μFM「おみえどんの歴史探訪伊佐ぶらり」で案内役を務めました

今回、12月29日(水)放送のμFM「おみえどんの歴史探訪伊佐ぶらり」で、伊佐市役所伊佐PR課職員として案内役を務めさせていただきました。
おみえどんの歴史探訪伊佐ぶらり
12月29日(水) μFM エフエム鹿児島 17:00~17:55 放送
出演:中島身依、「チームちむどん」の皆さん
史跡等案内協力:伊佐市役所
伊佐PR課
番組企画・製作:μFM エフエム鹿児島
※ 告知ページ(伊佐市HP)
その際、原田も番組に出演し史跡案内をさせていただきました。
中島身依さんは鹿児島を拠点に活動されている、モデル・タレント・ラジオDJ・レポーターと幅広く活動されている方です。
中島さんは歴史や史跡めぐりがお好きで、自身がパーソナリティーを務める毎週水曜日16時から放送のμFM「μ’s UP(ミューズアップ)」内で、「おみえどんの歴史探訪まちぶらり」というコーナーを担当され、自身で史跡に出かけレポートする形で史跡やそれにまつわる人物を紹介されています。
実際、ロケに同行させていただくなかで、中島さんが鹿児島の郷土史や歴史を普段からよく学ばれていることを実感し、私自身、楽しくロケを行うことができました。
今回のスペシャル版では、番組側から「特番で新納忠元を取り上げたい」という相談が伊佐PR課にあり、原田の方で対応させていただきました。
なるべく歴史的な事実を正確に話したいと思い、原稿も事前に用意して対応したのですが、実際に現場でロケしながら話すとなると、なかなかスムーズに言葉が出てこず、また時間の制約もあるので、うまく説明するのが難しかったです。
忠元神社
参道を上がってくる「おみえどん」こと中島身依さん。

おみえどん側から見た忠元神社

忠元神社 拝殿(正月近くなので「のぼり」がありますが、普段はありません)

賽銭箱に描かれた新納家の家紋

石灯篭に描かれた新納家の家紋


老年のため朝鮮出兵に出陣できない無念を詠んだ「あじきなや」の和歌の碑
(忠元神社 境内)
※ 詳細(伊佐市HP)

忠元神社 創建時に薩摩藩家老 調所広郷から奉納された手水鉢 (神社境内)

忠元神社は天保15年(1844)創建。伊佐市大口原田の小高い丘にあり、桜の名所として有名な「忠元公園」に隣接しています。
江戸時代後期、天保年間の大飢饉の時に、この神社の近くにある忠元の墓に祈願したところ霊験があり、以後、家内安全・五穀豊穣などを祈願する場所として忠元を祭神とした忠元神社が建立された、と伝わっています。(「新納忠元勲功記」)
調所広郷の手水鉢があることから、忠元神社の勧進も調所による藩政改革の一環だったと考えられます。
天堂ヶ尾「関白陣」
南国交通「関白陣」バス停留所
伊佐市大口曽木・さつま町・薩摩川内市方面に通じる国道267号沿い
※ このバス停については、桐野作人先生が言及されていたのを参考にさせていただきました。
桐野先生フェイスブック

天堂ヶ尾「関白陣」山頂 標高 306mの丘で、大正5年建立の「関白陣」記念碑があります。

関白陣から、忠元がいた「大口城」(現 大口小学校付近)を望む


碑文「新納武蔵守忠元碑 元帥海軍大将元帥大勲位 東郷平八郎 書(花押)」

江戸時代の地誌「三国名勝図会」に描かれた関白陣

伝「関白陣の石垣」 ※ 後世の牧畜等の石垣の可能性も有り

現代版組踊 『鬼武蔵~TADAMOTO忠元』
※ 公式HP

伊佐市大口歴史民俗鉄道記念館内「新納忠元コーナー」

旧大口市が昭和40年代にコピー機で複写した「新納忠元文書」



最も良い歌に「、、」が付せられている(赤丸部分)

新納忠元の墓
墓所入口

墓のある玉屋
手を合わせた後、おみえどんが備え付けのホウキで掃除をしてくださいました。


忠元公園
桜の名所として知られる忠元公園は、明治42年(1909年)に、新納忠元没後300年記念事業の一環として桜を植えたのが始まり。

「二才咄格式定目」碑
※ 二才咄格式定目については こちら (伊佐市HP)
平成22年(2010)に新納忠元没後400年記念事業の一環として建立された

※ 近年の安藤保先生の研究等(『郷中教育と薩摩士風の研究』南方新社、2013年)では、新納忠元が「二才咄格式定目」の制定に携わったかどうか、再検討の必要が指摘されています。
新納忠元と戦った、地元の土豪(国衆)「菱刈氏」関連の史跡
菱刈氏歴代の墓(伊佐市菱刈南浦)

菱刈氏の居城「太良城」跡(伊佐市菱刈南浦)
