大谷計介野生の世界 虎・ライオンからパンダ迄

野生動物観察から世界をのぞき見る 僕が出合った世界中の動物たちを紹介

2010年10月

2010年 バンコック騒乱事件 都会の中の野生? タイに住んで・・・

今年の事件で忘れられないのが、現アピシット民主党政権と 元首相 タクシン支持者UDD との間に起きた騒乱事件だ。 現政権は黄色シャツ、UDDは赤シャツ、これらの引き起こした数々の騒動は、タイの民主主義に大きな汚点と疑惑を残したままである。

2001年、選挙で圧倒的支持を得て首相になったタクシン氏は、警察官僚出身で、長いこと警察官だったが、副職で、ビジネスを行い、80年代後半に、携帯電話ビジネスが大成功し巨億の富を得て退職、そののち政治家となり、様々な政策を打ち出しタイの貧困層から圧倒的な人気を勝ち得た。

そして、再選された後、陸軍の後押しを受けた当時の野党民主党が、軍とさらに王室のバックアップもあり、選挙無効などの提訴をしたが、その時は通らず、2006年9月にニューヨークでの国連総会に出席中、陸軍により、クー を起こされ、亡命を余儀なくされた。
記者会見で、タクシンは、私は総理大臣として、アメリカに来たが、帰るときは 失業者 との、名せりふで、世界に民主主義をなくした、タイ をアピールし、国民から大きな支持をされていた。
バンコックポストのその日の号外をいまだ、持っているが、70年代半ばのタノム政権の崩壊と、亡命、そして、その翌年、王様が、クーデターを起こして、追い出した側と、台湾に亡命させたタノムを呼び寄せ、両者が、国王の前で膝まづき、和解が成立などがあり、タイにおけるこの手のクーデターや騒乱による戒厳令は、過去45年ここを行き来した間に、8回ほど経験済みであったが、いまさら、驚かなかった。
タノム時代の、タマサート大学での流血(血の日曜日)等を含めても、大きな死者や損害もなく、国民も私たちも、『あ~又か』 程度の驚きしかなく、騒ぎが起きても、その現場に近づかない限り、安全 との、認識があった。
ところが、今回の騒ぎは国王も仲裁に入らない様な、根深さがあり、それは、一方が黄色シャツを着ていて、これは、国王の誕生日に因んだ色で、クーデター当時、タイは、国王在位60年で、すべての国民が黄色シャツを着て、祝賀ムードで沸いていたのだ。その最中に軍がクーを起こし、人気の首相を追い出し、国王から何も仲介の気配を見せなかった為、タクシン派と、王室派の対立で、国を二分する騒ぎになったのだ。

