2013年01月24日

田中清玄インタビュー抄

引用元:『PLAYBOY日本版』1981年3月号

PB:
田中さんにも霊的体験みたいなものがありますか。

田中清玄:
数え切れないほどあるなあ。ひとつだけ言いますと、1930年、昭和5年2月5日に私の母(※田中アイ)が自殺しているんです。2月26日には、和歌山市の郊外に和歌浦ってありますね。あそこで警官隊と撃ち合った。いわゆる武装共産党の和歌浦事件。

2月5日、私はこの和歌浦のアジトに帰る途中だった。だからもちろんピストルを持っている。薄ら寒い、いやな日だな、という感じでした。風もある。

トンネルに入って、出口に近づいたところで、パッと母が出た。
「おまえが共産党に入ったりして家門の名誉を傷つけた、ご先祖への申し訳のため、おまえを改心−−当時は転向なんていう言葉はない−−させるために腹を切る」と言った。会津武士の娘ですから、それくらいのことはやるひとです。やったな、腹切ったな、と思った。

6日−−翌日の夕方に東京から連絡があって、あなたのお母さんは郷里の函館で切腹自害なさったと新聞に出てましたと知らされた。これは、いま私の老妻である小宮山英子に帰ってすぐ、母が出たぞ、これは自害したな、と言った。

佐野学の甥っ子の、モスクワ帰りの佐野博も一緒だった。あれにもそれを言った。みんな、これは知っています。

そういうことはずいぶんあります。私がなかなか検挙されなかったのは、純一無雑の心境になっていると、何となく気配がわかるんです。おかしいな、これは目をつけられているな、包囲されているな、それでパッと逃げる。

向うが踏み込む一時間前、30分前、ひどいときには20分前に退去している。それで警察の方は逆に、おかしい、田中は警察の中にスパイ網を持っているんじゃないかと思った。

(中略)

PB:
田中さんは日本の政治家としての(田中)角栄さんをどういう点で評価なさるんですか。

田中清玄:
あの人は、あらゆる意味で農民自体なんだな。おれにはあれだけデモス(民衆)の世界に入りきれない。おれなんか少しエリート過ぎる、誇りが高すぎるんだ。これは悪い点だな。

会津武士の家系だからしょうがねえだろうが、武士といっても、しょせんはお百姓だけどね。農耕−−農民の上に立って飯食ってるんだから。しかし自分は田中角栄さんの様に農民自体にはなりきれない。あの人は農民だ。その差ですよ。

都市の感覚で農民・農村を見ようとするから間違うのよ。ニューヨークの感覚でイランを見ると、それじゃイランの問題の本質がわからん。もしくはモスクワの感覚でアフガンを見るからロシアは負けるのよ。東京の感覚で農民を見ても、農民がなんで田中(角栄)さんをサポートするかわからんよ。
<以上引用>


▼関連リンク
田中清玄のインタビューでの発言は、事実と異なる点が相当多いということ。

「余多歩き」 より
産婆・田中アイさんを偲ぶ1  同 2  同 3  同 4

田中アイ 死の顛末1  同 2  同 3  同 4  同 5  同 6

余多歩き - 田中清玄母についてのメモ4

「函館市史」 より
大正・昭和前期の函館にみる働く女たちの実相 - 収入から見た筆頭・産婆
リンク先ページ画像の向かって右端が田中アイさん。

▼Wikipedia 佐野博の項より
1930(昭和5)年1月、和歌浦(和歌山市)近くの別荘で拡大中央委員会を開く。ここで、武装して自衛しながら大衆の前で公然活動するという方針が採択される。
(略)
この会議後もこの別荘をアジトとして潜伏していたが、スパイや逮捕者の供述によりアジトが特高警察に捕捉される。
(略)
特高は踏み込むための事前偵察として行商の老婆を使うなどしてアジトを下見させた。佐野は普段は警戒のため外出しなかったがその日歯痛に耐えかねて歯医者に行っていた。その帰りに異変を察知し、田中と共にその日のうちにアジトを脱出する。

残ったメンバーも翌日に出るつもりで準備していたが翌2月26日早朝5時、特高に踏み込まれ逮捕される。この際警官隊との間に銃撃戦が発生し和歌浦事件と呼ばれることになる。

間一髪逃れた佐野はシンパであった人物の嫁とペアを組み新婚旅行の夫婦に偽装するなどして東京へ逃れる。しかし東京でも特高に捕捉され4月、フランス料理店での街頭連絡時に逮捕される。この時店にいた客は全員偽装した特高で、佐野も必死に抵抗し取り押さえられる際に拳銃を発射し、警官に重傷を負わせた。のちに田中清玄とともに転向した
<以上引用>

「余多歩き」 より
とある疑惑

▼関連エントリ
あやしい人たち インデックス
田中清玄ほか様々な人物

▼同上インタビュー中の画像より

tanaka_seigen_1981_1


tanaka_seigen_1981_2


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この記事へのコメント

1. Posted by くれど   2013年01月24日 23:56
http://books.google.co.jp/books?id=27wQAQAAMAAJ&q=%E4%B8%8A%E7%94%B0%E8%AA%A0%E4%B8%80%E3%80%80%E5%B0%8A%E6%94%98%E5%90%8C%E5%BF%97%E4%BC%9A&dq=%E4%B8%8A%E7%94%B0%E8%AA%A0%E4%B8%80%E3%80%80%E5%B0%8A%E6%94%98%E5%90%8C%E5%BF%97%E4%BC%9A&hl=ja&sa=X&ei=O0sBUcf1N9GtlQXYhICQCw&ved=0CDUQ6AEwAA

