2008年07月27日

白洲次郎とは何者だったのか(43)

◎前回 (白洲42) のつづき

 元GHQ駐留施設のパレス・ハイツ(三宅坂)の跡地には結局、観光ホテルは
 建設されることなく、最高裁判所と国立劇場が建設された。

 「国民から集めた金(見返り資金)で観光ホテルを建てる」という提案が
賛同を得られる方がおかしい。

第016回国会 外務委員会 第20号 昭和28年7月27日
○川崎委員 もとよりわれわれはなるべ外資を導入したい。しかし外資はなるべく基本産業の開発等を通じて、日本の生産拡充に資するような方面へ導きたいというふうに考えておるのであつて、
(略)
しかし幸いにしてこの計画は、その所期したところが不純であつた点もあつたり、あるいはアメリカの輸出入銀行の外資があまり順調に運ばないということで頓挫しておるようでありますが、もう一つの原因がありませんか。

この問題はむしろ現在の官僚機構、つまり外資委員会を構成しておるメンバーから非常な反対があつて、こういうような吉田(茂)、岡崎(勝男)の政策というものはけしからぬというので、下級官僚が結束して反対をしておるという事実がある、それがために頓挫しておるというようにわれわれには思えるのであります。
(略)

○岡崎(勝男)国務大臣 (略)貿易外収入としてツーリストの落す金というものは相当大きなものであります。これにつきましては、やはり外資が入つてりつぱなホテルができるということは、日本に旅客を誘致する上に非常に必要なことでありますから、私は原則的には賛成しておるのであります。

そこでこの問題について私が河上(弘一)、小林(中)両氏を話をして引入れたというようなお話でありますが、その事実は全然ありません。(略)

  ※引用注:河上弘一は白洲次郎と親しい人物  参考:白洲(118)

○川崎委員 (略)われわれの聞知をしておるところによれば、この問題について一番熱心なのは吉田総理大臣とあなたである。それがために一昨年の閣議決定はすらすらと事が運んだ。

その後になつて日本の内部事情あるいは輸出入銀行との関係等から頓坐を始めたのだというふうに聞いておるが(略)

○岡崎国務大臣 吉田総理大臣がどのくらい熱心であるかということは私は聞いておりません。(略)自分が積極的にこれをとりまとめるようなことはいたしておりません。
(略)

○川崎委員 (略)運営の協定によると、このホテルは建設をされてから4年間はパン・アメリカンが一切の運営を委任されると書いてある。しかもこのパン・アメリカンの委任料は基本手数料が100室に対して年間5千ドルずつパン・アメリカンに払わなければならない。

現在このホテルの計画の室数は534でありますから、約2万5千ドルずつ払うわけであります。それを3年間だというと手数料だけで10万ドルです。

  ※引用注:10万ドル=3600万円、現在価値で約20数億円。

(略)
このパン・アメリカンと提携したところにも、今までのいろいろないきさつからして臭いところがある。御承知のごとく日本航空がわが国におけるただ一つの航空会社として国内航空をやり、将来は国際航空にも出ようとしたときに、白洲次郎君はパン・アメリカン会社と結託をして日本航空の独占性を害そうとしたこともあるし、国内の航空についても関連をしたことがある。

 ※編注:当時の日本航空は、現在のそれとはやや異なる模様。
  「日本航空株式会社(初代) - 1951年設立の航空会社。1953年解散」
    (Wikipediaより引用)

その方がうまく行きそうもないと思うと、こういうところへ頭を出して岡崎君を使つた。この根源はあるいはあなた自身じやないかもわからない。白洲次郎君かもわからないけれども、とにかくこれにおどつたのはあなたであることは間違いない。
(略)

○岡崎国務大臣 (略)その協定なるものも知りません。今初めて伺うのですから、
私はこれを知りません。
<以上引用>

◆上記の補記あり。 
 (1) 日本航空vsパン・アメリカン
 (2) 電力再編の混乱
 (3) 外資委員会とは何か

▼参考リンク
米国対日援助見返資金の私企業に対する貸付について 昭和25年5月16日
 名古屋国際観光ホテル    30,000(千円) ※現在で30億弱ほどか
 オリエンタルホテル      20,000
 財団法人国際見本市協会  24,000
 志摩観光ホテル株式会社  18,000

