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2009年12月19日

★「崖の上のポニョ」、童話の皮を被った神話ぁ

153_img_1_b「崖の上のポニョ」
(2008) 日本 PONYO

監督:宮崎駿 
プロデューサー:鈴木敏夫 
原作:宮崎駿 
脚本:宮崎駿 
作画監督:近藤勝也 
美術監督:吉田昇 
色彩設計:保田道世 
音楽:久石譲 
映像演出:奥井敦 
声の出演:山口智子 長嶋一茂 天海祐希
所ジョージ 土井洋輝 奈良柚莉愛
吉行和子 奈良岡朋子 左時枝 他、

いつもながらネタばればれなのでご注意!

やばい。非常〜にまずいっ!!

何がまずいって、「テレビを見るのが楽し過ぎる」のである。
まさかまさか、こんなにもフルハイビジョンが綺麗だなんてっ!?
実に何とも、オロオロせんばかりの綺麗さなんで、
もぉすっかりドギモ抜かれてるのである。
ウチのボケ老人(父親)が、
「画面の向こうから人が覗いてる!」と怯えるくらいの迫力なんである。
頼む! しっかりしてくれオヤジっ!!(涙)
で、そんな次第で、
ほぼ、うろたえた状態で早くも二週間が過ぎちまったのである。
スゲェなアクオス、スゲェなPS3!! てな具合に大満足なのである。
実際に買うにあたっては、色々とスッタモンダがあったにせよ、
そんなもんはすっかり払拭され切っちゃうほどに画質が美麗で、
文句を一切付け様がないんである。
うむ。
満足過ぎて、ちょっと小腹が立つくらい(あんじゃそりゃ? 苦笑)。
お陰で、と言うか、
その所為で、ついつい記事の更新も滞っちゃったのである。
この記事を書く為に「もう一度観なくては」と、
うっかりブルーレイ版の「崖の上のポニョ」を借りちまったばっかりに、
あまりの美しさに茫然自失と成り果てて、
記事の推敲どころではなくなっちゃった、くらいの勢いなのだ(笑)。
だもんで、言い訳がましさフル満点ではあるが、
えーと(オズオズ…)、
今回の記事にはあんまし自信がありません(ダメやん!)。
でも、こうなったら勢いで書くしかないんである。
だってさぁぁ〜。
トットと早く書いちゃって、
溜まったブルーレイ版の映画をば観狂わにゃならんとですもん。

え? 「なげやりかよ」??
“なげやり”じゃあなくって、“簡潔明瞭”と解釈しなはれ(笑)。

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ponyo

最後に残ったお題の、
「中盤、トンネルへ向う前に出会った謎の母子との会話」
でありますが・・・、
正直言うと、このカゴメでさえもチット解り難い(赤面)。
ただ、この場面に至るまでの経緯から察すれば、
“2人でリサを探しに行く道程には、必ずや試練があるであろう”
と見るのが普通でありますから、言わば、
“幼児から大人へと至る通過儀礼の一つ”
としての解釈を試みる余地はあるでありましょう。
トンネルの一件が、宗介の覚悟の強さを試すステージであったならば、
この謎めいた母子との邂逅は、
ポニョに何らかの“悟り”をもたらす為に設えられたステージであった。
とまぁ、こうなるのではありますまいか?

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神話において、海と乳と幼い男女(姉弟)、
そして舟というモチーフはとてもポピュラーでありまして、
例えば、海洋を世界の起源とする神話においては、
海を“万物を育む乳”と見成して、それを棹(男性器の象徴)で撹拌し、
「バターの様に固まった物が陸地(島嶼)となった」
だとか、
特に南西諸島においては、
大規模な洪水が起きた後、天より降った姉弟が一つ舟で大海を漂い、
発見した陸地(島)に流れ着いて以降、近親婚によって人類を創生した、
ちゅー伝説が数多く散見されるです。
無論、ポニョと宗介は元々異種の生き物であって、
姉弟でも兄妹でもないんでありますが、
この物語の符号としての2人は、まさに一心同体の兄妹にさも似たりであり、
かつ、洪水伝説そのまんまの大津波の後、雄々しく漕ぎ出すその姿は、
明らかに、洪水の後の人類再生を思わせる展開でありますねぇ。

