大谷計介野生の世界 虎・ライオンからパンダ迄

野生動物観察から世界をのぞき見る 僕が出合った世界中の動物たちを紹介

2011年01月

ネパール紀行 2 黒いヒマラヤ? 人々の生活と風景 

ネパールの旅はカトマンズで始まり、カトマンズで終わる。8回目の訪問だが、前回から19年のブランクがあった。


IMG_0674 シバの化身




カトマンズに来て、驚いたのは市の中心にあるダルバーグ・スクエアがきれいになったこと。
理由はここが世界遺産に登録されたからなのか?

写真は旧王宮裏のハヌマンドカにあるヒンズーのシバ神の化身・カーラ・バウラブ像であり、多くの信者が毎日訪れる場所だ。


IMG_0626 ホーリー・行者


ヒンズーのホーリーと呼ばれる行者たちは一生かけて聖地を巡ると言われているが、ハヌマンドカは観光客も多く、その分寄進(写真モデル業?)もあり、居心地はよさそう。



IMG_0620 ダルバール広場



カトマンズ盆地には3か所の旧王朝の遺跡があり、それぞれに王宮広場ダルバーグ・マルグがあり、カトマンズ・パタン・バクタプール(旧バドガオン)等である。
名前も同じ様な寺院や建物もあり、最初は違いが判らないが、訪れるごとに、違いが見えてきて楽しい。 

クマリ(聖処女の生き神)の館・ダルバーグスクエア等は3か所全てに存在する。
バドガオンの5重の塔を持つお寺は、必見だ。
昔、作った小泉今日子のテレビドラマ 『ヒマラヤの赤い自転車』 のロケで何度も通った場所だが、当時のバドガオンは静かで好きな場所だったが世界遺産に登録後人が増えた様に思える。


IMG_2005農村風景



カトマンズ盆地の1月はまだ、菜の花(マスタード)や小麦の芽吹きに早いがチトワンやポカラに向かう途上は海抜が低く多少温暖なのか、もうマスタードの黄色い花が咲いていた。 昔見た日本の農村を思い起こす光景だ。



IMG_1999山岳部族


ネパールの農村や山岳部で働く女性たちは勤勉だ。 額にかけた吊り篭で今運んでいるのは、堆肥であり、重さは50キロにもなる。




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山から下りて対岸に渡るため、最近はこの様なつり橋が、数多く見られるようになったが、ネパールには鉄道はなく、道路も限られた部分しかなくインフラの整備は、この様な吊り橋がせいぜいで、カトマンズ・ポカラ間や一部タライ平原なども、車の数が増えて、悪いガソリンやジーゼルを使用するため、排気ガスで毎日、霧が出たりする。
日本はODAでダム等を作り、インドに電力を売ったりしているが、いまだに、毎日停電があったりするのだ。

道がないのに車が増えては、渋滞もさることながら、つい20年前までは、ネパールで行きたい場所を言えば、『ああ、その場所ならすぐ近くですよ、そう、歩いたら3日もあればいけます』 という返事が当たり前の国だったのに、物があふれた我々の現代社会とは何か? 20年前にはネパールの山間部に住む人たちの年間現金収入は2~3000円が当たり前であったのに、前にロケで長期滞在の折り、泊まったホテルの従業員や顔見知りが、夫婦同伴で面会に来て、日本で働き口を探して欲しいと言って来た。

20万円、いや10万円でも良いから月額で貰えたら、人殺し以外は何でも貴方のいう通りにするから是非頼みたいと、夫婦が口を揃えて言う。

当時、日本はバブルがはじける寸前で、インフレや贅沢が飽和状態になっていて、まだ、外国人労働者の需要は存在した。
しかし、私は日本の現状や物価高、存在する消費文化で、それが麻薬中毒と同じで、消費が癖になる事を切々と訴え、ネパール人の生活は家長制度がはっきりして、1日家族が一緒に暮らせる時間は15時間以上のネパールに比べ、通勤ラッシュとか、仕事の時間の長さで、家に帰るのは寝る時間の8時間とかの日本の現状を話し、彼らの収入がそれぞれ月額4~5千円である事を聞き、私から見れば、そのコストで家族と一緒に暮らせるネパールが羨ましいと説明すると、最初理解出来なかった彼等も、私が熱心に話すうち、奥さんの方が理解をして、日本よりネパールが良いと言ってくれた。


