歴史と日本人―明日へのとびら―

日本という国は、悠久の歴史を持つ国である。 この国に生まれた喜びと誇りを胸に、本当の歴史、及び日本のあり方について考察してみたい。 そうすることで、「明日へのとびら」が開かれることだろう。

国体文化三月号に拙稿が掲載されました

国体文化三月号に拙稿が掲載されました。今回は「基軸のない戦後日本」と題して国の根本精神を失った戦後という時代を論じました。ご覧いただけましたら幸いです。

農業協同組合新聞に記事が掲載されました

農業協同組合新聞に記事が掲載されました。以下に全文掲載いたします。

ーーーー

小野耕資『筆一本で権力と闘いつづけた男 陸羯南』【自著を語る】

時は明治時代。一人の言論人がいた。その名は陸羯南(くが・かつなん)。安政四年に青森の弘前に生まれ、明治四十年に没した人物である。正岡子規を育てたことでも知られている。

羯南は上京し、明治二十二年に『日本』を創刊した。羯南は「維新の負け組」東北出身者として、日陰者の人生を歩んだ。しかし負け組の東北人であっても日本の為に貢献できる。そんな志をもって創刊したのが『日本』だった。だからこそ羯南の言論は「国粋主義」と呼ばれるナショナリズムを強く打ち出すものであったが、同時に弱き者、虐げられた者への温かい目線を持ち、権力や財閥に対する強い反骨心が前面に出たものであった。

本書はそんな羯南の言論にかけた人生を紐解きながら、改めて現代日本について考える物語である。

当時問題になっていたのが足尾鉱毒事件だ。田中正造らが問題の告発を行っていたが、その運動は進んでいなかった。足尾銅山が古河財閥によって経営されていたからだけではない。銅山がもたらす収益は、周辺の農業漁業がもたらす収益よりはるかに大きかったからである。御用医学者は「少量の銅はむしろ健康に良い」などと言い放ち、福沢諭吉の『時事新報』は官憲の言い分をそのまま垂れ流し、正造の告発にも冷笑的態度で臨んだ。

しかし羯南はそうではなかった。足尾の窮状を見て即座に特派員を送り、正造の活動を支援した。藩閥政府による自己責任論を厳しく批判する社説を掲載した。経済効率だけではない、弱いものも救われるべきという「人道」のためである。「銅と米とを見て、而して人道をば見ざるものなり」。生産額だけではない。そこに人々の生活があり、それを守っていくことこそが政治の仕事ではないか!
この羯南の熱き思いはカネや権力との癒着にまみれた当時の言論界にあって一片の清涼剤となったのである。

その他にも羯南は当時の地租増徴に反対し、農業を国の本とする言論活動を行っている。商業重視の田口卯吉と谷干城の論争を主催した。干城は、『日本』の有力な支援者であった。また羯南は百姓を兵糧製造機のように扱う当時の明治政府の軍拡路線も厳しく批判した。

「嗚呼此勤勉にして可憐なる百姓を絞り地方を枯渇せしめ国家の富強を謀らんとす。是れ猶ほ妻を殺して児の産まるるのを欲するが如し。是狂と云はざるを得んや」。干城の言葉である。地方を盛り立てていくことこそ羯南たちの志であったのだ。経済弱者も富裕層も、あるいは地方の人も都市に住む人も同じ日本人である。日本人一人ひとりが、どの人も持てる才能を日本のために尽くせる日本でなければならないのだ。

羯南は営利のために言論を行うことを嫌った。そのため新聞経営は苦労の連続だった。志を同じくする華族等からの寄付で新聞経営を続けていたが、その道のりは綱渡りの連続であった。しかしそんな中においても、羯南はあくまで公論を貫き、己の地位や名誉などの私心のために書くことはなかった。権力から発行停止処分などの弾圧を受けても、くじけず媚びることなく己の言論活動を貫いた。だからこそ羯南のもとからは後の明治、大正時代を支えた言論人が多く巣立っていったのである。

