歴史と日本人―明日へのとびら―

日本という国は、悠久の歴史を持つ国である。 この国に生まれた喜びと誇りを胸に、本当の歴史、及び日本のあり方について考察してみたい。 そうすることで、「明日へのとびら」が開かれることだろう。

忠と孝、そして東洋精神

忠と孝はともに儒教において重んじられた概念である。忠は主君に、孝は親につかえる概念であり、目上の者への隷従を強いるものだと批判されたこともあった。だが、本来の儒教における忠孝は、そのようなものではない。父母を愛するように、君主への敬意をもつ。君主も我が子に対するような慈愛をもって国民に対する。それによって世は治まるという考えである。
儒書の孝経は、儒教の基本的な本の一つであるが、諫言の理論的根拠となっている。臣下は君主が誤っているならば、必ず諫言をしなくてはならないのである。また、君主は己の地位に甘んじず、徳を磨くことを忘れてはならないとされた。
天皇の権威を笠に着てものをいうような態度は、儒教においても望ましい態度ではないのである。
また、孝経は古き良き東アジアに広がっていた死生観、宗教観と密接に関わっている。それが宗廟と社稷である。宗廟は君主が天地を祀ることであり、社稷は諸侯が土地や穀物の神々を祀ることである。どちらも食糧や祖先への感謝をあらわすものであり、重要視された。
祭祀にはそれにふさわしい時や場所がある。それでこそ神に誠を尽くせるのである。
「経世済民」とは、まさにこの君臣が相愛の感情で結ばれ、祭祀を重んじ、世が平穏に治まる状態を指したが、近代以降はエコノミーの訳語として「経済」が使われ、民どうしが相争い、金銭第一で祭祀はおろか社会も文化も考慮せず、水も自然も人も土地も、すべてのものに値札がつけられ売られることとなった。特にこの霊的側面が忘れられた。会社は公器ではなく、従業員、取引先、顧客を搾取し肥太るばかりの組織となった。
農を重んじ民生に配慮するのが天皇統治の基本ではなかったか。古代天皇の詔勅は忘れられたのか。
右派は政府のご用聞きに堕し、左派は国際共産党のために奉仕する存在に成り果てた。現在の日本はこれほどひどい状態にも関わらず、右派と左派は分断されたままである。足尾鉱毒事件に右派も左派も憤りともに運動を進めたり(谷干城、三宅雪嶺、陸羯南、幸徳秋水らが言論で訴え、田中正造の碑文は頭山満が書いた)、老荘会でともに意見交換をしたりすることはなくなった。亡国の兆しと言ってよかろう。

天地の義を明らかにして王道楽土の建設に貢献するのは、東洋思想の真髄である。東洋精神を忘れた現代社会のていたらくは、かえって古き良き東洋精神の素晴らしさを再確認する良い機会ではないか。

