洋画は行

2011年06月18日

「127時間」

技術者として働くアーロンは週末をクライマーとして過ごしていた。母や妹からの電話にも出ずに出かけたブルー・ジョン・キャニオン。自然を全身に感じているアーロンは道に迷ったミーガンとクリティと出会う。彼女たちに道案内と冒険を教えたアーロンはまた1人、歩きだしていく。そしてある岩に体を預けた瞬間、その岩は落ちた。
谷底に落ちたアーロンの右腕の上には岩が乗っていた。腕を抜くことはできず、岩も動かない。叫び声も届かない谷底での127時間が始まった。

主演のジェームズ・フランコがアカデミー賞主演男優賞にノミネートされたことでも話題の映画。
「MILK」から彼が気になっていたので見に行きました。
90分ちょっとの短い映画なのだけれど、ほとんど主人公アーロンしか出てこない映画。
退屈だったらどうしようと思っていたのですが、撮影や視覚効果や妄想・空想・幻覚なんかも織り交ぜる工夫があり楽しめました。見終わった後にどっと疲れる映画です。

工夫はあるけれど、映画自体はとてもオーソドックスなものだと思います。
自分をタフだと思っていた男が極限の状態に置かれ、「全ては自分が招いたこと」なのだと生き直すために奮闘するという。
ジェームズ・フランコは確かに1人で何でもできそうな男に見える。若々しさの中にも余裕があって。ビデオを持参することもなんかナルシストだし。彼は風景も撮っただろうけれど自分もかなり撮るつもりだっただろうし、それを誰かに見せるわけでもなく自分で楽しんだと思うし。

自分だけの世界で生きてきた男が過ごした127時間とその果てにあった決断。極限状態だからこそ知った空や僅かな時間に差し込む太陽の温かさや小さな虫の期待。
ジェームズ・フランコはこの難しい役割をしっかりと果たしているし、自分の生き方を振り返った後に未来を見るシーンは感動的。まるで触れられそうな映像だった。その後の肝心の腕切断シーンは痛さを感じさせる音が怖すぎて途中から見ることを断念し、スクリーンの角しか見られなかった。汗をかいてしまうほど怖い。
今までの人生で誰にも声を届けようとしなかったアーロンが127時間を経て叫んだ「HELP」が親子3人に届いたシーンで号泣してしまった。「そうだ、そうだ。生きて帰れ」と心の中で叫んでしまった。

腕切断シーンの他にも尿を飲むシーンやボウフラ湧いている水を飲むシーンなどちょっときついシーンもありますが、説教くさくなくちゃんと娯楽作になっているところがダニー・ボイルらしい。この題材で長編映画にしようと思ったところも凄い。タイトルロールが出てくるところもかっこよかったし、音楽の使い方もさすがダニー・ボイルといった感じ。長さもこれがギリギリで、これ以上長くなったら退屈してしまったと思います。
「生きろ」という、ただそれだけのメッセージを強烈に叩きつけてくる映画です。続きを読む

k_k2911 at 22:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年05月14日

「ブラックスワン」

バレエ団に所属するニナ・セイヤーズはある夢を見る。自分が「白鳥の湖」の主役を踊っている夢、しかし振付はボリジョイ風でいつもとは違っていた。
そして新シーズンの開幕を飾る演目が「白鳥の湖」と発表される。長年バレエ団のプリマだったベスが引退することになり、新しいプリマを決めるオーディションが行われる。白鳥を踊る姿は理想的なニナだが、妖艶な黒鳥を踊りこなすことはできない。自分とは違って妖艶な魅力を持つ新人のリリーの存在にも焦りを感じるニナはベスの楽屋に忍び込み、ルージュをポケットに入れてしまう。
翌日、芸術監督ルロワの部屋に向かったニナだが自分は選ばれないだろうと絶望していた。しかしルロワが選んだのはニナ。それからニナは夢とも現実ともつかない世界に迷い込んでいく。

ナタリー・ポートマンがアカデミー賞を受賞した作品。
私はバレエの世界には疎い。けれどあの肉体の酷使っぷりはかなりの世界だと想像はできる。美しい衣装を着れて、練習着ですらかわいらしい。私の知り合いにはあの練習着が着たいばっかりに大人になってからバレエを習い始めた人もいる。けれどプロのダンサーが取材を受けている映像を見ていると、みんな痛々しいほどのテーピングをしている。女性のダンサーなどは素人から見ると、決して理想的な女性の体のラインではないと思う(ごめんなさい)。なのに踊る姿は誰よりも美しい。そんな世界に生きる1人のバレエダンサーの精神を描いた作品。

