立春
2021年01月05日
新年、明けましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。
今年で、東京に引っ越して来て10年が経ちます。
自分で言うのも何ですが・・、よくこの大都会で10年間踏ん張りました。
※やっとこのコンクリートジャングルにもホーム感出て来た!?(笑)
漢数字の「十」は、説文解字では「数の完備」とされ、東西南北が交わり、四方と中央とがそなわる象形から生まれたとされる。
※説文解字・・後漢の時代(西暦100年頃)に書かれた許慎(きょしん)の作。漢字の成り立ちを示した中国最古の字書。
そこから、「十」には「完全」「極限」という意味がある。
一つのものが完全、極限に達するのが十。
それを一つのサイクルとして、暦の記号に用いたのが「十干(じっかん)」だ。
【十干・甲乙丙丁戊己庚辛壬癸】
- 甲(コウ・きのえ)
- 乙(オツ・きのと)
- 丙(ヘイ・ひのえ)
- 丁(テイ・ひのと)
- 戊(ボ・つちのえ)
- 己(キ・つちのと)
- 庚(コウ・かのえ)
- 辛(シン・かのと)
- 壬(ジン・みずのえ)
- 癸(キ・みずのと)
2021年の十干は「辛(シン・かのと)」。
※東洋占術の世界では1月1日ではなく立春からスタートとする。
「辛(シン・かのと)」は、五行では金の陰、季節では秋の後半。
草木が枯れ、新しい世代(果実)へと移ることを意味する。
そこに介在する感情は「悲哀」、司る徳は「義」。
「大義」「忠義」「正義」の、「義」だ。
「辛(シン・かのと)」の年に起こった、ここ30年間の象徴的な出来事は以下の通り。
- 2011年⇨東日本大震災
- 2001年⇨アメリカ同時多発テロ
- 1991年⇨湾岸戦争、バブル崩壊
世界が大きく揺らいだ転換点、そんな出来事ばかり。
「辛」という漢字は、五味の辛(から)いと書き、説文解字でも「辛さの苦痛の象」とされ、辛いものを食べた時の顔の表情のような、社会情勢の変革に伴う「痛み」がここに表現されている。
否が応にもにでも起こる、更新の進行、過去との決別。
「辛(シン・かのと)」は、易の八卦では「兌・ダ」の象徴。
沢(湧水)、少女(三女)、刃物、毀折(きせつ)、などの象意があり、「毀折」は、物が欠けて折れるという意味である。
(「毀」の字義は土という漢字が見えるように、土器が欠けたり壊れたりする様を表す。)
何かが切り捨てられる痛みと同時に、湧水のような、透明で純粋なる新しい潮流が顕れる兆し・・。
五行と八卦で読み解けば、そんな転換点の一年になるだろう。
個人個人には、自分の中の濁りの無い湧水に、如何に気付けるか?
自らが本来的に持っている純粋性(魂が本来的に求めていたもの)、そこに気付き、強い意志を持ってコミットできるか?
・・ここが、2021年という時代を生き抜く鍵になってくるはずだ。
10年前に、東日本大震災すぐの大混乱の東京に引っ越して来て、そして今は、コロナ災禍の真っ只中での10周年記念、
・・いやいや、もう自分が選んだ人生の選択に笑うしかない。
僕の好きな言葉、「危所に遊ぶ」。
いかに、この状況に「遊び」という自由と豊かさを見出せるか。
そんな、新たなチャレンジの一年の幕開け。
・・ほら、これを書いてたら、二度目の「緊急事態宣言」というお試しテストが、もうやって来た。(笑)
さて、この状況で、どうやって遊ぶかな。
こんなふうに、時空は、いつも僕を楽にはさせてくれない。(笑)
でも、こんなに厳しくも、どこまでも深く優しい・・、僕にとって、そんな敬愛する、大いなる師匠だ。
☆直近の易経講座、陰陽五行講座をみる
☆プロフィール
☆初めて講座を受講される方へ
☆トップページへ戻る
k_toshi444 at 11:49
2018年02月03日
今日2月3日は節分。
節とは、竹のふしのこと。
竹は中が空洞で、そこに定点的にふしをつくることによってしなやかになり、風をいなすことができるようになる。
だから、節分とは、ふしを分岐点としたひとつの終わりと始まりをあらわす。
何ごとも切り替わるポイント、というのは不測の事態が起こりやすい。
陰陽道的に言えば、このタイミングは冬と春の折衝なので、居残ろうとする陰の力と、生まれようとする陽の力が対立し、邪気や災難が生じやすいとされる。
そこで、立ち上がる春=立春のおとづれを応援するために、陰の気を祓うために行われた行事が、「鬼は外、福は内」と言って豆をまく、豆まきの風習なのです。
春は陰陽五行では「木」。
易の八卦では「震・しん」。
震のひとつ手前に君臨する八卦は「艮・ごん」。
