2012年02月09日

2/8の小説技法

 中山市朗です。

 WOWOWで『静かなる男』がオンエアされるというので、指折り待っていたんです。
 
 1952年に制作されたジョン・フォード監督の映画。
 ジョン・ウェイン扮するアイルランド系アメリカ人の男が、わが故郷であるアイルランドのイニスフリーに戻ってきて母の住んだ家を買い取り、素朴で大らかな地元の人たちの中に生活します、そんななか出会った村の娘、メアリー・ケイトにひとめぼれ。もういきなり結婚を申し込みます。メアリー・ケイトに扮するはモーリン・オハラ。
 メアリー・ケイトの兄、ダナハーはこのアメリカ人が気に入らず対立。結局は結婚の伝統である「持参金と嫁入り道具」という通過儀礼が元で、アメリカ男とダナハーは殴り合いの大喧嘩となるわけですが。
 これが酒とケンカと賭け事好きの地元の人たちによって、もうお祭り騒ぎになるわけです。喧嘩も殴り合いながら山を越え、谷を越え、川越えて。休憩が入ったりして。
 ストーリーを言ってもこの映画の魅力は伝わらんでしょうなあ。
 恋あり、友情あり、音楽あり、歌あり、大らかな人あり、美しい風景あり。
 ヴィクター・ヤングの音楽も素晴らしいです。

 ラストの大喧嘩のシーンは『天空の城ラピュタ』の炭坑村の人たちと海賊ドーラ一族が繰り広げるドタバタの大喧嘩に流用され、スピルバーグは『1941』の喧嘩のシーンでもリスペクトしています。『E.T』では、ジョン・ウェインとモーリン・オハラが出会ってすぐキスするシーンは、エリオット少年が同級生の女の子がキスをする場面に転用されております。

 アイルランドでロケをしたという田舎の牧歌的な映像は、なんとも言えない美しさ。特に緑色が、最高に映えているんです。そこにメアリー・ケイトの真っ赤なスカート、白いエプロンが眩しいこと。
 撮影がウィントン・c・ホッチ。フォードの作品では『黄色いリボン』『捜索者』なども担当していますが、ほんと絵画のような美しさなんです。で、『静かなる男』ではアカデミー賞をフォードの監督賞とともにカラー部門の撮影賞を取っています。

 何が言いたいのかというと、この美しい映像がハイビジョンで見られるのかと思って楽しみにしていたのですが、ハイビジョン違うやん! しかも画質は最悪。おそらくVHS並み、いやもっと粗い?
 日本映画専門チャンネルなどは、ハイビジョン放送でない作品は、HPでアップコン放送とか知らせてあるんですが、WOWOWは何も表示せず、がっかり。
 ほんま、がっかり。
 パブリックというメジャーじゃない映画会社が制作しているので、もしかしたらマスターフィルム残ってないんかなあ。

 さて、8日の小説技法の報告です。

 まずはMくん。彼が作品を提出するのは久しぶりのこと。投稿用の原稿だと言いますが・・・ある学校が台風による土砂崩れで孤立し、そこへ脱走してきた殺人犯が忍び寄るというプロローグ。おそらくは孤立した教室、凶悪犯、脱出劇になる?
 さっそく意見が飛び交います。「こういうテーマ、たくさんあるで。読んでる?」
 『学園ソドム』『悪の教典』『そして粛清の扉を』『漂流教室』・・・
 そういう作品に勝つ要素がないんです。それに孤立する学校の立地場所や、犯人が侵入するというルートを辿れば逃げられる、とか、携帯電話使えよ、レスキュー隊来るやろ、とかロジックの破綻が指摘されます。また、犯人がなぜ輸送車から脱出して、なぜ学校へ向かうのかの説明も動機も不明。また犯人ひとりが学校へ忍び込んでも、大勢の血気盛んな学生たちに囲まれたら、ひとたまりもないでしょう。で、主人公は誰?
 作品提出を怠っているからレベルがこうなるわけです。ちゃんと修正して、アカに対する考え方も訓練すること。