大滝秀治さんと


1992年 カトマンズ郊外の山の上の村 ドリュケルにて、大滝秀治さんと筆者、テレビドラマ『ヒマラヤの赤い自転車』 を撮影中の写真

俳優の大滝秀治さんも、私の想いに同感で、この国の純粋な庶民感情や生活のスタイルを変えない方が良いとの意見に共感してくれたのだ。
(大滝さんは中央公論の随筆集・ネパールのビールを読み、こんな純粋な考えを持つ少年主人公がこの世界に存在するのか自分で確かめたくて、我々の作品にでて下さったのだ。
本来出演を断ったのは、彼の出番が日本でしかなく、脚本を書き換えてまで、ネパールに来ることに拘ったのだった) 後にいたずらっ子の様に笑い、無理を言ってこの国に来たことを喜び、ネパールの子供の純粋な姿にうたれ、大感激をしてくださった。


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ネパールのビールとはNHKの取材斑が比較的近いロケ地で撮影をする時、ビールを持っていきたいが重いので、ウイスキーにしようと決めてロケ地に向かうが、数週間の滞在で、夜は電気もなくすることもない中、酒は慰めとの思いで、峠の茶店でジープを停め、半日歩いてその山中の村に到着し、そこに流れる清流を見て、ここにビールを冷やして飲んだらどんなに美味しいかの話を通訳にすると、傍にいた少年が、通訳に、今なんと言ったかを聞き、それなら、峠の茶屋にあるから翌日買ってきてあげると言い、駄賃欲しさにかな、と思いつつもお金を渡し、買ってきて貰い、翌日夕刻、それを飲むことが出来た。

その翌日、少年がビールはどうだった?と聞き、美味しかったが、もうすべて呑んでしまったと言うと、少年がそれならあるだけのビールを買ってくるのでと言われ迷ったが、結局それを頼み、5千円程の現金を渡して、ビールを依頼をしたのだった。
しかし、少年はその日村に戻らず、翌日も帰らなかったので、村人に話すと、5千円の現金を渡したら、少年は2度と村には戻らない、今頃、ここから歩いて3日ほどの自分の村に帰ったか、カトマンズ辺りに行って贅沢三昧の蜜の味を満喫しているに違いない、と、口をそろえた。

少年は小学校がある、この集落に寄宿して勉強をしていて、学校の先生までが、貴方はなんという罪深い行いをしたのか、ここの住民達の年間平均の現金収入は2000円程しかないのに、5千円は2年分以上になると言われ、その、筆者は、自身で、なんという事をしたのか、少年の純粋な気持ちをお金で惑わせた事と、少年の将来になんという愚かな行為をしたかと、後悔の念に苛まれ、3日が過ぎた。

前回は1日で戻って来たのに3日戻らないのは、自分がビールを飲みたいと言ったせいで、少年の将来を傷つけた事を、大いに恥じ、暗い気持ちで3日目の深夜を迎えたが、真夜中、宿舎にした民家のドアを叩く音がして戸を開けると、そこには傷だらけで、ボロボロになった姿の少年が立っていたのだ。

少年は泣きじゃくりながら、大きな麻袋に入った割れたビールビンを詰めて運んだのだった。
なぜ3日掛かったのかは、最初に買った茶店ではもう在庫がなく、そこからまた、半日掛かりで先の峠の茶店に行き、そこにもビールはなく、さらに半日、合計1日半をかけて漸く、ビールを手にして、不眠不休で部落に戻る途中、暗くなり、入り口の谷を渡る丸木橋で足を滑らせて、谷底に転落してビールは割れてしまい、負傷してようやく戻ってきたのだと言い、その証拠を割れたビンで示したという。

その時その筆者は、自分が一瞬でもその少年の純粋な想いを疑った事を恥じて、泣いている子供を抱きしめ、何も言葉にならなかったという。

これが、大滝秀治という老優をネパールに駆り立てた随筆の内容だが、この随筆集は当時の有名作家が多数で4~5ページづつを書いた一部であり、内容が秀逸だったことから、『ネパールのビール』 が随筆集の表題になったのである。
ロケの合間に大滝さんを何日か案内した時、庶民の暮らしに感動して下さり、自分が台本を書き換えさせてまで来たかったネパールに来て、子供の純粋な姿を見、この本を私に差し出し、こんな純粋な心がこの世界にあるのか、確かめたかったと言い、本を私に下さったことは今でも忘れられない。


