2020年09月18日

プライベート怪談会のお知らせ 11月3日(祝)17:30〜 19:30〜 2時間2部制!

中山市朗です。

今年は諸々ありまして、『怪談狩り』の新作が棚上げになってしまいました。
お待ちかねだった読者の方々にお詫び申し上げます。
KADOKAWAの担当者とは連絡を取り合っておりまして、来年の出版に向かって動き出しております。
ともかく、実話系怪談ですから、一話でも多く皆さんからお聞きし、取材させていただくことが、その質を高めることとなります。

そこでつい先日、を終えたばかり、という感がありますが、次回のプライベート怪談会を執り行います。
その日取りが決まりました。

11月3日(火・祝日)。
前回同様、大阪市中央区民センターの和室を2部屋お借りしました。

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コロナ禍の最中ですので、今回も1回5人までの少人数制(私と秘書を入れて7人)、夕方と夜の2部制といたします。

夕方の部 17:30〜19;20 
夜の部  19:30〜21:20
21:30には完全撤収といたします。

入場料は無料ですが、怪談を一話は語ること。怪談はご自身の体験談、家族やお知り合いから聞いた体験談、職場や学校、地域で噂される怪しい噂などで、マスコミ未発表の話とします。怪談になっていなくても大丈夫。怪談に仕立てるのは私の仕事です。
初めての方もお気軽に参加ください。

参加ご希望の方は、オフィスイチロウまでメールをください。

info@officeichirou.com

お名前、人数、連絡先、性別、第一部か第二部のうちの参加希望時間(両方というのも受け付けます)などをお知らせください。
こちらでメールを確認いたしましたら、2〜3日のうちに集合時間、場所などをお知らせいたします。
基本的に先着順といたします。なるべく早めのご予約をお願いいたします。

今月に行ったプライベート怪談会、夜の部の参加者さんたちと。
楽しかったですわ〜。

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東京でもぜひ開催したいのですけど……。








kaidanyawa at 00:19|PermalinkComments(1)

2020年09月16日

中山市朗・妖怪講座、タヌキの化け話を2題。怖くはないがノスタルジックででもやっぱり不可解な怪異譚!!

中山市朗です。

怪談、といってもいろいろあります。
実話系、創作、都市伝説、古典、伝承……。現代怪談というのもあります。稲川さんはこれかな?
人怖は、怪談ではない。単なる怖い話。
怪談とは、怪異談である。これは稲川さんもはっきりと断言している。

怪異というもの、超自然への畏怖のようなものが怪談の心です。人怖にはその精神が無い。
人が怖いのは当たり前の話ですしね。
京極夏彦さんは、怪談の敷居は高い、ということを言っていましたが、その敷居が必要です。

そして、怪談は怖いだけじゃない。
不思議なこと、ちょっと笑えるもの、泣けるもの、心和むものもあるのです。
ただ、怪談ライブや会で、数人が出てそれぞれ一話語れ、ということになると、どうしても語り手は怖い話を選択せざるを得ないわけです。怖くないけどいい話とか、それこそ心和む話をするというのは勇気がいります。ほんとは、最後に語る人がビシッと怖い話をして締めくくればいいんですけどね。
放送となると「とっておきの怖い話をしてください」と注文があったりしますしね。

落語という話芸があります。
落語をしゃべる芸人を落語家といいますが、実は「落語家じゃなく、噺家とよんでくれ」という落語家いや、噺家さんがいます。

実は落語というと笑わらせる芸というイメージがありますが、落語というのは落ちがある噺のことで、落ちは緩和を誘発する、つまり最後には笑いで〆る話芸となりますが、実はこのほかに、人情噺、芝居噺、怪談噺、地噺などがあるわけで、落語は滑稽噺に分類されるわけです。
落語家とはその滑稽噺をする芸人、噺家はそれらの話をどれも出来る芸人。だから噺家と呼んでくれ、というわけですな。

大阪(上方)では、あまり本格的な人情噺、芝居噺、怪談噺などは演じられません。観客が笑いを求めているからでしょう。

さて、怪談も怖い話ばかりでは話芸として成り立ちません。
話芸とするからには、幅がいるわけです。また日本の風土や生活感、四季観、宗教観といったものが反映されます。落語がまさに日宇ですよね。
特にキツネやタヌキが化かす話というのは平安時代からありますが、怖いというわけではない。しかし怪談として無くてはならない題材であります。あんまり最近、語られなくなりましたけど。でもそういう話は今もあるし、それがある限り、怪談は存続し続けると思います。また、私はそんな話が好きでしょうがないんですけどね。

というわけで、私の語る妖怪怪談、またYouTubeにアップしております。
『中山市朗★養成講座〜妖怪譚2話』
タヌキの化け話を語っております。

ぜひ、ご視聴くださいませ。
















kaidanyawa at 10:45|PermalinkComments(2)

2020年09月14日

私が体験した怪現象、でも霊かといわれるとねえ。でも説明つかないんだよな〜!

中山市朗です。

昨夜の『怪チャンネル』、いかがでした?
てか、いつもより視聴者数が目立って少なかったようですが、なんかあった??