その翌年07年に、選挙で大勝したタクシン派愛国党に、政権が戻ったものの、タクシンの義弟が総理になった途端、選挙違反の容疑で、憲法裁判所が、愛国党に解散命令を出した。
圧倒的多数の愛国党党員は、国民の力 党に合流し、前バンコック市長で人気者だった党首サマックを迎え、タクシン支持の政権が、即刻結成された。
陸軍幹部から不満が上がり、サマック氏は人気で依頼されたテレビの料理番組に出演して、報酬を得た、との理由で、憲法裁判にかけられ、有罪とし、首相の座を追われた。
以来、多くの国民から、下院を解散して、再選挙を求める声が上がったが、国民の力 の有力議員が、多くの党員を引き連れ民主党に合流して、現アピシット政権が2008年から誕生した。
選挙を経ずに、出来たとの理由で、タクシン派残党のUDDを中心に、翌年から、解散総選挙のデモが起こり、パタヤで開催されたAPECを赤シャツが流会させた。
それに、対抗した黄色シャツが、その、年末(08年)スワナブーンとドンムアンの二つの国際空港を9日間に亘り占拠して、軍や警察が出動したものの、9日間の長期に及び、そのテロ行為を許したことの批判を浴びた。
その時に出た、黄色シャツの犠牲者一名の葬儀に王女が参列したことと、空港乗っ取りの事件で、憲法裁判所が動かず、処罰もなかった事から、赤シャツ側との対立は、決定的になった。
その後、タクシン氏や一族の不正貯蓄などを憲法裁判所(最高裁)が、裁き、不当な判決と怒ったUDD側が、市内でデモを起こし、2010年の5月に2か月に及んだ不法デモを、現政権が騒乱罪を適用して、強制排除に及び、多数の死傷者(2000人を超える)を出して、5月20日で事態は収拾したが、まだ、根強い対立の構図が変わったわけではない。
今まで、死傷者が少なかったのは、タクシンは警察出身であり、軍も一枚岩ではないこと等から、積極的な関与を控えていた為だが、4月から5月にかけて、スパイ映画もどきのテロが続発し、犯人は不明のままで真相は今でも闇の中である。
一件はシーロム通りでの、検問所にオートバイに乗った2人組が爆弾を投げつけ、2名の警察官を走るオートバイから、ピストルで射殺した事件で、犯人は二人とも赤シャツを腰に巻いていたという。
しかし、なぜ、赤シャツを巻いていたのかを疑問視する意見もあり、普通の人間が走るオートバイから、ピストルで撃つなどは難しく、プロの軍人の犯行(黄色)で、赤シャツに罪を着せたとの見方もされている。
もう一件は、5月12日、ルンピニ公園の地下鉄駅シーロム駅で、私の友人、フリーの映像ディレクター日下部氏が赤シャツ隊の武闘派リーダーの陸軍少将カティヤのインタビューをしていた際、道路を隔てた、ドシュッタニホテル最上階レストラン Dセンス から、200メートルの距離で、将軍の頭に致命傷を負わせ、その後、死亡したが、ホテルは、軍が掌握していて、最前線にもっとも近いとの理由で、多くのジャーナリストが泊まっていて、おまけに王室御用達のホテルであり、即座に、反撃に合い、閉鎖されたが、現場の写真を撮ったものの、狙撃者は、ゴルゴ13並みの仕事をしたことになる。

カティヤ少将は、陸軍から、停職中の身分で、赤シャツの指導者として大きな存在であり、実際この狙撃以降両派の対立は決定的になり、互いに過激化して行ったのです。
5月19日の強行突入や、電力ビル始め、多くのビルなどの放火で、混乱は深まり、その一部始終を目撃して、撮影もしたことから、以下にその映像をアップします。
普段の野生の世界とは違う、都会での、狂気と人間の野生ぶりをご覧ください。

IMG_2672フィナンシャルタイムス紙
















5月19日付ニューヨークタイムス・トリビューン紙国際版での報道 バンコックにて
カティヤ少将狙撃現場















カティヤ少将狙撃現場 正面ホテル最上階から プロのスナイパーの仕業か?犯人は特定されておらず、闇の中、この後、暴力の応酬になる。
暗雲立ち込めるチャオプラヤ・雨期の到来か















その頃の夕刻 チャオプラヤ河に立ち込めた暗雲は、早い雨季の到来か?はたまた、この国の民主主義にかかる暗い影を暗示しているのか?
タニア通りの兵士たち
















シーロム通りに展開した兵士たちの多くは武力行使は避けたいと考えていたようだ。
タニア通りの装甲車















バンコックで何度も戒厳令や非常事態宣言を経験したが、日本人飲食街タニアに装甲車や兵士がやってきたのは初めての事である。
自宅南クロントーイから火災が始まる















住居のあるスクンビット通りから、砲撃や銃撃の音が大きくなり、南側、クローントイ地区のラマ4世通りを望むと、黒煙が立ち上がった。
自宅寝室から見たセントラルの火災
















同時に寝室から西北のラジャダムリ方面からも大きな火災があり、セントラルデパートが倒壊し、コンドは停電し、近くのホテルに避難を余儀なくされた。
破壊と創造
















外出禁止令が解かれ、現場に行くと、7階建てのデパートは無残にも倒壊して左の広告の文字にクリエーションズ サロン と書かれ、破壊あっての創造かと考えさせられる1枚になった。
セントラル倒壊現場2















再建には少なくとも半年以上は必要され、現在も休業中である。日系伊勢丹は棟続きだが、頑丈な防火ドアのおかげで現在は営業中で、被害は殆どゼロだったという。
ラジャダムリの戦いの後