「アジア」と農・自然・信仰

「アジア」とは単に地理的な名称ではない。アジアには草花のにおいがする。土のにおいがする。土に対する愛情は人間の本能である。われわれは日本人の血をうけ日本人として生まれたがゆえに、日本の国土を愛する。そしてそこから育まれた文化や文物を愛する。しかし近代化はそうした愛着を捨て去る方向へと、人々を誘おうとする。都市化、資本主義化、機械化、電子化すればこそ、そこから切り捨てられていった文化に思いを引かれることになる。
かつて戦前のアジア主義者は、日本・シナ・インドのアジア世界に共通する「基盤」を追い求め、研究を進めていた。それは自治、村治、スワラージという名前で呼ばれたものであった。新嘗祭のような収穫に感謝する祭りは、シナ、朝鮮、台湾、東南アジアに似通った形で存在している。実はそうした土着文化的基盤は、ロシアやヨーロッパ世界にさえ存在した、社会的連帯のようなものであった。このとき、アジア主義はアジア地域に限定されるものではなく、より人間の根幹に還っていこうという衝動となった。そうした思想が目指した共同社会は、アニミズム的で人と人との和を大切にし、助け合いや寛容といった美徳を持ち、自然とともに生きる敬虔さを重んじるものとなった。
アジアの共通基盤を考えてみよう。例えば「東洋医学」というものがある。近代医学が、病巣を手術で取り去ったり、ウイルスを殺したりするのに対して、東洋医学は体が本来持つ免疫作用を活性化させるものである。そういったものだから確たる定説はなく、具体的な治療は人によってさまざまな見解を持つことになったが、いずれにしても人間が本来持っている力への信頼が、そこにはある。私は医学に詳しくないのでこれがどれ程メジャーな意見かわからないが、東洋医学においては風邪すら忌むべきものと見ず、体が悪い状態から自然に立ち直ろうとするときに現れる一形態を「風邪」と見た。したがって風邪が治ったあとはむしろ風邪を引く前より体調は良くなっているのだと考えられた。これははるか昔の話ではない。今でも薬の大部分は漢方だというではないか。漢方は実は「漢」ではなく日本式だという意見もある。だがそれを「漢」に託した心情を思うべきではないか。
戦前に目を移せば、こうした東洋医学的な、人体や人間本来の力への賛美をやや神秘的に表現する人物がいた。三井甲之は「手のひら療治」といい、医者が手のひらをかざすことで患者の悪いところを治すという療法に傾倒し広めた。西川光二郎は断食療法や「土浴」することで健康になれると信じた。いささか怪しいカルト的なにおいがするが、いずれにせよ人間や自然が本来持っているはずの力に注目するなかで、こうした治療に傾倒することになったものと思われる。
そこまで突き抜けずとも、ひとりひとりが先祖から「いのち」をいただき、その神霊を子孫に伝えていくことは、神道でも儒教でも仏教でも言葉は違えど共通した理念といえよう。
人間として当然の道をつくすこととは何か。それは経済発展だけではないのではないか。他の生き方はないのか。家族は、社会は、国は?そうした問題意識が人をとらえた時代があったのである。戦前とは、ある意味真面目な時代であった。影山正治も葦津珍彦も赤尾敏も若い頃社会主義への強い関心を抱き、その後日本主義に還っている。義侠心を持つ青年のたどった経路である。赤尾は「自分たちは天に選ばれた公務員だ」と述べたそうだが、そういった自意識が彼らの行動を支えていた。
右翼も左翼も原始的な共同体に戻る想いが濃厚に存在している。にもかかわらず運動の過程でアメリカやソ連といった大国の意向に振り回されたり、活動資金確保のため営利に走ったり、カネを持つ機関の太鼓持ちに堕したり、大いに迷走することとなった。そのすきに近代化は着々と進んでいった。
戦前共産主義から日本主義まで幅広く思想が変転した人物に赤松克麿がいる。赤松が最後にたどり着いたのは「東洋」であった。そこでは近代文明の旗手ソ連とアメリカを同時に批判し、近代文明の病理を追及した。アメリカ文明とソ連文明は兄弟であり、どちらが勝っても人類社会に希望は現れない。資本主義も共産主義も、個人と個人、階級と階級が争う憎悪と闘争にみちた社会を作ろうとする。そこでは国家は調和されたひとつの協同体とならない。魂の救いは東洋思想にあると論じた。日本は明治維新そして敗戦で西洋文明を取り入れざるを得なくなり、いままで国民が持っていた内面的な感性が傷つけられた。人間社会の問題は、資本を私有から公有に変えれば済む問題ではない。人間悪は心のうちに存在する。金銭欲と権力欲から解放されない限り、真の人間性を獲得することはできない。
戦後日本人は東洋に生まれたにも関わらず東洋のことを軽視しすぎる。東洋思想はわれわれの思想的背景の根幹である。
いま人類社会は風邪を引いたも同然のひどい状況に立っている。しかしこれは人類が悪を克服する一過程であると捉えれば、希望がないわけではない。
してみればいまは人類が引いた近代という風邪を重篤にしてしまうか、本来の治癒力を発揮し近代を克服するか、まさに分水嶺に立っているといえよう。

