大谷計介野生の世界 虎・ライオンからパンダ迄

野生動物観察から世界をのぞき見る 僕が出合った世界中の動物たちを紹介

アフリカ

脱マンネリ ポジの写真からボツアナ中心のネタです。

日本に一時帰国し、慌ただしく、先ほどバンコクの自宅に無事戻りましたがあっという間の1週間で、急な用事を済ませ、娘や会いたい友人に会い、時間は夢の間に過ぎて行きました。
最近の自身の行動記録であるブログを見直し、訪問者数も、マニヤックな内容にも関わらず。どうにか20000人の人に見て頂き、感謝あるのみです。いろいろな方から激励を頂きながら、最近のものは、マンネリ化して、書いている本人が嫌になる程の出来栄えです。
そこで、帰国中秘かに昔の記録を紐解き、ブログで紹介していない地域や写真を選び出し、マンネリから脱出すべく、南部アフリカの野生象を中心に、ボツアナやジンバブエ等の画像を紹介いたします。中には以前に使った写真も数枚あるかもしれませんが、そこはご容赦願いたいと思います。

1 IMG0036チョベの象

ここはボツアナの東北部ジンバブエやザンビア、ナミビア等の国境近くのザンベジ河の大支流 チョベ河沿いにある『チョベ国立公園』です。季節により多くの象の群れが集結する場として有名です。
2 IMG0037 チョベの象
親子連れや家族単位の象が集まり、その数は多い時には数千頭が一望のもとに見られます。
3 チョベ河は野生象の天国
象が河を渡る様は粛々として、幻想的な雰囲気があふれますが、ラベル右の象は危険極まりなく、危うい場面でもありましたが、流石に迫力です。エンジンを切った小さなモーターボートですから逃げるのに精一杯で、それでも、『エンジン オフ!』 と繰り返す自分が時に怖くなります。
4 チョベ河の象ボツアナ
背後や手前には数えきれない程の象の群れですが、数の多さを写真で表すのは困難で、殊に望遠に頼るとこの様なものは撮れず、絶対、広角が必要です。
5 IMG0020 チョベの象
ここでの撮影の大半はモーター付きの小舟に頼り、岸辺の動物を狙いますが、時には一体となって撮影することもあります。
6 チョベの謎 象の河渡り
ラベルの河渡りは、小舟で象を追いましたが、深い所で、象は泳いでいる事が分かりました。渡り付いた対岸はナミビアですが、毎日象たちは河を渡り、往復しており、その理由ははっきりして居らず、10日程観察する間に、対岸の草を食むこと以外に、その岸辺に穴を掘り、マッドバスにしていることが分りました。
7 ナムビア側の岸辺で泥遊び
上下の写真は身体に付いた虫等を退治する為と思われますが、対岸の泥濘にはなにか特別なミネラルや塩分などがあるのかも知れません。
8 ナムビア側での泥遊びに秘密か?
黒光りした象たちは目を細めて気持ち良さそうな表情です。
9 チョベの幻想 河を渡る象たち
ナミビアに沈む太陽を背景に象の群れが大河を渡る様は格別な眺めで、幻想的な気持ちになります。
10 チョベの象
この象たちは遙か、1000キロの道程に横たわるカラハリ砂漠を死に物狂いで超えて、毎年ある時期にチョベの河にやって来るものらしく、砂漠は乾燥して、水はなく、ここにたどり着いたなら、まるで天国に違いなく、しかし、草がなくなれば再び、死の砂漠を横切ると考えられます。
11 チョベのワニ
河には凶暴なワニやカバもいて、危険に満ちていますが、私が最初に行った際には、酔ったアメリカ人がここで泳げるか、で、ビールを賭けて、川に飛び込み、直後に数等のワニに襲われて、死亡して、大騒ぎだった事を覚えています。河に落ちたら、即、死を意味すると考えるべきです。
12 象を襲うチョベのライオン
10数年前から、ここはライオンが象を襲う場として知られ、その為、ライオンはチームプレイで、群れの象を引き離し、その為に数を頼み、チームワークも必要で、必然として多数のライオンがプライド(集団)を形成し、キングと呼ばれるオスライオンもその様な群れには3頭とかいるのが普通だと言われています。
13 カラハリ砂漠の厳しい自然
ラベルはボツアナの南部に草や水が乏しくなると1000キロと言われるカラハリの死の砂漠を横切り、チョベや西北部のオカバンゴデルタに草と水を求めて、数千頭単位の象がやって来ます。ラベル左上の中心の木陰に群れからはぐれた、母子象が見えますが、カラハリ砂漠を空から見ると、無数の象の獣道が見られます。
14 象眠るボツアナ
この時は象が倒れていて、死んだものと思いましたが、よく聞くと大イビキで、昼寝をしていて、象は立ったまま寝るとのさる専門家の意見は間違えである事が分かりました。
15 オカバンゴデルタの風景
オカバンゴはナムビアの更に北側のアンゴラの山地で、雨期の1月頃に降り始めた雨が地に潜り、4か月後にボツアナのオカバンゴに流れてデルタを洪水状態にさせて、水のパラダイスを形成し、4月から8月頃までは、一大湿地帯と化すのです。この写真は9月から10月にかけての渇水が始まる頃のもので、それでも、多くの恵みをデルタにもたらします。
16 オカバンゴの風景
シマウマや羚羊類は湿地と化した池や草原で、水中の柔らかな草の根を美味しそうに食べています。
17ボツアナで見たクドゥとクラハシコウ
ボツアナには、他のアフリカ地域では珍しいアンテロップ類(羚羊)も多く、上はクドゥのオスメスです。
18  ジンバブエの自然
この地域に行く為には必ず寄るのがジンバブエのビクトリアフォールズとザンベジ河で、この周辺にも多くの象や動物がいます。ザンベジ河のディナークルーは、野生象を見ながら中型の船舶でビクトリア滝の上流の夕日と象の水浴びを売りにしたもので、多くのツーリストを魅惑しています。今日はここまでです。

アフリカの野鳥と珍しい動物たち

タイの田舎を車で走り、体調を崩し、しばし、バンコクで充電して、その間、マンネリ状態の記事は自分でも嫌気がさし、撮影を少し控えて、新たな気分で臨みたいと考え、未投稿のアフリカのバードライフと、今まであまり公開しなかった、珍しい動物を紹介して、気分を一新したいと思います。
野鳥はこの数年撮り始めて、いまだ勉強中で、アフリカで鳥を撮ろうと考えたのは、ごく僅かな対象だけでした。
その前に報告しなければならない事実が判明、前々回の8月23日付 『シン小父さんのハイド』内で正体不明だった写真下の小動物が分りました。マメジカに負けない程の価値があります。
IMG_3387 リスではなさそう
図鑑3冊を駆使して分かったのは、考えた通り、げっ歯類ではなく、日本ではあまり縁のない食虫目トガリネズミ科の中のNorthern Tree Shrew だと判明しましたので、8月23日付のその該当記事に加筆してご報告いたしましたので、詳細を見て頂きたいと考えますが やはり、疑問は大切な前進に繋がります。
一方アフリカは、古い記録を探し、撮ったものから、お見せできるものを選んで紹介いたしましたが、四足が基本的な撮影対象でしたから、珍しいものだけを選びました。ご笑覧ください。、

1GP0G1671コフラミンゴ ナクル

アフリカで野鳥と言えば、ケニアの大地溝帯・グレートリフトの谷底にある、ナイバシャ湖やナクル湖などに集まる水鳥やフラミンゴなどは有名で、ナクルには赤道北のサンブルー等からの帰路やマサイマラへの途上に癒しを求めて立ち寄る機会は多くありました。まずはそのフラミンゴです。40年前には湖面を埋め尽くす、数百万羽のフラミンゴが見られましたが、近隣の工業化に伴い公害が生じ、その数は激減、最近また環境を厳しくしたお蔭で、心持ち数を戻しつつあります。
1African Flamingoes
一部ではこの様な密度で見られ、私はフラミンゴのお花畑と表現してきました。見えているのは殆んどがLesser Flamingo  コフラミンゴの様ですが、中にはGreater Flamingo も混じっているようです。
3GP0G1720 great white pelicanモモイロペリカン
これもゴージャスな Great White Pelican の大群です。和名は何故かモモイロペリカンですが、モモイロに見える部分は少なく、何故、英語と共通の名前を付けないのか不思議です。
5IMG_2525White-bellied Go-away-bird
この鳥は大好きなケニア北部サンブルーのウアッソニーロ河畔のサファリロッジで撮ったもので、シロハラハイイロエボシドリが和名で、英名は White Bellied Go-away-bird という理解不能の名前が付けられています。
2アフリカのサイチョウ Red Billed Hornbill
サイチョウと言えばアジアの熱帯のものと考えがちですが、実はアフリカが一番亜種の数が多く、50種程いるそうです。これもサンブルーで撮りましたが、最近、アフリカコサイチョウだと判明しました。
4GP0G3130Grey Crowned-Crane ホオジロカンムリヅル
Grey Crowned Crane 和名カンムリツルは美しい鳥で、つがいはいつも仲が良く、一生添い遂げるそうです。この鳥はいつも見つけると必ずカメラを向けます。日本人のサファリを楽しむ人が増えて、ガイドは和名を覚えている程人気のトリです。Synonym;White cheeked Crowned Crane ホホジロカンムリツルとも呼ばれます。
6Secretary-bird ヘビクイワシ
Secretary Bird の名前は、その姿が、中世ヨーロッパの書記官=secretary の服装に見立て、帽子の羽根やニッカー・ボッカーのスタイルに似ていてこの名が付いたそうですが、和名は、習性そのままのヘビクイワシです。美しいですが、クチバシは猛禽のものです。
7IMG_2542Kori Bustard アフリカオオノガン
kori Bustard のbustard は、鳥類の名前で野雁の意味で、Bastard 私生児とか、侮蔑の言葉で嫌な奴、厄介なものとかの意味ではなく、Kori の意味は分かりませんが、和名はアフリカオオノガンです。
8アカハシウシツツキラベル
このサイや野牛によく たかっている小鳥はRed Billed Ox-pecker アカハシウシツツキだそうです。互いにメリットのある関係の様です。
9クラハシコウ オカバンゴボツアナSaddle Billed Stork
Saddle Billed Stork は英語そのまま、クラハシコウで、奇妙なトリですが、コウノトリの仲間です。ボツアナのオカバンゴデルタで撮りましたが、ケニアでも撮影しています。
10サバンナの巨大鳥 ダチョウとハゲワシ
地上では最大のトリ、Ostrich ダチョウのオス・メスと、ハゲワシ類で、チータやライオンの食べ残した獲物に群がり、すべてを食べ尽くす草原の掃除屋として、ハイエナやジャッカルと同一視されますが、ハイエナもジャッカルも自分たちだけの狩りを行うのを何度か撮影しています。マラブーストークはその姿が牧師の様で、草原の葬儀屋と呼ばれます。
12IMG_4801 チータ狩 マラケニア
Cheetah's on kill. Just got a Gazelle's Baby チータのハンティングで、ガゼルの赤ちゃんを獲った瞬間でした。
11IMG_8547 ツァボオスライオン
This is a special adult male lion from Thuabo NP in Kenya, Called  No Maned Lion.
 このライオンはアフリカでもサボとアンボセリの一部にしかいないタテガミのないオスライオンで体色も黒くお腹や脚には、幼体だけが持つ豹紋が残り、mane タテガミは背の上部にほんの少し見られますが、オスのシンボルは成獣そのものです。極めて珍しい個体でもあります。
14オオミミキツネ
最近マラの辺りではよく見る小動物ですが、運とか、ガイドが巣穴を知っているとかで出会いのチャンスが決まります。ペアで見たのは初めてでした。
15大移動するヌーと留まるヌー
ヌーの渡りやマイグレーションは沢山のシーンを撮りました。興味のある方はカテゴリー別でアフリカシリーズをアーカイブしてください。 http://blog.livedoor.jp/k_otaniwwps/archives/cat_10042635.html
13サンブルー
サンブルーは大好きな場所で、東アフリカの中では、特殊な動物が多く見られ、上記4種に加えて、ライオンや象なども多く、姿も少し違います。ライオンはやや小型で、色が少し濃い茶色です。またディクディクの様な小型の羚羊対も多く、ヒョウも見るチャンスは多いです。アフリカの猛獣は殆んど撮っていて、アフリカシリーズを是非見て下さい。休養もとれたので、なにか新たなチャレンジを考えます。
このブログは9月6日に予約投稿いたしますのでよろしくお願いいたします。
予約の前日、現在、タイ北部のチェンマイに来ていて、ドイインタノン山頂まで来ましたが、前回は台風で流れ、今回盆地は天気は良かったのですが、流石にタイの最高峰いつも霧がでていて冷たい雨でした。
これと言った動物や鳥も撮れず、また、大きな顔をお見せしてご挨拶に替えます。
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次号の予約投稿は9月14日午前6時です。インドの虎の情報に誤りがあり、新たに記事を書きました。そしてあと1時間ほどでこの記事がアップされる筈で、次号に昨日行ったチェンマイの人気スポットを紹介して野生虎と飼い虎のズーストック種との写真での違いを書き終えて投稿を済ませました。14日以降に見て頂ければ幸いです。

