August 17, 2007

タイム・キーパー

「こちら、よろしいですか?」

 その時、私はアイスコーヒーを飲みながら、午後の講義までの時間を大学の近所のハンバーガー屋で持て余しているところだった。トレイの上にはくしゃくしゃになったフィッシュバーガーの包み紙。つぶれたポテトの入れ物と、チキンの入っていた空の箱。

 あと10分はここにいよう。店にあるアンティーク時計を見ながらそう思った。あの伯爵の長いほうの手が文字盤の10のところを指したら、大学へ向かおう。
 バーガー屋は住宅街の奥まったところにあり、店の前は数十分に1台の車が通る程度の小さな道があるだけ。駅前のファーストフードとは違う、ゆったりとした時間が流れる。まるで都会の穴場スポットのようで、見つけた時に「これは!」と思ったのだが、実はご近所でもけっこう知られたバーガー屋らしく客の入りはいい。

「あの、すいません」

 二度目でやっと私は自分が呼ばれていることに気づいた。ストローから口を離し、視線を声のほうへ向けると、メガネの男の子が困った顔をしていた。手にはバーガーのトレイ、肩には地味なトートバッグ、見るからに受験生。さらに周りに視線を向けると、同じ年頃のおそらく中学3年生らしき、トレイを持ったまま席を探す姿が何人かいた。
 黙ってトレイを少しずらすと、男の子は私の向かいの席に腰掛けた。心持ち視線をずらす。そのとき、ふと彼の手元が気になった。私と同じ腕時計をしている。
 彼と目があった。彼は私を見ていた。
「池袋の露天でね、買ったんですよ」
 覚えている。去年の夏、夕方だったと思う。スキンヘッドのオヤジが「一点ものだよぉ」と言って勧めてきた、ちょっと風変わりな時計。
「ヘンですよね。文字盤が全部でたらめだ。これじゃとっさに時刻が分からない」
 困ったような顔をして時計を見る顔に、ふと親近感がわいた。
「あのオヤジめ。やっぱり一点ものっていうのは方便か」
 初めて声を出した私に、彼は嬉しそうな顔をした。

 ストレートバーガーを食べる彼から、その腕時計を借りてみた。
 見れば見るほどそっくりだ。この時計は文字盤が順序よく並んでいない。一番上の、普通なら“12”の数字があるところには“9”があるし、その次は“1”でもなければ“10”でもなく”7”。要するにでたらめなのだ。そのくせ針は普通に回る。慣れれば普通に時刻が読めるようになるが、ちらっと見ただけでは分からない。そこが面白くて私はその時計を買った。彼と私の時計は、そのでたらめな数字の順序も一致していた。ひとしきり確認して、彼に返す。返すとき、一瞬だけ“どちらが自分のものか分からなくなった”。彼は受け取った時計を腕にはめる。そのころには彼も自分のバーガーを食べ終わっていた。店の時計を見る。伯爵の手はほとんど進んでいない。 と、
「そんなに急がなくても、どうせ教授は遅れてくるんでしょ」
 ポテトが私を指していた。生意気な目がこちらを見ていた。

「まぁね。・・・どうせ」「「大学の教授なんてみんなそんなものよ」?」
 !
 声がかぶった??

「「兄弟にでも聞いたの?」・・・いや、残念。僕は一人っ子なんだ。別に“あなた以外の誰に聞いたわけでもない”。ついでに言っておくと、昔話のサトリみたいに思考を読んだわけでもないよ」

 目の前の彼は涼しげな目つきで私を見ている。しかし、私は何だかカフェの中でこのテーブルだけ周囲の世界から切り取られたような錯覚に陥っていた。
 ただ、あっけにとられて、声が、出ない。
 いや、次に出す言葉も“先に言われそう”で。その恐怖が私に声を出すこと、身動きすることを止めさせていた。彼の言葉は続く。
「こんにちは。“今日のあなた”。まずは“昨日のあなた”からの伝言を伝えましょう。『怖がらなくていい。こいつは“今までの私”の行動を覚えているから先読みのようなことができるだけで、本当に未来が見えているわけじゃない』だそうです。ずいぶんな言われようですね・・・。でも、間違ってはいないです」
 そこで彼は一旦言葉を切り、ポテトを口に含んだ。そして呆然とした私にすまなそうに言った。
「あの、驚かしてすみません。ただ、こうしないとあなたは僕の話を聞いてくれないし・・・。ところで、あの・・・」
 何?
「アイスコーヒー。そろそろしずくが下に垂れますよ?」

