岩崎 真実

誤解・偏見・風評被害 ~北から来た友人が教えてくれたこと~

 夫の転勤に伴って北海道に移り住んだ友人から「今度帰省するから、会って震災のボランティアの話をしたい」と、連絡が来ました。
 「私はボランティア最前線じゃなく、一歩引いて情報発信してる立場だけど、それでもいいの?」と返信したところ、友人は快諾してくれたので、街中のカフェで会うことになりました。

 顔を合わせるのは実に5年ぶり。
 高校時代、他校でしたが同じ部活のつながりで出会った彼女は、当時と変わらない、ほんわかした雰囲気でホッと一安心しました。

 「それにしても、どうしたの急に? 震災の話がしたいなんて…」

 そう尋ねると、友人は震災発生から数日後に亘理町の避難所でカレーを配った体験や、震災後に引っ越した北海道での生活、故郷・宮城に対する思いなどを、少しずつ語ってくれました。

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見たぞ!東北の底力!

 東北楽天ゴールデンイーグルスが、日本一強いチームになった。

 11月3日の歴史的瞬間が訪れた時、私は友人5人と携帯のワンセグ放送を見ながら、仙台市中心部にある飲食店で夕飯を食べていた。広島県出身の後輩が「次こそは、広島カープもクライマックスシリーズに…」とブツブツ言っているのを尻目に、その場にいた東北出身の仲間と喜びを分かち合った。

 ふと、後輩女子が、ひらめいた様子で言った。「もしかして、今から新聞の号外が配られるんじゃない!?」。前回のパ・リーグ優勝時に号外をもらいそびれてしまった私は、急ぎ店を出て、後輩と共にJR仙台駅へ向かった。

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怪しい?ボランティア団体 -ある女子学生の質問から-

 先日、業務で連携している「復興大学災害ボランティアステーション」が企画した災害ボランティア座談会の手伝いで、ある大学の学生と語らいました。
 参加したのは全員1年生で、発災当時はまだ高校生だった人たちです。震災関係のボランティア経験者はほとんどいませんでしたが、「これから被災した人たちの役に立つことをしたい!」と意気込んでいました。今後の活躍が楽しみです(もちろん、我ら東北学院大学の学生たちも!)。

 座談会が和やかに進む中、ある女子学生が私に質問をしました。

 「被災地でいろんなボランティア団体が活動しているのは知っていますが、怖くて参加できません。どの団体が『大丈夫』で、どの団体が『危ない』のか分からないので、教えてください」

 その発想はなかった!

 私は心の中で叫んだ後、「そう言うのも無理はないな」と納得しました。

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 【5月22日、仙台市若林区の仙台青葉学院短大五橋キャンパスで開かれた座談会】

 ありがたいことに、東日本大震災の被災地には数多くの団体が入り、日々復興のために尽力しています。
 しかし、それぞれの形態や設立経緯、歴史、実績などは千差万別です。

 法人格を持っている団体、NPO・NGOである団体、パブリックな組織がサポートしている団体、有志が集まる任意団体、震災前から世界各地で支援活動を行っていた実績のある団体、震災発生を機に立ち上がったニューフェイスの団体、自分たちの思想信条に則り支援の手を差し伸べる団体、復興だけではなく町おこしも実現しようと試みる団体、ガテン系から仮設住宅支援まで何でもこなす団体…。細分化しようと試みても、キリがありません。

 これらの団体を、ボランティア団体に関して何も知らない人が見ると

 「運営母体が宗教に関係しているから、活動に参加したら勧誘されるかもしれない…」
 「任意団体って、活動資金をどこから調達しているのか不透明だ。活動参加者からお金を巻き上げているのか、それとも裏で何か取引が…」
 「NPOは知ってるけど、NGOって何? 聞いたことないから怖いなぁ…」

 などと、疑心暗鬼に陥ってしまうんだろうな、と想像しました。

 不安を解消するには、団体に関する「正確な情報」を入手することが肝要です。
 各々がホームページやブログ、ミニコミ紙などを用いて独自に発信している情報を確かめることも大切ですが、第三者の視点も重要です。
 私が知る限り「助けあいジャパン」「ボランティアインフォ」「東北1000プロジェクト」、忘れちゃいけない私が共同代表の一人だった「情報ボランティア@仙台」など、取材や情報発信に特化した団体の情報は、客観性が高いと思います。
 また、私が現在所属する「東北学院大学災害ボランティアステーション」では、ボランティア募集依頼が来たら、これらの団体の取材情報も必ずチェックをします。信頼できる団体の情報のみ学生たちに伝えてきたので、大きなトラブルが起きたことは今のところありません。恐らく、他の教育機関も同じだと思いますので、学生は各校にある組織を窓口に、震災ボランティアの一歩を踏み出すのが安心だと思います。
 もちろん「河北新報」や「オピのおび」で紹介されている内容も参考になるでしょう。その人それぞれに合いそう、できそうな活動先が見つかることを願います。

 さて、私は質問してきた女子学生に、どんな返事をしたでしょうか。
 答えは皆さまのご想像にお任せします。

(仙台市・東北学院大災害ボランティアステーション嘱託職員 岩崎真実)

