荘子
2020年11月19日
大阪出張で、仕事先に向かって歩いているときに、目の前に優雅にとまった蝶。
漆黒をベースに、鮮やかなグリーンのV字ライン、そしてよく見ると、補色の赤をアクセントにあしらっている。
着飾った服を着て演出しなくても、すでに初期設定でこんなにも美しいだなんて、蝶ってほんと選ばれた生き物。
おそらく、「美意識」という意識すらない。
これも、宇宙の偉大なる設計者によって、あらかじめプログラムされ、あらかじめ配剤された、「計画」の一部分なのだろう。
その深遠なる「計画」の意図を、僕は易と陰陽五行という"手段"を用いて、追い求めている。
地を這う幼虫から、やがてサナギとなって完全静止し、中でドロドロに一度溶けて液体になり、美しき羽衣を身に纏った姿に再創造され、その殻を破って(羽化)、自由自在に天空を舞う・・。
この限りなく斬新でありながら、果てしなく神秘的なメタモルフォーゼ。
その想像を超える"計画"の前に、もはやため息をつくほかはない。
※演出された光と立ち並ぶビル、その奥に広がる漆黒の空。
宇宙飛行士が宇宙に出た時に起こる「意識の拡大」のように、いつか、人類が地球という枠を超えて、この大宇宙という新天地に出て行った時に、きっと僕たちは、時間と空間から解き放たれた、真の自由自在を知るのだろう。
重力を遊び、演出を笑い、一切の変身と自由を体現する、この流麗なる蝶のように。
おそらく、それが、荘子の言うところの「逍遥遊(しょうようゆう)」の境地、なのだろう。
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2020年10月28日
・・夏の忘れもの。
風雨に耐えて、まだ、夏の便りを、ここに記してくれている。
もう、14巻目くらいにはなっただろう。(意味は不明)
火の命は短い。
そして、羽化したセミの命も短い。
そりゃあ、とっくに夏が終わっても、つめたい風雨が吹き荒んでも、ここにがんばってしがみつきたいよね。
古代中国の「漢」の時代、セミは蘇りの象徴として尊崇された。
この頃に、道教からきた神仙思想が流行したことも、歴史的背景にあるだろう。
※道教(どうきょう)・・老荘(老子、荘子)の道家思想が、古代民間信仰などと融合し、神仙主義的思想体系として発展したもの。儒教、仏教と並ぶ、中国三大宗教の一つである。
セミの幼虫が何年も地中に潜み生き、やがて、漆黒の地中から光の世界へと這い出して、一心に木に登っていく、そのあまりにも健気な姿。
それは、古代の人々にとって、死中なる墳墓からの復活、「蘇り」を連想させたということは、きっと、想像に難くないことだろう。
この、セミの持つ蘇りの力を、死者の復活という象徴に擬えて、その祈りを含蝉(がんせん・セミの形に彫刻した翡翠製の玉器)に込め、死者の口に含ませて埋葬されたりもした。
また、セミの成虫の頭の形が、位の高い人がかぶる冠(かんむり)に似ていることから、人身にセミがとまることを「蝉珥(せんじ)の兆し」と呼び、セミがとまると出世するという俗信も生まれていった。
※蝉珥・・高い位を持つ官吏だけが装着を許された冠飾りのこと。
だから、来年の夏、もし自分の体にセミがとまったら、「蝉珥の兆し、キター!」と高らかに拳を天に振り上げ、家族や友達にその意味を熱く語って、後ずさりさせましょう。(・・。)
・・そして、地面には、もう秋の便りも。
夏の忘れものと、秋の便りが交差する、二十四節気の「霜降(そうこう)」に。
・・次は、いよいよ立冬。
陰王、"冬"が立ち上がる日。
易学では、兆しの中で、陽気が全て陰気へと切り替わる、十二消息卦「坤為地(こんいち)」のステージへ。
さて、そろそろ、冬物の洋服を、クローゼットから出すとしましょうか。
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2020年08月14日
先月の話ですが・・
大阪にて、「はじめての老子講座~道Taoとは何か~」を開催しました。
zoomでもできる講座だけど、あえてのリアルで。
《大阪開催「はじめての老子講座」プログラム》
- 老子の生きた時代背景
- 「道徳経」とは
- 「人為」ではなく「無為」とは
- 「儒家」と「道家」の思想の対比
- 老子の説く宇宙の仕組み
- 老子の説くリーダー論
- 小国寡民〜老子の説く統治論
- 足るを知る〜老子の説く人の生き方とは
- 上善如水〜水を最上の善と説いた老子の意図
- 「道」~Tao(タオ)とは何か
移動の飛行機の隣の席は埋まってて、でも降りる時は「前のお客様と間隔を空けてお降りください」とアナウンスがあり、哲学しました。笑
・・本音と建前。
GoToキャンペーンをしながら、お盆の帰省は自粛してくださいというのも同じこと。
原発は二酸化炭素を排出しないクリーンな発電ですと標榜しながら、万年先まで地球を汚染する核廃棄物のゴミが出続けること、などなど…。
これはいわゆる「オトナの論理」という、儒家的な形式主義である。
老荘(老子、荘子)を仰ぐ道家は、この儒家の形式主義的な考え方を批判。
真に人が救われる道は、いったいどこにあるのか。
もし、今の時代に老子が生きていたなら、この、国や大企業の形式主義的なロジックに対して、一体何を言うだろうか。
道徳経に綴られる言葉は、「オトナの論理」に毒された私たちの心を大きく揺さぶり、「生きる」という本質を突きつけてくる。
無為自然に生きる老子なら、このコロナ禍にあっても、マスクも、RPC検査も、ソーシャルディスタンスも、ワクチン接種も、きっと、「何もしなかった」だろう。
誤解なきよう、「老子が正しい」と言っているのではない。
正しさにはそもそも実体がないから、それぞれの正しいがあって然るべきである。
いちばん危険なのは、「一つの正しさ」に、皆が無思慮に走ることである。
「一つの正しさ」という思想に走る過程で、人と人とが歪み合い、反対思想の勢力を殲滅殺戮に追い込んだ人類の黒い歴史を、もう我々は知っている。
同調圧力という見えない鎖が人を縛り、他人の目という見えない監視が個の自由な表現や生き方を奪う。
相互監視、密告、マスコミを使った洗脳、秘密警察が蔓延った、まるで第二次世界大戦前夜のような(全く大袈裟でなく)、そんな時代のうねりの只中にあって、老子の言葉を知る意義は、とても大きいように僕は感じている。
古く学者の世界では、「論語は得意の時に読め。老子は失意の時に読め。」と言われる。
世界で聖書に次いで翻訳が多い書物は、老子道徳経だと言われる所以も頷ける話だ。
だから、今のこの社会のルールの中でうまくいかなかったからといって、何も自分自身を否定したり、卑下したりする必要はない。
「規則」も、「正義」も、「成功」も、そもそも人が人為的に作った勝手な定義であり、それらは時流によって「うつろう」ものだからだ。
・・人為に踊るのではなく、無為自然に、道~Tao(タオ)と共に生きよ。
老子の言葉は、遥か二千年の時を超えて。
"現代"を狂奔する私たちの疲れた心を、今も癒し続けている。
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2020年03月19日
古風なものが好き。
そして、職人が手をかけて作ったものが好き。
建物も、道具も。
家の本棚に並んでいるのも古典ばかりで、他県に出張に行っても、観光って言ったら、神社仏閣か、お城か、博物館か、古代遺跡。
近代的なものの場所には、自らは好き好んで行くことは殆どない。
あ、仕事も易経という古典だから、思いっきり古風だな。(笑)
好きなことを仕事にできて、本当に幸せな境遇と思う。
先日注文していた、印伝(いんでん)の巾着袋が届いた。
印伝は、鹿皮と漆を使った甲州(旧甲斐国。現代の山梨県)の伝統技能で、400年の歴史を経た職人技だ。
※富士山と武田菱がモチーフのものを購入。
磨いてきた技が光る、この色合いと手触りと機能美。
印伝のものは大好きで、名刺入れも、判子入れも、印伝のものを使っている。
もちろん、それなりに値段は張るけど、でも、頼れる相棒を入れるための道具だから、やっぱり手をかけたいいものを持ちたいって思う。
独立した当初は、とにかくお金がなくて、道具は紙袋に入れていたりしたけど。(笑)
最近は、身の回りの物もちゃんとこだわるようにして、道具をバージョンアップ中。
論語に曰く、「温故知新(おんこちしん)。」
故(ふる)きを温(たず)ね、新しきを知る。
問題解決の糸口や、新しいアイデアのブレイクスルーは、意外と、古(いにしえ)の中にあるのかも知れないよ。
バルトークは土着の民族音楽から曲の着想を得たし、ゴッホも江戸の浮世絵を参考にしたし、岡本太郎も縄文式土器からデザインのヒントを得た。
「あるがままに生きる」なんていう最近流行りの標語も、春秋戦国時代に、老子や荘子がすでに語っていることだ。
人生に迷ったら、最先端のメソッドに頼るのもいいけれど、スポンサーへの忖度の無い、車もスマホも水道も電気もな〜んにも無かった古の人の思考を借りてみたら、思わぬ解決策が見つかるかもしれない。
・・医学も、食事も、教育も、仕事も、芸術も、ね。
私たちの先祖は自然と融和して生き、建物を建てるときには地鎮祭をし、木を切るときには祝詞をあげ、収穫があったときには天地自然に感謝の祈りを捧げた。
なぜなら、生きることに必要なものは、この大自然が全て与えてくれているからだ。
とするならば、大自然が生んだ創造物であるウイルスは、ほんとうに人類の忌むべき「敵」なのだろうか。
そもそも、地球上の様々な種の生命体に迷惑をかけている、最も環境リスクなる存在は、もはや人類なのだけれど。
憎み、敵視し、消毒剤を吹き散らし、人と人との触れ合いを断ち・・、これが現代の人類が導き出した最先端の解決方法なのだとしたら、明智ある古の先人たちは、これを見て一体何を思うだろう。
経済的には不合理であろう、大量生産出来ない古風な巾着袋を眺めながら、そんなことを思った。
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2019年10月23日
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2019年11月12日(火曜日)19:15~22:00
神奈川県の大和駅すぐの会場にて、
「はじめての老荘(ろうそう)思想講座」開催決定です!
