2007年11月26日

もってけ! M資金 (5)

M資金(4) の続きです。

<あらすじ>
日米間の不審な債権と債務があり、それが 「正式な債務か否か」 ではなく、
「道徳的に考え返済すべき」という政府の妙な理屈。
そして、為替レートは通産省により独自に決定された

第16回国会 決算委員会 第21号 昭和28年7月29日
○杉村沖治郎委員(社会党) 
いま一つ。債務のガリオアの問題ですが、国会が承認をしなければ、と言うが、先に借金をしちやつてからあとで国会の承認ということはないのであつて(略)これはもう向う(アメリカ)からくれたので、国民は食つておつた、使つておつた
(略)これを債務だなどと言われたらたいへんなことだと思う。(略)

○小笠原三九郎(大蔵大臣) 
私どもは実は一応新木大使から向うへちよつと話をしてみた。(略)それ以上実は詳細な話に接しておりません。(略)

それから今の平和回復、対日援助、ガリオア、イロア等の問題でありますが、この問題はさつき申したように、いわゆる道徳的にそういつたものだから返すという意味に解しておるのでありまして、(略)もちろん国会の承認を要する、こういうことであります。

○柴田義男委員(社会党) 
ただ私ども委員会といたしまして、昭和20年の10月から25年の3月という長い期間において輸出をいたしました物資が、ドル換算をいたします場合に、全部が平均して1ドル=125円と換算された。 

 ※注:アメリカに対する債権の方の話です。

こういうことがどうしても納得が行かないで、通産当局にもしばしばこの点を伺つたのでありますけれども、通産当局のお答えは、1ドル=50円の場合もあつた。

だからいろいろ先方との交渉の過程において、125円が正当なものだと考えてこういうレートをきめたのだ、こういうのでございますけれども(略)

第二点は、オープン・アカウントとして総司令部が管理しておつたということも、通産当局がお答えでございます。(略) 価格を何によつて算定するのか。(略)相手の方ははたして日本のマル公をそのまま認めたのかどうか、こういう疑問を持たざるを得ないのであります。

○小笠原国務大臣 
これは全部、当時通商産業省でやつておることでありまして、大蔵省には直接何も関係ございませんが、(略)4700万ドルを確かめるときに、125円のレートが妥当であるかどうかについていろいろ相談があつたやに聞いております。

それから価格の問題については、(略)通商産業省の方で取扱いましたから、(略)おそらく妥賞な価格ではあつたろうと存じております。

○柴田委員
(略)
大蔵大臣といたしまして、この問題を通産省当局から報告があつたから、その後にお知りになつたというだけではどうしても承服ができない(略)

○小笠原国務大臣
ただこの事務は通産省にあるこの特別会計で全部やつておりましたので
(略)

○吉田賢一委員(社会党) 
この間から問題になつております例の対米債権ですが、(略)この債権を債権としてアメリカに対して主張しようといたしますると、昨年4月19日付のマーカット少将の新聞声明により、当然にガリオア、イロアの問題との関連を考慮しなければならぬものと私は考えます。

そうしますと、ガリオアの勘定は債務か贈与を受けたものか、もつと正確に言うならば、そのうちに何ほどが贈与を受けたものとなし得るか、何ほどが債務かということをここできめてかからねばなるまいと思います。

同時にまたその債務であるということを何分の一でも――たとえば世上伝えられるがごとくに、24年の4月以降、例の見返り資金を積立てました約8億5千万ドルのみを債務と認めるか。(略)

○小笠原国務大臣 
(略)法律的な問題は、お話の通りはつきりガリオア、イロア等の金額を確定すること、これが何より必要であろうと存じております。(略)それから今お話になりましたマーカツト声明との関係の問題もあります。

マーカットはガリオア等の問題を相談するときに、この問題を考えよという声明をあの当時出したのでありまして、そういう点から見ると、ガリオアとは性質は違いますけれども、やはり解決するときは一緒でないと解決がむずかしいのではないか。(略)
<以上引用>
 
 つづきはこちら)  

〇まとめ M資金 インデックス

◆“マーカット声明”とは
第10回国会 参議院本会議 第44号 昭和26年5月21日 より引用
去る(1951/昭和27年)五月十六日に総司令部渉外局から発表されましたマーカツト経済科学局長の日米経済協力に関する声明(略)

