歴史と日本人―明日へのとびら―

日本という国は、悠久の歴史を持つ国である。 この国に生まれた喜びと誇りを胸に、本当の歴史、及び日本のあり方について考察してみたい。 そうすることで、「明日へのとびら」が開かれることだろう。

『国体文化』九月号に拙稿が掲載されました

『国体文化』九月号に拙稿「資本主義の超克とその先の国家論(六)」が掲載されました。
ご覧いただければ幸いです。

今月号で第一章が終了いたしますので今までの議論の中間総括的内容となっております。
ご覧いただけましたら幸いです。

議員バッジがついているかのようにふるまう人たち

 雑誌に掲載していただいたことの告知を除けば随分久しぶりの更新となってしまいました。

 わたしは安倍批判、自民党批判を書くことも多いですが、やはりそういう言論は保守的とみられる人たちから評判が良くないものです。それでも必要だと思うから書いているのですが、なかなか受け入れてもらえません。

 「安倍が駄目なら誰が総理ならいいんだ」というのがこういう人たちの言い分です。その言い分はとてもよくわかります。しかしわれわれは議員バッジを付けた国会議員ではないのです。おかしいものはおかしいと批判するのが筋ではないでしょうか。

 自民党の応援団でしかないのではなく、堂々と所信を問う一草莽であるべきです。


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西尾幹二氏が以下のように書いているのでご紹介します。

民族の生存懸けた政治議論を 保守の立場から保守政権を批判する勇気と見識が必要だ

平成28年8月18日産經新聞「正論欄」より 評論家・西尾幹二氏

 今でも保守系の集会などでは当然ながら、安倍晋三政権を評価する人が少なくなく、私が疑問や批判を口にするとキッとなってにらまれる。「お前は左翼なのか」という顔をされる。今でも自民党は社会体制を支える最大級の保守勢力で、自民党の右側になぜか自民党を批判する政治勢力が結集しない。欧州各国では保守の右側に必ず保守批判の力が働き、米国でもトランプ一派は共和党の主流派ではなかった。先進国では日本だけが例外である。

≪≪≪仲良しクラブでは窒息死する≫≫≫

 日本政治では今でも左と右の相克だけが対立のすべてであるかのように思われている。民主党も民進党と名を変え、リベラル化したつもりらしいが、共産党に接近し、「何でも反対」の旧日本社会党にどんどん似てきている。ここでも左か右かの対立思考しか働いていない。自民党も民進党もこの硬直によって自らを衰退させていることに気がついていない。
 それでも国内の混乱が激化しないのは、日本は「和」の国だからだという説明がある。まだ経済に余裕があるからだとも。米国のある学者は、世界では一般に多党制が多く、二大政党制を敷く国は英国をモデルにしたアングロサクソン系の国々で、ほかに一党優位制を敷く国として、日本やインドを例に挙げている。自民党を喜ばせるような研究内容である。

 しかし選挙の度に浮動票が帰趨(きすう)を決めている今の日本では、一党優位制が国民に強く支持されているとは必ずしも言えない。仕方ないから自民党に投票する人が大半ではないか。党内にフレッシュな思想論争も起こらない今の自民党は日本国民を窒息させている。

 「受け皿」があればそちらへいっぺんに票が流れるのは、欧米のように保守の右からの保守批判がないからだ。左右のイデオロギー対立ではない議論、保守の立場から保守政権を正々堂々と批判する、民族の生存を懸けた議論が行われていないからである。

 保守政党が単なる仲良しクラブのままでは国民は窒息死する。一党優位制がプラスになる時代もあったが、今は違う。言論知識人の責任もこの点が問われる。

≪≪≪保身や臆病風に吹かれた首相≫≫≫
 
 私は安倍首相の5月3日の憲法改正案における第9条第2項の維持と第3項の追加とは、矛盾していると、6月1日付の本欄で述べた。そのまま改正されれば、両者の不整合は末永く不毛な国内論争を引き起こすだろう、と。
 
 今は極東の軍事情勢が逼迫(ひっぱく)し、改正が追い風を受けている好機でもある。なぜ戦力不保持の第2項の削除に即刻手をつけないのか。空襲の訓練までさせられている日本国民は、一刻も早い有効で本格的な国土防衛を期待している。

