"かぎろひ" 「山・歴史・旅」のページ

山紀行を中心とした、歴史、旅のページです。

635. 「安全の日」 〜西天寺で安全祈願〜

「安全の日」 〜西天寺で安全祈願〜

■紀行

 毎月、月初には、安全祈願のため、会社近所の西天寺にお詣り
致します。

 電飾のある仏像さま、金ぴかの仏像さまと、日本と似たところ、
違ったところがありますが、仏教国ということで、非常に親近感
があります。

 今日は、ハスの花が咲き、ザボンの大きな実が成っていました。
静寂の中、心地よい時間を過ごすことができました。

 ご安全に!

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634. 「セレブな時間」 〜プライベートプール〜

「セレブな時間」 〜プライベートプール〜

 しばらく、過ごしやすい気温(それでも32度程度)が続いて
いましたが、今日は37度まで上がりました。

 ということで、住んでいるアパートにあるプールでゆっく
りと致しました。

 日曜日はいつも、子ども達でいっぱいなのですが、今日は、
静かなプライベートプールのようでした。

 プールで泳いで、プールサイドで、横になりながら、読書を
するという、セレブのような時間を過ごすことができました。

 ありがたいことです。

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633. 「新鮮な市場」 〜ベトナムの市場風景〜

「新鮮な市場」 〜ベトナムの市場風景〜

■紀行■

 ゴルフの打ちっぱなし場の近くに市場がありました。

 野菜、果物から、魚、鶏、あひる、ヤギ、蛙まで、様々
なものが、即売されていました。

 衝撃的なのは、コケコッコーと鳴いている鶏や、生きて
いるヤギが、売られていること。

 そして、鶏やアヒルは、その場でさばかれて、バイクに
乗りながら来る人に売られていました。

 まるで、ドライブスルーのような感じです。

 確かに、「新鮮」なものが売られている市場でした。

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632. 「ベトナムの打ちっぱなし」 〜立派なコース〜

「ベトナムの打ちっぱなし」 〜立派なコース〜

■紀行■

 今日は、ベトナムで初めて、ゴルフの打ちっぱなしに行きました。

 今まで、ゴルフをするような気分には、まったくなれなかったのです
が、少し、心のゆとりが出てきたのかもしれません。

 住んでいるアパートから、車で20分離れたところにある打ちっぱなし
場は、日本よりも立派で、ゴルフコースのクラブハウスのような感じ
でした。

 打ちっぱなしグランドも広く、300ヤード位あり、コースさながらの
臨場感がありました。

 ゴルフクラブも、ポーターさんが打つ場所まで運んでくれました。

 値段は、100球で120,000ドン(約600円)と安いです。

 約3年ぶりにクラブを握りましたので、指にまめができてしまいまし
たが、いい汗をかけました。

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631. 「六甲横断」 〜荒地山から六甲最高峰〜

「六甲横断」 〜荒地山から六甲最高峰〜

■紀行■

 久しぶりに、芦屋川から、有馬温泉まで歩いてきました。

 今回のルートは、鷹尾山(261m)、荒地山(549m)、六甲最高
峰(931m)と縦走するコースです。

 今日は、朝から暑く、城山、鷹尾山あたりで汗びっしょり
となりました。

 久しぶりの山ということで、荒地山の岩梯子や、岩トンネ
ルでは、息があがってしまいました。

 荒地山の山頂(549m)は、眺望がありませんが、途中の岩場
からは、風吹岩、六甲連山、大阪湾が一望できました。

 荒地山から、魚屋道に出て、雨ヶ峠、本庄橋経由、七曲を
経て、一軒茶屋に向かいます。

 一軒茶屋から六甲最高峰までは、約5分。西おたふく山から
六甲ガーデンテラス方面が美しかったです。

 かんぽの宿で、金泉に浸かって、いい汗を流してきました。
まさに、デトックスでした。

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630. 「蓬莱山」(1,174m) 〜比良山系第二の高峰〜

「蓬莱山」(1,174m) 〜比良山系第二の高峰〜 [関西百名山]