艮は「坎・かん=冬」と「震・しん=春」の、ちょうど中間の位置に当たる。
風水では「鬼門」とされ恐れられる位置だ。
十二支では「丑寅・うしとら」の方角。
時間に当てはめれば、ちょうど幽霊が出るといわれる草木も眠る丑三つ時・・。
鬼はまさに丑寅を転写した「丑・うし」のツノに「寅・とら」のパンツを履いた姿で描かれる。
また、豆は白く丸くお金のように見えるので、五行では「金」の性質を持つとされる。
金は春である木を剋している(金剋木)から、春の訪れを邪魔している。
その豆を火で炒ることによって金を相剋し(火剋金)、力を弱め、春=木気の訪れを応援する。
このように豆まきとは、易の観点から見れば、「坎」から「艮」そして「震」への移行をスムーズに行うための呪術であり、五行から見れば、相剋の力を使い、春(木気)の芽生えを応援するという行事なのです。
・・そう、あれは確か。
僕がまだゆで卵をむいたようなみずみずしい肌をした保育園児の頃だった。
名前は、まだない。(あるやろ)
保育園の節分の行事で、鬼のお面をつくる時間があった。
画用紙を切って、クレヨンで絵を描いて、輪ゴムをつけるようなものだったと記憶している。
僕は青鬼を描いたんだけど、なんだかその出来が気に入らなくて。
そこで当時のゆで卵をむいたようなみずみずしい肌をした僕(なげーよ・・。)が考えたのは、黒板消しでクレヨンを消し、もう一度書き直すことだった。
あの頃の僕は、黒板消しはこすれば何でも消せる魔法の道具だと思っていた。(どんな思いこみだ)
先生が向こうの子に気を取られているすきに、バレないようにそっと黒板消しを取って、画用紙を一生懸命こすったんだけど、全然魔法がかからなくて・・。
消えるどころか、むしろきたなくなったと記憶している。(・・。)
大人になった今なら、黒板消しはドラえもんのような魔法の道具ではないことは知っているけど、あの頃の僕にはそれがわからなかった。
見たもの、聞いたものぜんぶを、真実だって、信じていたんだね。
ちなみに、僕は小学生の頃、ばあちゃんに「子どもはどうやったら出来るの?」と聞いたことがある。
ばあちゃんの返答は、「男の子と女の子が仲良くしてたら出来るんだよ」というものだった。
その日を境に、僕はいつも仲良く遊んでいた近所のKちゃんに、僕の子どもができたらどうしようって、Kちゃんがおはようって近づいてくるたび、よそよそしくなって距離を置いた。(・・。)
今はどうやったら子どもができるかは一応(?)知ってる僕だけど、僕にもそんなけがれを知らないウブな時代があったんだ。
昨日インスタグラムを見ていたら、保育園の節分の行事の投稿で、鬼のお面をした可愛い女の子が目にとまって。
それがトリガーとなって、自分の保育園児の頃の記憶がよみがえってきた。
魔法の黒板消しは、みんなに魔法を使わせてくれるわけではない・・。
あれは今でも思い出せるくらい、幼き頃の僕にとっては、衝撃的な出来事だったみたい。笑
そんな、小さな頃の、節分の思い出。
☆直近の易経講座、陰陽五行講座をみる
☆プロフィール
☆初めて講座を受講される方へ
☆トップページへ戻る
k_toshi444 at 07:16
2017年01月25日
神奈川県横浜市にある、
名勝「三渓園」へ行ってきました。
爽やかな気持ちのよい晴天。
寒かったけど、
最高の散歩日和。
いろいろ素敵な風景はあったんだけど、
この木に出会えただけで、
もうそれだけで感動だった。
※美しい榎(えのき)の大樹。
・・枝萌え。。
僕は、
木の枝の「構造」が好きなのです。笑
その中でも、
梅の木がいちばん好きだけど、
榎もすごいって、
浮気しそう。。
(↑人類に浮気しろ)
五行で木の性質は「曲直(きょくちょく)」。
※ 書経 洪範より
「水に潤下、火に炎上、木に曲直、金に従革、土に稼穡。」
"曲直"、
曲線という「永遠」と、
直線という「瞬間」。
乱雑なカオスの中にある、
秩序というコスモス。
木は、
"時"の主観(アナログ)と客観(デジタル)をそこに閉じ込め、
空間にただ「在る」ことによって、
見る者に時空の本質を知れと、ここに迫る。
こうして、
人は皆、
風景の中に、
自分を見るのだ。
君は、
きっと、
時間の「目」であり、
空間の「耳」であり、
そして、
時空の"心"の体現、
そのものなんだよね。
絶佳な枝振りに、
しばし見とれて、立ち尽くすのみ・・。
大地から立ち昇る稲妻。
"震"。
春雷。
萌え出ずる、春の使者。
もう立春は、
すぐそこまで来ています。
☆直近の易経講座、陰陽五行講座をみる
☆プロフィール
☆初めて講座を受講される方へ
☆トップページへ戻る
k_toshi444 at 00:22