さて、その『怪チャンネル』で語った、私の怪異体験を、ここに再録いたします。私も怪異蒐集家ですからな。報告しておきましょう。でもまあ、本に書くほどのことでもないので。

さる3日の夜のことです。
某放送局の古代史おたく(?)のプロデューサの方と、秘書の3人で、ミナミの居酒屋で飲んでおりました。19時にお店に入ったときは、お客は我々だけ。お店はそんなに広くはない。
奥の座席を陣取って、『カタカムナ』だの『九州王朝説』だの『古史古伝』だのと盛り上がっておりました。
22時頃でしょうか。
私はいったん中座し、トイレに立ちました。
この頃は、お客は我々のほかに2組。狭いお店なのでだいたいわかるんです。お客さん、来たな、とか、帰りよったわ、とか。
さてその私、通路に立ち、トイレのドアを開けます。すると、トン、とドアが誰かに当たりました。
中に人が、こちらに背を向けて立っておりました。その背中にドアが当たったようです。
当然、その人はこちらをちらりと振り返ります。30代半ばくらいの目つきの鋭い男。白のツナギを着ていた印象があります。
「あ、すみません」と私。
しかし男は何も言わず、ドアのあるトイレへ入っていき、バタンとドアが閉じました。
トイレは狭いもので、入って手前に小便用便器が一つ。
奥に、ドア付き、つまりうんうん用の便器が一つ。

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便器



















そして、手洗い用の洗面台。
それだけ。

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男がうんうん用のトイレに入ったところで、私は小用で用をいたします。

♬じんじろり〜ん、じんじろり〜ん♬ ←怪談必須、小水の擬音語?

さて、終わって手を洗おうと奥の洗面台に歩み寄ると、あれれ?
閉まっていたはずの、うんうん用のトイレのドアが開いていて、男の姿が無い???
出て行ったのかな?
まあ、そう思うところですが、男は確かにうんうん用のトイレに入っていき、ドアも閉まった。それはこの目で確認。でもね、そのドアが開いた音も気配も無かったのですよ。
気が付かんかっただけちゃうって?
仮にそうだとしても、出る時は私の背中の真後ろを通って、今度は通路側のドアを開け閉めしなきゃならない。その音も気配も無かったわけです。
また、こっちは小。向こうはおそらく大。向こうが早く用を足すことも無いだろうし、手を洗わなかった??    そう。洗面所の音も無かったのです。
じゃ、ドアを閉めて用をたそうとしたけど、やっぱり止めた??
だったら余計に、あれ、なにしに来よったんや、とか思うはずですが、印象としてそのままスゥっと、消えて、その瞬間、音もなくドアが開いた……。

そんな馬鹿な、と合点がいかなくなり、手を洗うとトイレを出た。
お客さんは、我々のほかに2組だけ。我々の席はお店の一番奥。
レジカウンターにも誰もいない。そしてその奥の席へ歩きながら、途中に見える2組のお客さんの顔ぶれを何気に観察。白いツナギのそれらしき男はいない!!

そしてそのまま、合点いかんわ、という顔で席に戻って、二人に「センセ、なにかあったんですか?」と聞かれて、かくかくしかじか。
写真はそれを聞いた秘書が、その直後に撮ったもの。秘書も、2組のお客を確認。該当する男は存在していない、と。

う〜ん、なんだろこれ。

幽霊?  といわれてもねえ。ドンとドアが背中に当たった感触も音もあったから、あれはまごうことなき人ですわ。出ようとしたわけではない。背中にあたったということは、入ったところ、ということでしょうな。で、うんうん用のトイレに入って行って、そこから、忽然といなくなった。

私にとっては、不可思議現象。
でも考えたら、こういう不可思議はけっこう起きているのかも。普通だったら「あっ、知らん間に出ていきはってんね」と勝手に思って追求しないと思うんですよ。でも私は怪異蒐集家ですからな。一応状況を思い出して分析し、確認するというクセがついているわけです。だから怪異を認知した。
でも所謂、霊感という類が皆無ですからな。そこは解らない。

みなさんは、この状況、どう分析されますか?














kaidanyawa at 13:10|PermalinkComments(13)

2020年09月13日

この9月で、私、作家生活30年! ともに歩み、応援してくださった方々に感謝します!!

中山市朗です。

あっ、忘れてました!
この9月で、私、作家生活30年になったんですよ!

私と木原浩勝の二人による共著、という形で30年前の9月に扶桑社から『新・耳・袋〜あなたの隣の怖い話』を上梓。奥付には1990年9月5日とあります。

ほんとは、30周年の祝賀会を秘書や教え子たちが企画してたみたいですけど、コロナでふっとんじゃった。来年31周年?

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私も木原も、大阪芸術大学映像計画学科の同窓で、木原は宮崎駿を敬愛しアニメ、私は黒澤明を敬愛し実写映画を専攻。卒業後、木原はスタジオジブリに制作進行として入り、私は黒澤監督が日仏合作の大作『乱』が始動することを知って、制作会社のヘラルドエースと黒澤プロダクションに『making of 乱』の企画を売り込み、それが奇跡的に採択されて、撮影現場に、makingビデオ担当の演出として入りました。25歳の時です。

映画の撮影現場にNHKなどのドキュメンタリーとしての取材カメラは入ったりしていましたが、最初からmakingビデオの商品として企画され、現場にビデオカメラが張り付いた、というのは、私のこの企画が日本映画史上最初のことでしたんでっせ。
当時、ヘラルドの制作者たちも「makingって、なに?」みたいな反応でした。ただ、ヘラルドに一人、この企画を押してくれたプロデューサーと「若い人が持ってきたの? それ、面白いね」と言って快諾くださった黒澤明監督がいた、というわけですね。

