今日は単純に記事紹介である。

 読んで大変素晴らしいと思った記事なので紹介したい。

 「金持ちには応分の負担を、そして労働者には適切な賃金を」(前編)
 「金持ちには応分の負担を、そして労働者には適切な賃金を」(後編)

 私は以前「累進課税という希望」という記事を書いたことがあった。

 それにしても富裕層や大企業には「社会の公器」たる自覚がまるでなくなったように思える。
 しかしそれはある意味金銭的な成功のみを勝利とする資本主義的な考えに、社会全体が染まってしまったことも意味するのではないだろうか。

 要するに資本主義は金銭的な物差しでしか人生を計れず、「何が正しいか」という倫理的問いを失った思想なのである。そして仏教でも儒教でも耶蘇でも、古来から続く教えは必ず商人を讃えなかった。

 大昔から人は商売を営んできたし、これからも営むことをやめることはないだろう。
 だがどう考えても本質的に商売は詐欺である。

 100円のものを200万円で売ったら詐欺で、100円のものを110円で売ったら詐欺ではないなんていう倫理的証明はないのである。或は客を騙していないから詐欺ではないというかもしれない。だが商売において必ず原価は公表されない。利益率も公表されない。売り手だけがそれを知っている。情報に不公平がある中で商取引が行われている様は同じだ。

 商売をやめろということではない。

 このブログで何回も書いてきたことだが、商売は生き物を殺すことと同じで、必要不可欠なことだが節度を守らないとしっぺ返しが来るものだ。だから無制限に肯定せずに「節度」を手に入れなければならない。

 それにはまず我々が社会の一員であることが何よりも強く自覚されねばならぬはずだ。

 累進課税はその「自覚」を促す一つの手段だ。

 なぜ富裕層に多くの負担を求めるか。ともに社会を構成する上で、可処分所得に応じて負担することが公平だからだ。そして豊かなものも一人に力ではなく、社会があってこそ豊かになったという自覚の表明でもある。
 これは「行政サービスの対価」だのという資本主義的発想からは微塵も出てこない思考である。社会の安定こそが何物にも代えがたいことを知らず、ただ「神の見えざる手」によって勝手に安定するものだというカルト信仰に支えられている幻想に過ぎない。

 以上のことにより累進課税は社会全体に公徳心をよみがえらせるきっかけとなりうる。累進課税は正義なのだ。