2009年08月10日

白洲(11) 補記

白洲次郎(11)で登場する、旧日本軍の播磨造兵廠跡地は、国から直接
  民間企業に払い下げられたものではなく、いったん国鉄に払い下げされ、
  その後で神戸製鋼に払い下げられた、ということについて。

『国鉄・私鉄の思い出』より、“国鉄高砂工場”
かつて、昭和28年までは三菱重工、荒井駅の西側になる神戸製鋼も、
その土地は国鉄のものだった。国鉄高砂工場は軍工廠として建設されたため、
車両工場としては広すぎ、効率的な車両修繕のために大改造され、余った
土地が両社に売却されたのだ。
<以上引用>

『高砂観光マップ』より、“高砂プロフィール 近代工業都市へ”
高砂は加古川の豊富な水と高砂浜によって近代工業の立地に恵まれて
いたため、明治34年(1901)には三菱製紙が神戸から移転してきた。
その後、明治41年(1908)には鐘淵紡績会社が進出してきた。
(略)
昭和4年(1929)には野田醤油(現・キッコーマン)、昭和9年(1934)には
鐘紡人絹工業(現・カネカ)、昭和12年(1937)には播磨耐火(現・黒崎播磨)、
昭和13年(1938)には東洋化成、昭和14年(1939)には旭硝子と工場進出が
相次いだ。

戦後になってからも国鉄高砂工場をはじめ神戸製鋼所、三菱重工業などが
進出、さらに昭和35年(1960)から始まった県の播磨臨海工業地帯の再開発
事業によって約280万平方メートルの海岸が埋め立てられ、埋立地には
鐘淵化学(現・カネカ)、武田薬品(現・武田キリン食品)などの大手企業が
進出し、播磨臨海工業地帯の中核都市として発展をとげている。
<以上引用>

◆高砂には三菱、野田醤油など次郎さんとゆかりの深そうな企業名が
 もともとあり、そこへ国鉄の工場が昭和22年に作られました。
  ※参考ページ

 ちなみに下山定則氏は昭和23年に運輸次官となり、
 昭和24年に初代国鉄総裁になります。

 昭和22年というとGHQ民生局がまだ力を持っていた時期。
 翌昭和23年の昭電疑獄を転機に民生局は白洲次郎とG2に
 陥れられていきます。

 高砂の土地は国鉄用地としても広大すぎた様です。
 これは、あえて一端国鉄に払い下げる必要があったのか。
 あるいは何らかの理由があって、国鉄というワンクッションを置いたのか。

 高砂のその後の開発のなされかたは四日市のそれに似ている様に見えます。
  ※参考:白洲(4) 

 下山(40)で見たように、国鉄が自前で発電所を持つか、電力再編を絡め
 電力会社から買電をするか、という争いが国鉄を巡り当時存在しましたが、
 さらに国鉄用地の払い下げを巡り、国鉄と外部になんらかの駆け引きや思惑が
 存在した可能性がある、といえそうです。

 下山総裁が排除されなければならなかった理由がまたひとつ見えた様な。

◎まとめ 白洲次郎とは何者だったのか

▼参考リンク
第013回国会 通商産業委員会 第7号 昭和27年2月13日
○島清君 私は、接收されておりまして日本に返還になりました
播磨造兵廠と、それから四日市燃料廠の問題について大臣にお聞きしたい
のでございまするが、ややもいたしますると、国有財産の拂下げの問題に
つきましては、世の疑惑を受けがちでございましたし、
(略)
今度の国有財産の民間拂下げにつきましては、ガラス張りの中でやるんだ
というようなことを声明をされまして、そうして民間の有力な委員の諸氏
が大臣の委嘱を受けられて、鋭意妥当な線を発見すべく努力されている
(略)

○国務大臣(高橋龍太郎君) (略)いずれは拂下げということになるの
ですが、私の担当しておるのは、どこへ拂下げるのが一番適当であるか、
それを通産省はどう考えておるか、それをきめるのが私の仕事であつて、
実際どういう価格で、或いはどういう條件で拂下げるかという拂下げの仕
事は大蔵省のほうへ移りますので、私は関係ないのです、何も……。
(略)
それで播磨のほうは割合簡單なのですがね。この工場の半分以上を
国鉄の修繕工場に使つております。半分ちやんと区切りがついて、境界が
ついて、これからこつちの施設は戰後相当国鉄のほうで施設を持込んだり、
修繕をしまして、今盛んに動いております。

ところが四日市のほうは戰災をこうむつて機械施設が燒けておる。その
あとを今三つの会社に部分的に仮使用を許しておるのです。それは私
就任前のことでありますが、例えば肥料の増産が必要で、肥料会社が
あれを使い、それからその当時のことでありますから、司令部でも
それへ賛成して仮使用を許しておる。(略)