(一回受けきりの単発講座となります。)
平日夜間での開催。
お仕事帰りに、東洋思想を学んでみませんか?
皆さまとお会いできることを、楽しみにしております!
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「はじめての老荘思想講座」詳細
「老荘」とは、古代中国の思想家である「老子」と「荘子」ことです。
お互いに共通項の多い考え方をしていたことから、二人の頭文字をとり、その思想をまとめて「老荘思想」と呼称した歴史があります。
個人よりも国家が優先された時代の中に颯爽と現れ、 何ものにもとらわれない生き方、在り方を説いた老子と荘子。
無為(意図や意志という作為をしない)こそ憂いをなくす生き方であると提唱し、儒家的な人為による形式主義と対立。
後に「道家」「道教」とも呼ばれたこの考え方は、多くの競争や戦争に疲れ果てた人々の心の、拠り所となって行きました。
老荘二人の生き様を通して、「時流に流されない生き方とは?」「心の自由とは何か?」を模索していく、約2時間45分。
予備知識が全くない方でも、どなた様でも楽しんで受講できる講座です。
お仕事帰りにでも、是非お気軽にご参加ください。
※旭川で開催したときの荘子講座の様子
※講師プロフィールはこちら
※以前講座に参加して下さった方の感想はこちら
※初めて講座に参加される方はこちらもお読みください。
【開催日時】
2019年11月12日(火曜日)
19:15~22:00
19:00 ~開場・受付開始
19:15 ~講座スタート
22:00 ~終了
【講座会場】
(ホテル正面から入って、そのまま突き当たり奥の会議室へお越しください。)
神奈川県大和市中央4丁目1−20
HP⇨ https://www.toyoko-inn.com/search/detail/00128/
グーグル地図⇨ https://goo.gl/maps/
小田急線「大和駅」相鉄口(北口)から徒歩1分
相鉄線「大和駅」相鉄口(北口)から徒歩1分
<自家用車でご来場の方へ>
ホテルの駐車場は宿泊者専用のため、お近くの有料パーキングをご利用ください。
【参加費】
8000-
当日受付にて直接承ります。
【講座参加方法】
以下のフォームよりお申し込みください。
http://ws.formzu.net/fgen/S95411980/
※
お手数ですが
t.k.eki4@gmail.com
へメールにてお申し込みください。
その際は件名に「◯◯講座参加希望」と明記いただき、
下記2点を本文にお書きください。
①お名前
②お電話番号(受付メールが何らかの要因で届かなかった時、または緊急のご連絡の際にのみ使用します)
もしご都合がわるくなりましたらいつでもキャンセルしてください。
キャンセル料などはありませんが、
キャンセルする旨のご連絡は頂けるようにお願い致します。
一回だけの単発講座なので、初心者の方でも、
必要な知識を1から分かりやすく説明致しますので、
安心して受講することができます。
初対面の方でも、予備知識の全くない方でも遠慮なく
ぜひリラックスして、お気軽にご参加ください。
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2019年08月08日
夏真っ盛り。
暑い、暑い。
そんなアツい夏を代表するミュージシャンといえば、TUBEでもなく、サザンでもなく、やっぱり、セミですよね。
・・。
(TUBEも古いのか・・。)(←世代。。)
夏といえばセミ。
セミといえば夏。
それはまるで、醤油とワサビのように、いつも一緒で離れ難い。
7年間も地中に居たのだから、光あふれる地上に出たら、そりゃあ、声の限りに、きっと叫びたくなるだろう。
地上で君が生きれるのは、ほんの刹那の時間だけ。
特に都会は、どこかしことアスファルトが敷き詰められてるから、地上に出れなくて終わった、数多の命があっただろう。
こうして、無事に地上に出てこれただけで、君はきっと、強運だったのだ。
荘子も、セミの一生の儚さを「逍遥遊(しょうようゆう)編」でこのように喩えている。
『朝菌不知晦朔、蟪蛄不知春秋。』
朝菌(ちょうきん)は晦朔(かいさく)を知らず、蟪蛄(けいこ)は春秋(しゅんじゅう)を知らず。
「朝菌」は朝生えて晩には枯れるキノコのこと。
「晦朔」は晦日(みそか・月の終わり)と朔日(ついたち)のことで、一ヶ月の期間のこと。
「蟪蛄」はセミのことで、「春秋」は一年のサイクルのこと。
朝菌は一ヶ月(月の満ち欠け)を知らず、蟪蛄は一年(季節)というものを知らない、と。
また、松尾芭蕉は、セミの声をこのように歌い例えた。
「閑(しずか)さや岩にしみ入る蝉の声」
芭蕉は、セミの声の喧騒の向こう側に、もっとも賑やかな(に見える)「夏」という季節の、静かなる真の姿を観ていたのだ。
「思い出」という言葉には、いつも、夏の情景の香りがたちこめる。
この世界は、実なき「音」と、実ある「形」で、できている。
植物たちは、時の流れを形づくり、鳴く虫たちは、時の流れに音楽を与える。
目を閉じれば、この世界は、音と香りだけの世界。
そして音と香りは、僕たちを、あの頃の思い出へ、一瞬で引き戻してくれる。
あの、暑い、暑い、夏の日へ。
そうか、わかった。
セミくん、君は、遠い遠いこの地球の原初からの、夏の「音」を、伝える舟か。
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2019年07月25日
東京中野にて、「はじめての老子講座」を開催致しました。
老子は、 今から約2300年前に書かれた古典です。
竹簡で五千字ほどの書物で、格言集であり、物語はありません。
ここが寓言を用いた荘子と違うところでしょう。
本当に実在していたのか?と今だに議論されているほど謎多き人物で、司馬遷の「史記」には、老子の可能性がある人物の候補を三名もあげているほどです。
周王朝から春秋戦国時代を経て、秦王朝へと移り変わっていく激動の時代の中にあって、戦争に疲れ果てた人々の心に、「無為」、何ものにも抗わない水の在り方(上善水の如し)を説いた老子。
人は、「収入を上げよう」「出世してポストを上げよう」「表彰台の一番上へ上がろう」と、上へ上へと目指していく。
しかし、そのために人はいつも安心できず、疲れ果て、上へ行けなかった者は葛藤を抱え、苦しんでしまう。
しかし、逆に水は下へ下へと流れる性質を変えず、外の環境に抗わない。
そして、水は器の形に従い、無味無臭透明で、「個」を知らしめず、誇らず、自己主張をしない。
つまりは、「達成」しないのだ。
達成目標や事業計画を立てると、人はとりあえず現在に安心をする。
しかし、そこには未来に対する不安、怖れがベースにあるとも言える。
信頼しているなら、目標も計画も本当は要らない。
老子は、易で表現するところの、「外応」を完璧に信頼しきっている境地を説いているのではないか、と僕は考えている。
かなり乱暴な論理だけど、内応とは自力、自分を信じているということ。
外応とは他力、自分以外のすべてを信じているということ。
「自分を信じる」という人にはたくさんお目にかかったことはあるけれど、「自分以外のすべてを信じる」という人にはほとんど出会ったことはない。
主体が絶無なるこの水という物質こそ、完全な「場」、そのものの具象化である。
水は、"自分以外のすべて"を信じている。
ゆえに、自らは透明で無味無臭無形であればよい。
老子の言う、「上善水の如し」という言葉の持つ、背筋の凍りつくほどの恐ろしさと凄まじさは、ここにある。
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2018年08月13日
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全国の最新講座情報
2018年9月23日(日曜日)9:30~13:30
神奈川県湯河原温泉「ご縁の杜」で、
初心者向けの「はじめての東洋思想講座~中国思想編」開催決定です!