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でも、人類再生の大事業を手掛けるその前に、
クリアしなけりゃならない条件がある。それが、
母性への目覚めと継承、そして、父性を具現化した保護欲求の形成、
この2つでありますな。
ああそうだ、もう一つ参考として述べておきますが、
前々稿で書いた「タマちゃん」こと豊玉毘売神さんなんですが、
彼女の正体が禍々しいワニである事が露見して、
海の底へと帰ってしまう際、自分が産んだ子供の為に、
自身の“乳房”をその場に残して行くですね。
思うに、劇中のポニョも自身の乳房の代替えに、
ハム抜き(笑)のサンドイッチとスープをば手渡して行きます。
これはまさに、母性の目覚めであり、それが継承された事の証、
そして、立ち去る前に顔面を赤ちゃんに擦りつける場面は、
自身が“いずれ人間の女と化して子を産む”と宣する、
一種の儀礼なんでありますね。

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普通、“舟に乗って現れる異人”は、稀人であり渡来する神を指すです。
この場合、例の若い夫と母子、そしてポニョ&宗介の二組にとっては、
互いに互いが稀人であり渡来神でありますね。
あの若い夫は、前途を指し示し、
かつ、火を付ける道具を渡してやる“老賢者”の地位を占めてます。
言わば、山幸彦と豊玉毘売神の物語に出て来る塩椎神みたいな存在。
で、母子は何かと言えば、これはもう端的に、
かつてのグランマンマーレとポニョの関係を想起させる存在でありまして、
多分、グランマンマーレが設えた“分身”であろうと思うですね。
見渡す限りの水面に静かに漂う謎めいた父親と母子。
どうにもこうにも神秘的に見えてしまうのは、
この3人の在り様が直截に、ユングが説く元型に通じてるから。
ポニョという自我が無意識界の元型と巡り合う事で、
予定調和的なメタモルフォーゼがもたらされ、
ここにまた、新たなる神話が産まれ出る・・・。
静謐さとダイナミズムが混淆しているこの場面には、
明らかに神性との出会いそのまんまな厳かさが伝わって来るですね。

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ポニョは母子と出会う事で明らかに“進化”するです。
それを物語るのが、
一旦眠って、眠ったままで受洗(禊=再生)しつつ上陸するシーンと、
敢え無く元のサイズに戻ってしまうポンポン蒸気船でありますね。
つまり、「目覚めた者は元の幼子には戻れない」、
あくまでも不可逆的な進化である事を、このシーンが雄弁に語っている。
次いで注目すべき点は、
リサカーを発見したものの、愛する母を見出せずに泣き出す宗介を、
慈愛の籠もった態度で(寝ぼけたままとも見受けられるが。苦笑)、
優しく慰め、先を行く事を促すポニョの“大人ぶり”でありますよ。
ここ! ここの変容ぶりは刮目に値しますでしょ?!
もうね、ともすればポニョが宗介の庇護者=母親の代替者ですよ。
ポニョは試練を突破し、準備万端整った訳ですよ。
で、次は、宗介の為の試練=トンネル突破に繋がって行く、
とまぁ、そういう構成になっとる訳でありますね。

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うんうん、適当とか書いておきながら、
まずまず上々の出来じゃないですか!
(↑ 自惚れスマン。笑)

さて、お次は、
「リサの母親らしくない性向。そして、なぜ親子なのに呼び捨て?」
の件ですが、
そんなん、この物語の性質上、そうなるのは当ったり前の前なのは、
ここまでお読みの諸氏にはとっくにご理解頂けてると思うです。
とまぁ、思うんですが一応、念の為に書くとしましょう(笑)。

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まず、“母親に似つかわしくないアバンギャルドな性格”ですけど、
何故なのか簡単に言ってしまうと、
「一つの物語に3人も母性が出て来たら面倒だから」
ですわ(おいおい! 笑)。
グランマンマーレという破格にドデカイ原始母神が出て来てしまう上に、
グレートマザーの暗黒面を持つ一種のバリエーションとして、
トキさんなる存在までもが登場する。
(監督の母親がモデルと言うのがまた精神分析学的に面白し。笑)
しかも、この物語の骨子の一つが、
“ポニョが母性(もしくはその萌芽)を獲得する”でありますから、
更にその上に、母親らしい母親が出て来てしまうと、
そりゃあもぉ得も言えぬ“ややこやしさ”になっちまう訳でして。
要は、必然と言うか作劇的要請と言うか、
どうしたって、こうならざるを得ないのでありますねぇ。
彼女は結局、母親という立ち位置よりも、
物語の先導役もしくは交ぜっ返し役たるトリックスターの役割を担ってて、
それ以上を期待しても無理なんであります。
え? 「幼い2人を残して仕事に行くとは何ぞや?!」ですか。
第一に、介護職とはそういうもんです。
第二に、宗介なら賢いし勇気もあるから大丈夫。
第三に、リサがいたら試練にならんでしょ!(笑)
ま、そーいうこってす。

