"かぎろひ" 「山・歴史・旅」のページ

山紀行を中心とした、歴史、旅のページです。

695. 「槙尾山(601m)〜岩湧山(897m)」 〜ダイヤモンドトレール4〜

「槙尾山(601m)〜岩湧山(897m)」 〜ダイヤモンドトレール4〜

■紀行■

 久しぶりに、ダイヤモンドトレールを訪れました。

 今回は、槙尾山施福寺のダイトレスタートポイントから、
岩湧山、紀見峠までのコースです。

 槙尾山施福寺は、西国三十三所第四番の天台宗の寺院で、
「槇尾山大縁起」によると、欽明天皇の時代、葛城修験系の
寺院として創建されたものとされます。

 若き頃の空海が剃髪したお寺でもあり、御本尊は弥勒菩薩
で、左右に十一面千手千眼観音、文殊菩薩、三尊の周りに、
四天王立像と、立体曼陀羅のような景観です。

 施福寺境内の横に、ダイトレの起点があり、ここからスタ
ートです。

 施福寺から滝畑ダムまでは、下り中心のアップダウンがあ
りますが、そんなに難路はありません。

 滝畑ダムから、岩湧山までは、きつい登りが続きます。岩
湧山の山頂付近は、樹木がなく、展望がいきなり開けます。

 登ってきた、槙尾山方面から、金剛・大和葛城山・二上山
に続くダイヤモンドトレールの山々が一望でき、しばし、見
入ってしまいました。

 岩湧山からの下りは、快適な尾根道で、途中、五つ辻、根
古峰を越えて、三合目から紀見峠駅方面に下りました。

 駅近くの紀伊見荘では、以前は日帰り入浴できましたが、
現在はそのサービスが無くなっていることにショックを受け
ましたが、南海電車で帰路につきました。

 ここまでで、36千歩。よく歩きました。


■行程■
 
6:30 阪急西宮北口駅
8:40 南海バス槙尾山口(阪急-地下鉄-泉北-南海バス
           :270円-320円-320円-330円)
9:20 槙尾山(601m) 施福寺 10:00スタート
10:20 番屋峠(428m)
10:35 ボテ峠(477m)
11:00 滝畑ダム
12:40 岩湧山(897m)(昼食) 13:00スタート
13:25 五つ辻(754m)
13:50 根古峰(749m)
14:05 岩湧山三合目(650m)
15:14 南海紀見峠駅(南海-JR-阪急:640円-180円-270円)
16:50 阪急西宮北口駅

IMG_0078IMG_0080IMG_0079






IMG_0086IMG_0083IMG_0088






IMG_0081IMG_0091IMG_0092






IMG_0075IMG_0076CIMG2565

694. 「槙尾山・施福寺」 〜ダイヤモンドトレール起点の寺院〜

「槙尾山・施福寺」 〜ダイヤモンドトレール起点の寺院〜

■紀行■

 施福寺は、天台宗の寺院で、槇尾寺とも呼ばれています。

 ダイヤモンドトレールの起点である、槇尾山の山腹に位置
し、西国三十三所第四番札所です。

 本尊は弥勒菩薩、両脇に千手観音と文殊菩薩を安置し、こ
のうち千手観音が西国三十三所の札所本尊となっています。

 この寺は欽明天皇の時代(550年頃)に、天皇の病気治癒の勅
願により行満上人によって開かれ、弥勒菩薩を安置したのが
草創とされています。

 行基菩薩もここで修行したと伝えられ、また、弘法大師は
ここで剃髪したとされています。

 今回、「御本尊開扉開帳法要」が開催されており、本堂に
ある仏様を拝観することができました。

 登ってくるまでは大変ですが、趣のある素晴らしいお寺です。

 なお、お寺の境内の横に、ダイヤモンドトレール起点のプレ
ートがあります。

IMG_0066IMG_0067IMG_0069






IMG_0071IMG_0072

693. 「有馬三山」 〜静かな六甲裏ルート〜

「有馬三山」 〜静かな六甲裏ルート〜

■紀行■

 久しぶりに、会社のメンバーと有馬三山を訪れました。
六甲は、何度も訪れていますが、有馬側から登るのは久しぶ
りで、今回の有馬三山は初めてです。

 有馬三山とは、有馬の西側の尾根で、落葉山(533m)、灰形
山(619m)、湯槽谷山(801m)のことで、メインルートの魚屋道
に比べ、静かなルートです。

 有馬総合観光案内所の裏手が登り口で、バスターミナルで
トイレを済ませて石段を登っていきます。

 ここは、落葉山の妙見宮への参道になっており、なかなか
の急坂で、鳥居をくぐると妙見堂でこの山一帯が落葉山です。

 落葉山から下り、小さなピークを3回アップダウンを繰り返
すと、灰形山に着きます。

 灰形山から5分ほど進むと、紅葉谷を通して六甲最高峰が現
れます。ここから、湯槽谷山までが、今回のハイライトです。

 急な階段の上りが続き、山頂のように見えるピークが3回ほ
どあり、かなり疲れます。約45分ほどで湯槽谷山に着きます。

 山頂は、縦走路の通過点のような感じで展望はありません。
湯槽谷とは、有馬温泉が始まった時、湯槽の木材をこの谷から
伐り出したことから名付けられたようです。

 湯槽谷山から、極楽茶屋までも、アップダウンが続き、魚屋
道に比べて、歩きごたえがあります。

 極楽茶屋で昼食を食べて、全山縦走路で六甲最高峰までは、
快適な尾根道で、帰りは、魚屋道を通って、有馬かんぽの宿
で温泉&ビール。今日も、素晴らしい一日でした。

 皆さん、どうもありがとうございました。


■行程■
 
8:25 阪急西宮北口駅
9:15 神鉄有馬温泉駅(阪急-阪急バス:190円-780円)
9:50 落葉山(533m) 妙見宮
10:25 灰形山(619m)
11:10 湯槽谷山(801m)
11:40 ロープウェイ下
12:20 極楽茶屋(昼食) 13:00スタート
13:40 六甲最高峰(931m) 14:00スタート
15:15 有馬かんぽの宿(900円)
17:09 有馬温泉バス停(さくらやまなみバス:600円)
18:25 阪急西宮北口駅
  