政府軍の強行突入後、赤シャツ隊は幹部が投降して解散、2か月に及ぶ占拠跡は祭りの後の感があった。
サイアムの焼け跡と映画看板















30か所程で、放火や略奪があり、ここはバンコック一の繁華街サイアムで、ここも多くのビルが焼けた。 このビルはシアタービルで、銀行や映画館・レストランがあり、ATMも破壊され、現金が持ち出された。
焼け残った看板はオッパイバレーボールという、評判の日本映画で、タイの人気映画オカマバレーのイメージと重なり、オネーサンも頭を抱えているのが、なんともシニカルだった。

サイアム火災現場















このビルの管理をしていた年配のガードマンは、若い暴徒に、物は持って行ってもよいから、火はつけないでと懇願したそうだが、略奪の挙句、放火され、犯人が赤シャツなのか、無軌道な若者なのか、特定されていない。
虐殺のあったと言われる王室ゆかりの寺















ここはサイアム地区の一等地にあるお寺で、軍の強制排除で負傷したデモ隊をここに運び、手当をしているとき道路上の高架鉄道から、無抵抗な人たちに無差別発砲を行い、多くのボランティア医療従事者に死傷者をだして避難を浴びた場所だ。
ジャーナリズムも活発化















5月23日、ようやく、復興に向けて多くのボランティアによる道路清掃が行われ、人海戦術で、見る見る間に現場はきれいになっていき、多くの報道関係者が取材していた。
復興















BTSのスクンビットラインとシーロムラインの分岐交差点で背後に倒壊したセントラルがあり、多くの人の善意が働いた様に思えるが、これも、赤・黄色のデモも、日当目当てに集まる人が多くいたとの噂がまことの様に伝えられている。
最近は、何事もなかったような立ち直りを見せている一方で、きな臭い噂もあるのも事実だ。
一日も早く、この微笑みの国に、真の微笑みが戻る事を願ってやまない。
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アフリカの大自然 2

バルーンでサバンナを行く


















アフリカの夜明け バルーンからサバンナを見る


バルーンのティム


















バルーンパイロットはティム 彼とのラストフライト

ティムは30年以上マラで気球を飛ばせていたアフリカのバルーンの先駆者だったが先年心筋梗塞で倒れ、亡くなった。 
同じころ私も日本で同じ病気で入院し、手当が良かったため、助かった。
これが、ティムとの最後のフライトになってしまい、心からの弔意を表したい。

バルーンでライオン の上を飛ぶ2


















ハネムーンのライオンカップルもびっくり

いたずら好きなティムは、サバンナで交尾中のカップルを見つけると急降下して、ライオンの頭すれすれに飛んだ。




バルーンサファリ3



















バルーンから見た ヌーのマイグレーション


ヌーファイトアンボ2



















珍しいヌーの角突き

ヌーのオスが時々見せる角突きは、メスをめぐる力比べであり、互いに傷つけることはない。


ヌー渡り正面から3


















マラ河のヌーの川渡り 

異常気象でマラ河の水位が下がり、年毎に迫力が失せていく。

ヌー渡り正面から4




























ヌー(ワイルドビースト)の跳躍

ヌー渡り13ワニ襲う



















渡る度、弱いヌーはワニの襲撃や溺死で淘汰されていく


ヌー駆け上がる2



















対岸から登って来たヌーは、必死の形相で迫力がある


ヌー渡り6



















背後からヌーの渡りを見る。

大群が渡るさまは、その光景や、鳴き声というか、狂乱の唸り声が混じり、迫力だが、岸辺に集結したヌーが渡るまでは辛抱が必要だ。
一日がかりで待って1万以上の群れが渡った時は、感激だが、その気まぐれさは経験者のみ知るさまで、誰がリーダーで渡りを始めるのか、何度も引き返しては、その度、群れは先頭について動くので、引き返せば崖をUターンして又、駆け上る繰り返しだが、一頭が渡れば、全てがそれに続いていく。

何かの利害が一致するらしく、シマウマは事も無げに渡りを始めるが、ヌーが渡らない時は、対岸から、ヌーに渡りを促し、時には流れをエスコートすることもある。(ヌーが食べた後の草を食べるらしい)長い年月観察を続けると、いろいろなシーンを見ることがあるのだ。