(一回受けきりの単発講座となります。)
9:30~12:20 「はじめての東洋思想講座~中国思想編」受講
12:30~13:30 参加者皆でご縁の杜特製ヴィーガンランチを食べます
(ランチ代は受講費に含まれています)
湯河原温泉「ご縁の杜」HP
http://goennomori.jp
心と体が整う癒しの温泉宿、「ご縁の杜」セミナールームで、中国の古代思想を学んでみませんか?
宿泊なしで、講座だけでも受講できます。
(もちろん、ご自費で宿泊されてもOKです。)
素晴らしい癒しのスペースで、お会いできることを楽しみにしております!
* * * * * * * *
「はじめての東洋思想講座〜中国思想編」詳細
古代において中国は、
世界を席巻する大文明国の一つでした。
思想哲学も雄大で多岐にわたり、
例えば、
孔子(こうし)や荀子(じゅんし)が学問の大切さを解き文明の進化を尊べば、
逆に、
老子(ろうし)や荘子(そうじ)は文明化こそが貧富の差を生み人間を不幸にするという具合に、
前者の儒教的思想と後者の道教的思想はまったく逆の方向を向いていました。
また、
現代でもその思想が反映されている韓非子(かんぴし)の法治の思想、
さらに、
「呪術」か、「科学」か、
「人為」か、「無為」か、
それぞれのせめぎ合いの中で、
思想や哲学は研ぎ澄まされ、
深まり、
そして発展していきました。
太古の深遠な叡智を巡る、
東洋思想の神秘の世界へ、
ご一緒しませんか?
あなたとお会いできますことを、
心より楽しみにしております!
〜講座プログラム〜
・「思想」とは何か
・古代中国の歴史背景
・古代中国思想と日本の関わり
・孔子、荘子、韓非子の思想を比較する
・「呪術」か?「科学」か?
・「人為」か?「無為」か?
・墨子の兼愛思想の矛盾点とは
・古代思想が現代に与えた影響を読み解く
※講師プロフィールはこちら
※以前講座に参加して下さった方の感想はこちら
※初めて講座に参加される方はこちらもお読みください。
■開催日時
2018年9月23日(土曜)
9:30~13:30
9:00~受付開始
9:30~「はじめての東洋思想講座~中国思想編講座」スタート
12:20~講座終了、食堂へ移動。
12:30~参加者皆でご縁の杜特製ヴィーガンランチ
13:30~終了
■講座会場
〒259-0303
神奈川県足柄下郡湯河原町土肥5丁目4−6
電話 0465-64-0150
<アクセス>
http://goennomori.jp/access.html
東海道線JR湯河原駅の改札を出て右手に進み(改札は一つです)、信号2つ目の「土肥1丁目」信号を左折、すぐ右手にローソンがあり、その前を通り過ぎて一つ目の角を曲がると、ご縁の杜があります。(旧料亭小宿ふかざわです)
駅からは徒歩5分ほどの距離になります。
(車でお越しの方)
●東京方面より
東名厚木ICより小田原厚木道路~早川IC~R135号線(真鶴新道)終点から湯河原駅方面へ
●名古屋方面より
新東名・長泉沼津IC~伊豆縦貫自動車道・大場函南IC~熱函道路~ビーチライン~湯河原駅方面へ
5000- ヴィーガンランチ付き
当日受付にて直接承ります。
↓↓↓
http://ws.formzu.net/fgen/S95411980/
お手数ですが
t.k.eki4@gmail.com
へメールにてお申し込みください。
その際は件名に「◯◯講座参加希望」と明記いただき、
下記2点を本文にお書きください。
①お名前
②お電話番号(受付メールが何らかの要因で届かなかった場合、または緊急のご連絡の際にのみ使用します)
申し込みメール確認後、
24時間以内にご記入頂いたメールアドレスにご連絡申し上げます。
それ以上経ってもこちらからの返信が確認できない場合、
迷惑メールフォルダをご確認くださるか、
改めて別のアドレスから連絡してみてください。
※
携帯アドレスの方はセキュリティ設定によっては届かない場合があります。
t.k.eki4@gmail.com を受信できるよう設定をお願い致します。
セミナー初心者の方でも、
必要な知識を1から分かりやすく説明致しますので、
安心して受講することができます。
初対面の方でも、予備知識の全くない方でも遠慮なく
ぜひリラックスして、お気軽にご参加ください。
皆さまとお会いできますことを、
心より楽しみにしております!
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2018年01月06日
12月5日のお話ですが・・
北海道の道東、国後島が見える中標津町(なかしべつちょう)で、
「はじめての荘子講座」を開催しました。
※以前に中標津町で開催した講座レポートはこちら↓↓
(何回か開催してますが全部はレポートできていません・・。。)
本当の北海道は道東にある!?陰陽五行出張講座in中標津町
※今回の中標津空港はクリスマスの装いでした!
羽田空港→中標津空港はANAで1日1便のみが運行。
いつもこちらには前泊で入ります。
ちょうど年末ということで、
中標津町での講座に毎回ご参加くださっている、
自然派焼き菓子のお店「LAUKIKA」の長谷川さんご夫妻が、
忘年会を兼ねて美味しいワインとジャガイモでおもてなしをしてくださいました。
※シンプルでありながらものすごく美味しい。。
そのほかにも、
手作りパエリアやデザートなど、
たくさんの素敵なおもてなしをしてくださり、
感激の中標津入りとなりました。
※その日の夜から雪がちらつき・・
翌朝はこんな状態に・・
中標津空港でも除雪車がフル活動。
「はじめての荘子講座」は、
中標津空港の会議室を借りて行うことになっていましたが、
前夜から降り続いたドカ雪で、
遠方の方が悉くたどり着けず次々とキャンセルに・・。
それでも雪をかき分けたどり着いてくださった皆さまと、
少人数ではありましたが、
なんとか講座を開催することができました。
あるがままを受け入れる「無為」の荘子の思想が、
雪のあるがままを受け入れることを僕に教えてくれたようです。(笑)
実際、不思議とガッカリとかはなく。
時空がこの環境でやることを演出してくれたのだと思っています。
空港内での講座なので、
講座中に雪の影響での羽田便欠航のアナウンスが流れて、
みんなザワつき&私のことを心配してくださって・・。
翌日は東京で仕事だったので、
なんとか帰らなければならなかったのですが・・、
でも、
「講座が終わってから考えましょう。笑」と言ったら、皆大笑い。(笑)
雪が降ったなら、
雪が降ったその環境で遊ぶのです。
そして、
何かをやっているときは、
その「行為」に集中すること。
だから、
とにかくこの目の前の仕事を全力でやり抜く。
僕はそう決めていたのです。
あとはなるようになる。
全てを受け入れて、
粛々と自分が今できることをするだけ。
このような考え方に到れたのも、
老荘思想(老子、荘子の思想を合わせてこう呼ぶ。現代では道教とも呼ばれる。)を学んでいたことがとても大きいです。
講座は少人数でしたが、
お陰様でとても密度が濃いものになり、
受講された方々ともゆっくりお話することができました。
羽田直行便は欠航になりましたが、
千歳空港経由で飛行機を乗り換えれば、
なんとか当日中に東京へ帰れることがわかり、
前から一度乗ってみたかったプロペラ機に、
なんと振り替えで乗れることになりました。(ラッキー!)