志摩観光ホテル Wikipedia
『真珠養殖で有名な英虞湾に面する賢島に建っており、
 伊勢志摩などの観光地にも近い。
 かつては伊勢志摩における迎賓館的役割をになっており、(略)
 いわゆる宮内庁御用達ホテルである。』

“読売オンライン” より
『(志摩観光ホテルは)開業した年(S.26)の7月には、
 国際観光ホテル整備法による戦後1番目のホテルとして登録を受け、
 11月には昭和天皇が宿泊された。
 その後もロックフェラーやマッカーサー、サルトル、吉田茂、谷崎潤一郎ら
 世界の著名人が訪れ、食事を楽しんだという。』

  ※マンダリン・オリエンタルホテル・グループというのがあります。
   上記の「オリエンタルホテル」との関連の有無は分かりませんが、
   「マンダリン〜」の方はジャーディン・マセソンが1960年代に
   香港にて開業しています。

第006回国会 観光事業振興方策樹立特別委員会 第9号 昭和24年11月28日 
○柄澤委員 私は日本共産党を代表いたしまして、国際観光ホテル整備法案に
対して反対の意見を表明するものでございます。

この法案の提出されましたとところ目的として、国際親善と外貨獲得ということ(略)まず日本の国内の平和産業の再建ということが最も必要と思うのでございます。
(略)
今日のような中小企業がつぶれ、失業者を出して、パンパンがふえ、美しい山が、美しい川が、私どもの自然というものが、失政によつてそこなわれをいるこの現状を、われわれは外人に見てもらいたくない(略)

日銀の融資を優先的に受けることができるとか、いろいろのことをみすみす見のがすのは惜しいとういようなことが叫ばれておるようでございますが、私どもは現在融資の逼迫によりまして、みすみす中小企業がつぶれておることを知りております。また学校が建たないことも知つております。(略)

○門司委員 私は日本社会党を代表いいたしまして、反対の意思表示を(略)
第一の理由としましてわれわれが最も重要視しなければならないのは、この法案の中にありまする地方税の半減の問題であります。
(略)
このホテル業を営む者に対して地方税を半減されるということは(略)恩義を受けますものは、一部のホテル業者でありまして、(略)

○山本(利)委員 私は民主党連立派を代表いたしまして、ただいま議題となりました国際観光ホテル整備法案に賛成の意を表するものであります。
(略)
全国できるだけ広く多くのホテルを建て、たくさんの外貨を誘致してもらいたいものであります。
(略)
はつきりした官庁がきまつておらぬことは、今後業者をして非常に煩雑な思いをさせ、さらに官僚のなわ張り争いが今後も継続されるのではないかと思います。その点にも留意されまして、十分にこの法律が活用されますように、希望いたして賛成の意を表します。
<以上引用>

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この記事へのコメント

1. Posted by くれど   2008年07月27日 04:41
昭和30年代には 永野のお兄ちゃんが 運輸大臣に入り込んだりとか 通産省から ジロさんの息のかかった連中が追い出されたりするんで 観光には入り込めなかったようですね。
ちょうど この時期にできてきたのが 笹川センセイのネットワークです。
それと ジョイントしていたのが 児玉 小佐野
 はじきとばされたのが 田中清玄
2. Posted by k_guncontrol   2008年07月27日 06:57
既存の観光利権に絡めなかったので
東北という自分の縄張り内でもあり、
観光未開地でもあった蔵王を開発したのでしょうか。
3. Posted by k_guncontrol   2008年07月27日 07:44
マミヤ光機ネタ
http://www.kenkenfukuyo.org/reki/ormoru/tokkyo5/tokkyo8d4.html
「藤山愛一郎は結局は間宮(精一)父子の会社(日本NCR)を
乗っ取ってしまったことになる。

間宮精一は昭和15年5月、『マミヤ光機製作所』を創立した。
(この時代の光学機器なら軍需がらみの可能性が考えられます)

資金は菅原恒二郎という知人が出してくれた。
菅原は(略)銀行家だった父親に援助をあおいだと言われている」

菅原という銀行家を探してみました。
「菅原通敬 - 東洋拓殖株式会社総裁」この人かな。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B4%8B%E6%8B%93%E6%AE%96
4. Posted by くれど   2008年08月02日 07:38
http://www.google.co.jp/m/search?mrestrict=chtml&q=%E9%9D%92%E5%B1%B1%E4%BA%8C%E9%83%8E%E3%80%80%EF%BD%B8%EF%BD%B0%EF%BE%83%EF%BE%9E%EF%BE%9D%EF%BE%8E%EF%BD%B0%EF%BE%8C%E5%85%89%E5%AD%90