ワニとシマウマ のコピー
















シマウマが渡りの前にワニを脅した

後にはシマウマの群れ(100頭ほど)がスタンバイする中、リーダーと見られるシマウマが岸辺で待機するナイルワニに近づき、脚で地面を叩き、歯を剥いていななき、ワニをけん制した。
シマウマは見かけによらず、好戦的で、水中で襲われても、蹴散らす力は持っているのだ。


シマウマ転落 2



























シマウマ転落の瞬間

あれほど勇敢で、数頭のワニに水中に引き込まれても、それを蹴散らして岸辺に上がり、歯を剥いて勝ち誇る強いシマウマが、偶然だが崖から転落する様を目撃し、無論無事に岸に登ったが、なにか、弘法も筆のあやまりの様な出来事を見て、ほっとする気分になったものだった。

ボツアナでは、シマウマがライオンのお尻に噛みつき、大きな傷を負わせる場面も観察したことがある。

シマウマグレービーファイト

















赤道北に棲息するグレービーシマウマ

シマウマもいろいろな種類がいて、これは毛皮が美しいグレービーで、サンブルーのバッファロースプリングに棲む群れは有名だが、種類が違っても、彼らは、オス同士よくこの様に争う姿を目撃する。

今回はここまでですが、次回はアフリカの別な珍しい動物や、象、サイ、アンテロップス等を紹介したいと考えています。

アフリカの大自然 1

キリマンジャロ
温暖化で頂の雪が消えつつあるキリマンジャロ(ケニア・アンボセリ)
40年ほど前には中腹の雲の上まで雪があったが、冬の終わりでもほとんどの雪が消えていき、天国のヘミングウエイは、今頃 『ア・ア・アノ~ヨ~』 と、嘆いて居るかも知れない。 天国だけにね!

ビクトリアフォールズ
























ビクトリアフォールズ(ジンバブエ・ザンビア)
この滝は現地語では『煙たなびく轟音』と呼ばれ、西洋人として初めてここを探検したリビングストンははるか20キロも離れたサバンナから、この滝の水煙と轟音を聞いたという。
ザンベジの大河が、突然大地の裂け目の直角に吸い込まれていくさまは圧巻で、この写真は西岸のデビルアイズ(悪魔の瞳)と呼ばれる部分の横から、正面が下流で、そこに水流があり、ここから大地の割れ目に2キロの幅の滝が始まる地点からの物です。
右側の崖上が滝の正面にあたり、2キロの遊歩道があるが、狭い割れ目に滝が吸い込まれるので、びしょ濡れになることもある。

シマウマ夕日2
















アフリカの大地に沈む太陽(サバンナの落日)
大好きなマサイマラの夕日だ。 きれいな夕日が見られそうな時はまだ、日の高い時から、草原を移動しつつ動物の群れの動きを観察しながら、ホライゾンに差しかかるタイミングを見ながら撮影場所を選び、タイミングを計る。
ゆったりした気分で撮影が出来る、至福の時間でもある。

ライオン3頭が行く再 
















3頭のライオンが行く
この写真はタイミングが絶妙だった。 恐らく、同じ写真は2度と撮れないと考えている。
プライドの6頭のメスが狩りに行く際、横からジープで追い続け数十枚切ったシーンの1枚であり、連続シャッターで10枚程のうち、コンマ数秒前後の写真はすべてダメであり、この1枚が最高の場面となった。
動画では決して撮れないシーンだった。 
(もしサムネールが見苦しいときは画面をクリックすると写真がクリアーになります、他の写真も同様です)

ライオンとヌーの大群

獲物を求めてプライドが移動中で3頭が行く様はこの時撮ったもの
(この写真をクリックして画面サイズを100%にしていただくと迫力が増します)
ライオネス(メスライオン)達の狙いは、彼方の大きなヌーの群れで、この時の狩りはチームワークの勝利、ライオンは各自がポジションを守り、追い立てるもの、待ち伏せるもの、などの協力で狩りを成功させるのだ。 
そこで、プライドと呼ばれる群れが必要になり、効率よい生き方を選ぶのである。 プライドもボツアナ等の乾燥地帯に棲むライオンは獲物の草食獣が少ないことから、象を襲う習慣があり、それだけプライドの規模も大きくなり、30頭程の集団もいる。

