2012年01月28日

堀田善衛・開高健 対談抄(1)

◎あやしい人たちシリーズ: 堀田善衛

『堀田善衛 上海日記』(集英社)より、興味深いところをご紹介

◎堀田善衛の略年譜

1936(S11) 18歳 
   慶應義塾・法学部政治学科へ入学
1940(S15) 22歳 
   同・仏蘭西文学部へ転科
1942(S17) 24歳 
   8月、徴兵検査第三種乙種合格。9月、慶応を繰り上げ卒業し、
   国際文化振興会へ就職。同会の伊集院清三(※河上徹太郎の親戚)の
   紹介で吉田健一を知り、その関係で河上徹太郎、小林秀雄、中村光夫
   西村孝次(※小林秀雄の従兄弟)、芳賀壇、山本建吉らを知る。
1943(S18) 25歳 
   河上徹太郎、山本建吉、吉田健一らと中国語を学ぶ。
   10月、軍令部臨時欧州戦争軍事情報調査部に徴用される。
1944(S19) 26歳 
   1月、松橋秀と結婚(S27離婚)。 2月、陸軍東部第48連隊に召集
   されるも同5月、肋骨骨折により召集解除となる。
1945(S20) 27歳 
   3月24日、国際文化振興会上海資料室へ赴任(松岡洋右の息子が仲介)。
   渡航先で中日文化協会に努めていた石田玄一郎、武田泰淳を知り、
   また中山れいを知る。5月、武田とともに南京で草野心平を知る。
   8月終戦を上海で迎える。
   12月、中国国民党・中央宣伝部・対日文化工作委員会に徴用され、
   日本向け雑誌・ラジオなどに関わる。
1946(S21) 28歳 
   10月、国民党特務の家宅捜査を受け、所持品・原稿を失う。
1947(S22) 29歳 
   1月、佐世保港へ帰国。2月、世界日報社へ入社。
1948(S23) 30歳 
   吉田健一との共訳『追憶の哲理』を刊行。同9月、世界日報社の
   解散により、文筆業に専念。
 (以降省略)


◎同書より、「対談 上海時代 堀田善衛・開高健」

開高:堀田さんの身分は当時(※昭和18年)学生ですか。

堀田:いや、学生を多分17年の秋に終わって、当時は国際文化振興会に
吉田健一、西村孝次、山本建吉などがぞろぞろ入ってきたわけだね。

開高:その振興会って、具体的には何していたんですか。

堀田:何してたって、おれにはちょっと言えんね。

開高:財源は何ですか。

堀田:財源は外務省。

開高:外務省の外郭団体という形?

堀田:そうなんだ。ぼくらは主として調査部というところにいたんだが、本ばかり買っていた。坂西志保さんもいたんだ。「徳川法制史なんとやら」というものを英語になおしていた。だからお互いに何をしているのか全然わからん人がいたわけです。

武田(泰淳)君はあとから来たんだけれど……。(略)彼は左翼歴があるもんでね、なかなか大東亜省の許可(※上海への渡航許可)を警察が出さないんですよ。(略)
それやこれやで武田君の方が忙しくて、内地では武田君に会うことはありませんでした。
(略)
(一度、国際文化振興会を辞め、陸軍東部第48連隊に召集されたが、怪我で除隊したので) もと努めていた国際文化振興会へ行ってみたら上海へ行くという話があるぞというから(略) そのころ、海軍(報道部)にぼくの友達で松岡洋右の息子(松岡謙一郎、当時主計課大尉)がいて、彼が飛行機の切符をくれたんですよ。

それでぼくは上海に着いたんだけれども、ぼくは海軍関係者でもあったもんだから水交社にしばらくいて、それから写真家の名取(洋之助)さんが南京に名取機関というものをもっていたわけですが、そこに草野心平さんも居たわけです。

名取機関は 「フロント」 という、英文の 「ライフ」 のような雑誌の宣伝媒体を東京で出していたわけですが、そこには多分、中島健蔵さんなんかもいたはずだ。で、武田君に初めて会ったのは、武田君が会いに来てくれたんだったと思うね。
<以上引用>

 続きはこちら

◆疑おうと思えばいくらでも疑える経歴ですねえ。

 ・徴兵逃れはかなり露骨。
 ・怪我で除隊、というのも真実か。
 ・陸軍では一兵卒だが、外務省・海軍がらみでは結構な位置に居る。
 ・武田泰淳と国内では面識がなく、上海で初めて会ったというのは事実か。
 ・松岡の息子はなぜ都合よく上海行きの切符(それも船でなく航空便)を
   持っていたのか。
 ・水交社は基本的に海軍将校の親睦団体だが、「ぼくは海軍関係者でもあった」
   とはどういう意味で、水交社に世話になったとは何を意味するのか。

