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歴史

784. 「世界史の中の日本」 田中英道

「世界史の中の日本」 田中英道 育鵬社(16/12)

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■目次■

1. 日本人の視点で世界史を語ろう
2. 四大文明と縄文文明
3. 世界の宗教の発生と日本の神道
4. 古代ギリシャと日本
5. 古代ローマ、秦、漢王朝と日本の国家形成
6. イスラムの勃興と日本の神仏習合
7.唐と宋の文化と日本
8.モンゴルの隆盛とヨーロッパの確立
9.ヨーロッパの世界侵略と日本
10.西洋の「近代」と日本の「近代化」


■ポイント■

・「世界史」という名の「西洋史」

・「農耕」は、自然環境条件の悪化と、人口の増加が要因
  自然の豊かさの中で生きることができなくなった
・「都市」の発生は「戦争」の始まり
  四大文明は「自然の外の文化」
  縄文文明は「自然の中の文化」

・「一神教」は「戦う民族の宗教」
  移動する民族は争う→「土地」より「言葉」が大切
・「多神教」は「自然との深い関わりをもつ地域」
  八百万の神:万物に神が宿る
  「神道の自然信仰」+「御霊信仰」+「皇祖霊信仰」

・「世界とつなげたモンゴル」と「黄金の国ジパング」
  東方への憧れと文化

・「大航海時代」と呼ばれる「植民地化の時代」
  バテレン追放令と兵農分離

770. 「源氏将軍断絶」 坂井孝一

「源氏将軍断絶」 坂井孝一 PHP新書(2020/12)

■目次■

第1章 源氏将軍の誕生
  唯一の武家の棟梁へ
  征夷大将軍任官へ
  建久年間前半の頼朝政権
第2章 源氏将軍の継承
  将軍継承に向けての動き
  若き鎌倉殿頼家
  二代将軍頼家の悲劇
第3章 源氏将軍の確立
  将軍擁立
  将軍親裁
第4章 源氏将軍の試練と成長
  和田合戦という試練
  建保年間の幕府政治
  さらなる試練
第5章 源氏将軍断絶
  後継将軍問題
  後鳥羽・実朝・北条氏
  源実朝暗殺事件
終章 源氏将軍のその後


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■ポイント■

◆「実朝暗殺は、公暁単独犯?」
 ・「北条義時黒幕説」「三浦義村黒幕説」を論破されているが、公暁単独説も違和感あり。
   「鎌倉御家人総意説」(井沢元彦)が、一番可能性あるか

◆「吾妻鏡」と「愚管抄」の併行分析
 ・「北条氏」の意思が入った「吾妻鏡」だけでなく、「愚管抄」記述との対比が興味深い

◆「鎌倉幕府と朝廷」
 ・「朝幕併存体制」が、どうしてできたのか
   「承久の乱」までの、後鳥羽と実朝の関係と、北条氏の狙い
 ・「権威」と「血統」の狭間
   「源氏血統」と「幕府運営のための看板」

769. 「古代史は知的冒険」 関裕二

「古代史は知的冒険」 関裕二 PHP文庫(2015/03)

■目次■

1.「明日香風を感じよう」
 ・「甘樫丘」に登ってみる
 ・「日本書紀」を読んでみる
 ・「先入観」を捨ててみる
 ・「聖徳太子」を疑ってみる

2.「神道と日本人」
 ・「神」と「鬼」を知る
 ・「神社」に参拝してみる
 ・「日本」を好きになる
 ・「権威」を疑ってみる

3.「謎解きは、こうやってみる」
 ・「派閥」の流れを追う
 ・「自分なりの仮説」を立ててみる
 ・「お気に入り」を探してみる

4.「日本の美に目覚める」
 ・「仏像」にはまってみる


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■ポイント■

◆「蘇我氏」と「藤原氏」の相克
 ・「飛鳥」は「蘇我氏」の地盤

◆「西から東」?
 ・「尾張」が起点で人の移動
 ・「纏向遺跡」(三世紀後半から四世紀)
    東海49%、山陰北陸17%、河内10%、吉備7%

◆「聖徳太子」の創作が、日本書紀の目的?
 ・「蘇我氏」の業績を、「聖徳太子」に、その後「悪役」に
 ・「藤原氏」の「法隆寺」への食封

◆「鬼」(モノ):「自然」崇拝
 ・「神」と「鬼」は表裏一体
 ・「天皇」は大自然そのもの
 ・「翁」と「童子」

◆「瀬戸内海」(吉備:物部)と「日本海」(出雲:蘇我)
 ・「物部氏」−ニギハヤヒ(吉備)
 ・「継体天皇」:尾張との関係性
 ・「出雲」−素戔嗚尊−「蘇我氏」

◆「天日矛」:新羅王子
 ・「出石神社」:但馬
 ・「神功皇后」と「応神天皇」との関係性

768. 「壬申の乱の謎」 関裕二

「壬申の乱の謎」 関裕二 PHP文庫(2003/06)