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で、呼び捨ての件ですが、
こりもまた、ほぼ同じような理由から、こうならざるえないですね。
ポニョの側が、巨大すぎる母親&横暴威圧的な父親という組み合わせ、
つまり、庇護と抑圧の一方向的な親子関係である以上、
それに対する宗介側は、
あくまでも平衡水準的な非庇護的・非抑圧的な緩い関係でなくちゃ、
うまい事バランスが取れないんでありますよ。対比にならない。
こりがどっちも、ガチガチに封建的で家父長的な家庭だったら、
とっとと「ロミオ&ジュリエット」になっちまって、
必ずや悲恋成就物語に陥ってしまうです。主題が変わっちまう(笑)。
作劇的要請として、
やっぱりこういう親子関係でなくっちゃ、うまく話が運べないんであります。

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も1つ言うと、
宗介が(表層意識的な自覚のアル・ナシに関わらず)、
“一個の男性として、将来の父親としての存在性を獲得し得るか否か”
がテーマの一つであるとすれば寧ろ、雛形になるであろう宗介自身の父親は、
この間、程好い距離に据え置かれている方が良い。
劇中、発光信号や無線で父子がコミョニケーションを取るですが、
その遣り取りのみで仄かに関係を指し示すくらいが丁度いいですねぇ。
男の子が、男への階梯を一歩踏み上がるその時、
親がベタベタと手を添えて補佐するのは見ていて見苦しい
ですもん。
旦那が帰って来ないと知ったリサが駄々捏ねた時、
健気にも宗介が慰めますが、あれだって、
一般的な「パパママっ子」だったらスムーズには行ってないと思うです。

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ま、判るんですよ。「親を呼び捨てにするとは何事ぞ!」(苦笑)。
そりゃあ、
DQNな十代のバカ親と、躾も何も出来てない茶髪幼児の組み合わせで、
互いに呼び捨てで呼び合ってたら眉顰めまくりですよ(笑)。
が、どうですか? 宗介一家の親子関係はとーても健全でがしょ?
宗介なんて表彰したいくらいに出来の良い子じゃない!
子供は育てたようにしか育ちません。

よって、子供の出来を見れば子育ての出来も一目瞭然です。
「呼び捨てしてるとか何とかクダラン文句つける前に、そこを見ろや!
とか言っちゃったら過激でしか?(苦笑)
まぁアレです。
そんなに言うなら、御自分のお坊ちゃんやお嬢ちゃんにはせいぜい、
「お父上様、お母上様」とでも呼ばせてご満悦に浸ってればいいじゃん。
それで宗介以上のイイ子に育ってくれればお安いもんだわなぁぁ(苦笑)。

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そうそう、
「海から来た魚に水道水とは何ぞっ!」と怒り心頭の方々もいらっしゃるが、
一言で言えば、「そ、そこですかいっ!?」と言わざる得ないぞ。
こりは横から見ても縦から見てもお伽噺。
正確に言うと、お伽噺の皮を被った新神話ですから、
大概の不思議が“根っからの有り”なのは、とっくに自明の理でしょ。
水道水がどったらこったらは、早々に枝葉末梢事であって、
「そんなツマランところに拘りなさんな」でありましょ?(笑)

さすがの長丁場で些か疲れて来ました(苦笑)。
んで、この稿を最後に「崖の上のポニョ」のレヴューを〆たい訳ですが、
他にも色々と書きたかったネタはあるんで、
以下に箇条書きでツラツラと書いとくですよ。

