2012年09月19日

補・官僚たちの夏

◎佐橋滋についてのメモ

引用元:
『実力者の条件』(草柳大蔵、昭和45年 文言春秋)

なるほど佐橋(滋)の異色性は、(永山時雄、安田善一郎)と比べると"主持ち"の点で異なっている。永山は白洲(次郎)に仕え、安田は河野(一郎)の光芒の中に身をおいたが、佐橋はこれといった政治家についていないばかりか、政治家にイヤ味を言ったり喧嘩ばかりしている。
(略)

ある経済評論家は、佐橋滋の行動を 「総資本のためには働いたが、個別資本のためには働かなかった」 と評したが、これは適評である。

一例を挙げると、彼には 「五人会」 という小さいグループがあった。河野派の山中貞則代議士、児玉誉士夫に近い吉田彦太郎らをまじえた私的な会合である。
(略)

さて、河野が麻布の狸穴に、のちに問題になった「河野ビル(参考)」 を立てたとき、佐橋にジェトロをそっくり入れるように交渉があった。ビルにとって政府機関が入ることは、信用もつくし、担保力もふえるものだ。が、佐橋はこの河野の申し入れをズバリとことわっている。このため、彼は河野の側近からかなり恨まれたそうだ。
(略)

ところで佐橋は昭和41年4月に退官したが、彼の前後の時間が製鉄や自動車に重役として迎えられたのに、彼だけはどこにも天下りしなかった。

麻布六本木にあるゲッツビル(参考)の6階に「佐橋経済研究所」というボールペン書きの紙札を貼り,毎日そこで本を読んでいる。このビルがまた妙なつくりで、佐橋の部屋に行くのに、ちょうど穴倉に降りていく感じになる。
(略)

彼はこのビルを本拠に現行を書いたり、講演にいったり、テレビに出たりしているが、それも月に5本ときめているという。そんな収入でマンションの部屋代や秘書の給料が払えるわけがなく、最初はアラビア石油の山下太郎が、「どたばたせずに遊んでおれ」 と、子会社に籍を入れてくれたという。

現在は財界に会員をつのり、その会員費で運営しているらしいが、どこがスポンサーかはっきりしない。富士製鉄とか紙・パルプという話もあるが、富士の永野(重雄)は、「いや、俺のところは出していない」 と否定しているので、おそらく"その他おおぜい"というところだろう。
<以上引用>

◆佐橋滋と吉田彦太郎/児玉誉士夫という組み合わせは、本書以外では殆ど
 記述がありません。官僚たちの秋は案外と面白いかも、というお話でした。


k_guncontrol at 01:11│Comments(9)TrackBack(0)clip!昭和史(戦後史) 

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この記事へのコメント

1. Posted by くれど   2012年09月19日 22:15
官僚たちの夏のドラマでは 割と 佐橋は大野派に近いような描き方でしたね 福田一とは大ゲンカしてますが

ドラマの後半では 次官になった両角と関係が悪化してますが 石油利権で 両角と協力関係にあったのが田中清玄

しばらく牢人してましたが そのあとに余暇開発センターなんてやっていたみたいですが 児玉軍団のスポンサーだった 萩原がやっていたのが 三井観光開発

2. Posted by くれど   2012年09月19日 22:19
彦ちゃんところの若い衆が ホテルニュージャパンの事務所から 六本木のビルまで手伝いに来て 名刺もって会費集め?小説通りのキャラなら 営業はできない人でしょうね

意外でしたが よく考えると なるほどですが 天国の城山センセイ?このとおりじゃ 総会屋錦城とどうちがうんですか?
3. Posted by k_guncontrol   2012年09月19日 23:46
公正取引委員会が有識者を集めて懇談会を作った際、通産省からは佐橋が薦されたとのことで、対する公取委はアイツだけは勘弁してくれと言ったとか。佐橋の面倒を見てくれてる方面が透けて見えるような。

余暇開発センターは1972年発足ですから、六本木のビルでなにやらやっていたのは退官と余暇開発センターの間の時期ということになります。これを単に浪人生活としか書けないのは城山先生にも色々事情があるのやらどうやら。