◆紀行◆

 蓬莱山は、びわ湖バレースキー場として有名で、ゴンドラ
で簡単に山頂に行くことができます。

 ゴンドラの到着駅が、打見山の山頂で、そこから、お椀を
伏せたような山容の蓬莱山まで、徒歩で15分で行くことがで
きます。

 着いた時は、雲が多く、琵琶湖方面は雲の中でしたが、だ
んだんと晴れ間が覗き、山頂では青空が広がり、気持ちいい
時間を過ごすことができました。

 比良最高峰の武奈ヶ岳も、綺麗に見ることができました。

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629. 「延暦寺」 〜比叡の天台宗総本山〜

「延暦寺」 〜比叡の天台宗総本山〜

■紀行

 延暦寺は、最澄の開創以来、高野山金剛峯寺とならんで平安仏教
の中心でした。

 天台法華の教えのほか、密教、禅、念仏も行なわれ、仏教の総合
大学の様相を呈し、平安時代には皇室や貴族の尊崇を得て大きな力
を持ちました。

 特に密教による加持祈祷は平安貴族の支持を集め、真言宗の東寺
の密教(東密)に対して延暦寺の密教は「台密」と呼ばれ覇を競っ
たとのことです。

 「延暦寺」とは、単独の堂宇の名称ではなく、比叡山の山上から
東麓にかけて位置する東塔、西塔、横川などの区域に所在する、150
ほどの堂塔の総称です。

 延暦7年(788年)に最澄が薬師如来を本尊とする一乗止観院とい
う草庵を建てたのが始まりで、開創時の年号をとった延暦寺という
寺号が許されるのは、最澄没後の823年のことでした。

 延暦寺は数々の名僧を輩出しています。

 日本天台宗の基礎を築いた円仁、円珍、融通念仏宗の開祖良忍、
浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞、臨済宗の栄西、曹洞宗の道元、日
蓮宗の日蓮など、新仏教の開祖や、日本仏教史上著名な僧の多くが
若い日に比叡山で修行していることから、「日本仏教の母山」とも
称されています。

 延暦寺は、1994年に、ユネスコの世界遺産に古都京都の文化財と
して登録されています。

 最も有名なのは、東塔の根本中堂で、本尊は最澄が一刀三礼して
刻んだ薬師瑠璃光如来で、その宝前に灯明をかかげて以来、1200年
間一度も消えることなく輝き続ける「不滅の法灯」があります。

 現在の根本中堂は、1571年、織田信長による焼き討ちの後、慈眼
大師天海の進言により徳川三代将軍家光の命によって、1634年より
8年の歳月をかけて再建されたものです。

 車でないとなかなか全てを拝観することはできないくらい壮大な
寺院です。

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628. 「園城寺(三井寺)」 〜天智・天武・持統天皇の産湯〜

「園城寺(三井寺)」 〜天智・天武・持統天皇の産湯〜

■紀行

 三井寺は、7世紀に大友氏の氏寺として草創され、9世紀に唐から
帰国した留学僧円珍によって再興されました。

 三井寺は平安時代以降、皇室、貴族、武家などの幅広い信仰を集
めて栄えましたが、10世紀頃から比叡山延暦寺との対立抗争が激化
し、比叡山の宗徒によって焼き討ちされることが度々ありました。

 近世には豊臣秀吉によって寺領を没収されて廃寺同然となったこ
ともありますが、こうした歴史上の苦難を乗り越えてその都度再興
されてきたことから、三井寺は「不死鳥の寺」と称されています。

 三井寺の起源につきましては、大津京を造営した天智天皇は、念
持仏の弥勒菩薩像を本尊とする寺を建立しようとしていましたが、
生前にはその志を果たせませんでした。

 天皇の子、大友皇子(弘文天皇)も壬申の乱のため、25歳の若さ
で没してしまい、大友皇子の子である大友与多王は、父の菩提のた
め、天智天皇所持の弥勒像を本尊とする寺の建立を発願しました。