■目次■

序.「謎に満ちた壬申の乱」
1.「乙巳の変と壬申の乱のつながり」
2.「謎めく壬申の乱」
3.「壬申の乱と二つの日本」
4.「大海人皇子の正体」

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■ポイント■

◆「日本書紀」は藤原氏のために編集された
 ・「持統天皇」と「藤原不比等」

◆「乙巳の変」と「壬申の乱」
 ・「律令制度導入」:聖徳太子から
    公地公民
 ・「乙巳の変」は、勧善懲悪か
    改革(蘇我)vs 反動(中大兄皇子)
    全方位外交   百済偏重
     →大海人皇子へ
 ・対「百済」外交
   562年 伽耶滅亡
    大王家(雄略天皇):「百済」 豪族(蘇我):「伽耶」
   593年 推古天皇(飛鳥蘇我系王家)
    全方位外交
   644年 百済と高句麗が新羅攻撃、新羅が唐に救援求める
   645年 乙巳の変 百済偏重
   660年 唐、攻める矛先を百済に
   663年 白村江敗戦 百済滅亡
       「百済王・豊璋」=「中臣鎌足」?
   667年 近江大津宮
   668年 天智天皇即位、高句麗滅亡
   669年 中臣鎌足死
   670年 新羅、唐相手に独立戦争開始、高安城に兵糧、法隆寺全焼
   671年 蘇我安麻呂の助言で大海人皇子吉野へ
       唐の郭務宗が2000人軍団を筑紫に
       天智天皇死
   672年 壬申の乱

◆「壬申の乱」
 ・672年6月24日 吉野脱出
     6月25日 柘植で高市皇子と合流
     6月26日 朝明郡のとほ川で伊勢神宮遙拝、大津皇子合流
     6月27日 不破関へ
     7月 2日 不破から近江へ進軍
         近江軍総大将・山部王が蘇我臣果安、巨勢臣比等に殺される

◆「尾張氏」が壬申の乱最大の功労者
 ・「大海人皇子」の乳母は「大海氏(尾張氏と同族)」
   「海部氏」丹後籠神社 豊受大神伝説 浦島太郎伝説
   「津守氏」住吉大社の神官
   「尾張氏」の本貫地は、大和「葛城」:蘇我氏
 ・「継体天皇」と「尾張氏」「蘇我氏」
   「尾張連草香の娘」と婚姻、子が安閑天皇、宣化天皇
    蘇我氏が急速に力をつけるのは、継体天皇後
     →「天武天皇」「尾張氏」「蘇我氏」
 ・「尾張氏」の祖は、火明命(にぎはやひ)=「物部氏」
   「出雲」と「にぎはやひ」と「物部氏」:「纏向」
 ・「出雲の国譲り」:「建御名方神(諏訪大社の祭神)」と「尾張氏」
   「東国統治」と「出雲」の関係性
 ・「日本武尊」と「四道将軍」
   「東国統治」
 ・「出雲」と「越」
   「海の民」
 ・「蘇我」と「素戔嗚尊」(須賀)
   「出雲」「尾張」「蘇我」

◆「大海人皇子」の正体
 ・「天智天皇」「天武天皇」の年齢逆転説
   「聖徳太子」の没年(621年 or 622年)
   「漢皇子」と「高向王」と「聖徳太子」
 ・「天武天皇」の壬申の乱以前の子は、物部氏、尾張氏の影響
    十市、高市、大来、草壁、大津、忍壁、磯城、穂積
 ・「天武天皇」は「蘇我氏」?
   「山背大兄王」は実在?
   「宝皇女(斉明天皇)」の初婚の相手は、蘇我氏?
 ・「日本書紀」の中の「山背大兄王」の意味づけ
   「蘇我入鹿」(悪)を際立たせるための、「聖徳太子の子」(正)
     →中大兄皇子、中臣鎌足の正当化(藤原氏)

