歴史と日本人―明日へのとびら―

日本という国は、悠久の歴史を持つ国である。 この国に生まれた喜びと誇りを胸に、本当の歴史、及び日本のあり方について考察してみたい。 そうすることで、「明日へのとびら」が開かれることだろう。

著作一覧

備忘的に私が活字媒体に掲載されたものをすべて掲げる。随時更新していく。
◆単著
『資本主義の超克』(令和元年、展転社)
『筆一本で権力と闘いつづけた男 陸羯南』(令和2年、K&Kプレス)
『大和魂の精神史』(令和3年、望楠書房)
『岸田総理に伝えたい 新自由主義の転換はふるさとの復活から』(令和3年、望楠書房)
『読んでおきたい日本の「宗教書」―日本人の生き方を考える12冊』(令和4年、宗教問題)
◆共著、編著等
『権藤成卿の君民共治論』(令和元年、展転社)⇒論考
ラジャー・ダト・ノンチック『日本人よありがとう 新装版』(令和3年、望楠書房)⇒解説
『日本再建は水戸学国体論から!』(令和4年、望楠書房)⇒論考
◆単行本所収論文
『西尾幹二のブログ論壇』(平成22年、総和社)「おかしな竹田恒泰氏の論文」(「耕」名義)
◆雑誌論文、書評等
◇国体文化
「陸羯南の国家的社会主義」(平成28年5月号)⇒『大和魂の精神史』
「資本主義の超克とその先の国家論」 銑(平成29年4月号〜平成30年9月号)⇒『資本主義の超克』
「神の目線に立つな―中島岳志『保守と大東亜戦争』批判」(平成30年11月号)⇒『大和魂の精神史』
「分断と強権の時代―いま改めて国家を問う」 銑(平成31年3月号〜令和元年10月号)
 (断と強権に抗するネーション
 僭主はいかにして登場するか
 9駛匹寮鎖
 ぴ體観・資本・愛国心
 ダ府が必要なくなる時が来る…?
 死刑は正当化されるか
 民のための政治と「民意」への不信
 ┯⇔狼々修痢崟府」よりも相互扶助の「共同体」を
「書評 相澤宏明『法華経世界への誘ひ』への誘ひ」)「実践行動」の指針(令和2年7月)
「書評 堀雅昭『靖国神社とは何だったのか』」(令和2年12月号)
「風土と共同体に基づく経済」 繊(令和2年1月号〜継続中、令和3年2月号のみ休載)
 ,覆湿暖饑覗税は愚策なのか
 日本が外国人労働者に見捨てられる日
 リベラリズムの欺瞞『労働者の味方をやめた世界の左派政党』
 い覆鴫な討亮匆駝閏膽腟措圓録用できないのか
 ザ畭絣很浸彖曚鯒咾
 Ε哀蹇璽丱觧埔豬从僂ら國體に基づく経済へ
 Ъ卅劼箸い考え方(1)江戸時代
 ┝卅劼箸い考え方(2)西郷隆盛
 社倉という考え方(3)柳田国男
 社倉という考え方(4)権藤成卿
 冷戦思考から純正日本民族主義へ
 技術革新の正体見たり ―すべての技術革新は賃下げに通ず
 すべての道は自治に通ず
 基軸のない戦後日本
 社会を貫く縦軸
 暗租への信頼―一神教と多神教
 運与契い寮い剖ζ餌里鯡笋
 欧呂襪なる農本世界へ
 崖丙垢郎遒蕕譴
 看惜楴腟舛脳綉藕駝瑛ザ政治を改めよ
 ㉑俗悪カネ儲け主義を克服する建築、都市の模索
 ㉒新自由主義からの転換は岸田政権に可能か
 ㉓風土と共同体に根差す信仰を論ず
 ㉔出口王仁三郎の皇道経済論
 ㉕ふるさとへの愛情を語ろう
 ㉖古神道の歴史❶神仏分離の光と影
 ㉗古神道の歴史❷世界に通ずる原初的信仰に帰れ
 ㉘古神道の歴史❸教派神道と第二維新運動
 ㉙古神道の歴史❹筧克彦『古神道大義』の信仰と新時代の経済
「座談会・平成人による平成論」上中下(令和元年5月号〜7月号)
◇月刊日本
「読者より」欄(平成27年10月号)
「書評井尻千男『歴史にとって美とは何か』」(平成28年9月号)⇒『大和魂の精神史』
「読者より」欄(平成29年4月号)
「ふるさとを復活させよう」 銑(平成29年10月号〜平成30年8月号・隔号掲載)⇒『ふるさとの復活から』
 |亙って言うな―地方創生の欺瞞
 観光立国とインバウンド依存経済の限界
 4閏9餡箸隼埔豸桐主義の悪弊
 さ制緩和による町の空洞化を防げ
 ツ磴垢る最低賃金を見直し東京一極集中を改善せよ
 δ礇┘優襯ー生活への転換で近代文明を転換せよ
「イギリスよ、お前が言うな!問題の本質は植民地支配の残滓だ」(特集:これが、ミャンマー「ロヒンギャ問題」の真相だ)(平成30年5月号)