IMG_0057CIMG2541CIMG2543






CIMG2545CIMG2548IMG_0033






IMG_0054IMG_0049IMG_0052

692. 「菊水山(459m)・鍋蓋山(486m)・再度山(470m)」 〜帰国後初の山〜

「菊水山(459m)・鍋蓋山(486m)・再度山(470m)」 〜帰国後初の山〜

■紀行■

 帰国して、3週間が経ち、ようやく引越荷物等も整理でき
つつあり、日本での生活が軌道に乗ってきました。

 そして、今日は、帰国後初の山歩きを楽しんできました。

 今日は、六甲山系の「菊水山」から「鍋蓋山」「再度山」
への縦走コースです。

 神戸電鉄の鵯越駅から、川沿いのなだらかな道を菊水山方
面へ約1時間で、菊水山に着きます。

 菊水山は、展望が良く、明石大橋から淡路島、須磨アルプ
スから高取山の六甲縦走路、ポートアイランド等がきれいに
見えます。

 ここから、天王吊橋まで、急な下り道で、一旦下ってから、
鍋蓋山まで、急な上りです。

 菊水山から鍋蓋山も、約1時間で、鍋蓋山山頂は、南側が展
望が開けており、須磨方面からポートアイランドまでの眺望が
素敵です。

 鍋蓋山からは、比較的平坦な道で、弘法大師修法の地を経
て、再度山公園から、再度山に登っていきます。

 再度山は、弘法大師縁の山で、真言宗大龍寺の境内でもあ
り、霊験あらたかな山です。

 大龍寺から、市ヶ原を経て、布引の滝、新神戸駅まで約1時
間。久しぶりの六甲は、新緑が美しく、快適な時間を過ごす
ことができました。

 やはり、山はいいですね。


■行程■
 
8:03 阪急西宮北口駅
8:47 神鉄鵯越駅(阪急-神鉄:270円-390円)
9:50 菊水山(459m)
10:25 天王吊橋
10:55 鍋蓋山(486m)休憩 11:10スタート
11:25 弘法大師修法の地
11:50 再度山(470m)
12:05 大龍寺
12:20 市ヶ原(昼食) 12:35スタート
13:10 布引の滝
13:30 神戸クアハウス(980円)
  
CIMG2522IMG_0012IMG_0013






IMG_0015IMG_0016IMG_0017






IMG_0021IMG_0023IMG_0029

691. 「乳海撹拌」 〜ヒンドゥー教の天地創世神話〜

「乳海撹拌」 〜ヒンドゥー教の天地創世神話〜

■紀行■

 アンコール遺跡には、「乳海撹拌」のレリーフが多くあります。
 
 「乳海撹拌」は、古代インドの大叙事詩「マハーバーラタ」「ラ
ーマーヤナ」にあらわれるヒンドゥー教の天地創世神話です。

 太古、不老不死の霊薬アムリタをめぐり、神々とアスラ(悪鬼)が
壮絶な戦いを繰り広げていたが、両者は疲労困憊し、ヴィシュヌ神
(世界の維持神)に助けを求めました。

 ヴィシュヌ神は、「争いをやめ、互いに協力して大海をかき回す
がよい。さすればアムリタが得られるであろう」

 それを聞いた神々とアスラたちは、天空にそびえるマンダラ山を
軸棒とし、亀の王クールマの背中で軸棒を支え、それに大蛇を巻き
つけて撹拌のための綱としました。

 神々がその尻尾を、アスラたちがその頭をつかんで上下に揺さぶ
り始めると、すさまじい炎とともに漆黒の煙が大蛇の口から立ち上
り、そこから雷雲が生じて大雨を降らせ始めました。

 神々とアスラが大海を撹拌し続けると、大海はやがて「乳海」と
なりました。そして、ここから、アムリタをめぐる争奪戦が始まる
のです。

 アスラたちは、なんとかしてアムリタを奪おうとしましたが、ラ
クシュミーに姿を変えたヴィシュヌ神が近づき、その美しい姿で欺
くと、アスラたちはヴィシュヌ神にアムリタを渡してしまいました。

 騙されたことに気づいたアスラたちは、神々を追いかけ始めまし
たが、ヴィシュヌ神からアムリタを受け取った神々は、分け合って
飲み出しました。

 その中に、神に化けたラーフというアスラがいました。

 ラーフがアムリタで喉を潤そうとした瞬間、太陽と月がそれを見
破ってヴィシュヌ神に知らせると、ヴィシュヌ神はラーフの首めが
けて円盤を投げつけ、ラーフの首を切り落としてしまいました。

 すると、断末魔のような叫び声とともに、頭だけが不老不死とな
ったラーフの首は天空へ舞い上がりました。

 このときから、ラーフの首と太陽・月との間には憎悪が生まれ、
ラーフが太陽と月を飲み込む度に日蝕と月蝕が生じるようになった
とされています。

CIMG2324CIMG2326






CIMG2469CIMG2470

690. 「シェムリアップ」 〜遺跡巡りの拠点〜

「シェムリアップ」 〜遺跡巡りの拠点〜

■紀行■

 シェムリアップは、アンコール・ワットの6km南に位置する街で、
このあたり一帯は、何世紀もの間、シャム王権の属国でした。

 Siem Reap は「シャム人敗戦の地」で、17世紀にクメール人がシ
ャムのアユタヤ王朝の軍隊に勝利したことによるようです。

 シェムリアップ空港から、車で20分で、市街地に着き、五つ星ホ
テルも多くあります。

 街中にあるアンコール国立博物館は、入場料12ドルと、カンボジ
アの物価の中では高価ですが、アンコール王朝の歴史を、大型スク
リーンや音響、照明を駆使して分かりやすく紹介されます。