グロテスクなスリラー。
ニナが体験する世界は決して美しくはない。けれどニナは母の過剰な干渉と期待の中で生きて、その部屋も年齢のわりには乙女チック。実生活のニナは親友もいそうにないし、とても脆い世界を生きていた。誰よりもバレエの世界を理解してくれているはずの母にさえ、本心を打ち明けることはできない。母は娘が自分より優れたダンサーであることを心のどこかで許してはいない。「私は妊娠で夢をあきらめた」は「私の才能を受け継いだからこそのニナ」という意味だし、エゴイストに感じる。
ニナが選ばれなかったとしたら、どこでその世界が崩壊したのかはわからない。けれど元々かなりギリギリの世界を生きていたと思う。

実際のところ、どこまで現実でどこからが幻想なのかははっきりしていない。「白鳥の湖」に選ばれる前からニナはドッペルゲンガーのような経験をしているし。もしほとんど全てがニナの幻想だとしたら、ニナは挑発的な世界を教えてくれただけのリリーに対していけない妄想を膨らませすぎだし。
ただニナが味わった世界はプリマなら誰でも味わうものとはちょっと違う気がした。よく知らないけれど。もちろんみんなプレッシャーの中で自分を見失いそうになることもあるだろう。けれどこの作品は「ニナの場合」という気がした。

この映画を見て気になった部分がある。
普通ならいろいろ嫉妬などもあると思うが、1つの舞台を作り上げるのに周囲との関係が重要になってくると思う。綺麗事かもしれないけれど「みんなで作り上げている」というような。あのきつそうなベスとみんなが良好な関係を保っているとは思わないけれど、それなりに積み重ねたものがあり本番を迎えるものと思っていた。
だから見ていて幻想に翻弄されっぱなしのニナが本番を迎えられるような、ルロワが「本番も問題ない」と思えるようなレベルまで達していたのかわからなかった。「え!もう本番?」と思ってしまった。本当は黒鳥を会得していっている様子があるのにあまり感じられない。そこで「これはニナから見た世界を描いているからか」と納得しました。

本当にドタバタで混乱の中で舞台に上がるニナ。
役を狙うリリーを刺して黒鳥を舞ったニナはリリーが生きていることを知る。そして自分が刺したのは自分自身だと気付く。その後で涙を流しながらもメイクを続けるニナの笑顔にゾッとした。あの表情でオスカー獲ったのだなと思いました。
ニナはあの時、確かに自分の混乱の謎が解けたのだと思う。けれどそれを止めることをしなかった。あの表情は「これで完璧に演じることができる」と思ったのかな。
鳴り止まない拍手の中で腹部の痛みよりも完璧を感じたニナ。それはルロワが思い描いていた世界を超えてしまったと思う。そもそもリフトを派手に失敗していて、決して完璧ではないし。あの舞台はみんなと作り上げたという印象は薄く、全体との調和よりも短い時間ながら圧倒的な風格が印象に残る。そこにみんなもニナも魅了されてしまったのだ。

この作品を見て監督の前作「レスラー」を思い出した。
「レスラー」の主人公ランディーはかつて栄光を味わったレスラー。体が悲鳴をあげ心臓が爆発しそうなのに、リングに立ち続けた。
長いレスラー人生の中で私生活はダメでも慕ってくれる後輩がいたランディーに比べて、今作のニナは相談相手もいなく一瞬を生きた。どちらも哀れだけれど、ランディーの方がプロだったと思う。まだ若くプリマとしての経験が浅かったとはいえ、公演を勤めあげることができなかったのだから。

かなりエキセントリックな感じがするけれど、意外に真面目な映画。続きを読む

k_k2911 at 21:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年02月26日

「ヒアアフター」

バカンス先で津波にあったフランスのジャーナリスト・マリー。彼女は死を感じた時のことが頭から離れない。
アメリカ、かつて霊能者として活動していたジョージは人との関係を築くことができないことに苦しみ、今は工場作業員として働いていた。
イギリス、アルコール依存症の母を持つマーカスは双子の兄ジェイソンと助け合って暮らしていた。しかしジェイソンは突然交通事故にあい死んでしまう。母からも離れて暮らすことになったマーカスはもう1度、兄を感じたいと願っていた。
3人が苦しみの中、手に入れたものとは。