書評 拳骨拓史『親日派朝鮮人消された歴史』(平成31年8月号)
「孤高の言論人 陸羯南」 銑(平成31年1月号〜令和元年12月号)⇒『陸羯南』
  崙本新聞社員タリ。月給四十円」正岡子規と陸羯南
 ∽仔遒力何佑箸い生き様「飯が食えなくても、文章を書かなきゃならんからな」
 「現代もまた、『日本』新聞と陸羯南とを切に求めている」丸山侃堂、眞男父子と羯南
 ぜЬ譴箸靴討瞭本新聞社「社長などとは決して言わなかった」
 ァ峺珪襪硫次誰人か天下の賢」弘前と陸羯南
 条約改正反対運動と陸羯南
 福沢諭吉と対決した陸羯南
 陸羯南とルポタージュ
 陸羯南の税制論
 福本日南と羯南のアジア論
 羯南と支援者たち
 羯南の死
「今こそ、陸羯南に学べ! 」(令和2年12月号)
「読者より」欄(令和4年5月号)
◇季刊日本主義
「いま日本精神を考える」 銑(平成29年夏号〜平成30年冬号)⇒『大和魂の精神史』
 |詫と日本精神―経済成長、国益、ナショナリズムに回収されない日本精神とは
 ¬声9饋莠腟舛箸浪燭世辰燭―「数値化される国益」と「数値化されない国益」を巡って
 F本人にとって儒教とは何か
 づ賤里侶从僂叛祥里離┘灰離漾次重頂蠖竜舛旅墜桟从冢世鮟笋辰
 サ鵡Щ囲困般宗悦ー霊性と伝統を巡って
 μ田胸喜の政治思想
 Ч勅蔀羶瓦寮治論
「赤瀾会の女たち : 伊藤野枝と権藤誠子」(平成30年春号)⇒『大和魂の精神史』
「思想としての「アジア主義」を考える」(平成30年夏号)⇒『大和魂の精神史』
「書評『天皇とプロレタリア(普及版)』」(平成30年夏号)⇒『大和魂の精神史』
「「日本国憲法=日米同盟」体制の閉塞」(平成31年春号)⇒『大和魂の精神史』
◇日本(日本学協会)
「渋川春海の尊皇思想」(平成29年4月号)⇒『大和魂の精神史』
「神道・農本・アジアー幡掛正浩の日本論」(令和4年3月号)
◇愛媛県師友会機関紙「ひ」⇒ひの心を継ぐ会機関誌『ひ』
「伝統と信仰」(平成28年2月)⇒『大和魂の精神史』
「『土居清良』を拝読して」(平成30年12月)
◇大亜細亜
「陸羯南のアジア認識―『国際論』を中心として」(創刊号、平成28年6月)
「価値観外交の世界観から興亜の使命へ」(創刊号、平成28年6月)
「トランプ大統領就任の意味と興亜の使命」(第二号、平成28年10月)
「柳宗悦のアジア的価値観」(第二号、平成28年10月)
「外国人労働者問題から見る目指すべき大道の覚醒」(第二号、平成28年10月)
「近世東洋史」(第三号、平成29年5月)
「書評古谷経衡『アメリカに喧嘩を売る国フィリピン大統領ロドリゴ・ドゥテルテの政治手腕』」(第三号、平成29年5月)
「右翼から国士へ」(第四号、平成29年10月)
「書評浦辺登『玄洋社とは何者か』」(第四号、平成29年10月)
「アジアをいまも蝕む欧米列強植民地支配の残滓―ロヒンギャ問題」(第五号、平成30年3月)
「岡倉天心と霊性」(第五号、平成30年3月)⇒『大和魂の精神史』
「権藤成卿の思想をいま顧みよ―権藤成卿生誕百五十周年記念祭報告」(第六号、平成30年7月)⇒『権藤成卿』
「保田與重郎の『絶対平和論』を読む」(第六号、平成30年7月)⇒『大和魂の精神史』
「いまこそ神政維新の精神に立ち返れ」(第七号、平成30年12月)⇒『大和魂の精神史』
「戦後ナショナリズム批判ヾ飮鰍鍛法(第七号、平成30年12月)
「東洋王道の大義を胸に抱け」(第八号、令和元年七月)
「戦後ナショナリズム批判∋頁藁紡析此(第八号、令和元年七月)
◇崎門学報
「明治以降における忠臣蔵―福本日南と浅野長勲が掘り起こした忠臣義士の物語―」(第十号、平成29年7月)⇒『大和魂の精神史』
書評「山本直人『敗戦復興の千年史』(第十号、平成29年7月)
書評「山口翔『永遠の忠臣蔵』(第十号、平成29年7月)
「山本七平『現人神の創作者たち』を通して崎門学を考える」(第十一号、平成30年1月)
「山本七平『現人神の創作者たち』を通して崎門学を考える」(第十二号、平成30年5月)
「平泉澄の歴史観」(第十三号、平成30年9月)⇒『大和魂の精神史』
「天皇親政論」(第十四号、平成30年12月)⇒『大和魂の精神史』※部分所収
