそこにはあった。「教会」とは、もともとは教義、教団とは関係なく「人々が集うあう集会所」が語源だと言うが、まさに訪れた教会はそういう場所であった。そういう場所が現代日本には決定的に欠けている。仏教は葬式仏教となり、日常を拘束する存在となっていない。外来宗教にしか、日本人の霊性を満たす存在はないのか。
 おそらく寺子屋もまた、わたしが訪れた教会のような場所の機能を果たしていたのではないだろうか。寺子屋は単なる学校ではなく集会所の機能を果たしていたと思われる。だが、明治時代の学生の発布において寺子屋が官製の学校に代わってしまったために、その機能は失われた。いまや学校はただの会社員養成装置でしかない。

 明治も時代が経ってくると、「皇道」が説かれるようになる。これも日本独自の信仰を見出そうとした悪戦苦闘の結果に他ならない。こうした皇道観念を戦後は「ファシズム」とか「全体主義」と言って葬ろうとした。だがそれは、人が元来持つ個人的あるいは経済的利益を超えた超越への思慕を軽視した議論ではないだろうか。明治以来続く、人々の「魂の飢え」から目を背けてはならないのである。

 

なじめぬ自己

 近代に入って、自由競争による市場の発達が生活を向上させ、衛生的な環境をもたらし、乳児死亡率を下げ、繁栄をもたらしてきたが、同時に人間を不幸にもした。人々は商品の奴隷、いや、人の人生そのものが労働と言う名のもとに商品となり、すべてのものが市場価値に置き換えられそれ以外の評価軸を許さない。学問も思想も政治も芸能もスポーツも、世の中のあらゆるものが市場に飲み込まれ、そこでしか生きられなくなっている。伝統も、民族の誇りもカネ次第と言う世の中になってしまいつつある。そんな現代に対して、生きづらさを抱えている。

 人生を削り、何のために生まれたのかもわからぬままいいように使役せられ、気づけばもう若くない年齢に差し掛かり、病巣を体内に抱え込むようになる。会社員の人生にはその程度の未来しか待ってはいない。そうなれば後はゆっくりと死に向かって歩むだけである。それが市場に翻弄されるほとんどの人生である。
 ではそうでないものは優雅な生活を送れているかと言えばそうではない。株価や不動産価格に一喜一憂し、責任をかぶされ、せっかく稼いだ金を使う時間もない。妬み嫉みにさいなまれ、何をしてもしなくても悪いように解釈され、憎まれ、馬鹿にされ、金づるとしか思われず、カネがなくなれば誰も残らない。誰一人をも幸せにせず、その不幸の負のエネルギーを食って市場はいつも通り動いていく。
 チャップリンが歯車に巻き込まれる様で市場に翻弄される人間を風刺したが、現代はまさに制度が先に立ち、その制度を維持していくために人間が犠牲になっている。そのような生活である。たかだか会社勤めをしているに過ぎない人間を「社会人」などと呼びならわす現代日本人は市場が大好きなのであろう。わたしは嫌いだ。市場に塗れなければ一日とて生きられぬ自分の人生をも呪う。

 市場も好かなければ多数決の民主制にもなじめない。多数派になるようなものはたいてい碌なものではないことは経験上知っているし、それだけの人の意見を糾合できるようなものは何らかの嘘が含まれているに違いないのだ。だから多数決で勝つものはすべて間違っている。極端な話、わたしが考えた案であったとしても、それが多数派になってしまったらそれはもう偽物である。

 さりとて共産主義に共鳴することもできない。資本主義、民主主義、共産主義は同じ穴の狢であり、近代思想の三兄弟とも呼ぶべきものだが、そのどれもが近代思想に基づく偽りの考えである。

 わたしの居場所などどこにもない。別に居場所が欲しくて書いているわけではないが、少なくとも安易な答えを求めて脊髄反射のような態度しか取れないような人は軽蔑する。不敬だ、反日だ、売国奴だ、戦争法案だ、軍靴の足音が聞こえる…。人をアイコンで判定するようなまともでない人間の言葉に耳を傾ける暇はない。

 ほとんど連想ゲームのようにただ思うことをだらだらと書いて結論もなく起承転結もないひどい文章だが、とりあえず今思っていることとして残すこととしたい。

言葉は水物

 ものを書く仕事をいくら積み重ねても、決して楽にならないと書いたのは小林秀雄だが、本当に書くという行為は難しい。
 同様に、読むという行為も難しい。読んだつもりでいた本を再読した際に、今まで気づかなかった側面を見出すことなど日常茶飯事である。
 書くからには誰かに読まれ、受け入れられることを望んでしまうものである。だがそれを念頭に置きすぎると書けなくなっていく。文章には毒がなくてはならない。それはいわゆる毒舌と言うことではない、人を死に追い込むような、突きつける牙がなくてはならない。そんな牙を失った微温的議論に価値はない。