※小さいけど力持ち!?なプロペラ機。
「人間万事塞翁が馬」(出典「淮南子・えなんじ」より)
古代中国の北方に、ある占い師の老人が住んでいた。
そのさらに北方には「胡」という異民族が住んでいて、
その国境には城塞があった。
ある日のこと、
老人の馬が胡の国の方へ逃げていってしまった。
その馬は良馬であり高く売れるはずだったので、
近所の人々が気の毒がり、老人を慰めに行ったところ、
老人は全く気落ちした様子はなく、
集まった人々に飄々とこう言った。
「これは不幸なこととはかぎらないよ。」
しばらく経ったある日、
逃げ出した馬が胡の良馬をたくさん連れて帰って来た。
そこで近所の人たちがお祝いを言いに行くと、
老人は首を横に振ってこう言った。
「これは幸運なこととはかぎらないよ」
しばらくすると、
老人の息子が馬から落ち、足の骨を折って怪我をしてしまった。
近所の人たちがかわいそうに思って慰めに行くと、
またその老人は飄々と人々に言った。
「これは不幸なこととはかぎらないよ。」
しばらくすると、
胡の異民族たちが国境を襲撃してきて戦争が始まった。
城塞近くの若者は兵隊として徴兵され多数の戦死者が出たが、
老人の息子は足を骨折していたので、結局戦争に行かずに済んだ。
********
僕が家にたどり着けたのは当初の予定より7時間遅い24時近くでしたが、
なんだかんだでちゃんと東京に帰れたし、
たくさんの予期せぬ色んな体験ができたし、
事の次第をSNSで投稿したら大盛り上がりで(笑)全国的にネタにもなったし。
振り返れば、
結局僕は何も失っていない。
言葉と体験が一致したとき、
それが本当の意味で「知った」ということになる。
北海道の大自然が、
大切なことを体感で経験させてくれた、
今回の中標津町出張講座でした。
毎度中標津講座を主催くださっている柴田さま、
いつも素敵なおもてなしで迎えてくださる「LAUKIKA」の長谷川さんご夫妻、
豪雪の中ご参加くださった中標津町の皆さま、
なんとか参加しようと最後までがんばってくださった遠方の皆々さま、
本当にありがとうございました。
また雪解けの頃、
中標津町に戻ってきまーす^^
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2017年11月09日
10月28日は三重県松阪市にて、
「はじめての荘子講座」を開催しました!
去年招致していただいた時の様子↓↓
8/16三重県と愛知県に出張講座に行ってきました!
松阪市に呼んで頂くのは今回で7回目。
今年も松阪市の国指定重要文化財「御城番屋敷(ごじょうばんやしき)」にて開催しました。
※「御城番屋敷」について
御城番屋敷は、幕末、松坂御城番職に就いた武士の住居として、
松阪城の三の丸に建築された組屋敷群。
全国的にも類例の少ない、近世武士の希少な長屋建築として、
国指定重要文化財に指定されている。
今回も松阪駅前でお出迎えしてくれた松坂牛さん。
松阪木綿の藍染を羽織っていつもお洒落さんです。(笑)
(雨が降ったらどうしているのだろう・・)
(ダッシュで逃げているのでしょう・・。)(←違うわ)
会場の御城番屋敷「よいほ颯庵」さん。
インテリアも素敵です!
今回の講座は、
古代中国の老荘思想
(老子、荘子の思想を合わせてこう呼ぶ。現代では道教とも呼ばれる。)
の「荘子」にスポットを当て、
その時代背景や思想哲学、生き方、日本への影響、などを合わせて、
約3時間に渡りお話し致しました。
※
三重県のみならず、
他県からもたくさんの方々がお集まりくださいました。
ありがとうございました!
時流に流されず、
人間はいかにして自由になれるのか?
をテーマにして、
- 「万物斉同・ばんぶつせいどう」〜全ては「同」
- 「心斎坐忘・しんさいざぼう」〜己を超越
- 「逍遥遊・しょうようゆう」〜自在の境地に遊ぶ
偉才「荘子」の思考の軌跡を、
皆さまと一緒に追いかけて行きました。
真の自由とは何か。
みんな自由に向かって活動しているように見えて、
本音では自由から遠ざかりたいのではないか。
SNSなどをみていると、
「自由」という標語を見ない日は一日もない。
みんな、それほど前提としての不自由さを叫んでいる。
そういえば、僕も「自由」って標語を、ブログでけっこう書いているな。(笑)
「自由」という標語、建前の元に、
みんな実は、不自由さを謳歌し、楽しみ、遊んでいるのではないか。
ひょっとしたら荘子という人は、
約2300年の時を超え、
自由=自在の境地というポテンシャルを開く根源的な人類の恐れすべてを、
飲み込もうとしているのかもしれない・・。
荘子講座が終わった後は、
みんなシーンとしていた。
茫然自失とするあの感じ、
とてもよくわかる。
東京や大阪で開催した時もそうだった。
あれだけ賑やかだった場が、
まるで水を打ったように静まり返るのだ。
この講座も、そんな静寂の中で、終わった。
僕にとって荘子の思想は、
畏怖にも似た感情さえ抱く、
人生で希求していくべき永遠のテーマなのだと感じている。
でも、
「希求していくべき」という言葉さえ、
きっと荘子は、
天から笑っているんだろうな。
※講座の後の懇親会。
自然薯料理「本居庵」さまで、
美味しい料理に舌鼓を打ちました。
どの料理もサービスも最高でした。
オーナーの加納様、
素晴らしいおもてなしをありがとうございました。
懇親会終了後は、
うつくしや東村呉服店さまのところで、
なんと1日1組限定の「蔵宿」に宿泊させていただきました。
※東村呉服店さま外観。とて気品があります!
泊まるところは、
奥にある、
「蔵」なんです!
本当に「蔵」に泊まるんです!(笑)
※二階部屋まであります!
家具一つ一つにも歴史があって、
情緒あふれるものばかり。
未知なる感動の体験でした!
※朝食をいただいたお部屋も素敵でしたよ^^
今講座を企画、主催くださいました西浜さま、ご家族さま、
御城番屋敷「よいほ颯庵」の高岡さま、
うつくしや東村呉服店の東村さま、
全国各地からご参加くださいました皆々さま、
本当にありがとうございました。
また来年の講座オファーも頂きましたので、
2018年に、この地でお会いできることを楽しみにしています。
詳細決定しましたら、
またブログにてご案内申し上げます。
(いつになるかはわかりませんが・・^^;)
三重県松阪市、
人も、街並みも、
本当にとっても素敵なところなので、
機会がありましたら皆さまもぜひ、訪れてみてください^^
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2017年08月30日
27日は東京にて、
午前「はじめての荘子講座」、午後「陰陽五行がわかる講座〜感情編」を開催しました。
東北や関西、中部など、遠方からも遥々たくさんお越しくださいました。
お忙しい中ご参加くださいました皆さま、ありがとうございました。
※講座資料
老荘思想(老子・荘子の思想をまとめてこのように言う)の一つの重要な考え方は「無為」。
人為を否定し、無為自然こそが本質と説く。
僕は20代の頃から「独立したい」っていう思いが強くて、
何をしていいのかもわからなかったけれど、
それでもマグマのような熱だけは自分の内側にあって。
サラリーマンをしていても、何か違うってずっと思っていて。
そんな己自身をもてあましながら、
瞑想をしてみたり。ヨガをやってみたり。起業家セミナーに通ってみたり。
心の深奥に猛り狂う、
この得体の知れない"熱"の発揮を求める、
強烈な「自己獲得への意思」が、
常に僕の中に存在していた。
だから、独立してから、
自分なりにこれでもエッジを立てて仕事に向き合ってきたつもりだけど、
しかし、荘子の言葉を読むと、
この努力が不毛なことのように思えてきて、とてもモヤモヤする。(笑)
為すことをしない。
目的も進化もなく、
あるがまま、なすがままに生きる。
すさまじく魅力的な考え方だけれど、
しかし、そこに自分のアイデンティティーはあるのだろうか。
「生きている」という実感は、充実感は、そこにあるのだろうか。
わけもわからず生まれてきて、
ある時に自我が立ち上がり、
僕たちはその時から憂い始める。「私は誰なのか」と。
「私」を立てることによって、
私という空(くう)は私を客観的に知ろうとする。
「存在」の意味を見出そうとする。
荘子は、その営みさえ否定してくる。
…抗うな、と。
「私が、私が、」と人事を尽くさず、名をなさず、知らしめず、
無為自然、無為無欲に、ただ受け身で存在するという生き方。
荘子「逍遥遊篇」
至人(しじん)は己(おのれ)なし。神人(しんじん)は功なし。聖人は名なし。
この仕事で身を立て、
それに向かって努力し、実現し、
好きな仕事で生活して、
慎ましやかながらも自由な生き方を手に入れた...
