気仙沼

恐るべし!気仙沼名物「ホヤ」と「ご当地キャラ」の力

 気仙沼の特産品のひとつ「ホヤ」。正確には「マボヤ」という種類で、ごつごつとした質感や形から「海のパイナップル」とも呼ばれています。
 大学院でホヤのなかまについて研究をしていたこともあり、気仙沼で環境教育の仕事をしていた震災前は、子どもたちにマボヤの不思議な生態について話をしていました。

opi17-1
続きを読む

東日本大震災から2年―大津波から逃げのびた娘のこと

 東日本大震災の発生から2年が過ぎました。皆さんも、それぞれの思いで今年の3月11日を迎えられたのではないでしょうか。

 2年前の3月11日。当時、宮城県気仙沼市の自宅アパートにいた妻は、地震が収まるとすぐに1歳半の娘を抱えながら高台に向かって走りました。途中、人の助けを受けながら、二人は、なんとか津波の脅威から逃れることができました。

 妻たちが、児童館のある高台にたどり着いてから数分後、真っ黒な水にあっという間にのみ込まれていく気仙沼の街並。そこにいた人たちは、そんな光景を目の当たりにするも、ただ見守ることしかできませんでした。そんな中、妻は娘を覆うように抱きしめていたんだそうです。目の前の惨状を、娘の記憶に残させないために。

 震災後、私たち家族は、気仙沼を離れ仙台に移り住みました。その後、言葉を少しずつしゃべれるようになった娘。特に震災のことは口にしなかったので、私たちは安心していました。
 後に、自らが体験した出来事を知ったとしても、実感が湧かないでいてくれれば―。私と妻は、そう願っていました。

opi016-1
続きを読む

ボラバス体験者の話

 東日本大震災の被災地に、全国各地から集まって下さるボランティアさんたちの中には、「ボランティアバス」でやってくる方がいます。通称「ボラバス」。ボランティア向けの高速バスのことです。

 ボラバスは主に旅行代理店やボランティア団体が運営していることが多く、「参加費用」という名の乗車利用料金も、割とお手頃だと聞きます。

 私自身は被災各地にも近い仙台市に住んでいるため、ボラバスを利用したことはありませんが、先日、参加・乗車した知人の話を聞くことができたので、その内容を一部ご紹介します。

   ―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
続きを読む

守るべきもの

息子を小学校へ送っていく車内での会話です。

息子『パパ、ボク大きくなったら気仙沼出て行くね!!』
オレ『なんで?』
息子『だってもう少しで防潮堤出来るんでしょ。そうしたらメチャクチャなまちになってしまうよ!! そんな気仙沼にボク住みたくない!!』
オレ『大丈夫。お父さん達がスゴイ気仙沼にするからさ!!』

何気ない会話の中で息子に言われた言葉が、耳から離れなくなった。
本当にショックだった。
7歳の息子でさえ「嫌だ」と言ってるのに。
それが現実に起ころうとしている。
続きを読む

大谷海岸を見てきました

 約1カ月前の9月上旬、宮城県気仙沼市にある母方の実家へ行ってきました。その時に休憩で立ち寄った道の駅「大谷海岸」で感じたことを今回はまとめてみました。

 気仙沼市本吉町にある道の駅「大谷海岸(愛称:はまなすステーション)」はJR気仙沼線の大谷海岸駅に併設されている道の駅で、「日本一海水浴場に近い駅」と宣伝されている通り、海水浴場が目の前にあります。

 地域情報コーナーや直売所、レストランといった道の駅としての機能だけでなく、地元の沖合で網にかかったマンボウを飼育・公開していたマンボウアクアリウムがあるのが特徴でした。マンボウのイラストが看板に書いてあったり、マンボウのキーホルダーをお土産用に販売していたりと、道の駅の顔でもあったマンボウ。小さい頃から母方の実家へ行く途中に立ち寄っており、体長1メートル以上のマンボウがゆったり泳ぐさまを見るのがとても楽しみでした。続きを読む

被災後の居場所探し―「みなし」で暮らす②

前回から、少し間があいてしまいましたが、今回は、私たちが「みなし仮設」の存在を知った当時のことについてお話ししたいと思います。

宮城県気仙沼市で東日本大震災に被災し、津波によって住んでいたアパートを失った私は、仕事を辞め、4月末に9年間住んだ気仙沼を後にしました。このころの被災地は、混乱の真っ最中で、仮設住宅がどこに建設されるかもよくわからない状況でした。
私たちは、とりあえず仙台にある妻の実家2階に居候しました。津波が直撃するも奇跡的に形をとどめた気仙沼のアパートの残骸から、私が必死になって持ち帰った、食器やアルバム、衣類などの泥を落とす作業を妻としていました。

opi013-1
続きを読む

私の避難体験 

はじめまして!! 宮城県気仙沼市の宮井和夫と申します。株式会社気仙沼観光タクシーで代表取締役を務めさせて頂いております。また今年度は、社団法人気仙沼青年会議所第44代理事長を仰せつかっておりますので、この場では経営者の立場と今後のまちづくりを担う責任世代の一員としての私見を発信していきたいと思いますので、よろしくお願い致します。

震災発生時は、海の目の前にあった本社事務所におりました。揺れましたねぇ。地震慣れしている気仙沼市民の私でさえ、「ヤバい」と思いました。
続きを読む
オピのおびとは

「オピのおび」は「オピニオンの帯」。東北から発信した意見が、太い帯となって世界に広がっていくようにとの願いを込め、「東日本大震災」から半年となる2011年9月11日、新たなオピニオンサイトを立ち上げました。
東北在住の執筆者たちが、ある時は震災からの復興プランやこどもたちの未来について、ある時はそれぞれの専門領域を生かして、メッセージ性に富んだブログをつづっていきます。河北新報社が運営します。

記事検索
WEB新書のご案内
執筆者リスト
河北新報ニュース
ギャラリー
  • これからも女川町に通い続ける
  • これからも女川町に通い続ける
  • 立派さの中の孤独
  • 立派さの中の孤独
  • 感情までもキロクするアーカイブを
  • 感情までもキロクするアーカイブを
  • 「いつかやろう」を超えて
  • 「いつかやろう」を超えて
  • 「いつかやろう」を超えて
  • 福島県富岡町に行ってきました
  • 福島県富岡町に行ってきました
  • 福島県富岡町に行ってきました
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