カルロスゴーンの逮捕と外国人労働者問題

カルロスゴーンが捕まった。彼はルノーから送り込まれた人間で、日産の日本幹部の接待漬けにあい、贅沢を覚えさせられ、その裏でいつでも切れるよう証拠を握られていた。ゴーン追放万歳と手放しで喜ぶ訳にはいかない。大企業幹部の悪辣陰険な権力闘争の風潮はそのまま残された。
いま外国人技能実習の問題が取りざたされている。経済界は「人手不足」だというが、実際は超低賃金でも働きたいという人が少ないだけで、職を求めている人はたくさんいる。要するに「人手不足」とは賃上げする気がない心情の現れなのである。だから法の網をくぐって悪事を働こうとする。自動車業界もまた「人手不足」を叫んでいる業界のひとつである。 ゴーンが去ったところで、ゴーンが残したCEOに高額報酬が集中し、現場に低賃金を求める体質は変わらないだろう。これは日産や自動車業界に限らない、社会全体、世界全体の問題だからだ。日産にはこうしたわたしの見立てをいい意味で裏切ってくれることを期待したい。

参考までにかつて『大亜細亜』誌でわたしが書いた外国人労働者問題に関する論説を全文紹介する。
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歴史研究と百田尚樹『日本国紀』について

歴史において重要なのは先行研究を踏まえ、この研究にいかなる意味があるのか明らかにすることであろう。史料集は歴史ではない。ただし先行研究も何もないところから開拓しなければならないときもある。そのときは現代的関心も重要である。
三宅雪嶺の祖父三宅芳渓は頼山陽の弟子であった。雪嶺本人の叙述にも頼山陽の影響はみられる。雪嶺の盟友陸羯南も頼山陽の影響を指摘されている。雪嶺や羯南といった幕末生まれの明治人は水戸学や頼山陽は当然の教養であったと思われる。彼ら明治の保守派には西洋保守主義や近代ナショナリズム論の影響を指摘するのが相場であるが、こうした江戸時代の思想の影響も無視できない。
百田尚樹『日本国紀』を読んだ。この本、古代から現代までを振り返っているのだが、第十一章大東亜戦争まで(正確にいえばその直前の南京大虐殺コラムまで)、高校の日本史教科書とウィキぺディアをまとめたレベルで、あえて日本通史にする必要があったのかという感じである。営業戦略以外なかったのではないか。おそらく百田氏は戦前右派や幕末の尊皇思想をほとんど知らず、興味もないのではないか。共産主義国憎しから始まる反共史観というか、その議論の寄せ集めだからその前の時代がとたんに何も語れなくなるのだ。この反共史観、最近では江崎道朗氏が盛んに論じている。江崎氏はあえて戦前右派と距離を置き、反共一本槍で歴史を組み立てている意図を感じるが、百田氏はどうか。
一部でこの本のあら探しをして糾弾する向きもあるが、百田氏らの「思想的根っこ」を考えるほうが生産的ではないか。
私自身は百田江崎らとは違って、戦前右派、幕末尊皇思想と思想的につながりたいと考えている。だからこそ昨今の新自由主義やグローバル経済批判もするし、そこから近代の超克的議論にもなる。むやみに競争をあおり、同国民で格差をつけたがる風潮にも納得いかない。チェゲバラやカストロに(意見の違いは感じつつも)共感したりもする。
百田江崎はそうではない。「共産主義国との歴史戦に負けるな」と旗を振るばかりで、現状変革の志は弱く、政権批判の態度もない。日本をどうしたいかという理想もないから政権批判など「国内で共産主義国に共感し、日本の足を引っ張る連中」程度の認識しかないだろう。彼らは体制派ではあるだろうが、果たして日本国体を守り継ぐ人間であるかは極めて疑問である。

行き詰まりの正体

既存の俗流経済論は、経済における政府権力の存在をほとんど無視することで成り立っている。政府権力は、時に国民を守り福祉を提供し格差を減少させるが、時に一部商人と結託して一部の人間の利権のために動くことがある。
社会福祉をおもんじる立場も市場競争をおもんじる立場も、どちらも物質的充足を人生の目的としていることは変わらない。だが、物質的充足は人生の手段であっても目的ではないのではないか。要は金銭的な意味でなく何を成したか、何を残したかが重要ではないか。
かつて労働とはそういう自己実現的側面があったが、分業化マニュアル化が進めば進むほど、労働は苦痛で生きるために仕方なくせざるをえないことに変わっていった。
戦後日本は自ら戦争を行う気概を失った。憲法前文及び九条は、平和主義の美名のもと実は米軍の保護下におかれる自己正当化にすぎない。しかし自ら国民を守る気概のない国が経済的にも国民生活を真剣に守るはずがない。そのような政府など信用に値しないが、政府への信頼が奪われてしまえば、人々はますます目先の自己保身に汲々とし、物質的利益に固執するようになってしまう。
資本主義だろうと共産主義であろうと、人々を土や文化から引き剥がそうとする。土や文化から離れた人間とは、共同性を失った人間である。都会も田舎も風景が等質化され、ふるさとはただの出身地でしかなく、郷愁をもたらす存在ではなくなってしまった。こうした事態をもたらしたのは開発を無条件によしとする発想であろう。開発は、利権にとらわれた政治家(つまり政府関係者)が進めてきたことである。
卵が先か鶏が先かの循環論法になってしまいがちだが、政府=人心=開発の関係をみていくことは重要であろう。そして政府=人心=開発の関係を支えているのが進歩主義である。進歩だ発展だとそんな軽薄な概念にうつつをぬかしている隙に、われわれの人間存在が希薄化してしまっている。現代の行き詰まりの正体は、およそこのようなものではあるまいか。

