2006年06月04日
これまでの人生のあらすじ。
1983年(0歳)
寒い日に生まれたらしい。
普通のサラリーマン家庭の長女。
母方の祖父母にとっては初孫だったので、祝福されたみたい☆
場所は某田舎の県庁所在地。
父も母もきっとものすごく喜んでくれたと思う。
小さなアパートに3人で暮らしてたんだって。
祖父母の家も近かったから、よく遊びに行ってたみたい。
父は忙しい人だったみたい。
1984年(1歳)
更にひっこんだ住宅街へ引越し。
部屋の数がちょっと増えたみたい。
よく泣く子だったみたいだけど。。。
1985年(2歳)
運動神経は良くなかったけど、頭の良い子だったらしい。
よく喋った。
2歳の誕生日が来るよりも前に童話をいくつも暗唱したりして、会う人会う人に驚かれた。
ちょっと気味の悪い子どもw
1986年(3歳)
妹が生まれる。
私の人生の中でかなりエキサイティングな出来事。
妹は未熟児寸前で生まれたから、しばらく保育器の中…
おばあちゃんと一緒に母に会いに産婦人科に行ってた記憶がある。
最大の仲間且つ遊び相手ができて嬉しかった。
1987年(4歳)
年少から幼稚園に入園。
クラスで一番誕生日は遅かったけど、ひらがなもカタカナも一番に読めた。
でも、面倒くさいのと何かを強要されるのが嫌なのと寒いので幼稚園は好きじゃなかった記憶がある。
父の日の絵を「書きたくない。」とはっきり先生に言った日の事も覚えてる…
ストーブの熱で壁の絵がユラユラなる事に一番関心があった。
この頃友達だったユウくんという子に初めてチョコをあげたみたい。
(でも、親の計らいなはず。しかし、チューした記憶はあるけど??)
幼稚園では、お道具箱の整理整頓と帰りの歩きが面倒で仕方なかったw
トイレで1人になるのが怖くて、ドアなしのトイレを作ってもらった。
(超迷惑…)
幼稚園のおゆうぎ会ではすずめの役だった気がする。
歌ったり、踊ったり、演じたりは好きだった。
1988年(5歳)
将来の夢とかなかった。
たなばたのたんざくに《大きくなったら何になりたいか》を書かなきゃいけないのが嫌で、頭は悪くないし夢見がちでもないけどわざと「うさぎになりたい」と書いた。
みんなお花屋さんとかケーキ屋さんとか書いてたのにね…
友達と遊ぶのも悪くはなかったが、お母さんや妹と遊んでる方が正直楽しかった。
プールの時間が嫌で、幼稚園の体育の先生を叩いたw
ちゃんと覚えてる。
《顔付け》を拒否った。
水が怖くて仕方なかった。
でも、ピンクのキキララの水着を着るのは好きだった。
この頃音楽教室でオルガンを習い始める。
楽しい時間でビックリ。
先生が大好きだった。
楽しすぎた。
おゆうぎ会でうさぎの役だったのを覚えてる。
お母さんが人形とか衣装とかを手作りしてくれて嬉しかった。
家は貧乏だったので(多分お父さんが遊びにお金を使ってたみたい)、いつもお母さんの手作りの服を着ていた。
お店で売ってる服を着ている友達が羨ましかった。
でも、音楽教室の発表会ではオシャレできたので嬉しい日だった。
妹が大好きだった。
友達と幼稚園の花壇の花をつんで怒られた。
バレないかと思ったんだもん。
バレても死にはしないだろうとか考えてた。
1989年(6歳)
不良だったw
友達と遊ぶのを自ら拒否ってた。
不思議と一人になりたかった。
仲の良い子はたくさんいたけど、私の事をよく思ってない子もいっぱいいたみたい。
ピアノが上手で作曲とかもできちゃう担任の先生に衝撃を受けた。
幼稚園の活動は嫌だったけど、先生の事は信頼してた。
でも、ベランダ掃除はサボってた。
1990年(7歳)
近くの小学校に入学。
近所の医者の娘と一緒に通学。
音楽教室もピアノの個人レッスンを受け始めた。
まぁ、学校もなかなか興味深い場所ではあった。
性格の歪んだ友達と仲良くしてた気がするけど。
マコちゃんという女の子にトイレで腕に爪を立ててつままれた。
親には言わないでおこうと誓った。
ピアノの先生の事は信頼してたけど、ピアノの音が出なくて泣いた。