当時の貴重な映像は、当時共に現場にVEとして入っていた河村君によって奇跡的に保存され(ヘラルドエースが倒産した時廃棄される運命にあった)、一部はYouTubeにてアップされております。

画面がはみ出てますな。
YouTubeからライブドアブログへの張り付け方が変わったみたいで……。





そんなこんなで、私も、おそらく木原も作家になろうとしていたわけでもなかった。
そこにいろいろあって、『新・耳・袋』という百物語本が、私、木原の共著となって誕生したわけです。怪談本を出す、と言っても周りは、これも「は?」みたいな反応でした。
怪談なんて、プロの作家が書くものじゃないって、そんな雰囲気、そんな時代。
でも、周囲から聞く怪異体験談はとても面白く、ゾッとするものがありました。この企画が扶桑社を通るにあたっても、いろいろエピソードがあったわけです。
で、私も木原も作家になりたい、という邪心が無かったのが幸いして、ここで過去の怪談を分析して真似てみようとか、名文にしようとか、文学にしようとか、そういうのが無く、あったこと、聴いたことをそのまま、淡々と文章に起こす、という作業が、後に大きな評価となって、シリーズ化されたり映画化、ドラマ化されたりしたわけです。

当時、辛口で有名なある批評家から直に言われたことは「これは、文章書きの文体ではないね。お二人のプロフィールを見たら、映像関係なんだね。だからシナリオ作家の文体なのかな」と。
でもそれは違う。友人や知人の話し言葉なんです。もちろんそのまま書き移しても作品にはならない。落語をはじめとした話芸の手法を、今にして思えば知らずに借用していたのです。また、確かに映像が浮かぶ、という文体も意識はしたかな。

面白いエピソードがあります。
私は作家デビューとともに、ある芸能事務所にスカウトされ、放送作家としても活動するわけですが。
NHKの会議室で番組の打ち合わせ。
女性プロデューサーから「あなたはどんな作品があるの?」と上から目線の質問。まあ私、新人でしたので仕方がない。
「実は昨年、怪談本を出版しました」
そしたら女性プロデューサー、「へえ、何書いたか知らないけど、あなた『新耳袋』ていう本知ってる?  読んだ方がいいよ。あれにはきっとかなわないから。あの本以外の怪談なんて、私は認めないから」だって。
「私、その『新耳袋』を書いたんです」というと、その人の態度がころッと変わった。

この業界、実績がすべて。それを知った瞬間でした。

そして、作家志望の教え子に常々言ったいたことは、書き方は人それぞれ。要は何に興味があるのか?
その魅力に対して一晩語れるものがあるのか。そういうこと。

あれから30年。京極夏彦さんや東雅夫さん、そして編集者の丹治君、メディアファクトリーの編集部などの協力や尽力もあって、一冊出しただけで、忘れ去られてしまってもおかしくない怪談本が、今も重版を重ねているというのは、そういった人たちのおかげですし、またこのコンセプトが知らずのうちに次世代の怪談作家、怪談の語り手を育てているという現状があります。

作家デビューした時は、将来、怪談の蒐集家となり、自ら怪談を語り、話芸として昇華させようとしているなんて、想像もつきませんでした。しかし、今は怪談を蒐集することも、書くことも、語ることも楽しくて仕方がない。
今は、まさに天が与えてくれた仕事である、と思っております。

明日の『怪チャンネル』でも、少しそんな30年の思い出を怪談を交えて語ってみるつもりです。


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https://freshlive.tv/ichiroukai/281003


そんなこんなで、人生何が起こるかわかりません。

ただただ、携わった人たち、共に歩んでくださった方々に、そしてみなさんに、感謝あるのみです。

京極夏彦さんと。

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今後ともよろしくおねがいいたしますね。




kaidanyawa at 00:17|PermalinkComments(6)

2020年09月11日

9月13日(日)の夜は怪談ナイト・デー! 『怪チャンネル』に『北野誠の茶屋町怪談』!

中山市朗です。

中山市朗YouTubeチャンネル『日本について語ろう・43〜中山市朗★妖怪講座Vol・13』をアップしております。
今回は、タヌキが化けた、というお話を。
こういうお話は、怖い、というわけではないのですが、古来より日本全国にこういった狐狸が人を化かしたり、たぶらかせたり、という話は多く伝わっていますねえ。
それが今なお、現象としてある、というのが怪談の面白さ。
こういう話は、シビアな怪談ライブや会ではあまり聴けないと思います。
ぜひ、こんな怪談もあるんだなと、ちょつとほのぼのとした(?)気持ちでお聴きくだされば。
https://youtube.com/watch?v=OXml92RK2Hw&feature=youtu.be



タヌキは一つ目小僧に
















そして9月13日は、怪談好事家は必聴!!

