2008年12月25日

白洲次郎とは何者だったのか(61)

白洲次郎は昭電疑獄の際に、公安(内務省調査局)を動かして
GHQ民生局次長チャールズ・ケーディスの追い落としを謀ります。 
このことは何を意味するのか。

『白洲次郎 占領を背負った男(北康利・著)』 より引用

 「このころになると次郎には確かな感触があった。
  向う(民生局)も手段を選ばない相手なのだから、
  こちらも荒っぽい手を使った。
 
  次郎は久山内務省調査局長に依頼して
  ケーディスの身辺調査を行なわせ、
  本国に送還するための材料を集めさせたのだ」
 <以上引用>

  久山調査局長 … 久山秀雄 (内務省警保局長)、
    兵庫県・神戸二中を卒業  
     参考: Wikipediaより 兵庫県立兵庫高等学校

   ※注1:白洲次郎は神戸一中、牛場友彦は神戸二中卒。
   ※注2:内務省調査局は現在の公安調査庁。

◆なーるほど、久山は地元の後輩でしたか。

 上記の時期(昭和23年半ば)、白洲次郎に公式の肩書きはありません。
  (この少し後に貿易庁長官に就任)
 同じくこの時期、吉田茂も公式なポジションには就いていません。

 その様な時期に白洲次郎は、何の権限をもって公安を動かしたのか?


◎時系列の確認

  昭和21年5月22日 第一次吉田内閣、発足
  昭和21年8月07日 内務省調査局、発足
           (同月、経済安定本部が発足、白洲は次長に就任)  
  昭和22年5月24日 第一次吉田内閣、総辞職
           (これと前後して、白洲は経済安定本部を退任)
  昭和22年12月31日 内務省廃止  

  昭和23年10月07日 昭電疑獄により芦田均内閣が総辞職。
    〃   10月15日 第二次吉田内閣発足
    〃   12月01日 白洲次郎、貿易長長官に就任

  ※昭和22年5月から23年12月までの約1年半にわたり、
   白洲次郎が公式ポジションを持たない時期があります。
   キャリア空白の期間中にも関わらず、白州次郎はなぜか
   公安を動かす権限があった、ということです。


『731細菌戦 国家賠償請求訴訟』より、“細菌戦の戦後責任”
このような経緯をへて、「連合国最高司令官の要求に基づく政党、協会、
その他の団体の結成の禁止に関する事項」を担当する部局として、
内務省調査局が調査部から昇格したのである(昭和21年8月7日)。

そしてこの組織が後の特別審査局となる。
(なお調査局の前身の内務省調査部は、もともと軍放出物資所管のため、
 1945年10月に設置されたもの)

しかし調査局は必ずしも十分軍国主義的団体や超国家主義的団体の
監視や解散を実施していなかったと考えられる。そのため、1947年(S22)の
4月11日に民生局のケーディス次長から、久山調査局長と小倉第三課長が
呼び出しを受け、それまでの報告の遅延や虚偽、各地での共産主義者に対する
暴行事件の発生について厳しい批判を受けている。

さらに4月21日にも、民生局のマーカムは再度久山局長を呼び出し、
調査局の報告が「余りにも遅く、不適切かつ不完全で、翻訳はひどく、
しかも責任逃れ」に終始していると叱責した。

旧内務省組織を改変した組織において、戦争犯罪追及の意識が極めて
希薄であり、果たすべき任務に対してまったく消極的だったことが伺われる。
<以上引用>

◆GHQの接収物資を引き取るために発足した機関(内務省調査部)が、
 その後、公安に看板替えをするというのも必然性が良く分かりません。

 内務省廃止の閣議決定が昭和22年6月27日(参考)、
 第一次吉田内閣の総辞職時と重なっている点にご注目。
 翌年の昭電疑獄暴露とケーディス追い落としは吉田茂および
 その周辺による巻き返し工作の一環であったことが想像できます。

 内務省調査局は、内事局第二局・法務庁特別審査局(S24年)を経て
 公安調査庁(昭和27年)に引き継がれますが、内務省解体から逃れて
 むしろ組織が確固たるものになっていった点に要注意です。

