震災のニュースが毎日伝わる中、4月終わりころか、アフリカの友人佐藤芳之さんから電話を貰い、話が盛り上がった。その後原発事故に話が及び、彼の実家が南三陸町であり、津波に流された話も聞いた。
親族も何人かを亡くし、当然ながら気が重いに違いないと考え、放射能被害の話になった時、ついつい癖でジョークが飛び出してしまった。 
何しろ数年前心筋梗塞で救急車で病院に運ばれて、担当の女医さんが、手を握り『大丈夫ですか?』と気遣い 『心電図! 心電図!』と周りに指示している時、覆いかぶさるように元気づけて下さったその女医さんを見上げながら、『センセイ 生きてるのにシンデンズですか?』と、真顔で冗談を言った私だから、放射能の話が出れば 『佐藤さん、互いにもう年ですから放射能は心配ありませんよ、二人とも、もう放射せん だし、つまり放射NOってわけでしょ?』 とやったら、人の好い彼は大笑いしてくれました。

佐藤さんはアフリカ在住47年に及ぶ豪傑で、単にアフリカに長いだけでなく、ケニアで世界的なビジネスを展開させた成功者なのだ。
私もアフリカに行くと、よく彼の豪邸に呼ばれて奥様の心のこもったお料理のもてなしを受けたりしました。
かっては多くの友人がアフリカに住み、それぞれ皆さんユニークな方々ばかり、サバンナクラブを一緒に立ち上げた小倉寛太郎さんはもう故人になられたが、RCCⅡの同人として50年前からの知り合いで、1965年ユーラシア往復自動車旅行の際、カラチで偶然再会し、その後半年後にカラチに戻った時印パ戦争となり、彼の家に1か月程寄宿して、その数年後、香港からインド行飛行機の隣の席に彼が偶然座り、虎を撮っている話をしたらアフリカに誘われ、サバンナクラブの創立会員となった。
彼は山崎豊子さんの小説『沈まぬ太陽』の主人公であり、JALの社員で、その労働裁判も傍聴したが、その時の原告側証人が私と親しい一ツ橋大学経済研究所所長を務めていた富沢賢治先生だった。
他にも、ウガンダでアパレルを国家的産業として成功させた柏田さんや、アフリカで最初の日本料理店『赤坂』を開いた平井さん、シネセルから北斗映画に移った梶浦甚三郎さんなど全て偶然の出会いで、他にも獣医で活躍中の神部君や、ハンターとして名を馳せた田島君など皆ユニークだったが、この佐藤さんは、ずば抜けた人物である。


キリマンジャロ


上の写真はキリマンジャロのケニア側だが、ケニアでナッツの栽培に成功した佐藤さんは、かってこの山の裏側のタンザニアに四国と同じ位の面積の農場を買ったそうだ。
そこで、マカデミアナッツの栽培を試みて苗を植えたが、動物保護区に隣接しており、象の大群がやって来てすべての苗をダメにしてしまい、この地の先住民である象に敬意を表し、この開発を諦めたという、正に象の王者に匹敵する豪傑であり、彼の企業は人口4000万のケニアで、従業員数こそ4000人だが契約農家で10万人の雇用を生み出している一大企業としてケニアで知らぬ人がいない人物となったのだ。

ケニアの田園風景 アカシア

上は7000キロにわたりアフリカを縦断するグレートリフトバレー、つまりアフリカ大地溝帯の底にあるサバンナを切り開いた小麦畑であり、佐藤さんはこの辺りに多くの農場を持ち、また契約農家を増やし、その人々から信頼を得た開拓者であり、成功者なのだ。 彼の経営哲学は私の知る限りでは、採算や営利だけを追い求めていないのみならず、儲けの代わりに現地の人を喜ばせる事に生き甲斐を見出していて、私がかって経営していた飲食店事業の経営理念と相通じるものがあったのだ。
そんなせいか、長いこと彼が東京に来たときとか、私がアフリカに行く際には極力会うようにしていた。
アフリカの大地に根ざし、大自然を慈しみ、事業を単なる金儲けにせず現地の人の幸福を願う、日本の企業人や経済界などは彼の哲学に学ぶべきと考えたし、やはり、彼の中に流れる東北人の精神を見る事が出来る。

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ルワンダ・キガリ郊外の学校にトイレの消臭殺菌剤の売り込みに行った佐藤芳之さん、笑顔からビジネス成功が見えてくる。

