日程:平成23年11月12日~13日
調査地域:鹿児島~宮崎 走行距離382キロ。累計1607キロ
参加役員:荒木・岡田・杉野(事務局)
家族会:市川修一さん(兄の健一さんと健一さんの妻の龍子さん)・増元るみ子さん(弟の増元照明家族会事務局長と照明さんの妻の俊子さん)
特定失踪者家族:園田一さん敏子さん夫妻(娘の前山利恵子さんと利恵子さんのご主人の光秋さん)・田中正道さん(妹の村岡育世さん)・林田幸男さん(妻の幸代さんと弟さん)・水居明さん(息子の水居徹さん)・岩本美代子さん(叔父の小松さん)
支援者 花牟礼救う会鹿児島会長・吉田救う会宮崎代表・森山予備役ブルーリボンの会監査他関係者の皆さん
◎11月12日(土)
(1)市川修一さん・増元るみ子さん(昭和53年8月12日失踪 当時23歳及び24歳)
薩摩湖及び吹上浜最終失踪関連地点調査 市川健一さん・龍子さん・増元照明さんによるしおかぜ収録
昭和53(1978)年8月12日拉致。当時23歳及び24歳。同日に佐渡で曽我ひとみさん・ミヨシさん親子が拉致されている。また、3日後の8月15日には富山県高岡市で拉致未遂事件が起きており、当時少なくとも3か所で同時に2人ずつを拉致することのできる態勢が日本国内も含めてできていたことを示すものである。
2人は拉致当日午後「吹上浜に沈む夕日を見に行く」と言って市川さんの車で鹿児島市内を出ている。その日は帰宅せず、翌日車が吹上浜近くの駐車場で発見されている。その車の中には市川さんのカメラが残されており、中に入っていたフィルムには車の置かれていた駐車場から2キロほど離れた薩摩湖周辺で二人がそれぞれ相手を写した写真が3枚ずつ合計6枚納められていた(この顛末については既にメールニュースで書いた通り)。
薩摩湖で写した写真は鹿児島県警によれば一番最後が18時40分頃撮影したものとのことであり、当時日没が19時5分であったことを考えると場所から考えて撮影地から駐車場まで行き、さらに吹上浜に出るには時間的に間に合わない。本人たちが予定を変更したことも考えられるが、駐車場から吹上浜に行く途中には車両を止めて拉致するには距離が短く、また同日は野外コンサートも駐車場近くで行われていたことから、どこで拉致されたのかについてまだ不明の部分が多い。
駐車場から海岸に出る道の途中には市川さんのサンダルが落ちていたが、警察犬はその周辺しか動かなかったという。つまりこれも偽装工作の可能性が高いということ。
拉致された状況については2人の家族もほとんど警察からの報告を受けておらず、今回の調査では逆に不明な点が山積していることが明らかになったと言える。
(2)工作員侵入事案
頴娃町馬渡海岸 当時工作員を目撃して警察に通報した地元の人から聴取
昭和46(1971)年10月2日、鹿児島県頴娃町馬渡海岸に工作員が上陸した。当時の地元紙によるとゴムボート2隻に3人ずつ分乗した6人が上陸するのを海辺で漁をしていた地元住民が発見。指宿署に通報した。警察・消防団員が捜索したところ2人を発見したが残る4人は逃走したとされている。同日国籍不明の小型船舶が馬渡海岸沖にいるのを海上保安庁のビーチクラフトが発見、巡視船が追尾したが領海外に逃走した。発見された2人は朝鮮総聯の役員だったが密出入国や他の4人との関係を否定したため事情聴取は打ち切られた。
当時警察に通報した男性によれば海にいたのが4人、浜に荷物を持った二人の背広姿の男がいたという。報道と食い違うが上陸と物資の搬出の両方を行おうとした可能性がある。
この事件は戦後の主要な外事事件を網羅した『戦後の外事事件』(改訂版・平成19年外事事件研究会編著・東京法令出版)にも書かれていない。送検されていないためと思われるが、拉致を除いて61件掲載されている北朝鮮系外事事件の中にこれだけ大規模な事件が掲載されていないというのは驚かされる。
○拉致の実演展示
鹿屋市内で予備役ブルーリボンの会代表である荒木及び同会監査である森山博行鹿児島市議を中心に支援者の協力を得て実施。なお、予備役ブルーリボンの会の展示は11月12日の小浜集会の中でも行われている。
◎11月13日(日)
(4)園田一さん・トシ子さん(昭和46年12月30日失踪 当時53歳及び42歳)
大崎町園田家跡・最終失踪関連地点であるガソリンスタンド調査・前山利恵子さん・光秋さん・村岡育世さんによるしおかぜ収録。村岡さんは田中正道さんの失踪が千葉県であるため、鹿児島には失踪関連地点がないのでここで収録。ただし現地調査には2日間全日程に参加した。