ライオン一家が行く















ライオン一家がサバンナを行く
ライオンは通常プライドと呼ばれるメス中心の集団に、キングと呼ばれるオスが1頭、時として2頭以上のオスが用心棒としてプライドに加わるが、子供のオス(レオ)は成長すればプライドを離れる。
これは、近親婚を避ける意味で群れを出ると考えられるが、やhり、本能がなせる業なのか?
この親子は、この日メスが初めて、離れた草むらで産んだ子供を、父親のキングに紹介した日で、キングと言えど、ライオンは母系社会であり、ドミナントはメスであると考えられている。

ライオンファイト再
















キングに挑む若い挑戦者
これは運の良いシーンで2頭の若い雄ライオンが、キングを待ち伏せして、2対1の争いになった時のものであり
一部始終を撮影できた。 鬣(タテガミ)を見れば一目瞭然だが、この後、キングは2頭を蹴散らし、瞬時に戦いは終わったが、最後に2頭の挑戦者がとった行動は、キングの前にひれ伏し、頭を地面につけて、恭順の姿勢をとり、謝罪をしたが、キングはそれ以上は何もせず、ひと声、大きな唸り声を発して、メスの待つサバンナの彼方へと消えて行った。

ライオンファイト6
















2頭の若い挑戦者をものともせず王者の戦いは終始落ち着いていた。

ライオンファイト2歳
















戦い終わって、負けた若い挑戦者2頭はキングにひれ伏した。
一部始終を目撃、撮影に成功したが、夢の出来事の様だった。 この若い雄たちは、また、サバンナのバチュラー軍団に戻るのだろうか?
(バチュラー軍団とは、若い雄や戦いに敗れた雄が作る、オスの軍団だその中でも熾烈な争いがあり、切磋琢磨しつつ、プライドのキングを目指す)

チータ3頭岩の上

















チータ オン ザ ロック
チータは、子供を3頭ほど産むが、成獣になるまでは、母親と過ごし、狩りの勉強をする。
この時期は、ちょうど動物が移動して来て、出産シーズン、成獣寸前の子供たちに狩りを覚えさせるよい時期であり、そのタイミングを見ながらチータも子を産むと信じられていて、真ん中に母親で、両端がオスの子供である。

チータ狩4

















チータの狩り
若いチータが、草食獣の出産期で、狩りの訓練にはうってつけであり、正に弱肉強食であり、弱い草食獣は同時に出産して、数で生き残りを増やす、正に天の配剤と呼ぶべきか?

チータ走る4















しなやかなチータの走り
チータは最速のスプリンターで、1キロ程の短距離は時速100キロで走ると言われる。
ガゼルやインパラなどの小型動物が主な獲物だが、時に、シマウマやヌーなどの大型獣も狩りをする。

ヒョウ5
















樹上の忍者 ヒョウ
ネコ科の動物では、ヒョウは木登りが得意で、素早く狩りをして、素早く木の上に獲物を運ぶ。
隠密行動で狩りの成功率が高いことから、ライオンが目の敵にする動物であり、時として樹上のヒョウをプライドの雄ライオンが見張り、木から降りられない様に数日張り付くこともある。
3日間同じ木の上下で双方がにらみ合っているのを見た事がある。 これは、オスは狩りに加わらないことから、その間に、メスが獲物をチームで狙う習性で、邪魔なヒョウを動けなくする為なのだろう。

ヒョウ親子トリ のコピー














サンブルーのヒョウ親子(ピンが甘く画面をクリックしてください)
サンブルーは樹林が多いことから、多くのヒョウが棲息していることで有名だ。
昼は樹上で休み、暗くなるころから獲物を探すノクターナル(夜行性)の典型で、自分とも共通項だ。
子連れの母親だったようで、ぶれているが、子連れは珍しく、ここに紹介した。