アフリカに魅せられた探検家たちの話 続編

これを書いている今日5月12日、これからインドに発ちますが前号からの続きのストーリーであり、是非前号をみて頂ければ幸いです。記事と写真は出来ていて、5月18日頃.アップする予約投稿にいたします。
前号は、私が幼い頃から憧れた3人の探検家の話でしたが、改めて、彼等の足跡を辿り、大人の視点で見ると、単に、彼等が冒険ストーリーを作ったのではなく、その背景に多くの国や人の利害が絡んでいたことが理解出来ました。
暗黒大陸の夜明け

私のブログの中でも、友人でもある『アフリカの巨人佐藤芳之さんの話』(
20110526日発表)がカテゴリ アフリカにあり、東京外語大を卒業後、エンクルマのアフリカ独立主義に傾倒した彼は、ガーナ大学に学び、ケニヤで起業し、成功した彼の業績を語ったものです。
ある意味では、彼もアフリカに魅せられた探検家の様な存在で、ぜひ、アーカイブして見て頂きたい記事でもあります。
佐藤さんが歩んだ道のりは、探検家のそれとは違うものではありますが、彼の歩んだ道もイバラの道で、そこに残したものは、まさしく、アフリカナイゼーションに沿ったもので、日本人として、大きなパイオニアワークであった事に違いありません。
アフリカの巨人佐藤さん

アフリカで探検家達が歩んだ道は、命がけのサファリであり、あるものは、病に倒れ、あるものは、大きな名誉と富を得て、成功し、歴史に名を刻みました。

しかし、西欧人が来る何百年も前から、多くのアラブやインド人がアフリカ各地を行き来し、商業活動により、多くの海路や道しるべを刻んだ事を忘れてはなりません。
南北の大砂漠地帯

今のアフリカでのサファリツアーは、それほどの困難や危険はありませんが、アフリカ中央部や、南部のボツアナのチョベとか、オカバンデルタ コンゴの奥地等はテントに泊って1泊12万円(1200ドル)等、珍しくなく、別の困難が旅人を待ち受けて、1か月滞在したら3万6000ドル(円換算360万円)で容赦もありません。
チータと写真家の車 マラ ケニア のコピー
話は変わって、南アのケープタウンの喜望峰の発見は殆どの人がバスコ・ダ・ガマによるものと教えられてきましたが、それは1487年ポルトガルの航海者ディアス・バーソロミューに発見され、10年後の1497年に、ガマのインド航路開拓に繋がったもので、発見などは言葉として適当ではありません。
当時すでに、アラブ人やインド人等が多くこの地域を交易して通って居て、そこから、ガマもアラブ人の情報で現ケニアの海岸マリンディに立ち寄り、そこで、アラブ商人からインドの情報を得て、クーチン(南インド)やコルコトに達し、インドの香辛料などの海路からの貿易ルートを開拓したのです。
この事はポルトガルに莫大な富をもたらし、歴史に名をとどめましたが、事実は、どれほどその発見が財政上のプラスになったかが偉業とされた時代背景だったと認識すべきです。
ライオンのオスとメス
1500年頃、ポルトガル人が主にアラブ人からの情報を基に、マダガスカルなどを一時、植民地にしましたが、後に、フランスがその主権を引き継いだことでも理解できますが、その500年とも1000年とも言われる前の4世紀から9世紀頃には既に、多くのマレー系住民が移住していて、その航海は大木をくり抜いた丸木舟を漕いで、来たらしく、彼等が赤道海流を熟知していた証でもあり、15~16世紀の西欧人による大航海時代の10世紀も前から、アジア人やアラブ人が知っていた交易ルート等を大発見等とは、西欧社会がその様な認識を持っただけの話と思うのは私だけでしょうか?

マダガスカルの人と自然

シェラザードの語った『1001夜物語』は、アラビックの書籍でコーランに次ぐベストセラーと言われ、中東を舞台に多くの地域の記述があり、シンドバットの七つの冒険には、マダガスカルと思われる背景が描かれ、当時、世界最大と言われた怪鳥ロックは、19世紀まで、実在した大きな鳥で、シンドバットはこの鳥を肉塊でおびき出し、深い谷底から、落とした肉塊に張り付いたダイヤモンドを得て、大金持ちになった話があって子供の頃に眼を輝かせて呼んだ話でしたが、十数年前にマダガスカルに撮影に行き、アフリカの一部だと思っていた島は、見ると聞くでは大違いであり、住人達の顔はアフリカ人ではなく、多くがマレー系である事が理解出来、西欧人が来るず~っと昔から、マレーから来た人が住みつき、その、シンドバッドが見たという大きな鳥も固有の種として100年ほど前まで棲息していて、その後絶滅しましたが、化石化した標本が残っていて興味深い話です。
IMG0089 ワオの親子
もちろん、シンドバッドもシェーラザードも架空の人間なのは分かりますが、9世紀頃にその様な話をアラブ人やインド人が知っていたなら、その頃から、この地域と交易をしていた証でもあるのです。

IMG0071 シファカ


海峡を隔てて400キロの地にモザンビークがありアフリカ大陸に近いのに、多くの顔は、アジア系のマレー人等で、生物もアフリカと一線を隔した固有の種が多く、哺乳類はアフリカと共通項がなく、生物学上でも不思議な島なのです。


IMG0014 あれたサイザル畑
私はアフリカ各地を旅し、マダガスカルがたった400キロの海峡の先なのに、動物相も人間の顔も、すべて違うこの現実を見て、まだ、その様な生物も居なかった7000万年前のゴンドワナ大陸の移動でアフリカの一部が南アジアに衝突して、インドやヒマラヤの隆起が起きた際、マダガスカルだけが取り残された故に、独自の進化をこの島にもたらしたものと、確信的に信じていて、とにかく不思議な島なのです。

アフリカに行っても、行かなくても、今の私は多くものを見て、不思議に思うのは、歴史で見る世界情勢が先進国優先の思いが浮かび、やはり、私もアフリカに魅せられた一人なのだと思ったりして、これはきっとアフリカの魔法にかかっているのかもしれません。(この項終わり)

この項は予約投稿のつもりでしたが、今、インドのランタンボールの虎保護区から送信します。
今日先ほど虎を見つけましたが、コンディションが悪く、インドに来て4日目で、ようやく姿を見ました、明日も早くから撮影で、ここは野鳥の宝庫でもあり、虎を撮りに来て、一字違いの トリ、つまり、ラとリの違いで、ラリッてしまいそうです。次回は近々、時間を作り、ランタンボールからの映像をお届けします。
インドで予想外に大変な旅になり、毎日の自分の撮影と整理に追われ、時間がなく、今回は、故郷の自然のカワセミ池の仲間の記事が書けず、お休みさせていただき、お詫び方々ご報告いたします。
次回頑張りますのでよろしくお願いいたします。

 


 


 


 

アフリカに想う アフリカに魅せられた探検家の話です

日本の2週間ほどの訪問から戻り、体調が思わしくなく、次の行く先も決まらず、悶々の日々を送り、先ほど漸く、インドから返事が来て、13日からランタンポールヘの撮影行が決まりました。
ブログの準備や写真の整理に追われて、前から温めていた、アフリカへの想いを随筆としてまとめました。アフリカの歴史の側面を探検家を通してみるのも興味があります。