上田誠一 元特高
2. Posted by k_guncontrol   2013年01月25日 12:43
1981年というと次郎さん、まだ存命だったなあ、などと思うことしきり。
3. Posted by くれど‘   2013年01月26日 19:23
清玄! また私をネタに ホラ話しているんですか 湯の川一乃松旅館に 集まってくれた私の弟子たちにみっともないっさ
いいとしして きたない腹なんて自慢気にみせているんじゃない
4. Posted by k_guncontrol   2013年01月26日 21:45
結局、アイさんは切腹じゃなく服毒ということでよろしいんでしょうか。
5. Posted by くれど‘   2013年01月26日 22:14
服毒自殺で その前に自殺未遂2回
全文 アップします

涙なしでは 読めませんよ
6. Posted by k_guncontrol   2013年01月27日 00:52
「会津武士」とか「切腹」とかは田中清玄が「田中清玄的な何者か」であるための、何らかの口実ということですね。
7. Posted by くれど‘   2013年01月27日 09:09
どうなんでしょうか

アイさんのいう会津武士と 清玄のいう 会津武士とは 微妙に違います
8. Posted by くれど‘   2013年01月27日 09:10
お母さんの遺書は 清玄夫妻以外は 現物はみていないようです
9. Posted by k_guncontrol   2013年01月28日 00:09
思い起こしてみれば、ご母堂の自害の時点では転向してないんですよね。転向は2年後。
10. Posted by くれど‘   2013年01月28日 09:29
http://blog.livedoor.jp/junksai5/archives/22780807.html

伊豆の別荘というか 隠居所の前での写真がありましたね もう自分なりのキメ顔

 函舘では 絶対 こんなことがあってはずなんですが その3年後に こういうことが言えてこその国士様!

この函舘の集まりの前年に 現代に赤色太平記という連載をしているんですが これがなぜか単行本にならなかったんですが さーて

転向については 英雄願望 指導者願望というのがあって それが牢屋にいてはかなわないので 転向したとはっきり書いている論考
もあります

 
11. Posted by くれど   2013年01月28日 09:35
城ゆきさんという 共産党の活動家が 大阪北 宮津と 英子さんと 刑務所で一緒だった方の聞き書きだと 英子さんは さっさと転向して 看守の補助で 刑務所で点呼とったりして 特赦ではやめに出たと 忌々しそうにかたっていました

飯の待遇と いろいろ差がついたそうです
12. Posted by  Gong Edo   2013年01月28日 13:54
>結局、アイさんは切腹じゃなく服毒ということでよろしいんでしょうか。


清玄センセーは、そう「思った」、あるいは「感じた」のであって、「切腹」による諌死を,和歌浦事件の時に「想像した」ということではないでしょうか?

 これを「確定」させるべく、次に「新聞(どこの?)に切腹自害と出ていた」というのを「東京の誰か?から告げられた」といっているのでしょう。―新聞を探そう!

 実際には、薬で体にダメージを与えて死んだのも一応自害にはなるでしょう。清玄センセーはここで「自害した」と言っているだけです。説明で普通に切腹をイメージさせる人が自殺したのですから、それは「自害」と表現して良く、いくつか前ふりを確定させておけば「あの諌死は切腹だった」と皆さん「勝手に納得」なさるのでしょう。

 頭の良い人が普通に使う、緻密な言葉の置き換えによる誘導ですね。

 清玄センセー、この後補足して、
「イヤー、この自害、てっきり切腹したと思っていたんだが事実はね・・・」と、普通ならそこで、自分の悲劇を興味深い事実として説明をするものですが・・・。

 和歌浦事件の後、4年?ぐらいかかって転向ですから、獄中でいろいろお考えなさったのでしょう。短いながらも説明の構成と展開、良く出来てます。丸!

 

 

13. Posted by くれど   2013年01月28日 17:37
(読者の声2) 貴誌に書評のでた、中村彰彦『東に名臣あり 家老列伝』(文藝春秋刊)。
読書欲が猛烈にそそられました。読もうかと思わせる運びはさすがですね。
 そういう人物が田中清玄さんの先祖にいたのかと感心しました。血というもは事例によっては後代に噴火するんですかね?
 清玄さんという人への貴台の寸言。「親しくなろうという心境にはなれなかったのだが。。。」のくだりに来て、おもわず笑いが込み上げてきました。貴台の憮然とした表情が。
そして思い出が浮かびました。実は小生もある因縁で接触しかけましたが、貴台と同様、縁のない方と感じたからです。でも、あの殺気満々の田中清玄氏の風姿は爽快で見事なものでした。
 ハイエクについては、その思想に共感してのものですか? それともモンペルラン協会という集団との関係を政治的に活用するためだけのものなのか? 
(SJ生)