などと思っている小さな枠の中の自分を、
そんな浅はかさを、荘子は笑うだろうか。
荘子「秋水篇」
井蛙(せいあ)以って海を語るべからざるは、虚に拘(かか)わればなり。
"井の中の蛙、大海を知らず"。
様々な寓言の中で表現された、
そのどこまでも遥かなる鳥瞰的な視座。
そこから放たれる言葉ひとつひとつに、
心が空漠とし、
しかしいつの間にか引き込まれ、
飲み込まれ、
魅了されている。
荘子とは、
一体、どのような人物だったのだろうか。
その観ている世界の広さ、
はかり知れない器の大きさに、
ただただ、言葉を失うばかりだ。
荘子の至った境地に想いを馳せると、
あらゆる自分の思惑が小賢しく見えてくる。
自分の中にある、二つの心。
自らを立てる生き方への意志と。
無為へと走りたい衝動と。
だから、この荘子の講座は、
今は、僕にとっての心のバランスのとり方なのかなって、そう思っている。
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2017年08月15日
長野県軽井沢市の(株)つながり様に招致いただきまして、
「はじめての荘子講座 in 軽井沢ヴァルト」を開催しました!
ペンション軽井沢ヴァルトさん。
HP→http://wald.cside.com
こちらは天皇皇后両陛下がお越しになったこともある、
軽井沢ではとても有名なペンションです。
このヨーロッパな雰囲気の素敵な洋館で、
バリバリの東洋思想講座という…。(なぜかこのパターン多い・・笑)
とても素敵な企画でした。
※講座中の様子
地元軽井沢市の方はもちろん、
長野市、東京、千葉など、様々な地域から、
掃除講座と間違えることなく(?)お集まりくださいました。
※
講座終了後に軽井沢美人から質問を受けているところ。
(こっそり撮られてました・・)
めっちゃ格調高いお見合いな感じで気に入ってます。
(あの、人妻です・・。)(・・すいませんでした。。)
こんな可愛い猫ちゃんも講座を聴講してくれました。(笑)
僕の講座はなぜか猫ちゃんが一緒に聴いてくれるケースが多いんです。
まさに荘子の「無為」をそのまま体現している存在。
とても心強かったです。ありがとうー!
その日はヴァルトさんで一泊し、
翌日は(株)つながり代表可知さまにご案内頂き、
新緑の「軽井沢レイクガーデン」へ。
HP→http://www.karuizawa-lakegarden.jp
花好きの私としては、とてもテンションが上がりました!
最後はガーデン内の湖に佇む私のショット。
・・要りませんか?・・そうですか。(・・。)
荘子「徳充符篇」
仲尼(ちゅうじ・孔子のこと)曰く、
人は流水に鑑(かんが)みること莫(な)くして止水(しすい)に鑑みる。
唯(た)だ止のみ能(よ)く衆止(しゅうし)を止(とど)む。
人は流れる水を鏡とはせず、静止した水を鏡とする。
それは、静止した水のみが、物のすがたをありのままに映せるからである。
・・まさに「明鏡止水」な、
とても素晴らしい湖畔の庭園でした。
今講座を企画・主催くださいました(株)つながり代表可知さま、
お忙しい中ご参加くださいました皆さま、
本当にありがとうございました!
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2017年06月25日
東京にて「はじめての東洋思想講座〜中国思想編」を開催しました。
平日日中にもかかわらず、
関東各地からたくさんの皆さまがお集まりくださいました。
ありがとうございました!
孔子、孟子、荀子、曾子、老子、荘子、列子、孫子、韓非子、墨子、呉子、菅子、鬼谷子・・などなど、
具体的にあげれば古代中国の思想家といってもたくさんいるのだけど、
近似している考え方を抽象化していくことで、
儒家、道家、法家、墨家、などまとめていくことができる。
これは、
易の図が潜象に向かうにつれて情報が集約化されていくことと同義だ。
それぞれの考え方の志向をまず抽象度の高いところで捉え、
それを孔子、荘子、韓非子など具体にしていくことで、
難しい思想や哲学は理解しやすいものになる。
横に伸ばす、
つまり具体を追いかけていくことでは、
我々はそれを永遠に「わかる」ことはできない。
縦につなげること、
「抽象化」によってはじめて、
それを「わかる」という可能性のカードを手にすることができる。
例えるなら、
イモムシのスライドを100万枚見せられたところで、
我々はイモムシという場を超える想像を永遠に持つことはできない。
しかし、
そこに時間という縦軸が加わったときに、
はじめてイモムシはサナギになり、蝶へと変化することを、
その変遷の一つの過程にあるイモムシという「場」を、
我々は客観的に「理解」することが可能になる。
これは、
我々の「意識」が、
時間(客観)と空間(主観)というツールを用いて、
この世界を認識していることと同じだ。
ご参加くださった皆さまに、
たった3時間という限られた時間で中国思想の骨子を理解してもらうために、
いかに縦と横の線を繋いでいくかに、
とても苦心して構成した講座でした。
また、この講座は、
終了後に受講された皆さまからメールやメッセージを複数頂戴し、
とても反響が大きかった講座でもありました。
今後、他県でも開催していきたいと思っております!
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2017年06月06日
今日は六月六日、
六が重なる日。
今日は「六」について書いてみようと思います。
まずは易。
易の六十四卦は六爻でできています。
※爻(こう)・・陰陽の記号のこと。
三爻が重なって八卦(はっけ)、
八卦が上下組み合わさって六爻になり大成卦(たいせいか)となります。
易経始まりの大成卦「乾為天(けんいてん)」の彖辞(たんじ)にも、
「大いに終始を明らかにし、六位時に成る。時に六竜に乗り、以て天を御す。」
という言葉があります。
※乾為天
そして、
八卦に内包される人間の元型のパターンも、
乾坤から生まれた六人の子どもです。
<夫婦>
乾(天)・・父
坤(地)・・母
<三兄弟>
震(雷)・・長男
坎(水)・・次男
艮(山)・・三男
<三姉妹>
巽(風)・・長女
離(火)・・次女
兌(沢)・・三女
易経の十翼「繋辞上伝」には、
この「六」に対する定義をしている一文があります。
易の書たるや、広大にして悉(ことごと)く備わる。
天道あり、人道あり、地道あり。
三才を兼ねてこれを両(ふた)つにす。故に六なり。
六とは它(た)にあらず。三才の道なり。
つまり八卦の三爻は、
天地人(宇宙、地球、人間)を表すものであり、
それを二つ合わせて作った六爻も、
二爻づつ束ねて天地人を作っているという意味です。
三爻の八卦だろうと、
六爻の大成卦だろうと、
結局「天地人」の三才から一歩も出ていないということですね。
太古の人々が、
「三」と「六」を共通する概念としてみていたことがわかります。
※関連ブログ
三が重なる日
日本語の数字の読みも、
一二三四五六七八九十
ヒフミヨイムナヤコト
一(ヒ)=ハ行
二(フ)=ハ行
三(ミ)=マ行
六(ム)=マ行
四(ヨ)=ヤ行
八(ヤ)=ヤ行
五(イツ)=タ行
十(トオ)=タ行
七(ナ)=ナ行
九(コ)=カ行
日本語の音も、
三(ミ)と六(ム)を同じマ行(m音)で統合しているのがわかります。
七と九はペアがいなくて孤独ですね・・。笑
これは両手の指で数を数える時に、
一〜五は片手で数えますが、
六以上になって両手の指を使う時に、
シンメトリーに左右の指を折れないのが、
「七」と「九」なのです。
五行大義(ごぎょうたいぎ)でも六は
一・・太極
二・・天地
三・・天地人
と定義していて、
太極→天地→天地人 = 一+二+三 = 六
と説明する一文もあります。
※五行大義・・隋の蕭吉が編集した五行説の集大成を収めた書物
また、荘子も、
「六」は六面体に通じ、
四方(東西南北)と上下を表すものとして、
この宇宙を天地四方の「六極」と称し、
「六極の外に出でて無何有の郷に遊ぶ」
(宇宙の外に出てものひとつない無の郷に遊ぶ)
と書いています。
つまり、
「六」は「三」から発展した、
二度目の世界観の完成数という位置付けなのですね。
6は数学の世界でも「完全数」と呼ばれる数字。
6を素因数分解すると、
1、2、3、6
因数を全部足すと