21:00〜FLESHLIVEで『中山市朗 怪チャンネル』
75回目となりました!
9月になって初配信。
9月4日のブログで、ミナミの居酒屋で奇妙なものを見た、と書きましたが、その話も致します。
怪談にはならない、ただ、見た、というだけのことですけど、怪談にして見せます?

http://blog.livedoor.jp/kaidanyawa/archives/2020-09-04.html

現場の写真。何も映ってないけど。

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『怪チャンネル』は会員制ですが、最初の15分ほどは無料で聴けます!
MCは、秘書ののさんです。
freshlive.tv/ichiroukai/281



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24:50〜『北野誠の茶屋町怪談2020夏』
※ナイター中継延長で時間変更があるかもしれません。

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この夏、ノーカット版がネットで有料配信いたしましたが、そのカット版です。
もちろんこちらは無料。
出演は、深津さくら、ムラシマカリ。このお二人は、若手怪談師GP〜新鎌夜〜にて、この番組の出場権を得たわけですが。
そして、いつもの最強メンバー。今年は北野誠、松原タニシ、竹内義和、いたこ28号、そして私。
MCは、MBSアナウンサー、藤林温子。

http://radiko.jp/#!/ts/MBS/20200914005000

どの部分が放送されるのかは、私も知らない。

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kaidanyawa at 12:32|PermalinkComments(2)

2020年09月10日

実話怪談を書き語り、そして楽しむ方たちへ、ある重要人物からの一つの提言!

中山市朗です。

怪談、特に実話系となると、人様からお話を提供して戴くことが必要です。いかに名シェフといわれる料理人も、その素材がなければ腕の振るいようがないのと同じです。
そして名シェフと言われる人は、やっぱりあちこちに足を運んで、いい素材を見つけてくることをやっているはずです。
私たちも同じで、怪異蒐集家としての大切な仕事は、なるべく大勢の方に取材をし、蒐集の為の怪談会を一つでも多く開催すること。これに尽きる、とは先日のこのブログに書いたところです。そして、蒐集した話は、書き手語り手によって作品化され、著作物になる。いわば料理となるわけですね。

今はこれだけ怪談の書き手、語り手が多くなりましたので、その方法やスタイル、あるいは怪談に関する考え方、アプローチも様々なものがありましょう。私は様々あっていいと思っているし、百人いれば百通りの怪談が存在するのが当たり前だと思っております。
しかし、やはり何でもあり、というのはどこの世界、どんな分野においても危険をはらみます。そこに何かの憲章なりルールが明確でなくとも、守らなければならないもの、基礎となる考え方はあってしかるべきでしょう。実は以前からそんなことを考えいてたのですが、それを言葉にしてくれた人がいました。

たんじふみひこさんです。
彼は、メディアファクトリー版の『新耳袋』全十夜の編集を担当した男です。いわば、私と木原浩勝の二人の著者の作業を冷静に見て、取材協力をし、原稿をチェックし、本に仕上げるという作業をしていてくれた、いわば私、木原とともに二人三脚で共に『新耳袋』、もっと言えば、不毛で荒れ果て、誰も手を付けていなかった出版の怪談分野に、実話系怪談という種を共に蒔き、成長させ、刈り取って、精米して、皆さんに届けたわけです。今やその畑があちこちに出来て、いろいろな人の手によって耕せられて、語りという怪談も育ちつつある、いや、ひょつとしたら粗製されているかもしれない、というわけです。

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そのたんじ君が、実話系怪談を書いたり語っている人たちに重要なメッセージを、ツイッターに書き込んでいました。今年の8月15日につぶやかれたもので、実は昨日うちのスタッフが見つけたのですが、これは、怪談を書く人、語る人のみならず、怪談を楽しむ立場にいる皆様にもぜひ、よんでいただきたい内容でしたので、そのままここに引用いたします。
私はこれを読んで、身を引き締める思いをしました。


解釈しない。
分析しない。
ただ蒐めて、できるだけそのままを書く。

新耳袋を編集していたころ、著者のお二人と何があって
もこれだけはゆるがせにしないと、
あらかじめ決めたのでした。


2020.8.15
いま目の前で語られていることは、自分たちの
理解の範疇を超えている。
だから、自分の体験や知識に回収しないで、
そのままありのままを読者に提示しよう。
それをどう読むか、どう理解するかは
べて読者に委ねるべきだ。
という考え方です。


2020.8.15
果たしてその通りであったかどうか。
それは読者の皆さまに委ねるしか
ありません。


2020.8.15
もちろん、取材、インタビューという行為の中
にすでに解釈や分析は存在します。
聞き手は、時に曖昧で混濁する語り手の話の
中に、何ごとかのかすかな足跡を察知して、
その細道をたどります。
その先に「お話」はゆるゆると姿を現すから
です。
それはあくまで聞き手の恣意的な行いですし、


2020.8.15
時に誘導ともなりかねない危うい水を向けること
もあります。
それでもなお、文章として定着する段階では
「解釈せず分析せず」
に踏みとどまる勇気が求められる。
分析を通して優位に立ったりマウントして依存
させたりせず、
単なる「話の通り道」に徹すること。


2020.8.15
新耳袋のような形式が成り立つには最低
そのような節度が必要だろうと考えました。
言い換えれば「そこにあらわれた何か」
に対する礼節。
ああ、あなたはそこにいるのですね、
と目配せし、会釈して立ち去ること。
そのあたりのぎりぎりをどうやって商業出版の
中で保つのかに編集者として腐心しました。


2020.8.19
礼節、あるいは慎み、でしょうか


私もまったく同感です。

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こちらは1990年、扶桑社から出版された『新・耳・袋』。
メディアファクトリー版の第一夜はこれを親本に刊行。
この時、暗黙で10冊やりましょう、と我々三人の中では決意しておりました。
たんじ君の功績は、それを編集人としてやりとげたこと!!