「社倉論」(第十五号、令和元年8月)
◇維新と興亜(『崎門学報』と『大亜細亜』が合併)
「同胞と呼べる国家へ」(創刊号、令和元年12月)
「江藤淳と石原慎太郎」 銑(創刊号〜第三号)
「書評田中秀雄『石原莞爾と小沢開作』」(創刊号、令和元年12月)
「表紙の写真 四元義隆「興亜」」(創刊号、令和元年12月)
「グローバリズム幻想を打破し、興亜の道を目指せ」(第二号、令和2年4月)
「書評浦辺登『勝海舟から始まる近代日本』」(第二号、令和2年4月)
「表紙の写真 片岡駿の生涯と思想」(第二号、令和2年4月)
「河上肇の生き様―愛国心と愛政権心の境目」(第三号、令和2年8月)
「書評 坪内隆彦『徳川幕府が恐れた尾張藩』」(第三号、令和2年8月)
「表紙の写真 青年日本の歌 悲歌慷慨の日は去りぬ」(第三号、令和2年8月)
「国が責任を果たす積極的な財政支出を」(第四号、令和2年10月)⇒『ふるさとの復活から』
「永井了吉 その自治論と産業倉庫論」(第四号、令和2年10月)
「蔵書紹介 村上一郎『草莽論』他」(第四号、令和2年10月)
「表紙の写真 永井了吉『革新日本の理論と政策』」(第四号、令和2年10月)
「原田伊織『昭和維新という過ち』の過ち」(第五号、令和3年2月)
「興亜先覚の地、弘前 陸羯南と山田良政」(第五号、令和3年2月)
「蔵書紹介 権藤成卿『自治民範』他」(第五号、令和3年2月)
「政治に巣食う商人を許すな」(第六号、令和3年4月)
「蔵書紹介 柳宗悦『手仕事の日本』他」(第六号、令和3年4月)
「二度の東京五輪が示す開発の害悪」(第七号、令和3年6月)⇒『ふるさとの復活から』
「農本主義と現代の農業問題 グローバルアグリビジネスを打ち破れ」(第七号、令和3年6月)
「書評 杉本延博『国家社会主義とは何か』」(第七号、令和3年6月)
「グローバリストの祭典が示す日本終焉」(第八号、令和3年8月)
「財界に甘いのは尊皇心がない証拠」(第八号、令和3年8月)
「三上卓の知られざる佐賀人脈 松尾静磨と舘林三喜夫」(第八号、令和3年8月)
「書評 鈴木宣弘『農業消滅』」(第八号、令和3年8月)
「グローバリストが農業を破壊する」(第九号、令和3年10月)
「経済弱者に優しい水戸学 構造改革論は尊皇愛国思想に非ず」(第九号、令和3年10月)
「水道私物化は売国の所業」(第十号、令和3年12月)
「高度経済成長とアメリカが日本農業を破壊した」(第十号、令和3年12月)
「書評 堀茂『無脊椎の日本』」(第十号、令和3年12月)
「水道私物化を主導する野田由美子の正体」(第十一号、令和4年2月)
「食糧生産とは安全保障である」(第十一号、令和4年2月)
「新自由主義者の次の目標はスーパーシティだ」(第十二号、令和4年4月)
「遺伝子組み換え食品がもたらす日本人の絶滅」(第十二号、令和4年4月)
◇宗教問題
「現代日本人のための垂加神道入門」 膳兮鈎罅、┷衞膤惴Φ羃駝承繊愚泥執筆分だけ以下に掲示
 /皺耽斉擦箸浪燭(第31号、令和2年9月)
 は蘇洩神さと中臣祓(第34号、令和3年6月)
 Э請鮑廚良活と垂加神道(第37号、令和4年2月)
◇『史』(新しい歴史教科書をつくる会)
ブックエンド田村秀男『景気回復こそが国守り脱中国、消費税減税で日本再興』(令和3年3月)
ブックエンド高橋繁行『土葬の村』(令和3年5月)
ブックエンド坪内隆彦『水戸学で固めた男 渋沢栄一』(令和4年3月)
◇選報日本
【特別寄稿】グローバル資本主義で日本が守れるか?歴史から現代を問う(令和2年8月)
【書評】坪内隆彦著『徳川幕府が恐れた尾張藩』 維新へ導いた初代藩主遺訓とは(令和2年8月)
◇農業組合新聞
小野耕資『筆一本で権力と闘いつづけた男 陸羯南』【自著を語る】(令和3年1月27日)⇒『ふるさとの復活から』
◇不二
新春随想「コツコツと文章報国」(令和3年1月号)
◇新風(維新政党・新風機関紙)
「皇道経済に基づき協同社会を守れ!」(令和3年9月)
◆懸賞論文(受賞作のみ)
福岡憂国忌懸賞檄文 佳作「グローバリズム・新自由主義から国民共同体を防衛せよ」⇒『ふるさとの復活から』

