August 30, 2008

緊縛

呪いがとれません。時々顔を出して僕を苦しめます。


愛という名の呪い。


みんなそれを賞賛する。愛することは素敵だ。


僕も今では自信を持って言える。愛することは素敵だ、と。


ただ、愛することは苦しみでもある。


僕は、人より何倍も愛に苦しめられる。


それが、僕の精神を蝕む。



きっと、僕は誰よりも多くの人を愛せるんだろう。


きっと、それは多くの人から愛されることにつながるのだろう。


きっと、とても幸せな人生を歩めるはずだ。


だけど、反面人一倍愛に苦しめられている。



僕にとって愛とは天使なのか悪魔なのか。


まだ、どっちにも当てはまるし、なりうる。



今は一縷の光があるから、悪魔にも辛抱できる。


でも、もし一縷の光もなかったなら、


きっと、悪魔に侵されて、


非人間になってしまうような気がする。



結構綱渡りだ。


いつ綱から落ちてもおかしくない。
k_masahiro1 at 21:01|この記事のURLComments(6)TrackBack(0)

August 02, 2008

トーキョー #REMIX

人はそれぞれ事情を抱え込んで生きている.

東京に実在するこの7人もまたそうだ.


他人とは決して共有できないいくつもの事情.

その姿を表現する映像をドキュメントと呼ぶにはあまりにも直接的だし,
ドラマと呼ぶにはあまりにも短絡的すぎる.


だから,現実と向かい合おう.


彼らは今,確かにここで生きている.

私たちも今,確かにここで生きている.


共感はできるのに,感動できない私たちへ.


現在時刻から始める,トーキョー #REMIX.

April 06, 2008

我慢

我慢です。というか、いつまで我慢すればいいのかという、トンネルの深い闇にいます。

あと、半年は見とくべきだろうな。。。
k_masahiro1 at 08:26|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)

January 03, 2008

ちょっと知りたい

僕のブログを見ている,僕の知り合いって誰がいるんでしょうね?現在.


それとなくその人が分かる表現でいいので,よかったらコメント
残して下さいませorz
k_masahiro1 at 20:10|この記事のURLComments(7)TrackBack(0)

December 09, 2007

存在2

僕は,存在していた.


ただ,消えたり現れたり,恒常的には存在していないのだろう.
ずっと,存在していたいのだけれど.

僕に,素直に気持ちを表現してくれる人がいる.
泣き虫でめそめそ泣いてしまう.

そんな姿から,その人の僕に対する気持ちが受け取れた.


僕は,その人に対して思っていたことを正直に言い,そして,その人が
悩んでいることに対して,打算無く,真剣にどうしたらいいのか
考えた.その人と,正面から向き合った.


人と正面から向き合うこと.すごく大切なことだと思った.
そして,大切に思う人には,正面から向き合おうとすること.
うわべの楽しさだけでは,何も深まらない.
k_masahiro1 at 14:04|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)

October 16, 2007

存在

僕は存在しているのだろうか.

存在とは何だろうか.

この世に僕一人しかいなかったとする.
そうしたら,僕はこの世に存在している.のか?


自分の感覚では,この世に存在していると感じる.
でも,自分の存在を認識してくれる人は,誰もいない.


誰も,自分の存在を知らない.


それは,存在しているのか?
自分が死んだら,誰が自分の存在を示すことが出来るのだろうか?


自分の死後は,自分が一人でいた世界と誰一人としていない世界は
イコールで結ばれる.結局認識する主体がいない無の世界に陥るだけ.


自分以外の誰かがいることによって,自分がいた世界と何もない世界
の区別が付く.自分の死後を考えるなら,自分の生の痕跡が残るのと
残っていないのとで.


結局,自分一人では「存在」し得ないのではないか.


誰かの意識に存在すること,それが存在すること.
k_masahiro1 at 00:14|この記事のURLComments(2)TrackBack(0)

September 14, 2007

幸せ

僕の周りの知り合い、特に大学とか大学院の知り合いはみな一応にそれなりに満たされている生活を送っているのではないかと思う。ほとんど正社員採用でどこぞなりの会社や役所に勤めている。研究所の人もいる。予算を取ってこなければ研究ができないと嘆いている。

大企業に勤める人間は、組織のしばりにがんじがらめになり、中小企業に勤める人間は自分のしていることが何かの役に立っているのか実感がわかない。知名度もない。役所に勤める人間は、硬直した組織を横目に、ルールに従って仕事をしている。

みな、それぞれ悩みを持っている。

僕は、生まれながらにコンプレックスの固まりだった。今もそうだ。多分、もっとシャレたことが好きな人間だったのだろうが、そうはいかない身体を持ってしまった。そして心がアンビバレント。非常に悩ましい。