2人は大手資本の経営する養鶏場の管理人で昭和46(1971)年12月30日、帰省する娘さんを宮崎空港に迎えに行くため車で鹿児島県大崎町の管理人宿舎を出たまま失踪、車も見つかっていない。当時53歳及び42歳。最後に目撃されたのは自宅前の道から国道269号線に出てまもなくのガソリンスタンドであった。ここで都城を経由して宮崎空港に向かうと言っている。このケースは車を何らかの方法で停止させられ、拉致されたものと思われる。この点は市川修一さん、増元るみ子さんも同様の可能性がある。
また、直接の関連性は不明だが2人の失踪は馬渡事件の2か月後であり、平成13(2001)年の「九州南西海域における工作船事件」で沈没した北朝鮮工作船からも薩摩半島南東部の海岸線に沿った陸域の地形や施設等が示された地図(防水加工が施されている)が発見されている。元朝鮮総聯幹部韓光煕の著書『わが朝鮮総連の罪と罰』にある38箇所の侵入ポイントの中には出水郡野田町、阿久根市佐潟、市川・増元拉致の吹上浜及び大隅半島の南端佐多岬の4か所が入っている。時期を問わず鹿児島県が工作活動の舞台となっていたことが分かる。
(5)原敕晁さん(昭和55年6月25日拉致 当時43歳)
青島海岸最終失踪関連地点調査
原敕晁さんは大阪市の中華料理店店員であった。北朝鮮工作員辛光洙や指示を受けた在日朝鮮人の同店店主らに騙され宮崎市青島海岸から昭和55(1980)年6月25日拉致された。当時43歳。
辛光洙らは原さんとホテルで食事をした後海岸に連れ出し、工作員に引き渡した。その後辛光洙は原さんに成り代わって(いわゆる「背乗り」)工作活動に携わり、昭和60(1985)年韓国で逮捕されて原敕晁拉致を自供する。
現場の状況は当時とはかなり変わっているが、青島海岸が新婚旅行のメッカだったのは1970年代も初め頃までで、当時は既に夜は人気が少なくなっていたとのこと。しかし大阪からここまで連れてきたというのはこの場所が使いやすかったからであり、それはすなわち頻繁に工作員出入りの舞台とされていたということだろう。
(6)林田幸男さん・水居明さん(昭和63年7月17日失踪 当時53歳及び52歳)
タンポリ最終失踪関連地点調査 林田幸代さん・弟さん・水居徹さんによるしおかぜ収録。
昭和63(1988)年7月17日、宮崎市大淀川河口のマリーナ、通称タンポリから林田さん名義の遊漁船「共擁丸」で出航したまま船ごと失踪。当時53歳と52歳でどちらも会社社長。
翌日海保に届けたが、べた凪だったのでエンストして流されたのだろうとされていた。後にこの時期黒い船が沖にいたという話があった。また、マリーナを出るとき、すれ違った可能性がある船がいるが相手が共擁丸だったかは分からない。
タンポリから北東57キロのところで海保の船が救命胴衣を見つけた。髪の毛が2~3本着いており灯油が染みていた。共擁丸のものかどうかは分からなかった。それ以外には船体はもちろん一切の遺留品が見つかっていない。
失踪ひと月前に林田さんは幸代さんに「探偵でも付けているのではないか」と言っている。また弟さんには「一か月後に自分がいなくなったら…」と言ったことがあった。これが何を意味するのか不明だが、あるいは固定スパイに追尾されていた可能性がある。
船が近海でまるごといなくなるケースは他にない。共擁丸の大きさはアンテナを外せば工作母船に収納できる大きさとも言われ、工作子船代わりに使われた可能性もある。プレジャーボートであれば漁船以上に怪しまれないからである。
(7)岩本美代子さん(平成7年11月5日失踪 当時36歳)
宮崎市(旧佐土原町)石崎浜最終失踪関連地点調査 小松さん、同級生の津曲さんによるしおかぜ収録。
平成7(1995)年11月5日朝、交際していた男性と日向方面に本人の運転でドライブに出かけたが日向大橋までで計画を中止し、住吉の自然動物園駐車場で正午頃別れ、その後消息を絶った。当時36歳。建設会社で経理の仕事をしていた。5~6日後に佐土原町(限宮崎市)石崎浜海岸の浜に出る手前道路から草地に突っ込むようにして車が止まっているのを親戚が発見した。鍵はついたままだった。車の中にはウィスキーがまかれておりボトルがあった。銘柄は不明だが珍しいウイスキーとのことだった。
当日祖母から友達に出す手紙の投函を頼まれたが、その手紙には砂土原から南に50キロほど離れた鵜戸神宮の近くの郵便局の消印があった。日向とは逆方向。
失踪当時男性は疑われ県警でかなり厳しく取り調べられ、アリバイが見つかっている。
この日の調査の終了後、海岸から戻る途中で通りがかった男性が「15~6年前に浜にいたら2~3人の男が近づいてきた。海からは船がやってきたので恐くなって逃げた」と証言した。時期的には岩元さん失踪の頃である。