 展示室は「千体仏の間」「宗教と信仰」「アンコール・ワット」
など8つに分かれ、クメール王国の成り立ちや王朝発展に貢献した
4人の王や、当時の宗教について詳しく学べます。
 
 また、夜は、古典舞踏「アプサラ・ダンス」を見ながら夕食を食
べました。アプサラは、「アプサラス」という古代インド神話に登
場する天女で、クメール王からの神への最高使者を意味します。

 アンコールワットの壁画のレリーフにも、アプサラ(天女)の舞
の様子が無数に刻まれています。

CIMG2417CIMG2415






3138CAMBODIA-2-Siem-Reap-177






CIMG2259CIMG2319

689. 「プノン・パケン」 〜夕陽のビューポイント〜

「プノン・パケン」 〜夕陽のビューポイント〜

■紀行■

 プノン・パケンは、アンコールの夕陽のスポットとして
有名です。

 当日は、残念ながら雲がかかっており、日没を見ること
はできませんでしたが、夕暮れの色彩が徐々に変わったい
くところを見ながら、壮大な気持ちになりました。

 アンコールワットの朝日は有名ですが、夕陽も素晴らし
かったです。

IMG_1392IMG_1389IMG_1384







IMG_1363IMG_1379IMG_1377

688. 「タプローム」 〜ガジュマル浸食の寺院〜

「タプローム」 〜ガジュマル浸食の寺院〜

■紀行■

 タプロームは、「梵天の古老」という意味で、1186年、アン
コールトムを創ったジャヤーヴァルマン7世が、母の菩提を弔う
ために建立したと言われています。

 現在は、リエップと呼ばれる巨大なガジュマルの根が、遺跡
を包み込むように浸食し、独特な景観となっています。

 寺院には、200以上の仏像や四面仏の塔門、中央祠堂があり、
三重の回廊を持つ境内は、迷路のように入り組んでいます。

 周囲は東西約1km、南北約0.6kmにわたって塀に囲まれており、
当時、僧侶と615人の踊り子が暮らし、5万人以上の人が出入り
していたと言われています。

 巨大なガジュマルの根は、圧巻でした。

CIMG2403IMG_1304CIMG2395






CIMG2385CIMG2390IMG_1308






IMG_1310IMG_1271CIMG2379

687. 「アンコールトム」 〜王朝最盛期の栄華を語る都城〜

「アンコールトム」 〜王朝最盛期の栄華を語る都城〜

■紀行■

 アンコールトムは、ジャヤーヴァルマン7世によって12世紀
後半に建立されたクメール王朝の首都です。

 ジャヤーヴァルマン7世は、敬虔な仏教徒であり、アンコー
ルトムの中心バイヨンは、ヒンドゥ教と仏教が混在しています。
仏の顔が彫られた四面仏塔が複数点在します。

 顔の大きさは約2mほどあり、やさしい微笑みが仏の慈愛を感
じます。

 アンコールトムに入る南大門への橋には、左側は神々が、そ
して右側は阿修羅が。蛇の同体で世界をかきまわす「乳海攪拌」
の様子を表す欄干でできています。

 アンコールトムは、アユタヤ王朝に侵略されクメール王国が
滅ぶ1431年まで、首都の座を守り続けることとなります。

IMG_1227IMG_1230IMG_1210






IMG_1199CIMG2336CIMG2374






CIMG2347CIMG2362IMG_1213






IMG_1195IMG_1203IMG_1240

686. 「アンコールワット」 〜悠久の石造伽藍〜

「アンコールワット」 〜悠久の石造伽藍〜

■紀行■

 アンコールワットを中心とするアンコール遺跡群は、カンボジア
北西部の都市、シェムリアップの市街から7kmほど北に位置します。

 ハノイから、シェムリアップまでは、飛行機で約1時間半で、シェ
ムリアップ空港から市街地まで、車で約20分の距離です。

 7世紀頃から、クメール人がアンコール地方に移り住み始め、802
年、ジャヤヴァルマン2世の即位により、アンコール王朝が創建さ
れました。

 アンコールワットは、ジャヤヴァルマン2世が自身を神格化し、
その力を世界に誇示するために建設したとされ、約30年の歳月を
かけて建てられました。

 その後、1177年のチャンパ王国による侵略により、アンコール
ワットは陥落し、破壊されましたが、ジャヤーヴァルマン7世が、
チャンパ王国を撃破し、新たに作られたのがアンコールトムです。

 アンコール王朝は、1431年に、タイのアユタヤ王朝に侵略され
て滅亡し、その後、長い眠りにつきましたが、1860年に、フラン
ス人アンリ・ムオ氏により再発見されました。

 アンコール遺跡群は、1992年にユネスコ世界遺産に登録されま
した。

 現地ツアーを利用して、朝日と夕日のアンコールワットを見て
きましたが、幻想的な風景に息を呑む感動でした。

 あの時代に、ここまでの建物を建築できたクメール王朝の文化
の高さに驚きました。

IMG_1171IMG_1323IMG_1182





CIMG2280CIMG2442CIMG2426






CIMG2466IMG_1331IMG_1348






IMG_1363IMG_1353IMG_1370

685. 「クメール王朝」 〜カンボジアの原型〜

「クメール王朝」 〜カンボジアの原型〜

■紀行■

 休暇を利用して、アンコールワットを訪れました。

 クメール王朝(アンコール王朝)は、9世紀から15世紀まで東南アジ
アに存在していた王国で、現在のカンボジアのもととなった国です。

 802年頃、ジャヤーヴァルマン2世がシャイレーンドラ朝から解放し、
プノン・クーレン丘陵で即位。これがクメール王朝の始まりです。

 1113年、スーリヤヴァルマン2世が、シャム人、チャンパ王国等と
戦い、王国の範囲は、タイ中部、マレー半島、ベトナム南部におよび
ました。

 彼は寺院建築に熱心で、アンコール・ワット等、ヒンドゥー教寺院
を建築していきました。

 1177年、チャンパ王国が王都ヤショダラプラを破壊。1181年、ジャ
ヤーヴァルマン7世がチャンパ王国に徹底抗戦して王都を奪還し、王
として即位。1190年にはチャンパ王国を降伏させました。