青山二郎とは これであったのではないか 田中清玄が総裁を連れて 某画廊に行き  密室でインドネシアのスカルノ追い落としの件で白洲次郎と会うというのも きっと あったのかもしれません。
5. Posted by くれど   2008年08月02日 07:48
白洲正子の交遊録をまとめた本って なにが いいんでしょうか
総洗いだしてみたいような気がします。河上徹太郎は 興業銀行がらみで 小林秀雄は 宝石がらみ 洲之内徹は 怪しい関係で 今日出海は 右翼がらみで けっこうジローさんの付き合いが多いはずなんですが
なんか そういうのに 接点をもちたい 好きな男の側に少しでもいたい いじましい女心 そんなものを白洲正子には感じるのですが いかがでしょうか?


6. Posted by 下山   2008年08月02日 10:03
昭和24年の東芝の国鉄電化期成に関して、何か東芝と繋がりがあるかご存知ないでしょうか?利権がらみで・・・
7. Posted by k_guncontrol   2008年08月02日 15:52
東芝と鉄道電化期成同盟の直接の関わりはちょっと分からないのですが、
栃木/東北本線がらみだと、こんなものがありました。

1)
昭和25年7月 ※下山事件のほぼ1年後
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/008/0016/00807290016008a.html
東北本線の電化促進に関する陳情書
(仙台市・東北電気協会長・内ケ崎贇五郎)
※この内ケ崎という人は後の東北電力社長、つまり白洲次郎の子分ですね。

『○岡田(五)委員 (略)鉄道の電化につきましては、国鉄当局、運輸当局は
もちろんのこと、わが自由党におきましても、
この電化を公約の中に入れており
ます。
財界におきましても、また政界においても各党派を問わず、
電化については御賛成のようであります。
(略)
特に一つお願いいたしたいことは(略)
電気機関車のメーカーが、国鉄の発注に
基きまして、
電気機関車を三十五両こしらえたのであります。
そのうち十何両は、情勢の変化なりと称して、
実は買い取られないということで、一台千数百万円する機関車を十数台、
日立にいたしましても、東芝にいたしましても、
かかえ込んでおる。(略)
国鉄当局の方にも示唆されんことをお願い申し上げるわけでありまするが、
この電気機関車の需要の見込みはどういうことになつておるか。
簡単でけつこうですからお知らせを願いたい。』
8. Posted by k_guncontrol   2008年08月02日 15:54
2)
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/015/0016/01511280016003c.html
『東北本線大宮、仙台間電化促進に関する陳情書
(宇都宮市東北本線大宮、 仙台間電化促進
期成同盟連合会会長・小平重吉』

小平重吉は当時の栃木県知事のもよう。
その息子が
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%B9%B3%E4%B9%85%E9%9B%84
三井系への勤務の後、政界入り。地盤は栃木。
池田派(吉田派?)の通産政務次官から政治家キャリアがスタートしてます。
年齢的には矢板玄氏と同世代、白洲や水野よりは一回り下の世代です。

その会社
http://www.kodaira.co.jp/syoukai.htm
昭和14年 中島飛行機の協力工場として飛行機部品の製造開始
昭和19年 軍需工場の指定を受ける
9. Posted by k_guncontrol   2008年08月03日 15:14
> 白洲正子の交遊録をまとめた本って なにが いいんでしょうか

『遊鬼 −わが師、わが友− 』(by正子)というのを買ってみました。

ジロさんに関する記述も数ページあって、なんでも晩年のジロさん、
小林秀雄に薦められて戦後の思い出を本に書き残そうとしたらしいですが、
「関係者に迷惑がかかるから」 結局やめたらしいです。
10. Posted by くれど   2008年08月04日 02:45
http://getsuyosha.jp/kikan/sunouchi.html

経歴をみると 怪しい人ですね。佐野学とか 鍋山貞親と知り合いであっても おかしくないような気がしますが 特務時代のことは この本でないと読めないようで 買おうか 買うまいか
今 思案中
11. Posted by k_guncontrol   2008年08月04日 04:31
価格的にちょっと厳しいですねー。