それでも、それなりに楽しい生活をみな送っている。彼女とデート、友達と呑み会をする、海外旅行へ出かける。人のブログを見ていると、充実していることが分かる。

彼らは不満を持ちながらも、それなりな幸せを享受しているのだ。


僕は、そうした幸せは採用試験や大学受験で頑張ったからの報いである面は否定しない。みな頑張ったからそれなりの組織に就職できたのだ。頑張った分の対価を受け取ることに対して何ら問題はない。


しかし、頑張る時期が少しでもずれただけで、今の社会には致命傷なのだ。そして、その結果単純な労働を強いられている層がいることを認識する必要がある。

ぼくと同年代で同じ会社でアルバイトをしている人がいる。時給は1000円。まあまあだと思う。でも、与えられている仕事はほとんどがスキルの身に付かない単純作業だ。あまりのつまらない仕事を与えている自分としては、非常に心苦しい限りである。

ある意味、労働自体は単純なので1000円の賃金で成り立つと思うが、その人の将来のキャリアステップの保障を考えたとき、あまりに失っているものが大きい。若い貴重な時期、僕は彼の将来を徐々に狭めている気がしてならない。ぼく自身に余裕がないのがいけないが、たとえアルバイトとして雇用したとしても、責任を持って教育していく責任が雇用主には存在する。自分の人生の一部分を会社のために捧げるのだから。賃金だけではなくて、人間として成長させてあげなくてはならない。その視点が欠如している会社、人間は多い。

将来の話もあるが、現状でさえ、月の収入は平均12万だ。幸い実家で暮らしているので、可処分所得は比較的高いのだろうが、しかし、実家で面倒を見てもらっているということは、親にかかる負担が大きくなってしまっているのだ。

それに加え、低い賃金では日々行えることはやはり限られてくる。海外旅行になんていけっこない。たとえ行きたくても。車がすきなんだそうだが、それも当分購入できないだろう。


僕の学校の知り合いはそれなりに幸せな道を歩んでいる。その道からは見えてこない、別の道を歩んでいる人もいる。自分の道とは違う所を歩んでいる人たちにしっかり目を向けて行く必要がある。もっと視野を広く持って。そうすれば、もう一歩大局的な物事の判断・言動ができるようになるだろう。もう一歩大きな人間に。


みんな、幸せなんだよ。
k_masahiro1 at 01:48|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)

July 29, 2007

分かり合えない

分かり合うということは相当難しい.


あの人ああなんだけど,言わないで,と言ったのに,その人がそばにいる
前であっさりその話題を口にする.もう周知の事実だったのかもしれないし,その人がおれに話したことは忘れているのかもしれない.それほど
の話だったのだとしても,簡単に口に出すのはどうかと思う.


無論,その話を漏らしたおれの責任もすごく思いのだけれど,
言わないでと念を押したのに,言われてしまうとすごくがっかりする.
それくらいの扱いなのね,きみにとってのおれって.すごく残念です.

こういっているおれも以前はずいぶん口が軽かった.結構物事を
軽く考えがちだったので,ついつい言ってしまう.しかし,他人の
私的なことが絡む話題については,相当状況が許さない限り言わない.
サービス精神が旺盛なおれでも,言うことに対してのリスクが高いと
感じるので.

もう,秘密にしておこうと思ったことは口に出さない.ほんとに.
いくら信頼を寄せている相手だって,向こうがおれのことどう思って
いるのか分からないし.

お互い信頼できる人間として分かり合うためには,色々条件が必要で
すごく難しいことだ.ただ,相手の言うことを尊重することが重要.
おれはきみに対して,想いを持って話している.それは知っているでしょ?そこで話した内容を人にいい,それで人から笑いものにされるのは
不愉快.遊ばれているとしか思えない.


お互いの気持ちを汲んで相手と接したい.単純そうで,非常に難しい.

September 26, 2006

発散

最近色々と悩む.先が全く見えない暗闇にぼくはいる.


優しさだけでは物足りない.それじゃ優しさ以外に何が必要なのか?度々スイーツを買ってくる.しかし,これももはや陳腐に感じるようになってきた.スイーツがおいしければ喜んでくれる.でも,それだけだし.

…は最近体のいたみに苦しんでいる.それを横で眺めるしかないぼく.話しかけることが痛みを助長するらしい.

気に掛けることを表明したってありきたり.こういう場合の気の利かせ方ってなんだろう?そっとしておくことが気が利くこと?手厚くあれこれしてあげるのが気が利くこと?

優しさだけでは物足りない.でも,その優しさだって何が優しさなのか考え出すときりがない.あれこれお世話するのも優しさだし,そっとしておくことが優しさだったりする.

やっぱり答えはない.なら自分がその場で思った優しさを出していくことが大事なんだろう.

そしてその先.優しさの先.

それは居心地の良さかもしれない.でも,それも相手が求めるものと違えば意味のないこと.でも,何か必要なんだろう.