 クメール王朝は、このジャヤーヴァルマン7世の時代に最盛期を迎え、
現在のタイ東北部、ラオス、ベトナムのそれぞれの一部をも領有。

 また、ジャヤーヴァルマン7世は、ヒンドゥー教ではなく、仏教を信
仰し、アンコール・トムを始めとする一連の仏教寺院を建立しました。

 ジャヤーヴァルマン7世死去後は、激しい後継者争いと、寺院建設で
莫大な国費を費やした結果、王国は弱体化。

 また、ヒンドゥー教徒のジャヤーヴァルマン8世が廃仏事件を起こす
と、1295年には、仏教徒のインドラヴァルマン3世が8世を殺害し王位
に就くなど、宗教をめぐる政争もあり次第に国力が衰えていきました。

 14世紀後半からアユタヤ王朝が勃興し、アユタヤ王朝との戦いによっ
て国力は疲弊。1431年、首都アンコール・トムが陥落しました。

 ちなみに、カンボジアの歴史です。

・扶南国 (68?550D)
・真臘 (550?802)
・クメール王朝 (802?1431)
・カンボジア王国 (1431-1863)
・フランス領インドシナ (1863?1953)
・カンボジア王国 (1953?1970)
・クメール共和国 (1970?1975)
・民主カンプチア (1975?1979) カンボジア・ベトナム戦争
・カンプチア人民共和国/カンボジア国 (1979?1993)
・カンボジア暫定国民政府/UNTAC/SNC (1991?1993)
・カンボジア王国 (1993?現在)

 この中の1975年の、極端な共産主義を掲げるポル・ポトによる民主カ
ンプチア時代、旱魃、飢餓、疫病、虐殺などで100万人〜200万人以上と
も言われる死者が出ました。

 この死者数は、当時総人口の25%程度に当たり、思想改造の名の下で
虐殺が行われ、教師、医者、芸術家、その他良識ある国民のほとんどが
捕らえられて強制収容所に送られました。

 現在でも正確な犠牲者数は判明していない状況で、この3年間で、カ
ンボジアの国力を大きく落とすことになりました。

 スターリン、毛沢東、ポルポトと、共産主義の結末は同じなのでしょう。

IMG_1184

684. 「日越45周年」 〜ハノイ生活最後の日曜日〜

「日越45周年」 〜ハノイ生活最後の日曜日〜

 ハノイ駐在から、約1年半ですが、残念ながら、日本より帰国
命令が出てしまい、本日が、ハノイ生活最後の日曜日となってし
まいました。

 まだまだ、やりたいことが一杯残っていましたので、非常に残
念です。

 駐在中は、本当に色々な方々のご助力を頂きました。この場を
お借りして、厚く御礼申し上げます。

 さて、今年は、日本とベトナムとの間で1973年9月21日に外交関
係を樹立してから45周年にあたります。

 それを記念して、ホアンキエム湖のリータイトー公園で、「ハ
ノイ日本文化交流祭」が開催されています。

 会場は、日曜日とあって、多くの方でごった返していました。

 桜の木と花、ベトナムの代表的な花の展示では、アオザイを着ら
れた方が、桜の花や、富士山の写真をバックに写真を撮っておられ
ました。

 中国や韓国と異なり、ベトナムは、本当に親日的な方が多く、
会場の雰囲気も、和やかで、久しぶりに日本文化にも触れることが
できて、ホッとできました。

 写真を見ると、「富士山」「京都」「着物の女性」が日本の代表
なのですね。ベトナム側は、「ホアンキエム湖」「一柱寺」「アオ
ザイの女性」でした。

 最後の日曜日に、いい想い出を創ることができました。

 どうもありがとうございました。XIN C?M ?N ! 


JBAV HP:http://jbav.vn/ja/jbav-latest-information/20180323-hanoi-japan-cultural-exchange-festival

29541495_345874232486721_6815788564134981193_n29572525_345874142486730_3646493565965570240_n29597236_345874135820064_2497678540618517887_n






29570578_345874222486722_8162637914777373942_n29570415_345874155820062_8157401289588713608_n29511271_345874235820054_5163009002569864714_n






29513325_345909192483225_8093848578198605761_n29511729_345909212483223_7532109659215205428_n29542911_345909239149887_7628997174271876317_n






29541573_345909142483230_7434663658742405438_n

683. 「ハノイバス事情」 〜優れもののアプリ〜

「ハノイバス事情」 〜優れもののアプリ〜

■紀行■

 3月も後半に入り、30度を超える日も出てきました。
花々も、そこら中で開花し始めており、いい気候となりましたの
で、色々と出歩きたくなります。

 さて、ハノイには、地下鉄や近郊鉄道はありませんので、移動
は、バスかタクシーになります。

 タクシーも、日本に比べて安いですが、市民の足となっている
のは、バスです。

 ハノイのバス停には、時刻表はありません。また、路線図も、
すべてベトナム語表示なので、何番のバスに乗れば、どこに行く
のかも分かりません。

 でも、素晴らしいアプリがあります。

 ハノイ市バスアプリ「Tim Buyt」です。

 このアプリでは、英語表示で、グーグルマップが立ち上がり、
今いる場所の、バス停が表示され、そこをクリックすると、何番
のバスが、どこにいくか、いつ到着するか、目的地までの所要時
間はどれくらいかが、一目で分かるようになっています。