(宮崎正弘のコメント) ハイエクとの接点はモンペルラン協会でしょうね。田中氏の理想と輻輳する考え方がありますから。ところで、書くまでもないのですが、田中玄宰―田中土佐―田中清玄と続きますが、玄宰から五代目の清玄氏は嫡流ではないようです。
14. Posted by くれど   2013年01月28日 17:37
http://ameblo.jp/nyaonnyaon/entry-10062750760.html

urlはこちら
15. Posted by くれど   2013年01月29日 23:33
http://minerva-jpn.co.jp/sj
Episode 1 -白洲次郎さんとの出会い
〜宮本茂紀インタビュー 雑誌「室内」(1999年) memories of Jiro S.より〜
 
今から30年くらい前になるでしょうか。私は椅子を作る職人ですが、当時、白洲さんが会長を務めていた大沢商会での
仕事もさせていただいていました。忘れもしません。84年2月に大沢商会が倒産したその翌日、白洲さんから電話をいただき「宮本君、お茶を飲みに来い」と誘われました。
鶴川のご自宅に伺ったその帰り、白洲さんは、ご自分が戦後すぐにもらったという床柱と、「これで一杯飲め」と10万円をくださったんです。


こういうのが 良い話なんでしょうか?
16. Posted by k_guncontrol   2013年01月30日 01:41
日本で一番カッコいい話ですね。
17. Posted by くれど   2013年02月01日 01:09
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4166609041?ie=UTF8&camp=1207&creative=8411&creativeASIN=4166609041&linkCode=shr&tag=hamy8310-22&=books&qid=1359626722&sr=1-4

ようやく 完成
ただ CIAが どうおもっていたかで 客観的にただしいとは ちがうはず

18. Posted by くれど   2013年02月01日 13:34
http://blog.livedoor.jp/junksai5/archives/22974982.html

お母さんの死亡は 函舘の現場をみた人の話では3月5日となっているようです
和歌浦での ドンパチが ひとつの原因かもです
19. Posted by k_guncontrol   2013年02月01日 17:39
母の命日を憶え違いするというのはまず在りえませんから、和歌浦事件の前に母が自害したことにしておきたいようですね。理由はよくわかりませんが。いつもながら、この人は事実を微妙に巧妙にすり替えますね。

母が社会的に立派すぎるのが心理的に重荷で、そこから逃れようとして、赤くなってしまったか。あるいは母の周囲の貧しい人たちを見て、母の助けになろうと赤くなってしまったか。いずれにせよ自分の行動が母の自害につながってしまった負い目を、なんとか精神的に折り合いをつけようとあがいた結果が転向およびその後の活動となったのでは。
20. Posted by k_guncontrol   2013年02月02日 05:54
清玄と関係ないですが一寸面白い話。

http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52016237.html
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2682.html
http://d.hatena.ne.jp/nk2nk2/20140510/1356840452
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/01/24/6700571
http://www.musashinet.co.jp/company/history.html
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52017506.html
事情通に問い詰めると、なんと意外な返事が返ってきた。
「赤旗は知っているが、書けない」というのだ。

http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52019629.html
21. Posted by くれど   2013年02月03日 07:50
アイさんの時代の 産婆さんの謝礼が3円程度からで 上流クラス」の方が10円程度

最大時で 100件程度 お産をこなしていたようです

数万〜数十万円程度 遺産があったという説があって 一般には 清玄の先祖代々の遺産という見方なんですが

今回見た範囲では ウソつけといったところ

アイさんは 晩年は牧場を買ったり 山林を買っていたようですが 弟子には産家からの謝礼をきちんと渡したり(これは当時 珍しい話) 貧乏人から謝礼を取らなかったり 乳児に牛乳をくばったりとか そんなことをしていたようです

まちがいなく人徳はあったかたなんですが 
さて 神中組を作った金 果たして そこからひねり出したか?だせるほどあったか?
22. Posted by k_guncontrol   2013年02月03日 10:21
昭和初頭の初任給が70〜75円ほどのようです。
http://www.geocities.jp/wiz_emerald/bukka.top.htm
3円=現在で10万円、10円=現在で30万円てところでしょうか。

当時の不動産市況と資産としての価値というのが良く分りませんが、昭和5年というと丁度大恐慌の時期。田中清玄が相続遺産を換金した時期が分りませんが、戦時中に不動産市場が適正に機能していたようにも思えませんので、神中組の資金はやはり別のところでは。

会津武士の家系で、その資産があって、という話は、やはりカーチャンに迷惑かけて且つその資産まで相続して、ということには心苦しいものがあった故の様々な設定改変なのかと。国士的にも面子が立たないでしょうし。

なりたい自分意なれない葛藤とか、親とその周囲の環境に対する引け目とか、このあたりは次郎さんや義一先生と共通します。気が合ってもなんら不思議ではないですね。
23. Posted by くれど   2013年02月04日 01:44
補足です 月100件程度のお産をうけていた時期もあったらしくて この当時の 函舘での出生児が7000人いたそうです

お母さん所有の不動産は  函舘近くの 赤川というところで論文には書いてませんが たぶん産院を立てて 牧場で 牛を飼い 取立てのチーズと牛乳を妊婦と新生児に食べてもらおうなんて 考えていたんじゃないですかね

清玄や 次男の愛治先生に よく似ていますよ
アイさんは 

助産婦も含めて 医療関係のかたって いまでも共産党系の人多いんですが たぶん函舘にも 組織はあるはず 

このネタが どうして表にでなかったのか?
電源防衛のときに レッドパージのときに 安保闘争終了後に

やっぱりアイさんが慕われていたから 利用しにくかったんでしょうか?