 壬申の乱で大友皇子と敵対していた天武天皇は、686年にこの寺の
建立を許可し、「園城寺」の寺号を与えました。

 「園城」という寺号は、大友与多王が自分の「荘園城邑」を投げ
打って一寺を建立しようとする志に感じて名付けたものといわれて
います。

 なお、「三井寺」の通称は、この寺に涌く霊泉が、天智・天武・
持統3代の天皇の産湯として使われたことから「御井」(みい)の
寺と言われていたものが転じて三井寺となったといわれています。

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627. 「近江神宮」 〜天智天皇と日本で初の水時計〜

「近江神宮」 〜天智天皇と日本で初の水時計〜

■紀行

 近江神宮は、667年に、天智天皇が近江大津宮を営み、飛鳥から
遷都した由緒に因み、紀元2600年(1940年)に創祀された神宮です。

 天智天皇が日本で初めて水時計(漏刻)を設置した歴史から、境
内には各地の時計業者が寄進した日時計や漏刻などが設けてあり、
時計館宝物館が境内に併設されています。

 また、「小倉百人一首」の第1首目の歌を詠んだ天智天皇にちなみ、
競技かるたのチャンピオンを決める名人位・クイーン位決定戦が毎
年1月に行われています。

 当日は、生憎の雨模様でしたが、境内は趣深く、静かな時間を過ご
すことができました。

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626. 「ベトナムの休日」 〜日本は休み過ぎ〜

「ベトナムの休日」 〜日本は休み過ぎ〜

■紀行

 ベトナムの祝日は、日本に比べ少なく、年に6つしかありません。

 新正月:1月1日〜1月2日
 旧正月(テト):1月26日〜2月1日
 フンヴォン記念日:4月6日
 戦勝記念日:4月30日(ベトナム戦争で、サイゴン陥落し勝利した日)
 メーデー:5月1日
 建国記念日:9月2日(ホーチミンがベトナム民主共和国の独立宣言した日)

 この中の、フンヴォン記念日は、紀元前にベトナム北部から中部までを
初めて統一したとされる、ヴァンラン国(文郎国)の王の称号 フン・ヴ
ォン(雄王)の命日で、旧暦の3月10日に祭る日です。

 ただベトナム最初の国家とされるものの、伝承こそあるものの記録や遺跡
はまだ、発見されていませんので、伝説上の国家かもしれません。

 2007年に正式に祝日とされており、テトのように旧暦で決められているた
め毎年、日付が変わります。(昨年は、4月16日でした)

 こちらは、土曜も出勤の日が多いですので、日本は休み過ぎと思うように
なりました。

625. 「ハノイ紀行」 〜命がけの横断〜

「ハノイ紀行」 〜命がけの横断〜

■紀行

 7月に入りました。今日は、33度と、比較的涼しい日でした。

 さて、ベトナムのハノイは、信号はそんなにありませんので、車道
を横切る必要がよくあります。

 でも、車にバイクが、ひっきりなしに来ますので、慣れないと、な
かなか渡れません。

 ポイントは、バイクの運転手の目を見ながら、あうんの呼吸で、す
り抜けてもらうことなのですが、最近、写真のように、スマホを見な
がら運転のバイクが急増しています。

 これだと、目を合わせられませんので、こちらが、バイクの進行方
向を読まないといけません。

 道を渡るのも命がけです。

 でも、地元のベトナム人は、アオザイを着ていても、さっそうと渡
っていきます。

 さすがです。

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624. 「二期作」 〜6月の稲刈り〜

「二期作」 〜6月の稲刈り〜

■紀行

 6月に入りました。
今日のハノイの最高気温は41度。
いよいよ暑くなってきました。

 さて、ベトナムは、タイに次ぐ世界第二位の米輸出国であり、
コメ栽培はいたるところで行われています。

 中でも、南のメコンデルタ地区と、ハノイのある紅河デルタ地
区では、1年に複数回の栽培が行われる多期作となっており、メ
コンデルタでは三期作、紅河デルタは二期作が主流です。

 ここハノイの二期作は、第一回目の田植えが3月頃で、6月に
刈り入れ、第二回目は、7月田植えで、10月刈り入れで、現在
は、第一回目の「刈り入れ」の時期で、黄色い稲穂が美しいです。