 これに対し、首相提案を支持する人々は、万が一改憲案が国民投票で否決されたら永久に改憲の機会が失われることを恐れ、国民各層に受け入れられやすい案を作る必要があり、首相提言はその点、見事であると褒めそやす。
 
 さて、ここは考え所である。右記のような賛成論は国民心理の読み方が浅い。憲法改正をやるやると言っては出したり引っ込めたりしてきた首相に国民はすでに手抜きと保身、臆病風、闘争心の欠如を見ている。外国人も見ている。それなのに憲法改正は結局、やれそうもないという最近の党内の新たな空気の変化と首相の及び腰は、国民に対する裏切りともいうべき一大問題になり始めている。

≪≪≪保守の立場から堂々と批判を≫≫≫

 北朝鮮の核の脅威と中国の軍事的圧力がまさに歴然と立ち現れるさなかで敵に背中を向けた逃亡姿勢でもある。憲法改正をやるやるとかねて言い、旗を掲げていた安倍氏がこの突然の逃げ腰−5月3日の新提言そのものが臭いものに蓋をした逃げ腰の表れなのだが−のあげく、万が一手を引いたら、もうこのあとでどの内閣も手を出せないだろう。

 国民投票で敗れ、改正が永久に葬られるあの幕引き効果と同じ結果になる。やると言って何もやらなかった拉致問題と同じである。いつも支持率ばかり気にし最適の選択肢を逃げる首相の甘さは、憲法問題に至って国民に顔向けできるか否かの正念場を迎えている。

 そもそも自民党は戦争直後に旧敵国宣撫(せんぶ)工作の一環として生まれた米占領軍公認の政党で、首相のためらいにも米国の影がちらつく。憲法9条は日米安保条約と一体化して有効であり、米国にとっても死守すべき一線だった。それが日米両国で疑問視されだしたのは最近のことだ。今まで自民党は委託された権力だった。自分の思想など持つ必要はないとされ、仲良しクラブでまとまり、左からの攻撃は受けても、右からの生存闘争はしないで済むように米国が守ってくれた。

 しかし、今こそ日本の自由と独立のために自民党は嵐とならなければいけない。保守の立場から保守政権を堂々と批判する勇気と見識が今ほど必要なときはない。(評論家・西尾幹二 にしおかんじ)

https://ssl.nishiokanji.jp/blog/?p=2218

『国体文化』八月号に拙稿が掲載されました

『国体文化』八月号に拙稿「資本主義の超克とその先の国家論(五)」が掲載されました。
ご覧いただければ幸いです。

本号では北一輝と三島由紀夫の国体観を比較しております。

次号で第一章が終了します。
自分で言うのも何ですが、わたしはこの連載で同じことを手を変え品を変え繰り返し繰り返し語っているにすぎません。しかし、その叙述は螺旋階段を下るように、同じようなことを語っているように見えて少しずつ現代の問題、今のわたしたちが抱える問題に降りていくことを目指しました。

崎門学研究会『崎門学報』第十号が発行されました

わたしも参加している崎門学研究会の機関紙『崎門学報』第十号が発行されました
本号では、わたしは「明治以降における忠臣蔵―福本日南と浅野長勲が掘り起こした忠臣義士の物語―」、「活動報告」の一部(保建大記勉強会報告)、書評「山本直人『敗戦復興の千年史』」、書評「山口翔『永遠の忠臣蔵』」を書かせていただきました。
上記リンクから読めますのでご高覧いただけたら幸いです。

『国体文化』七月号に拙稿が掲載されました

『国体文化』七月号に拙稿「資本主義の超克とその先の国家論(四)」が掲載されました。
ご覧いただければ幸いです。

今月号の(四)と来月号の(五)は北一輝の思想の検討を中心に、それにまつわる話を取り上げてます。

遠藤無水や北原龍雄についても言及しております。

『季刊日本主義』第三十八号(平成二十九年夏号)に拙稿が掲載されました

『季刊日本主義』第三十八号(平成二十九年夏号)に拙稿が掲載されました。
本号より、『季刊日本主義』で「いま日本精神を考える」と題して連載を行います。
国体文化での「資本主義の超克とその先の国家論」と同じく戦前の思想を参照しつつ自らの主張も織り交ぜていくという論法を取っておりますが、『季刊日本主義』のほうがわたしの主張の要素が強いものとなっております。