 なお特別審査局と通産省の発足が、ほぼ同時期である点にもご注目下さい。 
   → 参考:  中央省庁の変遷


会計監査院 昭和22年 
梱包用木材の購入及び保管に関し措置当を得ないもの

終戦連絡中央事務局及び内務省調査局で、昭和22年6月及び11月
秋田木材株式会社と契約して、連合国財産返還梱包用木材58,500石
を購入し、その集荷費及び保管料を合わせ48,585,226円を
支払つたものがある。
(略)
東京外3箇所の集積地においては製材の大部分を野積のまま放置し、(略)
購入石数58,500石のうち使用した15,458石を除き、
残高43,042石に対し18,408石に上る腐朽材を生じている。
<以上引用>

上記の詳細:
第011回国会 決算委員会公団等の経理に関する小委員会 第1号
昭和26年8月20日


◆事務局や省庁の権限を利用して資金作りに励んでいた訳ですね、
 終戦連絡中央事務局と内務省調査局は。

 なお、終戦連絡事務局(中央、地方)は、昭和23年01月に廃止。
 これは芦田内閣の発足と連動しています。


『無意味な破片』 より引用、
ケーディスはF.ルーズヴェルト政権の社会主義的な
ニューディール政策に深く係わった弁護士です。
(略) 
そこへ昭和電工問題。GHQを孤立させようとする動きを知って、
ケーディス次長は、内務次官の斎藤昇に吉田派の手先で
ある警視庁を調査させた。

すると、彼を日本から追い出す陰謀が進行していたことが明らかになった。
主謀者は自由党・吉田内閣の要人SとG2の反共主義者ウィロビー、
それに内務省調査局長・久山秀雄。
それで、ケーディスは警視庁を捜査から排除してしまう。

芦田元首相らを逮捕したのは、彼の指揮下にあって
信用していた東京地検です。
<以上引用>

◆さて、その要人S氏は『占領を背負った男』によれば、
 「向う(民生局)も手段を選ばない相手なのだから、
   こちらも荒っぽい手を使った」 という事でした。

 …あれ、なんか話の順序が違うんじゃないでしょうか。

 公式な権限もなく公安を動かせる、
 白洲次郎とはいったい何者なのか。

▼関連エントリ
 白洲次郎は何故、GSと敵対したのか

◎まとめ: 白洲次郎とは何者だったのか


k_guncontrol at 17:12│Comments(5)TrackBack(0)clip!昭和史(戦後史) 

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by GSってガソリンスタンド?と言われた男   2008年12月30日 16:14
吉田茂が齋藤昇を「適任でない」という理由だけで国家地方警察長官から更迭しようとした動機はここにあったのですね。結局、人事権を持っていた国家公安委員会に更迭拒否されるわけですが。
 これが警察法改正の一因、そもそもアメリカの制度を範として取り入れたのですが、日本の実情にあっていなかったんですね。
2. Posted by k_guncontrol   2008年12月30日 22:17
> 日本の実情にあっていなかったんですね。

なるほどFBIと州警察を真似たものな訳ですね。
地方へばらまきとなる以前のことですので、
自治体で警察を持つのは大変だったかと。
3. Posted by kai   2009年10月06日 22:33
白洲次郎が久山を動かしてケーディスの身辺調査をさせたのは、昭和二十二年の念頭です(当時、白洲次郎は終戦連絡事務局次長でした)。昭和電工疑獄とは無関係のようです。斎藤昇元警視総監の自伝に出てきます。
あと、昭電疑獄当時の斎藤昇は内務次官ではなく、警視庁の親玉である警視総監です。
北康利氏の著書は、細かな誤認や思い込みにもとづいた記述が多く、あまり信用しないほうがよいと思われます。
4. Posted by k_guncontrol   2009年10月06日 23:32
ご指摘ありがとうございます。斎藤昇の自伝を確認してみます。

> 北康利氏の著書は、細かな誤認や思い込みにもとづいた記述が多く、
> あまり信用しないほうがよいと思われます。

この人の本は当方もあまり信用はしていません。
まず疑って調べてみると真相が見えてくる、とでもいいますか。
5. Posted by k_guncontrol   2009年10月22日 16:59
斎藤の「随想十年」を読みました。
なるほど、ご指摘のとおり昭和22年ですね。
白洲次郎が公職にあるか否か微妙な時期です。

いずれにせよ公安を動かして人のスキャンダルを暴く、
というかスキャンダルを捏造するというのは如何なものかと思います。

北氏は意図的に時系列をたがえて、昭電疑獄を暴く為、という正当性を
自著のストーリーに織り込もうとしているようにも見えます。

もしそうなら誤認より遥かに悪質です。

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