アイさんが 産婆の仕事20年 清玄が 実業をやったのが 土建業10年程度 あとは怪しいコンサルタント

愛治先生! 偉大なお祖母ちゃんの記録 是非 きちんとした形で残してあげてください
最初の単独著書として 意味のある仕事になると思います
24. Posted by k_guncontrol   2013年02月04日 17:02
愛治ってアイさんの名前から採ったんでしょうね。
いつの時代も、何歳になっても子は J( 'ー`)し に頭が上がらない。

エヴァの初放送時、ゲンドウを見て 「いくらアニメだからって、こんな駄目な大人はいねーよ」 と思ったものですが、いざ自分もゲンドウと同じ位の年齢になってみれば駄目な大人であることはごく普通のことであることを知りました。カーチャンごめん、まともな大人になれなかったよ俺。

「自己実現」という気持ちの悪い使われ方をされる言葉がありますが、アイさんの存在と業績が大きすぎ、かつ子供が母親に求めるものを幼少期に充分得られなかった、故に自己実現の手段として共産主義という当時未完成の大望へ向かった、というあたりが清玄赤化の理由ってところでしょうか。

はてなキーワードの自己実現の項を見ると、関連ワードに「言い訳」というのがあります。これは注目すべきかと。

http://aplac.info/thisweek/essay42/thisweek020225.html
「キビシー現実からの逃避の言い訳としての自己実現」。
25. Posted by くれど@資料は探せばあるもの   2013年02月05日 01:29
四季報の70年分データCDROMが 都立中央図書館で 無料で 見られます

三井不動産は 野村の持ち株が異様に多いのびは びっくりでした
26. Posted by くれど@男って悲しいな   2013年02月06日 23:23
http://blog.livedoor.jp/junksai5/archives/23212516.html

だいたい 函館慕情編完成! 
次は 弘前青春編?

しかし 清ちゃん(きよ?せい?)
キヨハルだ セイゲンだって 自伝ではくだらないこといってますが この写真の3年前に
函館であった 少し年上のおばあちゃんたちには あーら せいちゃんです

おひさしぶり こちらが拳銃ぶっぱなしたお嫁さんね 先生にちょっと似ているかしら むかしはねー いまの鍵っ子みたいでね けっこう甘えん坊で 先生が子供をおぶったしていると 怒るんですよ なんて 函館でいわれたのをおもいだしながら 脇でにやにやしながら このカッコつけている亭主をみている英子さんを 想像してしまいました
27. Posted by くれど@意外にリア充   2013年02月06日 23:26
でも 福島にいた頃は 絶対 もてなかった児玉先生にしてみれば おねえーちゃんが 近くにいて 羨ましいぞといったところかも
28. Posted by 瓜井目々太since2013   2013年02月06日 23:57
「ウチは落ちぶれた武士の末裔だが、母は職業も人望も資産も自力で得た誇らしい人間なんだ」と素直に言えないところが田中清玄の人間としての限界ですね。経歴が見栄っ張りな性格を形成したか、見栄っ張りゆえに形成された経歴か。

アイさんが清玄のことで始終地元警察に呼び出されたというのは、警察と癒着した地元同業者の嫌がらせの部分もあったという可能性はありませんか。函館市史のこれを読むと、そんな状況が何となく連想されるのですが。
http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/soumu/hensan/hakodateshishi/tsuusetsu_03/shishi_05-02/shishi_05-02-07-08-01-05.htm

児玉先生の福島育ちというのも本当なんでしょうか。Wikipediaを見ると、

「福島県安達郡本宮町(現本宮市)に生まれた。父酉四郎の旧姓は山田といい、先祖は代々二本松藩の藩士だった。祖父は明治維新後、二本松の副参事になったが、父の代になって、同じ二本松藩の御典医児玉家から望まれて養子となったため、児玉姓にかわった」

なんか田中清玄と大して変らないような設定になってるんですが。

29. Posted by くれど@右にいるのがアイさんです   2013年02月07日 21:10
ちなみに この写真ですが 赤ちゃんを洗っているのと その隣にいる人は たぶんお弟子さん 覗き込んでいる男の人が 赤ちゃんのお父さん とお兄ちゃん で 右側にいるのが 田中アイさんです

僕が取り上げた論文の最初に アイさんの写真が出ていて これに もう一枚 写真がでているのですが これからとったものだと思います。

面長なところとか 息子 孫にもある特徴のように思えますが どうでしょうか?
30. Posted by くれど@右にいるのがアイさんです   2013年02月07日 21:21
http://d.hatena.ne.jp/fish-b/20121208/1354922314

佐野さんの論文ですが 労作ですが 聞き書きがメインになっていて ちょっと当時の状況をつかみきれていないようにも思えます

かなり先駆けみたいなことをやっていたんで いままでのトリアゲ婆さんみたいな人たちから嫌がられた面もあったということだろうかと思います

悲劇を迎えたのは もしかしたら お弟子さんの中にも共産党系シンパがいると思われたのが一つ それに かなりシャアを取っていたはずなので恨まれたのかと

戦後 忘れ去られたのは 息子憎けりゃ 母まで憎いという アカ旗降っている人たちの性では?