私も、長いこと続けているうちに慢心が起こり、作業としてのルーティーン化していないだろうかとは、常に思っていたことです。現在は『怪談狩り』の担当は、KADOKAWA編集部の光森さんで、そこは彼女なりに提言や修正をしてくれておりますし、スタッフをはじめ周りにいる人たち、常連のお客さんも含めて、アドバイスや正直な感想を聞かせてくれています。私はその一言一言は真摯に受け取り、参考にさせていただいております。

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また私としては、皆さまからお聞きし、提供いただいた話は、一つ一つ大切に記録し、ノートに書き込み、出版されていない話も永久保存しております。そしてなるべくそれらに対して解釈、分析はしない。ノートには皆さんからお聞きした話をほぼそのまま、書き記しています。この時点で勝手に解釈、分析することは、野暮なことだと『新耳』トリオは常々言っておったことです。
作品にするにあたっての脚色、再構成、胆の設定、変更場所は当然ありますが、体験者の視点や感情は尊重し、話を大きく変えることもいたしません。
まあ、ライブや放送のトークの中では解釈、分析を求められることもあります。
トークの流れとして、あるいは一つの考え方としての私なりの見解は言いますが、結論は出さないつもりですし、正直、正解なんて誰にもわからないでしょうしね。
「あなたが体験したものは、そうじゃなくて、これなんだ」とは言うことはできませんし、それこそ礼節を欠いた言動だと思います。またそんなことをしちゃうと、怪談も集まってこないですしね。
でもいちばん大切なことは、みんなが怪談を心底楽しめる場を作ること。

怪談の書き手、語り手が増えたと言っても、まだまだ怪談はローカルなものです。また、怪談ではないものを、怪談と称して語る輩も、正直おられます。優位に立つためのマウント取りも見受けられます。
北野誠さんも「そういう人とは仕事はしない」と常々言っていますが、怪談愛がほんとうにあれば、そうはならないはずですし、そういう人たちは自然淘汰されていくと思います。
でも、そうならないようにするために、そして、怪談という芸を今後もっと発展させる為にも、芸としてポピュラーなものにする為にも、ただ怖い、だけではなく、怪談は語る方も聞く方も楽しいものでなければならないと、これは私の偽りのない心情です。
たんじ君の提言は、あくまで『新耳袋』を作るにあたってのものですが、怪談に携わる者として、参考すべき、考えるべきものはあるはずです。
吟味しながら、もう一度、たんじ君が書いたことをお読みください。

ただ、作品としての怪談を評価してくださるのは、読者や聞き手である皆さまです。私たちは、そういう皆さんになるべく楽しんで、満足していただけるものを提供していくのみです。

私も今後、ますます自覚をもって精進いたします。
今後とも、叱咤激励をよろしくお願いいたします。


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kaidanyawa at 10:57|PermalinkComments(6)

2020年09月08日

中山市朗。作家、怪異蒐集家、オカルト研究家。3つの肩書についての白書?

中山市朗です。

作家、怪異蒐集家、オカルト研究家。
現在はこの3つの肩書でお仕事をさせていただいております。放送作家、映像作家という肩書も昔はありましたが、そういう依頼にも対応しております。
怪談を語っていますが、あくまで怪異蒐集家ということで語らせていただいております。怪談師という名称を私から使ったことはありません。

よく、怪異蒐集家ってなに?
オカルト研究家とどう違うの?
という質問が来ます。また、私の語っている怪談をオカルト話という人もいます。それは違う。

皆さんは、ハリソン・フォードが演じるインディアナ・ジョーンズというキャラクターをご存じでしょう。

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1981年のスティブン・スピルバーグ監督『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』に登場した架空のキャラクターで、以後『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(1984)、『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(1989』、『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカル』(2008)とシリーズ化されました。ウィキペディアによると、インディは考古学者で冒険家とあります。
この人物は『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』では大学で教鞭を持っていて、その大学に彼を訪ねて軍の情報部の人間がやってきている、というシーンがあります。そこで彼をこう紹介するセリフがあります。
「大学の考古学の教授であり、オカルト学にお詳しく、珍しい遺物の収集家でもおられる」
そして、情報部は、ヒトラーがオカルト的パワーを持つ遺跡の発掘に狂っている……、タニスの調査部によると……、ここからラーの竿、とかアークとか、アークとは神がモーゼに造らせた聖なる櫃で……、ダビデが、その子ソロモンの神殿が、という話となって、ジョーンズ博士が解説をするわけです。ここでインディアナ・ジョーンズという人が何に詳しく、なぜ今回の冒険をせねばならないのか、という動機付けや依頼を受ける理由が提示されます。

我が書斎に秘蔵される(?)契約の箱、アーク!!