766. 「舞い降りた天皇」 加治将一

「舞い降りた天皇」 加治将一 祥伝社(2008/08)

■書評■

 「あやつられた龍馬」「幕末維新の暗号」の著者が、日本の天皇のルーツに挑む。

 「すめろぎ」とは「神の言葉を伝える存在」のこと。

 「国津神」と対馬、出雲の関係、、「天津神」と壱岐、宇佐の関係、「邪馬壹国」はどこに、「卑弥呼」とは。

 日本の古代史を探る大胆な分析が興味深い書です。

 天皇の出自が大陸系ということで、異論がある方も多いでしょうが、一つの説として興味を抱かされました。


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■目次■

・古代出雲の謎
・スサノオ
・古墳の秘密
・スメラミコト
・卑弥呼
・君が代
・邪馬壹国の場所
・壱岐族と対馬族
・三種の神器
・神宮
・天皇Xの正体


■ポイント■

◆「平原古墳」−「宇佐神宮」−「檜原神社」−「伊勢神宮」

◆「出雲」−「奴国」

◆「剣」−「対馬」−「熱田神宮」
 「鏡」−「壱岐」−「伊勢神宮」

757. 「歴史発想源 怒涛の席巻 四国統一篇」 弘中勝

「歴史発想源 怒涛の席巻 四国統一篇」 弘中勝

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■目次■

 【第一回】土佐の野の虎、長宗我部国親
 【第二回】土佐二雄の死闘、長浜の戦い
 【第三回】強敵を呑む鬼若子、長宗我部元親
 【第四回】七雄割拠の終止符、安芸城の戦い
 【第五回】土佐統一の悲願、四万十川の戦い
 【第六回】四国の蓋への道、阿讃侵攻
 【第七回】四国統一の儚き夢、十河城の戦い
 【第八回】一族落魄の予兆、戸次川の戦い
 【第九回】乱世と共に散る、長宗我部盛親


■ポイント■

◆「土佐一条氏」:応仁の乱時、関白、一条教房が土佐に疎開
 ・「土佐七雄」:本山氏、安芸氏、吉良氏、津野氏、山田氏、香宗我部氏、長宗我部氏
   「守護:細川政元」の目が届かない間に勢力拡大
 ・「永正の錯乱」で細川政元暗殺

◆「長浜の戦い」
 ・「長宗我部国親」、本山氏の長浜城陥落
   「本山茂辰」が、長浜戸ノ本にて激突
 ・「長宗我部元親」初陣
   「本山茂辰」を浦戸城に追い詰めながらも、「長宗我部国親」死去

◆「本山氏降伏」(1568年)
 ・「本山茂辰」を朝倉城に追い詰めるも、「本山貞茂」の登場で敗北
 ・「鴨部の宮前」で、長宗我部軍vs本山軍 痛み分け
   「一領具足」で、本山城まで追い詰める
 ・「本山貞茂」降伏 「本山親茂」に改名 長宗我部一門に
   「一強二雄」に(土佐一条氏、長宗我部氏、安芸氏)

◆「八流の戦い」(1569年)
 ・「安芸国虎」自害
   「七雄」の頂点に

◆「四万十川の戦い」(1575年)
 ・「吉良親貞」(元親の弟)の提言で、土佐一条氏を攻めることに
   「一条兼定」の無能ぶり
 ・「一条兼定」追放のクーデター(1574年)
   「一条内政(兼定の嫡男)」に、元親の娘を
   「一条兼定」、「大友宗麟」を頼り、九州へ
 ・「四万十川の戦い」
   「一条兼定」が捲土重来期するも、大敗
 ・「一条内政」も追放(1581年)

◆「四国制覇」へ
 ・「元親」の妻:美濃斎藤利三の妹
   「織田信長」との同盟へ:長男を「信親」に
 ・「阿波讃岐」に侵攻
   「香川之景」を攻め、三男:親和を養子に
   「十河存保」(三好義賢の次男)は、織田信長に支援要請(1580年)
    (阿波出身の三好長慶の弟が義賢)
 ・「元親」は信長の命令を無視
   「織田信孝」を総大将に、四国攻めに
 ・「本能寺の変」(1582年)
   「中富川の戦い」で、十河存保を破り、阿波国制覇
 ・「羽柴秀吉」、「仙石秀久」を総大将に四国攻め
   「引田の戦い」で、仙石秀久を撃退
 ・「十河城の戦い」:讃岐国制覇(1584年)
   「小牧・長久手の戦い」で援軍なく、十河存保は、羽柴秀吉傘下へ
 ・「西園寺氏」(南伊予)、「河野氏」(北伊予)を破り、四国制覇(1585年)
   