 




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この記事へのコメント

1. Posted by くれど   2009年08月11日 23:29
自由党
鳩山追放後 三木 河野が 追放されるが終連の段階で フォロー入らず

外務省
広田が死刑 重光が戦犯でY項パージで吉田派の勢力拡大

大蔵省
大物が公職追放 福田が昭和電工事件で逮捕 京大卒の池田が次官へ
池田の自称 師匠の石橋は追放

商工 逓信省関係
岸は戦犯へ 松前は追放
こちらの仕切へ ジローさんが投入される

農林省
重政が 昭和電工事件で 逮捕
その後 河野一郎と組む

運輸省
影響力のあった五島が 追放され 折り合いが 今一つの佐藤が 引き立てられる

この流れの中で 下山総裁が 自殺とも他殺ともわからぬ形で死亡
ひとりぐらい 死んでも おかしくない時代ですね
 


2. Posted by k_guncontrol   2009年08月12日 06:22
きのうエヴァ破を観てきたのですが、加持さんがスイカ作る姿を見て
ちょっと怪しいイイ男には農作業がよく似合うなあ、と改めて思いました。
3. Posted by くれど   2009年08月16日 05:39
寿司屋の旦那の回想ですが ジローさんが 晩年は ほとんど 酒びたりだったのが うかがえますね
これで よく大沢の会長なんかしていたものです 1970年代に入れば ブランド品の輸入代理店だけじゃたちゆかなくなることは どんなバカでもわかることです
それを 基本的な対策を取らずにきたものだから 倒産したのではないかと
高杉良の会社蘇生や 北康利のレジェンドでは カメラ事業へのこだわりが倒産への原因とありますが 商社でうまくいかなくなるから 将来への布石ではないですかね 年寄り連中が 将来への見通しをなにか考えていたんでしょうか
 それを考えるための年寄りのはずですがね
倒産まで あの時代に メインバンクをつけない フォトロンをはじめ 有望事業を
切り売り 資産も今の大沢商会を考えれば 西武が 相当 投げ売りしていたんでしょうね
あの頃の 大沢にいたひとで 存命の人 いっぱい いると思いますが 小林秀雄の勘定持つぐらいなら  ほかに考えることあるだろうとおもっているかた たくさんいるとおもいますが いかがでしょうか
 男がカッコいいということは どういうことなんでしょうか あの寿司屋の旦那の回想には カッコいい男は どこにもいないようにおもえます


4. Posted by k_guncontrol   2009年08月16日 11:49
晩年の次郎さん内蔵がボロボロだったのは何故だろうと思っていましたが、
酒の量が多かったと。ならば何故酒の量が増えたのか、武相荘での農作業は
精神の平衡を保つには充分ではなかったのか。

白洲次郎という人も、60年代以降だんだんとアンタッチャブルな存在に
なっていった様に見えますが、本当はもっと表に出たかったのでしょう。

> 1970年代に入れば ブランド品の輸入代理店だけじゃ
> たちゆかなくなることは どんなバカでもわかることです

この点ですが、父や祖父の代からの特権的な利益で生きてきた人たちは
70〜80年代の時代の変化を認識できていない人が多いと思います。
そんな中で新しいビジネスを開拓できた人や特権を維持できた人も
いるのでしょうが、大沢とジロさんはそういう人たちではなかったと。
要するに実業向きではないわけです。

あの鮨屋の主人にしろ、その客筋にしろ、「ホンモノ/ニセモノ」というのが
あくまで「自分基準のホンモノ」の人たちの構成するサークルですから
仲間内で好きにやって下さい、としか言い様がないですね。
5. Posted by k_guncontrol   2009年08月16日 11:59
次郎さんがやってきた仕事というのは電力にせよ漁業にせよ、
作ったモノは全て市場で消費される、という古典経済学的な
ビジネスモデルです。

つまりカネをひっぱってきて設備投資さえすれば、売上げも利益も
自動的に付いてくる、という時代のビジネス感覚なわけです。

大衆化した時代のカメラのように、商品をつくったからといって、
それがすべて市場で売り尽くされるかどうかは分からないタイプの
ビジネスの先行きが読めないのはむしろ当然ではないかと。
6. Posted by くれど   2009年08月16日 22:07
四元センセイも 清玄センセイも出馬の話があったようですが 鍋山貞親が失敗したので あきらめたようで 黒幕サンも本当は表に出たいのです