観光地としての被災地 -栃木県から来た友達と歩く-

 もう一ヶ月前のことになった今年のゴールデンウィークは、面白いことが起きました。
 詳しい経緯は割愛しますが、宮城県に観光に来た栃木県在住で同い年の男の子と、SNSを通して知り合いました。

 メッセージのやり取りで宮城県の観光地について知りたがっていたので、4月30日に仙台駅前のカフェで待ち合わせし、紅茶を片手に彼と語らいました。
 私が観光地として勧めたのは、松島町と塩釜市でした。震災発生から比較的早い段階で復旧し、電車などの公共交通機関も整っているからです。

 カフェでお茶をした翌日の5月1日、彼と夕飯を食べに行きました。松島に行ってきたそうなので感想を聞いたら、「本当にここを津波が襲ったのかと疑うくらい、きれいになっていた」と驚いた様子でした。続けて「円通院のガイドさんに、ぜひ被災地を見ていってほしいと言われた。もし、どこか日帰りで行けるところがあったら教えてほしい」と、言われました。

 「気仙沼市や石巻市、南三陸町や女川町…。そろそろイチゴ狩りのシーズンだから、亘理町や山元町辺りもいいかなぁ…」と、あれこれ考えを巡らせましたが、県内の地理が全く分からない彼が1人で行くには、ちょっと難しい場所ばかりでした。
 生粋の宮城県民のわたしでさえ、何もかもが流されてしまった津波被災地を1人で歩くのは怖いです。目印になるものがほとんどありませんし、場所によってはいまだにお店や自動販売機、街灯すらありません。

 被災地の現状を説明し、彼の帰りの新幹線の時間や私の土地勘などを考慮した結果、3日に仙台市の南隣にある名取市閖上地区をレンタカーで案内することにしました。

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 【写真説明:名取市閖上地区の富主姫神社前で、震災前と震災後の比較写真を見つめる栃木の友達(左)。この日は各地で多くの観光客の姿が見られた=5月3日14時ごろ】
 
 今、被災地では「観光資源を復活させ、観光客を呼ぼう」という動きが、各地で広がっています。
 これまでの支援に対する感謝を表すとともに、経済を回して復興につなげようと、それぞれの地域が特色を生かして盛り上げようとしています。
 しかし、被災地の内側にいる人間だけでは限界があります。東北以外の地域から「被災地へ行きたい!」というニーズを掘り起こし、足を運んでもらえるような策を練らなければいけません。 
 
 今回、栃木の彼との小旅行で、「被災地を観光するにはガイド役が重要な役割を果たす」ということを痛感しました。
 
 津波被災地には、かつて走っていた公共交通機関、特に電車がありません。バスも、途中で折り返したり、本数が減ったりしているところが大半です。タクシーも、場所によっては捕まえるのが大変です。

 気仙沼市大島では、津波のせいでタクシーが島内に2台しか残っておらず、予約制だと聞きました。レンタカーを借りたとしても、被災地のどこに何があるか分からなければ、利用しづらいかもしれません。
 
 今後、現地での案内所や「語り部」などのガイド役、ガイドブックなどが、どんどん整っていくと期待します。
 事実、わたしの知人が関わっている団体「一般社団法人 東北震災復興ツーリズム協会」は、「復興現場の歩き方」という冊子を現在作成しています。宮城県版は今年中の発行を見込んでおり、一部1000円です。岩手県・福島県版も制作する予定だそうです。この冊子が多くの観光客の手に渡ったら、きっとそれぞれの旅の心強い味方になってくれることでしょう。
 
 ゴールデンウィークの次は夏休みが待っています。震災の風化防止の観点からも、一人でも多くの人が被災地を訪れることを願います。
 
 余談ですが、例の彼は閖上地区で語り部の話を聞いた後、閖上さいかい市場で両手でいっぱいのお土産を購入しました。入ったお店で、栃木から来たことを明かすたびに手厚くもてなされたそうで、「宮城はあったかくて優しくて、大好きになった。円通院の紅葉が色づく頃になったらまた来るよ」と言い残し、帰路に着きました。

※追記:「復興現場の歩き方」は、先日無事に発行されました。1000部限定ですので、早めの購入をおすすめします。インターネットからも注文できますよ。(6/6 21:00)

(仙台市・東北学院大災害ボランティアステーション嘱託職員 岩崎真実)

「色」と「心」と「震災」

 「今年の春はおしゃれに挑戦しよう」と、ピンク色の帽子とストールを購入しました。
 これまでのわたしはグレーや黒などの地味な色彩の服を選ぶことが多かったので、ピンク色のものを選ぶことはかなり勇気が要ることでした。
 実際に身に付けて街を歩くと、満開の桜が目に入りました。花と同じ色を自分の身にまとっていることに気づき、「あぁ、冬が終わったんだなぁ」と春の到来をいつもより強く実感しました。