 なお、武田泰淳も上海では相当怪しい存在だった様ですが、その話は次回以降。


k_guncontrol at 05:17│Comments(9)TrackBack(0)clip!昭和史(戦後史) 

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この記事へのコメント

1. Posted by k_guncontrol   2012年01月28日 14:45
http://www.tokyo-kurenaidan.com/oooka-6.htm
この家は小林秀雄が昭和23年6月に購入したもので、
離れもありかなり大きな住まいでした。

・・・こんな微妙な時期に家を買える資金は果たしてどこから調達したのか。
2. Posted by くれど   2012年01月29日 01:57
http://books.google.co.jp/books?id=kirasqm-7_oC&pg=PA201&lpg=PA201&dq=%E8%8F%85%E5%8E%9F%E9%80%9A%E6%B8%88%E3%80%80%E5%B0%8F%E6%9E%97%E7%A7%80%E9%9B%84&source=bl&ots=jVoEivWErX&sig=uT6yB--WrADxwPUsHGzdZ5igAMk&hl=ja&sa=X&ei=FygkT7-3BYeuiAfD2rXQBA&ved=0CCsQ6AEwAA#v=onepage&q=%E8%8F%85%E5%8E%9F%E9%80%9A%E6%B8%88%E3%80%80%E5%B0%8F%E6%9E%97%E7%A7%80%E9%9B%84&f=false

土地がらみだと 通済センセイが出てきます
3. Posted by k_guncontrol   2012年01月29日 02:35
住み替えの物件を通済先生が仲介したように取れますが、
おカネはどこから出たんでしょうねー。
4. Posted by くれど   2012年01月29日 11:38
http://www.google.co.jp/search?source=ig&hl=ja&rlz=1G1LENP_JAJP461&q=%E4%B8%8A%E5%9D%82%E3%81%99%E3%81%BF%E3%82%8C%E3%80%80%E4%B8%8A%E6%99%BA%E5%A4%A7%E5%AD%A6&oq=%E4%B8%8A%E5%9D%82%E3%81%99%E3%81%BF%E3%82%8C%E3%80%80%E4%B8%8A%E6%99%BA%E5%A4%A7%E5%AD%A6&aq=f&aqi=&aql=&gs_sm=e&gs_upl=5972l20943l0l21841l31l31l1l19l0l0l347l2559l0.1.6.3l10l0#sclient=psy-ab&hl=ja&rlz=1G1LENP_JAJP461&source=hp&q=%E6%9D%BE%E5%B2%A1%E8%AC%99%E4%B8%80%E9%83%8E%E3%80%80&pbx=1&oq=%E6%9D%BE%E5%B2%A1%E8%AC%99%E4%B8%80%E9%83%8E%E3%80%80&aq=f&aqi=&aql=&gs_sm=e&gs_upl=104265l104519l0l105081l2l2l0l0l0l0l290l524l2-2l2l0&bav=on.2,or.r_gc.r_pw.,cf.osb&fp=770d5abdebd43ef8&biw=948&bih=445

松岡の子供というのは この人ですね。海軍大尉とありますが 生粋の軍人さんではなく 大勲位みたいな経歴ですね
意外な方の恋人ですが あの方も裏がありますかね
5. Posted by k_guncontrol   2012年01月29日 13:04
松岡謙一郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B2%A1%E8%AC%99%E4%B8%80%E9%83%8E
1941年 - 東京帝国大学政治科卒業 同盟通信社 入社

堀田は海軍大尉と書いてますが、こちらのキャリアがあっての海軍士官なんだろうと。

http://itandenglish.blog63.fc2.com/blog-entry-44.html
彼(名取洋之助)はサンニュース・フォトス社の松岡謙一郎(元外務大臣松岡洋右の長男)と会い、「日本の『ライフ』をつくる」という年来の夢を実現することをもくろむ。
 ※注:サンニュース・フォトスは昭和22年にできた会社。