スイス・アルプスの動物とエジプトの砂漠

2010年6月から7月にかけてスイスとエジプトに行きました。その時の写真をアップします。


スイス アイベックス 岩場を跳ぶ


アルパイン・アイベックス

スイス アイベックス 岩壁で

岩壁で見つけた希少動物 偶蹄目 ヤギ科のアイベックス

スイス アイベックス アップ正面

ユングフラウ氷河を背景にアイベックスの勇姿

最近の調査で、アイベックスは90度に近い一枚岩の垂壁で、人間並みにクライミングするテクニックを持っていて、想像外の岩壁におけるオーバーハングした、岩壁も頭部で支え、渡るさまが、イタリアの山岳地帯やダムの垂壁で見つかり、足裏に吸盤が付いているような登攀をするのだ。(Uチューブなどで、アイベックスの驚くべき、登攀風景が見られる)

スイス 岩ガラス?

アルプスの岩ガラス? 4千メートルの岩壁にもやってくる。

スイス 高嶺の花

高嶺の花・ ミヤマリンドウ? 白い花ならミヤマシラネソウ?? 花には疎い

スイス アルパインマーモット

アルプスの人気者アルパインマーモット 突然足元から飛び出した。

エジプト・ラクダ・夕日

エジプト は サハラの東端 ラクダと落日

エジプト・ラクダ・ピラミッド夕日

ピラミッド残照 

エジプト・砂漠をラクダで行く

砂漠を行く ラクダ は 砂漠の舟と呼ばれた。

中国の自然と開発

10月7日雅安パンダ保護区8939トリム (2)


パンダは確実に保護動物として定着した

パンダは最近の中国経済を象徴するとてつもない動物で、今や、中国の国家畜と呼ばれ、国家間でのブリーデイングの貸し出し料が、一回1億円とも言われ、それ以上に、パンダいるところ人また人の有様で、人寄せパンダとは言い得て妙である。
椅子以外の四足は何でも食べると言われた四川人も、流石にパンダは食べない。食べれば厳罰が待っていることが最大の原因である。

しかし、真夜中の山の中で、レッサーパンダが飛び出し交通事故が起きる可能性は多いそうで、私が雇った運転手もこれをはねてしまい、後も見ずに走り去ったと告白していた。

成都のパンダ繁殖基地には、高額の入場料をものともせず、毎日数万人を超える観光客が訪れていて経済効果は土産物や食事などの付加価値もあり、パンダを抱いての記念撮影は1人1万2千円ほどかかるが、毎日、キャパシティを達成しているというから驚きである。

写真は雅安の山中にある碧峰峡保護区で撮影したが、パンダが最も野生に近い姿でみられる。


9月1-2コンガ5948

ミニアゴンガ山の氷河を空中ケーブルが行く

ヒマラヤ最東端7500米峰、魔の山として知られるミニアコンガ山の大氷河に架かる巨大な空中ケーブルカー、氷河を超えて3800米の氷瀑下まで観光客を運んでくれ、ここを訪れる人は年々増えている。
2~30年前には誰もが予想しなかったに違いないし、そのうちチョモランマにケーブルカーが出来るかもしれないとまで、思いが至る。

今この山の周辺で大きな問題が起きていおり、 それは中国政府主導による、大規模な不動産開発や長江流域に大きな影響を与える鉱工業による、乱開発である。
このまま、乱開発が続くと下流域にある、世界最大の巨大な「三峡ダム」も意味がなくなるし、下流域の洪水等にも悪影響が懸念されている。

今、中国経済はなりふり構わぬ、経済成長率という数字に拘り、開発を続けるが、戦後日本の経済成長を見ながら、生きてきた世代から見ると、中国のGDPやGNPは驚くべきスピードを命題にしていて、それに伴うリスクを顧みない危険がある。

人権問題や格差の縮小は確かに現代中国が抱える大問題であり、一党独裁体制での経済の成長は功罪が相半ばするが、もう少し穏やかで、熟慮した開発が、世界の平和や環境維持に必要な配慮だと、この旅から痛感させられた。