31. Posted by k_guncontrol   2013年02月07日 22:37
どうみても親子ですね。
32. Posted by くれど   2013年02月20日 21:09
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4166609041?ie=UTF8&camp=1207&creative=8411&creativeASIN=4166609041&linkCode=shr&tag=hamy8310-22&=books&qid=1359626722&sr=1-4

三男の守弘さんが 取材に答えていて
友人たちを 家に連れてきたら 児玉先生を 使用人と思い違いされたそうです みんなそう思うんですね

ちなみに この本 買いです 1000円持っていたら 買ってください

ところで 清ちゃん先生の出ている プレイボーイですが グラビアは誰でした?

33. Posted by k_guncontrol   2013年02月21日 00:31
児玉先生ってあの時代の平均身長よりもかなり小さいですよね。

グラビアはモノクロが腹に穴のあいたオッサン、カラーが大谷直子でした。
34. Posted by k_guncontrol   2013年02月21日 18:09
買いました。
まだ最初の方しか読んでいませんが、冒頭のヤクザだらけの壮行会に(笑)

有馬さんは相変わらずいい仕事をしますね。
35. Posted by くれど   2013年02月21日 22:26
あと 有馬先生のこの本を読むと こちらのいろんなエントリーに 補足がつけられます
36. Posted by k_guncontrol   2013年02月22日 02:30
児玉先生と貞親の接近って本当だったんですね。『真相』 侮り難し。
37. Posted by くれど   2013年02月22日 07:52
児玉先生の 背はわかりませんが 帯の写真をみると 白手袋が 妙に大きいです

手が小さいのか 手袋が大きいのか?

ただ この写真 もう少し なんとかして欲しかったな 守弘さんから 別のものを提供してほしかったです
38. Posted by くれど   2013年02月22日 12:40
https://catalog.library.metro.tokyo.jp/winj/opac/switch-detail.do?idx=0

単行本になってました
39. Posted by k_guncontrol   2013年02月22日 21:45
田中清玄が自らの出自を 「会津武士の末裔」 と言い続けるのは、児玉先生が福島の割と裕福な家の出というのが(真偽はどうあれ)公式プロフィールなら、そうしないと自分の方が格下になってしまうからなんでしょう。アイさんはそんな小さいことに拘らない人だったと思いますが。
40. Posted by くれど   2013年02月23日 16:48
http://yaruohd.com/works/14/articles/94

清ちゃん先生が 大嫌いなスターリンなんですが
こうみてると 割と 似ているんですよね
スターリンにとっての英雄にあたるものが 会津武士という
ものなのかも?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E5%90%8C%E5%B9%BB%E6%83%B3

また こういう面もあったんじゃないですか プリンシパルという言葉も

http://members.jcom.home.ne.jp/thinking-reed/1st_stint/essays/trinity%20of%20history.html

自伝と 赤色太平記でも 微妙に言っていることが違うんですよね たぶんこれって 本を作った当時の
清ちゃん先生の思いで そのころ おもっていたこととは 別なんだとおもうのですが

http://history.husigi.com/VHv2/koneta61.htm

戦前の長野県で 産婆という職業が どう見られていたかは知りませんが
たぶん こういう見方をする人もいたと思います 新一さんが どうしてアカになったのか
これが原因かも

http://books.google.co.jp/books?ei=9G8oUZe6IIrIkAWO0YGADA&hl=ja&id=070oAQAAIAAJ&dq=%E5%B0%8F%E5%AE%AE%E5%B1%B1%E5%8F%8B%E5%8B%9D&q=%E5%B0%8F%E5%AE%AE%E5%B1%B1%E5%8F%8B%E5%8B%9D#search_anchor

41. Posted by くれど   2013年02月23日 16:49

小宮山英子で 某所で 朝日新聞の過去データーベースをみていたら 獄中結婚の話が出ていて 
英子さんの 名望家で 豪農のお父さんが 家柄ということで 嫌がっていたという話がありました
自伝では アカになったから嫌ということですが ほんとうは どうなんでしょうか?
これに対しての見栄はりですかね? 常識的に考えて ストックホルム症候はいった嫁で 逮捕時の
記事には 無口で 評判の優等生とのことですが 意思の強そうな方という印象をうけましたが
家柄 うんぬん そんなことは 絶対 考えていなかったと思うんですが
だから 10年まったんじゃないですか 清ちゃんと思うんですが

児玉先生は 二本松のうんたら かんたらって よくはいっていたんでしょうか?
戦前の人の家系図って ある面 立派な人になるんだよ!ご先祖さまに恥じないようにねという修身のネタ
以外の何者でもなかったかとおもうんですが
42. Posted by k_guncontrol   2013年02月23日 22:30
今さらほかに嫁に行く先もないでしょうからねえ。