◆「豊臣秀吉」軍の侵攻(1585年)
 ・「小牧・長久手の戦い」にケリをつけ、四国本格侵攻
   「元親」の四国統一の三か月後に、
     阿波:羽柴秀長、藤堂高虎
     讃岐:黒田孝高、宇喜多秀家
     伊予:小早川隆景、毛利水軍
    の攻勢で、三国を失う
 ・「谷忠澄」の忠言で、降伏勧告に応じる
   「土佐国」は安堵

◆「戸次川の戦い」(1586年)
 ・「大友宗麟」が「豊臣秀吉」に臣従、島津氏征伐へ(1586年)
    筑前:黒田孝高、小早川隆景、吉川元春 中国オールスターズ
    豊後:仙石秀久+
       長宗我部元親、信親、本山親茂、十河存保 四国オールスターズ
 ・「戸次川の戦い」で、仙石秀久の愚策
   「島津家久」の「釣り野伏せ」に惨敗
     信親、本山親茂、十河存保が討ち死に(「谷忠澄」が信親の遺骸を)
 ・「長宗我部元親」が錯乱
    次男:香川親和、三男:津野親忠ではなく、四男:千熊丸(盛親)に家督
 ・「豊臣秀吉」死(1598年)
   「長宗我部元親」死(1599年)

◆「関ヶ原の戦い」(1600年)
 ・「お家騒動」(三男vs四男)で、西側に入り敗者に
   「盛親」、「津野親忠」の好意を無にして、殺害
     改易に
 ・「山内一豊」が土佐に
   「上士」と「郷士」

◆「大坂の陣」(1614年)
 ・「長宗我部盛親」の奮戦むなしく、敗戦
    公開処刑に

756. 「歴史発想源 信義の驍雄 山形戦乱篇」 弘中勝

「歴史発想源 信義の驍雄 山形戦乱篇」 弘中勝

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■目次■

 【第一回】東北の支配者は誰か、羽州探題
 【第二回】この支配からの卒業、天文の乱
 【第三回】山形の地盤争奪戦、天正最上の乱
 【第四回】独眼竜との陸奥対決、大崎合戦
 【第五回】庄内をめぐる激突、十五里ヶ原の戦い
 【第六回】最愛の娘の悲劇、秀次事件
 【第七回】東北の関ヶ原、長谷堂城の戦い
 【第八回】日本屈指の大名へ、山形藩五十七万石
 【第九回】出羽統一の偉業の果て、最上騒動


■ポイント■

◆「奥羽」:「陸奥」と「出羽」
 ・「奥州管領」:斯波家兼
   「奥州探題」:「大崎氏」(家兼の長男)
   「羽州探題」:「最上氏」(家兼の次男)

 ・「伊達稙宗」(伊達氏14代)
    福島県伊達地方(大崎氏管轄)から、山形(最上義定)に攻め入る
    「長谷堂城」で最上氏大敗(1514年)
     「陸奥国守護」に
       妹を最上氏に、次男を大崎氏に(大崎義宣)
       「最上義定」の死後、「最上義守」が2歳で家督を継ぐ

 ・「天文の乱」(1542年〜6年間)
  ・「伊達稙宗」vs「伊達晴宗」(長男)
    「最上義守」が、稙宗方から、晴宗方に寝返り
     「室町幕府」の仲裁で、稙宗隠居、晴宗が当主に
      「最上氏」「蘆名氏」が独立

 ・「伊達晴宗」が、福島県伊達から、山形県米沢方面に
   「最上義守」が、娘を「伊達輝宗」に(その子が、政宗)


◆「天正最上の乱」(1574年)
 ・「最上義守」vs「最上義光」(長男)
   (伊達協調)  (羽州探題のプライド)
   「最上八楯」
 ・「北条荘」(伊達氏領)を攻めて、伊達輝宗怒る
    「伊達」寄りの「義守」から和議提案