この映画を見た時、津波のあまりの恐さに泣きました。それからまもなく日本が被災するとも知らずに。
地形が違うからか水の色が違ったけれど、それでもこの映画の津波は恐ろしかった。津波というのはあんなに恐ろしいものなのかと震えてしまった。

ちょっと不思議な映画。
個人的にはピーター・モーガンの脚本がよくできているとは思えない。ラストシーンに関してもこれで良いと思う反面、消化不良な気もしている。なのに完成度は相変わらず高い。これはもうイーストウッドの演出力の勝利だと思う。料理教室のエロさも含めて。

印象的なのはアメリカ・フランス・イギリスと3つの国の話でさらにマリーは東南アジアで被災するのに、微妙な調整はあるものの全体的なトーンが同じであること。他の映画では国別で映像を区別することが多いので新鮮でした。

この映画を見る前は死後の話なのかと思っていた。イーストウッド流の死後の世界観を楽しみにしていた。けれど実際は死後というよりもいろんな形で死の片鱗を感じた生きている人間の話だった。
登場する3人ほどでなくても死を感じることは何も特別な経験ではない。知り合いが亡くなったり突然の災害を少なからず感じると死を感じる。だからこそその先を知りたい。でも生きているうちは無理なのだ。誰かがその先を知っていると言っても本当かどうか確かめようはないのだから。
イーストウッドもあえて何か形を提示するのではなく、死の先にあるものというより生きている先にあるものとして描いたように思えた。だからこそこの映画は優しい。音楽もこの上なく美しかった。続きを読む

k_k2911 at 23:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年12月18日

「バーレスク」

田舎町でウエイトレスをしていたアリは夢を追ってロサンゼルスに旅立つ。
ホテルに泊まり、ダンサーや歌の仕事を探すアリだが現実は厳しかった。そんな時に目に入ったのはセクシーなダンサーの姿。そこは「バーレスク」、経営者でスターのテスの歌声とパワフルでセクシーなダンサーたちに魅了されたアリはここで働くことを決意した。まずは無理やりウエイトレスとして店に潜り込んだアリは自分の実力を披露する機会を狙い、夢に一歩一歩近づき始める。

歌手のクリスティーナ・アギレラが主演したことでも話題のミュージカル映画。
アギレラの歌がたっぷりと堪能できるゴージャスな青春映画。

ミュージカルに限らずこの手の映画にありがちというかど真ん中のストーリーにベタな展開。まさにアギレラの歌ありきのこの映画。
けれどそれが返って清々しく感じた。確かに深みはないが、純粋に歌とダンスが楽しめます。正直アギレラだけしかスターが出ていなかったらちょっと厳しい気もしなくもないけれど、そこはシェールとスタンリー・トゥッチが底上げしてくれています。

何よりアギレラやダンサーたちのパフォーマンスにつきる。
本当にセクシーで見惚れてしまった。衣装もステキだし、とにかくパワフル。
もちろんアギレラの映画だけれど、個人的にはシェールの「You Haven’t Seen The Last Of Me」にグッときた。
ショーは本当に素晴らしかった。けれど私は最初の退廃的な感じが好きだったので、だんだん完成度の高いショーになってしまったのは少々さみしかった。テスのオープニングの歌は残るのだろうか。それどころかアレクシスの良い意味でチープな芸は生き残ることができるだろうかと心配。

先輩ダンサーの嫉妬あり、クラブの経営難あり、甘い誘惑あり、恋人の婚約者登場ありと盛りだくさんなのになぜか登場人物全員に嫌みがない。バーレスクを買おうとしているマーカスだってかなり良い条件を出してくれているし、悪徳なわけではなかった。

これは映画館で見るべき映画。
ラストに流れるのはマリリン・マンソンの「The Beautiful People」のカバー。全く違うアレンジで良かった。続きを読む

k_k2911 at 23:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年04月26日

「プレシャス」

1987年ハーレム、大きな体のプレシャスは16歳で2度目の妊娠が発覚し学校を退学させられる。相手の男は行方不明になった父、プレシャスは父から性的虐待を受け12歳の時にすでに娘を出産していた。毎日同級生や若者に体型を笑われ、家に帰れば母メアリーからの身体的・精神的な虐待が待っていた。
様々な理由で学校から出されてしまった子供たちが行く代替学校を紹介されたプレシャスはミズ・レインと自分と同じように文字の読み書きができない同年代の少女たちに出会う。
少しずつ文字を覚え友達もでき充実してくる生活、そんな中でプレシャスは2人目の子を出産する。しかしプレシャスにはこれまで以上に過酷な未来が待っていた。