IMG_0127マナスル3山



あれから19年、久しぶりに見たヒマラヤはマナスル3山で、右がマナスル中央がヒマルチュリと左端がピーク29で、いずれも日本人が初登頂を遂げ、殊に1956年のマナスル登頂は、当時の登山熱を日本にもたらした。
しかしこれだけ晴れても山の見え具合は良くなく、これはポカラへの途上で見たものだが、補正はしたが、写真はここまでで、やはり、霞がかかってしまい、昔とは大違いである。



IMG_1894ライステラス俯瞰




これはヒマラヤの前山に作られた段々畑(ライステラス)だがここの山間や山上に住む人たちの勤勉さが伝わってくる。
しかし、この様な文化が、山の土壌を流し、ランドスライドの一因になっているのも事実であり、シビリゼーションとはなにかが、前項の出稼ぎで豊かさを求めるのか? またビールを買いに行った少年の心は何か? ここに来る度、そんな思いを抱くことが多い。



IMG_1884ライステラス


有名なライステラスはランタン谷の途上に大きなものがあるが、今回はこれが精いっぱいだった。やはり齢のせいか?


IMG_1589アンナプルナを飛ぶ



アンナプルナ1(主峰)近くに飛ぶ飛行機、マウンテンフライトか?



IMG_1615アンナプルナ2・4峰



右にアンナプルナ2 左がアンナプルナ4だが、2峰は1峰より100メートル程低いだけで、8000メートルに60メートル程足りないだけなのに、頂上付近の雪の無さや氷河の衰退は著しく、去年訪れたヨーロッパアルプスでも、やはり、氷河の衰退と、雪量の減少が温暖化による異常気象が原因となっている事を感じさせ、世界の環境が心配である。



IMG_1587マチャプチャリ6993米


ポカラの代名詞の様な山・マチャプチャレ(フィッシュテール)峰だが7000メートル弱の山で急峻なだけに雪は付きにくいが、ここまで黒くなってしまったかと感じさせる見本である。
下の写真は同じ山で、昔撮ったものだ。 現在に比べ、真っ白な峰が如何に温暖化が進んだかを証明している。


IMG_1762昔のマチャプチャリ



ヒマラヤは雪の山(白い山)の意味だそうで、そのうち黒い山にならないか心配である。



IMG_1600アンナプルナ3とマチャ


上のものと比較してほしいが、左マチャプチャレで、右がアンナプルナ3峰で、写角が少し違うがほぼ同じビューだ。
本当に山は黒くなり、朝夕でも霞んでしまっている。





ネパール紀行 1 チトワンの森でサイを見る

IMG_1105インドサイ

チタワンのインド一角サイ

昨夜 無事ネパールからタイに戻りました。 
8日間の駆け足旅行でしたがだらだらしがちな長期ロケより、短期間で集中する旅も良いものだと感じる充実感が漂いました。

8回目のネパールはなんと19年ぶりでしたが、70年代~80年代から見てきた風景の様変わりや、変わらぬ人間や自然の営みに安心した側面を見て複雑な心境でした。
第一弾としてネパール南部のタライ平原のチトワン国立公園から野生動物の観察記録をお送りします。


IMG_1044ナラヤニ河を渡りチトワンへ


カトマンズから車で6時間ブハラットプール近くのチトワン内部のロッジ・テンプルタイガーに行くためには中部ヒマラヤ(アンナプルナ・マナスル・ランタン等)の氷河の水を集めた大河ナラヤニを渡らなければならない。
チトワンに入るためにはこの河を舟で渡る以外に道はなく、予約をすれば舟とジープが迎えてくれて、ジャングルに入る事が出来る。


