魚屋のたわごと、ざれごと、ひとりごと

たわごと(戯言)と、ざれごと(戯言)って同じ漢字ですね。

Category: 本と映画

かなり久しぶりに本屋で漫画本を買ってしまった。
近頃は漫画はネットで見る事はあっても本屋で買うことは無かったのだが。
『チ。ー地球の運動についてー』
タイトルを最初に見た時には「地球の運動について」がタイトルで、頭文字の『チ。』と大きく書いてるのは読者の目を引くためのデザイン的なものだと思ったのだけれど、読んでみると知識の探求と知恵と弾圧を描いた物語で、地動説への弾圧を描いており多くの血が流された上に積み上げられた研究の結末が気になる・・と色んな意味での『チ』(知・地・地・他にもあるかも?)が描かれている。 シンゴジラの『シン』みたいな感じ?
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※8巻(最終巻?)が発売されたようだがこの記事を書いている時点ではまだ買っていない。

子供たちに「なに?その漫画」って聞かれた時点では私も1巻を読み始めたばかりで全然詳細が分かっていなかったものだから、「天動説が主流だった頃に「回転しているのは地球の方だ」と言った人達が弾圧されてた時代の物語、地動説を説いたせいで捕まって改心させられて、「それでも地球は回ってる」って言った人が有名だよね」
と、かなり適当に説明したら子供たちには難しそうに思えたのか興味が失せたようで本を手に取ろうとしなかった。(大学生と高校生なんだから難しそうな方が興味を示すと思ったのだけれど)
そして私が読み終えた7巻までにはガリレオは登場していないし登場する気配さえない事を考えると子供達への私の説明はいい加減過ぎたのだろうか? 少しでも興味を持ってもらおうと彼等が知っていそうなところから話を振ってみたのも裏目に出たようだ。

それはさておき、最初は興味本位で1・2巻だけを買って読んでみたのだがいきなり拷問の場面からはじまる、そしてかなりグロイのでちょっと引く、しかしその短い冒頭を乗り越えてしまえば面白い!一気に読み終えて翌日には残りの巻(7巻まで)をまとめて買って一気に読んでしまった。
死を覚悟した上で自分の死後に知識をどうやって残していくのかに知恵を使う歴代主人公たちの勇気を際立たせるためか拷問の様子を凄惨に描写している箇所があるので暴力的な描写や残忍な描写を見たくない人にはお勧めしにくいけれど、それでもこの物語はとても興味深くて面白い。
この題材でよくこれだけのストーリーを描いたなと感心する、最終巻でどのような決着をつけるのか非常に楽しみ。
本屋を何軒か探し回ったが8巻を発見できないのは人気で売り切れてるのか?
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次男君(中2)が持っていた本のタイトルが面白そうだったのでちょっと借りて読んでみる。
『青の数学』 新潮文庫、作者は王城夕紀。

面白い小説は最初の書き出しで読者を引き込むものだが最初の一行目がこれである。
『大雪の中、彼女の上にだけ数字が降っていた。』 

すぐに、降っているのは雪だと訂正する、白い数字片がキラキラと角度を変えながら降る幻が見えたという鮮烈でいて静かな書き出しに、この無人の横断歩道の前にずっと立っている女性と通りの反対からそれを見ている栢山(かやま)少年への興味が一気に高まる。

そして提示される数学の問題と、その後に続く解法の考察は読んでいても何だかよくわからないのだが、もちろんこの部分は理解する必要はなく、理解できない故の緊迫感みたいな妙な緊張感を感じてそれがまた物語を面白くしている様にも思える。

ふと気になってこの本の持ち主である息子に聞いてみる。
「おまえ、この本ちゃんと最後まで読んだか?」
彼は「うん、読んだ、面白かった」と答える。 まあ、中学2年生のそれほど勉強好きでもない息子が最後まで読めたのなら次々に出てくるであろう難解そうな数学の問題は理解出来なくても大丈夫だろうと、安心して続きを読み進める。