日本でも大きな話題になった映画。
・父に性的虐待される
・父の子を2人も妊娠
・母からは精神的・肉体的な虐待
・日々体型を笑われる
・読み書きができない
・長女はダウン症で自分で面倒を見られず預けている
・ついには父からエイズ感染
どこまで不幸にさせれば気が済むんだ?と突っ込みたくなるくらいの不幸のオンパレード。
最低・掃き溜めなんて言葉が甘く思えるほどの環境にプレシャスはいた。日本だと経済的に困っていてもある程度は読み書きができるので代替学校でアルファベットから習う姿に驚いてしまった。
普通こんな不幸を見せられたら陰鬱な雰囲気になりそうだけれどプレシャスが暴力を受けた時に逃げ込む「自分がスポットライトを浴びる空想」が良い具合に私たちにも息抜きさせてくれます。

オスカーを受賞したモニークは圧巻の演技。これこそ怪物だと思いました。
娘が生まれた時は「プレシャス」という素晴らしい名前をつけたのだから愛情はあったはずなのに。彼女も良い環境で育ってはいないだろうと思いますが一度でもプレシャスに対して「申し訳ない」とか「あの子もかわいそうだ」とか思わなかったのだろうか。あったと思いたいけれどおそらくなかったのだろう。あったらあんなひどいことできないはずだもの。絶対に許せない、テレビを投げつけるなんて。あれはもう暴力じゃない、娘を破壊するつもりだったとしか思えない。
最後にメアリーが娘をどう思って虐待していたのかがわかるけれど呆気にとられました。「で?」って言ってやりたいような自分勝手な考え。メアリーも被害者だとは思うけれど自分で自分の人生捨てたのだ。

プレシャスを導いたのは代替学校の教師ミズ・レイン。
彼女は「愛なんて最悪」とプレシャスが過酷な運命に絶望した時にも「書きなさい」と繰り返す。プレシャスは正直決して可愛げのある性格ではない。その体型を考えても道具さえ使えばなんとか父と母の虐待に抵抗できたのではないだろうか。なぜそれをしなかったのか、それは読み書きができないから自分を表現する方法を知らず抵抗する意思表示すらも上手くできなかったのかなと思いました。
だからこそレイン先生は「書きなさい」と言い続けたのだと思う。

先生はプレシャスの今後を考えて子供を手放すことを勧め、カウンセラーのワイスはプレシャスを安い賃金でも働かせる方針を持っていた。そして母は出て行った娘と孫をもう一度やり直したいと思う。
それを全て知ったうえでプレシャスは最後自分の意志で子供との未来に踏み出していく。エイズになった彼女は母乳を与えることはできずこの時代はいつまで生きられるかわからない死の病だったのだから良い判断とは言い切れないかもしれない。
プレシャスは決して満点ママにはなれないだろう。けれど本当に子供と自分が必要とし必要とされる関係を築いてほしい。

話題にもなっているマライア・キャリーとレニー・クラヴィッツの出演。2人ともスターのオーラを消してきちんと作品に染まっています。マライアのすっぴんはそんなに変わるわけではないけれどけっこう驚きましたしレニクラもやっぱりセクシーなのだが温かい。男性の中で唯一良い役でした。2人とも物語に意味のある役。
代替学校の生徒たちもそれぞれ個性的でレイン先生も知的で魅力的。レズビアンという設定が作為的な気もしますが彼女のような人に愛されていると思うことが力になる。
悲惨な物語の中でちょっと明りが見えただけなのになぜか輝いてみえる。そういう映画でした。続きを読む

k_k2911 at 23:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年03月31日

「抱擁のかけら」

ハリー・ケインと名乗り脚本を書いている男は以前本名のマテオ・ブランコとして映画を監督していた。視力を失い過去を捨てた彼の家にライ・Xと名乗る若者が訪れ「父の記憶に復讐する息子の物語の脚本を書いてくれ」と依頼される。ハリーは見えなくても彼が何者かわかった。彼はかつて愛するレナとの仲を引き裂き視力とマテオという人生を奪い先日亡くなった実業家エルネスト・マルテルの息子。
ハリーは封印していた記憶を掘り起こしていく。