現代の経済に関するメモ

・現代はあらゆることにリアリティーがない。信仰心も弱く、共同体は解体され、会社ではいつでもクビにされかねない部品でしかなく、家族はバラバラである。近代化が進むとともに、人生の選択肢は増えたが、その代わり人生に対する希望が失われていった。
資本主義は、カネを稼ぎ、自己利益を追及する人間像を描いたが、果たして人間はそういった「大きな物語」のない人生に耐えられるだろうか。
新自由主義に至っては、「主義」とついてはいるものの、体系的イデオロギーも世界像も放棄している。とにかく人間も企業も自己利益で動くんだ、それが当然なんだ、余計な規制などするなというばかりである。しかしそれは過去も未来も考慮しない、ニヒルで刹那的な生き方ではないだろうか。貨幣経済への盲信は禁物である。

・井上日召『日本精神に生よ』
「人間生活の殆んど全部が経済的生活となつて来た現代は遂に黄金万能の世となつて大義は将に滅せんとし、被圧迫階級の人々までが資本主義に中毒して利己一点張となり互ひに嫉視排擊し合ふ様になつたので要するに右傾派は個人闘争、左傾派は階級闘争の連続で何れにしても人類の理想は出現せんのである」

・河上肇は大学卒業後、農科大学の講師について横井時敬の指導を受けた。そのときに書いたのが『日本尊農論』である。河上肇はそこで農本主義的議論を展開していた。河上の原初は農本主義であった。

田尻隼人『渥美勝伝』より

田尻隼人『渥美勝伝』の中に「戯曲桃太郎維新旗」が収録されている。その一節を引用する。

皆さん、わが国、今日の状態は、あらゆる方面から観察して、それが決して、有り得べき真の日本の姿ではないといふことを、痛感せずにはゐられないのであります。今や、仏教、儒教、キリスト教以外に明治初年以来、わが国に発達してきたところの物質文明あり、社会主義あり、資本主義あり、自由主義あり、自然主義あり、それらはもちろん、新時代のおのづからなる要求によつて発達したものであり、従つて採るべき長所の多々あつたことは云ふまでもないのでありますが、いづれも西洋流の個人主義に立脚するものであり、わが国情、伝統を抹殺して顧みないものがあるのであります。その余毒の及ぼすところ、つひに日本人が、日本人として持つべかりし本来のイノチ、タマシヒ、ミコトを失つてしまつたのであります。広瀬中佐は―おれの頭には、世に二つとない尊い守り本尊をいただいてゐるといはれたさうでありますが、キリスト教徒は、この守り本尊は、キリストの信仰であるといひ、仏教徒は釈迦の信仰であるといひ、儒教においては、これを仁の道であるといひます。またカントの流れを汲むものは、粛然たる良心の絶対命令であるといひます。唯物史観を奉ずるものは、功利的価値に帰せんとするものであります。各々おのれの信ずる主義、信仰の上に、これを持ち来ることは当然であつて、敢て怪しむに足らぬのであります、が、然し、日本民族本来の信念によりしますれば、この世に二つとない守り本尊なるものは、まことに畏れ多きことでありますが、 天皇陛下の大御稜威以外の何ものでもないのであります。(中略)日本臣民たるものが、この尊い守り本尊を私することは断じて許さないのであります。それと同様に、政治家が、政治を私し、財閥が財産を私し、労働者が労働を私しすることの許されないのは当然であります。(222〜223頁)