 ベトナムには、名物のフォーも含め、コメを原料とした食材が
多く、まさにコメ文化の国です。

 このあたりも、親近感を感じる国となっているのでしょう。

 しかし、暑いです。

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623. 「ハノイの花」 〜赤と紫の花の競演〜

「ハノイの花」 〜赤と紫の花の競演〜

■紀行

 ハノイの今の季節は、火炎儒(hoa ph??ng:赤い花)、オオバナ
サルスベリ(Hoa b?ng l?ng:紫の花)が、咲き誇ります。

 ベトナムでは、6月が卒業シーズンですので、紫が「別れ」、
赤が「夏の始まり」を意味するようです。

 日本の桜のように、約1週間で散ってしまいます。

 いよいよ暑くなってきました。

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622. 「ラオカイ」 〜中国国境の町〜

「ラオカイ」 〜中国国境の町〜

■紀行

 ラオカイは、ベトナム東北部の山間部に位置する省で、中国と
紅河を挟んで、国境を接しています。

 ラオカイの対岸は、中国の河口という街で、橋の両端に両国の
入出国所があります。

 中越関係は、昔からきな臭い関係がありましたので、河を挟ん
で、国境には大きなホテルが建っており、ベトナムの発展度合い
を中国に示そうと言う意図があるのかもしれません。

 ハノイからの鉄道も、線路は国境を越えて繋がっていますが、
現在は、直通運転をしていません。

 地続きの国境を久しぶりに見ることができました。

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621. 「Mt. Fansipan(3,143m)」 〜インドシナ半島最高峰〜

「Mt. Fansipan(3,143m)」 〜インドシナ半島最高峰〜

■紀行

 ベトナム最高峰のファンシーパンに行って来ました。

 ファンシーパンは、インドシナ半島でも最高峰の山で、
標高3,143mです。"Indochina Summit"

 従来は、2日かけて登らないといけない山でしたが、
2016年に、サパから山頂付近を結ぶロープウェイがオー
プンしました。

 全長6,293m、出発点と終着点の標高差が1410mと、いずれ
も世界一に認定されています。投資総額は4兆4000億VND(約
240億円)とのこと。

 ちなみに、このロープウェイができるまでの世界一は、
同じくベトナムのダナン市にあるバーナーヒルズで、全長
5,772mでした。

 そして、サパのロープウェイ会社が、ベトナム南部のフ
ーコック島とホントム島を結ぶロープウエイも建設中で、
完成すれば全長約7,900mとなり、世界一記録を更新予定。

 ということで、ベトナムは、ロープウェイでは、世界
1,2,3位を独占するロープウエイ王国です。

 当日は、ベトナムの連休であったためか、ディズニーラ
ンドさながらの長蛇の列でしたが、ゴンドラは25人ほど
乗れる大型で、テンポよく回転しておりスムースに乗るこ
とができました。

 ロープウエイの所要時間は15分で、途中の景色は壮大で
した。ただ、山頂近辺は残念ながらガスの中。

 山頂駅から、石段600段を登ると、ピークに着きます。
気温は、予想よりは寒くなく、ビーチサンダルで登ってき
ているベトナム人もいました。

 次は、晴れた日に登りに来よう。

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620. 「ラオチャイ・タヴァン」 〜少数民族の村〜

「ラオチャイ・タヴァン」 〜少数民族の村〜

■紀行

 ベトナムには50以上の民族がおり、サパ周辺には赤ザオ族、
黒モン族、花モン族などが住んでいます。

 彼らはその暮らしぶりや文化も独特ですが、なかでも目を引
くのが美しい民族衣装で、民族ごとに服のデザインがちがうた
め、着ているものを見ればどの民族か一目でわかります。

 サパに多いのは、藍染めの衣装に身を包んだ黒モン族で、素
朴な雰囲気ながら、ジャケットなどに施された繊細な刺繍は芸
術的です。

 山岳地帯に暮らす黒モン族は、元々は中国の雲南省の山々で
焼畑農業による生活を営んでいたようですが、300年前より漢民
族の支配を嫌い、不便故に安全な山谷に分派して村々を築きあげ
てきたとのこと。

