最近の自身の行動記録であるブログを見直し、訪問者数も、マニヤックな内容にも関わらず。どうにか20000人の人に見て頂き、感謝あるのみです。いろいろな方から激励を頂きながら、最近のものは、マンネリ化して、書いている本人が嫌になる程の出来栄えです。
そこで、帰国中秘かに昔の記録を紐解き、ブログで紹介していない地域や写真を選び出し、マンネリから脱出すべく、南部アフリカの野生象を中心に、ボツアナやジンバブエ等の画像を紹介いたします。中には以前に使った写真も数枚あるかもしれませんが、そこはご容赦願いたいと思います。
ここはボツアナの東北部ジンバブエやザンビア、ナミビア等の国境近くのザンベジ河の大支流 チョベ河沿いにある『チョベ国立公園』です。季節により多くの象の群れが集結する場として有名です。
親子連れや家族単位の象が集まり、その数は多い時には数千頭が一望のもとに見られます。
象が河を渡る様は粛々として、幻想的な雰囲気があふれますが、ラベル右の象は危険極まりなく、危うい場面でもありましたが、流石に迫力です。エンジンを切った小さなモーターボートですから逃げるのに精一杯で、それでも、『エンジン オフ!』 と繰り返す自分が時に怖くなります。
背後や手前には数えきれない程の象の群れですが、数の多さを写真で表すのは困難で、殊に望遠に頼るとこの様なものは撮れず、絶対、広角が必要です。
ここでの撮影の大半はモーター付きの小舟に頼り、岸辺の動物を狙いますが、時には一体となって撮影することもあります。
ラベルの河渡りは、小舟で象を追いましたが、深い所で、象は泳いでいる事が分かりました。渡り付いた対岸はナミビアですが、毎日象たちは河を渡り、往復しており、その理由ははっきりして居らず、10日程観察する間に、対岸の草を食むこと以外に、その岸辺に穴を掘り、マッドバスにしていることが分りました。
上下の写真は身体に付いた虫等を退治する為と思われますが、対岸の泥濘にはなにか特別なミネラルや塩分などがあるのかも知れません。
黒光りした象たちは目を細めて気持ち良さそうな表情です。
ナミビアに沈む太陽を背景に象の群れが大河を渡る様は格別な眺めで、幻想的な気持ちになります。
この象たちは遙か、1000キロの道程に横たわるカラハリ砂漠を死に物狂いで超えて、毎年ある時期にチョベの河にやって来るものらしく、砂漠は乾燥して、水はなく、ここにたどり着いたなら、まるで天国に違いなく、しかし、草がなくなれば再び、死の砂漠を横切ると考えられます。
河には凶暴なワニやカバもいて、危険に満ちていますが、私が最初に行った際には、酔ったアメリカ人がここで泳げるか、で、ビールを賭けて、川に飛び込み、直後に数等のワニに襲われて、死亡して、大騒ぎだった事を覚えています。河に落ちたら、即、死を意味すると考えるべきです。
10数年前から、ここはライオンが象を襲う場として知られ、その為、ライオンはチームプレイで、群れの象を引き離し、その為に数を頼み、チームワークも必要で、必然として多数のライオンがプライド(集団)を形成し、キングと呼ばれるオスライオンもその様な群れには3頭とかいるのが普通だと言われています。
ラベルはボツアナの南部に草や水が乏しくなると1000キロと言われるカラハリの死の砂漠を横切り、チョベや西北部のオカバンゴデルタに草と水を求めて、数千頭単位の象がやって来ます。ラベル左上の中心の木陰に群れからはぐれた、母子象が見えますが、カラハリ砂漠を空から見ると、無数の象の獣道が見られます。
この時は象が倒れていて、死んだものと思いましたが、よく聞くと大イビキで、昼寝をしていて、象は立ったまま寝るとのさる専門家の意見は間違えである事が分かりました。
オカバンゴはナムビアの更に北側のアンゴラの山地で、雨期の1月頃に降り始めた雨が地に潜り、4か月後にボツアナのオカバンゴに流れてデルタを洪水状態にさせて、水のパラダイスを形成し、4月から8月頃までは、一大湿地帯と化すのです。この写真は9月から10月にかけての渇水が始まる頃のもので、それでも、多くの恵みをデルタにもたらします。
シマウマや羚羊類は湿地と化した池や草原で、水中の柔らかな草の根を美味しそうに食べています。
ボツアナには、他のアフリカ地域では珍しいアンテロップ類(羚羊)も多く、上はクドゥのオスメスです。
この地域に行く為には必ず寄るのがジンバブエのビクトリアフォールズとザンベジ河で、この周辺にも多くの象や動物がいます。ザンベジ河のディナークルーは、野生象を見ながら中型の船舶でビクトリア滝の上流の夕日と象の水浴びを売りにしたもので、多くのツーリストを魅惑しています。今日はここまでです。