最初の女性と栢山少年の邂逅は本書中ではこの時だけなのだが、どちらも数学オリンピックの予選会場に向かう途中だったと後で判る。さらにこの女性は数学オリンピックを2連覇した天才の京 香凛(かなどめ かりん)だったのだが、この年の予選会場にはなぜか現れなかったという。 会場に向かう途中で出会った栢山少年との短いやり取りに原因があることは明白のようだが彼女の胸中の細やかな部分までは本書では描かれていない。
青の数学
結局この本は最後まで一気に読んでしまった。

数学を題材にしていて、次々とむずかしそうな用語や問題が提示されてそれを解き続ける人達を描いているのだが、数学オリンピックや、ネット上で繰り広げられる姿の見えない相手との数学での決闘、次々と現れる強敵、数学オリンピック覇者の京によってネット上に提示された(これこそが数学と書かれた)謎の数列など、この小説のジャンルはサスペンスに分類されるであろうという展開で物語は進んでいく。
そして、文章の随所にちりばめられているラマヌジャン数、アームストロング数、フィボナッチ数列等といった普通に生活していたら生涯目にすることもないであろう数字の羅列に付けられた名称や解説もなんだか面白いが全然覚えることが出来ない。
しかし、よくもまあ数学、数式やその解説といった小難しそうな題材を中心に据えているにも関わらず、読者を飽きさせない面白いストーリー展開に持ち込めるものだと読み終わった後に感心した。

先日、次男君が青の数学第2巻を買ってきた。
この一見難しそうな小説を最後まで読んで面白かったという感想はどうやら本当らしい。
また一日ゆっくりと過ごせる日に読むとしよう。
青の数学2

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数年前に車を運転しながらラジオを聞いていると、男性二人で古い映画についての対談をしていた。
そのうち『海燕ジョーの奇跡』という懐かしい映画の話題になり、対談しているうちの一人が、いろんな映画制作会社にこの小説の映画化の企画を持ち込んだが相手にされなくて、最後に三船プロに相談に行ったら世界的に有名なスターだった三船敏郎が「端役で良いから、俺を出してくれるなら協力する」と言ってくれたので映画化の目処がついたというような事を言っていたので、話しているのはこの映画のプロデューサーだろうか? などと思いながらラジオを聞いていた。

この映画にはフィリピンロケがあり、現地で撮影交渉していると、ミフネの映画なら協力したいと撮影に軍隊を動員してくれることが決まり、現地のマフィア?も、ミフネの作る映画なら我々も協力させてくれ。 みたいなことになって、三船敏郎のネームバリューのおかげで現地マフィアと国が一緒に協力してくれるというあり得ない恩恵を受けたという。 そういえば、ほとんど覚えていない映画だけど、現地マフィアのアジト?に連れていかれるシーンがあったような・・なんだか適当な荒れビルで撮影したように見えた記憶があるのだが、あれは本物のアジト?で撮影してた! 街中を戦車が軍事パレードのように進むシーンも何となく覚えているなあ。 
と、三十年ほども前に見た、ストーリーも覚えていない映画のハッキリしない記憶をおぼろげにたどりながら聞いていると、映画のヒロインの藤谷美和子がとんでもない人だったという話題になった。

いよいよ現地の軍隊を動員して街を戦車が走るシーンを撮影するという日の朝、藤谷美和子がどこにもいない!
ホテル等で聞き込みをして彼女の足取りを追うと、なんと早朝の飛行機に乗って一人で日本に帰ってしまった事が判明!
その日の午後の撮影には軍隊が戦車を出して協力してくれることになっていて、このスケジュールだけは絶対に変更できない!!! 

すると、監督が、藤谷美和子に似た女性を昼までにさがして連れてこい! と、無茶な命令!