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●むっちゃたくさんいる妹たちに付いて。

あれはギリシア神話に出て来るネレイスたちですね。
ネレイスとは、外洋の神オケアノスの娘ドリスが、
内海の神であるネレウスに嫁入って産んだ100人に及ぶニンフたちです。
いつもは父親と一緒(母不在?)に海底の宮殿に棲んでて、
戯れる時には、イルカの背中に乗ってセイリングを楽しむ
といった、
何だか羨ましい生活をしている美女軍団ですね。
ただ、この作品においては、何故か長女がブリュンヒルトなもんで、
途中、「ワルキューレの騎行」にクリソツな曲が掛かるシーンでは、
北欧神話のワルキューレみたいに姉に従って行動する
ですね。

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●フジモトの秘密の貯蔵庫にある「パンゲア」と「1907」

何やら怪しげなエッセンスを溜め込んでるフジモト。
海底深くの塔にある彼の部屋には、パンゲアと書かれた看板の下に、
貯蔵庫に入るドアがあるですね。
で、パンゲアとは何ぞや?
パンゲアとは、凡そ2億5千年前にあったと言われる超大陸でありまして、
当時の地球では、大地が全部一つ繋がりになってたらしい。
ちゅー事は逆に言うと、「海も一つ繋がり」だった訳で、
フジモトの狙いは寧ろソッチ(一つの超海洋)だったのかな?

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で、貯蔵庫には1907と銘打たれた大瓶が置かれてますが、
この1907年は、
ジュール・ベルヌの「海底二万里」が初めて映画化された年であります。
一般的には54年のディズニー作の方が有名だし、
この「ポニョ」だってディズニー配給だから1954でも良いだろうに、
一体なんでフランス盤「Lieues Sous Les Mers」の方なのか?
多分、「初映画化に敬意を表して」でもあり、かつ、
手塚治虫氏のディズニーに対する敬慕の念への意趣返しか?
とか色々と推察(邪推)できるですねぇ。

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●なぜトキさんには金魚じゃなくて船なのか。

宗介は嵐の中、リサの勤め先であるホームに行って、
2人の気の良いお婆ちゃんには金魚の折り紙を、
トキさんには父親の乗る小金井丸の折り紙を手渡す
です。
金魚は無論、ポニョの事を指してて、
「僕もポニョを忘れないから、2人も忘れないでね」ちゅー意味合い。
で、ポニョを見るなり「ギャー!」言ってたトキさんに渡した船の意は、
その後の展開から見ても、
「僕がポニョの庇護者だよ。いずれ男になり父になるんだよ」
ちゅー、ある種オズオズながらの宣言だと思うです。

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何度か書いてますが、
このトキさんはグレートマザーの負の部分代表ですから、
当然、幼年期を脱する男の子は、いずれ彼女と対決しなくてはならん。
ただ、まだまだ宗介は幼くって、相手のトキさんは、
「これが本当に船かい?そう見えないよ」なんて軽くあしらっちゃうね。
しかーし!!
物語のラストでは、
例のポンポン蒸気船をフジモトが宗介に返納し(父権の委譲である)、
堅い握手で幕引きとなるのである。
この物語の中の“船”は、一種の男の証なんであるね。

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●船が男なら月は

そりゃあもぉ“女”でありますな。
フジモトが溜め込んだ生命の水を鱈腹飲んだポニョ。
そのポニョ(♀)が地上に来襲し、女の側にパワーバランスが傾いた。
よって、月(女の象徴)が地球に迫り来たり、
海上の船(男の象徴)が全て引き寄せられ座礁する。
そんな中を、グレートマザーそのものの巨大ママさんが御神渡る訳だ。

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で、“船”が宗介(♂)の手に戻り(委ねられ)、
キスで泡が破れ、ポニョが人間として再臨してようやく、
地表に真のバランスと秩序安寧が戻って来る・・・。
てな具合で、とっても判りやすいでしょ、この物語。

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長々と書いちゃいましたが、
「絵がキレイ!」とか、「あそこのシーンがステキ!」とか、
もっと普通な事も書きたかった(涙)。
まぁそれはいずれ、
も一回、ブルーレイ版を観た時に書くとするよっ!!(ホクホク笑)

↓ 「崖の下のポニョ」の予告編です(米国版#2)。

Posted by カゴメ at 20:50 
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ウチのボケ老人(父親)が、
「画面の向こうから人が覗いてる!」と怯えるくらいの迫力なんである。
頼む! しっかりしてくれオヤジっ!!(涙)

そういうお前もただのボケ老害だろうがwwwww
Posted by 包茎 at 2014年09月28日 17:08
 
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