『国体文化』十一月号に拙稿が掲載されました

『国体文化』十一月号に拙稿「神の目線に立つな―中島岳志『保守と大東亜戦争』批判―」が掲載されました。これはこの記事に加筆したものです。元記事の二倍以上の分量になっています。ご覧いただければ幸いです。

渥美勝『日本の宣言』より

戦前、独特な思想を展開した維新者である渥美勝は以下のように書いている。

社会主義にカブレル事は考へねばならぬと同時に、資本主義にカブレル事も同様に危険である。私の云ふ危険とは、警官などが噪ぐやうに、皇室や又は国家に取つて危険だと云ふのでは無く、日本の内部生命に取つて危険だと云ふのである。
資本主義者が右手の唯物史観を生命としてゐるそれが危険なのである。然るにその右手の危険に反対な左手の危険―社会主義を持つて来て、一体日本の生命、私たちの先祖や子孫を何うしてくれると云ふのだ? 眼覚めねばならぬ。資本主義は日本では御免蒙らなければならぬと同時に、唯物史観をギヤアギヤア云ふ社会主義も亦御免蒙る事だ。
先ごろ、「財産奉還論」が主張されたが、日本の行き方は昔からこれだ。行き詰つて困つた時は総て天子様に奉還する事だ。最近に於ては徳川幕府が行詰つて大政を奉還した。徳川氏はマツリ(祭り)をマツリゴト(政事)にせず、武力によつてやつたので、遂に行詰つて天子様に奉還したのである。
頼山陽は日本外史に於いて頼朝の鎌倉幕府の条で「此時よりして政権武門に移る」と云つてゐるが、これローマの如く武力を以て横領したのである。即ち頼朝より徳川に至るまでの間は武力による豪族の横領時代である。その時代には侍は「斬り捨て御免」とか「斬り取り強盗武士の習ひ」とか云つて、之を武士の特権だと為してゐた。これでは町人や百姓は堪つたものぢやない。武士と云ふと聞えは良いが、これではその実、大江山の酒呑童子のやうな山賊の行ひと何等異る所はない。
私は彦根の産だが、徳川が山賊の大将とすれば、彦根の殿様井伊侯は差し当たり山賊の小頭位に当る。私の家は井伊の家来で三四百石貰つてゐたから小頭に使はれる小者位の者であつた。それが徳川の大政奉還によつて山賊稼業を止めた訳である。これでやつと神ながら日本が現出すると思つたが、豈図らんや今度は別な横領舞台が開けた。「斬り取り強盗」が止んだと思ふと、今度は「算盤取り強盗」が始まつた。「斬り捨て御免」は廃止されたが、新たな「喰はさず捨て御免」は黙認されてゐる。これではローマの真似は止めたが、ユダヤの上半身が残つてゐる訳である。
諸君、日本の神ながらなる、在るべき姿は、さうした事実や同胞のある事を許し得ない。故に諸君はこれを徳川が止めた様に、資本家に向つて資本を奉還して貰ふ事を、日本の生命のドン底から要求せねばならぬ。天祐と云ふ事は、日本では、困つた時には之を柔順に親爺様の処へお返しする事を云ふのだ。
(『日本の宣言』平成十一年復刻版80〜81頁)


皇道経済論の一つである財産奉還論が展開されているほか、明治維新に対する歴史認識も興味深い一節なので紹介した。

『季刊日本主義』第四十三号(平成三十年秋号)に拙稿が掲載されました

『季刊日本主義』第四十三号(平成三十年秋号)に拙稿が掲載されました。

今号では簑田胸喜について書かせていただきました。
簑田は毀誉褒貶ある人物ですが、戦後は悪く言われ過ぎており、しかもそれは簑田の発言を読んでいないように思われます。
そうした状況に一石を投じる思いで書きました。
ご覧いただければ幸いです。
管理人について

陸羯南翁


中田耕斎

昭和六十年生まれ。明治期の国民主義者、陸羯南(くがかつなん・写真)の思想に共鳴する。戦前日本の国粋主義に興味を持つ。
*コメントに関しては原則削除は行いませんが、間違って二重に書き込まれた場合などは編集または一つ削除する場合がございますのであらかじめご了承ください。荒しは事前に通告の上、削除することがあります。





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