ピアノを買ってもらったけど、音が出せなくて悲しかった。
塾とか行ってないけど、そこそこの漢字も読めたし計算もできたので、学校の授業が簡単すぎてイライラしてたw
計算とかクラスで一番速かった。
でも、足は一番遅かったw
ま、クラスにカッコイイ子がいたので学校に行くのも悪くはないかなぁとか思いつつすごしてた。
好きな人がコロコロ変わった。
でも、誰にも言わなかった。
優ちゃんというとても優しい女の子と友達になれて嬉しかった。
でも、1年生と遊ぶより6年生と手紙を交換する方が好きだった。
ちょっとませてたw
1991年(8歳)
初めてピアノのコンクールに出た。
無賞…
コンクールってのが何なのか分かってなかったし、人と自分の演奏を比べた事なんてなかったからビックリした。。。
学校の担任の先生が近くに住んでいた。
特定の親友は作らず、次から次に色んな子と遊んでた。
新規の友達を開拓するのが趣味だったw
まりちゃんというお姉ちゃんのいる友達に教えてもらって、初めて「なかよし」を買った。
少女漫画を読むのが楽しみだった。
あと、妹と遊ぶのと調子に乗ってピアノを好きなように弾くこと。
でも、バイエルは好きじゃなかったw
1992年(9歳)
またまたピアノのコンクールにでる。
小さな賞状をもらって、調子に乗る…
親友ができたので交換日記をしてた。
仲間を持つことも悪くないなと思った。
1993年(10歳)
麻美ちゃんという子の家に行ったら、電子オルガンがあって衝撃を受けた。
しかも、偶然同じ音楽教室に通ってた。
美人で何でもできる麻美ちゃんに憧れてた。
親友関係は相変わらず。
担任の先生もイケメンの新任の先生だったので、学校が楽しくなったw
好きな子も次々できた。
ピアノもテキスト曲は嫌いだったけど、レッスンは好きだった。
自分の事を好きでいてくれる男の子もいたので、調子に乗ったw
1994年(11歳)
親の仕事の都合で遠くに引っ越した。
単身赴任だって言ってたのに、いつの間にか話が違ってムカついた。
嫌で嫌で、七恵ちゃんって子にグチりまくってた。
ま、今の生活を捨てるのも悪くないかと思ってしぶしぶ転校。
転校生にはちょっと憧れてたけど。
転校した先で相当チヤホヤされて驚いた。
ま、すぐにみんな離れていったけど。
いい友達には出会えた。
でも、ビックリするようなヤンキーの子に文句言われたりした。
肝が座ってるのがムカつかれたらしい。
ピアノの先生は新しくなった。
あまりに離れた土地に行ったため、気候と県民性になれなくて焦った。
とりあえず、それまで一箇所の濃い地方に住んでたからしっくりいかない事だらけだった。。。
学芸会のピアノ伴奏はしたね。
1995年(12歳)
クラスで権力を握ってる子と仲良くなるようになる。
自分、弱いからだと思う。
またまた、ピアノ伴奏とかしまくり。
勉強はできた。
なかなか小さな田舎に住んでいたので、「アイツに入れない中学はない。」とか先生たちに噂されてた。
音楽コースのある中学に行きたかったけど、お金がないと言われ諦め。
反抗期にも入ってたのか、心が安定してなかった。
先生や親の前ではいい子だったけど、なかなか攻撃的で危険な子だった。
1996年(13歳)
中学でも成績は良かった。
調子に乗ってた。
クラスで権力のある子と仲良くして更に拍車が掛かる。
部活でテニスを始めたのは大きかった。
運動で解消できてたストレスもあったように思う。
ナマイキだったから先輩には嫌われてたけど。
友人には恵まれてた。
友人になら弱音も吐けた。
性格曲がってたから、属するグループを二、三転したけど。
ピアノも頑張って通った。
部活の帰りに、下半身裸の外人に追いかけられた。。。
1997年(14歳)
気付いたら、好きな子が私の事をよく思ってくれてた。
性格も、見た目もステキだし、勉強もスポーツもできすぎる子だった。
(↑私と同じw)
彼と話すと楽しかった。
何か、この頃男の子たちから人気があった。
モテ期??