写真撮影が制限され、ピンが、あまいものもあるが、その現場の状況をあえて、アップします。


磨西鎮コンド売り出し


















ミニアゴンガ山(7556米)麓の磨西鎮のコンドミニアム建設現場

09年9月 ここにも押し寄せる不動産バブル 本来は北京や上海から車で来れば3~4日かかる
場所であり、成都からでも四川横断山脈の高い峠やトンネルを越えて来なければならない土地なのに、ここを別荘として使う人がどれほどいるのかは不明だ。
広告には、将来的な投資として、有利な物件との殺し文句が書かれており、この道路沿いに多くの物件が表示され、工事が進んでいる。

正に、現代中国を象徴する不動産バブルの典型だといえる。


大渡江濾定吊り橋
















大渡江 濾定にある世界最古の大吊り橋 

磨西の上流、長江源流域、大渡江や小金川の奥地では、信じられない開発が進み、僻地の典型と言われた、この地域に、今や、それこそ西部開拓時代のゴールドラッシュを思わせる様な、異様な光景が展開され、観光客が来るのはその入り口の濾定のつり橋くらいまでだが、ここには多くのホテルも立ち並ぶものの、この上流域は道も悪く、訪れる観光客は少ない。

上流域には中国のグランドキャニオンと言われる丹巴美人谷があり、そこから四姑娘山の雪山に至る川沿いには、谷や山を切り崩す大規模な開発が行われ、多くの人々が一攫千金の夢を抱いてこの秘境目指してやってくる。
その現場は撮影が難しく、ドライバーは決して車を停めない為、走行車両からの撮影でぶれたものが多いが、そのうちの何枚かを紹介する

大渡江から康定鉱山3

















鉱山の入り口

街道の対岸や小さな谷あいには、この様な鉱山が見られるが、写真を撮るのはガイドも運転手も嫌がっていた。 レアアースでも埋まっているのだろうか?

丹巴美人谷から日隆













砂利やセメント採掘だけでこのような施設は考えられない

上流域にはこの様な建造物が目立つが、大抵水力発電所が近くにあり、鉱物を熱を加えてなにかしているのだろうか?  セメントにしては大掛かりな施設に感じられる。

日隆の鉱夫の住むコンド













付近にはこの様な鉱山従業員達の宿舎が新築されている

小金と日隆間でこの様な宿舎が新築されていて山奥に不似合のブームが起きていることが理解できる。
しかし、これらも政府は震災復興の為と宣伝するが、一番の被害を出した北川県と、ここ小金は、距離的に離れていて、そこからの道路はまだ、大きなダメージを受けて通行止めなのだ。
道路の工事はまだ続いているが、一帯の穴掘りブームは確かに労働力を生み出していても、不動産バブルや過剰な鉱業ブームは、中国政府が是が非でも創出しなければならない内情から、過剰な開発が続き、それが、世界からどのように非難を受けようが資源の一極集中政策や、尖閣諸島の領土問題などのごり押し外交に繋がる構図がこの山奥の僻地から見えている事に注目をすべきである。





丹巴街路2













大渡江最奥の集落 丹巴は日本の観光地の様だ

旅情豊かな丹巴は、美人谷の入り口、または、中国のグランドキャニオンとして有名な観光地で旅行客を呼ぼうとしていたが、鉱山関係の好況で、すっかり様変わりして、旅行者のいないこの町は、現在隆盛を極めているのは果たして地元に良い影響が残るのか、疑問だ。
ここも震災の震源からは程遠く、なのに、付近の山々では、理解出来ない穴掘りが行われているのだ。


丹巴美人谷の女性1



















丹巴美人谷のチベット族の女性

名のごとし美人谷には、顔だちの整った女性が多く、また、毅然とした態度も好感が持てる。
彼らの生活は自給自足に近いものでも、顔立ちには嫌らしさが微塵も感じられない。


丹巴美人谷のチベット集落













アパチベット族の平和な集落 まさしく美人谷だ

ここの人達はリンゴの栽培と、トウモロコシ畑を耕し、まさしく、豊かさにあふれていて、現在のところ不動産バブルや、ゴールドラッシュにも無関係のように見受けられる。

多くの中国人たちの求める豊かさとは違うかも知れないが、私には、昔話の杜子春が峨眉山の仙人から人間の心を学んで最終的に与えられた平凡な農家を桃源郷と信じて、ついの住まいにした話が忘れられず、ここにその姿を見た気がする。
背景にある岩山がいつまでも、切り崩されないことを心から祈りたい。