ジローさんの場合は 大臣にも成りたかったし 次官にもなりたかった 駐米大使にもなりたかった 自分の息のかかった会社をつくりたかった 吉田健一もダメ
宮沢もだめ シェル日本の社長もダメになった うまくいったのは 大洋漁業とスイスのプライベートバンクを媒介にしての 怪しい動きだけで 金はあるけど ほこりある人間なら そんな自分をどうおもうのでしょうかね

ほんとにカッコいい身の引き方というのは 会社蘇生にでてきた 大沢の人事の人で 雇用していた 身体障害者の人たちの 再雇用まで がんばり 会社にのこってもらうように要望されても 固辞した人のようなことをいうのではありませんか ところで ジローさん 表舞台から身を引いたとあるんですが きよ田で 酒浸りになっている人というのは 普通 いいご身分でと評すのが正しいと思いますが どうでしょうか

赤坂にビル持つようになってから ほとんど住んでなかった 武相荘宣伝のための 隠居のイメージを誰かが のぞんでいるんでしょうね
7. Posted by k_guncontrol   2009年08月17日 06:44
本人は表に出る気まんまんだったけれど、戦後史の裏側に深く関わった
次郎さんを、政界や財界が表に出させなかったというところでしょうか。
良くも悪くもアンタッチャブルにして隔離したと。

町田で晴耕雨読の暮らしなら、そうそう銀座のクラブや鮨屋に顔を出す時間は
ないはずですが、世間は意外とその点に注意が向かないのは不思議です。

いいご身分の自分が分かっていればこそ、今里広記をつかまえて
説教のひとつも垂れてないと心身の置き所がなかったのでしょうね。
8. Posted by k_guncontrol   2009年08月17日 06:48
ところで今里、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E9%87%8C%E5%BA%83%E8%A8%98
1936年(昭和11年)、福岡に出て石炭会社、九州採炭の経営に乗り出すが、
水田光義という詐欺師に引っかかり丸裸同然となり、上京する。

この水田って児玉に暗殺された人ですよね。
9. Posted by くれど   2009年08月18日 06:40
ジローさんが 今里にくだをまいたのは 水野が 産経から追い出されたときに 引導渡したひとりだったからだと思います

水田と今里ですが 水田が山梨半造事件に連座したのが 昭和5年 獄からでたのが8年
大陸に渡ったのが13年 
wikiの説明がよくわかりませんが 九州採炭という炭坑事業に今里が絡んでいるようですか
 この時期に なにかあったようです

九州で 炭坑をやるということは
右翼連中とつきあいが 絶対必要です 今里の戦後の経歴って
ネットにソースは転がってますし
本もあるんですが
10. Posted by k_guncontrol   2009年08月18日 06:59
> ジローさんが 今里にくだをまいたのは 水野が 産経から追い出されたときに 
> 引導渡したひとりだったからだと思います

田中清玄がある時期から今里を悪く言うようになるのもこれが原因でしょうか。
11. Posted by くれど   2009年08月18日 22:58
http://plaza.rakuten.co.jp/junksai/diary/200701020001
猪野 今里さんは後にNTTの民営化の時に、それの総司令官になりましたね。今里さんというのは財界の、会社という意味じゃなくて、財界の政治部長と言われたんですよ。

だから、経団連に加盟してる大きな会社に何か紛争が起こった場合に、今里さんが、さて、この紛争を解決できるのは田中清玄か児玉誉士夫かという、判断を下してたんですよ。

だから、ほとんどの右翼総会屋が児玉系列になっちゃって。反児玉系の総会屋というのはかなり危機的状況に至るわけです。その危機的状況を避けようとして、皆、やくざ組織につながっていった。

宮崎 そうですね。だから、いまかろうじて残ったというか、総会屋は絶滅危惧種的になってるんですけども、論壇同友会なんていうのは住吉会との関係を持つことで生き延びていくということになるんですよね。山口組三代目の場合、労働運動の間題があって、財界人なんかとの関係が相当あったと思うんですね。とくに今里広記なんかを通じては政界との関係も結構深まっていくということがあるんだけども。しかし、僕は三代目でその関係というのは一旦終わったと思うんです。そのあとにちょうど四代目になって、山一戦争が始まるわけですから。
12. Posted by くれど   2009年08月18日 23:50
若干 不明点はありますが 
1970年前後に 児玉がやくざ者を総会屋に流入させたことがあり 今里の裁定で 総会屋を一本化させたことがあり この件を指しているとおもわれます
13. Posted by k_guncontrol   2009年08月19日 04:21
> この件を指しているとおもわれます

なんだか、1960年代終わりに白洲次郎/水野成夫/田中清玄の
影響力を排除しようとした動きがあった様に見えますね。

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