ビクトリア瀑布

『サファリ』の語源を知っていますか?スワヒリ語で、元々困難を表す言葉ですが、アフリカでは、原住民たちは日常生活や移動を全て、徒歩で行い、サバンナでの移動は『ハタリ・危険』に満ちていて、離れた地域を旅するのは、多くの『サファリ・困難』が待ち受けていた事から、移動や旅をする事をサファリと呼ぶ様になったと聞いています。
探検家たちの前に潜む危険な動物達
しかし、多くの野獣がいて危険で困難なアフリカの旅は、いつの間にか趣味の狩猟の旅から、彼等を観察するのをサファリツアーと呼び、本来の語源を逸脱してしまいました。
私が魅了されて、アフリカに行くようになって40年以上経ちますが、その僅か100年前には、アフリカは暗黒大陸が故に、多くの探検家が輝かしい足跡を残しました。
彼等の命懸けのサファリは、ヨーロッパ諸国のアフリカでの利権を得る為の国策で、成功者には大きな富や名声が待ち受けていた代償として、想像を絶する危険と困難が存在し、成功すればイギリス等では貴族の称号を与えられ、後に彼等を 羨んだ人々からはバウンティハンター(賞金稼ぎ)などと呼ぶ輩が現れたようです。
そこで、私がアフリカに魅せられた大きな引き金になった有名な探検家3名の略歴を記し、大英帝国の植民地政策や、彼等の冒険を思い起こして頂きたいと思います。
探検家も見た風景

近代アフリカの探検家   

デビッド リビングストン David Livingstone

1813~1873  イギリスに生まれアフリカに死す アフリカ探検の先駆で宣教師。

紡績工場で働きながら、医学 神学を学び、1840年医学の学位を取得し、同年伝道協会に入り、41年南アフリカに宣教師として派遣されました。

奥地まで入り、先住民と接触して、前人未踏の地で伝道に努め、1853年西海岸への道を見出し、55年には東海岸への道を開いたが、ザンべジ河で大瀑布を発見し、ビクトリア滝と命名しました。

その後一時帰国、伝道協会を辞め、58年ザンベジ地区の巡回領事に任命されてイギリス政府のアフリカ探検隊の指揮を任され、再びアフリカへ、64年に帰国、奥地での奴隷貿易の実態調査と、ザンベジ コンゴ ナイルの3大大河の水源発見を目的に、65年三度目の探検隊を率いて出発し、多くの困難の為、大半の隊員を失い、1871年タンガニーカ湖畔のウジジで、H スタンレーと遭遇し、彼の提供した人員と物資で翌72年8月にはナイルとザイール(コンゴ)河の源を探しに共に出発、途上チタンボの集落で、病死しました。

イギリス政府から彼の捜索を依頼されたスタンリーが足取りを追い、タンガニーカ湖畔で発見し、探検史上有名な、ウジジの会見 となったのです。

1857年 Missionary Travels (伝道の旅)を著書に残しました。
探検家達が出会っただろう多くの部族たち
ヘンリー M スタンレー Sir Henry Morton Stanley
1841~1904 イギリスの 探検家志望の新聞記者 69年消息を絶っていたリビングストンの捜索を政府に依頼され、アフリカに渡り、2年後71年11月、現タンザニアのウジジで病中の彼と接触、その後、合流してタンガニーカ湖の北岸を調査し、72年8月にはリビングストンが病死して、英国に帰国した。

その後、74年から~77年にかけて再びナイルの源流を探検、白人として初めてタンガニーカ湖から、コンゴ河(ザイール河)を下り、熱帯アフリカの横断に成功し、探検家としての地位を固め、王立地理学会からの援助で主にコンゴを中心に4回に渡る探検を行い英国領アフリカの基礎を築いたが、その功績により、貴族の称号を受けました。
謂わば、探検家としては夢に見た貴族の仲間入りをし、一時、アメリカ国籍をとり、晩年英国籍に戻った人物だが、彼は特にバウンティハンター(賞金稼ぎ)と呼ばれ、アメリカに渡った事にも関連がありそうです。著書にThrough The Dark Continent (暗黒大陸横断記)1878年と InDarkest Africa (暗黒のアフリカ)1890年がある。
探検家が毎日見た景色
ジョセフ トムソン Joseph Thomson
1858~1895
1878年 王立地理学会の東アフリカ探検隊に参加して,隊長 ジョンストンの死後、隊長代理としてタンガニーカ湖等を踏破・調査した。

その後1882年モンバサからキリマンジャロ付近を経て、マサイの土地を横断してビクトリア湖に到達し、アフリカ探検の偉大な足跡を残したが、これらの話から、ポルトガル人船乗り、ディアスが喜望峰を発見、各国が、アフリカ沿岸に何ヶ所かの植民都市を築いてから400年も時代が過ぎていて、アフリカ内陸は暗黒とされ、謎に包まれ、白人たちの立ち入りを許さなかった事が理解出来、ナイルやコンゴ川、ザンベジ河等の水源はおろか、アフリカ各地の地理や、国境線すらわかっていなかった事が見えて来て歴史の面白い側面が理解できます。
現在のニアフルル滝を発見し、以降、トムソン滝と呼ばれたが、1970年代のアフリカナイゼーションにより、ニアフルル滝と呼び名が変わった。
他に、小型のガゼルがトムソン・ガゼルと呼ばれ、彼の業績の名残りの一環となっている。

トムソンの名を今に残したガゼルと滝
 
国立アフリカ会社やイギリス南アフリカ会社の為に、各国と条約締結に貢献し、著書として1885
年に『
Through The Masai Land』(マサイの領地を超えて)を残したが10年後にロンドンにて死去した。

 三人の探検家が見たシマウマの違い
この3名がイギリスの有名な探検家で、それぞれの生き様に、当時の探検に対する考えや殊に英国の植民地政策と関わりが見られ、探検に純粋にかけた想いは各様である。

執念は、工員から学び、医学や神学の学位を取得し、アフリカへ伝道の道から入ったリビングストンが、伝道協会と縁をきり、奴隷貿易の実態や、ナイル等の源流発見を夢見た実態から、真の探検家の気がするが、その頃の背景に、西欧諸国が、植民地政策の一環として、アフリカの大河の源流や地理調査に莫大な賞金をかけた事実が思い浮かんでくる。
探検家が見たキリンの違い
前述の探検の記録は以下の記述にある様に、200年以上前に既に、多くのアフリカの国の沿岸部をそれぞれの国が植民地として統治したが、その奥行はなく、海洋都市に限られ、その国の持つ、面積や支配地域は不明であり、そこに目を付けた大英帝国等が、アフリカ沿岸部と暗黒と言われた内陸の調査をすることにより、植民地の拡大を狙い、地理学上の調査や国境の調査等を含めた中での探検であった。

英国などの植民地政策で。アフリカ諸国は、散々搾取されて、1950~60年代に起きた、ガーナのエンクルマのアフリカ的社会主義を基盤にした独立の波はアフリカ全土に伝播して、60年代の一連のアフリカナイゼーションの石杖になったのだ。(次号に続く)


ここからは故郷の自然シリーズで、仲間達のコーナーです。今井さん、原稿送ってくださいね。皆様もよろしくお願いいたします。
柿沢さん5月11日分


IMG_0987イソシギのサングラス
柿沢 章 隊員のイソシギの様ですね。サングラスがシャレ者みたいでかっこいいです。
IMG_1011市役所と菜の花

これも懐かしき市役所と菜の花ですね。正に春爛漫、柿沢隊員ありがとうございます。

森田さん作品キジ

森田隊員はキジが池の傍に来てよかったですね。5月はキジが子を儲け、蛇やイタチが卵やヒナを狙いキジのパトロールは活発になり、昨年はアオダイショウとキジの格闘シーンを5月に2回撮りました。キジやイタチを撮るには一番の季節です。頑張ってください。

戸高さん5月11日ブログ用

戸高 隊員いつもご苦労様です。頑張ってください。もう日本時間では0時を回り、明日からインドに虎の撮影に行きます。昔、よく通ったラジャスタン州のランタンボール国立公園ですが、インドは一番熱い時期です。頑張りますので、よろしくお願いいたします。

アフリカライオンの話 知られざる秘密

今回も、友情投稿が定着化できました、投稿された方々に厚く御礼いたします。そこで、私のブログの本題からそれないように、投稿の写真は後半に置き換えさせていただきました。よろしくお願いいたします。
今回はアフリカライオンの知られざる側面と、可愛いカブ(赤ちゃん)の画像をアップしました。


ツァボのライオンカップル


ラベルや写真は、それぞれクリックすると最大化され、上の大谷計介野生の世界を押すと戻ります。
上のラベルはケニアのツァボとアンボセリの間で撮ったライオンですが、成獣でオスとメスのもので、メーティングシーズンに入り、ハネムーンカップルの様でした。オスはラベル下の個体でタテガミがほとんどなく、色が黒で、脚の豹紋が顕著ですが、完全な成獣です。普通の人にはメスライオンとしか思えないでしょうが、これが噂のツァボライオンのオスです。

ライオン オス走る

このライオンはマラのもので、まだ、未成熟ですが、家族からプライドを追われ、バチュラー軍団にいる4~5歳の若いライオンで、脚には幼少時の特徴である豹紋が残ります。これも数年後には立派なタテガミを持つオスライオンになる筈です。その辺が、虎と大きな違いだと考えられます。

ライオンバチュラー軍団ガゼルを狙う

虎のオスは2年程で、母虎の元を追われ、時にはオス親のライバルにならない懸念から、オス親に森を追い出されたり、時には殺されたりもしますが、ライオンは幼少時はプライドと言う、メス中心の家族の中で暮らしますが、狩りの能力が備わる頃に、プライドを追われ、それらの若いオスが集まり、バチュラー集団を作り、協力して生き、互いにスキルを身に付け、成獣になるころ、プライドのキングに挑戦して、キングになる例もあります。
そして、キングが負けて、バチューラー軍団に降格したのを目撃もしています。虎は親子でも死闘を繰り広げ生き残った者が王者になり、そこが大きな違いでもあります。

8187ライオン母子4頭

生後2週間程のライオン母子で、メスはプライドの集団(主に血縁関係のメスと子供)から離れて、近くで出産し、その後、2週間ほどで、オス親(プライドのキング)に引き合わせ、プライドに戻り、他のメス達が子供を一緒に守り、育てます。この辺りの写真は運よく、その瞬間を記録できました。

