恵美押勝の乱

764年の規定では、新設の司令官が10か国から動員できる兵の数は1国につき20人と決まっていた。
ところが恵美押勝は600人を動員する命令書を作るよう太政官の高丘比良麻呂(たかおかひらまろ)に命じる。

高丘比良麻呂は身の危険性を感じ、孝謙上皇に密告した。

さらに数日後、恵美押勝が道鏡の排除計画について占わせた
陰陽師の大津大浦(おおつのおおうら)も密告する。


関西歴史事件簿
園田和洋

産経A