心も安定してきていい友達がたくさんできた。
声楽とサックスの伴奏を経験。
コネでプロピアニストにも指導を受けれた。
伴奏は相手が男の子だったから、余計楽しかったw
1998年(15歳)
泣く泣く転校した。
本当に泣いた。
飛行機に乗ってからも泣いた。
付き合ってはなかったけど、彼が手紙をくれて泣いた。
なかなか新しい友達もできず、路頭に迷う。
学校の雰囲気が違いすぎて焦った(^^;)
中2までの学校は割とゆるかったんだよね。
短いスカートにルーズソックスが快感だった。
転校先では、所謂ヤンキーに真っ先に話しかけられたけど。
とりあえず、受験生だったしどこの学校にでも行けるように勉強した。
音楽科の高校に行きたかったけど、家の都合で無理。。。
三社面談でも、担任に「芸術系は厳しいです!」と言われる。
芸術系って一括りにされてもなぁ。。。
教員だって色んな教員がいるでしょ?
何か、孤独なスタイルでいこうとしたらモテた。
何か分かんないけど、女子たちに妬まれまくった。
別にいいでしょ?とか思ってたけど。
「男好き」とか「私たちとも仲良くしてよ」とか言われた。
普通に自由にしてただけだっつーの。
ま、色んな人が私を好きでいてくれる事に味を占めたw
好きな人はいたけど、一人に絞れなかったw
その人と会話してる時はその人が好き。
次の瞬間は違う男の事を考えてる状況。
家から近い公立の進学校の普通科に入る事になった。
寒い日に生まれたらしい。
普通のサラリーマン家庭の長女。
母方の祖父母にとっては初孫だったので、祝福されたみたい☆
場所は某田舎の県庁所在地。
父も母もきっとものすごく喜んでくれたと思う。
小さなアパートに3人で暮らしてたんだって。
祖父母の家も近かったから、よく遊びに行ってたみたい。
父は忙しい人だったみたい。
1984年(1歳)
更にひっこんだ住宅街へ引越し。
部屋の数がちょっと増えたみたい。
よく泣く子だったみたいだけど。。。
1985年(2歳)
運動神経は良くなかったけど、頭の良い子だったらしい。
よく喋った。
2歳の誕生日が来るよりも前に童話をいくつも暗唱したりして、会う人会う人に驚かれた。
ちょっと気味の悪い子どもw
1986年(3歳)
妹が生まれる。
私の人生の中でかなりエキサイティングな出来事。
妹は未熟児寸前で生まれたから、しばらく保育器の中…
おばあちゃんと一緒に母に会いに産婦人科に行ってた記憶がある。
最大の仲間且つ遊び相手ができて嬉しかった。
1987年(4歳)
年少から幼稚園に入園。
クラスで一番誕生日は遅かったけど、ひらがなもカタカナも一番に読めた。
でも、面倒くさいのと何かを強要されるのが嫌なのと寒いので幼稚園は好きじゃなかった記憶がある。
父の日の絵を「書きたくない。」とはっきり先生に言った日の事も覚えてる…
ストーブの熱で壁の絵がユラユラなる事に一番関心があった。
この頃友達だったユウくんという子に初めてチョコをあげたみたい。
(でも、親の計らいなはず。しかし、チューした記憶はあるけど??)