 チベットやウイグルのことを考えると、中国と決別した判断は
正しかったのでしょう。

 今日は、黒モン族の住むラオチャイ(Lao Chai)と、赤ザオ族
の住むタヴァン(Ta Van)を訪れました。

 棚田の風景が美しい道を、約2時間トレッキングしました。

 牧歌的で、清々しい空気が良かったです。

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619. 「サパ2」 〜石の教会とナイトマーケット〜

「サパ2」 〜石の教会とナイトマーケット〜

■紀行

 サパの町は、フランスが開拓しただけあり、欧風のホテルが
多く、ベトナムであることを忘れてしまいます。

 1979年の中越戦争時に、初期の建物はすべて壊されましたが、
サパの町の中央にある「石の教会」は、1895年に創られたゴシ
ック建築で、人気の観光名所になっています。

 後にハムロン山があり、前は広場となっており、当日は、夜
遅くまでライブをやっていました。

 教会の周辺は、夜はナイトマーケットとなり、少数民族の方
が、様々な民芸品をところ狭しと店を広げて営んでいました。

 夜景もきれいな町です。

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618. 「サパ」 〜仏植民地時代のリゾート地〜

「サパ」 〜仏植民地時代のリゾート地〜

■紀行

 ハノイから北に約350km。中国国境に近いラオカイ省にある
サパは、高い山と深い森に囲まれた標高1,600mの高原の町です。

 サパの周りには、少数民族の村が点在しており、山の斜面に
広がる棚田の景色は素晴らしく、また、夏場も涼しく、空気も
澄んでいることから、多くの観光客が訪れています。

 サパは、1922年、フランス植民地時代に、避暑地として開発
されました。

 しかし、1979年に起こった中越戦争の時、国境付近での抗争
により、フランスによって建築された建物は壊され、人々から
遠ざかった街となりました。

 その後、観光業の出現により、少しずつ道路や電力などが改
善され、ハノイからラオカイまでの高速道路ができてからは、
現在は、人気の観光リゾートとなっています。

 ハノイと異なり、青空が広がり、夜は星を見ることができま
した。

 ずっと滞在していたい素敵な町です。

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617. 「ナイトマーケット」 〜週末の屋台夜店群〜

「ナイトマーケット」 〜週末の屋台夜店群〜

■紀行

 ハノイのホアンキエム湖の北側に旧市街があります。

 その旧市街のハンガイ通りからドンスアン市場まで続く道で、
毎週末の金土日の三日間、ナイトマーケットが開かれます。

 約300mある道に、数百もの屋台が立ち並び、両側の歩道にも
多数の夜店が軒を連ねます。

 スリが多いと言われていますが、活気のあるマーケットです。
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616. 「リータイトー」 〜ハノイの始祖〜

「リータイトー」 〜ハノイの始祖〜

■紀行

 ホエンキアム湖の西側に、リータイトー公園があります。

 リー・タイトー(李太祖)は、中国支配から独立した後の、
最初の長期政権リー(李)朝の初代皇帝で、1010年に都をホアルー
からハノイに移した人です。

 966年、ベトナム最古の王朝、ディン(丁)朝は、ホアルーに都
を置きました。

 その王が死に、幼い皇太子が残さましたが、宋(中国)は虎視
眈眈とベトナムが弱体化するのを狙っていました。

 このまま幼い王が即位すれば国は揺らぎ、宋が攻め入ってくる
と思った太后は、自分の子を王座につけるよりも国家の安泰を願い、
将軍レー・ダイハイン(黎大行)に王座を明け渡しました。
 
 これが前レー(黎)朝の始まりです。

 しかし、前黎朝も永くは続きませんでした。黎大行が死に、後
継者争いの末たった王がレー・ゴアチエウ(黎臥朝)でしたが、
彼は権力を誇示し、快楽のみを求める愚帝でした。

