白鳥おじさん ブログ

継続は力なり

2018年12月

12月31日月曜am4時7分。

おはようございます。皆さんいかがお過ごしですか?
いよいよ大晦日。2018年もおわりだ。何の話を
する?キャバクラ?・・・嘘です。別に私、そんな
キャバ好きではない。まあ、嫌いではないが(笑)
そろそろ本題へ入ろう。やはり今朝は本年の締め 
括りにふさわしいモノを。やはり、「今年の総括&
来年の俺」といこうではないか。

あっという間に始まり、あっという間に終わろうと
している今年。本当、早かった。そして、色んな事
が起こった。こんな目まぐるしい一年だとは、自分
自身予想もしていなかった訳で、少々驚いている。

1番大きな出来事は、やはり父の死だろうか。身近
な、とても近しい人物が亡くなったのに対して、私
も大きく動揺した。彼は、8/24という夏真っ盛り
の時期、死去した。 父親がいなくなる事は、誰しも
いつか経験する。遅かれ早かれ…。しかしいざ本人
がこの世から去って思うのは、これ程まで自分の心
に突き刺さろうとは考えていなかった、全く持って
である。

父はJAZZを愛していた。レコードも1000枚以上
所持していたと思う。生前、彼がこんな事を言って
いたのを記憶している。入院していた頃の話だ。
退院して、また必ずライブを観に行く」 
そんな願いも叶わぬまま66年の生涯を閉じた父。
最期まで不屈な男であった。

さて、父の息子である私がこのままのうのう生きて
いく訳がない。彼が死ぬまで抱いていた負けず嫌い
で諦めの悪い魂を受け継いでいかないとならない。

読者の962500人様は知っているであろうが、
自分、4年半前大きな病気をした。その後遺症から
現在車椅子生活を余儀なくされている。身体障がい
者というヤツだ。当初、いや昨年くらいまで自分の
身に降りかかった現実を受け止めるのにとても苦労
した。しかし、現在私は病気だろうが車椅子だろう
が障がいだろうが、全部受け入れるとても前向き
男となった。まあそういう話なんだな。

一昨日、中学の仲間達を集めて忘年会をしたった。
総勢11名!来年はもっと増やすぞ。今度は忘年会
ではなく暑気払いにするか。

ところで、2019年はどんな風にしたりますか。
今年は結構やれたから、もっとやったるけん。とに
かく前向きに、前向きに!

まあ何と言っても、やっぱり1年を振り返ってみる
とサッカーW杯イヤーだった。って、結局やっぱり
そこかい(笑)当然でしょう。というか、その話に
尽きるのでないか?来年すぐに始まるアジア杯も、
森保Japanの今後を占う大事な大会だし。え、もう
いいって?わかったよ、この辺で終わりにするよ。

とりあえず1392500人の読者様方、よいお年
を。来年もよろしく!

お後がよろしいようで

おしまいIMG-0848






 

12月30日日曜am3時54分。

おはようございます。皆さんいかがお過ごしですか?
2018年もあと2日、やり残した事はないであろ
うか。例えば忘年会。早速だが本題へと移り変わり
ます。準備はいいかい?

「昨夜私は、『最高の仲間達』と忘年会をした


まずいきなり、こちらの写真達をごらんください。
IMG-0845
IMG-0848

これが昨晩開催された宴である。題して「富岡会
あ・・・イニシャルにしなかった。まあ、いいか。
と、いう訳で本名で。

私は、埼玉県所沢市立富岡中学校という中学出身で
ある。現在36歳の自分がそこを卒業してから、早
20年強。時が経つのは恐ろしく早いものだ。そん
な富岡中出身者達と呑んだ訳だ。まず結論から言っ
てしまおう。とてつもなく楽しかった!楽しい以外
言葉が思い浮かばない。
そんな昨夜の出来事。

正直、何から述べればいいのか分からない。それ程
昨晩の宴は素晴らしかった。皆、自分と同様に楽し
んでいた。真面目な話から超下世話な話まで、とに
かく語り尽くした。これ以上ないくらい、誰しもが
笑顔だった。まさに、腹がよじれる程笑った。何度
笑い死にしそうだと思ったか・・・!