ぼくは非常に無鉄砲.思ったらすぐ行動してしまう.時にやりすぎる.だけど,それがぼくの特徴.

あとは気が利く人に.それには自分に余裕がないといけない.
k_masahiro1 at 17:17|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)

March 03, 2006

テクノガジェットはアートになり得るか

思うがまま

・デバイスアートはサイエンスとテクノロジーとアートが融合した新しい領域だと,草原真知子・早稲田大教授は言っていたが,どうもしっくりこない.純粋に物性物理学の理論からきている作品は児玉幸子さんの「モルフォタワー」という作品で,液体金属である磁性流体の性質の面白さが全面に出ていてサイエンスを感じさせるが,それ以外の作品は基本的にテクノロジーが全面に出ていてサイエンスを感じない.やはり,テクノロジーアートとサイエンスアートとの棲み分けを考えることが大事だろう.

・クワクボリョウタ,明和電気の土佐信道,八谷和彦,モリワキヒロユキ各氏が文化庁メディア芸術祭のシンポジウムに登壇.みな面白い.

・岩田洋夫・筑波大教授によれば,インタラクティブアートは従来の学会の閉鎖性を打破し,様々な分野の知識・技術を応用したプレイフルな作品となりうるだろうと言っていた.

・テクノロジーによって作られたアートはアートと呼べるのかが問題となった.テクノロジーによって作られる作品は基本的に構成図があって作られるのだから,条件さえ整えば大量生産も可能となる.そうすると,作品の作者の名前がどんどん遠のいていくことになる.それで,アーティストとしては不満はないのか,ということが話題になった.しかし,八谷さんは自分が作る作品は様々な人との共同で作られているので,別に「これは八谷が作ったものだ」と一般の人が言わなくても問題はないと言っていた.

・テクノロジーによって作られたアート作品を見ていると,「これはアートなのか,テクノロジー作品なのか,それともデザイン作品なのか」とふと疑問を持つ.僕は,そんなものはどうでもいいと思っている.つまり,目の前にある作品がアートであろうが,テクノロジー作品であろうが,デザイン作品であろうが,関係ない.というかそういうカテゴライズができないものが出てきていると思う.古くは1920年代に登場したキネティック・アートからテクノロジー・アートの系譜は始まっている.今に始まったことでもない.そもそも芸術性というのは作品そのものにやどるのではなく,鑑賞者と作品とのインタラクションを通して発現する.

・昔ウニにある薬品を振りかけると強制的に排卵をした.ウニの殻から,オレンジ色の卵がポロポロ落ちてくるのを見て大変美しかった.ウニに薬品をかけることで美しい排卵の様子が見られるっていう一連の現象をインタラクティブ・アートとして捉えられないのか.この過程はウニの卵を採るために行われるもので,大して気にもとめられることもない.しかし,美しいのだ.

・科学はいつからか美しさを放棄した.科学的合理主義がはびこり,効率・利益などが優先された.しかし,それでいいのだろうか.科学の美的視点も考える必要があるのではないだろうか.ベローゾフ・ザボチンスキーの振動反応はフラスコ中のある溶液を振ることで色が振動的に変化するというもので,通常は化学の中でしか注目されない.しかし,これも立派なインタラクティブ・アートだと思う.たぶんアーティストがこの現象を見たら驚くと同時にインスパイアされると思う.

・このようなウニの排卵や,ベローゾフ・ザボチンスキー反応など,科学にはアート性を兼ね備えた現象がたくさんある.それを真理の探究のためだけに使うのではなく,アートという観点から科学と社会の接点を探っていく道を探求するのが今大事だと思う.特に昨今からの若年層の理科離れが深刻だということは論を待たない.ならば,科学との接し方の一つとしてアート性に注目することがあってもいいのではないか.

・幸い,現在は科学と芸術の融合が進んでいる.先日訪れた原美術館ではオラファー・エリアソンの「影の光」展が行われていた.そこではプリズムを用いて光をスペクトル分解している展示があったり,ある波長の光を部屋に充満させることで僕たちの体がモノクロに見えるというような,光学によるアートが創作されていた.学芸員のギャラリーツアーに参加したらその学芸員の説明はほとんど物理学の光の性質についての説明であった.ここは美術館なのに.また,ある来館者は「これはアートというより科学だよね」と言った.僕もそう思った.これは科学の展覧会ではないか.それが美術館で行われている.何とも不思議な感覚がした.しかし,ここにこれからの新しいサイエンスの在り方が示されていると,大勢の人が押し寄せていた原美術館を後にして僕は思った.


Profile
k_masahiro1
愛知県北名古屋市出身。名古屋大学総代。学部主席卒。東京大学大学院卒。だから、なんだ。何もありません。

リアルな世界に存在したい。
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