 彼がこの世から去った時、人々は安堵すると同時に今度こそ賢
帝が立ち平和が続くことを心から望みました。

 そこで推挙されたのが、黎朝の近衛軍司令官だったリー・コン
ウアン(李公蘊)です。

 帝位についたリー・コンウアンはリー・タイトー(李太祖)と
呼ばれ、1010年に都をホアルーから、現ハノイに移し、タンロン
(昇龍)と名付けました。

 タンロン命名には、有名な伝説が残っています。

 リー・タイトーの船団がこの地に近づいた時、黄金の龍が現れ、
天高く飛び立ちました。

 皇帝はこれを吉兆として遷都し、タンロンと名付けました。

 龍は王の象徴であり、タンロンがいつまでも栄えるようにとの願
いがこめられています。

 リー・タイトーは次々と寺を建立し、宋に朝貢して、宋から南平
王に封ぜられ、南方の地方勢力や北部山地の雲南系勢力を討伐する
など、聖俗両面で権力をかためました。

 こうして彼は、ベトナム初の長期王朝リー(李)朝(1010〜1225)の
礎を築いたのです。

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615. 「ベトナム統一鉄道」 〜のどかな非電化鉄道〜

「ベトナム統一鉄道」 〜のどかな非電化鉄道〜

■紀行

 ベトナムの鉄道は、ラオス・カンボジアと共にこの地帯が仏領
インドシナの時代に多くが開業しました。

 その初めは、中国(当時は清朝)南部の昆明からハノイまでを
結ぶ鉄道で、1910年に開業しました。

 その後、ハノイ−サイゴン(現ホーチミン)間を結ぶ南北鉄道
が1935年に開通しましたが、その後、第一次インドシナ戦争、ベ
トナム戦争などにより多くの施設が破壊された。

 その南北鉄道は、1976年に運行を再開し、「統一鉄道」と親し
みを込めて呼ばれています。

 全線、非電化で、ディーゼル機関車が客車を引っ張る形で、平
均時速は50km/h程度と、のんびりした走りです。

 ハノイ−ホーチミン間は、全長1726kmで、最も速い便でも33時
間かかるようです。

 ハノイ駅近辺は、写真のように、民家の間を走っており、子ど
も達が線路内で遊んでいます。

 なんとも、のどかな鉄道です。

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614. 「ロッテセンター」 〜267mの展望台〜

「ロッテセンター」 〜267mの展望台〜

■紀行

 住んでいるアパートの向かいに、ロッテセンターがあります。

 ロッテセンターは、地下5階、地上65階で、高さ267mのハノイで
二番目の高層ビルです

 デパート、ホテル、レジデンス、ビジネスオフィスが入っており、
最上階は展望台となっています。

 展望台には、スカイウォークという、ガラス張りで下が見下ろせ
る場所があり、スリルを味わうことができます。

 展望台は、230千ドン(1200円)(夜間は、130千ドン)と、ベトナ
ムにしては高いですが、360度の展望は気持ちいいです。

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613. 「歴史博物館」 〜ベトナムの歴史を堪能〜

「歴史博物館」 〜ベトナムの歴史を堪能〜

■紀行

 ハノイにある、国立の歴史博物館を訪れました。

 ホエンキアム湖から、オペラ座を通り過ぎると、美しい建物が
現れます。この八角形の屋根が印象的な建物は、フランス人建築
家・エブラールによる設計で、1932年完成しました。

 ベトナムの伝統建築様式とフランスの西洋式建築様式が融合さ
れた、ハノイで最も美しい建築物の一つと言われています。

 博物館内部は、原始・古代・北属期(中国の支配下に置かれた
時代)・独立王朝時代・フランス統治時代・独立後、のそれぞれ
の時代に分かれています。

 1000年に渡る中国支配の中、1009年に、李太祖(リータイトー)
は、現在のハノイに都を遷しました。当時のハノイはタンロン
(=昇竜)と呼ばれていました。

 1228年の陳朝時代には、元軍との戦い(白藤江の戦い)があり、
陳朝はこの戦いに勝利、1802年に成立した阮朝は、首都をフエに
移し、その支配地域は現在のベトナムとほぼ同じで、ベトナムの
基礎を築きました。

