2009年03月11日

白洲(65) 補記

白洲エントリ(55)(65) ほかに出てくる、白洲次郎の
戦前の勤務先の表記について、

 a)日本水産 
 b)日本食糧工業 (武相荘年譜はこの表記)
 c)帝国水産 (この社長が有馬頼寧) 参考

これらが、当ブログ内あるいは他サイト内でも
区分が曖昧なので整理しておきます。

参考文献:
「水産工業」戦略の展開 (下) 日本食糧工業の場合 (pdf)
日本水産 沿革

1911 田村市郎と国司浩助が、共同漁業(株)を創業
1933 鮎川義介が日産グループ漁業部門の構想を固める
      → 日本食糧工業の発足
1937 共同漁業が日産グループ傘下へ
      共同漁業、日本食糧工業、日本捕鯨、日本合同工船、
      南米水産、以上5社が合併し、日本水産(旧)が発足
     (この年、白洲次郎が取締役として参加)
1942 水産統制令公布。これにより旧・日本水産は
      帝国水産統制株式会社に冷蔵及び販売部門を分離・譲渡
1943 日本海洋漁業統制に漁労部門を分離・譲渡
1945 日本海洋漁業統制は社名を、日本水産に戻す

◆取締役就任時は日本食糧工業、
 就任直後に社名が日本水産になり、
 辞任時には帝国水産だった、ということになるかと思います。

 日産グループとしての日本水産の発足と同時に
 白洲次郎が就任している点に注意すべきかと。

 また、水産業の統制が完成する時期に辞職しています。
 これらの点から、白洲次郎と言う人の立ち位置が
 なんとなく見えてきます。

 さて、国司浩助が白洲次郎を見出し、
 鮎川義介に紹介したという記述が多いのですが、
 では国司浩助はどこから白洲次郎を見つけた?

 なお、国司浩助は鮎川義介の従兄の養嗣子です。
  参考:「水産工業」戦略の展開(上)

 時代を読む 2007/06/10号より
 白洲は英国ケンブリッジ留学から帰国してしばらくは、英字新聞の
 記者など、今で言うフリーターのような暮らし方をしていたようです。
 そんな折、日本水産の実質的な創業経営者、国司浩助が、
 英国帰りの縁で彼を知り、その素質を見抜いて就職をすすめ、
 役員に抜擢(略)
 <以上引用>

 なにかこう、話が上手過ぎる感があります。

 さて、国司浩助は何をするため英国へ洋行をしていたのか。

『ある偉人伝』より、あしながおじさん? 国司浩助
 当時(1907/明治40)はまだ、スエズ運河開通前で、アフリカ南端
 喜望峰を回り、地中海マルセイユに上陸、陸路ヨーロッパを横断して
 ドーバ海峡からイギリスに入るーという途方もない、長旅であった。
 その慣れない旅先から、国司浩助はたびたび日本に残した養母駒宛
 絵ハガキなど、手紙を書いている。
 <以上引用>

 国司義彦HPより、亡父の足跡をたどる旅 癸
 当時トロール船に自ら乗り組み、遠洋航海に出てN&W会社の、
 あらゆる部門を仕切っていたスタンレー・ニールによれば、
 "彼(国司浩助)は、陽気で愉快で有能な小柄な青年で、私たちが
 彼にしてあげたこと(指導)に終生感謝していた。

 国司はあらゆることをメモし、スケッチし、それらを日本に送っていた。
 "N&Wの古参社員によれば" 国司は帳簿のインクのしみから、
 甲板の木の節目に至るまで詳細にメモしていた。″
 <以上引用>

◆おそらく、国司浩助は単なる漁業人ではなく、
 何らかの国策的な使命を帯びた人だったことを
 連想させる記述です。

 そして、昭和4年に樺山家との縁戚となり、近衛文麿のサークルの
 身内となった白洲次郎は、昭和12年に何らかの思惑のもと、
 発足間もない日産コンツェルン系の日本水産の取締役に
 35歳の若さで送り込まれた、というあたりではないでしょうか。

k_guncontrol at 21:03│Comments(8)TrackBack(0)clip!昭和史(戦後史) 

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by くれど   2009年09月27日 23:10
ジローさんの仕事のあくまでも仮説ですが 資金があって 事業が成り立つというあたりまえのことを考慮にいれるべきかと
1 水産業全般には 戦前のある時期ま   
  で資金が集まりにくかった

2 いわゆる仕込み金融というかたちの
  ひとつとして 缶詰を担保に取るとい   
  う方法が考え出された

3 2の方法を取れば 缶詰もしくは 保存できる水産物 油製品 冷凍製品は
海外で 外貨にかえることができるので
担保価値が出てきて これにより国内だけでなく外国から金をひくことができるになった

4 ジローさんの海外渡航が 周期的な点に注目 船団が出る前に 海外を回って金を集めて なんでしょうか

5 日魯の販売と資金調達をやっていたのが セールフレザーのようで そこから 外債の販売をするようになったようにもみえます

6 セールフレザーや 日水がジローさんを欲しがったのも ジローさんの国際的な人脈と その背後にいる国際金融資本とのコネなんでしょうか



2. Posted by k_guncontrol   2009年09月28日 02:55
おおむねそのようなところなのでしょうね。

それにしても35歳で当時の超大企業の取締役というのは
いったいどういうコネクションを持っていたのか。
3. Posted by くれど   2012年01月21日 23:26
https://ndlopac.ndl.go.jp/F/FUMHB6PPX7IUHJV71EEHAUV3IY5P9TDB99N8YYQVQ5496H6S55-53943?func=find-c&ccl_term=001%20%3D%20000000694222&adjacent=N&x=0&y=0&con_lng=jpn&pds_handle=