ライオンが子供にあう時

上はオス親がメスに呼ばれて、プライド近くの草むらで自分のカブ(赤ちゃん)との対面となり、長く撮影した中で多くの子連れを見ましたが、これはラッキーなシーンでした。

IMG_9705ライオン夫婦 マラ ケニア

慣れないオスのキングは、メスに『しっかりしなさいよ!あんたの子だよ』と叱られたようですが、ライオンキングとはディズニーのマンガの世界の話で、実態は、オスは用心棒として迎えられ、子種を貰い、メスが養う、ライオンは母系家族で、他に、そのキングを倒す屈強なオスが来れば、戦いになり、負ければ、バチュラー軍団に降格で時に、2頭の兄弟オスが協力し、キングになるケースも大きなプライドでは多く、ボツアナ等には30頭を超えるプライドもいて、キングが2頭はよくある話でもあります。
オスやメスに聞いたら、群れが守れれば、『ハクナマツツア!問題なし』と言ってました(ウソップ物語です)

IMG_9768 ライオン一家マラ ケニア

子供の世話を教えるから、しっかりしなさいと言われ、オスは神妙な面持ちでした。

IMG_9774マラライオン一家ケニア

なるほど、子供って可愛いものだな、と、オスは思った様です。

8170ライオン

カブは10日程は母ライオンに咥えられて、移動を繰り返し、授乳を受けて育ち、2週間程でこの様によちよち歩きでも、生きるスキルを学びながら生きて行くのです。

1293ライオンベビー

カブ達はいつもこの様に、噛んだり、じゃれたりで、戦いのスキルを自然に学ぶのです。

IMG_2244トリ 獲物と遊ぶレオ マラ ケニア

このカブは母親が倒した獲物(捻じれ角なのでグラントガゼルか)の角で遊んでいますがこの時期まだ肉は食べず、授乳により、育ち、数か月後に離乳食を食べますが、半年ほどは母乳が頼りの様です。

樹上のヒョウ

この写真は豹ですが、ここに載せたのは、オスライオンが、下に居て、縄張りから追い出す為、見張るのも、用心棒としてのオスの役割でもあり、時に3日間、同じ木からヒョウが下りられず、下にはオスライオンがずっ~と見張っていたのを目撃しています。そこで、三食昼寝付きで上げ膳据え膳のイメージは崩れ、キングも必死なのです。

GP0G0815 サンブルーのライオン

最後にこれはケニア北部、赤道北にあるサンブルーのメスライオンですが、この個体はジープに飛びかかりそうで怖いメスでした。ここのメスも特徴として小型で色が少し濃い感じです。
如何ですか、知られざるアフリカライオンの側面がご理解いただけましたでしょうか?


ここからは、故郷のカワセミ池の仲間たちが送って下さった素敵な、写真の数々です、今回投稿していない皆さんも、ぜひ、写真をおくってくださいね。よろしくお願いいたします。

柿沢さんの写真

柿沢さんからは多くの傑作を送られていますが、池での飛び込みは、毎回同じような写真が来ますので、適せんこちらで編集して画像を選び、時に応じて、池でのダイブシーンも載せますので、よろしくお任せいただければ幸いです。

柿沢さんイソシギとイカルチドリ

これは季節の、お客様でしょうか?池の周辺には多くの野鳥が季節ごとに現れる様です。

戸高さん

戸高さんが初めて投稿してくれました。スカイツリーが城山からこの様に見えるなんて、素晴らしいですね。

戸高さんのカワセミ池

戸高さんも多くのダイブシーンを撮っていて、初めて写真を見せて頂きました。流石ですね。ありがとうございました。皆様の投稿お待ちしています。





久しぶりのアフリカ ヌーの渡り と、浅川友情投稿等

タイは昨日から、仏歴の正月、ソンクランの始まりで16日までは正月休暇、多くの会社や飲食店などがお休みで最近の好況を受けて、観光地や国立公園は大賑わいの様です。
カメラの故障があり、休みが明けないと撮影に行けません。その様な時、日本の仲間たちが故郷の自然をアピールする為、写真を送ってくれたり、激励のメールを頂いたりで、いい機会と思い、ブログに専念できました。
昨日、ブログの愛読者の方から、アフリカの写真をリクエストする投稿があり、前に書き足らなかった事や、未発表の写真も多数あり、写真の整理に明け暮れましたが、ようやく一段落し、ここにアップして、自然の不思議や、失われつつある自然を考えたいと思いますので、よろしくお付き合いください。

先ずは、故郷の浅川カワセミ池からの報告を仲間の写真で見てください。インドの砂漠からの写真を寄せて下さった方もおられます。

2柿沢さんオオタカ


この冬オオタカがカワセミ池の近くに来て、柿沢さんが貴重な写真を撮りました。

1柿沢さんの1月のカワセミ

1月雪の前後に、オス メスが交互に来て、左のメスはまだ足が黒い、昨年生まれの若鳥の様です。

3森田 さんの作品

森田さんはキジを撮られたようですが、この先、キジはメーティングの時期になり、池の周辺に連日現れるようになり、子を持つ5月頃、ヘビが冬眠から目覚めて活発に行動し、イタチも大きな天敵になります。
そこで、オスの警戒音や、パトロールが頻繁になり、メスと連れだって池周辺の水辺にやってきます。
申し遅れましたが下記要領で、森田さんが出展なさる写真展がありますので、ぜひお出かけください・
        八王子ロータリークラブ写真同好会 主催
        第20回 写真展     4月18~20日 
                  八王子JR北口駅前  東急スクエア 11F

4今井 正さんの作品

今井さんの2枚の写真を組み合わせて即席のウソップ物語風にしましたが、昨年ツグミやモズがカワセミを真似て何度も池にダイブして、魚を咥えたシーンも撮り、ブログにしましたが、これはウソップではありません。

5山崎 尭さんのインドの便り

上のラベルは1年程前に散歩の途上カワセミ池に立ち寄られ、以来ブログを愛読をしていただいている、山崎 尭さんから寄せて頂いた写真で、この2月にインドに居る際にインドに来られるメールがあり、入れ違いでラジャスタン州の砂漠地帯を旅されたようです。タール砂漠は懐かしい場所で、西南の街ジャイサメールは100キロ程でパキスタン国境を隔て、インダスの流れに近く、昔、車で走った際、一番熱い時期5月に通ったもので、地獄のムルタンとか、サッカール等の暑さは暑いと書くより、熱いと書いた方が正解の経験が蘇ります。
あれから、48年が経ち、ラジャスタンには、ランタンボールの虎の保護区があり、何度も行きましたが、今年2月に私はブハラットプールで野鳥を撮っていましたから、写真の想いは感慨深いものでした。
山崎さんは世界の僻地によく旅行をなさり、色々な国からの写真を送られました。また、ぜひ投稿してください。美しい写真が小さくて申し訳ありませんでした。

ここからは私のコーナーでリクエストにお応えして、アフリカシリーズを再開いたします。本日のテーマはヌーの移動の様子です。

6ヌーが河を渡るまで

ヌーはアフリカの多くの土地に棲んでいて、その生態は、適応放散そのままで、このタンザニアのセレンゲティからケニアのマサイマラまでの直線距離で往復1600キロ程の大移動を毎年繰り返すと先日、テレビの放送が番組で紹介していましたが、この地のヌーの年間走行距離は3000キロとも5000キロとも言われています。
また、セレンゲティからマラに至る際に1回の河渡りをすると言っていましたが、実際、観察して群れを追うともっと頻繁にマラ河を渡っている事が理解できます。
それと、この地のヌーとシマウマの間には特別な関係があり、その特殊事情に迫って取材して貰いたいと感想を持ちました。
長い間この地で、ヌーの渡りを見ていると、単なる理屈では解決できない多くの不思議があり、ヌーの渡りにはシマウマが常に見守り、エスコートする事が多く、先に渡ったシマウマが、ヌーが対岸で躊躇している場合など、流れを渡り直して、ヌーに渡りを促したりします。この様な行動を明確に説明出来る学者は少ないようで、テレビの番組にするなら、徹底調査をすべきと思います。

7IMG_3777 ヌー渡り

ここはマラ河でも有名な崖の下りがある場所で、昔は、ヌーの群れが渡り終えるまで数時間もかかった事が珍しくありませんでしたが、40年前一望300万頭と言われたヌーもトーンダウンで100万頭等とNHKの番組が言っていて、現在では10分で終わるとか、20分で終わりなどとの目撃情報が多いようです。

8IMG_3778 ヌー渡り

ヌーが川に入ると、半狂乱と化し、シマウマはその点、クールに泳ぎ渡りますし、シマウマの群れには明確なリーダーがいて、渡る前に、岸辺に寝そべっていた巨大なナイルワニに近づき、脚で地面を叩いていたのがリーダーで、カテゴリー別アフリカの2010年10月22日のものと、2011年3月5日付シマウマとヌーの共存・共生に多くの写真があり、納得して頂けると思います。

8ワニ・ヌー襲う

ヌーが渡る際、この様なシーンがたびたびあり、これらも前述のアーカイブで多くの画像が見られます。

9ヌー大移動

タンザニアのセレンゲティ大草原へと続く、マラの地形や、気象などにより、ここには顕著な大移動・マイグレーションが見られるが、ケニアの別な地域ではアンボセリや、サボなどでは、ここほど顕著な動きは見られず、サンブルーなどではグレービーシマウマなどは大きな移動はしないと考えられています。

10ライオンプライドヌー狙う

ただ、言えることは、群れがいれば、天敵も増えて、この様なメスライオンによる、大規模な狩りでは、失敗は少ないともいえます。そこで戦えないヌーなどは、数で生き残りを図ると昔から言われているのです

11ヌー川渡り前の訓練

臆病で、無節操なヌーでも、本格的にマラ河を渡る前には流石にトレーニングをする様で、このラベルはその現場を撮り、初めて、その様な計画性?と言うか、本能で行うのか、理解の外ですが、普段予測できない行動をとる場面しか、見て居なくて、この際に、何度も同じ小さな崖を駆け下り、再び、同じ場所に駆け戻る様を見て、ヌーに対する考えが変わった様に思えます。