 以降、フランスによる統治、日本軍の進駐、1945年にベトナム
帝国として独立宣言するも、日本軍の敗退の後、ホー・チ・ミン
による、ベトナム民主共和国誕生という激動の時代が展示されて
います。

 また、道を挟んだ革命博物館は、フランス植民地時代は税務署
だった建物で、近代に入ってからのベトナムの戦争と革命の歴史、
19世紀後半に始まるフランスの侵略戦争から、悲願の南北統一に
至るアメリカとの戦いまでを知ることが出来ます。

 2館合わせて、4万ドン(約200円)で、ベトナムの歴史を堪能す
ることができました。

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612. 「オペラハウス」 〜フランス統治と八月革命〜

「オペラハウス」 〜フランス統治と八月革命〜

■紀行

 ハノイのオペラハウスを訪れました。

 その歴史は、仏領時代に遡ります。1873年、フランスは紅河か
ら上陸し、ハノイを占領、植民地化しました。

 現在オペラハウスがある辺りから紅河寄りが、最初に接収した
租界地でした。

 そしてフランス風の建物を次々と築きますが、パリのオペラ座
を模したこの建物は、その中で最も荘厳な建物となりました。

 1911年に10年の歳月をかけて植民地政府によって建てられまし
た。6本の通りが放射状にのびる中心広場に建てられていますが、
このような街づくりは、フランスの特徴です。

 オペラや室内楽、劇が行われましたが、訪れることが出来たの
は上流階級のフランス人と、わずかなベトナム人のみでした。

 オペラハウスの正面の広場は、八月革命広場と呼ばれます。

 八月革命とは、第二次大戦終結後の1945年8月後半、ベトナム
を統治していた日本の降伏を機に、ベトナムの独立を目指してイ
ンドシナ共産党がおこした革命のことです。

 8月19日にこの広場で蜂起を呼び掛ける集会が行われ、その後、
9月2日の独立へとつながります。この広場に何千もの人々が集ま
り、ホーチミンは2階のバルコニーから演説したと言われています。

 建物正面に、集会が行われたことを記したプレートがあります。

 歴史の証人のようですね。

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611. 「軍事博物館」 〜ベトナム戦争とレーニン像〜

「軍事博物館」 〜ベトナム戦争とレーニン像〜

■紀行

 ハノイの軍事歴史博物館を訪れました。

 先の、B52戦勝博物館と同様、ベトナム戦争でアメリカ軍に
いかに勝ったかという展示が主でした。

 ベトコンのゲリラ戦法の小道具や、アメリカ軍から奪取した
戦車や戦闘機が数多く展示されていました。

 わずか40年前まで、南北に分かれて戦争をしていたという現
実に引き戻されてしまいました。

 敷地内にある、フラッグタワーは高さ33.4mで、1812年にザ
ーロン帝によってハノイ城内に監視塔として建てられました。

 1940年代には、日本軍がバクニン省と連絡を取るために電報
局として使っていたこともあるそうです。

 塔の内部には階段があり、上ることもでき、ハノイの高層建
築および旧ハノイ城内の様子を一望できます。

 また、軍事博物館の前は、レーニン広場となっており、レー
ニン像が立っています。

 ベトナム戦争が、ソ連とアメリカの代理戦争であったことを、
改めて感じました。

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610. 「西天寺」 〜安全祈願のお寺〜

「西天寺」 〜安全祈願のお寺〜

■紀行

 会社の近くに、西天寺というお寺があります。

 毎月、月初には、安全祈願のためのお詣り致します。

 西天寺は、地元の方には有名なお寺のようで、多くの参拝客
がいらっしゃいました。

 電飾のある仏像さま等、日本と似たところ、違ったところが
ありますが、仏教国ということで、非常に親近感があります。

 今日は、久しぶりの青空が拡がり、静寂の中、心地よい時間
を過ごすことができました。

 ご安全に!