 バスそのものは、老朽化が進み、運転そのものも、荒っぽいで
すが、全車にGPSが搭載されているのでしょう。

 料金は、距離により、7000ドン〜9000ドン(35円〜45円)と、格
安で、空港までも、タクシーで30万ドン(1500円)かかるところが、
9000ドン(45円)で行くことができます。

 このアプリは、日本より優れているのでは。

hanoibus01DSCF4650

682. 「クァンシーの滝」 〜エメラルドグリーンの滝〜

「クァンシーの滝」 〜エメラルドグリーンの滝〜
  Kuang Si Falls

■紀行■

 クアンシーの滝は、ルアンプラバーン市街から南に約29km
にある3層からなる滝で、メコン川の支流となります。

 ホテルでタクシーをチャーターし、約1時間で着きます。

 クァンシーの滝は、流れ落ちる水が非常に美しいことで知ら
れ、滝はトラバーチン(石灰華)の造形による滝つぼをもち青
い水をたたえています。

 ゲートで入場券(20,000LAK(約260円))を買って、しばらく行
ったところにツキノワグマの保護センターがあり、檻に入った
ツキノワグマを見ることができます。

 周辺は自然公園になっており、最後の落差約50mの大きな滝ま
では遊歩道が完備されています。

 この滝の左岸側には滝の上流まで小路が続き、滝の水源まで
登ってきました。
 
 熱帯植物も多く見られ、ジャングル気分での軽登山でした。

CIMG2239CIMG2240CIMG2244






CIMG2253CIMG2252CIMG2255






29026071_341351786272299_8726445237829599246_nCIMG2235

681. 「プーシーの丘」 〜夕陽のビュースポット〜

「プーシーの丘」 〜夕陽のビュースポット〜
  Phou si

■紀行■

 プーシーの丘は、ルアンパバーン市内にある高さ約150mの小
高い丘で、海抜700mあります。

 登り口は、王宮博物館のすぐ向かいにあり、途中で入場料
(20,000LAK(約260円))を支払い、328段の階段を上っていきます。

 頂上からは、360度の展望が可能で、ルアンプラバーン市内や
メコン川とカーン川を一望できます。

 そして、ここはメコン川の向こう側に沈む夕陽の絶好のビュー
ポイントで、欧米人を中心に多くの観光客が、狭い山頂にひしめ
きあい、写真を撮るのも一苦労でした。

 頂上にはタート・チョムシーという金色に塗色された仏塔が建
っており、夜間にはライトアップされ、ルアンパバーンの地味な
夜景に彩を添えています。

 素晴らしい夕陽を見ることができました。

CIMG2157CIMG2158CIMG2150






CIMG216229067232_341349119605899_6190222559352705046_nCIMG2173






CIMG2182CIMG2180CIMG2186

680. 「ワット・シェントーン」 〜世界遺産の寺院〜

「ワット・シェントーン」 〜世界遺産の寺院〜
  Wat Xieng Thong

■紀行■

 ルアンパバーンの中で、最も有名な仏教寺院がワット・シェン
トーンです。今回は、ホテルで借りた自転車で訪れました。

 ワット・シェントーンは、1560年にランサン王朝のセーターテ
ィラート王によって建立され、1880年に仏教の経典「三蔵」の図
書室が、1961年には鐘楼が建てられました。

 本堂は、伝統的なルアンパバーン様式の建物で、地面に向かっ
てカーブを描くように湾曲した大きな三角の屋根が特徴です。

 本堂の裏側の壁面に描かれた「生命の樹」のモザイク壁画や、
1960年にシーサワンウォン王の葬儀に使用された御車、壁一面に
モザイク画が描かれたレッドチャペルなどが美しいです。

 拝観料は、20,000LAK(約260円)です。

CIMG2125CIMG2123CIMG2107






CIMG2106CIMG2116CIMG2117






CIMG2109CIMG2113CIMG2119

679. 「ルアンパバーン」 〜初のラオスの旅〜

「ルアンパバーン」 〜初のラオスの旅〜

■紀行■

 週末を利用して、初めてラオスを訪れました。

 ラオスは、ベトナムと隣接する東南アジアで唯一、海と接してい
ない内陸国で、2015年のニューヨーク・タイムズで、「世界で一番
行きたい国」第1位となった国です。

 今回訪れた、ラオスのルアンパバーンは、同国北部に位置する古
都で、市街地全体が文化遺産として、1995年にユネスコの世界遺産
に登録されています。

 ハノイからは、飛行機でわずか45分の近さで、首都ビエンチャン
からメコン川を約 400km上流にさかのぼったカーン川との合流場所
に位置しており、人口は約6万人の小さな町です。

 その昔、ランサン王国の首都として栄えた山間の町で、鄙びた雰
囲気の中にも、欧米を中心とした多くの観光客が訪れていました。

 ラオスは、社会主義国です。民家には、ラオス国旗(赤は独立闘争
で流された血の色、青は国の豊かさ、白丸はメコン川に昇る月)と、
社会主義を象徴する「鎌と槌」の旗が掲揚されていました。