 入塾2ヶ月目のKさんのストーカーをテーマにした小説。「怪談を意識したわけじゃないのに怪談ぽくなった」と彼女は言いますが、もう少しひねれば怪談作品として通用するかもしれません。筆力はあると思いますが、前半が説明文になってしまっています。作品そのものは一人称で語られているわけですから、語りで説明ができると思います。その会話がだんだん破綻し、狂っていく状況が恐ろしい、という構成にすれば、狂気さが演出できるかなと。でも、不気味な感じは文面から伝わってきています。

 T野くんのSFホラー小説。1ヶ月ぶりの復帰。ちょっと筆が荒くなってきている印象があります。当初の頃は、読み手にわかってほしい、という心情で丁寧に書き込んでいて、そこがちょっと無機質な月面基地の描写とマッチしていたのが味だったのですが、もうわかってるやろ、という油断があるのかもしれません。特にモブシーンがあるのですが、もっと動きがあって、見せ所があって、そRぞれの立場のキャラクターを描き分けられるところが、説明で終わったりしています。いい発想はところどころあります。丁寧を心がけて。

 Yくんのアクション小説。なんか主人公の影が薄くなってきた? いい意味で解釈するとサブキャラや敵キャラが個性をもってきたということです。まあまだラストの盛り上がりがあるので主人公の見せ所があるのかな? ただ、今回は提出枚数が少なかったので、話が展開せず、もう少し先を読みたいという欲求は出てきます。そこは計算?
「恋愛要素を入れてみました」
 とYくんは言うけど、どのへん?

 さて、明日は「我ら、魔界探偵団」の生収録日。
 半身女、半身牛、という西宮市周辺に伝わる「件」について調べんと。
 参考文献に購入しようとした『古語拾遺』が、どこの本屋をまわっても在庫無し。
 わちゃちゃ、amazonで注文しときゃよかった。



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2012年02月08日

クレージーの怪談ジバコ

 中山市朗です。

 昨日、久しぶりに天満天神繁昌亭に落語を聞きに行ってまいりました。
 
 塾生高田豪が書いた創作落語を、森乃福郎師匠が演じるというので。
 高田は、上方新作落語制作集団「もぎた亭」と、田中啓文、北野勇作、牧野修、田中哲弥、我孫子武丸といった小説家たちが立ち上げた、これも創作落語の制作集団「ハナシをノベル」などに所属しており、また吉本の若手芸人たちとなにやらコラボしたり、ネットラジオの制作をしたり、インタビュー記事を書いたりしています。
 今回はその「もぎた亭」の公演。「ハナシをノベル」はいつも仕事のスケジュールとバッティングして、なかなか行けないんですけど。
 そういえば3年前、私が右足粉砕骨折したのは「ハナシをノベル」の打ち上げが終わった帰りだったっけ。

 さて、この日の演目と演者は、

 開口一番 …森乃石松
「名前(神崎京一・作)」 …露の団四郎
「沈黙の居酒屋」 …桂文福
 中入り
「ホームメイド正子(高田豪・作)」 …森乃福郎
「任侠グループホーム(脇本忍・作)」 …林家そめすけ

 名前という概念にとらわれている常識を逆手にとった「名前」は、よくひねった爆笑編でした。
 S・セガールの門下生が十三で居酒屋をやっている、という「沈黙の居酒屋」。
 ヤクザの兄さんが老人の介護をしたら? という「任侠ホームグループ」。
 そして高田の作品は、メイド喫茶にハマッている男が、家に帰ると50歳を過ぎた嫁はんに辟易しているが、ある日帰ると、嫁がメイドの格好をしてサービスしてくれる・・・というちょっと古典落語の「青菜」や「遊山船」を思わせる構成。
 福郎師匠はメイド喫茶に一度も行ったことがないそうで、「それ、メイド違う。バニーガールや!」とツッコミたくなる描写も。
「いっぺん師匠をメイド喫茶に連れて行ったげや」と高田に言っておきました。
 福郎師匠、今年64歳。メイド喫茶初体験? ハマったりして。