実は昨日、久しぶりに電話を頂き、彼のテレビ番組の再放送が昨夜あることを控えめに知らせてくれたのだった。 番組はテレビ東京の『カンブリア宮殿』という村上龍と小池栄子の司会でのインタビュー番組であり、佐藤さんのこれまでの生き様やポリシー等が伝わってくるもので、知ってはいたが、ここまでやって来たのかとの感動が伝わった1時間だった。
殊に感動したのはアフリカを知り抜いた彼ならではの新規ビジネスへの参入だった。 日本人でもそうだが世界でも多くの人達が事業に参入と言えば先ず採算性と言うより、どれほどの利益があるかを考えて、それを至上主義にする。
我々は同じころに生まれ、同じころに戦後の貧しさを経験して育ち、成長すると同時に経済至上の正しく世界から恐れられた『エコノミックアニマル』に変貌し 『カミカゼ』から、企業戦士が生まれ、わが同世代の友人たちも『ジャパンアズNO1』等と世界から持ち上げられ、バブルを生み出し、それが弾けて、長いデフレスパイラルから競争社会は熾烈になり、現在、派遣と正社員、に代表される社会的格差を産み、格差を作り出した企業人からその格差の底辺にいる人たちや中小・零細企業を置き去りにする姿勢が日本を駄目にしたことの反省がなく、競争原理のみがより良い社会を作ると信じている馬鹿者どもが社会を動かしていては良い社会は生まれるわけが無い。
この事から私は昨夜の佐藤さんの番組を見て、共感を持ったし、日本の経済界の指導者たちが彼の爪の垢でも煎じて飲めばよいとまで考えたのだ。
介護や環境はこれからの大きなビジネスチャンス等と、単に拝金主義で言ってのける経営者がいるのは、泥棒が一番の儲かる仕事と言うのと同じことだ。
アフリカで成功を収めた佐藤さんの挑戦は今もなお続いていて、彼が目指すのはある意味では環境ビジネスでもあり、子供の死亡率が最も高い地域での医療ビジネスでもあるのだ。
しかし、佐藤さんは、我々は医者ではないから病気を治す事は出来ないが、病気にさせない事のビジネスを広げる事により、地域の安全な環境を守り、また、その国の経済活性化に貢献できると考えて、特種な枯れた植物から培養した枯葉菌の抽出と加工で雇用を生み、その産物はトイレの消臭剤で殺菌剤の効果を持つ液体で、化学薬剤を使用せず環境に優しく、正によくぞ考えたというべきプロジェクトなのだ。
枯葉(コヨウ)が雇用(コヨウ)を産むとは偶然にしては出来過ぎで、これも佐藤さんらしい。
彼は成功させたケニアナッツの株式を安値で売り、15~6年前に恐怖の虐殺で恐れられた『ホテルルワンダ』の舞台であるキガリにこの事業を展開させた。 ツチとフツ族の対立で多くの国民を失ったルワンダでの問題点は、トイレの環境問題で、大半の家庭のトイレは穴を掘って吸い込み式であり、そこにはハエが湧き、赤痢やコレラ等を媒介する。
これらのハエが媒介する病気による子供の死亡率は先進国に比べ極端に高く、水洗には出来ない為、佐藤さんが開発した枯葉菌の栽培・加工・販売を行う事で、ハエを撲滅し、病気を予防、雇用の促進という画期的なアイディアで、今その効果が実証されルワンダでの期待をされた事業になりつつあり、これが佐藤芳之と言う人の真骨頂なのである。

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先月津波の40日後故郷の南三陸町を訪れた佐藤さん。瓦礫と化したのは彼の生家である。(テレビ番組より)

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大地溝帯に立つ筆者(右)、ナクル湖のオブザベーションヒルにて

象チョベボートから


佐藤さんを動物に例えれば、まさしくアフリカの王者、象である。

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ケニアナッツで製造中のナッツやコーヒー・ワイン等はナイロビのスーパーや空港の免税店などの売れ筋商品であり、飛ぶように売れている。 ケニアナッツを知らない人でも アウト オブ アフリカの名は知っている。

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佐藤さんを支えた素敵な奥様 武子さん

ナイロビの自宅は佐藤さん夫妻の自慢のお家で、広い庭にはプールや森があり、毎日庭でジョギングを楽しむ佐藤さんだが、自慢の最大の理由はハーバードで建築を学んだお嬢さんが設計し、建築の監督もしたものでアメリカや日本にも別宅を構えている。

佐藤さんはアフリカに来たのは東京外語大を卒業後、ガーナの大学に留学をした時で、当時アフリカの父と言われたエンクルマがいたからだそうで、ケニアにはケニアッタがいて、アフリカの独立が始まった直後であり、多くの苦難を乗り越えただろうが、その様な愚痴を一度も佐藤さんから聞いた事がなく、やはりこの奥さんがいてこそ、佐藤さんの今があると思われる。
奥さんは佐藤さんを能天気だと言うが、奥様はもっと天然な能天気であり、それが魅力でお料理も上手だし、奥様の世界はどうもナイロビの素敵な広い、お屋敷内にあるらしく、毎日赤道直下の庭には大きな花が咲き乱れ、それを一年中たくさんあるお部屋に飾るだけで毎日が過ぎていきそうで、現代日本人から見れば 『不思議の国のアリス』 なのかも知れず、それが佐藤さんを大きな人間に育てたのかも知れない。