大渡江康定鉱山2













一見トンネル工事の様な穴が、随所に掘られている

ここは何を掘っているのか判らないが、この様な現場がたくさんあり、この地に多くの雇用を生み出して
いるのは事実である。

大渡江から康定鉱山5













グランドキャニオンと呼ばれる谷に異様な構造物

この構築物は橋脚の様に見えたが、この一本だけで他に受けが見られないので、煙突のようにも見えるが、用途も謎のままである。もし、わかる方がいればお教えを乞いたい。

小金具街路













さらに上流の小金に現れたニュータウン

小金(シャオジン)は昔からあるこの地の小さな集落だが、建物すべてが新しく、人口が急増した山中の集落に、ある筈のない銀行やレストラン、マッサージ店、マーケットなどすべてが揃い、好況に沸いているさまがよくわかる。
震災の被害はあったものの、この地域はさほどの被害はなく、このニュウタウンの賑わいから、被災地の顔は見えず、乱開発を隠す手段で、震災復興の錦の御旗を共産党が振っているだけにしか過ぎないことは多くの中国人が知っている。


小金具のチベット人













チベット族の夫妻が着飾って買い物に

山の上に住むチベット人達もお洒落をして町にやってきた。
彼らの生活が物質至上のものに変わらないことを願いたい、それが平和の元で、人間の基本的資質になると信じるからだ。


小金具共産党スローガン













小金の街の至る所に震災復興名目の開発?を促す共産党のスローガン

地域の共産党や検察や監督官庁などがここに振って沸いた穴掘りブームを、堅く強い法律で保障すると、至る所にスローガンを掲げ、開発を後押ししている事がよくわかる。
二行目の文言は、腐った金儲け(賄賂など)を排除して、国民が一丸となり更に建設に邁進しようとの意味だそうである。

これらのスローガンは、震災の復興の為に苦難を乗り越えて、一丸となり、工事を行う旨が記されているものの、震災復興と、過剰な一連の鉱山開発とは、何の関連もなく、乱開発を隠す子供だましのスローガンであることは住民達が一番よく知っている。

地元にもたらされる経済効果は多少あるだろうが、これを主導する一部の鉱山経営者達が、巨億の富を得て、格差は広がるばかりであることは、賢明な中国人はよく知っている。

背景は航空写真によるこの地域と、美しい自然を蓄えた四姑娘山の雪山である。



夾金山水路



















山腹には謎の水路が至る所にある

四川山地の山腹には、水がない所から まるで弘法の杖で出した様な水が湧きだし、不思議な光景を随所に見せていて、ガイドの話では山から水抜きをしているのだそうだ。
日本の山は、源流域の山に保水能力を蓄える事が、水源地に求められる条件のはずである。
中国の環境基準の甘さは全世界が知る事実である。

我が国も確かに中国は隣人であり、大切なパートナーであるべきことは同感だが、その、パワーに押された政府の及び腰外交や、目先の利益だけを考えて、中国のやりたい放題政策の土壌を作らせた責任は、日本の企業にも、その一端がある事を財界人が肝に銘じる必要があると考えている。

夾金山から宝興大理石鉱山













横断山脈東の宝興近郊の大理石掘削現場

ここから南に数百キロの場所が雲南省の大理だが、同じ様な石灰岩地質が続き、この露天掘りの山は、建築資材としての大理石の産地で、大理石の語源は雲南省にあることをこの時初めて理解した。
宝興は今や石の町で栄え、辞書で調べて合点がいった訳で、雑学も役立つことが証明できた。


夾金山から宝興大理石運搬













重い大理石を運ぶトラックが行きかう宝興への道

宝興は、四川盆地に近く、昔からの石の町で、ここの大理石は有名だ。
このあたりの石材細工はチベット人の知恵か、大きな岩塊を彼らはノミ一本で、薄い岩の板を作り、彼らの家はその岩板を重ねて作られている。
それは見事な技と知恵である。

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