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考古学者でオカルト学に詳しい。これがインディアナ・ジョーンズという人物です。
しかし、彼は別に怪談を語っていませんよ。怪談の分析をやっているわけでもない。
ジョーンズ博士は『聖書』に詳しく、『聖書』に書かれたものの本質、そこに隠されたメッセージや暗号化されたものの解読をし、実際にその遺跡、現場に足を運んでさらに、暗号、象徴化されたものを発見し、解読をして次なる謎に挑戦する。そういうキャラ設定なわけです。
この設定が「オカルト学」の本質を示しているわけです。日本でいう民俗学に共通するところもちょっとありますね。

では、そういったものを解読すれば、何が得られるのか?
神の本質、本来のメッセージ、あるいは正体というわけです。
もっと言えば、森羅万象の要因、秘密、本質、意味を知ること。
現在は、それは科学という名で自然界の不可思議な事象を読み解き、研究、実践されていますが、それでもなおかつ理解不能とされるものが、オカルト、とされているわけです。
「そんなもん、ねえよ」という人もいますけどね。

日本では、秘学、神秘的なもの、超自然的なもの、と訳されるオカルトですが、その語源はラテン語のOCCULEREの過去分詞、OCCLTAからの派生語であるとされ、それは隠されたもの、もっと深い意味として「神によって隠されたもの」「ヴェールの中にあるもの」と解釈されるわけです。
神によって隠されたものとは何か?
それが宇宙創成の秘密であり、生命や死の謎を含む森羅万象の解明の鍵である、ということになります。神様は人類を創世した時、その秘密をどこかに封じ込めた。その秘密を知るのが神と交信できたモーセであり、それが書かれたのが「モーセ五書」つまり、『旧約聖書』の最初の五書、「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」と、神秘学の中ではされてきたわけです。ユダヤの神秘学『カバラ』なんかはそういう思想が根にあるわけです。
もっともオカルトという言葉は19世紀から使われだしたものですが、それも魔術というものの原理を、カバラやキリスト教神秘学、あるいは錬金術やヘルメス哲学といったものを体系化して説明しようとしたところから造られた言葉だとされます。

ですから、以前に書きましたようにオカルト研究には『聖書』は必読とはそういう意味となるわけです。また、この知識がないと、後に続く預言書が読み解けない、ということにもなるわけです。
ジョーンズ博士はそれに詳しいから、モーセが神に命じられて造ったとされる契約の箱、つまりはアークを探し求める冒険を依頼されるわけです。

日本にも同じような考えがありまして、『古事記』に森羅万象の謎と宇宙造化の原理が言霊として暗号化され、封印してある、というものです。これを読み解くには歴史学の知識より、オカルトの求められるというわけです。
滅茶難しくて、様々な知識が必要です。また、偽モノも多いので気を付けんとあかんのですが。

一方、怪談は、そんな小難しいことは必要なく、ただ、不可思議な体験、超自然的な現象について、あったことを語る、感じたことを語ることで成り立ちます。そこに解釈も蘊蓄もいらない。
ただ、木戸銭をとって語るとなれば、芸が必要だよ、と、私がいつも言っていることはそういうことなのです。

芸として披露するならば、その基礎となるものを研鑽することが必要なわけですが、実話系怪談の場合は、やっぱり体験者の皆さんから聞き取り、取材をするしかないわけで、その数が多いほど、披露できる話もバリエーションがあり、研磨できるということです。
その為には怪異談を蒐集して回る。つまりは怪異蒐集家としての仕事は、あちこちで取材して回り、怪奇体験談を聞き取り、怪談会を一つでも多く開催することである、というわけです。

その必要性を理解していたのが京極夏彦さんで「怪異蒐集家」という肩書は、京極さんによって造られた造語というわけです。ですからこの肩書は、私と木原浩勝の二人だけのはずなのです。

オカルト研究家と怪異蒐集家の違いについて、理解していただいたでしょうか?
この二つについては、全然違う脳を使っているわけで、例えば午後は「古代史研究会」、夜は「怪談ライブ」となると、頭の切り替えが大変なんです。笑っちゃいますけどね。
ただ、怪異蒐集家、オカルト研究家では飯は食えない。

作家として、それを作品として発表することで対価を得る。本の出版や原稿料がその対価であり、作家として怪談を語る。それが私のライフワークである、というわけです。

先日、ある放送局の方と飲んだ、ということをブログに書きましたが、実は怪談はMBSさん、CBCさんにまかせて、こっちでは「オカルト」が番組に出来ないかな、という話も出ていたのですが。
なかなかねえ、「オカルト」という言葉が、どうも世間には、怪談と混同されて、主旨をわかってくれないようでして……。











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2020年09月07日

久々のプライベート怪談会、楽しかったあ!!

中山市朗です。

久々のプライベート怪談会、楽しかったあ!!
いつも私の書斎で密状態で行っていた会も、今回は区民センターの和室を借りての開催。
人数も私を含めて6人に限らせていただきました。
本当は、もっと大勢の方と、やりたいんですけどもねえ。

今回はもちろん初の参加希望者もおられたのですが、先着順にしたら、常連さんばっかりになっちゃいました。
2時間の2部構成。

今回も出ましたよ!
バラエティ豊かな怪談の数々!!

不思議な写真の話、職場での怪異、狐狸妖怪?  家系の因果、あの世や死の瞬間を垣間見た話、神社やお寺での怪異、狗神系かとも思われる呪いの話、などなど。
とにかく、まだこんな話、あるんや。とか、それ、おもろいなー。とか、ゾゾゾッとしたり、とか。
楽しいんですよ。
語ったり、聞いたり、質問したり。あるいはみんなで、なんやろな〜、と推測したり。
でも、わけわからんもんは、わけわからん。それが怪談。

第二部の終わりに、参加者さんと。

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あんまり楽しかったのと、久しぶりにお客さんと触れ合った嬉しさもあって、この後、近くの串焼きやでみなさんと一杯。
ここでも怪談、もりあがりましたよ。