近代デジタルライブラリーにある本です
中山説太郎という名前に注目
4. Posted by k_guncontrol   2012年01月21日 23:48
お魚屋さんはタバコ屋と保険屋も兼業のようです。

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00836258&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=JA
大阪海上保険株式会社
老将軍の面影がある同社は大阪商船会社並に日本棉花会社とは姉妹会社にて、
重役は社長・多羅尾源三郎氏(大阪商船会社監査役、北日本汽船会社取締役)、
専務取締役・伊賀歌吉氏、

取締役・範多竜太郎氏(大阪商船会社監査役、繁多商店主)
監査役・滝川儀作氏(神戸商業会議所会頭、東洋燐寸会社々長)、
取締役喜多又蔵氏(日本棉花会社々長)、取締役木村清氏(大阪商船会社・取締役)、

監査役・南郷二郎氏(神戸桟橋会社々長)、
監査役・中山説太郎(久原商事会社取締役)、
取締役・松本与一氏

・・・日魯漁業の取締役が海上保険会社にも関与ってインチキ丸出しですねえ。

http://2006530.blog69.fc2.com/blog-entry-317.html
さて大正9年5月、上原閣下の親心により、周蔵が大連で設立に参加した
「満洲煙草商店」とは何だったか。仮称の段階で社名を「満洲東亜煙草」と
称したので、東亜煙草の関連会社であることは確かである。
(略)
上原の指図で、煙草小売商・小山建一と名前を交換し、久原鉱業社内の
煙草売店の売上金を小山名義で受け取ったが、これは久原房之助に売った
アヘン代金のロンダリングに過ぎない。つまり、満洲煙草商店とは、
普通煙草業でなくケシ煙草業ではなかったか。
5. Posted by k_guncontrol   2012年01月21日 23:52
扉ページ
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1137207/2

内務省日付入り禁止印と課長印、回覧サインが入っていて、
「虚構の事実を掲げて云々」と書き込みあり。怖いですねー。

虚構じゃないだろ、というツッコミ待ちでしょうか。
6. Posted by 渦   2012年01月22日 18:39
学生時代、久原房之助さんの女中頭だったという方にお会いして、人類学的にお話伺ったのですが・・
 なんでも結婚するときは白足袋だけで行李一つで、凄い仕度をしてくれたとか。その頃はまだ偉人とか凄い人がいると思ってましたから(笑)久原財閥もすごいのう〜なんて。
 かなりのヘービースモーカーで、タバコからか同世正子様と似た目をしてらしてやはり90代でしたが(タバコが害ってどうなんでしょう)
 今や銀座を歩いていても、突如駐車場から現れた皇后が、前日体調悪いって報道されていたのに、窓をあけ自らニコニコ手を振って下さって戸惑ってしまう時代。若い人は一段進んで物を捉えられる良き時代でもあるんですが・・・
 某湾岸の役所の戸籍係が、今本籍を千代田区一番の皇居にしている若い人が多いと言ってました。5年ぐらい前です。許可してるんですね。
 それと生まれた場所とかWikiで違っていたりする方もいて、戸籍からでしょうか。事件で世にでる本名も違っていたり何なんでしょう?書き換えられるのは白洲ヒストリーだけでなく、結構あるようで不可解。
7. Posted by k_guncontrol   2012年01月22日 19:06
> (タバコが害ってどうなんでしょう)

これも裏のからくりがおそらくあります。お医者さんは本音ではタバコの害と
いうのはそれほど大したものと考えていない節があります。
(周りの人が煙を不快に感じるのはまた別の問題)

最近では、「米食は太る」 という俗説を疑問を持たずに信じている人が多いですが、
ネタの発信源は同じような筋ではないかと感じています。

副食が少なく、米を大量に食べるしかなかった昔の日本人が果たして太っていたか、
ちょっと考えれば分りそうなものですが、全く考えない人というのも世間には
少なからず居る様で。
8. Posted by k_guncontrol   2012年01月22日 19:06
> 久原房之助さん

久原(日立)と平塚常次郎(日魯漁業)の関係:
http://blog.livedoor.jp/k_guncontrol/archives/51298972.html

最初から仲良しではなく、昔は色々あったようで、

日魯株譲渡問題 背後に潜む久原房之助氏 (昭和8年)
http://cms.blog.livedoor.com/cms/comment/reply?blog_id=2299018&id=734576
日魯漁業優先株譲渡は仮契約を了していたところ、意外にも手違いを生じ
遂に譲渡を完了するに至らなかった(略) 鮎川社長(日産・鮎川義介)は
この旨、高山東拓総裁に回答すると共に、(略) 今や日魯側は必死の防御策を
講じ、拓務省は権限外として不干渉の態度を取るに決した模様で、今後の成行き
は殊に日産の背後に久原氏が潜むので一段と注視されている。

東洋拓殖
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B4%8B%E6%8B%93%E6%AE%96

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