娘を宮崎空港に迎えにでたまま車ごと消えている。
同様な事件が同時期、宮崎県でも起きている。当時宮崎沖にて不審船が目撃されており追尾したが北朝鮮海域に逃げられている。
この模様は各民放で流れます。NHKなどは中継車まで投入してました。
鹿児島読売テレビは来週月曜日の夕方ニュースで特集を組みます。
ご覧くださいませ。
0700 鹿屋発
0835 桜島港発フェリー (0850 鹿児島桜島桟橋着)
0915 鹿児島東急イン前発(鹿児島市からの参加者合流)
1025 市川さん・増元さん拉致関連現場調査(薩摩湖及び吹上浜市川車放置地点周辺)
1135 吹上浜発
1315 頴娃海岸着 工作員上陸現場調査
1425 頴娃海岸発
1530 山川港発 フェリーなんきゅう(1620 根占港着)
1705 鹿屋着
1730 拉致の実演展示(場所・車両は鹿屋市が提供予定、予備役ブルーリボンの会会員である荒木及び森山鹿児島市議を中心に支援者の協力を得て行う)
1830 夕食懇親
11月13日(日)
0800 鹿屋市内発
0830 大崎町園田家跡
1055 青島海岸調査(救う会宮崎吉田代表合流)・昼食
1230 青島海岸発
1250 大淀川河口タンポリ(林田さん・水居さん失踪関連現場)
1330 タンポリ発
1420 宮崎市(佐土原)石崎浜(岩本さん失踪関連現場)
終了後解散
北朝鮮に拉致された可能性が濃厚な被害者家族を支援する会「特定失踪者問題調査会」の荒木代表が定期的に行っている現地調査が、11月12日、13日に鹿児島で行われます。
荒木代表は私が所属しております「予備役ブルーリボンの会」の代表もされております。
私も両日同行します。鹿屋市では拉致のシュミレーションを行う予定です。
1万キロ現地調査第3回・第4回について(23.10.12時点の計画)
第4回(調査地域 鹿児島~宮崎)
日程 11月12~13日
行程
11月12日(土)
朝 鹿児島市内~吹上浜(市川修一さん・増元るみ子さん)~頴娃海岸(工作員上陸現場)~山川港からフェリーで根占港(大隅半島)へ移動~佐多岬(工作員上陸ポイント)~鹿屋
<鹿屋泊>
11月13日(日)
朝 鹿屋市内発 大崎町(園田一さん・敏子さん宅跡)~日南海岸(原敕晁さん)~宮崎市大淀川河口(林田幸男さん・水居明さん)
18日は埼玉県熊谷市役所にて、「子育て応援プロジェクト」などを。
19日は栃木県宇都宮市にて「自転車のまち作りの推進について」などを。
20日は青森県八戸市にて「ドクターヘリ運航事業」を。
個人的には一生懸命に取り組んでいるドクターヘリの視察が一番興味がある。
21日に鹿児島に帰郷して22日は民主党政策研修会、23日は先輩議員の息子さんの披露宴。
あけて24日は中央署長さんと交番に関する意見交換。
25日は桜島爆発対策特別委員会の中央要望と行政視察のために上京し、27日は北海道まで行き、鹿児島へは28日に帰ります。
あっという間に10月も終わりごわんさあ~~。
今回は定数削減の議案が提出され、3日に終了予定が約1週間延びました。
今年も残すところあと2ケ月半。
来年は選挙の年となります。
2期目は「鬼門」とよく言われます。
偶数期がよく落選するようです。
しかしながら、当選する為に活動するのは私はいささか疑問を感じます。
政治家は自分の信念と政策を世間に訴えて、それに同調される方々が応援する構図と
思います。
自分が何をするか、これからどうするのか。
これを即答できない方は政治に世界から退いていただくことが肝要と思います。
皆様の将来の夢と希望を付託されるような議員になるよう日々努力して参ります。
ついに北朝鮮からアクセスがあった。
それもアクセス画面は自衛隊訓練のページであった。
昨日は知事訪問から始まり(本日の南日本新聞をご覧ください)。
その後、KTSのげっきんかごしまに生出演。市長訪問も時間を市長が合わせて頂いて、午後4時に市役所(市長、感謝です)。その後、天文館でマッコリイベント。パレスインに戻り、フレンズFMの取材(もちろん、古巣の番組「エイジアンウェーブ」)。そしていよいよデイナーショー開催。異様な盛り上がり。本日は午前11時から韓国のみのもんたと言われている方と柿安本店の方と鹿児島の特産物を目の前にしてのファンの集い。鹿児島と韓国を食材でつなげますよ~~~~~。というか、もう商品化されている物もあります。アジアと鹿児島の接着剤議員、森山ひろゆきは走り続けます。あ、やば、もうこんな時間。では、また!!






