撮影スタッフ総動員で異国フィリピンの町を探し回り、なんとかそれらしい女性を見つけ、わけが分かっていないその女性を無理矢理連れてくることに成功したのだとか。

しかもこの監督は、普通なら引き気味のカットを使って無難な撮影を行うはずなのに、なんと撮影の途中でヒロインの顔のアップを要求!
なので、この映画の戦車が出て来るあたりで演技しているヒロインは藤谷美和子とは別人! しかも日本人ですらない!(笑)
そして顔のズームアップあり!(笑)

いつの日か、この映画『海燕ジョーの奇跡』をレンタルビデオやネットの動画で見かける事ががあったなら、藤谷美和子(実は素人外国人)の演技や顔のアップ(笑)に注目してもう一度見てみたいなあ(エンドロールにこの女性の名前は出ているのだろうか?)、ちょい役で出ているはずの三船敏郎も気になるし。

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昨年大ヒットした劇場版アニメ『君の名は』を今頃になってやっと見ました。

日本のアニメ映画を観るとき、説明的な長い台詞や無駄なラブシーンなど、こんなシーンは削ってもっと大事な場面に時間をかければ良いのにと思えることがあるのですが、この映画では無駄な台詞は削り落とされており、変に説明的な長台詞でクライマックスの緊張感が削がれることもなく最後まで興味深く見ることができました。

((注) これ以降ネタバレしますので、まだ映画を観ていない人は読まない事をおすすめします。)

特に巧みに省略していると感じたシーンは住民を避難させるようにヒロイン(三葉)が市長(父親)を説得するシーンです。
最初は三葉の中身は男(タキ)で粗野な振る舞いもあり、住民の避難を訴えても何の根拠も示せずに当然のように却下されますが、二度目に市長室に駆け込んだときには三葉の中身は市長の娘(三葉)本人、そして市長室にはヒロインのお婆さん(市長の義母)がいます。 
ここに至るまでの展開で、このお婆さんや三葉の母親が過去に三葉と同じような入れ替わりを体験したことが伏線として語られているので、三葉が再び市長室に飛び込んでくるまでにお婆さんが自分の体験や亡くなった娘(市長の妻)の事を市長に伝えて孫娘の不思議な行動を信じるよう市長に諭しているであろう事を暗に示しています。
そうしておいて二度目は市長を説得するシーンを大胆にカットしてストーリー展開のもたつきを無くすとともに市長の説得に成功したのか失敗したのか結果をハッキリ見せないことにより観客の興味をその後の展開に惹き付ける演出になっています。。
他にも説明が必要そうな細かな事柄を彗星の綺麗な映像やヒロインの髪型や、主人公?の手に巻かれた組紐等等、変に説明的な台詞無しに日常の映像の中に組み込み結末に向かって集約していくことで観る人を最後まで惹き付ける内容になっていました。 そして、そんな無駄を省いた中にも笑える場面をうまく散りばめている事により退屈することなく色んな感情が刺激されラストシーンでは感動してしまいました。

そのラストシーンですが、お互いに気付き走り出た階段で歩み寄るシーンでは、何故だか二人とも気づかぬふりをしてすれ違いますが、これがまた上手いなあと感心しました。
主人公は最後に彼女と別れた直後から彼女の名前を思い出すことが(たぶん顔を思い出すことも)できなくなり、彼女に関する全ての記憶が夢の中での出来事のように消えてさらに数年が経過した状況で、会えばきっと判るはずという極めて曖昧な根拠に基づいて彼女を探しています。 そして彼女の方も同じような状のはずですから、いざお互いを発見しても相手が覚えていてくれているとは期待できないのです。 
ですから覚えてくれているのだろうか? とか、もしかしたら探していた相手とは別人なのでは? などと自信が持てず、もしかしたら初めて出会った知らない人かもしれないのに突然声などかけれるはずもなく、相手の様子を伺いながら通りすぎる。 
そして、やはり自分だけの思い込みなのか? とか、相手は忘れてしまっているのだろうか? といったような心の中での葛藤がありながら振り返る、そして相手も振り返ってくれたことで声を掛ける勇気が生まれるのですが、そんな心の動きを台詞にしてしまわずに観客の感受性に任せているあたりにも極限まで無駄な台詞をカットしていることが伺えました。