連載は、日本精神について論じていることは共通しながらも、一号完結方式で描いていきます。
今回は「地理と日本精神」と題しました。「―経済成長、国益。、ナショナリズムに回収されない日本精神とは―」という副題を付けた通り、やや挑戦的で、いわゆる「保守」的な人が読むことを想定して敢て逆張りしているところがあります。

今号については松本健一からの引用が目立つのですが、松本健一はあまり好きな作家ではありませんでした。しかし亡くなった時にふと思い立ち膨大な松本健一の著作の多くに目を通した時、やはり学ぶところの多い人物だったのではないかと思うようになりました。

ご覧いただけたら幸いです。

『国体文化』六月号に拙稿が掲載されました

『国体文化』六月号に拙稿「資本主義の超克とその先の国家論(三)」が掲載されました。
ご覧いただければ幸いです。

今回は武士道と社会主義の関係についてです。前半の中では特に重要な部分に当たるのでここからでもお読みいただけましたら幸いです。

なお、「動報」の国体思想研究会についての報告でも、わたしについて言及していただいております。

竹内好の怒り

 60年安保では岸内閣の日米安全保障条約改定に反対する大規模なデモが発生している。その過程で、羽田空港で、アイゼンハワー大統領訪日の日程を協議するため来日したジェイムズ・ハガティー大統領報道官が空港周辺に詰め掛けたデモ隊に迎えの車を包囲されて動けなくなり、アメリカ海兵隊のヘリコプターで救出されるという事件が発生した。ハガティーは「この人らは日本に対する忠誠心さえもない人たちである」とコメントした。
 この発言に怒ったのがいわゆる左翼的アジア主義者の竹内好である。竹内は、「本心は日本を独立国と思っていないのではないか。彼が『日本に対する忠誠心』というとき、その本意は『アメリカに対する忠誠心』と重なっているのではないか」と述べた。
 当時の英米世論は概してデモ隊に批判的であった。イギリスの新聞は、「東京の狂信的な若者ども」は「かつて真珠湾をたたき、シンガポールで同胞をいためた狂信者の子供である」と評した。アメリカでは「リメンバー・パールハーバー」、「日本人は、戦前とちっとも変っていない」と言ったという。
 これら英米世論やハガティーの人種差別的な反応には驚かされる。なるほど現代の目から見ればデモ隊がインターナショナルを歌っていたり、ソ連から金が出ていたことなど、その敵意はわからないでもない部分もある。だが、竹内が喝破したように、英米には日本人を自分たちの言うことを聞いて当然という意識がありありと見える。竹内が怒るのも当然だし、そこにはインターナショナル的な左翼思想に収まらない、いわば愛国的な側面も感じ取ることが出来よう。

参考:小熊英二『民主と愛国』540頁

『国体文化』五月号に拙稿が掲載されました

『国体文化』五月号に拙稿「資本主義の超克とその先の国家論(二)」が掲載されました。
ご覧いただければ幸いです。

第二回は福沢諭吉、田口卯吉、徳富蘇峰の市場に関する言説を中心に取り上げております。わたしの主張は多くない箇所ですが歴史的な議論としては大事な箇所ではないかと考えております。

日本学協会『日本』五月号に拙稿が掲載されました

日本学協会『日本』五月号に、拙稿「澁川春海の尊皇思想」が掲載されました。
掲載していただける旨はすでにご連絡いただいておりましたが、わたしは六月号だと勘違いしておりましたので親しい方にもご案内しておりませんでした。ご覧いただけましたら幸いです。
管理人について

陸羯南翁


中田耕斎

昭和六十年生まれ。明治期の国民主義者、陸羯南(くがかつなん・写真)の思想に共鳴する。戦前日本の国粋主義に興味を持つ。
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