ペドロ・アルモドバル監督の新作。
彼の「オール・アバウト・マイ・マザー」が大好きな作品なのですがそれ以来久しぶりに見ました。

内容は思いっきりベタベタなメロドラマなのだけれどそれが嫌みにならないのは彼の手腕と赤の印象が強いスペインの色調と強すぎない粘度のあるスペイン人の雰囲気がなせるわざなのだろうか。
何よりこの作品はペネロペ・クルスの素晴らしさに尽きる。というよりほとんど監督のミューズであるペネロペへのラブレター状態。彼女の作品もそんなに見ているわけではないんだけれどやっぱりアルモドバル作品だと輝きを放ちますな。
特にいろんなカツラを試すシーンはオードリー風ポニーテールやモンロー風プラチナブロンドが堪能できその瞬間にキャラクターが変わったかのような表情の変化は女性だよなぁと。さらに秘書のスーツ姿に愛人の着飾り方やシンプルなカーディガン姿、それにギプス姿まで!!こんなにもペネロペを楽しめてしまうのかと。
容姿だけでなく彼女の女としてのいくつもの表情も見ることができて、彼女は色気たっぷりだけれど童顔に見える時もありすごく若く見える時もあれば相応に見える時もあるし品があるようにもないようにもといろいろな表情がありますがこの映画では違和感なく共存していて素のレナはそのどれもが絶妙にブレンドされていました。

レナを巡る男は2人ともいい年しているのに平常心を失い本来の自分の立場を危うくしたり仕事そっちのけでのめり込んでしまう。マルテルは権力がそうさせるのかもしれないけれど彼は本来ああいう病的な性格なのだろう。元々情熱的だったとしてもマテオはその障害ゆえに暴走してしまう。マテオとレナの愛が成就することを願ってもなぜか彼ら3人はわりとキレイな三角形を築いているように見えるのはなぜだろう。
だからレナとマテオの悲劇は起こるべくして起こってしまった。決して3人で仲良くやればよかったという意味でなくそういう運命だったかのような。
月日が経ちライ・Xの登場がきっかけで失った愛と向き合いそして再生へと向かう。レナは戻ってこないけれど不本意な形で世に出てしまったコメディ映画は本当の完成の道を歩み始めレナは望んだ輝きを放ち始める。私は劇中劇というものは苦手なのだけれど内容自体に意味を持たないからかこの映画は続きが見たくなりました。再生した愛はかつてマテオと恋に落ちたエディットとマテオの息子とわかるディエゴが加わりより豊かな形を作る予感がするラストは胸がいっぱいになります。

ライ・Xのドキュメンタリーに音声が聞き取れずマルテルが読唇術の女性に会話を読みとらせるのはマルテルの異常な執着を伝えるのと同時にこういうアイデアが先行していたのではないかと思うように印象的で冒頭の「道路を渡らさせてくれた女性」のシーンからぐっと惹きこまれます。
考えてみるとマルテルは父親としては最低でライ・Xもまた子供がいるけれど子供に愛情がない父親。マテオはディエゴの父とは知らないが知っていたとしても良い父親になったかどうか。登場する父はレナの父以外は落第どころか0点に近いくらいなのに満点母ではないけれど仕事と母親業を精いっぱいこなすジュディットとは対照的でした。続きを読む

k_k2911 at 23:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年03月19日

「フィリップ、きみを愛してる!」

少年時代、自分が養子であることを知らされたスティーヴンは成人し家族を得るが隠れゲイだった。ある日交通事故にあったスティーヴンは「これからは人生に嘘をつかずに生きる!」と決意、妻にカミングアウトし離婚、ゲイライフを送ることになる。
しかし理想のゲイライフは金がかかる。いつしかスティーヴンは詐欺を繰り返すようになり必死の抵抗もむなしく逮捕される。そこで出会ったのは純真なフィリップ。刑務所の中で彼との愛にどっぷり漬かった生活を送り出所工作に成功したスティーヴンは弁護士と偽りフィリップも出所させる。
就職しフィリップとの豪華な同棲生活を満喫するスティーヴンだが横領したことがばれ再び逮捕されることに。「悪いことはしていない」と嘘をついていたことにフィリップは激怒した。
スティーヴンの願いはただ1つ、もう一度フィリップに愛を告げること。スティーヴンはあの手この手で脱獄するが・・・。

ジム・キャリーにユアン・マクレガーなのにこじんまりとした規模で公開ですね。と言いつつゲイの描写が苦手な方にはおすすめできません。けっこうブチュッとたくさんキスしていますので。