IMG_0092グースと鴨


河岸は水鳥が多く珍しいグースやカモ類が大きな鳴き声で迎えてくれる。



IMG_1048ジャングルロッジテンプルタイガー


900平方キロの公園内には数軒のロッジがあり、それぞれ20キロほどの距離を持ち建てられ、大自然の静寂の中に佇んでいる。
ロッジはテンプルタイガーと呼ばれ、野生保護を生き甲斐にする若者ばかりがナチュラリストとして、働いている。
35年以上前に、3回程ここに来たものの、虎の撮影は非常に困難で、一度タイガートップのアメリカ人責任者ドクター・マクドガルに頼み、牛を一頭譲り受け、それを囮にして撮影に成功したものの、罪の意識に苛まれ、以来、餌付けでの撮影はやめ、通いなれたインドの森に毎年通い、数えきれない虎を撮影して来た。

このチトワンには最近の調査で120頭程の虎の棲息が確認されているが毎日パトロールする象使いやナチュラリストたちですら、数か月に一度ほどしか目撃することがないという。

森は深い森やブッシュに加え、開けた草原や湿地帯はエレファントグラスと呼ぶ4メートル以上の葦原が密生し、足跡や糞の痕跡等は毎日見てもその姿を見ることは、難しいとの話である。

IMG_1245 ジャッカル親子ネパール

森で最初の被写体はジャッカルの親子連れ。
森の開けた場所で、つがいのジャッカルとその子供を見るのは珍しく、殊にインド亜大陸では初めての経験だった。


IMG_1158象で行く


この森で動物を見るのに必要不可欠なのが、訓練された象とそのドライバー(マハウド)だ。
虎は他のインド等の保護区以上に存在するのに、その姿が見えないのは密生したジャングルや草原のせいであり、スマトラの森に良く似ている。

相手が見えにくい事は、虎も人間に出会う機会が少なく、そのため気配を察すると逃げるか、隠れるか、とにかく、シャイでナーバスなのだ。

その点サイは体が大きく、行動範囲が大きくないことから、チトワンでは比較的容易に見られる動物でここには140頭程の棲息が確認されている。



IMG_1080チタワンのサイ

チトワンのサイは湿原や浅い沼地が好きで、水中に生えた草は柔らかく年老いたサイは殊に、この草が好きらしい。
湿地や沼に入るには象に頼る以外になく、象なしで撮影は不可能だ。
今回は6頭の個体を撮影できた。

IMG_0018 サイ・チタワン

サイの寿命は約50~60年ほどで、この個体は最近までのこの地域に棲む14頭の集団のキングだったが、50歳近い年齢に勝てず、若い30代のサイにその座を奪われたという。
よく見ると、角は半分欠けている。インドサイはアジアに棲むサイの中でも一番大型であり、鎧を纏った様なその姿は勇壮だが、角が漢方薬の強壮剤として高値で取引されたせいで、今や絶滅が危惧されている。

IMG_1155サイ

2頭目に出会ったサイは、やはりオスであり、30代だが、現在のポジションはキングに次ぐNO2だそうだ。

IMG_0049 サイ傷つく

3頭目はやはり若いオスで、たぶん先ほどのオスかキングと争ったらしく脇腹に大きな傷を負い、まだ出血が見えている。
鎧を着た様なその姿はアフリカの2角サイには見られず、故にアーマー・ライノの別名を持っている。
この堅い鎧を突き刺す威力がその角にあるとは驚きである。

昔、ここで現地の子供(7~8歳)と森を歩いている時、突然10メートル程の距離で、こいつに出くわし、サイはその角を下げ、チャージの姿勢をとり緊張したが、逃げるわけに行かず、しばし対峙した事がある。
サイは目が悪く、動かなければ安全との話を信じ、冷や汗が出たが子供が石を投げると、サイは藪に逃げ込み、その危うい想い出が蘇った。
忘れもしないガイダ(サイの現地語)キャンプでの出来事だ。

IMG_1328 ニシキヘビ

象で湿地を行くと、インド網目にしき蛇(パイソン)に出会ったが、大きな獲物を飲み込んだ後らしく、その胴体は3倍くらいに膨らんでいた。
因みに蛇は大の苦手でもある。
IMG_2205 のネパールダック

写真はカトマンズの代表的なホテル 『ヤク & イエティ』の庭にある池で撮ったカモの映像だが、これは白いカモがたぶん嘴広カモを水に沈めようといじめている光景で、他の2羽は、それを止め様としているのか分からないが、この光景は長く続き、どの世界にもイジメは存在するのかと考えさせられた光景である。