次回のプライベート怪談会は、同じ場所で、10月下旬から11月にかけての、土日あたりに仕掛けます。
近日告知いたしますので、なるべく早いご予約をお願いします。

参加料は無料です。








kaidanyawa at 07:04|PermalinkComments(4)

2020年09月06日

ダークナイトからのお知らせ 10月10日、桜井館長をゲストに

中山市朗です。

「Dark Night」のお知らせです。
10月10日(土)
東京より、怪談図書館桜井館長をゲストにお招きいたしまして、夜とオールナイトの2公演を行います。

こういう状況です。収容人数は客席数の半分以下とし、コロナ対策に関しても万全の策で対応いたします。詳細はこちらのサイトから。

http://sakugeki.com


まずは、あべのハルカス・スペース9での夜興行。

開場 18:30
開演 19:00

入場料 前売2500円 当日3000円

場所 あべのハルカス・スペース9

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未発表の怪談も含め、たっぷり本格怪談をお送りいたします。


そして、オールナイトはホームグラウンド、道頓堀ZAZA。
実は、コロナ禍の影響で、この劇場も存続の危機がありました。ですからこの劇場でまたオールナイトの興行ができることに、大きな喜びがあるのです。
皆様の温かい支援、応援をお願いいたします。

さて、オールナイトはいよいよ「千日前怪談」をお送りいたします。

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関東の人である桜井さんも、こんな大阪の繁華街のど真ん中に霊スポットがあることは、世界的にも珍しいと、大変興味をお持ちのようで、共に東京公演では「千日前怪談」を披露していましたが、大阪ではやっていなかったんですね。

千日前怪談というと、「またかいな」という人もいまして、大阪でやることを躊躇していたのですが、そもそも怪異な噂があった千日前の怪談を体系的にまとめた最初の人は、私でありまして。つまり誰も千日前に噂される怪談を、集めたり研究している人はいなかった、ようなんですね。
だから、私がまとめた。
最初に「千日前怪談」をまとめたのは、宝島社から1998年11月に出版された『現代怪奇解体新書』。
「大阪千日前はひんなにコワーい場所だった」【←このダサイい題名は編集部が付けました!】
ここに千日デパートの火災事故を中心とした大阪ミナミの歴史の移り変わりりと共に噂される怪談を、まとめて提示したわけで、以後、ネットに散見された「千日前怪談」の書き込みは、ほとんどがこの記事からの引用、孫引き、あるいは私がどこかで語った話であったわけです。
今は、独自で千日前怪談を蒐集し、ネットで発表している人も増えて来たようですけれども。


現代怪奇解体新書



















しかし、千日前怪談を語ることは、大阪の歴史そのものにも大きく関係し、歴史的にも民俗学的にも大きな発見、興味のある事象に触れることにもなります。
皆さんが、知っているようで知らない「千日前怪談」を、歴史を振り返りつつ、お届けしようと思います。

オールナイトの部

23:30   開場 24:00   開場
入場料 前売4000円 当日4500円
場所 道頓堀ZAZAHOUSE

ゲストはいずれも桜井館長。
コロナ禍のため、MCは無しで進行します。

コロナなんて、怪談で吹っ飛ばせ!!!!!!

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kaidanyawa at 12:36|PermalinkComments(5)

2020年09月05日

黒澤VSキューブリック『シャイニング』の演出法と作品の著作について。

中山市朗です。

ここ数年、怪談の語り手が爆発的に増えてきましたが、それだけ怪談を蒐集する人が増えたというわけですね。
怪談とは怪異談。つまりは怪異を語ること。怪異なんてものは、そんなに存在しないもの、だと思うのです。
怪異とは、道理では説明のつかない不思議なこと、異様なこと、のことですからね。そんなことが日常的に起こっていたら、それは怪異でもなんでもない……。

ところが、CBCラジオの『北野誠のズバリ!』で怪談特集をすると、毎回、ものすごい数の体験談がリスナーから送られてくるわけです。そりゃあ、それは怪異ではない、とか思い込みという話も多いのですが、でも体験者とすれば、それは本当にあった、不思議な体験というわけなんですね。
つまり、そういう体験は、誰しも一つや二つはある、ということ。
ただ、忘れていたり、忘れようとしていたりしていたのが、怪談を聞いて思い出してくるとか、本当は聞いてほしかった、聞いてくれる人を求めていた、ということで番組に送られてくるのでしょう。

私たちも作家デビュー作となった、扶桑社版『新耳袋』に読者アンケート用のはがきを付けていたところ、アンケートよりはがきが真っ黒になるほどの字で、つらつらと怪異体験談を書いて送って来た読者が大半だったのを覚えています。

最近は、怪異体験を話すことに抵抗のない人も増えてきて、取材をさせてもらうと一般の人でも「この話は福沢徹三先生に聞いてもらっていて」とか「怪談社さんに提供した話なんですが」とか、いろんな作家や怪談師に話を提供しているということも増えてきました。
それ、こちらとしてはちょっと困るんですけどね。

ただ、著作権について誤解もあるようですが、皆さんの体験談はみなさんのものです。どこで誰に話そうと、全然かまわないのです。
その体験談が誰かによって作品になる、つまり活字になったり誰かによって語られたものが、書籍、DVDやCDとなって作品として残ると、それは書き手、語り手の作品、つまり著作物となるわけです。
この場合は出版社やメーカーとの契約書が交わされ、著者といえどもやってはいけない条項なども定められます。違反すれば、契約は破棄、あるいは罰金、法的な責任を追う可能性も示唆されます。