何よりこれが実話だということに驚いてしまう。
何度脱獄してるんだというくらい軽くしているし詐欺も「これは参った!」というような鮮やかでもない手口なのに。映画だから軽くしているとはいってもあれだけ脱獄できるのは凄い。今だに脱獄王っているんだなと。

ゲイを演じたジム・キャリーとユアン・マクレガー。
ジム・キャリーにゲイ的要素は見当たらないのに(本当のところはわからないが)頭の回転が早いゲイにしか見えない。
さらにユアン・マクレガーのかわいいこと!見る前は1人のゲイが惚れこむかわいい男にユアンだとおっさんすぎやしないかと思っていたのですが見てみると年齢を越えた可愛らしさで純真という言葉がぴったり。しかも華奢な若い男よりも中年で緩みのある体型というのが逆に説得力があるということに気が付きました。彼が移送されるスティーヴンに愛を告げるために出たがらなかった中庭をダッシュする時に女走りが本当にかわいかったし少し感動した。

脇役も良く、娘までいるのに夫にカミングアウトされても犯罪を重ねても温かく見守る元妻デビーも良いし「父がゲイ」なのを知ってか知らずか(デビーの性格からいって隠していないと思うが)父から大金が送られてきて無邪気に喜んでしまう娘も小さいが良かった。
マイアミでのゲイライフのパートナーで「愛する人には誠実に」と遺したセクシーで優しいジミーも良い。何より良かったのは手紙を届けてくれたりチーク用の音楽を流してくれたりする囚人クリーヴォン!!金はちゃんと要求するが「引き受けたら絶対」と言って看守に乗り込まれても音楽を流し続ける彼の男気が素晴らしすぎる。

スティーヴンはなぜ詐欺だけでなく愛する人にも嘘をつき続けてしまうのか。フィリップは言っていた通りありのままのスティーヴンを愛してくれるはずなのに。何度も嘘を止めるタイミングはあったのに。
そこを掘り起こそうと思えばスティーヴンが養子というキーワードが出てくるしそもそも夫にカミングアウトされた妻の苦悩も全く描かれない。それくらい割り切られてしまうと返って突っ込む気が失せます。映画自体が明るいから。
思っていた通りのコメディ映画でそれ以上ではありませんでしたが久しぶりに気楽に楽しめる映画でした。続きを読む

k_k2911 at 23:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年03月06日

「ハートロッカー」

2004年夏、イラクのバクダット郊外でブラボー中隊に属する爆発物処理班が道路にある爆弾を処理していた。彼らは特別な訓練プログラムを受け認められた男たち、慎重に事を運ぶがわずかな異変によりリーダーのトンプソン軍曹は命を落としてしまう。
新しくリーダーとしてやってきたウィリアム・ジェームズ二等軍曹を迎えたサンボーンとエルドリッジは彼の大胆でチームワークを壊すような行動に驚く。彼は恐怖を感じない男なのか。ブラボー中隊任務あけまであと38日。

こちらもこの記事を更新している時にはアカデミー賞の結果が出ているで混む前に行っておいて良かったと思います。まさかこんなに勝つとは思わなかった。ステージ上で3人が肩組んで並んでいる姿が微笑ましかったです。監督はめちゃくちゃ美人でしたね。

戦争を描く上で戦争の是非はあるのだろう。けれどこの作品は登場人物をほぼ3人に絞ることで前線に立つ男の姿だけに集約させている。
戦争と言っても戦闘にあけくれるわけではなく今では敵の姿すら見ることはない。こういう描写は最近の戦争映画では珍しくなくなったように思えるけれどそれでも普通の生活の中に全てを吹き飛ばしてしまう爆弾が平然と並べられる光景には慣れない。後半では爆弾を無理やり装着された男が爆発しても凧が空を飛んでいるのだ。