12ヌーの渡りは半狂乱

いよいよ本格的にマラ河を渡り、狂った様に移動を続けるのです。

13シマウマの川渡り

シマウマは本当に強く、泳ぎもクールです。前に数等のワニに脚を噛まれ、水中に身を没したが、その後振り払い岸に上がって、歯を剥いて、嘶いた様が思い浮かびます。前記の記事をアーカイブしてみてください。

14ヌー渡る 側面から

この写真は一度渡ったマラ河を翌日、また、渡り返した様で、その後、下の写真の様に、対岸から再び、こちらサイドに渡り返したもので、テレビの番組のいうマラ河を年に一度、と言うのは誤りだとわかります。
ガイドなどの説明は、河を渡り移動を繰り返すのは、草を食べつくして、更にその先に行くのが大移動なら
食べつくした草のない土地に何故戻るのか、納得は行かず、人間の知恵の届かない、動物の不思議な生態があるのだと私は信じます。特にヌーの行動は人智の及ばない所にあるとしか言えません。

15ようやく対岸に

マラ河の渡りはここで終了で、先日の番組ではヌーは毎年一度この川を渡るとされていましたが、数か月でまたセレンゲティに戻るのですから、その際、もう一度渡り返すのは当然で、何故その様に決めつけるのか、もう少し納得の行く説明が必要な事は当然で、学者やテレビの製作者の大半が、人智の中で、説明をつけようとするからその様な矛盾に気付かずしめくくり、いつも唖然とするばかりです。

前に日本の有名な動物学の権威と言われる先生に、単純な疑問をぶつけて、赤道の南北での、キリンやシマウマの縞の違いを聞くと、そんな乱暴な話は聞いたことがない、赤道の南北ではなく、たまたま、赤道に沿ってタナ河が流れて、キリンもシマウマも泳げず、河を渡れないから、その様な分布になっていて、赤道は全く無関係と言われ、唖然としましたが、グレービーシマウマやアミメキリンのいるサンブルーに赤道を越えていく際、タナ河は渡らないし、シマウマが泳げない、キリンが河を渡らないなど、この先生は見ていないから、言っていて、私の写真でシマウマが泳いでいる事や、サンブルーのウアッソニーロの流れをキリンが渡っているのを見た事がないのかと言いたくなりました。

その際、反論したら、そんな事は大英博物館に行き、原書を読んで判断しなさいと言われ、有名な人だっただけに、フィールドに出ない学者には、もう、好奇心もなく、それこそがすべての原点なのに、あきれ果て、学者に対して大きな失望を感じて、権威とは何かと今でも疑問があります。
次回は他の未発表写真で、記事を書きますので、よろしくお願いいたします。

サバンナ四方山話

1週間ほど前から体調を崩し、カワセミもお休みで、雪景色も逃してしまったが、アフリカやインドの写真を希望する人が多く、未発表の写真をアップしてサバンナのあれこれを書くことにしました。

アフリカで最も好きな場所はケニアの大自然, アフリカも10か国以上の国へ訪れたが、やはりサファリにはケニアが良い。 それは政策的にもlまた、サファリを国是としての観光立国のt体制が整っていて安心感があるからだ。
ボツアナの奥地ややコンゴとか中央部アフリカの保護区等は設備も悪いのに、やたら宿泊費やサファリのアクティビティが高い。 予約せずに個人で行けば1泊1200ドルとか、信じられない料金を取られる。
2週間もいたら、宿泊とサファリだけで150万円は軽く超えてしまい、その点ケニアは1日400ドルほどでサファリ用の車に、一流のロッジで3食付きだから安心できる。
写真をクリックして最大化して見てください

アフリカの珍商売 のコピー


色々な場所を訪れると面白いことも体験できるが、上に紹介したのはその中でも基本的な珍商売だ。
先ず、ケニアもアバディアとか、メルー(エルザの故郷)やサンブルーなどに行く時にはどうしてもナンユキかニアフルルの滝(旧トムソンフォール)の辺で赤道点を通過するのだが、大抵の旅行者はそこで止まり、赤道の標識で記念撮影とか、赤道を飛び越えて、子供の様にはしゃいだりするものだ。
そこに目を付けた商売が、上記の様な実験で、赤道を隔てた20メートルほどの距離で行う赤道の南北での水流がどのようなものかを見せてくれるのだが、確かに北半球では、漏斗に注いだ水は、時計回りに渦を作り、そこから南に20メートル戻り、同じ実験をするとホントに南半球では、反時計回りに渦が出来るのだ。
何か仕掛けがあるに違いないと思い、それを口にすると、何回でも試してくれるが、結果はいつも同じである。
それを商売にしている相手は、決してボロを出さずに、毎回20ドルをとられるのだ。
ニアフルルの滝は赤道点で止まらず、滝の近くのロッジで食事をしたりするが、滝を撮っていると、目の前のカメレオンが出てくる。 これも現地人の商売なのだ。

サンブルーでは、サンブルー族のママたちがコーラスを聞かせたり、踊りを見せてくれるが、これもチップをはずまなければならない。それでも彼らは現金収入が欲しいので、あの手この手で迫ってきて、結局根負けしてチップを支払う事になる。

必ず寄るマサイマラでは、ティムの始めたバルーンに大抵乗る羽目になり、空からのサファリは捨てがたい感動があったりする。


ケニア山 のコピー

赤道のすぐ北側には、アフリカ第2の高峰『ケニア山』が5199メートルの高さで聳え、氷河も見えるが、年々温暖化の影響で、雪は減っている。 アフリカでもその山容がアルプス的であり、今も多くの登山家が頂上を目指すが、キリマンジャロよりは本格的なテクニックを要求される山でもある。

サファリロッジで見る小さな野生 のコピー

サンブルーには美しい固有の動物が棲み、キリンは網目キリンだしシマウマも縞が美しいグレービーだったりするし、最小の羚羊のディクディクや立ってアカシアの葉を食べるゲルヌックや角の長いアンテロップのオリックス等が見られ、豹に出会うチャンスも豊富だったりする。
乾燥した地域なのに、中央を流れる、ウアッソニーロの豊かな水がもたらす緑の森で、救われた気分に浸れる。

オリックス授乳 のコピー 2

オリックス母子の授乳風景(同じ位の子をライオンが守り、3週間を過ごした)
ここは10年ほど前、メスライオンがオリックスの子供を育てたとされる場所でもあり、BBCがその様をニュースで流したせいで、多くの旅行客を惹きつけ、一躍有名になったが、真相は、次の通りで、あるメスライオンがオリックスの赤ちゃんを見つけて、それを身を持って守ったのだが、授乳は出来ず、そのオリックスは近くに居た母オリックスから乳を貰い、身を守るライオンと過ごしたが、ライオンも狩りをせずに一緒に3週間程育てたが、空腹で耐えられず、獲物を獲りに行くと、その間に他のライオンにその子オリックスは食べられてしまい、話だけが独り歩きして、BBCは美談ドキュメントとして放送し、サンブルーには、『ライオンがオリックスを育てた場所』としての看板が掲げられ、今でもそれは残っている。

アフリカライオンの地域での違い のコピー

サンブルーのライオンも他の地域に比べ、サイズが小さく、色もダークだったりするが、一番の驚きは南のツァボの雄ライオンだろう。 写真をクリックして最大化して見ると理解が出来るが、オスライオンにタテガミがほとんどなく、色も黒いし、成獣なのに体に幼少期のみ見られる豹紋が残り不思議としか言えない。
虎もライオンもチータさえも学名にパントラが付くので、ヒョウのパンサーから来ている様で、先祖は豹だったのかも知れない。
ライオン・チータ追う1 のコピー

これも珍しい光景であり、チータもライオンも容易に観察が可能な動物だが、この様に同じ写真に写る事はレアであり、この時は、チータがライオンの縄張りでシマウマを倒し、それを食べていたのをオスライオンが見つけてチータは一目散で逃げ出したが、その時の一枚だった。

IMG_4103 チータベービー

生後1か月弱のチータの赤ちゃんだが、身体の産毛が抜けず、まことに愛くるしい姿である・
GP0G1908 トピ のコピー
中型のアンティロップ トピの姿だが、ハーテビーストに似ているが下の写真と見比べれば違いが歴然である。

GP0G2035 ハーテビースト のコピー

このハーテビーストは別名 コンゴニ と呼ばれ、一時見かけなくなったが、最近数を増やした様に見える。(昔日本語名を馬鹿面と呼んでいた時代がある)ハーテに対し、ヌーはワイルドビースト(野獣)と呼ばれている。

GP0G2040 イランド のコピー

イランドは、最大のアンテロップで、捻じれ角が特徴であり、オスの大きい個体は1トン近くまで成長する。

GP0G2301 カバ のコピー

カバは一日中水中にいて、時としてこの様に岸辺に上がり、体温の調整をして、夜にはサバンナに出て草を食む習性がある。見た目より獰猛で、日本のテレビクルーが水中撮影をしている時に足を食いちぎられたこともあり、草食だからと油断は大敵だ。
30数年前タンザニアで標識を付けた個体がその場所から10年前から3500キロを移動した記録も残っている。

GP0G2198 イランドと比較 のコピー

一番奥に見える7頭がイランドでその手前にグラントシマウマ7頭がいて手前の4頭はウオーターバックのメスだ。彼等は特殊な汗腺を持ち、そこから悪臭を放ち、ライオンすらも避けて通るらしく、言われて見れば、ライオンやチータがウォーターバックを倒したのを見た事がない。

大耳キツネペア のコピー
これは大耳キツネであり、バットイヤードフォックスと呼ばれている。右がメスで左がオスだ。
IMG_3834 ガゼルの違い のコピー
2種類のガゼル『トムソン』と『グラント』だが、この様に大きさだけでは判断しかねる事があり、また、脇の黒い縞がトムソンガゼルの特徴ではあっても、グラントにも縞があり、一番の違いはお尻の白さにある。奥のガゼルは尻尾とその周りが真っ白でグラントで、手前のお尻は尾の付け根が違い、トムソンと判断が出来るのだ。因みにトムソンの名前は19世紀の英人探検家ジョセフ・トムソンからつけられ、ニアフルル滝もトムソンフォールとよばtれていたが、独立の象徴(アフリカナイゼーション)として、地名は現地名がつけられた。
GP0G2390 バブーン感じる? のコピー
人間に最も近い行動をすると言われるバブーンだが、実にこれは人間との共通項が分かる写真だ。 『頑張れば大きくなるよ』とメスが言い『オレ恥ずかしい』とオスが言ってるようだ。