羯南は地方やそこに暮らす民の生活に思いを致す言論人であった。現代人に欠けているのは羯南たちが持っていた熱さだ。「飯が食へなくても、文章を書かなきやならんからな」。こうした筆一本に欠ける情熱が、現代の言論人にあるか。

文に生きた羯南の人生を振り返ることは、必ずや未来を作らんとする現代のわたしたちを鼓舞してくれるだろう。現代では羯南の名を知る者は多くない。羯南を忘れている日本人は、義憤を忘れている日本人だ。

不二歌道会機関誌『不二』に拙稿が掲載されました

不二歌道会機関誌『不二』に拙稿が掲載されました。年男年女が書く「新春随想」の欄に「コツコツと文章報国」と題して寄稿いたしました。ご覧いただけたら幸いです。

「天皇制」という日本特殊論

大正十二年、第一次日本共産党の綱領を検討する席において、ソ連から送られてきた指令は、「天皇制の廃止」であった。いわゆる「22年テーゼ」である。その後出された悪名高き「32年テーゼ」と並んで、日本の共産主義史において外せない事項である。

それを翻訳する過程で生まれたのが「天皇制」という言葉であった。谷沢永一を紐解くまでもなく、「天皇制」が共産党用語である所以である。
だが面白いのは、ソ連から贈られてきた文面は直訳的に言えば絶対主義的「君主制」の破棄だったのであって、それを「天皇制」と訳したのは、図らずも共産党関係者が一面の真実を表したということもできる。すなわち各国に存在する「君主制」ではなくて、天皇が日本に非常に特殊な権威として君臨する存在であるということを示す事にもつながったからだ。それゆえかこの32年テーゼを信奉した左翼は「日本特殊論」になっていくことにもつながっていくのである。

新自由主義・共産主義による政治の破壊と人々の選別


政治とは、バラバラで近視眼的な人々の私的な意見を、公論たる「国民の意思」にまとめあげる作業のことである。世間では多数決に対する盲信があって、国民の多数意見に基づき政策を進めればよいと思っているようだがそうではない。もしそのような盲信が正しいのなら、国民に電子アンケートでも取りAIが判定すればいいのであって、選挙も議会も議員もいらないはずだ。
ところが実際の政治は党利党略に振り回され、政権の都合が政治運営に露骨に反映される。特に昨今では野党やマスコミの追及に大臣がまともに答えない場面も常態化した。新自由主義的政策が起こってからそれはますますひどくなっているようにも思われる。
グローバル化によって、すべての人が故郷喪失者となってしまっている。そこに衆愚政治と新自由主義が忍び寄る。ふるさとの破壊は政治の破壊でもあるのだ。

これは妄想ではなく、新自由主義者の理想郷は中国共産党が独裁支配する中共なのである。新自由主義はグレートリセットを志向し、グレートリセットによる効率的な統治を目指し徹底的に効率的な管理支配体制の構築を行おうとする。監視カメラやビッグデータを共通データベース化することによって国民を支配しようとする。スーパーシティ構想の目指す先がそこにある。故郷も文化もない「効率的」な統治。それは人々を家畜の群れか何かとしか思っていないおぞましさがある。
菅政権の中小企業を統廃合する政策もその一環で、データベース管理するためにはできるだけ巨大企業によって顧客管理される必要があるからだ。もちろん外資による株式支配の拡大という面もあり、多重な意図を持って政策が立案されていることは言うまでもない。
共同体をぶっ壊し、地方の商店街をシャッター商店街と化した果てに大資本による市場が入り込む。その後は市場競争による選別。このおぞましい選別政策は新自由主義と共産主義の親和性を思わせる。この選別政策を自由だの努力だのと正当化する連中を認めてはならないのだ。