 一方、ラオスは敬虔な仏教国で、社会主義は、基本的には宗教を否
定しますが、ラオスでは融合しています。

 今回泊まったホテルの前でも、早朝、列をなして町を練り歩く托鉢
僧の姿も見ることができました。

 托鉢が、富の再配分機能を担っていると考えると、仏教の実践が社
会主義が理想に近づくものと考えられているのかもしれません。

 メコン川と同様、ゆったりとした時間が流れるルアンパバーン。
また訪れてみたい街です。

CIMG2210CIMG2204CIMG2206






CIMG2214ans-231012863

678. 「身曾岐神社」 〜とほかみえみため〜

「身曾岐神社」 〜とほかみえみため〜

■紀行■

 JR小淵沢駅から、車で5分のところに、「身曾岐神社」が
あります。

 天照大神を主祭神として、「神は火水(かみ)なり」を具
現した、火祥、水祥の両殿を持ち、古神道の本宮として、
全国的に有名な神社です。

 「身曾岐(みそぎ)」とは、「きれい」になること。

 そして、本殿では、禊ぎの三種祓詞「とほかみえみため」
と唱えてお祈り致します。

 「吐菩加美 依身多女(とほかみえみため)」は、伊奘諾
尊が禊ぎをしたとき実際に唱えたとされ「遠つ神、恵み賜へ」
という意味があります。

 「とほ」が剣、「かみ」が鏡、「ため」が玉で、三種の神
器を指すようです。

 能楽堂の前の池は凍っており、厳かな雰囲気に包まれました。

IMG_1415IMG_1416IMG_1417






IMG_1418IMG_1419IMG_1420

677. 「八ヶ岳」 〜久しぶりの雪の富士と八ヶ岳〜

「八ヶ岳」 〜久しぶりの雪の富士と八ヶ岳〜

■紀行

 テト休みの間、日本に帰国しています。
暖かいハノイから、極寒の八ヶ岳へ。

 今年の日本は記録的な寒さということで、覚悟して
来ましたが、この風景を見て、その寒さも忘れること
ができました。

 泊まっていた北杜市からは、八ヶ岳、富士山、南ア
ルプスが綺麗に見えます。

 南アルプスの甲斐駒ヶ岳は、迫力ありますね。

IMG_1405IMG_1401IMG_1411






IMG_1409IMG_1403IMG_1406

676. 「テト」 〜ベトナムのお正月〜

「テト」 〜ベトナムのお正月〜

■紀行■

 2月に入り、ハノイも15度を下回る日が続いており、ベトナム
人は、エスキモーのような防寒具で出勤してきています。

 そして、来週から、テト休みに入ります。テトは、ベトナムの
お正月(旧暦)で、今年は、2月16日です。

 ということで、現在は、忘年会シーズンにあたり、飲み会が
増えています。

 テト(Tet)は漢字の「節」にあたり、季節の変わり目の祝日を
意味する言葉です。

 ベトナムでは、前年の12月中旬頃に、首相が公的機関の休暇日
を定めており、今年は、2月14日(水)から2月20日(火)までの7連休
となります。

 この間は、昔の日本のように、ほとんどの店が閉まってしまい、
タクシーもいなくなってしまうため、生活するのが大変です。

 そして、テトに欠かせないのが、金柑の木と桃の花です。

 金柑は子供の象徴で子孫繁栄を願って、また黄色がお金に似てい
ることから鈴なりの金柑の木を飾ります。

 また、家の守り神でもあるかまど神が家にいない間、魔除けの
力を持つ桃の花を飾る習慣があります。

 路上では、金柑の木や、桃の花を売っている店が多くあり、バ
イクで買って運ぶ人も多くいます。

 日本の師走のような雰囲気になってきました。

CIMG2008CIMG2009CIMG2016






CIMG2023CIMG2022CIMG2017

675. 「愛国心」 〜ベトナムのサッカー熱〜

「愛国心」 〜ベトナムのサッカー熱〜

■紀行■

 先週、久しぶりに、アメリカに出張してきました。
ハノイからアメリカは、直行便がなく、日本経由で移動しました。

 5時間+11時間の長距離フライトで、ちょうど、ホーチミンの32
度を体感した直後でしたので、成田のマイナス4度、米国サンノゼ
の15度と、めまぐるしく気温が変わり、かつ、時差も、+2時間か
ら、-17時間と、身体がびっくりしていました。

 そして、ハノイに帰国した日は、ベトナムサッカーチームが、ア
ジア大会で準優勝して凱旋して帰国する時間とバッティングしてし
まい、空港から自宅まで大渋滞で、通常30分で着くところが、2時間
半かかり、かつ、途中から歩いて帰る羽目になりました。

 聞くと、準決勝、決勝の試合があった時間帯は、ハノイ市内から
車やバイクが無くなり、ほとんどの人がテレビで観戦していたとの
こと。

 写真は、その大騒ぎ状態で、ベトナムのサッカー熱を体感するこ
とができました。

参考)AFC U-23選手権
 ベトナムチームは、
  準々決勝でイラクに3−3でPK戦勝ち
  準決勝は、カタールに2−2でPK戦勝ち
  決勝は、日本、韓国に勝ったウズベキスタンに1−2で敗け

CIMG2000CIMG1996






CIMG2002CIMG2004

674. 「美術博物館」 〜ベトナム近代美術展示〜

「美術博物館」 〜ベトナム近代美術展示〜

■紀行■

 ホーチミンのベンタイン市場から南に下がると、黄色のフランス
風建物が見えてきます。これが、ベトナム美術博物館です。

 本建物は、貿易センターとして使用されてきましたが、1987年に
ホーチミン人民委員会によって美術博物館となりました。

 美術博物館は、3つの建物に分かれており、抗仏戦争、ベトナム戦
争時代のサイゴン地区の写真、品々のほか、写生画・絵画、彫像・塑
像、ベトナム伝統工芸品や民芸、生活風景などが展示されています。

 建物の周りには、ブロンズ像がたくさん置かれており、どれもベト
ナム戦争時をイメージして作られた感じです。

 銃を持つアオザイ女性の絵や、爆撃で焼かれた畑の絵等、戦争の悲
惨さを訴える絵画が多くあり、考えされられました。

CIMG1973CIMG1979






CIMG1976CIMG1975





CIMG1974CIMG1971

673. 「統一会堂」 〜「サイゴン陥落」の証人〜

「統一会堂」 〜「サイゴン陥落」の証人〜

■紀行■

 ホーチミン出張の翌日、統一会堂を訪れました。

 この統一会堂は、ベトナム戦争時の南ベトナム大統領府・官邸であり、
1975年4月30日に、サイゴン市内に突入した北ベトナム軍の戦車が、この
建物のフェンスを破って突入し、首都サイゴンは陥落しました。