幼稚園では、お道具箱の整理整頓と帰りの歩きが面倒で仕方なかったw
トイレで1人になるのが怖くて、ドアなしのトイレを作ってもらった。
(超迷惑…)
幼稚園のおゆうぎ会ではすずめの役だった気がする。
歌ったり、踊ったり、演じたりは好きだった。
1988年(5歳)
将来の夢とかなかった。
たなばたのたんざくに《大きくなったら何になりたいか》を書かなきゃいけないのが嫌で、頭は悪くないし夢見がちでもないけどわざと「うさぎになりたい」と書いた。
みんなお花屋さんとかケーキ屋さんとか書いてたのにね…
友達と遊ぶのも悪くはなかったが、お母さんや妹と遊んでる方が正直楽しかった。
プールの時間が嫌で、幼稚園の体育の先生を叩いたw
ちゃんと覚えてる。
《顔付け》を拒否った。
水が怖くて仕方なかった。
でも、ピンクのキキララの水着を着るのは好きだった。
この頃音楽教室でオルガンを習い始める。
楽しい時間でビックリ。
先生が大好きだった。
楽しすぎた。
おゆうぎ会でうさぎの役だったのを覚えてる。
お母さんが人形とか衣装とかを手作りしてくれて嬉しかった。
家は貧乏だったので(多分お父さんが遊びにお金を使ってたみたい)、いつもお母さんの手作りの服を着ていた。
お店で売ってる服を着ている友達が羨ましかった。
でも、音楽教室の発表会ではオシャレできたので嬉しい日だった。
妹が大好きだった。
友達と幼稚園の花壇の花をつんで怒られた。
バレないかと思ったんだもん。
バレても死にはしないだろうとか考えてた。
1989年(6歳)
不良だったw
友達と遊ぶのを自ら拒否ってた。
不思議と一人になりたかった。
仲の良い子はたくさんいたけど、私の事をよく思ってない子もいっぱいいたみたい。
ピアノが上手で作曲とかもできちゃう担任の先生に衝撃を受けた。
幼稚園の活動は嫌だったけど、先生の事は信頼してた。
でも、ベランダ掃除はサボってた。
1990年(7歳)
近くの小学校に入学。
近所の医者の娘と一緒に通学。
音楽教室もピアノの個人レッスンを受け始めた。
まぁ、学校もなかなか興味深い場所ではあった。
性格の歪んだ友達と仲良くしてた気がするけど。
マコちゃんという女の子にトイレで腕に爪を立ててつままれた。
親には言わないでおこうと誓った。
ピアノの先生の事は信頼してたけど、ピアノの音が出なくて泣いた。
ピアノを買ってもらったけど、音が出せなくて悲しかった。
塾とか行ってないけど、そこそこの漢字も読めたし計算もできたので、学校の授業が簡単すぎてイライラしてたw
計算とかクラスで一番速かった。
でも、足は一番遅かったw
ま、クラスにカッコイイ子がいたので学校に行くのも悪くはないかなぁとか思いつつすごしてた。
好きな人がコロコロ変わった。
でも、誰にも言わなかった。
優ちゃんというとても優しい女の子と友達になれて嬉しかった。
でも、1年生と遊ぶより6年生と手紙を交換する方が好きだった。
ちょっとませてたw
1991年(8歳)
初めてピアノのコンクールに出た。
無賞…
コンクールってのが何なのか分かってなかったし、人と自分の演奏を比べた事なんてなかったからビックリした。。。
学校の担任の先生が近くに住んでいた。
特定の親友は作らず、次から次に色んな子と遊んでた。
新規の友達を開拓するのが趣味だったw
まりちゃんというお姉ちゃんのいる友達に教えてもらって、初めて「なかよし」を買った。
少女漫画を読むのが楽しみだった。
あと、妹と遊ぶのと調子に乗ってピアノを好きなように弾くこと。
でも、バイエルは好きじゃなかったw
1992年(9歳)
またまたピアノのコンクールにでる。
小さな賞状をもらって、調子に乗る…
親友ができたので交換日記をしてた。
仲間を持つことも悪くないなと思った。
1993年(10歳)
麻美ちゃんという子の家に行ったら、電子オルガンがあって衝撃を受けた。
しかも、偶然同じ音楽教室に通ってた。
美人で何でもできる麻美ちゃんに憧れてた。