神道と自然、社稷―草莽の生き様

神社には、敷地内にしめ縄がはられたご神木がある場合も多い。これは神道が八百万の神に基づくことを示すことであるとともに、こうした木は人の手が入ってこそ大きく育ったことも意味する。自然の森と思われるような場所でも人の手が入っていることは多いし、逆に明治神宮のように人の手で作られた森であっても半自然林化しつつあるくらいの場所もある。人の手が入ることで、神社は森と共にある存在となったのだ。それは森からとれる材木を社殿として使うことも含めての話である。
「社(やしろ)」と「杜(もり)」の漢字は古代はあまり厳密に使い分けられなかったようで、「社」で「もり」と読ませる例もあるらしい。ある意味神社と森が一体となっていた管理、維持されていた証であろう。
昨今それが高齢化等の問題により森が管理されなくなり、神社と森の共生関係が崩れ始めてしまっているという。由々しき事態である。
ことは高齢化のみではない。資本主義の蔓延は世の中をカネになるかならないかで一刀両断する風潮をはびこらせ、それが森の管理が出来なくなっていく遠因にもなっている。賽銭や寄付などの収入と管理にかかる費用との天秤で割に合わないということで、森の管理が放棄される場合もある。もちろん先立つものがなければ維持できないというのは世の常ではあるが、やはり一抹の危機感を感じざるを得ない。自然を畏れ、恵みに感謝を捧げる霊性の感覚が失われつつあるということでもあるからだ。

明治時代、わが国は植民地支配の脅威から逃れるために、富国強兵殖産興業を掲げ、日清戦争、日露戦争を戦い抜いた。それは避けようのない選択ではあったが、しかし伝統、文化、共同体、地方、農村、信仰といった面を置き去りにした側面はなかっただろうか。
「ちょっと待ってくれ!」
と明治以来の国家体制に異議を唱えた人物こそ、権藤成卿であった。権藤は内田良平の黒龍会に深く関係した人物で、五・一五事件の理論的指導者でもあった(決起そのものには反対していた)。権藤が唱えた思想の根幹こそ、社稷であった。社稷とはシナの古典に由来する。社稷は土地の神と穀物の神であり、王が祭祀権を持ったことで王の祖先神的性格を有した。シナでは王、皇帝の祖先神的性格を持ったが、日本は万世一系の国、そして天皇陛下は八百万の神に祈りを捧げ、人々の平穏な生活を願う存在ということで、共同体共通の神であり、人民の生活の象徴として権藤はとらえた。言葉は道を示すということであり、権藤は「社稷」という言葉をシナ古典から拾い上げ独自の意味を付加することで新たな世界観を提示したのであった。
してみれば明治以来の国家体制とは、政府権力が社稷に勝利していく過程ととらえることもできる。一君万民祭政一致の精神からは遠のき、新興近代国家が一つできていく過程は、「生き残るためには仕方ない」という遁辞を積み重ねて理想の国からはるか遠いところに来てしまったという悔恨、後ろめたさも伴うものであった。そうした悔恨を忘れて権力機構になじむのは堕落なのである。だからこそ権藤は右派からの反政府的思想を立ち上げたわけである。反政府的右派運動は西郷隆盛頭山満を原初とし、反政府的右派言論は陸羯南、三宅雪嶺ら明治二十年代の国粋主義を原初とする。右派がなぜ反政府的にならざるを得なかったのかといえばこうした問題意識があったからである。
戦後において社稷という言葉をよみがえらせた一人が村上一郎である。村上は『草莽論』で権藤成卿を多く引用し、社稷の姿、そして社稷を守るために生き、死んでいく存在としての「草莽」を描いた。草莽とは大臣官僚に非ず国政から遠いところにあろうとも、千年前の先人に範を求め、千年後の同胞に語り掛ける存在である。そうした草莽にとって政治とは結果だけのものではなく、生き様を示すものであった。元来政治とはそういうものでなければならないはずであろうが、いつの間にか税金と行政サービスとの取引関係に堕落させられ、生き様を示すものではなくなった。近代はすべてのものを堕落させるが、ここにも毒が回っているのである。