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609. 「文廟」 〜ベトナム最古の大学〜

「文廟」 〜ベトナム最古の大学〜

■紀行

 文廟を訪れました。

 文廟は別名「孔子廟」といわれ、孔子の霊を祀った建物の
ことです。

 1070年に建立され、国内初の大学、国子監が置かれたこと
でも有名で、貴族や皇族もここで学んでこられたようです。

 当時中国の支配化にあり、仏教、儒教、道教の三教を主軸
思想としていたため、孔子を祀る廟としてできたそうです。

 廟の中には、魚と竜の彫像があり、これは魚が川を上って
竜に変化したことを表し、いわゆる「登竜門」の語源ともさ
れています。

 社会主義国ながら、中国、フランス、アメリカと戦いなが
ら生き延びてきた国だけに、様々な歴史の上に成り立ってい
る国家ですね。

 内部には数々の美しい門や庭園、建物があり、ティエンク
アンという池の両側には、科挙の合格者の名前と出身地が刻
まれた石碑がずらっと並んでいます。

 科挙とは昔の官僚登用試験ですが、ベトナムの科挙制度は
1075年に始まり、1919年に廃止されました。

 この石碑は亀の甲羅の上に建っていて、ユネスコ国連教育
科学文化機関により、世界記憶遺産として認定されました。

 拝殿の中に孔子を祀る大聖殿があり、学問にご利益のある
場所として、観光客以外にも、多くのベトナム人が訪れて合
格祈願をしています。

 日本の天満宮のような感じです。

 当日は、卒業式だったのか、学生さんや、アオザイ姿の女
性が多くいらっしゃいました。

 文化的で、静かないい場所です。

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608. 「モザイク壁画」 〜ハノイ遷都1000年記念のギネス記録〜

「モザイク壁画」 〜ハノイ遷都1000年記念のギネス記録〜

■紀行

 ハノイ市内には、モザイク壁画が続く道があります。

 このモザイク壁画は、ハノイ遷都1000年記念で描かれたもので、
約7Kmに及ぶ長大な壁画です。

 世界最大の壁画としてギネスブックにも登録されています。

 この壁画は陶磁器で有名なハノイ郊外のバッチャン村製のタイ
ルで、ベトナムの歴史が描かれています。

 2007年から作られ始め、世界最長のモザイク壁画に認定された
のは、1010年に李太祖が、ハノイに遷都して1000年目となる2010
年です。

 色々な世界一があるのですね。

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607. 「水上人形劇」 〜ベトナムの伝統芸能〜

「水上人形劇」 〜ベトナムの伝統芸能〜

■紀行

 ベトナムの伝統芸能、水上人形劇を見に行ってきました。

 能や狂言と同じように、謡いと囃子が、側席にあり、伝統的
な楽器の音色が素敵でした。

 言葉は、ベトナム語でしたので、意味は分かりませんでした
が、鳳凰の踊りや、Le Loi王様の還剣の伝説等、物語を知って
いると人形の動きで理解できました。

 それぞれの演目に物語的な一貫性はなく、様々なシーンの集
合体として構成されていました。

 これらの物語は民話、伝説がモチーフとなっているようです。

 約50分の演奏で、10万ドン(約500円)は、安いですね。
多くの海外観光客が訪れていました。

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606. 「ティエンクン洞(天宮洞)」 〜世界遺産の鍾乳洞〜

「ティエンクン洞(天宮洞)」 〜世界遺産の鍾乳洞〜

■紀行

 世界遺産のハロン湾を訪れました。

 ハロン湾は、広大な石灰岩台地の一角が沈降し、侵食作用
によってできたため、いくつもの鍾乳洞があります。

 今回訪れた、ティエンクン洞(天宮洞)は、1990年に発見
されたばかりで、その規模に驚きました。

 切り立った岩の切れ目が入り口で、ここはハロン湾内でも
とっておきの観光地であるため、入り口は観光客でごった返
していました。

 入り口から差し込む太陽の光が、鍾乳洞内の壁や石柱、つ
ららなどを照らすのも、観光用にライトアップされていると
ころも幻想的です。

 ハロン湾に来ると、日本の「松島」と「秋吉台」を一度に
行くことができる感じですね。

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