別件:
三菱重工の牧田與一郎は昭和20年代、水野成夫から製紙設備の注文をもらって国策パルプに機械を納めたそうです。牧田は静岡中学で水野の4年後輩にあたるのが縁だそうで、すると下山総裁の後輩でもあるということ。

重工は蒸気機関車は作っていた割には電車製造には本格進出したことがないそうで、
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E4%B8%89%E8%8F%B1%E9%87%8D%E5%B7%A5%E6%A5%AD%E8%A3%BD%E3%81%AE%E8%92%B8%E6%B0%97%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%BB%8A

三菱重工、本社は品川の国鉄跡地に
http://www.zakzak.co.jp/economy/ecn-news/news/20120617/ecn1206170751002-n1.htm
4. Posted by くれど   2012年10月01日 21:20
http://d.hatena.ne.jp/agree-art/

週刊ポストの 今週号の見出しに注目
笹川先生は さすがだな

やっぱり塀の中でも男はこうじゃなけきゃ
いけません
5. Posted by くれど   2012年10月01日 21:22
あと 手間暇かければ なんでもそれなりの値段にはなります
6. Posted by k_guncontrol   2012年10月01日 23:07
ピンチを切り抜けた話もありますよ。
http://www.nikaidou.com/archives/14983

先生が総裁を自派に勧誘した話。千代新に呼び出したようです。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2012-06-30

別件:例の理事長。次郎さんと似たタイプみたいですよ。
http://gendai.net/articles/view/syakai/138876
7. Posted by くれど   2012年11月04日 08:38
http://www.kenji-world.net/matsui/shisaku/ticket3.html
で、みんな自分の人脈にしてしまって、結局チケットぴあが立ち上がる時には佐橋さんがデモを見に来てくださって、サバダン曰く「矢内君、今井、お前、
これを本当にやる気か、これはヤクザの世界に足を踏み入れることになるんだぞ」と。興行の木戸銭を扱うということはそういうことだと。要するに、
「右翼の世界から横やりが入るかもしれないから、これは応援団が必要だろう、わしが作ってやる」と言って、チケットぴあの門出をお祝してくれたわけです。
]応援団というのはどういうことかというと、ぴあ株式会社の顧問団を作ってくれたわけです。それは、佐橋滋さんを筆頭に、江戸英雄さん、瀬島龍三さん、
今里広記さん、そうそうたるこの人たちが名前を列ねたら、その意味がわかる人たちは、ちょっと寄ってこない。佐橋さんの人脈には、中国で3年間、
終戦後も戦い続けたというとんでもない男が同級生にいて、16年間中国の牢屋に入っていて帰って来た時に、身元引受人になった人がいるのですが、
その人が総会屋を仕切るようになるんですね。城野宏さんという人なんですけれども、城野機関というのは知る人ぞ知るで、児玉機関と並ぶ、ほんとう
に右翼の親分なんです。その道の人に城野さんの名前を出すと「失礼しました」と言って帰ってしまうような、そういう人たちも知人にいた。
8. Posted by くれど   2012年11月04日 08:40
彦ちゃんより 強い味方がいたわけですね
9. Posted by k_guncontrol   2012年11月04日 09:27
城野宏先生の略年表
http://www.jouhan.com/about/jouno.html
昭和10年(代)当時、東京大学の歴史の中で、中国語を学んだ最初の学生になる。
昭和13年 野村合名会社調査部にたった1名の新入社員として入社。
(略)入社半年後に(東京第1師団歩兵第1連隊)中国へ渡る。

1941年(昭和16年)
陸軍中尉に昇進、第1軍参謀部に転じる。山西産業・河本大作と出会う。
山西省政府の顧問補佐官として、民政・警察・軍隊を主管した。

河本大作の山西時代
http://shanxi.nekoyamada.com/archives/000135.html
(山西産業)満鉄よりは規模が小さいが、省内独立が可能なほど経営範囲は広かった。

・・・三井を追い出して地域事業を独占すればそりゃ経営も安定するだろうと。
河本大作が枯れて倒れるように亡くなっているのに、戦後20年も経ってから
無事帰ってきた城野宏という人もなんか納得いかないですね。
瀬島龍三みたいなものでしょうか。

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