祭政一致を胸に信仰と政治に生き、晴耕雨読し農が身近にある生活を送る草莽の生きる余地は、現代社会に存在しづらくなっているのかもしれない。しかし、理想に全霊を捧げた先人の生き様は、いかに現代が理想から遠のき、真の維新から遅れても、遅れてもなお、わが身を鼓舞してやまないのである。

グローバリズム・新自由主義から国民共同体を防衛せよ【福岡憂国忌懸賞檄文】

福岡憂国忌懸賞檄文で佳作をいただいた。
全文は福岡黎明社サイトに掲載されているが、本ブログでも全文を掲げておく。

ーーーーーーーー

冷戦は終わった
顧みればこの二十年、われわれは何をしていたのだろうか。権力が自ら大資本の手先となり、自らの国を貶め、財産を売り払い、国民共同体を破壊し、私腹を肥やしていくのを、ただ漫然と見過ごしたのではないだろうか。そう思うたびに忸怩たる思いがこみ上げてくる。
いまだに冷戦時代の常識にとらわれ、敵は共産党と朝日新聞、自民党は味方と思い込む保守派の迷妄には、心底呆れる思いがする。日本人の魂はどこに行ったのか! その眼には現代社会が見えているのか。ソ連はとうの昔に崩壊したのだ。時代は、劇的に変わったのだ。資本主義は新自由主義・グローバリズムに変貌を遂げ、ついに国民共同体にまで牙をむくようになった。資本主義対共産主義の冷戦時代は終わりを迎え、グローバリズム・新自由主義対ナショナリズムの時代が幕を開けたのである。

国家を破壊するグローバリズム・新自由主義
「社会なんてものはない」。
そう言い放ったのは英国首相を務めたマーガレット・サッチャーである。
新自由主義は社会の解体に動いてきた。社会を、あるいは国家を、市場に置き換えることこそがグローバリスト・新自由主義者の目標である。そのために彼らは国家権力の中に巧みに入り込み、「構造改革」と称してグローバル資本優遇、土着的な産業を解体へ追い込んでいく。わが国では竹中平蔵氏が小泉内閣以降暗躍し、さらにその方向性を強めることとなった。
資本主義は利潤追求を是とする思想である。そのため貧富の格差ができることを容認した。その結果、富者が己の富を更に増やすために国家権力と結びついたら? あるいは、一国にとどまらない超巨大資本が誕生し、カネの力で国家権力を自らの走狗にしだしたとしたら? 資本主義はそのことを何も想定しなかった。市場で勝利するにはイノベーションは必須だが、当たるかわからない新たな商品・サービスを開発するよりも、権力と結びつき税制優遇等を勝ち取る方がよりたやすい「勝ち方」である。だがこれを許してしまえば社会はめちゃくちゃになってしまう。こんなものを容認してしまえば、社会はカネこそすべての拝金状態となる。「古き良き時代」は遠くに去り、友情よりも、仕事の誇りよりも、カネがすべての価値を決める下品な時代が到来したのだ。
元来、生産すべきものがまずあって、その生産のために必要だから資本が求められていた。だがもはや現代では主従は完全に逆転し、資本があって、この資本を増大するために何が必要かという観点から生産が後から見出されるようになった。だから資本の増大は相変わらず続いているが、その利益は生産者には降りて来なくなった。そして生産者の仕事は徹底的に分業され、いくら勤めてもニッチな技能は身に付いても、本当に経済的に自立する技能はまるで身に付かなくなっていった。マクドナルドのバイトを何年勤めても、パティを焼き、パンに挟む技術は身に付くかもしれないが、ハンバーガーショップを営むノウハウは永遠に身に付かないのである。機械化、マニュアル化された生産からは人情や地域の輪は姿を消し、自販機のような金銭とサービスのやり取りだけが残ったのである。
「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行つたら「日本」はなくなつてしまうのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである」。
三島由紀夫のこの嘆きを、いままでどれほどの人が引用してきただろう。だが三島の嘆きを現代にひきつけて考えている人間はどれほどいるのだろうか。われわれの魂はいつまで資本に翻弄されるのか。ニホンという市場だけが残り、日本社会は消え去るのか。反抗の声が必要だ。

