安倍内閣はTPPへ参加を表明することに前向きなようだ。

 所詮安倍内閣にとってTPPは、農業界に配慮すれば参加の障害はないとしか見なせないものであった。
 これは反対派の方も利益ばかり問い、肝心の国家主権の義を問わなかったことにも一因があるだろう。

 西郷南洲はこういう。

正道を踏み、国を以て斃るるの精神無くば、外国交際は全かる可からず。彼の強大(に畏縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に従順する時は、軽侮を招き、好親却て破れ、終に彼の制(を受るに至らん。
談国事に及びし時、慨然として申されけるは、国の凌辱せらるるに当たりては、縦令国を以て斃るとも、正道を践み、義を尽すは政府の本務也。然るに平日、金穀理財の事を議するを聞けば、如何なる英雄豪傑かと見ゆれども、血の出る事に臨めば、頭を一処に集め、唯目前の苟安を謀るのみ、戦の一字を恐れ、政府の本務を墜しなば、商法支配所と申すものにて、更に政府には非ざる也。

(概訳)
正しい道を踏み、国を賭けて、倒れてもやるという精神が無いと外国との交際はこれを全うすることは出来ない。外国の強大なことに萎縮し、ただ円満にことを納める事を主として、自国の真意を曲げてまで、外国の言うままに従う事は、軽蔑を受け、親しい交わりをするつもりがかえって破れ、しまいには外国に制圧されるに至るであろう。
話が国の事に及んだとき、大変に嘆いて言われるには、国が外国からはずかしめを受けるような事があったら、たとえ国が倒れようとも、正しい道を踏んで道義を尽くすのは政府の努めである。しかるに、ふだん金銭、穀物、財政のことを議論するのを聞いていると、何という英雄豪傑かと思われるようであるが、実際に血の出ることに臨むと頭を一カ所に集め、ただ目の前のきやすめだけを謀るばかりである。戦の一字を恐れ、政府の任務をおとすような事があったら、商法支配所、と言うようなもので政府ではないというべきである。
<参考>http://www.keiten-aijin.com/ikun.html


 大川周明は西郷の上記の章句を引用したうえでこういう。

この西郷南洲の言葉の裡には、先づ第一に国家の本質は道義的主体たることにあると云ふ観念が明瞭に含まれて居ます。第二には国家と云ふものは決して単なる経済社会ではなく、経済的生活は国家の一面に他ならぬと云ふ観念が、極めてハッキリと含まれて居る。単り南洲に限らず、維新の先覚は皆な国家をして道義的国家たらしめる為めに命を投出して盡力したのであります。
『日本及び日本人の道』


 西郷の章句はむしろ損得勘定ばかりにとらわれず戦争を恐れるな、という意味合いが強いものだが、大川は「経済的利益以上の価値が国家にはある」という見方でみたし、私もこの大川の読みに共感したい。

 これは戦後社会に一番欠けているもので、所詮政治は利益の綱引きになっていることは、立場を異にせよまるで変わらない。

 政治というものは古今東西を問わずそういうものなのかもしれない。
 だが国家の本質がそうであってよいはずがない。

 冒頭の話題に戻れば、TPPは農業問題だけではない。国家主権、ひいてはグローバリズムという「価値」に対する考察の上判断されねばならぬものであった。にもかかわらずうるさ型の利益はとりあえず確保できたからと、なし崩し的に参加を表明しようとしているのが安倍内閣である。

 むしろアメリカから参加するよう「指令」を受け、その指令を達成するためにとりあえずうるさ型の利益だけはある程度保障しようか、という程度の考えに過ぎなかったのではないか。

 思えば自民党は先の衆院選での政権公約に、TPPを「農業問題」の項に入れていた。所詮その程度の意識しかなかったのである。

 「政府の本務を墜しなば、商法支配所と申すものにて、更に政府には非ざる也」とは言い得て妙である。まさに現代の政府は商法支配所になってしまい、護るべき「価値」を失った。ある意味それは選挙による「民主主義」とやらの当然いきつく先であった。一人一票の「民主主義」とやらがすでに、「各人が各人の利益に基づき投票すれば、最大多数の利益を擁護する者が政権に就くことができる」と言った、幼稚かつ極めて資本主義的な代物だったからである。「民主主義」が進めば進むほど、政府は商人の顔に似てくる。

 商人面した安倍内閣に「戦後レジームからの脱却」などできるわけもないし、語ってもらいたくもない。

 そしていまだに安倍内閣の政治により日本が良くなると信じている「保守」がいるとしたら、脳みそがついているのかと本気で疑わざるを得ない。安倍内閣の政治により日本がよくなると信じている「保守」がいるとしたら頭がおかしいと書いたが、安倍内閣の政治により景気がよくなると信じている商人はいるだろう。その政策が当たっているか、うまくいくかは置いておいて、商人による商人の商人のための内閣なのだから、それは当然のことなのである。