第一に、マーカツト声明によれば、国内特需関係の物価は国際価格によつて調整されるべきであると指摘されております。
(略)
第二として、マーカツト声明によれば、日本経済はインフレーシヨンを努めて防止すべきであると(同声明は)政府に警告を発しているようであります。インフレ防止のためには、今までの経験によりますと、低米価(低消費者物価の意味)と低賃金の強行が大前提とされて来たのであります。
<以上引用>

 ※注:池田勇人の“所得倍増計画”は、1960年(昭和35年)。

第13回国会 経済安定・大蔵・通商産業・建設委員会連合審査会 第4号
昭和27年5月7日

○木村禧八郎(社会党、インフレ抑止政策派)
只今の御答弁のように、社債発行限度、この一つを見ても外資導入を前提にしておつたのです。それが事情が変つてマーカツト声明等において入つて来なくなつた、電源開発に直接(の外資導入が)ですよ…。(略)

それ(電力再編)を特に特殊会社形態にしたというのは、外資導入ということが非常に重要であつたのじやないですか。(略)

○周東英雄(経済安定本部総務長官) 
勿論外資の導入というものを希望し、これが計画であつたことは事実です。(略)併し我々としては他の産業に多少の影響がありましても、先ず基本産業である電力のほうをやる。これを優先的にやる。そうしてやることによつて次の段階において日本の経済の復活が早くなる。
<以上引用>

 ※注:どうもよく分からないのですが、このマーカット声明の趣旨は、
    日本の国家財政および産業の独立採算を考えろ、という趣旨か。
    対日援助の打ち切り、外資導入の制限などの様です。

日本からのGHQの撤退が昭和27年ですから、撤退の前にこの声明が
出されていることに何らかの意図があるかと思われます。

おまけ:
大阪球場物語
 南海ホークスのホームグラウンド、大阪球場は
 マーカットの後押しで建設された。
 『GHQ経済科学局長ウィリアム・マーカット少将が(略)
  南海・松浦竹松代表に球場建設を勧める。(略)  
  土地や資材の確保にあたってもその力は大きく、
  建設地は難波の大蔵省煙草専売局跡地の払い下げ受け、
  財政面でも大阪府が助成を行うことが決まった。』

   専売公社設立は、確か白洲次郎の肝入りだったよなあ。

『キッコーマン・アーカイブズ』より
“国内の醸造しょうゆの危機とアップルトン女史の活躍”

 昭和23年、醤油業界の保護にマーカットが関わっていた。

 ※ライカビルの後年の登記上の所有者は野田醤油(キッコーマン)

  ちなみに野田醤油(キッコーマン)は、昭和初期に
  大規模な労組弾圧やってますね。 
   参考:野田の労働争議

  社史では当然スルー。みんな黒歴史は隠します。
   キッコーマン(株) 会社の歩み
 

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この記事へのコメント

1. Posted by くれど   2007年11月26日 01:39
樺山丑二
(ちゅうじ)
モルガン銀行顧問/
妻・梅子は日本石油社長・貴族院議員橋本圭三郎の四女

正子のお兄さんの経歴ですが この橋本さんが大蔵事務次官で 石油業界の統合をおこなったドンで 次郎が 石油業界のフィクサーになれた要因なんでしょうが。

しかし正子サン 政治のことは知らないとか トボケてますが ホントですかね。愛人もどうかーななんていってますが この人 銀座まできて おそめの上羽秀とも知り合いなんですから。

次郎もそうですが 正子も食えねーえ 婆さんじゃないかと思うんですが
2. Posted by くれど   2007年11月26日 02:13
この系図も 白洲と微妙にクロスするのが おもしろいです
3. Posted by k_guncontrol   2007年11月26日 15:11
正子ちゃんは惚れた弱みでしょう。
で、次郎氏は樺山の後ろ盾を選んだ、と。

お兄さんって、ネットで調べても正子を次郎に紹介した、以外の情報がないですね(笑)

ところで、系図はどのあたりがクロスするのでしょうか。
不勉強で恐縮ですが、宜しければ解説お願いします。
4. Posted by くれど   2007年11月26日 20:30
柳原百蓮つながりという細い糸ですが。