国民共同体を支える草莽の精神
国民共同体を支えるのは民族の不覊独立の精神である。現在の日本は亡国の危機に瀕しているが、亡国とは国土の消滅や国民の全滅だけを意味するものではない。目に見えない民族の魂が失われることをも意味するのである。
かつての村落共同体は精神的絆で固く結ばれていた。仕事はまさしく共同体に「仕える事」であり、共同体はお互いがお互いの面倒を見合い、助け合った。それが資本主義によってバラバラに解体されてしまったのだ。それが、生きることにどこか本気になれない、ニヒリスティックな精神をもたらした。システムが先行し、人間はそのシステムに従属する存在になったのだ。
「共同体を作り直す」。このことを目的に見据えなければ、社会はどこまでも解体されていくのではないか。自分の一身を超えた大いなるものへの参与なくして、現代人の持つ虚しさは解決し得ない。共同体の自治が確立し、その自治体の延長に国がある。それこそがあるべき姿なのだ。そうしたナショナリズムを、近代社会は解体し、政府と大衆ののっぺりとした関係に変えていった。
人間の色を持った国民共同体(≒社稷)を守るべく立ち上がる人々のことを、「草莽」という。
村上一郎は『草莽論』で、草莽とは「自覚ある大衆」であると論じている。草莽はたとえ家に一日の糧なくも、心は千古の憂いを懐く、民間の処士である。こうした草莽には、いかなる権力の威武も金銭の誘惑も通用しない。草むらの陰でひっそりと暮らしつつ、国を憂い、天下のために立つ。こうしたカネも要らぬ、命も要らぬ志士こそ、時の権力者はもっとも恐れるのである。
こうした志士が、現代ではいかに少なくなったことか。志士が守るのは社稷であり、国の大本であるが、時の政権や政体ではない。こうしたことさえ現代人には見えなくなった。草莽の士が少なくなったことも、グローバリズム・新自由主義がのさばる原因となったのである。
民族の生死の基盤への希求と葛藤が、現代人にもっとも欠けているのだ。
三島由紀夫は『檄』で、以下の様に述べた。
「われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を潰してゆくのを、歯噛みをしながら見てゐなければならなかつた」。
愛国者を自認する人が増えてきたが、それは中国、韓国、北朝鮮に強硬な言辞を吐くことにしかなっておらず、真に祖国の風土や文化、信仰、歴史、共同体に想いを馳せることには繋がっていない。あまつさえ愛国の名のもとにヘイトスピーチを囀ずるなど論外で、かの国の「愛国無罪」を嗤うことはできない。政権のうれしがりに乗って、反政府を左翼だとみなしているうちに、ナショナルな基盤はいつの間にか解体されている。政権はもはやグローバリスト・新自由主義者に乗っ取られていると思うべきである。
いま必要なのは、国の大本に思いを致し、真の日本人の魂を胸に国民共同体の為に発言し、行動する草莽の士である。
草莽の士よ、いまこそ立ち上がれ!
日本人の魂が今後も生き残れるか否かの分水嶺は、いまここにあるのである。

国体文化一月号に拙稿が掲載されました

国体文化一月号に拙稿が掲載されました。
今回は「すべての道は自治に通ず」と題しまして、自治の精神の重要性について論じました。ご覧いただけたら幸いです。

経世済民の根本義を明らかにせよ


竹中平蔵がTV朝日「朝まで生テレビ」で、
「財政均衡論は間違いだったことが判った」
「今年はまだ100兆円の国債を発行しても大丈夫。日銀が買い取っているんだから」
という発言をしたことが話題になっている。