 打ち上げの席にご一緒させていただくと、福郎師匠が「この噺、気に入ったんで今度またやらせていただきます」と言っておられたので、福郎師匠の持ちネタになるかも?
 文福さん、団四郎さんともお久しぶりでした。お二人とも以前、共演させていただいて。また面白い企画がありましたら是非。団四郎さんは師匠の五郎兵衛亡き後、円朝直系の怪談噺を伝える東西唯一の噺家さんでもあります。

 さて、私も告知を。

 まず決定事項から。

 3月31日(土)
「不安奇異夜話 大阪堀江乃怪 春乃陣」
 出演はファンキー中村。
 ゲストとして、雲谷斎、あみ(吉本興業)、そして私。
 22時30分開場、23時開演。夜を徹しての怪談語りであります。
 場所は、大阪市西区南堀江「Minami Horie ZERO
 料金は3500円(ワンドリンク付き)となっております。


 続いて、もうすぐ決定事項?
 2月より月に一度、皆様と怪談を聞き語る会を催します。
 私も語りますが、お客様にも語っていただきたい。怪談好きの交流の場になれば、と思います。
 題して「会談怪」。
 みんなで会って話をすれば怪に至る、という願いをこめております。
 えっ、語る怪談がない?
 大丈夫です。私と話をしていると思い出すもんです。そこがワクワクするんです。

 場所は、大阪市中央区千日前、味園ビル2F「秘密倶楽部アニマアニムス」
 第一回「会談怪」は、3月10日(土)、開演20時頃の予定。
 料金はワンドリンク込みの2000円。これも予定。

 そうここは『幽16号』の「上方怪談・街あるき」で私が紹介した、幽霊が出るといわれる大阪の九龍城なのです。しかも場所が千日前とくりゃあ!
 秘密倶楽部の店長は、去年の夏に私の怪談とインディーズ音楽のコラボを試みた、ストロベリーソングオーケストラの座長、宮悪戦車氏であります。
 
 アニマアニムスのホームページはこちら
 どんどん問い合わせてください。

 そして3月の17日か24日のいずれかの土曜日、私の書斎でまた怪談会を催します。
 私のネタ集めの場なので、ご協力お願いします。
 こちらは私的な場ですので、料金などは無し。ただ実話系怪談を必ず1話は語っていただくことが条件です。17日か24日、いずれかに決定次第、このブログ、及びオフィスイチロウのホームページにて告知いたします。
 オールナイトですからお覚悟を!

 オフィスイチロウのホームページ、今、何かと作業中でお見苦しいところではありますが、もうしばらくのお待ちを。

 そしてオフィスイチロウが提供いたします、ソーシャルネットワーク大阪配信USTREAM生番組。
「我ら、魔界探偵団」
 先週の再放送の視聴者総数が4000件越えになっていました。
 いやいや、まだまだこんなものでは!
 次回は10日の金曜日、夜20時からの放送となります。

 今回のテーマは、謎の化け物? 妖怪? 神? 都市伝説?
 なぜか兵庫県西宮市周辺で語り継がれてきた「件」にスポットを当てて、あれやこれやと語り、推測します。実は真名子の実家が西宮市で、件の話はよく知っているのだそうです。そこで、件の伝説のある場所について調査させております。何が出てくるのでしょう?
 それより真名子の取材力は大丈夫なのか? 

