誤解・偏見・風評被害 ~北から来た友人が教えてくれたこと~

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 夫の転勤に伴って北海道に移り住んだ友人から「今度帰省するから、会って震災のボランティアの話をしたい」と、連絡が来ました。
 「私はボランティア最前線じゃなく、一歩引いて情報発信してる立場だけど、それでもいいの?」と返信したところ、友人は快諾してくれたので、街中のカフェで会うことになりました。

 顔を合わせるのは実に5年ぶり。
 高校時代、他校でしたが同じ部活のつながりで出会った彼女は、当時と変わらない、ほんわかした雰囲気でホッと一安心しました。

 「それにしても、どうしたの急に? 震災の話がしたいなんて…」

 そう尋ねると、友人は震災発生から数日後に亘理町の避難所でカレーを配った体験や、震災後に引っ越した北海道での生活、故郷・宮城に対する思いなどを、少しずつ語ってくれました。

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「オピのおび」終了のお知らせ

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平素は「オピのおび ふらっと弁論部」をご愛読いただき、ありがとうございます。突然ではありますが、年度末の3月31日午後4時をもって、オピのおびのサービスを終了し、サイトを閉鎖することになりました。これまでお読みいただいたことに、深く感謝申し上げます。

オピのおびは、東日本大震災発生から半年後の2011年9月11日にスタートしました。「被災地からの情報発信」を目標に掲げ、各分野の第一線で活躍する方々に執筆いただいてきました。プロの記者が取材し、新聞やテレビなどで広めるという従来のマスメディアではカバーしきれない分野の情報や被災地域の実情、現場の人々の主張などを届けていこうという狙いでした。

スタート当初は週5日のペースで記事を更新し、発信に努めてきました。しかし、月日が経つにつれ、「活動家」である書き手の皆さんはそれぞれの仕事・活動に忙しくなり、「サイトに書くこと」よりも、「現場で汗を流すこと」を選択せざるを得ない状況となりました。運営側としては、書き手を募って執筆陣を増強する一方で、更新を週2本程度にとどめるなど、執筆者の負担軽減にも工夫してきました。

そうした中で、親サイトである「ふらっと」が3月1日、「河北新報オンラインコミュニティー」へと全面刷新しました。より簡便な記事執筆が可能となった上に、情報のまとめ機能である新設の「スクラップブック」を使えば、従来以上に効果的に被災地の情報を体系的に提供することも可能になりました。そのため、オピのおびの情報発信の役割は、そちらに引き継ぐことに決めました。

具体的には、「被災地のいま」「原発事故と向き合う  家族・親子・子ども・地域」「いま読みたい東日本大震災関連本」などのスクラップブックが作られ、興味深い記事がそれぞれ見やすく整理されています。あわせてオピのおびの執筆者の中には引き続き、コミュニティーのブロガーとして、それぞれの分野の情報を発信してくださっています。今後は、どうぞそちらをお楽しみいただければ幸いです。

これまでのご愛読に重ね重ね御礼申し上げるとともに、皆様にはどうか引き続き、「被災地」「東北」に思いを寄せ続けていただきますようお願い申し上げます。ありがとうございました。

河北新報社デジタル編集部

遠く離れた東京の中学生へ

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東京で中学校の教諭をしている友人が、3月11日の全校集会を受け持つことになったという。
「東北から何か伝えてくれ」と頼まれて、メッセージを書いた。
集会では、この友人が朗読し、生徒たちに語り聞かせてくれた。
自分が遠く離れた東京の中学生に送ったそのメッセージを、下記に記す。

                          ◆

卒業式が近いと聞いた。そうなると入学の年が3.11。
当時、東京でも、節電や支援物資の提供、至る所に「募金箱」と「絆」が掲げられた。
中学校生活はどこか震災と絡んだ記憶が多いのではないだろうか?

そうはいっても、どこか遠い記憶。
「寒い体育館に集められて、追悼集会だなんて、だるいよな。おまけに先生の話も長い」と想っていることだろう。震災3年の節目ということで、先週から震災関係のことが連日報道されている。わかっていると思うけど、それもこの時期だけだ。しばらくしたら普段通り、テレビでアイドルが歌い・踊り、大好きなお笑い番組だって流れる。LINEだって楽しいスタンプでうまるだろう。

「今日ばかりは東北に想いを寄せよう」
それもいいが、数日で忘れる。
仕方ない、人は忘れる生きものだから。
あんなに頑張った受験勉強の内容だって、もう忘れているだろう?