竹中平蔵こそが財政均衡を主張し、社会福祉切り捨て、民間移行の新自由主義的政策を進めてきた張本人に他ならないからだ。

もちろん竹中がいままでこのような主張を繰り広げてきたのは、それがパソナの代表取締役でもある自分の利益につながるからである。
そもそも竹中平蔵は新自由主義者と呼ばれることを嫌う。竹中は「経済思想から判断して政策や対応策を決めることはありえない」(『経済古典は役に立つ』5頁)といい、小泉総理にこれからは新自由主義的な政策を採用しましょうなどと言ったことは一度もないという(佐藤優、竹中平蔵『国が滅びるということ』20頁)。日々起こる問題を解決しようと努めてきただけだ、というわけである。
これは、竹中が一定の信条を持つ人物ではなく、状況に応じて自らが儲け政治を私物化するレントシーカーであることの自己表明として受け取るべきであろう。

つまり今回の竹中の積極財政論の主張は、これまでの緊縮新自由主義路線で儲けたことから積極財政で儲けることへの転換を意味する。

新自由主義路線で疲弊したわが国には、国からの積極財政による物質的恩恵が必要不可欠だ。だがそれは竹中一派らレントシーカーの跳梁を招く結果に陥ってはならない。

そのためには、「何のために経済政策を行うのか」という根本義、目的の確立が不可欠だ。

経済政策は、天皇陛下の大御宝である国民一人ひとりが生活になるべく苦しむことのないような視点から立案、実行されなくてはならない。国民は陛下の前に平等であり、従って経済格差は少なくなるのが望ましい。また、それは地域や家族といった国民の中間共同体の自治を尊重する形で進められるべきだ。それこそが君民共治たる国体に基づく政治のあり方だからである。

こう考えると竹中平蔵による積極財政論や、現在政府が進めているgotoキャンペーンの誤りも自ずから感得できよう。
これこそが、わたしが積極財政を主張しながら竹中やgotoに賛成しない根拠なのである。

諸葛孔明の生きざまと日本人の精神

昭和四十五年二月、漢学者池田篤紀は延原大川を訪ねた。延原は黒住教の紹介者としても知られ、民族派とも親好を結んだ人物である。延原は池田を歓迎し酒席を共にすることとなった。そこで延原は土井晩翠の「秋風五丈原」を朗々と吟じたのである。「明治の生んだ最高の詩はこれである」。
孔明の、劉備玄徳の君恩に深く感じ入り、あくまで正統を重んじ忠義を尽くさんとしながら戦場で病に倒れた孔明の姿勢に感じ入ったのである。
池田はこれに深く感じ入り、「必ず孔明の評伝を書く」と約束した。

国の正統は領土人民の大小といった現実の力関係にあるのではない。あくまで漢朝の正統を重んじ、民族の文化伝統を正しく伝えている態度にこそ重んずべき価値はあるのだ。結社を禁じられつつもあえて桃園の誓いを果たし、孔明を迎え、力で支配する曹操に抗したところに劉備の真骨頂があった。
こうした蜀漢の姿勢は多くの日本人を感激せしめた。浅見絅斎は『靖献遺言』に諸葛亮を取り上げているし、平田篤胤は「篤胤は孔子以後唯孔明ありと思はるることでござる」(西籍概論)と述べた。
孔明自身の生き方が、一編の詩となり日本人を鼓舞したのである。
こうした生き方をできた人物は、他に大楠公を数えるばかりであろう。

管理人について

陸羯南翁


愚泥

昭和六十年生まれ。明治期の国民主義者、陸羯南(くがかつなん・写真)の思想に共鳴する。戦前日本の国粋主義、農本主義に興味を持つ。著書『資本主義の超克〜思想史から見る日本の理想〜』(展転社、令和元年)
*コメントに関しては原則削除は行いませんが、間違って二重に書き込まれた場合などは編集または一つ削除する場合がございますのであらかじめご了承ください。荒しは事前に通告の上、削除することがあります。





月別記事一覧
ご意見
記事検索
読者登録
LINE読者登録QRコード
メッセージ

名前
メール
本文