震災被災地で懸命に生きる人たちの話を各地でさせていただく時、必ず紹介する小6の女の子がいる。

宮城県名取市閖上(ゆりあげ)の自宅を津波で流された菊地里帆子(りほこ)ちゃん。自身は小学校屋上に避難して無事だったが、当時仙台にいた親が迎えに来られたのは翌12日の夕方。2階まで海水に浸かった小学校で過ごした一夜は、どれだけ心細かったことか。

4月21日、間借りした校舎を使い、半月遅れで始まった学校の初日、新しい先生方の着任式で、里帆子ちゃんは歓迎のあいさつを任された。
里帆子ちゃん(六魂祭)

里帆子さん(右)と筆者。里帆子さんは7月11日、東北六魂祭のフィナーレで感謝のメッセージも朗読した
その数日前、お母さんは里帆子ちゃんのあいさつ原稿の下書きを読んで、ショックを受けた。そこには震災当日、彼女が小学校の屋上から目にした光景が、まざまざと書き込まれていた。

『津波は渦を巻き、おおいかぶさってくるようにゆり上を消していきました。そしてたくさんの人の命を黒い闇のように奪っていってしまいました』
『頭の中が真っ白になり、ただただ恐ろしい時間だけが過ぎていきました』

震災時、子供たちが目にしてしまったであろう凄惨な光景。想像はしていたものの、我が子に尋ねる勇気もなく、この話題を切り出せずにいた。

「やっぱり、この子たちは見ていたんだ‥」

いたいけな子供たちが引き受けなければならない非情な現実に、胸が張り裂けそうになりながらも、お母さんははたと我に返り、こう言った。

「こんなことを話したら、お友達みんな、怖い体験を思い出すんじゃないかな。書かない方がいいんじゃない」

すると里帆子ちゃんは、きっぱりと答えたという。
「私はこれをどうしても書きたい、書かなければいけないの!」

後に、私は里帆子ちゃんにその時の心情を尋ねた。
「どうしてそれを言おうと思ったの? 怖くないの?」

すると、あどけない表情で彼女は、こう言葉を継いだ。
「里帆子だって、今でも怖い夢を見るよ。でもね。どうしてか分からないけど、言わなきゃいけない。これを言わないと、何もはじまらないような気がしたの」

この春小学校6年生に進級したばかりの少女が、自分の運命から目をそらさずに、受け入れることを選んだ事実。その重さに、私はただ目を閉じるしかなかった。

歓迎の言葉は、こう締めくくられている。
『私たちはこれから、他の被災した町よりも、被災しなかった町よりも、よい町「ゆりあげ」になるように、応援してくれる人への感謝を忘れず、精一杯生きていきます。あの夜、真っ暗な空に輝いていた星たちのように、一人一人の個性を輝かせるように、希望の光となるように、一生懸命頑張りますので、どうぞよろしくお願いします』

あれから8ヶ月…。
私自身、積み重なる問題のあまりの大きさに途方にくれる日々が続いている。やってもやっても将来が見通せない被災地の現実に、心身ともにもどっと疲れが出てきている気がする。

震災直後の「生きていて良かった!」と抱き合い、ただただ生きることに懸命になり、目の前のことに集中した日々。そんな日々が、今よりも輝いて思い出されると言ったらヒンシュクを買うかもしれないが、正直そんな思いに苛まれることがある。

そんな時にあらためて読み返した里帆子ちゃんの作文。この春、私に希望の光を見せてくれた小6の少女の言葉は今、さらにメッセージ性を増して、私の心に強く訴えかけてくる。

「私たち一人一人が希望なのだ」
「希望を手放してはいけない」

彼女の言葉に、自分の今を重ね、新たに誓いをたてよう。
(仙台市・言の葉アーティスト 渡辺祥子)