月刊日本読者投稿全文

月刊日本5月号読者投稿欄に寄稿した拙稿を全文公開する。

本誌4月号の南丘喜八郎主幹の巻頭言及び中村友哉編集長連載「新日本及日本人」におけるウクライナ寄りの報道姿勢に強い疑問を感じる。
ロシアによりウクライナ侵攻が行われ国際的に大きな課題となっていることは確かであるが、そもそも戦闘を仕掛けたのはロシアでも戦争を仕掛けたのはアメリカであるという根本姿勢を欠いている。
アメリカはソ連崩壊後もNATOを解散させず、ウクライナにゼレンスキーという傀儡政権を樹立させた。さらに歴史をさかのぼれば世界有数の穀倉地帯で豊かだったウクライナは、アメリカの新自由主義政策で内政が崩壊し、徐々に米国寄りに侵略され続けた。挙句が傀儡ゼレンスキー政権の登場である。プーチンは東漸する西側勢力に対し我慢に我慢を重ねつつ、捲土重来の機会をうかがっていたのだ。それが今回のウクライナ問題の根本原因である。
ロシアへの全面支持を要求するつもりもないし、そうした考えはわたしも持っていないが、ウクライナに対する過度な同調はアメリカの戦争犯罪を見過ごすことになりはしないか。アメリカには軍産複合体があり、一定年ごとに戦争を要求する好戦的国家であり、そのためにイラク、アフガニスタン、リビア、シリアといった国々が独裁認定をされ滅ぼされていった。アメリカの世論調査ではウクライナ情勢で「米国が主要な役割を果たすべきだ」という回答が26%にとどまった一方で、「小さな役割を果たすべき」は52%、「役割を果たすべきではない」との回答は20%に上ったという。アメリカ国民が望まない戦争を、軍産複合体に篭絡されたバイデン政権がまた果たそうと躍起になっている。バイデンは「プーチンは権力の座にとどまることはできない」などと好戦的発言をして他国首脳からたしなめられる始末だ。
本誌にはそうした現状への憤りが感じられない。ましてやアメリカの傀儡政権に草莽崛起の志など認めるわけにはいかないし、ロシア非難にリアリズムを超えた理想などあろうはずがない。日米同盟を寿いでいる自民党政権と大同小異だ。ロシアのプーチン大統領が日本の歴史教科書について「誰が原爆投下したかを言わず、真実を無視している」と語ったというが、全くその通りではないか。アメリカへの怒りが欠けているのではないか? それをプーチンに教えてもらっていること自体恥とすべきではないのか?
日本のメディアは判で押したようにアメリカ寄りの報道一色で、それが、わが国の独立が政治のみならず脳髄までいかに侵されているかをまざまざと証明している。化学兵器云々だプーチンは精神を病んでいるだの、イラク戦争の再来で根拠不明な情報が飛びかい、それに踊らされている様は滑稽だ。まさに属国! プーチンの戦争犯罪ばかりを並び立てて、アメリカの戦争犯罪に対してダンマリを決め込むことのどこが平和を望む態度なのか。鈴木宗男氏が「話し合いを無視したゼレンスキーにも問題がある」と発言し非難を浴びたが、わたしには何がおかしいのか全く分からない。その通りではないか! このような議論すら抑圧される国が現在の日本なのだ。本誌4月号においては鈴木宗男氏、稲村公望氏の論考がアメリカの情報戦略に毒されていない全く正しい見解であると思う。
日本国の独立自尊、自立と再生を目指すのであれば、まずはアメリカ寄りの報道姿勢の見直しからではないだろうか。アメリカ寄りの報道姿勢の深刻な反省なくして日本の明日など存在しない。
本誌4月号ではウクライナ国旗が表紙に掲げられているが、日本国の独立自尊、自立と再生を目指す雑誌ならば毎号日の丸が掲げられて然るべきだ。それこそがアメリカ支配から脱する草莽崛起の志である。

国体文化五月号に拙稿が掲載されました

国体文化五月号に拙稿が掲載されました。
今号も古神道について書いていきます。今回は「教派神道と第二維新運動」と題して、本来あるべき姿に戻るはずであった明治維新がただの近代国家建設にすり替えられたことへの異議としての古神道について描きました。ご覧いただけたら幸いです。

日本人は神道思想を自覚せよ!

昭和四十二年、イギリスの歴史学者であるアーノルド・トインビー氏が伊勢神宮を参拝した。このとき、トインビーは伊勢神宮に強い宗教精神を感じた。そして「伊勢神宮はすべての宗教の根源的な統一性を感じさせる聖地だ」といったという。
伊勢神宮の式年遷宮で造りかえられるのは社殿だけではない。宝殿外幣殿、鳥居、御垣、御饌殿など計65棟の殿舎のほか、714種1576点の御装束神宝(装束や須賀利御太刀等の神宝)、宇治橋なども造り替えられる。社殿内に奉安される装飾が施された宝刀、彩色された馬の彫刻、弓矢、機織りなどの神宝類も古式に則り材料が調達され、伝承された製法ですべて新造されるのである。それは復古的再生、すなわち維新を思わせる。

聖書の世界では、神から自然が生まれるが、日本神話ではその逆で、自然から神が生まれる。日本に生まれ暮らしていると当たり前と思ってしまうが、それこそが日本人の信仰の大きな特長である。
神道は太古より信仰されてきた日本の宗教だ。自然に対して畏敬の念を抱き、石にもかまどにも金属にもありとあらゆるすべてのものに神が宿ると考える。これが八百万の神という考え方だ。そして人間は死しては八百万の神の一員となり、子孫の活躍を見守る存在となる。生きては天皇に仕える忠臣となり、死しては国を守る「先祖」となる。これこそが神道の考え方だ。すなわち神道は祖霊を祀り、祭祀を重視する信仰でもあった。
神社の簡素素朴さ、それを囲む杜の霊気、それこそは神道を特徴づける事象だ。
そして文字通り日本人の血肉となってきたコメ。そしてアワやヒエ。こうした穀類は神道の精神を象徴する作物であると同時に、皇室を支える精神を象徴するものともなった。

日本人は主な動物性タンパク源を魚介類に求めた唯一の民族だ。それは殺生を禁じた仏教の影響も強いが、穢れを嫌う神道の精神でもあったのではないか。もちろん獣類もひそかに食されてはいたが、畜産が文化的影響を及ぼすまでには至らなかった。この点自然を支配、管理しようとする畜産文明圏のような発想は持たなかった。
日本における高温多湿の風土、そして台風に代表される自然災害の多さは、日本人に自然と共生する世界観をもたらした。
雨の多さは水の清潔さと多さをもたらした。志賀重昂は『日本風景論』で日本風景の特色を水蒸気と火山においたが、さもありなんと言うべきであろう。水蒸気と火山がもたらす豊富なミネラル分は豊かな海を作り、海産物を発達させた。そしてそうした自然の恵みに感謝する信仰が生み出されたのである。