「我ら、魔界探偵団」のご視聴はこちら




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2012年02月03日

2/1の作劇ゼミ その2

 中山市朗です。

 昨日の続きです。

「努力してますか?」という言葉を聞きます。
 私は努力をしたことが無いです。
 好きなことは一心不乱に打ち込んだことがあります。好きなことですから、努力ではない。好きでやっていただけ。あるいはそれしかできなかっただけ。
 ただ、どうやって企画を通そうか、どういう切り口で行こうかと悩むことはあります。

「創作するために努力しなきゃ」と力んでいた教え子は、大抵消えています。
 つまり好きではなかったんだ、と思うわけです。
 好きじゃなかったから、無理して努力しようとしていたわけですね。
 作家やマンガ家という肩書きに憧れたわけです。

 でも、ストーリー作るのが好き、キャラクターを描くのが好き、クリエイティブな仕事をしたい、というのなら、それに対応するメディアはいっぱいあります。
 クリエイティブな業界(?)って、どんあのがあるのかというと、

 放送業界
 広告業界
 出版業界
 映画業界

 私が大学を卒業した頃は、おおむね4つの業界がありました。
 映画の世界に行くなら映画の業界。作家になりたいなら出版業界に売り込む。当時流行っていたコピーライターになりたいなら広告業界。
 それぞれ分かれていました。で、コネが大切って、大学は教えてくれなんだ!

 で、今は上記に加えて、

 Web業界
 モバイル業界
 ゲーム業界
 アミューズメント業界

 なんてあります。私の大学時代には無かった業界です。CG製作、3D製作なんていう分野もありませんでした。
 つまりクリエイターとしての門戸は、私の頃より遥かに開かれているわけです。
 で、たとえばゲーム業界ならWebやモバイルから購入したりその特性を活かした遊びを考えなければなりませんし、ゲームのノベライズを出版社と、アニメを映画業界、あるいは放送と、もう一つの分野では収まらないわけですね。また収まったのなら次なる展開も望めません。出版にしてもアニメや映画化はヒットさせるために仕掛けることもあるわけですし、たいていの出版社はメディアミックスするための部署があったりします。
 昔レコードメーカーだった会社が映画を製作して、アイドルとコラボさせたり。
 『怪談新耳袋』を製作しているキングレコードがそうですね。そしてTBSと提携してテレビ放送もして、DVDで売る。洋画の買い付けもしてますしね。

 映画と出版による相乗効果のメディアミックスを最初にやったのは、角川春樹さんでした。あれで停滞していた邦画界を活性化させて、同時発売の文庫本の売上げを伸ばしたわけです。あれは出版界、映画界、どちらにも激震が走りました。正直、映画の内容は誉められたもんじゃなかったんですけど。仕掛け、戦略での勝利です。

 私は塾生たちにもっとメディアの勉強をしてもらいたいと思うんです。
 何度も言います。書いている人はいいんです。
 書かない人。このままでは先無いですもん。でも映像の現場は面白いかもしれない。シナリオなら書けるかもしれない。ゲームの企画を考えたら案外いけるかもしれない。放送台本を書くのに合っているかもしれない。ケータイサイトで面白い遊びの提案が浮かぶかもしれない。
 塾生たち、ケータイタブレットで遊んでいます。うちに帰ってきっとゲーム三昧の奴いてます。私なんかより詳しいはずです。何が流行していて、どんなことができて、何ができないのか。

 今、塾の総務をしているスガノくんも私の教え子時代は、マンガ家志望でした。でも描かないんですよね。描いても苦しんでいるのがわかる。で、文章書いてみんかと書かせたら、マンガよりマシだった。で、私の仕事を手伝わせて、そこから物書きになったわけです。
 あそこでスガノくんが「僕はマンガ家になるんです」と文章書くことを拒否していたら・・・。「恐ろしい」とは彼の弁です。
 だから、書けない、努力しなきゃ、と思うのなら色々試してみたらいいんです。
「あっ、これ!」というのが見つかったら、後は無我夢中でやればいい。
 みんな大して守るものが無いくせに、守りに入ろうとするんですね。
 失敗しても大丈夫。むしろ失敗しろ!
 失敗したことない奴なんて信用できませんわ。