1+2+3=6
因数分解した数がその数自身と同じになる、
初めての数が6なのです。
6の次の完全数は
28、496、8128、33550336、8589869056、137438691328、2305843008139952128・・
と続きます。
6以外の完全数は、
例えば
28は2と8が合わさった数字と見ることができ、
それらを一桁になるまでひたすら足していくと、
2+8=10
1+0=1
となります。
496も
4+9+6=19
1+9=10
1+0=1
8128
8+1+2+8=19
1+9=10
1+0=1
というように、
6以外の完全数は、
一桁になるまでひたすら数字を足していくと、
必ず1になってしまいます。
つまり、
6だけが6だけを維持する、
完全数の中でも格別に際立った存在なのです。
雪も正六角形になるように、
太古の人々は、
この神秘の結晶数「6」という美しい数理に、
魅せられていたのですね。
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2017年03月01日
4月か5月くらいから、
ずっと心に温めていた講座をやってみようと思います。
荘子を読む講座(仮題)。
易経はもちろん好きだけど、荘子も同じくらい大好きで。
易経と陰陽五行の連続講座(易経マスター講座、陰陽五行マスター講座)は数年前からやっているけど、
こちらは前の講座の内容が分かった上で次の講座へ移らなければならないため、
途中で入ることはできないようにしていた。
(毎回なぜかマスター講座が始まった後で「やりたいんですけど」という問い合わせが必ず数件入る謎は未だに解けていない・・。)
でも、新しい講座は、
毎回違った切り口で、連続講座だけど、出たいテーマの回だけ参加できて、気軽に楽しめるものにしたい。
荘子の次は、将来的には、老子の回、韓非子の回、など、
古典をもっと身近に感じてもらえるように。
僕なりの視点、切り口で捉えた、
古の天才達の思考の軌跡を追いかけていく。
SNSにこの思いを投稿してみたところ、
思ったよりもすごく反響があって。
老若男女問わず、
様々な分野の人がこの新しい講座に楽しく集ってる、
そんな想像が広がって、
今日はずっとドキドキしてた。
そして、
ドキドキするのは、
実はその根底に「恐怖」が介在している。
意識にも登らないような逡巡に、
身体が答えたのだ。
・・怖い、と。
これは、
このイメージが本当に実現しちゃったらどうしよう、
という、"逆向き"の恐怖だ。
実現したいくせに。
わかってるくせに。
でも、
そこに自らが抗う。
逆説的だけど、
僕たちは、
"イメージが実現する"という、
その「不自由さ」を、
恐れているんだよ。
だから、
この「不自由さ」を受け入れる気持ちになれば、
それは自動的に叶う。
叶うってことは、
形になるということ。
なぜ形になれるかというと、
無限、つまりは自由を、
「制限」したからなんだ。
だからこそ、
安定してきたときこそ、
形になったときこそ、
いかに壊せるか、が問われるのだと思う。
昨日までの自らを破壊し、
新たな自分を創造するために。
新たな図形は、
壊れなければ作れない。
三角形は、
壊れずして、
四角形にはなれない。
三から四への変化は、
断じて「移行」ではない。
それは「飛翔」なのだ。
だから、
安定しているときには、
人生を変えるような縁との出会いは起こらない。
これは、
本当の気づきは、
いつも痛みとともに生まれるのと同じだ。
悩み悶絶しながらも、
それでも壊した者のみが、
イモムシはやがて蝶となれることを知るのだ。
易は、
どこまでいっても、
乾坤から一歩も抜け出ることはない。
そして、
八卦とは、
無限を八つに閉じた制限だ。
「道理が知りたい」と君は言った。
道理とは、
法則であり、
そして法則とは、
「制限」なんだ。
僕らが知っている、
僕らが想像できる真理や自由って、
この百万の宇宙から見れば、
きっと、
塵のようなものなのかも知れないね。(笑)
不自由という制限の中に、
「問い」を見つけた者のみが、
きっといつか、
「真の自由」というものの末端に、
触れ得ることができるのだろう。
だから、
「壊せ」と、
僕の中にいる愚者がささやく。
ならば、
壊れてみよう。
時が来たのだ。
新しいステージの、
不自由という制限のために。
「三」から、
「四」への、
新しい飛翔だ。
こうして、
「数」は、
無限の差異に、
名前を与える。
・・すべては、
壊れるために。
新しい講座で、
まだ見ぬあなたと出会える日を、
楽しみにしています。
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2017年01月27日
子どもの頃は、
とても変な少年だった。
(今もだけど・・。)(ほんとうに)
あの頃は、
「意識」って、本当にみんな持ってるんだろうか、って考えてたり。
(※2014/1/23 「絶対的な孤独。」に書きました。 )
また、
宇宙を始めた存在がいたとして、
それを仮に神様として、
でも神様が宇宙を創った最初の存在なら、
その神様を創った神様がいないとおかしいし、
その神様を創った神様を創った神様がいないとおかしいし、
その神様を創った神様を創った神様を創った神様がいないとおかしいし・・。
・・と頭がこんがらがるほど考えた。(笑)
さらに、
学校へ行ったはいいけど、
ひょっとしたら本当の自分はどこかで寝ていて、
これは夢なんじゃないか。
夢の中で学校に来ているんじゃないか。
本当の僕が今起きたら、
一体今のこの僕はどうなってしまうんだろうか・・
・・なんて考えてたり。(・・。)
この困った生き物(わたしです)を育てた母の心労、察するに余りあります・・。
こういう根源的な問いは、
大人になってからも僕の心の中でくすぶり続けていた。
そんな時に出会ったのが、
「古典」だった。
たとえば、
今から二千年以上前に書かれた「淮南子(えなんじ)」という書物には、
宇宙の始まりについて葛藤した、
以下の記述がある。
「淮南子」 巻第二 俶真
(講談社 訳注「淮南子」池田知久著より引用。)
始めなる者有り。
未(いま)だ始めより始め有ること有らざる者有り。
未だ始めより夫(か)の未だ始めより始め有ること有らざること有らざる者有り。
有なる者有り。
无(む)なる者有り。
未だ始めより無有ること有らざる者有り。
未だ始めより夫の未だ始めより无有ること有らざること有らざる者有り。
<訳>
始めというものがある。
また、この「始め」がまだなかった、それ以前の始めというものがある。
さらに、「この『始め』がまだなかった、それ以前の始め」もまだなかった、それ以前の始めというものがある。
ところで、有(ゆう)というものがある。
その始めとしての無というものがある。
また、この「無」がまだなかった、それ以前の始めとしてのより純粋な無というものがある。
さらに、「この『無』がまだなかった、それ以前の始めとしてのより純粋な無」もまだなかった、絶対の始めとしての完全に純粋な無というものがある。
…もう、 、
終わりなき問い。(笑)
終わりなき旅だ。(それミスチル)
そして、
老荘思想(老子、荘子の思想)で名高い「荘子」にも、
以下の物語の記述がある。
「荘子」 斉物論篇 胡蝶(こちょう)の夢
昔者(むかし)、荘周(そうしゅう)夢に胡蝶となる。栩栩然(くくぜん)として胡蝶なり。
俄然(がぜん)として覚むれば、則ち蘧々然(きょきょぜん)として周なり。
知らず、周の夢に胡蝶と為(な)れるか、胡蝶の夢に周と為れるかを。
<訳>
昔、荘周(荘周→荘子本人の名前)がうとうとと眠っていたとき、彼は夢の中で美しい蝶となっていた。
ひらひらと舞って楽しみは尽きず、自分が荘周であることもすっかり忘れていた。
しかし、ふと目をさますと、やはり間違いなく、自分は荘周であった。
荘周が夢の中で蝶となっていたのだろうか。
それとも、
蝶が、夢の中で荘周となっていたのだろうか。
・・これって、
小学生のときの僕じゃないか。
これって、
僕が子どもの頃に持っていた「問い」、そのものじゃないか。
2000年以上前の先人たちも、
同じことを考え、葛藤し、悩み、向き合ってきたんじゃないか。
そう知ったときから、
僕は古典が大好きになった。
その頃の僕は20代で、
いろんな現実的な問題で本当に苦しかった時期だった。