アフリカの巨人・佐藤芳之さんの話

震災のニュースが毎日伝わる中、4月終わりころか、アフリカの友人佐藤芳之さんから電話を貰い、話が盛り上がった。その後原発事故に話が及び、彼の実家が南三陸町であり、津波に流された話も聞いた。
親族も何人かを亡くし、当然ながら気が重いに違いないと考え、放射能被害の話になった時、ついつい癖でジョークが飛び出してしまった。 
何しろ数年前心筋梗塞で救急車で病院に運ばれて、担当の女医さんが、手を握り『大丈夫ですか?』と気遣い 『心電図! 心電図!』と周りに指示している時、覆いかぶさるように元気づけて下さったその女医さんを見上げながら、『センセイ 生きてるのにシンデンズですか?』と、真顔で冗談を言った私だから、放射能の話が出れば 『佐藤さん、互いにもう年ですから放射能は心配ありませんよ、二人とも、もう放射せん だし、つまり放射NOってわけでしょ?』 とやったら、人の好い彼は大笑いしてくれました。

佐藤さんはアフリカ在住47年に及ぶ豪傑で、単にアフリカに長いだけでなく、ケニアで世界的なビジネスを展開させた成功者なのだ。
私もアフリカに行くと、よく彼の豪邸に呼ばれて奥様の心のこもったお料理のもてなしを受けたりしました。
かっては多くの友人がアフリカに住み、それぞれ皆さんユニークな方々ばかり、サバンナクラブを一緒に立ち上げた小倉寛太郎さんはもう故人になられたが、RCCⅡの同人として50年前からの知り合いで、1965年ユーラシア往復自動車旅行の際、カラチで偶然再会し、その後半年後にカラチに戻った時印パ戦争となり、彼の家に1か月程寄宿して、その数年後、香港からインド行飛行機の隣の席に彼が偶然座り、虎を撮っている話をしたらアフリカに誘われ、サバンナクラブの創立会員となった。
彼は山崎豊子さんの小説『沈まぬ太陽』の主人公であり、JALの社員で、その労働裁判も傍聴したが、その時の原告側証人が私と親しい一ツ橋大学経済研究所所長を務めていた富沢賢治先生だった。
他にも、ウガンダでアパレルを国家的産業として成功させた柏田さんや、アフリカで最初の日本料理店『赤坂』を開いた平井さん、シネセルから北斗映画に移った梶浦甚三郎さんなど全て偶然の出会いで、他にも獣医で活躍中の神部君や、ハンターとして名を馳せた田島君など皆ユニークだったが、この佐藤さんは、ずば抜けた人物である。


キリマンジャロ


上の写真はキリマンジャロのケニア側だが、ケニアでナッツの栽培に成功した佐藤さんは、かってこの山の裏側のタンザニアに四国と同じ位の面積の農場を買ったそうだ。
そこで、マカデミアナッツの栽培を試みて苗を植えたが、動物保護区に隣接しており、象の大群がやって来てすべての苗をダメにしてしまい、この地の先住民である象に敬意を表し、この開発を諦めたという、正に象の王者に匹敵する豪傑であり、彼の企業は人口4000万のケニアで、従業員数こそ4000人だが契約農家で10万人の雇用を生み出している一大企業としてケニアで知らぬ人がいない人物となったのだ。

ケニアの田園風景 アカシア

上は7000キロにわたりアフリカを縦断するグレートリフトバレー、つまりアフリカ大地溝帯の底にあるサバンナを切り開いた小麦畑であり、佐藤さんはこの辺りに多くの農場を持ち、また契約農家を増やし、その人々から信頼を得た開拓者であり、成功者なのだ。 彼の経営哲学は私の知る限りでは、採算や営利だけを追い求めていないのみならず、儲けの代わりに現地の人を喜ばせる事に生き甲斐を見出していて、私がかって経営していた飲食店事業の経営理念と相通じるものがあったのだ。
そんなせいか、長いこと彼が東京に来たときとか、私がアフリカに行く際には極力会うようにしていた。
アフリカの大地に根ざし、大自然を慈しみ、事業を単なる金儲けにせず現地の人の幸福を願う、日本の企業人や経済界などは彼の哲学に学ぶべきと考えたし、やはり、彼の中に流れる東北人の精神を見る事が出来る。

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ルワンダ・キガリ郊外の学校にトイレの消臭殺菌剤の売り込みに行った佐藤芳之さん、笑顔からビジネス成功が見えてくる。

実は昨日、久しぶりに電話を頂き、彼のテレビ番組の再放送が昨夜あることを控えめに知らせてくれたのだった。 番組はテレビ東京の『カンブリア宮殿』という村上龍と小池栄子の司会でのインタビュー番組であり、佐藤さんのこれまでの生き様やポリシー等が伝わってくるもので、知ってはいたが、ここまでやって来たのかとの感動が伝わった1時間だった。
殊に感動したのはアフリカを知り抜いた彼ならではの新規ビジネスへの参入だった。 日本人でもそうだが世界でも多くの人達が事業に参入と言えば先ず採算性と言うより、どれほどの利益があるかを考えて、それを至上主義にする。
我々は同じころに生まれ、同じころに戦後の貧しさを経験して育ち、成長すると同時に経済至上の正しく世界から恐れられた『エコノミックアニマル』に変貌し 『カミカゼ』から、企業戦士が生まれ、わが同世代の友人たちも『ジャパンアズNO1』等と世界から持ち上げられ、バブルを生み出し、それが弾けて、長いデフレスパイラルから競争社会は熾烈になり、現在、派遣と正社員、に代表される社会的格差を産み、格差を作り出した企業人からその格差の底辺にいる人たちや中小・零細企業を置き去りにする姿勢が日本を駄目にしたことの反省がなく、競争原理のみがより良い社会を作ると信じている馬鹿者どもが社会を動かしていては良い社会は生まれるわけが無い。
この事から私は昨夜の佐藤さんの番組を見て、共感を持ったし、日本の経済界の指導者たちが彼の爪の垢でも煎じて飲めばよいとまで考えたのだ。
介護や環境はこれからの大きなビジネスチャンス等と、単に拝金主義で言ってのける経営者がいるのは、泥棒が一番の儲かる仕事と言うのと同じことだ。
アフリカで成功を収めた佐藤さんの挑戦は今もなお続いていて、彼が目指すのはある意味では環境ビジネスでもあり、子供の死亡率が最も高い地域での医療ビジネスでもあるのだ。
しかし、佐藤さんは、我々は医者ではないから病気を治す事は出来ないが、病気にさせない事のビジネスを広げる事により、地域の安全な環境を守り、また、その国の経済活性化に貢献できると考えて、特種な枯れた植物から培養した枯葉菌の抽出と加工で雇用を生み、その産物はトイレの消臭剤で殺菌剤の効果を持つ液体で、化学薬剤を使用せず環境に優しく、正によくぞ考えたというべきプロジェクトなのだ。
枯葉(コヨウ)が雇用(コヨウ)を産むとは偶然にしては出来過ぎで、これも佐藤さんらしい。
彼は成功させたケニアナッツの株式を安値で売り、15~6年前に恐怖の虐殺で恐れられた『ホテルルワンダ』の舞台であるキガリにこの事業を展開させた。 ツチとフツ族の対立で多くの国民を失ったルワンダでの問題点は、トイレの環境問題で、大半の家庭のトイレは穴を掘って吸い込み式であり、そこにはハエが湧き、赤痢やコレラ等を媒介する。
これらのハエが媒介する病気による子供の死亡率は先進国に比べ極端に高く、水洗には出来ない為、佐藤さんが開発した枯葉菌の栽培・加工・販売を行う事で、ハエを撲滅し、病気を予防、雇用の促進という画期的なアイディアで、今その効果が実証されルワンダでの期待をされた事業になりつつあり、これが佐藤芳之と言う人の真骨頂なのである。

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先月津波の40日後故郷の南三陸町を訪れた佐藤さん。瓦礫と化したのは彼の生家である。(テレビ番組より)

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大地溝帯に立つ筆者(右)、ナクル湖のオブザベーションヒルにて

象チョベボートから


佐藤さんを動物に例えれば、まさしくアフリカの王者、象である。

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ケニアナッツで製造中のナッツやコーヒー・ワイン等はナイロビのスーパーや空港の免税店などの売れ筋商品であり、飛ぶように売れている。 ケニアナッツを知らない人でも アウト オブ アフリカの名は知っている。

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佐藤さんを支えた素敵な奥様 武子さん

ナイロビの自宅は佐藤さん夫妻の自慢のお家で、広い庭にはプールや森があり、毎日庭でジョギングを楽しむ佐藤さんだが、自慢の最大の理由はハーバードで建築を学んだお嬢さんが設計し、建築の監督もしたものでアメリカや日本にも別宅を構えている。

佐藤さんはアフリカに来たのは東京外語大を卒業後、ガーナの大学に留学をした時で、当時アフリカの父と言われたエンクルマがいたからだそうで、ケニアにはケニアッタがいて、アフリカの独立が始まった直後であり、多くの苦難を乗り越えただろうが、その様な愚痴を一度も佐藤さんから聞いた事がなく、やはりこの奥さんがいてこそ、佐藤さんの今があると思われる。
奥さんは佐藤さんを能天気だと言うが、奥様はもっと天然な能天気であり、それが魅力でお料理も上手だし、奥様の世界はどうもナイロビの素敵な広い、お屋敷内にあるらしく、毎日赤道直下の庭には大きな花が咲き乱れ、それを一年中たくさんあるお部屋に飾るだけで毎日が過ぎていきそうで、現代日本人から見れば 『不思議の国のアリス』 なのかも知れず、それが佐藤さんを大きな人間に育てたのかも知れない。

シマウマとヌーの共存・共生(アフリカ5) サバンナ秘話


ワニとヌートリ のコピー


ヌー危機一髪 目の前に恐ろしいワニが・・・


GP0G2778 ワニがヌー襲うのコピー


直後に襲われ、ワニの餌食となる


IMG_4404渡りを促すシマウマ


ヌーとシマウマの共存関係

ヌーはマイグレーション(大移動)の際、河渡りという大きな危険を伴うが、時として、渡りを躊躇するヌーをシマウマが誘導して渡る場面を何度も目撃している。
ヌーは一頭が渡れば後は群集心理で、一気に河を渡ることが多く、上の写真をクリックして最大化すると理解できるが、シマウマが集団で、ヌーの渡りを促しているのがわかる。