前述した通り、我々が富岡中という学び舎を卒業し
20年以上。当然のごとく皆、歳を食った。36歳
と言うと世間では中年の域に入るだろう。オジさん
かな(笑)。そういう年齢になった私達富岡中出身
者達。それぞれがそれぞれ、人生を重ねてきた。良
い出来事も悪い事柄もあっただろう。当たり前の話
だ、そんなもの。立派な大人だ。36年間全ていい
事だけ、なんていうヤツはいない。いたら是非お目
にかかりたいものだね。

だがしかし、昨晩の様な素晴らしい奇跡的宴に参加
して、つくづく思うのは、人生って捨てたもんじゃ
ねえなあ です。

私は、数年前大きな病気をしてしまい身体障がい者
になった。とても辛かった。だからといって何だと
いうのだろうか?自分には、これだけ素敵で無敵な
仲間達がいる。不幸だとか、全然思わない。

ちなみに、「富岡会」の企画担当は私です。今回、
何故富岡中忘年会を開催しようと思ったか?それは
言うまでもなく、長い歳月を経た現在でも富岡中が
自分の特別な場所だからである。

昨日の参加者は、自分を含めて計11名。声かけを
したのは約20名。今回やむなく欠席した奴らにも
次回、是非参加してもらいたい。そうして、みんな
が心にしまいこんでる富岡魂をその時だけでも呼び
起こしてくれたなら、これ幸いである。

そのためにも早速、次回「富岡会」の企画をしよう
かな。まだ早えか(笑)

とりあえず、富岡最高!!

おしまい
 

12月29日土曜am4時25分。

おはようございます。皆さんいかがお過ごしですか?
今年も、終わりを告げようとしている。あなたにと
って2018年は良い1年でしたか。何?そういう
お前はどうなんだってか。そうですねえ、最高です
よ、まあ本当は最悪だけれどね。最悪でも最高って
いう風な「前向きに捉える方法」伝授してやんよ。 
なんか偉そうだな。まあいいか。とりあえず、本編
始まり〜。

さて、私は思う。人生は苦難の嵐である。 現在36
歳の自分がてんかんという大きな病にかかったのが
約15、6年前。二十歳前後であった。 そして極め
付けが、32歳で発症した脳炎という非常に大きい
大きい病気。 これにより、健常者だった私の身は、
身体障がい者という枠に区分された。身体に障がい
を持った私が、車椅子生活を余儀なくされた。 まあ
こういう訳なのだ。

てんかん、障がい者、車椅子生活…。中々、厳しい 
試練続きの我が人生。正直嫌だ。逃げ出したいとい
うのが本心である。純朴な少年時代、楽しかった。
あの頃は、まさか己自身がこんなにもどん底へ落と
されようとは考えてもみなかった。獣道、まさしく
獣道だ。

障がい者として生きる事がどれ程きついか、辛いか
は当人しか分からない、絶対。 はっきり言おうか。
死んでしまいたい」 

だから?なんですか?私は死なない。というか死ね
ない。 何故なら、夢も希望も目標もあるから。生き
ていく糧を見失っていない!何よりも、逃げ出した
ら自分の抱くPunk魂に背く事となるから。 だから
時々、弱音を吐いたりマイナス思考になるけど、私
は絶対死にません。全て嫌になる事もある、障がい
者になった辛さもある。だけど、そんなモノ何でも
吹き飛ばしてあげましょうか。全部克服してやる。

夢は、日本がサッカーW杯で優勝する事。
希望は、内緒(笑)
目標は、車椅子先生になる事。
 

そんな思いがあるから、私は死ぬ訳にはいかん。
あきらめたらそこで試合終了だよ(スラムダンク)

あなたもあなたもあなたも嫌になったら自分の中に
宿っている眠らない反骨精神を思い出してみるとい
い。必ず、再度立ち上がれるから。

おしまいIMG-0519




 

12月28日金曜am1時19分。

おはようございます。皆さんいかがお過ごしですか?
今朝(というかまだ夜中だね)、何故こんなに早い
起床かというと、後ほど早くから外出しなければな
らないためである。そういう訳で本日は超超早起き
とあいまった。

さて、今年もあとわずかである。今日を含めてもう
4日!!思い残しはないであろうか。私はあるが、
明日以降にとっておこう。とりあえず、本日自分が
愛を込めて論述したいのは「バスケットボール」の
お話です。出ましたお得意スポーツネタ、それでは
参りますか。

1982年生まれの自分にとって、バスケットはと
ても身近なスポーツであった。特に90年代、最も
バスケット人気が高揚した時期と言っても過言では
ない。その頃、私は小学生・そして中学生という多
感な少年時代を送っていた。正に思春期真っ盛り。
当時、スポーツ人気はサッカー・野球・バスケット
という風に3分割されていた。バレーボールも中々
人気が高かったものの、前述した3大スポーツには
遠く及ばなかった。