 ふと、2年前を思い出しました。

 わたしはあの時もおしゃれに挑戦しようと、3月初旬に黄色のカーディガンを買いました。

 「春になったら、この服を着て街を歩こう」
 そう心を弾ませていた矢先、東日本大震災が発生しました。

 食料を手に入れるために何度か外出しましたが、そのカーディガンは羽織れませんでした。「全国の人たちが震災の犠牲者を悼んでいる中、きれいな色の服を着ることは人々の反感を買うかも知れない」と思ったからです。 実際、外出先ですれ違う人もみな、何となく控えめな色の服装だった気がします。

 色が人間の気持ちに影響を与えるのか、人間が気持ちに合わせて色を選んでいるのか─。わたしは心理学の専門家ではないので分かりませんが、少なからず色と人間の感情はリンクしていると感じます。

 だとすれば、これを逆手に取って、支援物資の服の色をちょっと明るくしてみたり、色彩豊かな花をプレゼントしたりしたら、被災して心に傷を負った方の癒しになるんじゃないかな?と、考えてみました。

 ただそれでも、被災した人にはそれぞれの事情があり、感情があります。時間的な問題や心の状態によって明るい色を拒否する方がいるかも知れません。その時は無理に勧めず、その人が求める色を差し出せたら良いな、と思います。

 わたしの場合、黄色いカーディガンに袖を通すことができたのは、約半年後の秋のことでした。紅葉に合わせることができたので、結果オーライでした。

 東日本大震災発生から2年。
 今年は季節の移ろいを、ファッションでも楽しみたいです。お財布と相談しながら…。

(仙台市・東北学院大災害ボランティアステーション嘱託職員 岩崎真実)

「オピのおび」の新人です。

はじめまして。この春、オピのおび執筆者として加わった、岩崎真実(いわさき・まみ)と申します。
 未熟者ですが、読者の皆さまが何かを感じたり、考えたりするきっかけになるような文章が書けたら良いなと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

 簡単に自己紹介です。仙台市が政令指定都市になった1989年生まれで、以来23年間ずっと仙台市民です。
 東北学院大文学部キリスト教学科を卒業しましたが、クリスチャンではありません。原動機付自転車であちこち走り回ることが好きです。好きなゆるキャラは宮城県の観光PRキャラクター「むすび丸」です。
 
 2011年3月11日の東日本大震災発生時は就職活動中で、仙台市内で一次試験を受けていました。当然ながら試験は中止になり、雪の中を履きなれないパンプスの靴擦れに耐えながら帰途を急いだ覚えがあります。
 その後、ご縁があって2011年4月から2012年3月まで、「情報ボランティア@仙台」という災害ボランティアの活動に参加し、被災地支援の世界に飛び込みました。
 2012年4月からの1年間は、オピのおびの運営元でもある河北新報社デジタル編集部が事務局の「震災アーカイブプロジェクト」のスタッフとして、宮城県内に散在する震災写真などの記録集めに従事しました。
 この春からは母校の「災害ボランティアステーション」にスタッフとして勤務しながら、学生スタッフのサポート業務などを行っています。

 私は震災発生から今日まで、ボランティアや仕事を通して震災と向き合う日々を送ってきました。現在も避難生活を送っている人たちのために自分ができることや、情報発信による被災地支援を模索しています。
 また、前職の関係で震災遺構や記録アーカイブに関する話題に強い関心を持っています。

 学生時代、就職活動の時のエピソードです。

 震災発生から3ケ月ほど経ったころでした。私は、とある関東方面の企業の会社説明会に行きました。その企業は「被災した東北の学生を雇用することで、被災地支援をしたい」と、新卒採用枠を拡大したそうです。
 その背景を聞き、最初は「なんて優しい会社なんだろう」と感動しました。しかし、東北地方にはまだ店舗が無く、出店は早くて3~5年後になることが判明しました。採用されたら、しばらくは関東方面で勤務することになると聞き、「看板に偽りありじゃない!」と呆れながら会場を後にしました。

 今の東北から若者を域外に流出させることは、例えるなら修理中の車から、大事な部品を抜くような行為と同じだと、わたしは思います。
 「雇用による被災地支援」をうたうことは大変尊いことだと思います。しかし果たしてそれが本当に東北と自分の将来につながるのかどうか、志願者は見極める必要があると感じました。

 わたしの場合、結局その企業にはご縁はありませんでしたが、その後もわたしは地元に残り、一貫して震災に関係する仕事を続けています。仕事を通して非力ながらも被災地の力になれる今の環境に感謝しつつ、これからも謙虚に支援活動に取り組んでいきたいと思っています。

(仙台市・東北学院大災害ボランティアステーション嘱託職員 岩崎真実)
オピのおびとは

「オピのおび」は「オピニオンの帯」。東北から発信した意見が、太い帯となって世界に広がっていくようにとの願いを込め、「東日本大震災」から半年となる2011年9月11日、新たなオピニオンサイトを立ち上げました。
東北在住の執筆者たちが、ある時は震災からの復興プランやこどもたちの未来について、ある時はそれぞれの専門領域を生かして、メッセージ性に富んだブログをつづっていきます。河北新報社が運営します。

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