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促されて一頭が渡ると後が続くさまが理解できるが、ヌーは小心であり、半狂乱で川を渡る。


GP0G2728

ここでもシマウマがヌーをアシストして川を渡っている

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シマウマは大胆だし、勇気もあり、力もある。強いシマウマがヌーをアシストして危険な河渡りをするには、それなりの理由があるのだろう。


4914シマウマワニに襲われる


そんなシマウマがワニに襲わ、水中に引き込まれ、水中に没したが、泡の先がシマウマの頭で、後ろの大きな泡はワニの尻尾である。 足を噛まれて、水中に引き込まれた場面だ。


IMG_4490シマウマ襲われる2


死闘の末、シマウマが大暴れして、ワニを振り払っていて必死の様である。



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ワニを蹴飛ばし、ようやく振り払って岸にたどり着き、この後振り向きざま、首を大きく振り、歯を剥いていなないたあの勇姿は忘れられない。(写真は残念、シャッターが切れなかった)


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シマウマは強く、時にはレアだが、ライオンですら、逆に殺すこともあるのだ。


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マラ河のこの地点の上流には、3か所程のヌーの渡渉ポイントがあるが、5キロほど下流の湾曲したこの場所に多くのヌーの死骸が打ち寄せられ、大半が渡りの最中に、溺れたもので、ここにシマウマの死骸が流れ着くことは滅多になく、ワニに食われなかったものは、ここに打ち寄せられ、ハゲワシ・マラブー・オオミズトカゲ等の餌食とされ、サバンナで動物の死は無駄にされない。


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気球から見たヌーのマイグレーション

35年前には一望300万頭と言われたヌー達の大移動は、タンザニアのセレンゲティ大草原からケニアのマサイマラの間を、大昔から、1年掛かりで2つの草原に草を求め、3000キロ移動すると言われ、その道のりは、雨期の関連や、草の状態で、毎年多少のずれはあっても、同じで何度かマラ河を渡り、移動中に同時に子を設けて、ライオンや他の捕食獣の攻撃に対しては数で対抗すると考えられていて、シマウマとは密接な関係にあるようだ。
現在は、その数を激減させ、この地区のヌー(尾黒白ひげヌー)は100~150万頭と考えられている。


IMG_3555シマウマとヌーの関係


シマウマとヌーの共生は、基本的にはその食性の違いにあるらしく、ヌーが大きな群れで通過したサバンナは見る見る間に芝を刈られた様に変わって行き、写真の様に、その後を続くシマウマが下の部分か、そこにある草を食べるらしい。


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このシマウマはボツアナ・オカバンゴ湿地帯のグラントシマウマだが、水を飲んでいるのではなく、短い草の根本を食べている。シマウマが好物にしているヌーが食べた根本の辺りで、ここは季節的な湿地だが、水中の物は柔らかで、食べやすいのだろうと考えられる。

因みにこのシマウマは臀部に大きな傷を負っているが、直前に付近で、ライオンに襲われて、逆にライオンに噛みつき、相手の同じ場所に傷を負わせ、逃げ伸びた強者で、その場面を目撃して、下にその手負いのライオンの写真を紹介する。

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シマウマを襲い、臀部を噛まれたメスライオン


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移動しながら草を食むヌーたち 背後にシマウマが混じる。



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シマウマたちもヌーに合わせ出産をして、互いに子育てを行う事が多く、それも共生の理由かも知れない。

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サバンナに沈む太陽 闇は被捕食獣たちに安らぎを与えてくれない、何故なら捕食獣の大半は夜行性であり、夜は最も危険な時だからだ。

アフリカの大自然 4 愛らしい草食獣他

ここでは主に、東アフリカなどで見られるポピュラーなアンテロップスを中心に小型の動物や美しい動物を紹介します。 サファリに行く人も、行かない人も、テレビなどに見かけるものも多いですから是非その特徴を知ってください。動物通になる事間違いなしです!

ディクディク 3頭


アフリカ最小のアンテロップ ディクディク 体長は30~40センチ これは親子連れだが、生涯一夫一妻の愛らしい動物で、相手が死んだらその後は交尾しないと言われている。

ゲルヌクスタンド

ゲルヌック 別名キリンガゼルとも言われ、食性がキリンの様にアカーシャ等の葉を食べるのでこう呼ばれる。 二本足で立つ姿はケニア北部のサンブルーの名物動物だ。

オリックス授乳

これはオリックスの母子で、授乳中だが、90年代ここサンブルーで親とはぐれたオリックスの子がメスのライオンに一緒にいるところを目撃され、BBCがドキュメントで放送して、一躍世界に知れ渡り、オリックスを育てたライオンがいたとして記念碑がたてられている。
ライオンは乳を与えたわけでなく、赤ちゃんオリックスは母親から乳を貰っていたらしく、その後19日間一緒に過ごし、母親とメスライオンの間を行ったり来たりしていたがメスライオンが狩りをしている間にその子供は他のライオンに食い殺されてしまったという。
現代版イソップ(ウソップ)物語の様だが、日本でも放送されていて実話である。

ケリースプリング

ケニア南部のキリマンジャロ山の溶岩流が流れた跡に棲むケリースプリンガーという愛らしい羚羊で、スプリンガーとは、飛び跳ねるものの意味で、他にもクリップスプリンガー等の亜種がいて、やはり岩地に棲む特徴があるようだ。

インパラオス

これはインパラで中型のアンテロップで角があるのがオスである。時として流線型の見事なジャンプを見せてくれる。 強いオスが多くのメスを引き連れ(時に50頭)ハーレムを作る事で知られている。

インパラ抱擁

これはインパラのメスで母子の情愛シーンだ。

ウォーターバックメス

大型のアンテロップ ウォーターバック だが、ライオンなどの捕食獣も決して襲わない草食獣として有名だ。理由はその肉の臭さにあるという。 そういえば、この動物がライオンなどに襲われたのを見た事もなく、動物が身を守る方法は多様性に富んでいる。

グランドガゼルのお尻

小型アンテロップスの中でも有名なグランドガゼルだが、このガゼルのトムソンとの違いはお腹の黒い縞の有無と体の大きさ以外にお尻の白さにあるらしい。
時として、グランドガゼルにも黒い縞があったり、トムソンガゼルと見分けが付かない場合には、この尻尾の周りの白さで、見分けることが出来る。

グランドガゼル

角も小さく一見トムソンガゼルの様だが尾の付け根が真っ白であり、これはグランガゼルだ。
ガゼル狙うライオン

このガゼルはライオンに狙われているが、尻尾の特徴でトムソンガゼルであることがわかるが、複数のライオンに追われて命がけのレースを強いられている。
(写真をクリックしてください)

ガゼル・ トムソン走る

ここではトムソンとグランドが混じっているが、尾の付け根で判断する以外に見分けが付かない。 マサイマラなどでは数多く見る小型のアンテロップだ。
尾ひれが付いた面白い(尾も白い?)話ですよね?

クラハシコウ

数多いコウノトリの仲間でクラハシコウが名前で派手な顔つきだ。

冠鶴が行く

アフリカでもっとも美しい鳥、カンムリツル(クラウンドクレーン)

冠鶴

昭和20年代中ごろ、子供の頃に見た初めての天然色映画 火の鳥 を思わされる美しさで、いつもつがいでいることが多く、仲の良さはオシドリ並みである。

大耳キツネペア

大耳キツネは バットイヤードフォックス(コウモリ耳キツネ)と呼ばれ、夜行性であり、オス(左)とメスが一緒に見られるのはレアなケースだ。

ジャッカルの日

セグロジャッカルがトムソンガゼルの首を咥えているが自分で狩りをしたものだ。

バブーン親子2

バブーンは日本語ではヒヒとか猩々等と呼ばれ、岩見重太郎のヒヒ退治等の昔話があるが日本にいた筈がなく、ヒヒおやじなどあまりよく言われてないが、サルの仲間でも人間に近い団体生活をする動物として有名で、数種の亜種がいる。

白黒コロバスナクル

ケニアのアバディア山地などに棲む白黒コロバスモンキーで、毛皮の美しさ故に多くが密猟の犠牲になり、数を減らしている。 これはナクル湖で撮影した。

アフリカの大自然 3 大きな草食獣達


アフリカシリーズ第3弾 主に大きな草食動物を紹介します。10月にアップしたアフリカの大自然1・2 にはネコ科の捕食獣や、ヌーの渡りなどを紹介しましたので、併せてご覧ください。

象チョベボートから




アフリカゾウは陸上動物最大 体重は最高6トン



象泳ぎチョベ1


ボツアナ チョベの象は泳ぎが得意 乾季には数千頭を超える象がチョベ河にやってくる(画像をクリックして大きくしてください)


サイ白


サイも大きな草食獣だが、この白サイはおとなしい性格だ


サイ黒


一方、黒サイは激減したがこれはアフリカでも有名な危険動物 



バッファロー


凶暴な性格はこのアフリカンバッファローも負けてはいない、お腹にペニスが見えるのでオスだ




キリン母子


キリンは世界一の身長を誇り、5メートルほどで、9亜種がアフリカにいるが、これはマサイジラフだ


キリンとシマウマ


キリンは長い首で、主にトゲのあるアカーシャの高い枝の葉を好んで食す



シマウマLOVELOVE


シマウマの母子だろうか? 一瞬こんなポーズを見せてくれた(コモンゼブラ)


カバ・ムジマ


世界で一番美しい泉の水に棲むカバ 

ケニア・サボウエストのムジマスプリングにて撮影、この泉で70年代日本のテレビクルーが水中撮影中カバに足を食いちぎられた事がある




イランド



この動物はアフリカ最大のアンテロップ(羚羊類) イランド 体重は1トン程だ






ヌーファイト



おなじみの羚羊ヌーだがワイルドビーストが英名で、日本名ウシカモシカである




トピ



これはトピだが、顔はハーテビーストに良く似ている



ハーテビースト



昔に比べて数が減った羚羊で、ハーテビースト 日本名は バカ面 なんて可哀そうですよね!