神道はつねに政治に翻弄されてきた。飛鳥時代、仏教に崇仏論争とそれに伴う戦乱に敗れ、神仏習合の中で生き抜いてきた。しかし神道の生命力は強く、むしろそれは仏教の神道化という側面もあった。とはいえもともと経典のない神道は、仏教理論なしには体系的な説明ができない状態に陥ったことも否定できない。江戸時代にはそうした神道を古代のあるべき姿に戻すために、儒教を媒介にしつつ「本来あるべき神道」が模索された。垂加神道などの儒家神道はそうした取り組みの一つであった。
そのため幕末から明治初年に至っては神仏分離の掛け声が強くなった。明治初年には神仏判然令が出され、神社と寺は分けられることとなった。これが「排仏毀釈」の掛け声につながった。排仏毀釈は日本文化を破壊し日本人の信仰心を弱めてしまう弊害の多い取り組みとなってしまったが、そもそも寺が幕府の徴税機関、人民管理機関と堕していて、恨みを買っていた現実も背景にはあった。
その後明治時代に打ち出されたのは、国家神道である。国家神道は神道国教化という平田篤胤の国学の理想を放棄した果てに成立したなれの果てのようなもので、神道者からも不満の声が上がる代物であった。伊藤博文を代表として、明治の元勲は神道を軽んじており、なおかつ欧米列強からは「信教の自由」を建前としたキリスト教布教要求が寄せられていた。そこで「神道は宗教ではない(国民儀礼である)」という建前の元国家神道は形作られた。戦後はこうした国家神道のくびきからは逃れることができたが、GHQに日本がファシズムに陥った元凶であるかのように言われ、徹底的に弾圧された。確かにアジア開放の旗印のもとアジア各国に神社が作られるなどのことはあったが、全体主義の元凶とまで言われるのは大げさだろう。そもそもアジア世界を植民地支配しキリスト教などを強制したのは欧米列強ではなかったか! それを言うに事欠いて「戦争遂行の精神的支柱」とまで言うのは、欧米による邪教意識がないとは言えないのではないか。
とはいえ神社界は国家からの庇護もなくなり、そのあるべき姿を見失ったまま交通安全家内安全といった現世利益を祈るばかりの場所となりつつある。

産業・文化面でも神道は苦境にある。
戦後復興の中で製造業が重んじられ、第一次産業はその犠牲になり続けてきた。
肝心要のコメの生産さえ、近年ではおぼつかなくなりつつある。グローバル資本はアメリカ政府を使って「市場開放」を建前に米国産農作物を日本人に押し付け続け、稲作文化をも壊滅に追い込もうとしている。アメリカ自身も「日本弱体化」を旨とする占領政策の下、余剰生産物を日本に押し付け、日本人の食生活は欧米化してしまった。それは皇室の伝統、日本の文化と大衆の生活とが遊離するきっかけともなった。このままでは日本人の精神は破壊され、日本が日本でなくなってしまう。
日本人は自分たちのルーツも、歴史との繫がりも知らない、根無し草になってしまっている。これほど豊かな信仰文化を持ちながら、日本人の信仰は「無宗教」だと思っている人が多い。しかしそれで日本文化を守れるか? 世界観を守れるか? 日本人の本質を貫くことができるかは、信仰の自覚にかかっている。

国体文化四月号に拙稿が掲載されました

国体文化三月号に拙稿が掲載されました。
今号も古神道について書いていきます。今回は「世界に通ずる原初的信仰に還れ」と題して古神道が持つ万教帰一の精神と日本固有の信仰について描きました。ご覧いただけたら幸いです。

以单刷持续战斗力量的男子陸胜南

时间是明治时代。有一位演讲者。它的名字叫陸胜南。安政4年生于青森弘前,明治40年卒。它也以养育正冈志贵而闻名。
明治22年,湖南移居东京,推出“日本”。作为东北人,“明治维新的失败者”,胜南过着阴暗的生活。但是,即使是失败的东北人也可以为日本做出贡献。 “日本”是带着这样的愿望推出的。这就是为什么胜南在讲话中极力强调被称为“民族主义”的民族主义,但同时,他对弱者和被压迫者怀有热情的目光,对强权和财阀有强烈的反抗情绪。这本书是一个重新思考现代日本的故事,同时揭示了胜南演讲的生平。
芦尾铜矿事件在当时是个问题。 正造 田中 和其他人已经对这个问题提出了指控,但该运动没有取得进展。不仅因为足尾铜矿是由古河财阀经营的。铜矿的利润远高于周边农渔业的利润。医生说:“少量的铜对你的健康有好处”,福泽幸吉的《时事神报》照原样泄露了政府的声明,以玩世不恭的态度回应了对 正造 的指控。
但河南的情况并非如此。看到足尾的困境后,他立即派出通讯员来支持诚三的活动。发表社论,严厉批评氏族政府自责论。这是因为“人道主义”,不仅要拯救经济效率,还要拯救弱者。 “看铜和米,就得看人性。”这不仅仅是生产价值。那里有人民的生命,保护他们是政治的工作!胜南的这种热情,成为了当时言语界的一片清新剂,被金钱所覆盖,被权力附身。
此外,当时胜南反对加征地税,以农业为国书,从事演说活动。主持田口宇吉和重视商业的谷立木之间的争执。星条是“日本”的有力支持者。此外,河南还严厉批评了明治政府的军备竞赛,将农民视为军粮制造商。
“这个勤劳漂亮的农民,被榨干了,图谋国家财富,我想杀了我的妻子,生个孩子,我不明白。”这是干涸的城堡的话。让这个地区活跃起来是霍南人的雄心壮志。弱者和富人、当地人和住在城市的人都是同一个日本人。每个日本人都必须能够将自己的全部才能奉献给日本。
胜南人讨厌为了利益说话。因此,报纸的管理是一连串的艰辛。他继续在志同道合的中国人的捐款下经营报纸,但这段旅程是一系列的走钢丝。然而,即使在这样的情况下,胜南也保持舆论,并没有为自己的地位和荣誉而写作。即使在受到停发等打击后,他仍不气馁地继续他的演讲活动。这就是为什么许多支持明治后期和大正时代的演说家从湖南源头离开的原因。
霍南是一位思考农村生活和生活在那里的人们的演讲家。现代人所缺乏的是霍南人所拥有的热度。 “就算没饭吃,我也要写一句话。”现代演说家有没有这么一副没有笔的激情?
回首活在句中的胜南人的一生,必将激励我们今天努力创造未来的人。近代,知道胜南这个名字的人不多。忘记了胜南的日本人,就是忘记了愤慨的日本人。