児玉先生の著作に「みな訳もわからず安保反対を唱えていた」とあるとのことですが、そういうのを煽るノウハウを良く知っていそうな人がいますね、お金もだしてくれそうな人が。
43. Posted by くれど   2013年04月30日 23:09
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/1471/02/back02.html
また、午後一時から「大隈塾」が開かれる教室の前で数名の早大生が担当教員にたいしてこの問題で抗議した。同塾コーディネーター役の田中愛治教授は、「(安倍氏は)こんなこと言ってねえぞ、バカヤロウ!」「事実を歪曲するな」などと怒声を上げながら、取材中の本紙記者につかみかかる場面もあり、あたりは一時騒然とした。だが、田中教授は現行憲法下で常識とされてきた非核三原則や戦争放棄の理念を否定した安倍晋三発言についての評価は、一切語らなかった。

オヤジともどもの武闘派ですが ここのサイトが革マルのフロントなんで その点もちょっと興味深いです。 父親とは別の世界かと思っていたんですが 意外に近い世界のひとのようです 学究タイプというより 行動派なんですかね
44. Posted by k_guncontrol改め瓜井目々太   2013年05月01日 21:54
早稲田という大学の性格がよく分からないのですが。
45. Posted by くれど   2013年05月04日 20:02
なんだか 政経学部は 同盟(旧民社党)系の先生が多いようですね 学部は知りませんが
佐野学も 早稲田の先生でした

清玄が参加していた 二日会も 民社党系が濃かったようですが これも 電力系の労組に民社が支えられていたとみればなるほどです

愛治先生は 唐牛健太郎とスキーいっていたりして ある程度 付き合いがあったはずで 唐牛と60年安保闘争時の仲間だった連中が つい最近まで 中核派のトップだったりします

大隈塾には 民主党のブレインの高野が参加していますが 愛治先生のハトコが 新党さきがけにいましたから これもそれなりの関係なんでしょうか
46. Posted by くれど   2013年05月06日 15:00
http://blog.livedoor.jp/junksai5/archives/26547436.html

昔 週刊朝日に ウチのヨメ賛というコーナーがあって われらの清ちゃん先生がでてました

児玉先生やジローさんが こういうところにでてくるかというと?どうなんでしょうか 


俊太郎さんは東芝勤務で お嫁さんは成渓学園の先生で 子供の頃はロンドンにいたという帰国子女 お嫁さんの清ちゃん先生への感想は
お客がきたら ワインの選定まで細かくて たすかってますと いう話ですが 本音はうざいなというところ
47. Posted by k_guncontrol改め瓜井目々太   2013年05月06日 18:20
当時、この種の人が結構マスコミに登場していたというのがむしろ異例ですね。次郎さんや児玉先生が70年代後半〜80年代前半ごろは完全にアンタッチャブルな人たちになっていたのとは対照的。

2冊の今里本で、1冊め(1980年)は次郎/児玉/笹川/清玄といった名前が出てくるのに対し、2冊目(1985年)はこれらの人の名前を完全に排除しています。当時はそういう存在となっていたということです。

児玉先生と清玄は世間的には競合する同業者という認識で、本人たちもそう思っていたのでしょうが、実はかなり異なる種類の稼業なんじゃないかと。

会津は良さげな地酒がたくさんあるのにワイン揃えていい格好するのはいかがなものでしょうか。
48. Posted by くれど   2013年05月06日 19:08
1979年の週刊朝日ですが この当時 事務所にワインセラー揃えてというのは どんなもんなんだろうかとおもうのですが 外人の来客が多かったのでしょうか?

自分で動かないといけない人と 新聞記者抱き込んでいる人の違いかなという気もするし ロッキードと商法改正と暴力団追放の動きって ある意味 すごい社会変動だったのでしょう
49. Posted by k_guncontrol改め瓜井目々太   2013年05月06日 22:15
http://www.fuefuki-syunkan.net/2011/wine_isyyo2.html
そしてワインブームが到来しました。1972(昭和47)年の“テーブルワインブーム”では、食事中にワインを飲むテーブルワインの文化が日本に根付き始めました。1978(昭和53)年“千円ワインブーム”では大手サントリーやメルシャンなどワイナリーがワインのテレビコマーシャルを始め、手軽に飲める千円のワインを販売しました。それ以上に安くて量を飲める “地ワインの一升瓶ワインブーム”が1981(昭和56)年に起きました。

・・・ということだそうです。79年ごろだとあたしの周辺じゃまだ 「ぶどう酒」 と呼んでいたような。みんなトリス飲んでいたころ本場のスコッチを入手できた人が町田のあたりにいましたね、そういえば。
50. Posted by くれど   2013年05月16日 06:07
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B7%E6%A8%B9

これの 中刷り広告を列車の中で みてました
フィクサーという文字がでていたんですが

どうも マンガの方は 糖尿病とカリエス持ちでもなく ちょっとマザコン気味のミエハリでもなく 息子の友人に使用人とまちがえられることもなく 嫁さんが交通事故で死んだら後をおいそうになるのでもなさそうにないのがちょっと

不満でした

51. Posted by k_guncontrol改め瓜井目々太   2013年05月16日 06:58
その作家は類型的な人物描写しかできませんので。

あの方面の名士の名刺。
http://ninkyo5910.blog.fc2.com/
ビジネスマンの名刺とは明らかに異なるオーラが。

52. Posted by くれど   2014年03月12日 09:33
そういえば 先日 田中清玄のお墓までいってきました

http://blog.livedoor.jp/junksai5/archives/35934803.html 自称 ライバルだった 児玉の墓よりかなり見劣りしますが

それにしても 墓石が球というのは あれは宗派によるんでしょうか?

