Jリーグアウォーズが終了し、2018年の全ての日程が終わることとなった。そんな中、来シーズンに向けた移籍報道が後を絶たない。川崎フロンターレは、来シーズンからレアンドロ・ダミアン、馬渡和彰、山村和也がチームに加わることが早くも決まっている。
 だが、出会いがあると同時に別れもやってくるのがフットボールの世界だ。フロンターレは来シーズンに向けて4人の選手と、契約を結ばないことを発表した。これまでチームに貢献したくれた選手たちを送り出すために、この場を借りて選手たちの紹介と感謝の言葉を1人ずつに述べていきたいと思う。


DF 18エウシーニョ

在籍数4年

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【写真】gettyimages出典

今シーズンの記録 リーグ戦32試合2得点 カップ戦2試合 天皇杯3試合1得点 ACL3試合1得点
フロンターレ通算 151試合31得点

 神出鬼没のサイドバック。気がつけばゴール前に顔を出しゴールを奪う。現在、サガン鳥栖に所属している谷口博之が、ボランチでプレーしながらもゴール前で飛び込みゴールを奪う姿から言われるようになった、「そこにタニ」の後を継ぐ形で「そこにエウソン」という単語が生まれた。

 2015年に加入すると、開幕戦から右のWBで先発出場。すると、いきなり先制ゴールを決める大活躍を見せ一気にチームに馴染んでいくこととなる。加入した年はリーグ戦8ゴールを決め、大久保嘉人、レナトと並び、チームの内で3番目に多い数字であった。
 脚の長さを活かしたストライドで相手を置き去りにするドリブルとロングランニング。カットインから放たれる逆足でのシュートはFW顔負けの高い技術を持ち合わせており、Jリーグの中でもトップクラスの助っ人外国人として大暴れをした。
 そんなダイナミックなプレーで観客を魅了するエウソンだが、性格はとてもシャイ。エドゥアルド・ネットやエドゥアルド、ハイネルなどと言った常にテンションの高いブラジル人に比べると、かなり控えめでなおかつ真摯的なプレーヤーだったと感じる。

 昨年は脛に大怪我を多い、序盤は出場機会を失った。それでもエウソンの存在はとても大きく、伝説となった29節のホーム仙台戦では、反撃の口火を切る豪快な一発をネットに突き刺した。 
 今シーズンは、ゴールこそは少なかったものの優勝に大きく貢献。そんなフロンターレと共に成功を遂げたエウソンが次に選んだのは私たちとは別の道。代理人の関係なのか、本人に意向なのかは情報が錯綜しているため分からないが、ただ言えることはフロンターレの右サイドにはエウソンが居ないということだ。
 もちろん筆者は彼の選んだ道を尊重する。他のJクラブでプレーすることがほぼ確定らしいが、それでもエウソンはエウソンらしくのびのびプレーをして欲しい。

 4年間本当にありがとう。


DF 17武岡優斗

在籍数5年
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【写真】gettyimages出典 

今シーズンの記録 リーグ戦6試合 カップ戦0試合 天皇杯1試合 ACL2試合
フロンターレ通算 82試合1得点

 エウソンと同じく右サイドに君臨するフィジカルモンスター。1対1で絶対に負けない強さとスピードを兼ね備え、相手の攻撃の芽を摘む潰し屋として輝いてくれた。泥臭いが気持ちのこもった情熱的なプレーに心を奪われたサポーターも多いはずである。

 加入した2014年はチームにフィットすることなく1年を終えてしまう。その翌年、スリーバックにシステムを変更すると、右のCBへとコンバートされ開幕戦に先発出場を果たした。すると、対人の強さを存分に発揮。相手のカウンターを止めるなどチームの勝利に大きく貢献をしてくれた。紅白戦で常にレナトとしのぎを削り合い、そこで培った技術を活かしてくれたシーズンとなった。
 だが、ここから苦悩が続く。度重なる大きな怪我で戦線を離脱。手術も行ないピッチに立てない日々が続いた。昨年の時点で退団が噂されていたが、今シーズンは残留。大きな怪我も無く1年間プレーをしたが、出場機会が巡ってくることは少なかった。