IMG_2267

これも同じホテルに棲むガチョウ、広角レンズでここまで迫っても逃げる気配がなく、カメラを突かれそうになった。
それでも、この鳥たちと過ごした時間はほっとする光景でもあった。
チトワンの報告はここまでで、次回は数日後に、ネパールのヒマラヤやその人々の様子を通して、如何に地球規模の異常気象や環境汚染が進んでいるかをレポートする予定です。
写真をクリックすると、大きく見られ、さらに楽しめると思います。


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2011年タイで迎えた正月

明けましておめでとうございます。タイから新年の挨拶です。


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タイには3度の正月があり、世界的な西暦のものに加え、中国系が多いバンコックは2月の中国正月があり、4月乾季の暑い中で行われるソンクラン(タイ正月)はメインイベントであり、別名水かけ祭りで、国中が大騒ぎして、正月休みが5日ほど続きます。

上の写真は毎年恒例のチャオプラヤ河の沿岸ホテルが中心に行う、ニューイヤーズイブに打ち上げられる、謂わば隅田川の花火大会の様なものです。
午前零時に一斉に花火が上がりますが、音は大きいけれど、日本の美しい花火に比べると少し見劣りがします。
昨年は観光業が振るわなかったせいか、今年は花火にもその影響があった様に感じます。
数年前の国王誕生日と在位60年を祝う日の花火は、熱狂的であり、派手でした。
また、当時は黄色いシャツ(国王の誕生日の色)が、デパートや露天でも爆発的に売れて、旅行客もたくさんいて、タイの経済は上向いていたように感じられました。


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花火はこんなものでしたが、29日頃から、クリスマスにはあれほど寂れていた、ホテルやデパートに人があふれ、びっくりしました。


IMG_0445守護神


明けて元旦 王室の寺 ワットプラケオに初詣をしました。 迎えてくれたのはこのラーマヤーナのサルの神様の守護神です。
他にも、多くの参拝客がいて、本堂に入るのに1時間は待たされました。 東京で言うと明治神宮と言ったところでしょうか・


IMG_0447王宮の寺



タイのお寺を代表する名刹で、本堂にはエメラルドの原石で作られた仏様が祀られ、別名エメラルドブッダテンプルと呼ばれています。
黄金のパゴダをはじめ、お寺の屋根や壁は極彩色に彩られていて、まるで竜宮の様であり、浦島伝説はこのあたりか、ベトナムが下敷きにあるとの説があります。

不肖わたくしも、昔々の、もう450年?程前(本当は45年前)ここに、流れ着き、乙姫様のもてなし?に時を忘れ、半年もここに逗留した覚えがございます。


IMG_0518王室通りのイルミネーション


本来は夜暗い、王室近くの通りはイルミネーションが続き、数キロに及びました。


IMG_0512カオサン


正月3日、久しぶりに訪れたカオサン通りは、活気にあふれ、かってのうらぶれたバックパッカーの聖地はどこへやら、多くの人で溢れていて、パッポン通りや、タニヤ通りの閑散たる風景とは全く違う文化をこの通りから感じます。

10数年前に封切られたデカプリオの人気映画 『ザ・ビーチ』 はプーケットのピーピー島が舞台の冒険物語でしたが、そのスタートは、このカオサン通りの代名詞になっていた安宿で、殺人事件と宝の在り処を書いた地図を見つけた事が発端で、マリファナが自生するパラダイスに迷い込んだ主人公のヒッピーの物語でしたが、あの頃を思うと、新たなトレンドの発祥地になった様な変わりようで、まさしく レオナルド・デカプリオさまさまであります。



IMG_0508


マッサージ屋さんも、すたれて来たフィッシュスパもここではこの盛況で、集まる旅行者にはタイの政変や景気などは全くお構いなし、ここは、バックパッカーのみならず、この国に憧れる多くの人達に、ある種のサンクチュアリーつまり、聖域として受け入れられているのであろうか、国籍や人種の違いを乗り越えて自然な触れ合いがあり、そこから、情報が交換され、発信されて行く、ある種のトレンドになったに違いないと思いました。







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