でも、
古典に出会って、
そこに生きている古の人々の、
みずみずしくも力強い言葉を読んで、
小さな子どもの頃の、
あの、
どこまでも純真無垢なるあの頃の「問い」が、
守られたような、
救われたような、
そんな気がしたんだ。
そして、
僕は今でも、
あの頃の「問い」を追いかけ続けている。
それが、
いつの間にか、
仕事になってる。
そして、
ありがたいことに、
僕と同じ「問い」をくすぶらせた大人の顔をした少年と少女が(笑)、
目を輝かせながら、
僕の東洋思想の話を聴きに来てくださっている。
昨日も、
講座中に、
すすり泣いている女性がいた。
きっと、
あの頃の自分と、
出会ったんだろう。
胡蝶の夢、のように。
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2016年10月23日
表現したいことはあふれてくるのに、
言葉にした瞬間に安っぽくなる。
この内なる振動をそのまま書き綴ることができたならと、
何度思いため息をついてきただろうか。
下書きのまま終わっている、
ブログとして公開されていない断絶された言葉たちが、
いまでも仮想空間の中にたくさん留まり続けている。
言葉で表現し得ないものを言葉で表現しようとする、
この不毛なるたたかいの果てに、
僕のブログはそれでもあらがいのたうち回りながらも、
こうして不器用な言葉を紡ぎ出し続けるのだ。 笑
易経の繋辞上伝には次のような言葉がある。
「子曰く、書は言を尽くさず、言は意を尽くさず。」
聖者は言った。
書物は言葉の全てを記述できるものではない。
そして言葉は心のすべてを表現できるものではない、と。
古の聖人たちも、
なぜ言葉は心の全てを表現できないのだろうと悩んでいたかと思うと、
なんだかとても嬉しくて、
この不毛なたたかいにも意味があるんだって、
そう思えるからこそ、
今日もこうやって、
不毛なる文章を書き綴って、
公にさらすことができる。
「言葉にする」とは、
究極、"誰かのために紡ぎ出される"のだ。
昔の文豪達の日記を読んでも、
それが自分のためだけに書いたものであっても、
あきらかに人が読むことを意図した文体になっている。
それはあたかも、日記自体が一つの作品ように、だ。
技術ではない。
これは美学だ。
自らの信じる美しさを妥協なく希求していく過程に、
結果として残ったその残滓が「技」となる。
いや、きっと技と"認識される"のだろう。
「職人技」とはそういうものなのだと僕は思う。
だから、
美しいとは、
自らの信じる美しさを求める"熱"それ自体が、
「伝わる」ということにおいて、
付け焼き刃の技術では決して及ばない鋭利さで人の心の深奥に刺さるのだ。
だから僕は、
易経のドライな文体も好きだし、
荘子の軽妙な文体も好きだし、
岡本太郎の朴訥な文体も好きだ。
それぞれに、
なんとも言えない奥行きと味わいと熱がある。
易の卦も、
最後は言葉でそれを相手に伝えなければならない。
このブログも、
言葉によって、
この思いのたけを、
たとえ全部ではなくとも、
読んでくださる方に伝えることができる。
不毛なことだと、
そんなこと百も千も万も承知で、
それでも、
せめてそこに自らの美学を片鱗でも体現させたいと、
今日もこうしてのたうちながら、
このデジタルな仮想空間に文字をかなぐりあらがう、
そんな深夜の孤独なたたかいに、
今宵はこれで終わりを告げることとしよう…。
おやすみなさい。。
(おーい)
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2016年08月14日
7月29日は広島県福山市にて、
「はじめての陰陽五行講座」を開催しました!
会場は福山市「さくらい接骨院」さま。
中もとっても素敵です!
こちらで講座を開催することになったきっかけは、
さくらい接骨院のご家族の方が、
ひょんなことから僕のブログを発見して、
ずっと読んでくださっていたとのことで・・。
SNSは誰かのお知り合いの繋がりであることが多いけれど、
ブログはこのように全く未知の出会いがあるところが面白いですね。
うちの院で開催してくださいというお問い合わせをメールで頂き、
この福山講座が実現しました!
さくらい接骨院さんのお知り合いや、お弟子さん、
陰陽五行に興味はあったけど学ぶ機会がなかった・・という方や、
鍼灸学校で習うけど実は全然使えていなかった・・という方など、
広島県の方はもちろん、
お隣の岡山県や、
遠くは四国からも足をお運びいただき、
施術室は満員御礼になりました!
(あ、患者さまではなくて・・笑)
中学生と小学生の可愛い参加者も^^
(さくらい接骨院さんのお子様です。)
講座で「荘子」についてお話ししたところ、
お子様が「花子」とメモをしていたと後から聞きました。笑
荘子と花子・・。うん、似てるw
なんという素晴らしいセンス!
日本の将来はこれで安泰だと確信した瞬間でした。(なんでだ)
※その子が撮ってくれた講座中の芸術的瞬間の写真w
(とても大事なことをお話ししています・・笑)
今回の講座は、
陰陽五行にはじめて触れる方を対象とした講座で、
以下のプログラムでお話しさせていただきました。
《はじめての陰陽五行講座 in 広島県福山市》
〜前半〜
- 陰陽の基礎知識・陰陽太極図とは?
- 陰陽思想の起源・歴史背景
- 天地人(三才)と天円地方
- 神話の中の陰陽
- 老荘思想と陰陽説の関わり
- 日本文化と陰陽の関わり
- 陰陽の法則・対立の統一、循環
- シンボル・元型としての太極図
- 五行の基礎知識・五行の巡りを紐解く
- 五行と天体
- 五行思想の起源、歴史
- 五行の相生相剋関係
- 陰陽道の呪術と五行
- 五行と日本文化の関わり
- 五行と人間関係
- 五行の一歩通行の巡りを紐解く
皆さま講座をとっても楽しんでくださり、
また次回のオファーもいただき、
本当に楽しい広島出張講座となりました。
ご参加くださいましたはれはるこさんが、
素敵な感想ブログを綴ってくださいました。
ありがとうございます!
↓↓↓↓
http://ameblo.jp/bonobo-haru/entry-12185648816.html
さて、
今回のブログのフィナーレを飾るのは、
お土産にいただいた「カープの鯉人」!笑
これって札幌の銘菓「白い恋人」をパ◯った、
大阪の「面白い恋人」の、
広島県バージョンでしょうか・・笑
(好きなセンスだ・・)
あ、中身は白い恋人っぽくて(爆!)
美味しかったですよー^^
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2016年07月26日
7が重なる日、
七夕の日は神奈川県小田原市にて、
「はじめての陰陽五行講座」を開催しました!
織姫と彦星が出会う決定的な瞬間をものともせず、(少し意味不明)
11名の皆さまがお集まりくださいました。
陰陽五行というのは、
陰が月、陽が太陽、
つまり闇と光、女と男を、
そして五行は、
自然界の五つの元素
木(植物)、火(マグマ、炎)、土(砂や大地)、金(鉱物、岩)、水(川や海)
を表していると同時に、
当時目視することが出来た惑星である
木星、火星、土星、金星、水星
をも表しています。
太古の人々は、
天空の星々を見上げ、
自然の精妙さに目を見張りながら、
この大宇宙の神秘に魅せられていたのですね。
ですから、
世界中の神話はほとんどが天体と結びついて産まれます。
古事記のアマテラスは太陽ですし、
ギリシャ神話のアポロンは太陽神、アルテミスは月の女神。
どんな神話も必ず神妙なるものは天から降りてくる。
織姫と彦星の物語も、
天空に瞬く幾千という星々を眺めながら、
紡ぎ出されてきた物語なのでしょうね。
参加者の皆さまには、
講座の時間だけでも、
子どもの頃に、
野原に寝転びながら、
まるで宝石箱をひっくり返したような、
星屑のステージで心躍らせた(←チェッカーズかい)(←そして世代)(あ、フミヤ好きでした。)
あの頃の気持ちを思い出して欲しい。
そして、
ひょっとしたら今、
僕たちは子どもの頃に野原で寝転んだまま、
大人になった夢を見ているだけなのかもしれない。
なんて・・(笑)
荘子の読みすぎ病でしょう。(まちがいないです)
講座にご参加くださいました皆さまが、
素敵な感想ブログを綴ってくださいました。
ありがとうございます!