クドゥオス



クドー は 捻じれ角の代表的な羚羊だが、南部アフリカに多い 撮影地はボツアナ







駝鳥オスメス



これはダチョウのオスとメス 左の黒い方がオスだが、走るスピードはアフリカの動物でも早い

アフリカの大自然 2

バルーンでサバンナを行く


















アフリカの夜明け バルーンからサバンナを見る


バルーンのティム


















バルーンパイロットはティム 彼とのラストフライト

ティムは30年以上マラで気球を飛ばせていたアフリカのバルーンの先駆者だったが先年心筋梗塞で倒れ、亡くなった。 
同じころ私も日本で同じ病気で入院し、手当が良かったため、助かった。
これが、ティムとの最後のフライトになってしまい、心からの弔意を表したい。

バルーンでライオン の上を飛ぶ2


















ハネムーンのライオンカップルもびっくり

いたずら好きなティムは、サバンナで交尾中のカップルを見つけると急降下して、ライオンの頭すれすれに飛んだ。




バルーンサファリ3



















バルーンから見た ヌーのマイグレーション


ヌーファイトアンボ2



















珍しいヌーの角突き

ヌーのオスが時々見せる角突きは、メスをめぐる力比べであり、互いに傷つけることはない。


ヌー渡り正面から3


















マラ河のヌーの川渡り 

異常気象でマラ河の水位が下がり、年毎に迫力が失せていく。

ヌー渡り正面から4




























ヌー(ワイルドビースト)の跳躍

ヌー渡り13ワニ襲う



















渡る度、弱いヌーはワニの襲撃や溺死で淘汰されていく


ヌー駆け上がる2



















対岸から登って来たヌーは、必死の形相で迫力がある


ヌー渡り6



















背後からヌーの渡りを見る。

大群が渡るさまは、その光景や、鳴き声というか、狂乱の唸り声が混じり、迫力だが、岸辺に集結したヌーが渡るまでは辛抱が必要だ。
一日がかりで待って1万以上の群れが渡った時は、感激だが、その気まぐれさは経験者のみ知るさまで、誰がリーダーで渡りを始めるのか、何度も引き返しては、その度、群れは先頭について動くので、引き返せば崖をUターンして又、駆け上る繰り返しだが、一頭が渡れば、全てがそれに続いていく。

何かの利害が一致するらしく、シマウマは事も無げに渡りを始めるが、ヌーが渡らない時は、対岸から、ヌーに渡りを促し、時には流れをエスコートすることもある。(ヌーが食べた後の草を食べるらしい)長い年月観察を続けると、いろいろなシーンを見ることがあるのだ。

ワニとシマウマ のコピー
















シマウマが渡りの前にワニを脅した

後にはシマウマの群れ(100頭ほど)がスタンバイする中、リーダーと見られるシマウマが岸辺で待機するナイルワニに近づき、脚で地面を叩き、歯を剥いていななき、ワニをけん制した。
シマウマは見かけによらず、好戦的で、水中で襲われても、蹴散らす力は持っているのだ。


シマウマ転落 2



























シマウマ転落の瞬間

あれほど勇敢で、数頭のワニに水中に引き込まれても、それを蹴散らして岸辺に上がり、歯を剥いて勝ち誇る強いシマウマが、偶然だが崖から転落する様を目撃し、無論無事に岸に登ったが、なにか、弘法も筆のあやまりの様な出来事を見て、ほっとする気分になったものだった。

ボツアナでは、シマウマがライオンのお尻に噛みつき、大きな傷を負わせる場面も観察したことがある。

シマウマグレービーファイト

















赤道北に棲息するグレービーシマウマ

シマウマもいろいろな種類がいて、これは毛皮が美しいグレービーで、サンブルーのバッファロースプリングに棲む群れは有名だが、種類が違っても、彼らは、オス同士よくこの様に争う姿を目撃する。

今回はここまでですが、次回はアフリカの別な珍しい動物や、象、サイ、アンテロップス等を紹介したいと考えています。

アフリカの大自然 1

キリマンジャロ
温暖化で頂の雪が消えつつあるキリマンジャロ(ケニア・アンボセリ)
40年ほど前には中腹の雲の上まで雪があったが、冬の終わりでもほとんどの雪が消えていき、天国のヘミングウエイは、今頃 『ア・ア・アノ~ヨ~』 と、嘆いて居るかも知れない。 天国だけにね!

ビクトリアフォールズ
























ビクトリアフォールズ(ジンバブエ・ザンビア)
この滝は現地語では『煙たなびく轟音』と呼ばれ、西洋人として初めてここを探検したリビングストンははるか20キロも離れたサバンナから、この滝の水煙と轟音を聞いたという。
ザンベジの大河が、突然大地の裂け目の直角に吸い込まれていくさまは圧巻で、この写真は西岸のデビルアイズ(悪魔の瞳)と呼ばれる部分の横から、正面が下流で、そこに水流があり、ここから大地の割れ目に2キロの幅の滝が始まる地点からの物です。
右側の崖上が滝の正面にあたり、2キロの遊歩道があるが、狭い割れ目に滝が吸い込まれるので、びしょ濡れになることもある。

シマウマ夕日2
















アフリカの大地に沈む太陽(サバンナの落日)
大好きなマサイマラの夕日だ。 きれいな夕日が見られそうな時はまだ、日の高い時から、草原を移動しつつ動物の群れの動きを観察しながら、ホライゾンに差しかかるタイミングを見ながら撮影場所を選び、タイミングを計る。
ゆったりした気分で撮影が出来る、至福の時間でもある。

ライオン3頭が行く再 
















3頭のライオンが行く
この写真はタイミングが絶妙だった。 恐らく、同じ写真は2度と撮れないと考えている。
プライドの6頭のメスが狩りに行く際、横からジープで追い続け数十枚切ったシーンの1枚であり、連続シャッターで10枚程のうち、コンマ数秒前後の写真はすべてダメであり、この1枚が最高の場面となった。
動画では決して撮れないシーンだった。 
(もしサムネールが見苦しいときは画面をクリックすると写真がクリアーになります、他の写真も同様です)

ライオンとヌーの大群

獲物を求めてプライドが移動中で3頭が行く様はこの時撮ったもの
(この写真をクリックして画面サイズを100%にしていただくと迫力が増します)
ライオネス(メスライオン)達の狙いは、彼方の大きなヌーの群れで、この時の狩りはチームワークの勝利、ライオンは各自がポジションを守り、追い立てるもの、待ち伏せるもの、などの協力で狩りを成功させるのだ。 
そこで、プライドと呼ばれる群れが必要になり、効率よい生き方を選ぶのである。 プライドもボツアナ等の乾燥地帯に棲むライオンは獲物の草食獣が少ないことから、象を襲う習慣があり、それだけプライドの規模も大きくなり、30頭程の集団もいる。

ライオン一家が行く















ライオン一家がサバンナを行く
ライオンは通常プライドと呼ばれるメス中心の集団に、キングと呼ばれるオスが1頭、時として2頭以上のオスが用心棒としてプライドに加わるが、子供のオス(レオ)は成長すればプライドを離れる。
これは、近親婚を避ける意味で群れを出ると考えられるが、やhり、本能がなせる業なのか?
この親子は、この日メスが初めて、離れた草むらで産んだ子供を、父親のキングに紹介した日で、キングと言えど、ライオンは母系社会であり、ドミナントはメスであると考えられている。

ライオンファイト再
















キングに挑む若い挑戦者
これは運の良いシーンで2頭の若い雄ライオンが、キングを待ち伏せして、2対1の争いになった時のものであり
一部始終を撮影できた。 鬣(タテガミ)を見れば一目瞭然だが、この後、キングは2頭を蹴散らし、瞬時に戦いは終わったが、最後に2頭の挑戦者がとった行動は、キングの前にひれ伏し、頭を地面につけて、恭順の姿勢をとり、謝罪をしたが、キングはそれ以上は何もせず、ひと声、大きな唸り声を発して、メスの待つサバンナの彼方へと消えて行った。

ライオンファイト6
















2頭の若い挑戦者をものともせず王者の戦いは終始落ち着いていた。

ライオンファイト2歳
















戦い終わって、負けた若い挑戦者2頭はキングにひれ伏した。
一部始終を目撃、撮影に成功したが、夢の出来事の様だった。 この若い雄たちは、また、サバンナのバチュラー軍団に戻るのだろうか?
(バチュラー軍団とは、若い雄や戦いに敗れた雄が作る、オスの軍団だその中でも熾烈な争いがあり、切磋琢磨しつつ、プライドのキングを目指す)

チータ3頭岩の上

















チータ オン ザ ロック
チータは、子供を3頭ほど産むが、成獣になるまでは、母親と過ごし、狩りの勉強をする。
この時期は、ちょうど動物が移動して来て、出産シーズン、成獣寸前の子供たちに狩りを覚えさせるよい時期であり、そのタイミングを見ながらチータも子を産むと信じられていて、真ん中に母親で、両端がオスの子供である。

チータ狩4

















チータの狩り
若いチータが、草食獣の出産期で、狩りの訓練にはうってつけであり、正に弱肉強食であり、弱い草食獣は同時に出産して、数で生き残りを増やす、正に天の配剤と呼ぶべきか?

チータ走る4















しなやかなチータの走り
チータは最速のスプリンターで、1キロ程の短距離は時速100キロで走ると言われる。
ガゼルやインパラなどの小型動物が主な獲物だが、時に、シマウマやヌーなどの大型獣も狩りをする。

ヒョウ5
















樹上の忍者 ヒョウ
ネコ科の動物では、ヒョウは木登りが得意で、素早く狩りをして、素早く木の上に獲物を運ぶ。
隠密行動で狩りの成功率が高いことから、ライオンが目の敵にする動物であり、時として樹上のヒョウをプライドの雄ライオンが見張り、木から降りられない様に数日張り付くこともある。
3日間同じ木の上下で双方がにらみ合っているのを見た事がある。 これは、オスは狩りに加わらないことから、その間に、メスが獲物をチームで狙う習性で、邪魔なヒョウを動けなくする為なのだろう。

ヒョウ親子トリ のコピー














サンブルーのヒョウ親子(ピンが甘く画面をクリックしてください)
サンブルーは樹林が多いことから、多くのヒョウが棲息していることで有名だ。
昼は樹上で休み、暗くなるころから獲物を探すノクターナル(夜行性)の典型で、自分とも共通項だ。
子連れの母親だったようで、ぶれているが、子連れは珍しく、ここに紹介した。
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