プロ野球と 怪しい筋の関わりだと

大映 永田雅一
読売 正力松太郎
西鉄 三浦義一が影響力あり
東急 五島慶太
阪急 小林一三 異母弟が小佐野の潔持ち
大洋 中部一族 鮎川義介と親戚

南海も怪しい筋との付き合いがあったようですが 阪神と 近鉄はどうなんでしょうか

こぶ平の襲名のご祝儀に、税務署の手がはいったそうですが プロ野球も 親会社の広告費だけでなく やばい金の操作に使われた要素もあったんでしょうか?
相撲 競馬 競輪 競艇 怪しい人たちが 上の方に 入っていますよ。
5. Posted by k_guncontrol   2007年11月26日 23:57
球団持つと、球団経費は全額親会社の経費扱いに
なるので、節税効果が大きいですからねー。

職業野球団に対して支出した広告宣伝費等の取扱について(国税庁HP)
http://www.nta.go.jp/shiraberu/zeiho-kaishaku/tsutatsu/kobetsu/hojin/540810/01.htm

http://www.lotus21.co.jp/data/news/0408/news040827_03.html
『 通達の実施日が昭和29年8月10日ですから、
 戦後復興と政治的圧力によってできたことが容易に想像できます。

 現在もこの個別通達は生きており、効力があります。』
6. Posted by くれど   2011年04月30日 23:17

http://www.mitsuifoods.co.jp/company/history.htm
(株)小 網
1928年
7月
キッコーマン系醤油問屋5社
(高梨商店・村上商店・中野商店・中井商店・高崎商店)が資本金150万円で合資会社「小網商店」を設立
1956年
11月
東京飲料株式会社(現東京コカ・コーラボトリング株式会社)を設立
1960年
9月
株式会社小網商店を設立
12月
株式会社小網商店と合資会社小網商店が合併
1963年
11月
株式会社小網に社名変更
7. Posted by くれど   2011年04月30日 23:19
ここが 三井食品のページに注目
8. Posted by くれど   2011年04月30日 23:21

http://www.hayamiz.jp/2006/04/post_8ad4.html
進駐軍から日本に上陸するコカ・コーラ
日本でコカ・コーラが製造されるきっかけはやはり進駐軍による占領期のことだ。
キッコーマン醤油の前身であった醤油問屋の経営者であった高梨仁三郎は、終戦後の1947年に、いかがわしい情報屋よりコカ・コーラの販売権に関する情報を得る。その情報屋を介し、GHQの要請により本国より派遣されていたコカ・コーラ社の代表者レイモンド・O・スペンサーと知己を得ることになる。 終戦翌年の1946年から1952年にかけて、日本では進駐軍の兵士の需要を賄うために札幌、仙台、東京、横浜、神戸、小倉の6つのコカコーラ工場が建設されるが進駐軍の撤退に合わせ規模が縮小。結局国内のビン詰工場は2箇所に集約されるが、その東京・芝浦工場を高梨がスペンサーの口利きで買収することになる。
これと同じようなことが世界の各地で起こっていた。戦争が終わると、米軍の多くは時刻に撤兵していくが、米軍が持ち込んで作らせたコカ・コーラ工場は、現地法人に安く払い下げられた。
コカ・コーラ社はフランチャイズ方式で原液を販売し、ワールドワイドにビジネスを展開し始めた。ただの砂糖水業者から軍需産業となったコカ・コーラ社は、大戦が終わると今度は多国籍企業となったのだ。兵隊は去ってコカ・コーラというアメリカの象徴だけが残った。
9. Posted by くれど   2011年04月30日 23:23
コカコーラと 米軍の関係の深さに注目
10. Posted by k_guncontrol   2011年04月30日 23:28
野田醤油と三井がコカコーラでつながるとは、
怪しいにも程がありますなあ。

仮にも「工場」が、簡単に作ったり移設したりできるものなのか、とも思い
ましたが、原液と業務用サーバーのようなものと瓶に詮をする機械さえあれば
意外と簡単かも。

日本法人が出来たのが昭和32年。それまで怪しいのが出回ってたんでしょうねえ。
http://www.cocacola.co.jp/corporate/company/history.html

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