 ともかく、何かを表現するための媒体は、もうジャンルが多様化して顧客も分散しています。昔は電車に乗ったら新聞や雑師を読んでいる人をよく見かけましたが、今はそういうのほとんど見ない。みんなケータイとにらめっこ。
 そうなると出版社が現実できる機能は、相対的に低下していると思うんです。

 しかし、出版と編集が無くなることは絶対ありません。読み物を企画し、それを執筆するライター、作家も絶対に無くなりません。実はその需要は増えていると思うんです。
 なのに、昨日のブログに書いたように仕事が無くて廃業するライターもいるんです。
 きっと旧体然とした今までのやり方にしがみついていると、そうなっちゃうんです。
 塾の忘年会で、参加してくれたゲーム会社の社長さん。ライターとイラストレーターがいくらでも欲しい、言うてましたやん。小説を依頼されるわけではないですけど、仕事にするチャンスですやん。
 誰もそのゲーム会社に営業かけてないでしょ?

 私思うんですけど、きっと電子書籍の世界に敏腕の編集さんが引き抜かれたり転職したりというの、起こると思います。大手出版社同士の合併、あるいはゲーム会社との提携、合併という業界再編もありえるかなと。

 こういうときに戦力となるクリエイターが重宝がられると思います。

 ともかく、守りに入るな、挑戦しろ!
 で、はよ自分の作ったモノ、お金にしよ。
 そしたらモノ作り、楽しくなるわ。




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2012年02月02日

2/1の作劇ゼミ その1

 中山市朗です。

 もう2月なんですね。
 早い!

 ということで、1日の作劇ゼミの報告です。
 塾生たちはプロの作家を目指しています。
 小説にしろマンガにしろ、出版社に持ち込み投稿をしている人もいれば、まだそんな経験は無い、という人もいます。プロになるということは、いずれ出版社と取引することになります。

 ところで先日、私の古い知り合いから連絡がありまして、ライターを廃業しましたと言うんです。一時は事務所をもって編プロみたいな作業もしつつ、アルバイトを2人雇っていたこともあったんですが・・・。
 連載をもっていた雑誌2誌が廃刊、新たな仕事も入ってこない、たまに入っても単価が安い、取材費が出ない、など色々あって、もう生活できなくなったと言います。
 彼は家族もあるので、実家に帰ると言います。
 その前は、知り合いのデザイナーが廃業して、今タクシーの運転手をしているのがいます。彼も一時は大手広告代理店から発注を受けて、景気がいいときもあったのですが。

 こんな話、大阪ではわりと聞きます。東京はどうなのでしょうか?
 いやいや、クリエイターにとって厳しい時代のようです。
 作家同士集まって飲んでいても、発行部数が減ったとか、増刷が出ないなんてボヤキもよく聞きます。

 さて、出版業界の不況の原因とはなんでしょう?

1・インターネット、携帯電話の拡大
2・読者の情報収集手段の多様化
3・図書館、新古書店の利用拡大
4・時間やお金の使い方の多様化
5・書籍タイトルの増加

 まあそんなところでしょうか。
 1と2は読者が本以外のツールを使い出したということ。
 3と4は世の中の不景気、失業率の上昇、所得の減少も関係していると思われます。
 5のタイトルの増加というのは、新刊点数が多くなったということ。それだけ新人にチャンスがあると一見思われるようですが、その分ひとつのタイトルの平均販売数が減少し、寿命も短くなるという現象です。それに自費出版、共同出版という形で書店に並んでいるというのも多いようです。
 ある知り合いが本を何冊か出しているのでプロとしてやっているのかなと思ったら「中山さん、本を出すお金の工面、どうしているんですか?」と聞かれたことがあります。

 さて、出版不況と言われていますが、ならば売れなくなった本というモノは一体どういうものなのか? 私たち人間社会にどんな付加価値なり影響をもたらせているのか、ということを塾生たちに質問してみました。
 感嘆にいうと、本てなに? です。
 ここから将来の展望なり、自分がやりたいことなりが見えてくるかもしれません。

