2008年05月24日

帝銀事件のこと

これまで昭和20年代のあれこれを見てきて、
出来事と登場人物が面白いように重なるのを見てきましたが、
帝銀事件は、これらのどれとも重なりません。
これは単独で存在している事件という印象をもっています。

さて、あれこれ帝銀事件に関する本を読んでみて、
意外と語られていないのが、帝銀事件そのものと、
そのリハとおぼしき類似事件が、『 山手通り 』沿い
あるいはその近くで起こっていること。

この点に言及しているのは唯一、
  ↓
東京紅団 帝銀事件を歩く 
こちらのサイトくらいです。

では、山手通りを使うこと、つまり自動車を使うことが
いつでも臨機応変に可能な、そのような関連の人物・団体は?
昭和23年と言う時期に、ガソリンに不自由しないような人物・団体とは?

事件現場を含めた地図を見てみましょう。(クリックで拡大します)

 ※現在の地図をもとにしていますが、事件当時と主要な道路は
  それほど変わりないと思われます。

teigin-map
  





椎名町の現場(駅から徒歩1分ほど)から山手通りを北進し、
国道254号線(川越通り)にあたって、
右方面に向かうと自衛隊の十条駐屯地、

あるいは左手に向かうと自衛隊の練馬駐屯地、
いずれも旧日本軍の兵器工廠跡です。

さて、これらの施設を当時使用できたのは誰でしょう?

なお、YAHOOで昭和30年代(東京オリンピック前)の地図が見られます。
昭和レトロ地図 
こちらで“北区周辺の地図”から南西方向に
地図をスクロールしていくと椎名町です。

なお、十条、赤羽、練馬の各施設とも広大なものにもかかわらず
施設名称が地図上に記載されていない点にご注目下さい。
十条、赤羽は航空写真もありません。


◆参考にさせていただいたサイト
Chinchiko Papalog より 文化村の改正道路(山手通り)開通
太平洋戦争の直前、1935年(昭和10)すぎに始まった
改正道路(環状6号線/山手通り)の工事は、日米開戦を挟んで中断された。

戦後すぐに撮られた空中写真では、早稲田通りと交差する
現在の東京メトロ東西線・落合駅あたりまで、砂利を運ぶトロッコの
軌道らしいものが写り、拡幅工事に着手していたのがわかる。
<以上引用>

軍都・赤羽 
陸軍兵器支廠 造兵廠
現十条駐屯地もその敷地内で亀ガ池谷を利用して地下倉庫もあった。
(略)
戦後は米軍兵器補給廠となり、西が丘町が成立。
<以上引用>

十条にあった陸軍の残り物 
太平洋戦争後は米軍に接収され、ベトナム戦争時には
負傷した米兵を治療する病院としても使われた
<以上引用>

幻の支線・啓志線物語-第1回 
練馬駐屯地の前身は、昭和15年に建設された陸軍第一造兵廠倉庫で、
この造兵廠倉庫への側線として(啓志線は)昭和18年に敷設されたそうです。
(「東武鉄道100年史」)戦後の啓志線はこの側線を延長したのです。
<以上引用>

k_guncontrol at 01:00│Comments(0)TrackBack(0)clip!帝銀事件 

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