 敷地内には、その当時のソ連製戦車が展示されています。

 この建物の歴史は古く、1868年に、当時フランス領インドシナとして植
民地下においていたフランスによって建設が始められ、コーチシナのフラ
ンス知事、および、1945年までのフランス総督に使用されていました。

 1954年のディエンビエンフー陥落後、フランスが撤収し、1955年にベト
ナム共和国(南ベトナム)が成立した後は「独立宮殿」と改名されました。

 その後、1962年に、ゴ・ディン・ジエム政権に対して起こされたクーデ
タの際に、南ベトナム空軍将校が操縦する戦闘機による爆撃を受けて大破
後、取り壊されました。

 1966年に、南ベトナムの建築家のゴ・ベト・チューにより再建され、ベ
トナム戦争終結までは南ベトナムの大統領府及び官邸とされ使用されました。

 ベトナム戦争後、1976年にベトナム社会主義共和国が成立した後に「統一
会堂」と改名され、現在は南ベトナム大統領府当時のままで保存され、事実
上の博物館として一般公開されています。

 フランス、南ベトナム、現ベトナムと、ベトナム近現代史の証人的な存在
である「統一会堂」は、一見の価値があります。

CIMG1984CIMG1985CIMG1986






CIMG1987wpid-HCMC_independence_palace_tank-2012-12-20-12-25872159baad57af3cee289c8bf531413b

672. 「ホーチミン」 〜ベトナム最大の都市〜

「ホーチミン」 〜ベトナム最大の都市〜

■紀行■

 出張でホーチミンを訪れました。ホーチミン空港に着くと、な
んと32度。季節感のない1月です。

 ホーチミンは、旧南ベトナムの首都サイゴンで、ベトナム戦争の
サイゴン陥落(1975年4月30日)の後、1975年5月1日に市名を、現
在の共産党政府が、ホーチミン市に改名しました。

 ちなみに、北ベトナム軍によるサイゴンに対する、最終的な攻略
作戦の名称は「ホー・チ・ミン作戦」であったようです。

 人口は、約850万人で、首都ハノイ(760万人)を凌ぐ、ベトナム最
大の都市で、1887年に成立したフランス領インドシナのもとで急速
に発展しました。

 ベトナムがフランスにより植民地として占領されている間、この
街はその影響を受け、数多くの古典的西洋風の建築に表れており、
「極東の真珠」「東洋のパリ」と呼ばれていました。

 私の住んでいるハノイとホーチミンとは、直線距離で1,160km離れ
ており、日本で言うと、青森と福岡ほどの距離ですので、気候も
大きく異なります。

 今回のホーチミン訪問は、約6年ぶりで、街の雰囲気も大きく変わ
っていましたが、バイクの洪水は以前より凄まじく、通勤途上のバイ
クの波は圧巻でした。

 写真は、ホーチミンの代表的観光名所の、人民委員会庁舎、中央
郵便局、聖母マリア教会、市民劇場です。

26993472_325606827846795_5459823950989393998_nCIMG1945CIMG1942







CIMG1937CIMG195126805073_325443021196509_4786118147356060291_n







CIMG1958CIMG1960

671. 「ルンピニー公園」 〜バンコクの公園〜

「ルンピニー公園」 〜バンコクの公園〜
 Lumphini Park

■紀行■

 「ワット」巡りの翌日は、ゆっくりとバンコクのルンピニー公園を
訪れました。

 仏陀の生誕地であるネパールのルンピニーから名前を取ったこの公
園は、1920年代のラーマ6世統治時代に建設され、人工池もある、0.57
km2の広大な敷地を持ちます。

南西の入り口にはラーマ6世の銅像が立っており、バンコクで最初の
図書館とダンス・ホールを有しています。

 公園内に、ジュラシックパークのような恐竜もありました。

 当日は、ランニングをする人で賑わっていました。バンコクは、ハノ
イと違い、青空が広がり、気持ちのいい日曜日でした。

CIMG1925CIMG1926CIMG1928

670. 「バンコク国立博物館」 〜タイの歴史と日泰友好〜

「バンコク国立博物館」 〜タイの歴史と日泰友好〜

■紀行■

 「ワット・プラケオ」の近くに、バンコク国立博物館があり、ちょうど
日泰友好の日本美術展が併催されていましたので、訪れてみました。

 この博物館は、1874年、ラマ5世によって創設され、王の定めた様式に
よって展示が行われました。

 現在、新石器時代に遡るタイの歴史を網羅した展示が行われており、収
蔵品のなかには2003年にユネスコの「世界の記憶」遺産に登録されたラー
ムカムヘーン大王碑文もあります。

 そして、日泰国交130周年記念行事の一環として、日本美術を縄文時代か
ら江戸時代まで総合的に紹介する「日本美術のあゆみ―信仰とくらしの造形」
展が併設されていました。

