昨年大ヒットした劇場版アニメ『君の名は』を今頃になってやっと見ました。

日本のアニメ映画を観るとき、説明的な長い台詞や無駄なラブシーンなど、こんなシーンは削ってもっと大事な場面に時間をかければ良いのにと思えることがあるのですが、この映画では無駄な台詞は削り落とされており、変に説明的な長台詞でクライマックスの緊張感が削がれることもなく最後まで興味深く見ることができました。

((注) これ以降ネタバレしますので、まだ映画を観ていない人は読まない事をおすすめします。)

特に巧みに省略していると感じたシーンは住民を避難させるようにヒロイン(三葉)が市長(父親)を説得するシーンです。
最初は三葉の中身は男(タキ)で粗野な振る舞いもあり、住民の避難を訴えても何の根拠も示せずに当然のように却下されますが、二度目に市長室に駆け込んだときには三葉の中身は市長の娘(三葉)本人、そして市長室にはヒロインのお婆さん(市長の義母)がいます。 
ここに至るまでの展開で、このお婆さんや三葉の母親が過去に三葉と同じような入れ替わりを体験したことが伏線として語られているので、三葉が再び市長室に飛び込んでくるまでにお婆さんが自分の体験や亡くなった娘(市長の妻)の事を市長に伝えて孫娘の不思議な行動を信じるよう市長に諭しているであろう事を暗に示しています。
そうしておいて二度目は市長を説得するシーンを大胆にカットしてストーリー展開のもたつきを無くすとともに市長の説得に成功したのか失敗したのか結果をハッキリ見せないことにより観客の興味をその後の展開に惹き付ける演出になっています。。
他にも説明が必要そうな細かな事柄を彗星の綺麗な映像やヒロインの髪型や、主人公?の手に巻かれた組紐等等、変に説明的な台詞無しに日常の映像の中に組み込み結末に向かって集約していくことで観る人を最後まで惹き付ける内容になっていました。 そして、そんな無駄を省いた中にも笑える場面をうまく散りばめている事により退屈することなく色んな感情が刺激されラストシーンでは感動してしまいました。

そのラストシーンですが、お互いに気付き走り出た階段で歩み寄るシーンでは、何故だか二人とも気づかぬふりをしてすれ違いますが、これがまた上手いなあと感心しました。
主人公は最後に彼女と別れた直後から彼女の名前を思い出すことが(たぶん顔を思い出すことも)できなくなり、彼女に関する全ての記憶が夢の中での出来事のように消えてさらに数年が経過した状況で、会えばきっと判るはずという極めて曖昧な根拠に基づいて彼女を探しています。 そして彼女の方も同じような状のはずですから、いざお互いを発見しても相手が覚えていてくれているとは期待できないのです。 
ですから覚えてくれているのだろうか? とか、もしかしたら探していた相手とは別人なのでは? などと自信が持てず、もしかしたら初めて出会った知らない人かもしれないのに突然声などかけれるはずもなく、相手の様子を伺いながら通りすぎる。 
そして、やはり自分だけの思い込みなのか? とか、相手は忘れてしまっているのだろうか? といったような心の中での葛藤がありながら振り返る、そして相手も振り返ってくれたことで声を掛ける勇気が生まれるのですが、そんな心の動きを台詞にしてしまわずに観客の感受性に任せているあたりにも極限まで無駄な台詞をカットしていることが伺えました。

そして、ここに至るまでのタキが三葉を無意識的に探しているシーンにおいて重要な役割を果たしているのが組紐なのです。
なぜかというと、この組紐だけが夢の中(二人の入れ替わり中の出来事)ではなく、三葉が直接タキに出会って渡した品物だからです。
この組紐をタキは誰からもらったのかも思い出せぬままに現実世界で三年間も腕に巻いていたのですから、これだけが記憶から消えることなくハッキリと思い出すことの出来る唯一の品物であり、タキが三葉を探すとき常にこの組紐がクローズアップされているのにはそういった理由があるはずですが、そのような説明も実にさりげなく省略されていて、そういう所に気付いても気付かなくてもこの映画の面白さにはほとんど影響しないのです。
それでは、三葉の方はなぜタキに気付くことができたのでしょうか? タキはこの時点では組紐を持ってはいないのに・・ それは、三葉が現実世界で一度だけタキに会いに行って、それがタキだと認識して顔を見ているからです。 これは夢の中ではないので記憶は失われません。 という具合に実に細かい部分でつじつまが会うように計算されて話が組み立てられています。

とにかく大ヒットするだけあって面白かったですし、風景の描写が綺麗で特に空一面に星が流れるシーンには見とれてしまいました。

昨日、この映画『君の名は』がハリウッドで実写映画化される事が発表されました。  日本の高校生の生活や田舎の神社に伝わる風習等はアメリカでの実写化でそのまま描かれるはずもありません。
実写化で大胆に変更されるであろうストーリー展開も気になりますが、彗星の降ってくる映像はどのように描かれるのか、そしてこの複雑に組み上げられた物語をうまくつじつまが会うように作り替えることが出来るのか? 興味津々なのです。