Kosuke Ono "The man who continued to fight power with a single brush, KugaKatsunan"

The time is the Meiji era. There was one speechist. Its name is Kuga Katsunan. Born in Hirosaki, Aomori in the 4th year of Ansei, he died in the 40th year of the Meiji era. He is also known for raising Shiki Masaoka.
Katsunan moved to Tokyo and launched "Japan" in the 22nd year of the Meiji era. As a person from Tohoku, the "loser of the Meiji Restoration," Katsunan lived the life of a shaded person. However, even the loser Tohoku can contribute to Japan. "Japan" was launched with such a desire. That is why Katsunan's speech strongly emphasized nationalism called "nationalism," but at the same time, he had a warm eye on the weak and oppressed, and had a strong rebellion against power and chaebol. there were. This book is a story that reconsiders modern Japan while unraveling the life of Katsunan's speech.
The Ashio Copper Mine Incident was a problem at that time. Shozo Tanaka and others had filed charges against the problem, but the movement was not progressing. Not only because the Ashio Copper Mine was run by the Furukawa Zaibatsu. The profits from the copper mine were much higher than the profits from the surrounding agriculture and fisheries. The medical doctor said, "A small amount of copper is rather good for your health," and Yukichi Fukuzawa's "Jiji Shinpo" spilled the government's statement as it was, and responded with a cynical attitude to the accusation of Seizo.
But that was not the case with Honan. When he saw the plight of Ashio, he immediately sent a correspondent to support the activities of Seizo. He published an editorial that severely criticized the theory of self-responsibility by the clan government. This is because of "humanitarianism" that not only economic efficiency but also weak ones should be saved. "If you look at copper and rice, you have to look at humanity." It's not just the production value. There are people's lives there, and it is the job of politics to protect them! This enthusiasm of Katsunan became a piece of refreshing agent in the speech world at that time, which was covered with money and adhesion with power.
In addition, Katsunan opposes the increase in land tax at that time, and is engaged in speech activities with agriculture as the national book. He hosted a dispute between Taguchi Ukichi and Tani Kanjo, who emphasized commerce. Kanjo was a powerful supporter of "Japan". In addition, Katsunan also severely criticized the Meiji government's arms race, which treated the peasant like a military food maker.
"This diligent and pretty peasant is squeezed to deplete the region and plot the wealth of the nation. I want to kill my wife and give birth to a baby. I don't get it. " It is the word of the dry castle. It was the ambition of the Katsunans to liven up the region. Weak people and wealthy people, local people and people living in cities are the same Japanese. Each Japanese person must be able to devote all his talents to Japan.
Katsunan hated to speak for the sake of profit. Therefore, newspaper management was a series of hardships. He continued to run newspapers with donations from like-minded Chinese people, but the journey was a series of tightrope walks. However, even in such a situation, Katsunan kept the public opinion and did not write for his own status and honor. Even though he was cracked down by power, such as suspension of issuance, he continued his speech activities without being discouraged. That is why many speechists who supported the later Meiji and Taisho eras left from the source of Katsunan.
Katsunan was a speechist who thought about the lives of rural areas and the people who lived there. What modern people lack is the heat that the Katsunans had. "Even if I don't have food, I have to write a sentence." Does modern speechist have such a passion that lacks a single brush?
Looking back on the life of Katsunan who lived in the sentence will surely inspire us today who are trying to create the future. In modern times, not many people know the name of Katsunan. The Japanese who have forgotten Honan are the Japanese who have forgotten their indignation.

Kosuke Ono "Lelaki yang terus melawan kuasa dengan berus tunggal, Rikuhonan"