チームのメンバーは命知らずのジェームズに諜報にも携わったことがありリーダーに向いていそうなしっかり者のサンボーンにまだまだ若いエルドリッジ。
戦場であれば命を預けあうという熱い絆があると思いきやない。ジェームズとサンボーンが合うとも思えないし。サンボーンに限ったことではないけれど最後までジェームズのことなんてわからなかっただろう。
確かに砂漠の真ん中での息詰まる銃撃戦でのジェームズは頼りになった。長い時間緊張状態を持続させジュースを飲ませ助言を与えた。あの時彼らは顔や目にたかるハエにすら気を取られることはなかった。極限状態、生還したサンボーンとエルドリッジは「もうこんな思いをするのはご免だ」と思っただろう。けれどジェームズにとってこれがやめられないのだ。いや、もしかしたらあれでも足りないかもしれない。ジェームズは爆弾に一人立ち向かう時が一番なのかも。ジェームズが解体した爆弾の部品を集めるのは勲章ではなくあの時の興奮を思い出すためなのかと思ったけれど手に取った時そんなに思い入れがあるようには思えなかった。彼にとって戦場以外何も意味はないような気がする。
ジェームズは戦場にいる時は家族に電話をしてみたり恋しいと思っているのにいざ帰ると居場所はない。彼の戦場の話を興味深く聞いてくれる人はおらずありがたかっている人もいない。帰った時は感謝されたかもしれなけれど。
ラスト、ジェームズはまた戦場に行く。任務終了のカウントダウンが365日になった時思わず頭を抱えてしまった。彼が息子に言った「大人になると好きなものが1つか2つしかなくなり自分には1つしかない」と。それが家族や語りかけた息子ではないことはわかっていたけれど。
ジェームズは加齢からくる問題を除けば恐らく死ぬか再起不能なほどの怪我をしない限り戦場に行き続けるだろう。人から見れば類まれな愛国心と勇気を持った英雄かもしれない。けれど彼の本来の姿は戦争でしか生きられなくなった壊れた人間。笑みを浮かべて新たな任務に行くジェームズにゾっとしてしまった。

カメラの揺れがひどく途中気分が悪くなりそうになったけれど砂漠の銃撃戦くらいまでは緊張が続き惹きつけられます。
その後ジェームズが仲が良かった少年ベッカムが人間爆弾の手術中に死んだと思わせ混乱する描写が始まりますが物語自体も少々迷走した感じ。
なので冒頭に出てくる「戦争は麻薬」というテロップが最後にも暗示されるけれど冒頭と比べてどれだけ肉付けされたかと言えばちょっと疑問も残る。
けれど人格も良かったと思える軍医ケンドリックの死ですらドラマチックではなく淡々と流れる中に現代の戦争の恐怖が描かれ見た後にどっと疲れしびれるような後味が残る作品でした。続きを読む

k_k2911 at 20:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年12月31日

「バニラ・スカイ」

ハンサムな出版社社長のデヴィッド・エイムス。女性に不自由せず楽しい生活を送っていた。
誕生日パーティーの日、親友ブライアンは美しいダンサー・ソフィアを連れてくる。彼女に心奪われたデヴィッドは彼女と楽しい時間を過ごすが外にはデヴィッドを愛するジュリーが待っていた。
ジュリーの車に乗ったデヴィッドはジュリーの無理心中に巻き込まれ顔に大怪我を負う。激しい頭痛と顔の傷への苦しみの中でデヴィッドは現実の境がわからなくなっていく。

先日見た「オープンユアアイズ」のリメイク版。
こっちを見るために「オープンユアアイズ」見たんですけれどね。
この映画を見てまず思ったこと「これってリメイクの意味があるのだろうか」それくらい話としてはエピソードも変わってない。ラストくらいかな、変わったのは。監督のキャメロン・クロウも「とりあえず俺の色はここで出すんで!」と思ったかどうかは知らないが音楽や映画のポスターなどで差別化をはかっているくらい。
ただ本家が独特の陰鬱な感じがあって物憂げだったのに対してこちらは洗練されているので好き好きだと思います。私は音楽も含めて本家の方が好きですけれど。

なんかトム・クルーズが私にはしっくり来なかった。
顔の傷もたいしたことないし基本的に悪い奴じゃない。本家は顔だけの嫌な奴だった。自分が誇れるものが顔くらいしかないのに顔に怪我をしていたのにトム・クルーズはけっこう良い奴。
ジュリーだって適当にあしらってはいるかもしれないがそんなに傷つけちゃいない。ジュリーの心中の引き金になっているのはブライアンの言葉だもの。彼には父の愛情に恵まれていないことが色濃く出ているしソフィアとジュリーが入れ替わったシーンでもジュリーを殴ったりしない。
顔の傷のほかに頭痛に悩まされているので医者に顔のことを言われても「顔じゃなくて社会生活を送りたい!」と言うし。
なんかどうしてもデヴィッド・エイモスがトム・クルーズというスターにしか見えなかった。もっと嫌な奴でも良かったのに。トム・クルーズという巨大看板が邪魔をしてどうも物語に入り込めなかった。

