JanJan 2007/08/15

 〈言論出版をはじめとする表現の自由が、民主主義体制の存立とその健全な発展のために必要とされ、最も尊重されるべき重要な権利である─〉

 昨年9月22日、筆者が雑誌『週刊金曜日』とともに武富士・武井保雄元会長(故人)に損害賠償を求めた裁判(反撃訴訟)の判決が言い渡された。批判記事に対し、「事実無根だから1億1000万円を払え」という言いがかりの訴訟を武富士が起こしてきた。それに対する反撃訴訟である。冒頭はその判決の一節である。判決はこう続く。

 〈……権利関係が事実的、法律的根拠を欠くものであり、それを容易に知りえたのに、言論、執筆活動を抑制またはけん制するために被告会社(武富士)が訴訟を提起した行為は、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものというほかなく、原告らに対する違法な行為として、損害賠償の責を免れない〉  故武井保雄氏と連帯して、三宅と『週刊金曜日』に損害賠償金計240万円を支払えと、判決は認定した。口封じをはかる武富士との4年越しの闘いに決着がついた瞬間である。

 「快挙だ!」「画期的判決だ」と支援者は高く評価する。提訴という広く認められた紛争解決の手段について、不当提訴だと断罪した判例はきわめて少ないという。

 苦労が報われてうれしい、その一方で、しかし、当事者としては複雑な思いが残っている。関係者が応訴に要した実費だけでも到底240万円では足りない。当たり前のことを書き、当たり前の判決をもらうのに、なぜこれほどのカネと労力を費やさねばならないのか。

 記事は事実無根だから5500万円払え─消費者金融最大手の武富士からそういう趣旨の訴状が届いたのは2003年3月のことだった。雑誌『週刊金曜日』に連載した「武富士残酷物語」と題する記事が名誉毀損にあたるというのだ。ややこしくて恐縮だが、前述の「反撃訴訟」に対してこの裁判を「武富士口封じ裁判」と呼ぶことにする。

 武富士が送ってきた訴状を一読して、即座に「口封じ目的だ」と感じた。というのも記事を少し引用しては「しかしながら以上のような事実はない」の繰り返し。それでいながら「事実がない」具体的な理由は何一つ触れていない。裏づけなどまったく内容がないのだ。「これなら、少しコツを覚えれば誰でも書けるではないか」といぶかしく思ったほどだ。

 そもそも武富士取材の端緒は「武富士にひどい目に遭った」と証言する人がごまんといたからである。その声をつぶさに聞いたうえで武富士側に取材を申し入れた。だが返ってきたのは「指摘の事実はない」というつっけんどんな答えだけ。そのつっけんどんな答えも紹介して記事にしたところ、武富士から届いたのが訴状だったというわけだ。

 訴状の表には20数万円の印紙が貼られており、「原稿料より高いではないか」と目を見張った。さらに中を見ると「弁護士費用は500万円を下らない(後に1000万円)」とある。

 そんなカネをかけて面倒な裁判を起こすより、取材に答え堂々と反論すれば済む話だった。それをしないのは指摘が図星だからだ。そう確信した。

 「提訴は記事を止めさせるための恫喝だから、ひるんでは足元をみられる」と、提訴後も連載を続けた。武富士は5500万円の賠償請求額を1億1000万円に拡張してきた。

 記事の内容とは、当時、マスコミの絶対的タブーといってもよい大手サラ金の違法業務を暴くルポである。▽支払う義務がない親で、聴覚障害者でもある第三者から強引にカネを取り立てた、▽うつ病で苦しむ多重債務者の子どもの学校にまで回収担当社員が現れた、▽密室で暴力を受けたり日常的に罵声を浴びせられるなど社員虐待の実態、─などを当事者の証言や内部告発を元に明らかにした。

 「口封じ裁判」が始まったが、武富士は証拠をほとんど出さずにひたすら「ウソだ」「事実無根」を繰り返した。争点は15に及んだ。こちらは重箱の隅をつつくような瑣末な点を細かに立証することを強いられた。