でも、画廊や骨董屋みたいに、仕入れてから
売れるまで時間のかかる商売って、普通の商売よりも
はるかに回転資金が必要になるから、
相当な資金力が必要な筈です。
怪しい商売であることは間違いないと思います。
12. Posted by くれど   2008年08月04日 07:51
http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d.html/ref=redir_mdp_mobile/250-6013151-8229060?ie=UTF8&%2AVersion%2A=1&a=B0002HV3L6&%2Aentries%2A=0

洲之内さんの友人が田村泰次郎で 東宝つながりで いろんな人がでてきます。
正子さんの遊び金は ジロさんからでていたんですから 家庭からでていた 二人は ほんとうに別だったのか 白洲正子が ジロさんの表の顔だったのでは?
13. Posted by k_guncontrol   2008年08月04日 08:29
正子ちゃん、戦後間もない頃5万円もする茶碗買ったりしてますから、
さすがにジロさんも財布は別だったのでは。

とはいえ、日本人の西洋画というのも諸外国では殆ど評価されず、
国内では商品というより、ある種の怪しい通貨の役割を
果たしている様に見えます。

現代画廊があったビル
http://home.u07.itscom.net/nardo/tokyo/15481.html
http://humsum.cool.ne.jp/b3-60gin6.html
http://punkhermit.jugem.cc/?eid=2330
なぜかライカビルに通じるものがあるような。
14. Posted by くれど   2008年10月16日 22:52
美術と土地取引で ちょっと怪しい人脈を 発見
15. Posted by くれど   2008年10月16日 23:10
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BB%99%E9%99%B5%E5%8F%A4%E5%A2%B3#.E3.83.9C.E3.82.B9.E3.83.88.E3.83.B3.E3.81.AE.E4.BB.81.E5.BE.B3.E9.99.B5.E5.87.BA.E5.9C.9F.E5.93.81
ボストンの仁徳陵出土品
アメリカのボストン美術館に仁徳天皇陵出土と伝える鏡や環頭大刀などが収蔵されている。これらの品は、明治41年(1908年)には既に博物館に所蔵されていたようで、梅原末治によって紹介されている。
鏡は細線式獣帯鏡で、青龍、白虎、玄武、朱雀などの霊獣を文様とする立派なもので、後漢製の舶載鏡と推定される。しかし、百済の武寧王陵から同種の鏡が発掘され、中国の南朝での製品という可能性もある。
刀は、刀身が折れて無くなっていて、長さ23センチの把(にぎり、柄)と環頭(柄尻)が残っている。環頭は鋳銅で形を作り、その上に金鍍金がしてあり、環の中央には竜の首を彫刻し、竜首を取り巻く環には双竜を浮き彫りにしている。把には連続した三角形の中に禽獣を浮き彫りにした帯状の飾り金具を付けている。この類似品は南朝鮮の新羅や任那の古墳から出土している。
中国や韓国からの出土品が間違えられたという可能性がある一方で、鏡も刀も仁徳陵出土品としてもおかしくはなく、明治5年に露呈した前方部埋葬施設から持ち出され、一時期古墳近くの在家の所蔵物になっていた可能性が大きい。また、それ以前持ち出されたものとも考えられている
16. Posted by くれど   2008年10月16日 23:23
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/33983391.html

このなかにでているのが 税所篤という方が 仁徳天皇陵の発掘にも関与している方です
17. Posted by くれど   2008年10月16日 23:48
http://wpedia.mobile.goo.ne.jp/wiki/426/%95%BA%8C%C9%8C%A7/21/


6.行政
6.1.歴代兵庫県知事(権知事・県令を含む)(公選前)
初代知事 伊藤博文(在任期間1868年5月23日〜1869年4月10日)
久我通城(在任期間1869年4月10日〜1869年5月19日)

中島錫胤(在任期間1869年5月21日〜1869年6月1日)

陸奥宗光(在任期間1869年6月20日〜1869年7月17日)