2011年3月11日、歴史的なことが起こった。
原発から近い地域の人は、放射能の影響で故郷に戻れず、そのまま亡くなる人もいる。
君たちと同じ時に入学した中学生は、プレハブの仮校舎、勉強部屋もない仮設住宅で3年間を過ごした人もいる。

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これからも女川町に通い続ける

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2011年3月11日から3年をむかえます。

震災の年の10月から、中小企業診断士の齋乾二郎さんの声かけで毎月1回、女川町の商工会さんの協力をいただきながら、無料の相談会を行っています。相談会をはじめたころは、流されたリース物件についての法的処理、生活支援金など津波による被害に直結した相談が多かったですが、最近は、震災から3年目をむかえ、問題が複雑化してきています。

2014年3月1日の土曜日も女川町のきぼうの鐘商店街の商工会会議室で、午前10時~午後0時まで、相談会を開催しました。相談にいらした方は、「これからも月に一度、特別なことがなければ相談に来ます」とおっしゃっていました。

私たちが出来ることは限られていますが、相談者の声に耳を傾け続けるということが大切なんだとあらためて感じました。女川町での相談会は、これからも続けて行きます。
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立派さの中の孤独

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「オピのおび」で以前もご紹介したのですが、県内の小・中・高校の授業で子ども達と複数の大人が学びあう「未来パスポート」という活動を6年前から行っています。

恒川さん1
<岩手女子高未来パスポート2013年8月>


このプログラムは、ある日高校生から「先行き不安定な社会情勢の中で一体どうやって将来ビジョンを描けというの?」と投げかけられたのがきっかけで始まりました。

確かに、偏差値の高い大学を卒業して一流と呼ばれる企業に入社したとしても生涯の生活が保証される時代ではなくなりました。正社員以外の働き方も増え、就職した先が倒産することだって予想されるのです。 しかし、そんな状況でもいきいきと生きている社会人は沢山いる。生き方や働き方も随分多様になっている。そこで、直接子ども達の目の前に連れていって存在を知ってもらえばいいと気がつき、2013年は小中高20校、およそ2,000人の子ども達とのべ300人の大人が学びあいました。

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感情までもキロクするアーカイブを

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「震災アーカイブをいかに活用するか」という議論が始まっています。記録を、ゆくゆくどう活用してもらうべきかという話し合いをもつことは大切だと思いますが、その前にまだやるべきことがあります。

アーカイブの基本は、収集、保存、編集、閲覧。活用するまでのルーティン・ワークとして、どれひとつとして外せるものはありません。ただ、最近は「集められた素材」イコール「アーカイブ」として語られることが多く、「集めたら、それで一丁上がり」と思われている節が気になります。
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「いつかやろう」を超えて

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「いつかやろう」と思っていても、その「いつか」は来ないのかも知れない。3.11東日本大震災以来、私の心の中にそんな思いが住み付いています。

大震災の災禍に遭っても、幸い命は守られました。しかし、「命」と言う期限付きの時を過ごしていることに変わりはないのです。

私はあの時まで、「この命、この暮らしを繰り返す日々が当たり前」と勝手に決め付けてきました。「感謝すること」「労わること」が、今より欠けていたのかもしれません。

でも、今は分かります。今を生きる心のあり方が、暮らしという自分の人生をつくるということを─。「暮らしは自分」だと考えます。続きを読む
オピのおびとは

「オピのおび」は「オピニオンの帯」。東北から発信した意見が、太い帯となって世界に広がっていくようにとの願いを込め、「東日本大震災」から半年となる2011年9月11日、新たなオピニオンサイトを立ち上げました。
東北在住の執筆者たちが、ある時は震災からの復興プランやこどもたちの未来について、ある時はそれぞれの専門領域を生かして、メッセージ性に富んだブログをつづっていきます。河北新報社が運営します。

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