 “彼”には名前がなかった。いや、元はあったらしい。しかしこの生活を繰り返すうちに“自分”を“その他大勢”とから特別扱いするためのラベルは必要ないと判断し、捨てたとのこと。彼の生活というのは、
「とても単純なことなんです。僕は“今日”という日をずっと続けているんです。だから、僕にとってあなたと会うということは何回も繰り返された行動なんですよ」
 信じられるはずはなかったが、会話の先読みといい、否定できるだけの根拠はなかった。
 彼は“毎日”私にこのカフェで会い、同じ話しを繰り返すのだという。
「もちろん、始めはうまくいきませんでした。気味悪がられて席を立たれたり、あるいは完全に相手にされなかったり。何度も失敗を繰り返して、その度に手を変え品を変え、そのうちあなたは僕の話を聞いてくれるようになったんですよ」
 何のために私に会って、話をするの?
「さぁ、それは僕には分かりません。ただ、“こうすることが未来にとって意味があること”だってことは分かります」
 ?
「未来は過去によって変化するというのは、SF等でよく論じられていますよね。でも、その逆もまた然りなんですよ。僕はこの今日という日を“毎日”送っています。毎日同じことの繰り返しで退屈だと思いますか?ところが現実はそうでもないんですよ。“今日”は絶えず変化し続けています。私の“昨日”した行動によって、“今日”は毎日変化しています。大局的にわずかな変化であれば問題ないでしょうが、何せ過去が未来に与える変化というのはそれこそ『ブラジルの蝶の羽ばたきがテキサスでトルネードを引き起こす』ようなもので、“何”が良いのか、“どこまで”が良いのかさっぱり分かりません。でも僕は試行錯誤を繰り返して、できるだけ良い“明日”につなげるために“今日”を過ごしています。今日で世界が終わったら僕の夢見が悪いですしね」
 少しほほが緩んだ。それを確認して、彼は一息ついた。
「しかし、良かった。“今日もあなたと話ができた”。実は、この行動は僕の存在意義の大きなところを占めるんですよ」
 私と話せなかったら、何か不都合が起こるの?
「いや、それをあなたは知らないほうがいいでしょう。・・・それに、僕も話す気はありません」
 そう言って彼は口元に指をあて、片目をつむって見せた。出逢ったときには気づかなかったが、今ではその所作にすら、ある種の風格が漂って見える。

「僕が“まだ普通に日々を過ごしていたころ”、そのころ通っていた塾の自習室に、誰も使わない机があったんですよ。試験前などで自習室が混んでいるときも、その机だけは空いていたんで、僕は好んでそこを使用していました。ある日、その机に先客が、女の子がいたことがあったんです。珍しいなぁと思い、僕もその向かいに腰掛けたんですが、彼女はノートも何も広げてなくて・・・。そして“このこと”を聞かされました」

「留まることを決めた理由ですか?いや、別に正義感とかそんなものじゃないです。たぶん、受験勉強に疲れたからとか、そういう理由だったと思います」

「後悔ですか?いえ、ありません。というか、明日が来る人たちと違って、“留まった者”に後悔なんて概念は不要です」

「ふふ・・・えぇ。構いませんよ。これはとても手の込んだ手品で、私はあなたを驚かすためにこういう話をしている。あなたの近しい人からあなたについての情報をもらって、それで“運良く”会話のシンクロを成し遂げてあなたの信用を得た・・・と。そう考えるのが、一番自然ですよね」

「私のことを聞かないのか、ですか?いえ、結構です。それに、実は私も若かったころ、あなたに根掘り葉掘り尋ねたことがあったんですよ。また、会話の流れによっては、私が聞き役に回って、あなたが自分のことを積極的に話してくれるという日もあります。そういうわけで、私はあなたのことを少なからず知っています。だから、あまり取り立てて知りたいと思うことはないですね」

 恐怖心が消えてからは、様々なことを聞いた。もちろん完全に信じたわけではないけれど、彼の言うことにはいちいち芯が通っている気がした。

「それではそろそろ失礼します。講義、遅れないでくださいね」
 食事の終わった彼の手がトレイにかかった。一方私と言えば、全く食が進まずポテトもコーヒーも、まだ半分ほど残っている。
「あ、あの・・・」
 もう一つだけ、どうしても”聞いておかなければならないこと”があった。どうせ、伯爵の手は、”さっきから全く進んでいない”。


 次の日カフェに行ったら、予想通りあのテーブルは消えていた。そして、私のお気に入りだったあの腕時計も、失くしていたことに気づいた。オヤジの言っていた「一点もの」というのは、案外本当だったのかもしれない。
 夢というのは、すぐに見るようになった。起きたときには忘れていることも多いけど、おそらく毎日見ているのだと思う。その夢には必ず、扉が2つ出てくる。それは夢の最初だったり最後だったり、何かの夢と混ざって出現することもあるが、必ず2つ一組だ。
「扉が、2つ出てきます。2つとも外見的な違いはありません。その扉の、“右のほう”を開ければ普段の“明日”に行けます。ただし、“左のほう”を選ぶと、あなたは“今日”に留まることになります。一度左の扉を選ぶと二度と扉が2つ出てくることはありません。そして、あなたも”明日”を迎えることはなくなります」
 彼はこうも言った。
「どんな会話の流れでも、あなたは必ず最後に“このこと”を聞くんですよね。もしかしたら、これは壮大な伝言ゲームかもしれない、と僕はたまに思うんです。僕にこのことを伝えた彼女も、誰かからの伝聞で・・・。誰が“最後”なのかは分かりませんが、過去から未来に何かを伝えたい人がいる、或いはやり直しのきく未来のために過去に道標を残している、のかもしれません」

 ともかくとして、可能性は私に受け継がれた。
 私はどの時点で“立ち止まれば”いいのだろう?最近はそのことばかり考えている。

k_yon at 04:15│Comments(0)clip!書く 

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔   
 
 
 
現状報告
 KiCad解説本の重版が決定しました!ありがとうございます♪.(2016/12/10)

自己紹介
yoneken
logo
 ロボットの研究・開発をしています。

続きを読む

連絡先は
ad

Syndicate this site
 2012年からKiCad日本語版バイナリのメンテナもしています.
来てくれた人たち
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

ショップリンク
嬉しいコメント
記事について
 このブログ記事の著作権は全てyonekenに属します。
 転載や個別記事へのリンクはご自由にどうぞ。連絡は必要ありません。
 記事の内容は無保証です。古い記事の内容は当時と状況が変わっている場合があります。
 内容に関する質問はコメント欄でもらえると、他の人にも役立ちます。
記事検索
月別
リア友リンク