そして一番いただけないのはラスト。
なぜあんなに長々とご丁寧に説明するのでしょう。「これくらいやらないとわからないでしょ」「ここまでわかった?次いくね」みたいにダラダラと続くので大切なシーンのはずなのに飽きてしまった。
2時間経ってからこのシーンなので前半とか切れたように思える。
悪い奴じゃないキャラのデヴィッドは最後に自分の人生を生きるために「人生いつでもやり直せる」と飛び降りる。なんと安直なと思うけれどハリウッドなので悪くないと思う。この流れで飛び降りたのでデヴィッドは本当に目覚めたのでしょう。ただ起きても文無しなので手術はすぐには受けられないけれどね。

キャストは豪華になっているので見やすいです。
ただ本家でもリメイクでもソフィアを演じたペネロペ・クルスは本家の方がかわいいです。
意外に良かったのはキャメロン・ディアス。本家のようなミステリアスな感じではないのですがいっちゃってる感じで一人気を吐いていました。続きを読む

k_k2911 at 23:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年12月18日

「パブリック・エネミーズ」

30年代大恐慌の時代、仲間と脱獄を繰り返しては銀行強盗をするが庶民の金には手をつけないジョン・デリンジャーは「義賊」と呼ばれた。
不況にあえぐこの時代もデリンジャーにとっては天国、そして最愛の女性となるビリー・フレシェットと出会う。「いつかデリンジャーは殺され自分は元のクローク係に戻る」と不安になるビリーにデリンジャーは一緒に年を重ねることを誓う。
しかし世を騒がすデンリンジャー逮捕のため、彼を「社会の敵No1」と名付けた捜査局長官フーヴァーはシカゴ支局にメルヴィン・パーヴィス捜査官を派遣した。

初日に見に行ったら「ワンピース」の行列と一緒に並べと言われて間に合わず帰った一品。
CMを見るとチラっとしか映っていないがクリスチャン・ベールも出ているので本当は2大スター共演なのでは?と思っていたのにクリスチャン・ベールは本当に脇なんですね。脚本を読んだ時点で完全に脇役でラストの良いシーンも自分ではないとわかっていただろうに彼らしいというか。
勝手に2大スター共演と思っていたので肩すかしと言うのも筋違いだけれどもっとどっぷりとした物語かと思ったら意外にあっさりしていました。

2時間20分の長丁場は決して飽きることはないけれど追う方も追われる方も下っ端を見分けるのが大変。
デリンジャーが生きた時代は大恐慌。デリンジャーは時代の寵児となった時にすでに新しい犯罪・捜査が出始め彼は時代遅れの存在となっているという描写があった。デリンジャーの仲間を裏切らず1人の女を愛し庶民を傷つけないという美徳はもう古臭くシンジケートにとっては邪魔にしかならない。時代の変わり目を描いているはずなのに時代性を感じないのはもったいない。

流れも有名なエピソードの羅列と言った感じだし恋愛部分もラストで盛り返すけれど中途半端。捜査官との息詰まる攻防か恋愛を軸にするのか定まらない感じがして少々見にくい。後半の警察署に行くシーンや映画館での笑みも受け取り方はそれぞれに委ねるとしてももうちょっと踏み込んでデリンジャーの美学みたいなものを見せてほしかった。
確かにジョニー・デップはかっこよかったけれど映画自体に奥行きがあればもっと良かった。

とはいえさすがマイケル・マン。
銃撃戦はしびれるほどかっこいい。森での銃撃戦は音で見せたと言っても過言ではないと思う。
他にもデリンジャーが銀行強盗をした時に人質にとった頭取の肩を借りての銃撃戦もかっこよかったなぁ。

出演者ではジョニー・デップは彼自身の持つ誠実な雰囲気がたとえ実在のデリンジャーとは違ったとしてもこの映画には合っていたと思います。ヒロインのマリオン・コティヤールはいたずらっぽく揺れる黒目がかわいかった。ばっちりメイクよりラストシーンの方がキレイだったし素晴らしかった。
クリスチャン・ベールは本当にこの人が悩んでいない時があるのかというような感じ。もっとパーヴィスの物語が見たかったです。
脇役で抜群に良かったのはスティーヴン・ラング。
そして出ているとは思わなかったドン・フライ。「誰かに似ている」と思ったまま見終えてドン・フライという字面を見て笑いました。続きを読む

k_k2911 at 23:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)