そして、ここに至るまでのタキが三葉を無意識的に探しているシーンにおいて重要な役割を果たしているのが組紐なのです。
なぜかというと、この組紐だけが夢の中(二人の入れ替わり中の出来事)ではなく、三葉が直接タキに出会って渡した品物だからです。
この組紐をタキは誰からもらったのかも思い出せぬままに現実世界で三年間も腕に巻いていたのですから、これだけが記憶から消えることなくハッキリと思い出すことの出来る唯一の品物であり、タキが三葉を探すとき常にこの組紐がクローズアップされているのにはそういった理由があるはずですが、そのような説明も実にさりげなく省略されていて、そういう所に気付いても気付かなくてもこの映画の面白さにはほとんど影響しないのです。
それでは、三葉の方はなぜタキに気付くことができたのでしょうか? タキはこの時点では組紐を持ってはいないのに・・ それは、三葉が現実世界で一度だけタキに会いに行って、それがタキだと認識して顔を見ているからです。 これは夢の中ではないので記憶は失われません。 という具合に実に細かい部分でつじつまが会うように計算されて話が組み立てられています。

とにかく大ヒットするだけあって面白かったですし、風景の描写が綺麗で特に空一面に星が流れるシーンには見とれてしまいました。

昨日、この映画『君の名は』がハリウッドで実写映画化される事が発表されました。  日本の高校生の生活や田舎の神社に伝わる風習等はアメリカでの実写化でそのまま描かれるはずもありません。
実写化で大胆に変更されるであろうストーリー展開も気になりますが、彗星の降ってくる映像はどのように描かれるのか、そしてこの複雑に組み上げられた物語をうまくつじつまが会うように作り替えることが出来るのか? 興味津々なのです。
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アメリカ大統領選挙まであと1ヶ月程となりトランプ氏とクリントン女史の応酬がいよいよ熱を帯び始めてきました。
今回の大統領選はクリントン氏が女性である事や、対立候補のトランプ氏との支持率が拮抗していることなどから二十数年前に読んだ小説、「ロスノフスキ家の娘」(著者:ジェフリー・アーチャー)を思い出します。
この本は大統領選挙の駆け引きや最終的な勝敗への興味、それに選挙後の予期せぬラストまで本当に面白かったのでお勧めの一冊です。

ロスノフスキ家の娘=フロレンティナがアメリカ史上初の女性大統領を目指して選挙を戦う様子を描いているこの小説は30年以上前に描かれたものですが、まさに今年のアメリカ大統領選挙そのものです。

この小説には、相手に大ダメージを与えるような切り札的情報は選挙戦終盤に使うと相手が反論する時間もなく効果的だというようなことも描かれており、私はそのようなことを思い出しつつ今年のアメリカ大統領選挙の成り行きを眺めていました。
すると先日、長かった選挙戦も残り僅かになったこの時期にトランプ氏によるわいせつな(性的暴行を自慢するような)会話が暴露され、トランプ氏が10月8日に「自分の言動を後悔している」と珍しく謝罪しましたが、彼の所属する共和党内から不支持表明や選挙戦撤退を求める声があがっている事がニュースになっていましたから、これはもっと早い時期から持っていた切り札をあえてこの時期に出してきたのだろうと思いました。
 
まだ選挙運動できる期間が残っていますから、さらにぎりぎりの終盤に暴露するための衝撃的な情報をどちらかが隠し持っているかもしれないと期待しながらトランプ氏の逆転はあり得るのか? それとも今回の暴露でクリントン氏が押し切ってしまうのか? 興味津々です。
「ロスノフスキ家の娘」では投票日直前になって出された情報が選挙の勝敗を決したのですから大統領選挙の行方は最後まで目が離せません。
しかし、これまでの言動を見た限りではトランプ氏が逆転するようなことがあれば世界の情勢が怪しくなりそうなので、ここはぜひクリントン氏に勝っていただきたいと願っています。
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東宝映画『シン・ゴジラ』 家族みんなで観てきました。
以下、できる限りネタバレの無いように感想を書きます。
シンゴジラ
(©2016 TOHO CO.,LTD.)