「なぜか航空券を持っていた松岡」 と 「特務/マスコミ/飛行機」 がこれで繋がる。


> 意外な方の恋人ですが

これは意外というより、繋がるべくして繋がった人生でしょう。
お互い、裏に抱えたものが若い身には大きすぎた。

これは渦さんの方面ですね。
6. Posted by k_guncontrol   2012年01月29日 14:50
昭和23年1〜6月の主な出来事
 1月 帝銀事件
 2月 総理庁全焼
 3月 警察制度変更、芦田内閣発足
 4月 東宝争議・発生
 5月 昭電疑獄
 6月  〃 拡大
7月 政治資金規正法・公布施行
8月 東宝争議・仮処分執行、大韓民国樹立
9月  朝鮮民主主義人民共和国成立、全学連結成
10月 芦田内閣総辞職、第一次吉田内閣発足
11月 東京裁判・結審
12月 国家公務員法改正公布施行(罷業禁止)、昭電疑獄・芦田均元首相ら逮捕
    岸信介、笹川良一、児玉誉士夫が巣鴨プリズンより釈放

http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/002/syuh/s002045.htm
S23.3.15 政府書類保管無責任に関する質問主意書
一、内閣総理庁が全焼し、或は大蔵省が去年は焼失し、重要書類が焼失した。
重要書類の焼失による損失及び無責任は国民の誠に遺憾とする処である。

本議員は昨年の大蔵省焼失の時も質問したが、今回の総理庁の焼失に至つては
政府の対策の無策に対し改善の処見を問う。

同 答弁書
二、最近官庁の火災が少くなく、重要書類が焼失していることは遺憾に堪えない。
官庁及び重要書類の防火対策については、一に述べたところによりでき得る限りの
措置を講じ、特に重要書類の防護については、部下職員を厳重に督励して万全の
措置を致したい。


・・・各種の証拠隠滅は終戦時時だけじゃなかったんですねー。
小林先生とは無関係だとは思いますが。
7. Posted by 渦   2012年01月31日 16:05
>これは渦さんの方面ですね。

ご指名があったようですので
 本当に目と鼻の先、直接お伺いしたいところですが。
 満州時代は、中国男優や日本人歌手と
恋愛体質だったようですが、この方とはとても結婚したかったようですね。
 この失恋?がその後の人生を方向付けてるとも。
 政治家としての印象ですが、満映、終戦、日本映画界。ハリウッド進出の当時の映像フィルムを見るととてもハシャイでいて、知を演じることはできても、やはり御輿に乗せられ易い方で、ずっとある役割を持たされていた方(女優)だと。
 ダボスの渡辺謙さん。今も昔も芸能人は使われてますね。その為の芸能人?
 
 それにしても戦後2,3年で物書きのピラミッドみたいなものが出来上がっていて、もっと海外に知らしめても良い才人がほとんど自殺。本当に自殺だったのかと思うほど。絵画もそうですが、何故か凄い才人を日本から世界へ出してはいけないみたいな。逆輸入だけですから。

関係ないですが、鎌倉は作家や政治漫画家とか文化人が多く住まれてたんですが、開高さんの娘さんもそうですが、娘の自殺というのも公にされないのも含め多いんですよ。

 

 
8. Posted by k_guncontrol   2012年02月01日 01:12
貴重なお話、感謝です。

> 娘の自殺というのも公にされないのも含め多いんですよ。

鎌倉というのも単なる高級住宅街、とは違う独自の何かがあるようですね。
そういった話がある一方、街ぐるみで原節子を見守るような部分もある。
観光地としての鎌倉は皆知っていても、住人からの視点とはどんなもの
なのか、ちょっと想像がつき難い場所です。
9. Posted by 渦   2012年02月01日 10:12
>鎌倉というのも単なる高級住宅街、とは違う独自の何かがあるようですね。

番町と鎌倉は戦前からとても繋がりがあります。
 ご近所東宝東和ビル。この故川喜多夫妻が山口さんが終戦時中国で戦犯として裁判にかけられそうになりながら無事帰国できたときは、鎌倉に住んでらして身元引受人になってたんじゃないでしょうか。

 映像は戦争に物凄くかかわってますからね。現在の社長は松岡氏。そう海軍大尉のお身内ですね。東宝名誉会長の松岡氏も役員に。テニスの松岡さんもご近所。時々お見かけします。
 大女優山口さんと東宝東和と松岡家。今も凄い近い。

>街ぐるみで原節子を見守るような部分もある
 一見町ぐるみのように見えて、単なるファンとかじゃないでしょう。

 戦後番町と鎌倉はかなりの秘密を守ってきた訳です。そこが戦前もっと自由で文化の香りがした町と様子が違って、影があるんですね。

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