 ・「蘆名盛興」の死で、後継者問題
   「相馬氏」「二本松氏」が、蘆名氏領へ

 ・「上山満兼」が最上領に進軍するも撃退
   「伊達氏」は「上山城」を失う


◆「最上八楯」との戦い(1584年)
 ・「天童頼久」
   「延沢満延」との和解後、八楯内が瓦解、天童城落城


◆「庄内:大宝寺氏」との戦い(1583年)
 ・「越後上杉氏」と「大宝寺氏」
 ・「東禅寺義長」が、「大宝寺義氏」を暗殺


◆「横手:小野寺氏」との戦い
 ・「鮭延城主:鮭延秀綱」を懐柔し、山形北部を


◆「大崎合戦」:伊達政宗との激突
 ・「大崎氏(最上家の本家)」(奥州探題)
   「大崎義隆」時の内紛に乗じ、伊達政宗が侵攻
 ・「最上義光」の参戦で、泥沼化
   「義姫(政宗の母、義光の妹)」の仲裁で和睦


◆「十五里ケ原の戦い」
 ・「東禅寺義長」:「大宝寺氏」に代わり、庄内地方を治める
   「上杉景勝(越後)」軍とともに、村上城の本庄繁長、大宝寺義勝が庄内に侵攻
    庄内地方の支配権を取り戻す(十五里ケ原の戦い)
 ・「山形城」は、最上義光の猛攻で死守
   「豊臣秀吉」に、訴えるも却下
    「徳川家康」に近づく
 ・「小田原征伐」後の「奥羽仕置」で、大崎氏が改易、伊達氏が減俸
   「最上義光」は、徳川家康のとりなしで、本領安堵


◆「九戸政実の乱」
 ・「豊臣秀次」「徳川家康」が、鎮圧
   「秀次」が、最上義光の娘に求愛
 ・「秀次事件」で、駒姫は斬首
   「秀吉」への憎悪で、「家康」寄りに


◆「長谷堂城の戦い」
 ・「蒲生騒動」:蒲生氏郷(会津)の死によるお家騒動(1595年)
    会津92万石→宇都宮12万石
    会津には、上杉景勝が、120万石として、庄内、米沢に
 ・「会津征伐」→「関ケ原の戦い」で、「慶長出羽合戦」に
   「上杉景勝」vs「最上義光」
 ・「長谷堂城の戦い」:鮭延秀綱の活躍で善戦
   「関ケ原の戦い」で、形勢逆転、直江兼続が撤退
     追撃するも、前田利益の奮戦で逃す


◆「山形藩57万石」
 ・「徳川家康」から、出羽山形藩57万石藩主に
   上杉氏は、米沢30万石に
 ・「長男:義康」「次男:家親」
   「義康」に高野山出家させるも、襲撃され落命


◆「最上騒動」
 ・「義光」死(1614年)後、家親が第二代に
   「大坂冬の陣」の時、三男、清水義親に嫌疑
     家親が、義親を急襲し、自害に
 ・「義親」死(1617年)後、息子の義俊が第三代に
    四男、山野辺義忠を担ぐ派と後継者争い勃発
    「お家騒動」で57万石没収(1622年)
 ・「山野辺義忠」は、水戸藩に迎えられ、光圀の教育係に



755. 「歴史発想源 武心の熱誠 幕末日野篇」 弘中勝

「歴史発想源 武心の熱誠 幕末日野篇」 弘中勝

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■目次■

 【第一回】日本の国防を呼び覚ます、江川英龍
 【第二回】多摩に広がる実力主義、天然理心流
 【第三回】日野本陣に武芸者集う、佐藤彦五郎
 【第四回】京の新選組と心は一つ、日野農兵隊
 【第五回】多摩にも迫る世直し騒動、武州一揆
 【第六回】八王子宿での死闘、壷伊勢屋事件
 【第七回】新選組との共闘、甲州勝沼の戦い
 【第八回】神奈川県から東京府へ、日野町誕生


■ポイント■

◆「甲州街道」(1716年)
 ・「脱出ルート」:甲府城までの多摩地区は幕府直轄地
   「韮山代官所」(静岡県):「江川氏」

 ・「江川英龍」:長崎の高島秋帆に弟子入り
   「韮山塾」で、西洋砲術を教える
     佐久間象山、桂小五郎、大山巌
   「品川お台場」「韮山反射炉」
   「日本で初めてのパン」
   「日本国防の父」(勝海舟)
   「慶応義塾大学(江川氏の江戸屋敷の地)」(福沢諭吉)
   「農兵制」(世直し江川大明神)
    「八王子千人同心」
     「天然理心流」