公開間もない頃に私の職場のS氏が見に行ったので感想を聞いたところ、「退屈で途中で眠くなった。 会議のシーンが多くてあまり面白くなかった」 なんて言うものだからそれほど期待していなかったのです。
ところが自分で観てみると全然退屈なものではありませんでした。
S氏が退屈だと評した会議のシーンも、未確認巨大生物が現れたらこんな会議が行われるんじゃないか? とリアリティー(退治不可能と思える怪獣の物語を結末に誘導するのだから当然強引な展開がちりばめられた上でのリアリティーなのですが)を追求した内容でそれなりに面白かったですし、映画の構成も怪獣が上陸してくるシーンをかなり前半に入れて観客を退屈させないように考慮しているようでした。 しかし小学校5年の次男君は会議のシーンでは退屈そうにしていました。

S氏は後半のゴジラを撃退するためのプロセスについても納得いかないと評していましたが、私は”有り”だと思います。 活動を停止するゴジラや制限時間に追われるミッションやBGM等、庵野監督だからそうなったのか、それとも監督が自らの知名度を利用した演出を意図的に行ったのか? あるいは私の先入観のせいなのか? いずれにしてもエヴァンゲリオン風の演出がちりばめられている様でしたがそのために映画の内容が面白くなくなるなんてことはありませんでした。

ゴジラ映画で最も重要なのに現実味に欠けてしまうのは、いかにしてゴジラを撃退するのかという部分です。 日本では、ゴジラは自衛隊の攻撃で駆逐できない事が暗黙の了解ですから、自衛隊が敵わない=通常兵器で倒せない怪獣の物語をどのように終わらせるのかがゴジラ映画の一番の見どころ、その結末から逆算した上でゴジラの行動を制限したり自衛隊の兵器以外の解決策を創出する必要があります。 1984年版の『ゴジラ』では自衛隊以上に強力で堅牢な兵器『スーパーX』を登場させましたが、私はこれが嫌いでした。 ダンゴムシみたいで格好悪い上にリアリティーが無いから、私たちの生活している日常の街に巨大なゴジラが上陸してきた感じで映画の世界に入り込んでいる時にスーパーXが登場すると、それは私の知らない世界での出来事になってしまうのです。
その点、今回のゴジラは実際に日本国内で使用されている建設機器や化学プラントなど現実世界の範囲内で対処していることにより観客が映画の世界に入りやすいように思えました。
ゴジラに向かって電車や新幹線が走る事には「架線が切れてるはずだろ!」 なんて突っ込んだりはしません、観客を楽しませるための演出、ちょっとしたジョークですから。 さらに、特殊車両が活躍する周辺だけは妙に瓦礫がない事にも気付いてはいけません、ゴジラをどうにかするための逆算に起因しているのですから。
モーションキャプチャで野村萬斎がゴジラの動きを演じているのですが、長大なしっぽのある生物の動きを表現するために腰にロープを付けて、その先の重りを引きずって歩いているのです。 これには「なるほど!」 と感心しました。
日本のパニック映画やSF映画を観るとき、不要な恋愛要素や三角関係を強引に挟み込んでいる作品が多い事が気になっていたのですが、シン・ゴジラではそのような無駄なカットに時間を割いていなかったおかげですっきりと最後まで楽しく観ることが出来ました。 
ただ、一つだけ気になったことがあります。 最後にゴジラの尻尾にズームインするのですが、個人的にはこれはいらないかなと思いました。