ワクワクコンサル 佐藤宏子さん
http://ameblo.jp/shk-pp-noui/entry-12178815958.html
宇宙人プロデューサー 外園佳代さん
http://ameblo.jp/kihiru777/entry-12178563817.html
どこかに置いてきた宝物を探している大人にこそ、
伝わっている講座なのかなって、
そんな気がしています。
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2016年06月14日
法則を学ぶ。
でも、
なぜその法則があるのか?
を考えようとしない。
たくさんの知識を仕入れて、
法則のデパートになって、
「わかった」と、
したり顔で満足してしまう。
でも、
何もわかってないよ。
考えてない。
ひとつも。
なぜ問いを持たない?
なぜその先に踏み込もうとしない?
「それって◯◯さんが言ってたことと違います。」
「◯◯という本にはこう書いてありました。」
「ネットではこう書いてあります。」
・・じゃなくて。笑
君の言葉を聞かせてよ。
情報を仕入れることに満足して、
思考停止する。
「個性が一番!」
とか、
「創造性!」
とか、
自分の頭で考えていないものが、
個性的であるはずも、
創造的であるはずも、
そんなの始めから、
"ない"に決まってるじゃないか。
その法則があるのはわかる。
では、
なぜその法則があるのか?
と、
もう一歩先に問いを進めた時に、
見えてくる世界があるのに。
荘子を読んでいると、
この人は本当に自分で思考した人だなって、
よくわかって、
そこに感動する。
そこに泣けてくる。
そう。
もう一歩先。
そこに、
宝物があるんだよ。
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2015年06月22日
今日は二十四節気のひとつ「夏至」。
易の十二消息卦(十二支に易の卦を当てはめたもの)では、
天風姤(てんぷうこう)を表します。
一年の中で、一番昼が長く、夜が短いとされている夏至ですが、
易の卦象を見れば、夏至はすでに陽消陰長の起点、
「陰の起こり」となっているのがわかります。
陽の極みである乾為天(けんいてん)が転じ、
今日を境に、
兆(きざ)しの中では、
陰の流れがスタートを切ったのです。
これから本格的な夏を迎え、
地上では最も陽の力が壮んになる時節を迎えていますが、
潜象(せんしょう)の中では、
すでに陽の力が衰え、駆逐されはじめているのですね。
このように、易は、
目の前に起こっている現象は、
すでに潜象の結果としての「投影」にすぎない、
ということを教えてくれます。
これは易でいうところの
「形而上(けいじじょう)」「形而下(けいじか)」の概念そのものです。
形而上とは、
まだ現象界でカタチには現れていない、
「原因」の世界。
ものごとが起こる前の震えやゆらぎの「振動」だけがある世界です。
そして、
形而下とは、
形而上の兆し(震えや、ゆらぎ)の振動=「音」が、
凍りついて固まった世界。
つまり、我々が生きている物質界のことです。
易を学んでいると、
形而下の、
凍りついて固まった音の世界に生きる我々が、
形而上の「始まりの音」について悩んだり、後悔するということは、
全くもって無意味だということがわかります。
始まりの音、
つまり、天空の方程式を変えるためには、
数式そのものを変える必要があるのです。
その仕組みを徹底的に究めていった学問が、
「易」なのです。
ですから、
「結果を悔やむ」ということに意味はありません。
結果は、腹を据えてただ受け止め、
清も濁も、ありのままに味わえばよい。
と易は言っているのだと、私は思います。
荘子は「占わずして吉凶を知る」 と言い、
荀子は「よく易をおさむる者は
という言葉を残しています。
「易経の語る兆し、変化の法則、この本当の理を知ってしまったのなら、もはや占う必要はない。」
という意味です。
占っているうちは、二流だよ。
と、言われている気がしてなりません。(笑)
兆しを語る変化の書「易経」は、
数千年以上の歴史がありながら、
それでも今なお、
読めば読むほどに常に新しく、
どこまでも深い洞察と示唆を、私に与え続けてくれるのです。
※
昨年の夏至の記事に加筆・修正をし転載しました。
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2012年07月29日
易経(えききょう)の繋辞伝(けいじでん)などには、
「子曰く」という言葉がよく出てきます。
この「子」というのは子供という意味ではなくて、
「聖人」とか「先生」という意味があるのです。
(主に男子に対する敬称です)
ですから、
例えば孔子さんは、
こうしさんではありません。(笑)
「孔」が名で、
続く「子」は敬称というわけですね。
つまり孔子さんは、
「孔という名の聖者」という意味です。
立派な人を「君子」「天子」と呼んだりするのも、
孟子、荀子、老子、荘子、列子、孫子、韓非子、墨子、呉子、菅子、鬼谷子、
などの人物についている「子」も意味は同じです。
子は十二支の始まりを表す記号であり、
北を指す座標でもあります。
『漢書』律暦志によると、
「子」は「孳」(し:「ふえる」の意味)で、
新しい命が種子の中に萌し始める状態を表しているとされます。
そこから大元、始まり、根元などの意味を含む記号となったのです。
北は天空で唯一動かない星「北極星」がある方角。
天にあるものは全て動くというルールの中にあって、
唯一動かない星である北極星は、
古代より尊崇の対象であり、
「北辰」と呼ばれていました。
それが北の座標である「子」の記号と結びつき、
「聖なるもの」を比喩する言葉になっていったのですね。
古代より王宮などが北を背にして南向きに建てられたのも、
この北辰の力を背に受けるためだと言われています。
日本でも、
平城京、平安京も北を背にして南向きでしたし、
今の天皇のお住まいである皇居も、もとの江戸城も、京都御所も、全て南向きです。
北の力を示す「子」の字。
色々調べていくと、
このように面白い発見がたくさんあります。
もちろん易経は漢文で書かれていますから、
「子」だけではなく、
経典に出てくる他の様々な漢字の成り立ちや意味を調べていくと、
色んな新しい気づきや学びが隠れているのですね。
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2012年07月23日
易は六爻あります。
※爻(こう)・・陰陽の記号のこと。
三爻で八卦(はっけ)、
六爻で八卦が上下組み合わさった大成卦(たいせいか)です。
八卦に内包される人間の元型のパターンも、
乾坤から生まれた六人の子どもなのです。
<夫婦>
乾(天)・・父
坤(母)・・母
<三兄弟>
震(雷)・・長男
坎(水)・・中男
艮(山)・・少男
<三姉妹>
巽(風)・・長女
離(火)・・中女
兌(沢)・・少女
易経の十翼「繋辞上伝」には、
この「六」に対する定義をしている一文があります。
易の書たるや、広大にして悉(ことごと)く備わる。
天道あり、人道あり、地道あり。
三才を兼ねてこれを両(ふた)つにす。故に六なり。
六とは它(た)にあらず。三才の道なり。
つまり八卦の三爻は、
天地人を表すものであり、
それを二つ合わせて作った六爻も、
二爻づつ束ねて天地人を作っているという意味です。
八卦だろうと、
大成卦だろうと、
結局「天地人」の三才から一歩も出ていないということですね。
また、
中国の古典でも、
六は四方(東西南北)と上下を表す比喩をしていて、
荘子もこの宇宙を天地四方の「六極」と称し、
「六極の外に出でて無何有の郷に遊ぶ」
(宇宙の外に出てものひとつない無の郷に遊ぶ)
と書いていたりします。
五行大義(ごぎょうたいぎ)でも六は
一・・太極
二・・天地
三・・天地人
と定義していて、
太極→天地→天地人 = 一+二+三 = 六
と説明する一文もあります。
※五行大義・・隋の蕭吉が編集した五行説の集大成を収めた書物
易経始まりの卦「乾為天(けんいてん)」の彖辞(たんじ)にも、
「大いに終始を明らかにし、六位時に成る。時に六竜に乗り、以て天を御す。」
という言葉があります。
6は数学の世界でも「完全数」と呼ばれる数。
太古の人々は、
この神秘的な6という美しい数理に、
魅せられていたのですね。
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