Masa itu ialah zaman Meiji. Ada seorang penceramah. Namanya Kuga Katsunan. Dilahirkan di Hirosaki, Aomori pada tahun ke-4 Ansei, beliau meninggal dunia pada tahun ke-40 era Meiji. Ia juga terkenal kerana membesarkan Shiki Masaoka.
Honan berpindah ke Tokyo dan melancarkan "Jepun" pada tahun ke-22 era Meiji. Sebagai orang dari Tohoku, "yang kalah dalam Pemulihan Meiji," Konan menjalani kehidupan sebagai orang yang teduh. Walau bagaimanapun, orang Tohoku yang kalah pun boleh menyumbang kepada Jepun. "Jepun" dilancarkan dengan hasrat sedemikian. Itulah sebabnya ucapan Honan sangat menekankan nasionalisme yang dipanggil "nasionalisme," tetapi pada masa yang sama, beliau mempunyai pandangan yang hangat terhadap yang lemah dan tertindas, dan mempunyai pemberontakan yang kuat terhadap kuasa dan chaebol. Buku ini adalah kisah yang menimbangkan semula Jepun moden sambil merungkai kehidupan ucapan Honan.
Insiden Lombong Tembaga Ashio adalah masalah pada masa itu. Masazo Tanaka dan yang lain telah memfailkan tuduhan terhadap masalah itu, tetapi pergerakan itu tidak berkembang. Bukan sahaja kerana Lombong Tembaga Ashio dikendalikan oleh Furukawa Zaibatsu. Keuntungan dari lombong tembaga jauh lebih tinggi daripada keuntungan dari pertanian dan perikanan di sekitarnya. Doktor perubatan berkata, "Sebilangan kecil tembaga agak baik untuk kesihatan anda," dan "Jiji Shinpo" Yukichi Fukuzawa menumpahkan kenyataan kerajaan sebagaimana adanya, dan menjawab dengan sikap sinis terhadap tuduhan Seizo.
Tetapi itu tidak berlaku dengan Honan. Apabila melihat nasib Ashio, dia segera menghantar wartawan untuk menyokong aktiviti Seizo. Sebuah editorial yang mengkritik hebat teori tanggungjawab diri oleh kerajaan klan telah disiarkan. Ini kerana "kemanusiaan" yang bukan sahaja kecekapan ekonomi tetapi juga yang lemah harus diselamatkan. "Jika anda melihat tembaga dan beras, anda perlu melihat kemanusiaan." Ia bukan sahaja nilai pengeluaran. Terdapat kehidupan orang di sana, dan ia adalah tugas politik untuk melindungi mereka! Keghairahan Konan ini menjadi agen penyegar dalam dunia pertuturan ketika itu, yang diselubungi wang dan lekatan dengan kuasa.
Di samping itu, Honan menentang kenaikan cukai tanah pada masa itu, dan terlibat dalam aktiviti pidato dengan pertanian sebagai buku negara. Menjadi tuan rumah pertikaian antara Taguchi Ukichi dan Tani Tateki, yang menekankan perdagangan. Hoshijo ialah penyokong kuat "Jepun". Selain itu, Honan juga mengkritik hebat perlumbaan senjata kerajaan Meiji, yang melayan petani seperti pembuat makanan tentera.
"Petani yang rajin dan cantik ini diperah untuk menipiskan wilayah dan merancang kekayaan negara. Saya mahu membunuh isteri saya dan melahirkan bayi. Saya tidak faham." Ia adalah perkataan istana kering. Adalah menjadi cita-cita keluarga Honan untuk menghidupkan rantau ini. Orang yang lemah dan orang kaya, orang tempatan dan orang yang tinggal di bandar adalah orang Jepun yang sama. Setiap orang Jepun mesti boleh menumpukan semua bakatnya untuk Jepun.
Honan benci bercakap demi keuntungan. Oleh itu, pengurusan akhbar adalah satu siri kesukaran. Dia terus menyiarkan surat khabar dengan sumbangan daripada orang Cina yang berfikiran sama, tetapi perjalanannya adalah beberapa siri jalan kaki. Bagaimanapun, walaupun dalam keadaan sedemikian, Honan mengekalkan pendapat umum dan tidak menulis untuk status dan kehormatannya sendiri. Walaupun selepas menerima tindakan keras seperti penggantungan pengeluaran daripada kuasa, beliau meneruskan aktiviti ucapannya tanpa patah semangat. Itulah sebabnya ramai ahli pidato yang menyokong era Meiji dan Taisho kemudiannya meninggalkan sumber Honan.
Honan adalah seorang jurucakap yang memikirkan tentang kehidupan kawasan luar bandar dan penduduk yang tinggal di sana. Kekurangan orang moden ialah kepanasan yang dimiliki oleh keluarga Honan. "Walaupun saya tidak mempunyai makanan, saya perlu menulis ayat." Adakah ahli pertuturan moden mempunyai semangat yang tidak mempunyai satu berus?
Mengimbas kembali kehidupan Honan yang hidup dalam hukuman itu pasti akan memberi inspirasi kepada kita hari ini yang cuba mencipta masa depan. Pada zaman moden ini, tidak ramai yang tahu nama Honan. Orang Jepun yang melupakan Honan adalah orang Jepun yang telah melupakan kemarahan mereka.

三井甲之「尊皇精神と教科書問題」

昭和十年、この年は美濃部達吉が天皇機関説のため不敬罪で告発された年であり、現代の教科書的には国体論的イデオロギーが世を支配していた時ということになるだろう。しかしこの年から、当時の国定教科書である『尋常小学国史』において、竹内式部と山縣大弐に関する記述が削除されていた。尊皇論者であっても、当時の江戸幕府に反抗し宝暦事件、明和事件を起こした竹内式部や山縣大弐は、決して当局にとって都合の良い人物ではなかったということだろうか。
これに抗議したのが、山縣大弐と同じ山梨県出身の尊皇論者三井甲之であった。三井は弟子の蓑田胸喜と反共的告発に狂奔したかのように言われており、それは確かではあるが、彼らは個人主義、利己主義を尊皇論を心から信じることによって克服しようとしたのであって、それは当局にとって都合が良いものになるとは限らなかった。
以下三井甲之(無署名であるが三井と推定されている)が昭和十年六月三日付『山梨日日新聞』において、山縣大弐に関する教科書の記述が削除されたことに関する言論告発文を浄写する。なお旧漢字は新字体に改めた。