 それでもチームには欠かせない存在だった。ピッチ外では「良き関西人のお兄さん」という感じで、後輩の面倒見の良さSNSを通じて感じることができた。年齢も32とまだまだやれる。

 フロンターレで唯一決めたゴールは、2015年のホーム清水戦。GKが弾いたボールを押し込む同点ゴールだったが、決めた後の力強いガッツポーズを筆者は片時も忘れたことは無い。筆者も彼のプレーで心を動かされた1人なのである。

 5年間ありがとう。怪我には気をつけて、頑張ってください。


MF 6田坂祐介

在籍数10年
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【写真】gettyimages出典

今シーズンの記録 リーグ戦3試合 カップ戦1試合 天皇杯1試合 ACL1試合
フロンターレ通算 226試合24得点

 憲剛に続く古株だった”タッピー”こと田坂祐介。2007年に青山学院大学からの特別指定選手としてプレー。翌年からトップチームでプレーをし、ホーム新潟戦で見事なミドルシュートを突き刺してプロ初ゴールをあげた。その後コンスタントに出場数を重ねると、2012年にドイツのボーフムへと移籍した。
 そして、3年後にフロンターレへと復帰。特別指定時代と同じ35番を背負い、磨かれたフィジカルとゴールへ向かう姿勢を前面に出してくれた。

 タッピーの魅力といえば、どのポジションでも務まることだ。中盤はもちろん、FWやサイドバックでもプレーをした。2016年には、CBに負傷者が続出し右のCBで出場。ついにGK以外の全てのポジションを網羅することとなる。しかし、彼の持ち味は攻撃的な部分であり、前でプレーすることでその輝きが増すのだ。メンバーの都合上サイドバックでの出場が多く、本来の力がなかなか出せない苦しいシーズンが続いてしまったと感じる。

 筆者がフロンターレを応援し始めたのが2006年のため、ほとんどのフロンターレ人生をタッピーと共に歩んできた。手中の収めていたタイトルを取り逃し、悔しい思いをした2009年。11年の8連敗を経験した数少ない選手であり、居なくなるショックが本当に大きい。だからこそ、最後にタッピーとタイトルを獲ることができて良かったと思う。

 彼の攻撃的な本質を活かしてくれるチームでプレーをすることを節に祈っている。再びあの豪快なシュートで観客を沸かして欲しい。

 長い間ありがとう。


MF 19森谷賢太郎

在籍数6年
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【写真】gettyimages出典

今シーズンの記録 リーグ戦3試合 カップ戦0試合 天皇杯2試合 ACL5試合
フロンターレ通算 159試合16得点

 2016年までチームを指揮した風間八宏監督の秘蔵っ子。筑波時代に教わった経験と豊富な運動量を活かし、横浜Fマリノスから加入した2013年には16試合に出場。翌年には27試合に出場し、右サイドハーフで先発の座を掴んだ。小林悠にポジションを奪われると、その後はボランチでプレー。少ないタッチ数でボールを繋ぎチームのリズムを作ったり、不規則に変化するミドルシュートでチームに勢いをもたらした。
 だが、鬼木監督になった昨年から出場機会が激減。大島僚太の怪我もありボランチで出場する機会があったが、それでもリーグ戦は18試合。そのうちの先発は7試合と半分以上が途中からの出場だった。武岡同様、昨年時点で退団が予想されたが残留。しかし、守田英正の台頭もありなかなか試合に絡めない日々が続いた。夏にボランチの怪我人が重なり、森谷に出場機会が回ってきたのだが、そのタイミングでまさかの負傷。その間に今シーズンから加入した下田が結果を残したため、ますますピッチから遠ざかる苦しい日々が続いた。

 だが、森谷がいてくれたことで大きく救われた部分もある。ピッチ内では上記に挙げたとおり、豪快なゴールでチームを盛り上げたり、Bチームから主なメンバーだったACLの蔚山戦では、キャプテンマークを巻いてチームを鼓舞した。ピッチの外では、今シーズンから加入した齋藤学がチームに馴染める場を作ったり、中村憲剛にいたずらを仕掛けるなどチームの良い雰囲気を維持するためには欠かせない存在だったと言える。チームへの貢献度は計り知れないだろう。

 5年間ありがとう。またあの豪快なミドルシュートを見たかった。また我々を沸かせるプレーを見せてください。







では、

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