親友関係は相変わらず。
担任の先生もイケメンの新任の先生だったので、学校が楽しくなったw
好きな子も次々できた。
ピアノもテキスト曲は嫌いだったけど、レッスンは好きだった。
自分の事を好きでいてくれる男の子もいたので、調子に乗ったw
1994年(11歳)
親の仕事の都合で遠くに引っ越した。
単身赴任だって言ってたのに、いつの間にか話が違ってムカついた。
嫌で嫌で、七恵ちゃんって子にグチりまくってた。
ま、今の生活を捨てるのも悪くないかと思ってしぶしぶ転校。
転校生にはちょっと憧れてたけど。
転校した先で相当チヤホヤされて驚いた。
ま、すぐにみんな離れていったけど。
いい友達には出会えた。
でも、ビックリするようなヤンキーの子に文句言われたりした。
肝が座ってるのがムカつかれたらしい。
ピアノの先生は新しくなった。
あまりに離れた土地に行ったため、気候と県民性になれなくて焦った。
とりあえず、それまで一箇所の濃い地方に住んでたからしっくりいかない事だらけだった。。。
学芸会のピアノ伴奏はしたね。
1995年(12歳)
クラスで権力を握ってる子と仲良くなるようになる。
自分、弱いからだと思う。
またまた、ピアノ伴奏とかしまくり。
勉強はできた。
なかなか小さな田舎に住んでいたので、「アイツに入れない中学はない。」とか先生たちに噂されてた。
音楽コースのある中学に行きたかったけど、お金がないと言われ諦め。
反抗期にも入ってたのか、心が安定してなかった。
先生や親の前ではいい子だったけど、なかなか攻撃的で危険な子だった。
1996年(13歳)
中学でも成績は良かった。
調子に乗ってた。
クラスで権力のある子と仲良くして更に拍車が掛かる。
部活でテニスを始めたのは大きかった。
運動で解消できてたストレスもあったように思う。
ナマイキだったから先輩には嫌われてたけど。
友人には恵まれてた。
友人になら弱音も吐けた。
性格曲がってたから、属するグループを二、三転したけど。
ピアノも頑張って通った。
部活の帰りに、下半身裸の外人に追いかけられた。。。
1997年(14歳)
気付いたら、好きな子が私の事をよく思ってくれてた。
性格も、見た目もステキだし、勉強もスポーツもできすぎる子だった。
(↑私と同じw)
彼と話すと楽しかった。
何か、この頃男の子たちから人気があった。
モテ期??
心も安定してきていい友達がたくさんできた。
声楽とサックスの伴奏を経験。
コネでプロピアニストにも指導を受けれた。
伴奏は相手が男の子だったから、余計楽しかったw
1998年(15歳)
泣く泣く転校した。
本当に泣いた。
飛行機に乗ってからも泣いた。
付き合ってはなかったけど、彼が手紙をくれて泣いた。
なかなか新しい友達もできず、路頭に迷う。
学校の雰囲気が違いすぎて焦った(^^;)
中2までの学校は割とゆるかったんだよね。
短いスカートにルーズソックスが快感だった。
転校先では、所謂ヤンキーに真っ先に話しかけられたけど。
とりあえず、受験生だったしどこの学校にでも行けるように勉強した。
音楽科の高校に行きたかったけど、家の都合で無理。。。
三社面談でも、担任に「芸術系は厳しいです!」と言われる。
芸術系って一括りにされてもなぁ。。。
教員だって色んな教員がいるでしょ?
何か、孤独なスタイルでいこうとしたらモテた。
何か分かんないけど、女子たちに妬まれまくった。
別にいいでしょ?とか思ってたけど。
「男好き」とか「私たちとも仲良くしてよ」とか言われた。
普通に自由にしてただけだっつーの。
ま、色んな人が私を好きでいてくれる事に味を占めたw
好きな人はいたけど、一人に絞れなかったw
その人と会話してる時はその人が好き。
次の瞬間は違う男の事を考えてる状況。
家から近い公立の進学校の普通科に入る事になった。


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