ですから、皆さんが語ったものが著作物になると、それは作者のものとなるわけです。ただし、さっきも言いましたように話そのものは体験者さんのものですから、話そのものには著作権は発生していませんので、遠慮なしに人前で語ってもいいわけです。
ダメなのは、著作(作品)となったものを無断で朗読してネットにアップしたり、語られている動画や音源を無断でネットにあげると著作権に抵触する、ということになります。

独りの方が話をしたとして、それを10人の作家、ライターが取材したすると、書き上がってくるのは全然違う10のの原稿である、ということです。まず、そのテーマ、切り口、文体、世界観、文字数などなど。その取材側が発表しようとする媒体が違うと編集方針がまず違うし、読者層も違う。だからテーマや切り口も異なってくる。そして、取材者本人の考え方、興味や趣味の方向性、思考や死生観、環境、あるいは文章の構成能力、表現力、演出力などで、同じ話がまったく別のモノになるわけです。怪談調もあれば、ドキュメント、レポート、文芸風、中には話を疑う論調のものもあるでしょうしね。怪談調でも、古典風、文芸風、淡々と、注釈付き、解釈の違い、胆の設定の有無、あるいは箇所、客観的、主観的、大幅な脚色、オチの設定なとなど。そら、違う。

実話系怪談の場合、今はそういう楽しみ方があってもいいと思います。
同じ話でも、怪談社はこう語って、三木和尚はこういうテーマ性を設けて、中山は淡々とこう語った、とかね。古典落語が一門によって話の世界観やオチが変わるように。

実は、昨日のブログがいつもの3倍の閲覧数だったので、見てみると去年の4月3日にアップした「黒澤明版『シャイニング』⁉」がなぜか注目を浴びていたわけです。
漫画WEB雑誌『電脳マヴォ』の竹熊健太郎家編集著がツイッターで取り上げていた影響のようですが。

4月3日のブログ↓

http://blog.livedoor.jp/kaidanyawa/archives/54885014.html

黒澤監督が日仏合作の超大作『乱』を撮っているとき、休憩中にスタッフたちにキューブリック監督の『シャイニング』の演出に対してダメ出しをした、というもの。『乱』のmakingを担当したいた私もその場にいたわけですが。

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そのブログには書きませんでしたが、要はカメラの位置で、その恐怖の意味が全く違うと言って、黒澤監督は「俺ならこう撮るよ」と、いわば怪談でいえば肝となるシーンのカメラ位置を、キューブリックとは逆の位置に置く、と言ったのです。そしてそこに派生する視覚効果と観客の心理を巧みに誘導し、そこに衝撃を与える演出のテクニックを披露したわけです。まさに黒澤明版『シャイニング』の演出コンテ!!
でもこの黒澤式の恐怖の演出は、今思えば私も怪談語りの構成にも無意識に使っている手法で、道理にかなったものと思わざるを得ません。
ただ、キューブリックにはキューブリックなりの計算、演出もあったわけですけれども。


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しかし、映画マニアが「キューブリックの『シャイニング』はもうひとつだったな。俺は認めないよ……、ぐだぐだ……」といった感想のたぐいのものではなく、「俺ならこうする」と具体的な演出法を提示し、演出法の論理にかなった批評、反論をする監督を見て、「プロはこうあるべき」と25歳の私は思ったわけです。

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私がかつてプロを目指す教え子に、作品合評の席で「この作品は面白くない」と言うのであれば「ではどうすれば面白くなるのか」の提案をだしましょう、と言っていたのはそういうこと。「面白くない」「つまらない」なんて感想は幼稚園の子供だって言えますからね。


しかも黒澤演出VSキューブリック演出ですからな。当時の映画界の頂上決戦みたいなもの。
貴重なお話を聞かせてもらったものです。

つまり、作品とはそういうもの。

『シャイニング』というスティブン・キングが書いた小説の映画権をプロデューサーが買っても、誰にその映像化を依頼するかで、その映像作品はそうとう違ったものとなる。
怪談も同じ。
特に実話系、といった類は、あくまで体験者が語ったものが元となるわけですが、書き手、語り手によって別のものになる。つまりそれが作品。作品は作者のもの。そして出版物となると作者と言えどもいろいろな条項が定められた契約が締結される、とまあ、そういうことです。
何か事件が起こって、記者やレポーターが取材して、放送されたり文章となって掲載されると、その放送番組、文章には著作権が発生するが、事件そのものに著作権があるわけではない、ということですね。

明日は、プライベート怪談会。
参加くださり語っていただいたみなさんの話は、料理でいえば、食材です。
その食材をうまく調理して、おいしい料理にするか、クソマズイものにするか、それはシェフの腕にかかっているわけです。
食材と料理は違う、と、そういうことですな。



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今回は少人数制で、何人かの方はお断りせざるを得ませんでしたが、また、来月か再来月にはプライベート怪談会を同じ場所で行いたいと思っています。
宜しくお願い致します。









kaidanyawa at 10:12|PermalinkComments(12)
プロフィール
中山市朗(なかやまいちろう)

作家、怪異蒐集家、オカルト研究家。
兵庫県生まれ、大阪市在住。


著書に、
<怪 談>




<オカルト・古代史>




などがある。
古代史、聖徳太子の調査から、オカルト研究家としても活動している。






作家の育成機関「中山市朗・作劇塾」を主宰。



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