税所篤(在任期間1869年7月17日〜1870年8月19日)
18. Posted by くれど   2008年10月17日 00:16
http://www.nogami.gr.jp/rekisi/sandanorekisi/25_kodera/kodera.html
商才を発揮、神戸の土地を買い占め大富豪に
 彼は三田藩における財政改革等に参画するうち、経済に強い自分を発見した ようだ。1872年(明治五年)、九鬼隆義・白州退蔵とともに志摩三商会の 設立に加わり、一時大いに繁盛した。 泰次郎は、その後独立し、不動産・金融業を始める。当時の神戸はというと、 1867年(慶応三年)、兵庫開港とともに外国人居留区が設置され、翌明治 元年には神戸町と名づけられたが、まだまだ鄙(ひな)びた漁村に過ぎなかった。 1872年(明治五年)、地所永代売買解禁の布告が出され、翌明治六年の 地租改正により、従来のように収穫高に対して税をかけるのではなく、土地の 価格を決め、その土地の所有者に地価の十分の三の地租を課すこととなり、 土地売買の取引市場が形成されてきた。旧藩主九鬼隆義の命も受けながら、 藩有林や武器・調度類を売却した資金で山手の一部、栄町、元町といった神戸 三宮周辺の土地を買い漁ったのはこの頃のことである。新開地を境に、東を 九鬼隆義、西を小寺泰次郎が買っていったと言う。  1873年(明治六年)五月、紀州の商人加納宗七(今も加納町の名を残す。) らの手によって、氾濫が頻発していた生田川1・63キロを埋め立て、新たに 川を付け替える工事が完成する。ところが埋め立てた土地にはさっぱり買い手が つかなかった。それらの土地を坪十銭に買いたたいて買い占めたのが泰次郎で あった。  外国に向けて開港された神戸の発展を見越した投資であったわけだが、見事 に当たって、泰次郎は一躍大富豪になる。
19. Posted by くれど   2008年10月17日 00:19


http://www7b.biglobe.ne.jp/~koberyoma/yukari/kobe/kobe.html
加納宗七像
JR三宮駅南 東遊園地内
加納宗七は、明治初期に神戸で治水事業を成功させ、神戸に名をとどろかせた人物である。治水工事にて埋め立てた土地には、「加納町」と名づけられているほどである。
加納宗七は、紀州藩出身で、同郷で兵庫県知事を歴任した陸奥宗光と親交があり、龍馬暗殺後に海援隊士が起こした「天満屋事件」にも参加している。碑の横には陸奥書がある。
20. Posted by くれど   2008年10月17日 00:42
http://www.tabiken.com/history/doc/L/L271C100.HTM

地租改正は陸奥が主導で 退蔵さんの動きには なにかからくりがあるような
21. Posted by k_guncontrol   2008年10月17日 08:28
> 地租改正は陸奥が主導で 退蔵さんの動きには なにかからくりがあるような

この点でしょうか。
    ↓
“【地租改正の意義】地券交付と売買の自由を確立した点,
 近代的土地所有に基づく租税と見なし得る。一方,
 金納によって農民を商品経済に巻き込み農民層分解を促進した”

明治維新まではコメが経済の基礎、通貨発行の裏付けだったわけですが、
これは各年の米作量によって経済の裏付けが左右されるということで、
そうではない、(裏付けはないけど)安定した通貨発行と金融システムを
作るため、土地に資産としての価値を持たせ、一方で金本位制を導入する、と。

金本位制というのも、国が所有するゴールド現物と同額の通貨発行ではなく、
保有ゴールドの何倍かまで通貨発行ができるというシステムですから、
現在の「国家の信用」という曖昧な裏付けでいくらでも通貨を発行できる
というシステムのさきがけと言えます。

要は、ありもしない価値や信用を基礎に、好きなようにおカネが作れるという
その点に気付いたあたり、この神戸方面の人たちの先見性があるということですね。
これは英国筋との付き合いから仕入れた知恵なのかもしれません。

カネは稼いでも、たかが知れていますが、「作る」分には無尽蔵です。
で、「作る」のに長けたのが白洲家の血筋ってことなんでしょうねー。
22. Posted by k_guncontrol   2008年10月17日 08:33
> 税所篤という方が 仁徳天皇陵の発掘にも関与している方です

人のお墓を荒らすのは良くないと思います。
というか海外に売ったらバレバレじゃないかと思うのですが、
そこを上手く売り買いの仲介をして、出土品をお金に代えるのを
お手伝いする、そんな怪しいお仕事の人が世の中には存在すると
いうことでしょうね。

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