◆「天然理心流」:実力主義、実用的
 ・「初代:近藤内蔵助」:2.近藤三助、3:近藤周助
  ・「宮川勝五郎」→4代:「近藤勇」

 ・「佐藤彦五郎」が「日野宿の本陣」の当主に(11歳)
  ・「井上松五郎(井上源三郎)」のつてで、「天然理心流」に
     免許皆伝(1854年)
  ・「土方歳三」(妻の弟)と、近藤勇との出逢い

 ・「佐藤彦五郎・小島鹿之助・近藤勇」の義兄弟の契り(1855年)
   「近藤勇」が四代目襲名(1860年)

◆「日野農兵隊」
 ・「徳川家茂の上洛」(1863年)
   「清川八郎」が、上洛護衛のため「浪士隊」を幕府に提案
    「佐藤彦五郎・小島鹿之助」が留守を守る

 ・「壬生浪士組」が、会津藩お預かり
   「八月十八日の政変」で、「新選組」に
    「芹沢鴨」派を粛正

 ・「佐藤彦五郎」、江川秀武をサポートすべく、「日野農兵隊」を組織化

 ・「池田屋事件」(1864年)
   「長州征伐」」で、物価上昇、「世直し一揆」が勃発
    「武州一揆」も誘発するも、「日野農兵隊」が撃破(1867年)

 ・「大政奉還」(1867年)
   「徳川家茂の死、慶喜、孝明天皇の死」
    「王政復古の大号令」:徳川幕府、京都守護職も廃止
     「新選組」が朝敵となり、「戊辰戦争」へ

 ・「壺伊勢屋事件」(
   「薩摩(上田務)の甲府城乗っ取り」を阻止

 ・「鳥羽伏見の戦い」で、「新選組」大敗
   「失意の江戸帰還」

◆「甲州勝沼の戦い」
 ・「勝海舟」、「近藤勇」に、甲府城防衛を命ずる(甲州鎮撫隊)
   「日野」の「春日隊(22名)」も合流

 ・「新政府軍(板垣退助)」と「甲州勝沼の戦い」で大敗
   「江戸城無血開城」へ

 ・「近藤勇」流山で捕縛、処刑
   「土方歳三」函館で戦死(1869年)

◆「明治維新」
 ・「廃藩置県」後、神奈川県南多摩郡の初代郡長に、佐藤彦五郎(佐藤俊正)
   「新選組」の名誉回復運動(殉節両雄之碑)

 ・「多摩地方」が「神奈川県」(内海忠勝県令)→「東京府」に(1893年)
   「初代日野町長」に「佐藤彦五郎」

754. 「歴史発想源 信義の咆哮 戦国出世篇」 弘中勝

「歴史発想源 信義の咆哮 戦国出世篇」 弘中勝

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■目次■

 【第一回】目指すは城持ち大名「藤堂高虎」
 【第二回】天下人の名サポート役「豊臣秀長」
 【第三回】開花する実務力「紀州四国平定」
 【第四回】九州遠征での激闘「根白坂の戦い」
 【第五回】異国の地でも実力発揮「朝鮮出兵」
 【第六回】大戦の戦局を操れ「関ヶ原の戦い」
 【第七回】別格の国持ち大名「伊勢津藩」
 【第八回】満身創痍の出世街道「三十二万石」


■ポイント■

◆「藤堂高虎」誕生
 ・「近江国藤堂村」で誕生(1556年)
   「浅井氏」の配下
 ・「姉川の戦い」(1570年)で、徳川軍の大将首を
   「浅井長政」との謁見、槍を賜る
 ・「嫉妬」紛争で、上司を殺害
   「阿閉貞征」(山本山城)を頼る
    「渡辺勘兵衛」に槍術を教える
 ・「阿閉氏」から追われ、三河に

◆「白餅」→「城持ち」
 ・「吉田屋」の「三河餅」を無銭飲食
   「近江商人」の「三方良し」で、「出世払い」に
 ・「磯野員昌」(佐和山城)を頼り、仕える
   「織田信長」に寝返り、信澄を養子に
 ・「浅井氏滅亡」後、「信澄」が高島郡乗っ取り
   「傲慢な信澄」を見限り、出奔
    「磯野員昌」、「羽柴秀長」を推薦

◆「羽柴秀長」
 ・「羽柴秀長」に「300石」で扶持
   「築城」技術、「物資輸送」技術を学ぶ
 ・「太田垣輝延」の「竹田城」攻め
   「1000石」の足軽大将に
 ・「別所長治」の「三木城」攻め
   「賀古六郎右衛門」を槍で討ち取る
    「2000石」加増で侍大将に