 今年三十一歳になり、少しづつ年を重ねてきたが、年齢とともに書けなくなってきている気がするし、読めなくなっている気がする。それは世事に翻弄される人間の世迷いごとでしかないが、読めもしない、書けもしない人生に意義などあるのだろうかと思ってしまう。しかし読み書きには暇な時間が絶対に必要なのである。忙しい人間からはわかりやすい文章は生まれるかもしれないが、良い文章は生まれない。

 書けない時はどう頑張っても書けない。言葉が自分の中から出てくるまで必死に待たなければならない。ある日種から芽吹くように飛び出してくる言葉を逃さないように書き留めておく必要がある。言葉は水物である。書き留めておかないと、せっかく生まれた言葉は誰にも読まれることも書き留められることもなく消えてしまう。

 もし、本を書ける機会がいただけるのならば、読む人が誰かに伝えたい思いが湧き上がってくるような本を書きたい。それがもしできたらものを書く人間の冥利に尽きるであろう。

一介の草莽として論ず

 儒書の中でも基本の部類に入る本に『孝経』がある。儒学は独裁を擁護する思想のように言われることもあるが、それが間違いであることは『孝経』を読めばよくわかる。『孝経』は親子関係だけではなく、君臣間の関係についても語った本である。
 『孝経』の「諫争章」では、子は父の言うことにそのまま従うのが孝だろうか。そうではない。諫めてくれる人がいるから道を違わないのである。君臣の関係も同じであり、不当、不善、不正があれば必ず子は親に諫言しなければならない、臣は君に諫言しなければならない、と言っている。ここで重要なことは上位者の絶対化を禁じていると共に、君臣間と家族間を同様にみなしているということである。この家族主義的国家観は東洋に独特のものであり、欧米流の社会契約的国家観とはまったく質を異にする。日本ではこのような有機的国家観のほうがなじむと思われるが、それは日本人の伝統にこの家族的国家間が根付いているからである。例えば穂積八束は国家と国民の関係を、個人が契約を結ぶような社会契約的国家観ではなく、家族のような国家となることを望んだ。

 皇室に対しての諫言を不敬だ不敬だと騒ぎ立てるよりも、皇室の問題点を進んで指摘するのが本当の忠である。余りにも不敬だと騒ぎ立てすぎれば、あえて危ない橋を渡り皇室に諫言をなすものはいなくなってしまう。そのとき皇室は裸の王様となってしまい、ゆっくりと衰微していくであろう。そのようなことがあって良いはずがない。

 天皇陛下が諫言を善しとしなければ、進んで罰を受ける覚悟は持つべきであろう。だが同時に周りがご叡慮も明らかになる前から勝手に忖度し、不敬だと騒ぎ立ててつぶそうとするのは如何なものか。それこそ陛下の御簾に隠れて人を撃つ類の人間であろう。敬不敬の前に一介の文人としてあなたはどう考えるのか。わたしが関心を持つのはそこである。

 皇室への言及を「言論の自由」などというつまらぬ概念で正当化すべきではない。何を言ってもよい言論の自由などこの世にいまだに一度も現れたことなどないではないか。皇室に限らず、ある種のタブーがあるのはむしろ当然のことである。しかし、たとえ一部敬を欠く表現があったとしても、その者が皇室の永続を願う限りその言葉は尊重されるべきである。言葉狩りから何かが生まれることはない。

 人の言葉を抜き出して、不敬だ反日だと騒ぐのは運動家の理屈である。わたしは運動家は信用しない。運動家に真摯な思索などあるはずがない。

 読者はどう思っているかわからないが、自己評価としては「歴史と日本人」は皇室の話題が少ないと思う。出てきても、それは皇祖皇宗から続く日本の伝統と文化、民族の信仰を体現する存在としての皇室、天皇であって、具体的な人格を持った天皇についての言及はほとんど行っていない。それをもって「お前は西尾幹二に影響を受けた天皇抜きのナショナリストだ」と言われたこともある。西尾幹二の影響は否定しないが、たぶんわたしも西尾氏も「天皇抜きのナショナリスト」ではない。まず一介の草莽としてどう考えるかを重んじているからである。
 頭山満は「一人でいても寂しくない男になれ」と言ったが、ある者の権威に寄りかかることは、一人になれない人間になるということだ。これに関してはわたしも自分ができているかは心もとないが、少なくともそうあるべきだという廉恥は備えているつもりである。
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陸羯南翁


中田耕斎

昭和六十年生まれ。明治期の国民主義者、陸羯南(くがかつなん・写真)の思想に共鳴する。戦前日本の国粋主義に興味を持つ。
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