商工会議所で取り組んでいる事業に、海外からのインバウンド(旅行者)にどうやって来ていただくか、どうもてなすべきか、を検討する事がある。おそらくこれは日本中の行政や商工会議所が取り組んでいることでもあるはずだ。帯広ではJICAとの共同事業でマレーシアとの交流があり、必然的にムスリム(イスラム教徒)の方に対する対応が必要になりハラール(許されたもの)やハラーム(禁じられたもの)を勉強することになる。いや、それだけでは無くて世界の様々な文化や宗教、あるいはそれらに応じた食習慣などの情報にも浅いながら触れることが出来た。世界にはたくさんの神様がおり、その数だけたくさんの歴史と文化、様々な生活習慣があるものだ。それらのことを勉強しているうちにふと気づいたことがある。世界の神様は人間がいて人々がその神を信じているから神様があるのだと。神は人々の生きるとき、あるいは死後に救いを差し伸べる存在であり人のいないところ(場所ではなく)に神様はいないのだ。
だが日本人にとっての神様とは自然であり宇宙の営みである。これは人類が居ようが居まいが関係ない。自然とはただそこに存在しているものであり、我々はただそこに住まわせていただいている、生かさせていただいている事に感謝しながら生きている。神様は人を救ってくれる存在でもないし助けてもくれない。ひとたび大きな災害があれば何千人、何万人という人々の命が一瞬で失われてしまう。大きな地震や火山の噴火も、温暖化による台風の巨大化も、それは自然の調和という営みそのものでしか無い。それは住まわせてもらっている我々が自然を畏れ敬い、備えて行かなくてはならないことなのだろう。そして再び太陽が昇れば手を合わせ、作物や生き物が収穫できることに感謝し、そして今日までその命を頂いて我々はDNAを繫いでいる。遙か縄文の時代は生きるために必要なもの(命)を頂き、それに感謝し、自然の力を恐れ、神を(自然を)祭ってきた。その営みは1万数千年にわたって続いた人類最長の継続する文化であった。その自然に対する観念は時代が変わっても各地に住む人々に影響を与えてきた。北海道のアイヌ民族はもっとも縄文の意思を引き継いできた者たちであると思う。縄文の思想は日本の神話にも引き継がれており八百万の神々は自然の営みを擬人化して出来ているものであろう。そしてそれは日本の神様(日本神道)へとつながっている。日本の神様とは自然のことであり、宇宙の存在そのものであり、人間などいなくとも存在する。似ているのはおそらくオーストラリアのアボリジニやアメリカのインディアン、エスキモーもそうかな。アフリカの原住民にもあるかもしれない。いずれもその居場所を追われてきた者達だ。周囲を海に囲まれた日本は奇跡的に古代の思想が今に引き継がれている。それが日本の神様だと感じた。