◆「本能寺の変」(1582年)
 ・「山崎の戦い」「賤ヶ岳の戦い」で戦功
   「七本槍」より戦功高く、秀長が評価
    「1300石(4600)」加増
 ・「紀州攻め」で、「熊野」鎮圧へ
   「熊野水軍」を和議の利で味方に
 ・「秀長」に、紀伊国・和泉国64万石
   「若山(和歌山)城」普請を高虎が手がける

◆「四国平定」
 ・「長宗我部軍」の「谷忠澄」(一宮城)との交渉
   「長宗我部元親」降伏(1585年)
 ・「豊臣」姓
   「秀長」大和国も含め100万石
    「5400石(10000)」加増

◆「築城の天才」
 ・「徳川屋敷」の普請:自費で設計変更
   「酒井忠次」「本多忠勝」を感服
    「豊臣秀長」の名誉
    「三河の餅屋」への恩義

◆「九州平定戦」
 ・「根白坂の戦い」
    宮部継潤隊の救出に買って出る
     →2万石、正五位下の官位
 ・「秀長から「仙丸」を養子に」
   「仙丸」:丹羽長秀の三男
     →「藤堂高吉」に

◆「小田原城攻め」(1590年)
 ・「秀長の死」(1591年)
   「豊臣秀保」が家督を継ぐ(大和・紀伊100万石)
 ・「秀吉」:秀長の死後、千利休の切腹、朝鮮出兵等、諫める人がいなくなる

◆「文禄の役」(1592年)
 ・「熊野水軍」を率い、朝鮮へ
   「玉浦海戦」で敗退(李舜臣)
    「明」と講和
 ・「秀頼」生まれ、「豊臣秀保」病死
    2万石を捨てて、高野山に出家
 ・「秀吉」の説得で復帰
    伊予7万石へ
    「宇和島城」築城

◆「慶長の役」(1597年)
 ・「巨済島海戦」:「島津義弘」と圧勝
 ・「順天城」を築城
   「伊予国大洲城1万石加増」(8万石)
 ・「秀吉」の死(1598年)

◆「関ケ原の戦い」(1600年)
 ・「豊臣秀吉」の死(1598年)後、「武断派」「文治派」抗争
   「武断派」が、「徳川家康」を頼る
 ・「徳川家康」が、豊臣秀頼に拝謁(1599年)時、藤堂高虎が防衛のアドバイス
   「前田利家」お見舞い時も、女駕籠で助ける
 ・「小山評定」(1600年)で、福島正則、黒田長政の先に、誓書をしたためる
   「黒田長政」:「小早川秀秋」を、「藤堂高虎」:「脇坂安治」「朽木元網」を寝返させる
     →伊予今治12万石加増(20万石) 今治城築城
 ・「藤堂高刑」、「湯浅五助」:「大谷吉継」軍の猛将との約束を守る
   「徳川家康」が、「藤堂高刑」「藤堂高虎」を高く評価
 ・「石田三成」(敗者)に、戦いのアドバイスを聴く

◆「江戸幕府」
・「江戸城」普請:藤堂高虎が、石垣を
 ・「伊賀上野」の筒井氏を改易
   「藤堂高虎」が、伊賀・伊勢20万石、津藩藩主に(22万石)
     安濃津(港湾)を整備
 ・「藤堂高次」(実子)が生まれると、「藤堂高吉」が身を引き、「高次」の家臣に
   「伊賀上野城」築城
 ・「駿府城」築城
   「藤堂屋敷」
 ・「吉田屋」に凱旋
   「出世餅」(三つ丸餅)

◆「大坂の陣」(1614年)
 ・「八尾の戦い」で、長宗我部盛親と激戦
    独断専行の「渡辺了」を追放
     →伊勢鈴鹿5万石加増(27万石)

◆「家康」の死(1616年)
 ・「日蓮宗」から「天台宗」に改宗し、来世も忠義
   「秀忠」から、伊勢渡会5万石加増(32万石)
 ・「江戸屋敷」内に「上野東照宮」(1627年)
 
◆「加藤嘉明」に、会津藩42万石を推薦
 ・「遺恨」を超えて、国家のために

◆「藤堂高虎」の死(1630年)
 ・「殉死」を禁止(200箇条の遺訓)