 

墓石に名前が記載されている 清造さん(祖父)とタヨ(祖母)さん 幸吉(父)さん 愛(母)さんには 没年がありますが よく自伝等で出てくる 田中なんとかさんという方々は名前が記載されいるだけ 

http://blog.livedoor.jp/junksai5/archives/35934803.html こちらからも伺える仮説ですが なんとか藩家老の家柄というのは ハッタリか よくて分家筋では?

それにしてもお寺は立派でした 当時は壇家など数少ないはずですが あの辺の地主か http://plaza.rakuten.co.jp/junksai/diary/200901140000/ こういう仕事を内務省から受けていて お金がでていたんでしょうか?
53. Posted by k_guncontrol改め瓜井目々太   2014年03月12日 23:38
伝統的な墓石デザインに球形のものはなく、ニューデザイン墓石と呼ばれているようです。
http://nirc.nanzan-u.ac.jp/nfile/3797

目立ちたがりなだけじゃないっすかね、
54. Posted by くれど   2014年03月13日 05:59
http://www.geocities.jp/ishishin10/kankou/omonogawa/sutaruhin.html

ほぼ これでした

山中に点在しているお墓は 通常のタイプでしたが まとまった墓地は みんなこれで 阿弥陀様が 墓地を見ているという形式でたってました

檀家さんは 意外に少ない寺じゃないかと
55. Posted by k_guncontrol改め瓜井目々太   2014年03月13日 18:31
なんか良く分からん寺ですね。その寺も調べたら色々でてきそうな。
56. Posted by くれど(junksai5)   2014年07月17日 22:06
https://twitter.com/umedam/status/485791923479666689

旧制中学の学費から見るお話 アイさんは ほんとに女傑だった話
57. Posted by くれど(junksai5)   2014年07月17日 22:09
https://twitter.com/Braunite/status/485985734730330114

田中家は 士族の家というのは たぶんインチキではないかという話
58. Posted by くれど(junksai5)   2014年08月23日 23:19
http://tsun-zaku.tumblr.com/post/95483580227

写真のセレクトからして 貴兄のセンスはちがいます 普通は こちらになるはず
59. Posted by k_guncontrol改め瓜井目々太   2014年08月24日 00:58
こういうカッコつけたポーズ取るのが田中清玄という人で、世間一般の人はこういう写真/ポーズにコロっと騙されるわけですよ。
60. Posted by くれど(junksai5)   2014年08月25日 06:34
http://www.energyjapan.jp/blog/?m=201212

油田の売買というのは そんなに 難しいもんじゃないという話
61. Posted by くれど(junksai5)   2014年08月25日 08:05
そういえば 徳本さんの新刊に事業白痴の先生でてました この雑誌に出た 当時は この先生 体を悪くして 臓器摘出してたはずですが
ワインセーラのワイン 飲めるもんなんですか?
62. Posted by くれど(junksai5)   2015年01月01日 10:59
http://coco.cococica.com/waseda-karatebu/img/f_users/r_7001821img20101004112139.pdf

田中愛治先生が 空手バカ一代であったころの話 お兄さんの俊太朗氏は 慶応の工学部で 空手部で 東芝から 今は コンサルタントとか

この二人が 総裁に 稽古をつけてもらったていた可能性があったとしたら ちょっと胸あついものがあります

お兄さんは ほぼ記憶にないとは思いますが 総裁の若い時代を 聞いていた可能性はあるとは思いますが

愛治先生には 政治の話だけでなく こういう話もして欲しいものです
63. Posted by k_guncontrol改め瓜井目々太   2015年01月03日 01:15
早稲田、慶応とも船越義珍松濤館流いわば空手の保守本流がルーツですが、早稲田の方はのちに全日本空手道連盟(笹川先生のところ、主流四派で創設)の所属になってますね。 (慶応は松濤館流の直系のもよう)

50周年つまり最初が1960年で、これは全日本空手道連盟が出来た直後。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%A9%BA%E6%89%8B%E9%81%93%E9%80%A3%E7%9B%9F#.E5.89.8D.E8.BA.AB.E5.9B.A3.E4.BD.93
この時の初代会長が当時の早稲田総長。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%BF%B1%E4%BF%A1%E6%B3%89

初代会長のあとが笹川先生のようですが(1967年〜)、各派の重鎮を差し置いて笹川先生が会長に就任した経緯など詳しく知りたいものです。

早稲田の方、
http://coco.cococica.com/waseda-karatebu/index.asp?patten_cd=12&page_no=101
1951(昭和26)年、空手への関心が次第に高まり、自衛隊や国鉄などから出張演武の依頼が続く。

慶応
http://www.keiokarate.com/#!history/c1q45

64. Posted by くれど(junksai5)   2015年01月03日 11:55
http://taniteru.tojoren.jp/sito_syuhen21.htm 空手団体を握るということが どういうことか よくわかりませんが
65. Posted by くれど(junksai5)   2015年01月03日 11:56
http://www.jkf.ne.jp/wp-content/themes/jkf/pdf/endowment_act.pdf.pdf

役員名簿
66. Posted by くれど(junksai5)   2015年01月11日 06:32
http://www.fujisan.co.jp/product/1028/b/959263/
特集・ASEANは日本のプレゼンスを歓迎している!