 国宝、重要文化財など106件が出展されており、異国の地で、郷愁の気持
ちをかき立てられるとともに、同じ仏教国として共通の文化を持つ有り難さ
を感じました。

CIMG1812CIMG1828CIMG1824






CIMG1817CIMG1820CIMG1825






CIMG1811CIMG1814CIMG1813

669. 「チャオプラヤ川」 〜タイの水源,バンコクの交通要路〜

「チャオプラヤ川」 〜タイの水源,バンコクの交通要路〜

■紀行■

 チャオプラヤ川は、タイ最大の河川で、かつてはメナム川とも
呼ばれていました。

 北部のナコンサワン県でピン川とヨム川が合流し南下、バンコ
クを経てタイランド湾に注ぐ延長約370kmの河川で、タイの稲作地
帯を流れ、重要な水源となっています。

 2011年に降り続いた記録的豪雨により氾濫し、国土の1/3が浸水
する大洪水の一因ともなりました。

 チャオプラヤ川は、水源としてだけでなく、バンコク内の交通の
手段となっており、「チャオプラヤー・エクスプレス」と呼ばれる
定期船が頻繁に運行しています。

 特に、三大ワット訪問には、チャオプラヤ川経由が一番近いので
往復、「チャオプラヤ・エクスプレス」を利用しました。

 対岸の寺院が綺麗に見えます。

CIMG1645CIMG1649CIMG1646






CIMG1921CIMG1922CIMG1895

668. 「ワット・アルン」 〜チャオプラヤ川沿いの“暁の寺”〜

「ワット・アルン」 〜チャオプラヤ川沿いの“暁の寺”〜
  Temple of Dawn

■紀行■

 「ワット・ポー」と、チャオプラヤ川対岸に位置する「ワット・アルン」
は、現在の10バーツ硬貨にも描かれている美しい寺院です。

 「ワット・ポー」から「ワット・アルン」へは、渡し舟に乗って、チャオ
プラヤ川を渡ります。

 「ワット・アルン」の「アルン」は、「暁」という意味で、三島由紀夫の
小説「暁の寺」の舞台ともなっています。

 ワット・アルンの見所は、高くそびえる色とりどりの5基の仏塔です。

 大仏塔の高さは75m、台座の周りは234mあります。他のタイ仏教寺院とは趣
を異にしているのは、これは、ヒンドゥー教の聖地カイサーラ山をイメージ
して造られたものだからです。

 大仏塔の上方にはインドラ神が三つの頭を持つ象の上に鎮座しています。

 ワットアルンの歴史は、アユタヤ王朝まで遡り、その頃はワット・マコーク
という普通のお寺でした。

 タクシン将軍がトンブリー王朝を開いた際に、ここを王室寺院とし、名前も
「ワット・チェーン」と改めました。ちなみに「チェーン」はタイ語で「夜明
け」の意味です。

 「ワット・アルン」という現在の名称になったのは、トンブリー王朝が滅び
た後、ラマ4世時代のことです。

 夕日に映えるワット・アルンは、しばし見とれるほど荘厳でした。

CIMG1895CIMG1881CIMG1874






CIMG1853CIMG1846CIMG1843






CIMG1864CIMG1858CIMG1907

667. 「ワット・ポー」 〜涅槃仏のバンコク最古の寺院〜

「ワット・ポー」 〜涅槃仏のバンコク最古の寺院〜

■紀行■

 「ワット・プラケオ」の隣に、1788年にラマ1世によって建てられた
「ワット・ポー」があります。

 バンコク最古の寺院で、正式名は「ワット・プラ・チェートゥ・ポン・
ラーチャ・ワ・ララーム」といい、名前が長く複雑であればあるほど箔
がついてありがたみが増すそうです。

 「ワット・ポー」で有名なのは、全長46メートル、高さ15メートルの
黄金の涅槃仏で、その堂々とした寝姿に圧倒されました。

 宗教に熱心なラマ3世の命により制作が始まり、全身が金箔で覆われ、
眼と足の裏には真珠貝の内面が使われています。

 長さ5メートル、幅1.5メートルの大きな足の裏には、仏教と深い関わ
りを持つバラモン教の宇宙観が、108の絵で表されています。

 また、殿堂には108つの鉢があり、その中にサタン硬貨を順々に喜捨し
ていくことができます。ここでサタン硬貨は煩悩の象徴であり、硬貨が鉢
に入れられた時に響き渡る音で、煩悩が消えていく感覚です。

 涅槃仏だけではなく、ラマ1世によって建立された本堂も立派で、外回
廊と内回廊によって二重に取り囲まれ、中には、トンブリーから移された
というブロンズ製の本尊をはじめとして、150体の仏像が安置されています。

 本堂の周りには、現チャクリー王朝のラマ1世から4世までの歴代王を
象徴する4基の大きな仏塔が据えられています。

 色とりどりの仏塔は、微妙に色分けがされていて、緑が1世、白が2世、
黄色が3世、青が4世を表しています。

 タイの歴史の深さが伺えます。

CIMG1682CIMG1688CIMG1686






CIMG1673CIMG1694CIMG1746






CIMG1704CIMG1719CIMG1731

666. 「ワット・プラケオ」 〜王室の守護寺〜

「ワット・プラケオ」 〜王室の守護寺〜
 Temple of the Emerald Buddha

■紀行■

 土日を利用して、タイのバンコクに行ってきました。
タイには、出張で過去7回訪れていますが、もちろん観光の時間
など無く、今回、初めて、バンコクの寺院巡りをしてきました。

 最初は、タイで最高の地位と格式を誇る仏教寺院である「ワッ
トプラケオ」です。

 ワット・プラケオは、王室の守護寺でもある由緒正しき寺院で、
1782年、バンコクに都が移されたことに合わせて建設されました。

 本尊は高さ66cmのヒスイで作られた仏像で、まるでエメラルドの
ように輝くことから、エメラルド寺院とも呼ばれています。

 「エメラルド仏」は、15世紀頃に造られたらしく、もともとチェ
ンライで1437年に発見され、その後変遷を経て、1778年、トンブリ
ーに都を県都したタクシン王によってバンコクに持ち込まれました。

 当日は、多くの参拝者で一杯でした。(ここは撮影禁止です)

 境内には、黄金の仏塔や、4ヶ所の門を守る鬼(ヤック)が立って
おり、回廊には、「ラーマーヤナ」を物語にした絵が美しいです。

 王宮の敷地に入ると、「ボロマピマーン宮殿」「チャックリーマ
ハープラサート宮殿」「ドゥシットマハープラサート宮殿」という
美しい宮殿が建ち並び、圧巻です。

CIMG1762CIMG1759CIMG1767






CIMG1786CIMG1797CIMG1803






CIMG1807CIMG1781CIMG1771






Emerald_buddha

Profile

かぎろひ

最新記事
Archives
Recent Comments
訪問者数

Amazon検索
  • ライブドアブログ