 訴えられた側が「ウソでない」ことを立証しなければならないのが、名誉毀損訴訟の常なのだという。黙っていれば負けるのだ。ウソだというのならその理由を示せ、と言いたかった。理不尽さが身にしみた。

 言いがかりをはね返すために、北海道、九州、四国、名古屋、大阪─と全国に散らばる取材協力者に協力を求めて走り回った。武富士の「事実無根」説は次々に崩れた。うちひとつは武富士自身で取り下げざるを得なかった。

 とうとう最後は、言うにことを欠いたのか、武富士社員から不当な取り立てを受けた支払い義務のない親族に向かって「虚言癖」という言葉を使ってこき下ろすありさまだった。

 04年9月16日、東京地裁は武富士完全敗訴判決を言い渡した。武富士は控訴したが、即日結審で棄却された。それでも同社は懲りずに最高裁に上告した。相手にされるはずもなく棄却され、05年6月、武富士の完全敗訴が確定する。

 すべての争点について真実性、真実相当性が認定された。考えてみればあたり前のことだった。

 この期におよんでもなお武富士は謝らず、金融庁もろくに処分をしなかった。大マスコミは広告を載せ続け、盗聴事件以外のことは書こうとしなかった。

 大企業の批判記事を書くたびに、こんなでたらめな裁判を起こされてはたまらない。裁判制度を悪用した口封じに歯止めを─そう考えて起こしたのが本稿の最初で紹介した「反撃訴訟」である。口封じ裁判を撃退し、反撃裁判で「口封じ裁判」の違法性を勝ち取るまで3年7カ月を費やした。勝っても「やられ損」なのだ。

 逆に企業からみれば、完全敗訴したところで訴えた相手の記者や出版社に大きなダメージを与えることができるのだから、名誉毀損裁判は便利なツールである。結果、武富士に限らず大企業が、「名誉毀損」を理由に批判者を訴える裁判があとを絶たない。絶大な言論抑制効果も発揮している。

 現にある大新聞の記者は筆者にこう言った。
 「ウチ訴えられたらやばいから……三宅さんのように強くないから」

 ただいくら便利なツールとはいえ、誰でも自力で簡単に起こせるわけではない。欠かせないのが専門家の存在だ。

 筆者を訴えた武富士の代理人の筆頭弁護士は弘中惇一郎氏だ。高名な人権派として知られている一方、先物会社の悪徳商法を擁護する仕事をするなど評価は分かれている。この弘中氏が朝日新聞社の発行する『論座』06年12月号で「司法の論理とマスコミ・世論の狭間で」と題し、興味深いことを語っている。

 〈……裁判というのは基本的に、弱者のための手段という側面が強いわけです。強者はほかの権力や手段を使って目的を達成することがありますが、弱者は、ドミニカの日本人移民訴訟などもそうですが、最終手段は裁判しかありません。そういう意味では、強者が司法を利用するにあたっては慎重にならなければ「報道を規制するのか」という誤解を招く恐れが出てくる……〉

 しごくまっとうなことを言っているのだが、ではなぜ武富士の代理人として筆者のような個人を訴えてきたのか。疑問を抱きながら読み進め、次の一節に思わず吹き出した。

 〈……ただ、強者と弱者の関係は難しくて、武富士の武井保雄元会長は確かにお金持ちかもしれませんが、彼とマスコミを比べれば、マスコミのほうがはるかに強者です〉

 このマスコミの中に、『週刊金曜日』や筆者も含まれているということなのだろうか。不安定な年収300万円以下のわたしが東証一部上場企業のトップより強いなんて、弘中氏はいったいどういう思考の持ち主なのだろう。

 都合の悪いことを書かれると、批判に答えるのではなく裁判を起こして圧力をかけるという企業のモラルも問題だが、口封じ工作に手を貸してカネにする弁護士ビジネスこそ最大の癌ではないか、そう思えてならない。
(三宅勝久)
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本文は『マスコミ市民』(2007年8月号)に掲載された文章です。(編集部)