評論家・拓殖大学客員教授  宮崎 正弘 中国離れ、日本接近図るアセアン

〈非営利の情報交換・研究会〉南山会代表  田中 俊太郎 (元・東芝部長)インドネシアと日本の新たな架け橋
http://biglife21.com/companies/6579/
筒井:近藤さんとは、田中清玄先生の流れを汲むプライベートクラブ『南山会』(現会長は清玄氏の長男の田中俊太郎氏)でご一緒させていただいておりますが、その田中清玄先生は自伝の中で、「対象になりきること」「現実と歴史をよくみること」の大切さを強調しています。この前者を経営者の視点から解釈すると、「会社そのものになりきること」になると思います。これを踏まえて、まずは近藤さんの考える「経営者の条件」をお聞かせください
67. Posted by くれど(junksai5)   2015年01月11日 06:33
非営利の情報交換・研究会って 何ですか?
68. Posted by k_guncontrol改め瓜井目々太   2015年01月12日 02:05
元・東芝ってのがいいですねえ。
69. Posted by Palder   2015年03月07日 21:42
3 田中清玄子孫は、先代のように麻薬撲滅活動は?

mixi RAMBO日記
Gree RAMBO日記
70. Posted by くれど(junksai5)   2015年03月08日 11:38
よくわかりませんが 兄貴の方は 意外に親父の人脈を使い 商売しているのでは?弟の方は
どちらかというと 民主党に近い位置ですね
怪しい筋との関わりは?世代も変わったし もうそんな時代じゃないかも 根拠は霊感
71. Posted by 矢次一夫   2017年01月16日 03:26
http://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&cPath=9_14_39&products_id=100695 「「田中清玄自伝」を世に問うて20年余、気鋭のライターが今度は「評伝」に描く、「昭和の志士」。影のフィクサーと呼ばれた男が、どう生まれ、どう育ったのか。…」
⇒大須賀瑞夫/倉重篤郎編
『評伝田中清玄 昭和を陰で動かした男』勉誠出版 見るからに 内容が想像できそうですがw 
72. Posted by 矢次一夫   2017年01月16日 03:32
大須賀さんが 清玄に取材した時点で いろんな人に裏取りをしていて 当時 出せなかったものが かなりあるとすれば 新しい話がでるのかもしれませんが うーん 
73. Posted by k_guncontrol改め瓜井目々太   2017年01月17日 01:46
そういえば、産経が1973年に出した水野成夫のオフィシャル本を入手したのですが、

これ
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009128469-00
人間・水野成夫  松浦行真 著, 水野成夫伝記編集室 編

電源開発に関連する記述がわずか6行で、電化期成同盟がどんなもので水野がその中で何をやったのか、まったく分かりませんでした。もちろん田中清玄の名前は無し。次郎さんの名前は一応あったぐらい。
74. Posted by 矢次一夫   2017年01月18日 06:28
元産経の方も やばい話は抜いてますよね 堤清二の書いた評伝の方もとはいってました

メデイアの興亡のなかでも 水野と清玄の接点がないとか書いてますが 三幸に出資しているわけでw

海鳴という 村田五郎という元内務官僚の評伝には 岸信介VS 財界主流との対立の話(60年安保闘争の頃)の話が出てますね この本もオススメ

西部さんは 宮崎正弘との対談で 日経連から 清玄 清玄からブントにカネが回ったことをかいてますしw

75. Posted by 矢次一夫   2017年01月18日 06:39
今里広記と 南喜一が半分 そっちの人で その親分というわけですから
76. Posted by 矢次一夫   2017年02月24日 22:28
http://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&cPath=4_6&products_id=100695

近日 発売 アイさんの件と 神中組のわりに詳細な話が出ていそうです
77. Posted by 矢次一夫   2017年03月05日 19:15
田中アイさんの割に 精密な記述がでています よくはいえませんが 助産師さんの歴史の一ページとしても面白いかも

神中組と 三幸建設工業は別物のようで 神中組は清玄が 本多秀吉という親分に取られたという記述でした

キャノンとの付き合いもでています

極真関係の方は出てきませんでしたが 当時の関係者の証言がかなり出ていて かなり興味深いところもあるのではないかと思います
78. Posted by k_guncontrol改め瓜井目々太   2017年03月08日 20:10
けっこう良さそうですね。買ってみます。
79. Posted by k_guncontrol改め瓜井目々太   2017年03月16日 14:14
メモ「北一輝 旧蔵全冊署名『妙法蓮華経』全7巻」
http://page8.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/h257643846
「北が養子・大輝に宛てた遺書を裏面に書いた法華経経典は、戦後の右翼のフィクサーであった三浦義一から児玉誉士夫が購入し、現在は児玉から2000万とも言われる高額で京都大学が購入、保存されていますので、北が所有していた法華経経典で、民間に残っているのはこれが唯一と思います」

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