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【この記事にネタバレは一切無し、感想だけ書いているので、これから『アナと雪の女王』を見る人も安心して最後まで読んでください。】

雪の女王

ディズニーの映画『アナと雪の女王』が国内興行収入第3位に達している。 これよりも上位の作品は『タイタニック』、『千と千尋の神隠し』 の2作品だけだ。  本公開から2ヶ月以上経過しているのに映画館の券売機の前には長蛇の列が入口の階段の下まで続いていた。 私は前日にスマホでチケットの予約をしていたので並ぶ必要がなかったのだが、映画館に着いてこの列を目の当たりにした時には驚いた。映画館

日本語吹替版を見たのだが、歌が素晴らしかった。 ミュージカル映画特有の唐突に歌が始まる感じが無く、日本語に翻訳された歌詞もストーリーにうまく合っていて何の違和感もなかった。
ミュージカルアニメを見ると、たまに「ミュージカルにする必要があったのか? 普通のアニメにしたほうが面白いだろ。」 と突っ込みたくなる事もあるのだが、『アナと雪の女王』では逆に、「これはミュージカルにしたからこんなにヒットしたのだろうな。」 と思える出来栄えだった。 そして、この出来では英語版の方の歌も聞きたくなるので両方見た人がかなりいるだろう。 それもまた、興行収入の好成績の一因なのだろう。

ストーリーは、原作の『雪の女王』と全く別物なのだが、どうやらミュージカル用の歌と詞が素晴らしかったために、その詩のイメージにストーリーを近付けようとしているうちに原作から離れていったらしい。 そのように柔軟に内容を検討しているうちに取捨選択が進んだのだろうか、映画の始めから終わりまでに無駄と思われるシーンが全く無い。 「普通の映画なら伏線としてこういうシーンがあるはず」 と思われるシーンまで無い。 そのため、物語終盤に仕掛けられた話の展開に不意を突かれるし、良い意味で期待を外されて最後まで緊張が切れない。 

私の勝手な推測になるが、おそらくこの作品は上映されているよりもずっと長い作品として一度作り上げた後に、「この部分はいらないのでは?」 と、不要な部分を取り去る作業を随分と繰り返したのではないだろうか。
そして残った部分からさらに、無くてもストーリーが崩れないギリギリまで、積み木崩しのジェンガの様に慎重に、必要と思われがちなカットを取り去ったのではないかと思われる程に、ストーリーがスリムに洗練されていた。 
そのため、映画の内容が濃密に凝縮されおり、始まってからあっという間に終わってしまう感じなのだが、意外と長い映画を見たような充実感もあった。 
ジェンガ

この映画のテーマは”真実の愛” である。 そしてこの ”真実の愛” を際立たせるために様々な愛を表現しているのだが、最後は誰が見ても納得する形で締めくくっている。 ここでもまた、展開の巧さが光っていた。

年を取ったせいなのかもしれないが、始まって5分ほどで涙が出て困った。 そして、8歳の息子は随所で声を出して爆笑していた。妻も泣いたり笑ったり、驚いたりしていた。 年代に関係なく泣いたり笑ったりできるのだから、ヒットするのは当然だろう。 ミュージカルは小学生には退屈だろうという認識も今回改めることとなった。
また、『タイタニック』よりも幅広い世代に支持される内容なので、興行収入でタイタニックを抜き去るかもしれない。

映画が終わっても館内は静かで席を立つ人はまばらだった、エンドロールは文字だけで、ピクサーの様に時折キャラクターが出てきて飽きさせないということもなかったのだが、満員の観客みんながざわつくこともなく、延々と流れる文字だけの字幕を最後まで静かに見続けていたことにも驚いた。 いままで幾度となく映画館に足を運んだが、これほどエンドロールを静かに見た記憶はない。 それほど感動的な映画だった。

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