現在では少々人気薄となっているバスケットだが、
何故あの頃=1990年代老若男女問わず大多数が
バスケ狂だったか。答えは非常に単純明快。それは
神様MichaelJordan擁するBullsが全盛時代を迎えて
いたからである。91〜98年まで6度、NBA制覇
を成し遂げたジョーダン。あの頃、彼が世界に名だ
たる大スターだった事は20年以上経た今でも記憶
に新しい。

では、ここで面白い問題を自分に投げかけてみる。
ブルズ6度の優勝において1番苦戦した相手はどの
チームだったか?おさらいすると、決勝で対戦した
のは、
91年・レイカース
92年・ブレイザーズ
93年・サンズ

96年・ソニックス
97年・ジャズ
98年・ジャズ
である。結論から言うと、この中で特にジョーダン
を、ブルズを苦しめたのは絶対ユタ・ジャズだ。

97年、98年とファイナル(決勝)で対戦した両
者。ブルズにはジョーダン、ピッペンという絶対的
選手がいたが、一方ジャズにもストックトン並びに
マローンという強者達がいた。この二人は無敵以外
形容する事ができない。その時、私は中3だった。
ジョーダン・ピッペンVSストックトン・マローン
激しいバトルに胸を高鳴らせた。

アメリカンプロスポーツ界において優勝というのは
とても重要視される。そういった意味で、ジャズの
二人が手にできなかったチャンピオンリング、あと
1歩であった。もし彼らが、ジョーダン達ブルズを
撃破していたならば、評価も格段と高いモノだった
に違いない。

しかし、私は決して忘れない。というか忘れる事が
できない。ストックトン・マローンがあのマイケル
ジョーダンをどれだけ苦しめたか。恐らく同年代の
バスケットファンならば誰もが覚えているだろう。
ジョン・ストックトン、カール・マローン。彼らは
まさしく無冠の帝王である。

おしまい
 

12月27日木曜am3時14分。

おはようございます。皆さんいかがお過ごしですか?
あと数日で本年も終わり。やり残した事はないであ
ろうか。私は、ある。今年が、というよりも毎年、
思っている。それは、
若い時代にもっと羽ばたいておくべきだった
という自責の念。

現在36歳の私は、まだまだ若いと言えるかもしれ
ない。自分、40代でもなければ50代でも60代
でもない。 人生の先輩、などという言葉をよく使用
するが、 私の年齢で人生訓などを語るには少々早い
と思う。十分に若造だ。しかし、10代後半もしく
は20代前後からすると、一回り歳の離れた大人。
そこで、今朝はハタチ前後、もしくは20代前半へ
向けたエールを述べたい。

私の若い頃を振り返ってみると、とにかく後悔の嵐
だと、今になって思う。数々の失敗を繰り返した。
しかし、そういった経験に対して悔やんだりはして
ない。やらなかった事柄、これらをとことん後悔し
ている。恋も仕事も友情も全て。例えば、どうして
あの日あの時、好きだった娘(こ)に想いを伝える
事ができなかったのか、
 とかね。

よく言うだろう?
やらずに後悔するよりやって後悔しろ
その通りだと私は思う。現在、十数年前の自分に伝
える言葉があるとすればこれだ。やって後悔しろ!
その方が、やらなかった後悔よりも必ず良き記憶と
して残る。経験値もグンと増す。大きな財産にもな
る。若者達にも、様々な経験をしてほしい。恐れる
事なくどんどんチャレンジしてもらいたい。確かに
色んな挑戦をする、それは恐怖だね。恐ろしくて、
足がすくんでしまう時もある。だけど、そういった
チャレンジ精神があなたの、あなた自身のパワーに
なるから、きっと。

だから諦めずにトライして。以前、私が学生時代の
頃、恩師がこんな言葉を述べた。
若さは自由だ
こう言われた当時は、特にピンとこなかったが今は
よくわかる。そう、若いという事は自由なのだ。

つい先日、というか昨日、お世話になった方と多分
最後の別れをした。正に二十歳前後の若い女性だ。
あ、こう書いているとなんだか亡くなったみたいに
捉えられてしまうが、超お元気なので(笑)

しかし別れは幾つになっても辛いなあ。心が痛い。
別れというものがあって新たな出会いがあるなどと
いうのは、わかっている。わかっているけど、辛い
のは事実無根だよね。とりあえず、今その方に言え
るのは一つだけ。

ありがとう、元気でね、という事だ。

おしまいIMG-0576





 

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