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言論 尊皇精神と教科書問題 山縣大弐の抹殺

最近、国体観念明徴に関する運動が、各方面に熾烈となつたことは、皇道精神の発揚に努める国民性の顕現であると云へるが、冷静に之れを考察したならば、国民の国体観念に聊か動揺を来した反映であるとも云へないことはない。
万邦に秀でた皇室中心の、我が国体の精華を一層発揚し、国家の隆興を期するには、国民の一部にもせよ、国体観念をして歪曲せしむることは、大いに戒めねばならないので、常時、不断に皇道精神を培ひ君臣の道を誤らず、我が国の特長である家族制度の延長たる君民の間が、常に渾然一致して、瞬間と雖も、間隙を生ずるが如きことのないよう、国民相互が指導し、鞭撻し、自覚し、奮起するの必要がある。
然るに、今更らしく、国体観念明徴の緊要さが叫ばれるところに何等かの原因が潜在するであらうことは、容易に想像し得られよう即ち、美濃部博士の天皇機関説が最近に於ける一大暗礁となつた感はあるが、かゝる観念が国民に植ゑつけられた場合、勢ひ、国体観念にも動揺なきを保せないので、天皇機関説が、議会で論議されたのを動機として、果然、国体観念明徴の運動が、燎原の火の如き勢ひを以て、高められて来たわけであらう。
かゝる秋に当つて、従来、文部省国定教科書中、尋常小学国史下巻の「高山彦九郎と蒲生君平」の冒頭に在つた竹内式部、山県大弐など出でゝ、尊王の大義を唱へた一項が抹殺改訂されたのを遺憾とし、平素尊皇精神の発揚に努力している三井甲之氏等が、之れを指摘して、さらに加入せしむるよう再改訂運動を起すことゝなつたのは、誠に適切な措置であると云ひ得られよう。本県が生んだ勤王の志士である山県大弐が、国定教科書中から削除した理由が、那辺に存するかは、文部省編纂官の言ふところを聞かねば、明ではないが皇道精神の拡大強化が叫ばれてゐる折柄、文部当局がその精神を啄ばむに等しい誤つた結果に陥らんか、精神的に損失するところ、蓋し甚大なるものがあると云はねばなるまい。
殊に、本県から見たならば、国家的に代表すべき勤王の志士として、山県大弐の名が、永久に滅びないところに、県民の尊皇精神の燃ゆるものがあることを、一山県の名に於て、之を代表してゐるとも云ひ得られるのである。従つて如何なる苦艱に遭遇するも、誤つた国体観念を持し、県民性、否、国民性を歪曲に導くような結果に陥るが如きことは、断じてないとの矜持心を、県民相互が抱いてゐる際、教科書中から、故意か、失意か、山県大弐の名を抹殺されることは、識者の心を暗からしむるのみでなく、延いては、県民の精神上に及ぼす影響も、決して尠少ではないのである。皇道精神を強調することは、それだけ国民精神の不緊張さを裏書するものであるとも解せられない限りはないが、事実に於て、国民思想の動揺せる現状に鑑みて、その原因を究明するに先だち、その向ふところを知らしめ、国体観念を明徴ならしめて我が国家は皇室の国家であり、国民の国家であるとの不動の意識を強からしめ、以て、皇道精神の発揮されるところ、総ての明朗化と正義とが躍動することを忘れてはならない。


日本人の責任意識と信仰

戦前、戦後にかかわらず、日本を貫くのは無責任体質ということである。上は責任を取らず逃げつづけ、おいしいところだけを取っていく。そういう状況の中で大言壮語する奴だけがのさばっていく。それが日本の悪弊である。政治でも軍隊でも企業でも、そうしたことが起こり続けてきた。

こんな醜悪な姿が日本人の本質なのだろうか?
決してそうではないはずだ。

明治時代以降、文明開化の論理がのさばり、日本は信仰なき時代を歩んできた。国家神道は国民儀礼に止まり、真に神道的精神や世界観を伝えるものにはならなかった。戦後はその国家神道すらなくなり、ひたすらにカネと自己利益を重んじる世界のなかで生きてきた。近代以降の日本は「信仰なき日本」であり、そのことに対する警鐘も鳴らされ続けてきたが、根本的な克服はなされていない。
さらに戦後の日本は国家や社会への帰属心さえ捨てて、「すべて人間は個人として尊重される」とか、愚かなことをほざいて、それによって家族や地方が崩壊しても、カネを回せとわめくばかりである。先立つものの支援は必要だろうが、それだけではダメで、根本的な帰属心、世界観の問題に踏み込まなければ、何も解決しないのではないか。

日本人が真の意味での責任感を持つためには、信じる道義が必要だ。「ご先祖様がみている」とか「お天道様が見ている」とか、そういった素朴なものでもいい。自分の倫理観を形作る世界観がなければ、人間は利欲にとらわれてしまう。

「社稷自治」。こうした言葉が意味をもった時代もあったのである。信仰と地域による小共同体を取り戻すことが必要だ。
管理人について

陸羯南翁


愚泥

昭和六十年生まれ。明治期の国民主義者、陸羯南(くがかつなん・写真)の思想に共鳴する。戦前日本の国粋主義、農本主義に興味を持つ。著書『資本主義の超克〜思想史から見る日本の理想〜』(展転社、令和元年)
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