753. 「歴史発想源 大望の地平 大王東征篇」 弘中勝

「歴史発想源 大望の地平 大王東征篇」 弘中勝

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■目次■

 【第一回】ギリシャの盟主「マケドニア王国」
 【第二回】快刀乱麻の進撃「イッソスの戦い」
 【第三回】東西両雄の激突「ガウガメラの戦い」
 【第四回】夢と憎悪の王都「ペルセポリス炎上」
 【第五回】世界統一の夢と影「バクトリア制圧」
 【第六回】インドの死闘「ヒュダスペス川の戦い」
 【第七回】ゲドロシア砂漠を越えて「スサ帰還」
 【第八回】最強を継ぐ者たち「ヘレニズム文化」


■ポイント■

◆「アレクサンドロス3世」誕生(前326年)
 ・「アルゲアス朝マケドニア王国」の「ピリッポス2世」の王子として
   「アリストテレス」を家庭教師に(モミザの学園)

◆「カイロネイアの戦い」(前338年)
 ・「アテナイ・テーバイ」vs「マケドニア」
   「アレサンドロス」の初陣で勝利
    「コリントス同盟」に(スパルタ以外)
 ・「ピリッポス2世」の暗殺(前336年)
   「アレサンドロス」が後継者に
    「先手必勝」で、各ポリスを制圧

◆「イッソスの戦い」(前334年)
 ・「グラニコス川の戦い」(前334年)
   「メムノン」(ギリシャ人)の進言に、ペルシャ太守が反対
    「アレサンドロス」の先陣で快勝
 ・「ゴルディオン」
   「ゴルディアスの結び目」を一刀両断
 ・「イッソスの戦い」
   「アレキサンドロス」の突進で、「ダレイオス三世」退却
    「ダレイオス3世の母・妻・娘」への寛容な対応

◆「ガウガメラの戦い」(前331年)
 ・「ティルスの戦い」(前332年)
   「フェニキア」の臣従も、「ティルス」のみ反抗
    「弱点の海軍」を「フェニキア」から集める
     「キプロス」「ロードス」も味方に
      「地中海」を制海
 ・「アレキサンドリア」建設
   「エジプト」の「ファラオ」に
 ・「ダレイオス3世」の和解案を一蹴
 ・「ガウガメラの戦い」:チグリス川
   「ペルシャ」の戦車隊、「バクトリア」の騎馬隊
    「アレキサンドロス」が、「ダレイオス3世」に突進
     「ペルシャ軍」総撤退
 ・「バビロニア」の無血開城
   「マザイオス」に太守を続けさせる

◆「ペルセポリス」の炎上
 ・「スサ」「ペルセポリス」に
   「王都炎上」
 ・「ベッソス(側近)」が「ダレイオス3世」を暗殺
   「アケメネス朝ペルシャ」滅亡(前330年)

◆「内部抗争」から「インド」まで
 ・「フィロタス」「パルメニオン」の処刑
   「バクトリア」に逃げていた「ベッソス」を処刑
 ・「バクトリア人」と結婚
 ・「東征」により、文化が伝搬

◆「ヒュダスペスの戦い」(前326年)
 ・「インダス川」を渡河し、「ポロス王」と対峙
   「戦象部隊」の足を狙い、「ポロス軍」を撃破
 ・「ポロス王」にインダス一帯の統治を任せる
   「アレキサンドリア・ブーケファリア」:都市名
 ・「ガンジス」の「マガダ国」制覇に向けるも内部抗争
   「ヒュパシス川」で遠征中止

◆「地獄の行軍」の中、「スサ」へ帰還
 ・「スサ」で堕落したマケドニア人を粛正
 ・「世界は一つ」理念
   「ダレイオス3世」の娘と結婚
   「多国籍部隊」

◆「アレキサンダー」の死(前323年:34歳)
 ・「バビロン」の都で高熱に(マラリア)

◆「ディオドコイ(後継者)戦争」
 ・「アレキサンダー」直系の子孫はすべて殺害される
 ・「アンティゴノス朝マケドニア」
   「マケドニア戦争」(前168年)で、共和制ローマに敗北
  「セレウコス朝シリア」
   「バクトリア、ペルシャ」離反、ローマのポンペイウスに攻められ滅亡(前64年)
  「プトレマイオス朝エジプト」
   「オクタビアヌス」に攻められ滅亡(前30年)
 ・「ヘレニズム文化」

◆「トランプ」
 ・「スペードK」:ダビデ王
  「ダイヤK」:カエサル
  「ハートK」:カール大帝
  「クローバーK」アレキサンダー大王

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