 知識を記録したもの、という意見が。そうですね。
 文字で表現するもの、それも間違っていません。
 情報を伝達するもの、それもそうです。

 しかしそれだけなら、活版印刷が発明される前からそういう媒体はありました。
 壁などに描かれた落書きや碑文、木簡、竹簡がそうです。

 肝心なことは、それが大量に人々にいきわたり、持ち運びができるようにコンパクト化した、それが本なわけです。
 
 それは、1445年グーテンベルグが聖書を印刷したときに生まれたと言います。
 その印刷技術が活版だったわけですね。
 それまで聖書は教会にしかありませんでした。写本です。ですから神の福音に触れ、神の言葉を聞くには教会へ行くしかありませんでした。しかし活版印刷のおかげで聖書が大量印刷されて、個人が所有できるようになりました。
 このことはキリストの教えがあくまで全宇宙の真理であるとするヨーロッパの人々いとっては衝撃のことだったと思われます。そして活版印刷がルネサンスをヨーロッパ全土に広げる役目を果たしたと言われています。

 ただ印刷技術そのものは、11世紀の北宋時代の中国で生み出されたものだとされていて、高麗朝末期に印刷された書物が現存しています。ただ漢字の量の多さと縦書きのくずし字が、その発達を妨げ、イスラム経由で伝わった中国の技術を、グーテンベルグが集約させ本格的に実用化した、というのが本当のところでしょうか。
 ちなみに日本にはイエズス会の宣教師によって伝わったといいます。日本語をローマ文字で表す工夫がなされ、その後は漢字、ひらがな、カタカナの活字もすぐできたようです。ところで、印刷年代がはっきりわかる世界最古の印刷物は、実は日本にあるのだそうです。奈良時代、約15センチほどの百万塔陀羅尼という小塔が、鎮護国家を祈願して100万基作られ、10万基ずつ四天王寺や法隆寺など十大寺に奉納されたんですが、この塔の中から「陀羅尼」というお経を印刷した紙が発見されているんです。
 天平八年(764)の印刷物!
 北宋より古いやん!

 いずれにせよ、この活版印刷技術の発達から、今の我々が手にして読んでいる本があるわけです。で、知識や情報、文化をコンパクトに持ち運びできる本というものが、我々人類社会において重要なものとなったわけです。そして本にはエンターテイメントを楽しむ要素もあります。
 20世紀が終わるまでは。

 つまり単に、知識や情報をより多くの人に知らせる、という意味においてはインターネットの時代になっている、ということですよね。しかも安いわけです。かさばらないし。
 スピード、つまり新しい情報という点でもネットは印刷物に遥かに勝ります。
 それだけ紙の出版物の価値の低下が起こっているわけです。
 しかも、前回議題とした出版業界の再販売制度を含むシステムを介さず、著者から読者へ直接伝えることもできるわけです。

 ただ、編集のアカを入れずに商業用の出版物が読者に通用するはずも無く、そんなに甘いものではありません。それに出版方針や計画、戦略も出版社がやっていましたが、これを作家個人がやらなければならなくなるわけです。シリーズ化や売るための戦略は、やはり編集に委ねて締め切りを厳守する形でないと読者からの信用も得られません。
 それに基本無料のウェブとは同電子化したテキストでもこれは異なるものというのが出版社の思いでしょう。
 ただ、紙の本への思い入れ、所有しておきたいという読者の思いは、紙の印刷物を選択させることでしょう。紙の本は無くなりません。

 とはいえ、こういうことを論じているのは大抵本好きか、業界関係の人。
 本なんて読めればいい、というユーザーが実は圧倒的なのではないでしょうか?
 本好きのわがままが、ひょっとしたら電子書籍の芽を摘んでいるのかもしれません。

 とまあ電子書籍に関する考察は、私の『モーツァルトの血痕』が出たときに。
「いつ出るねん!」
 それは私が聞きたい。
 今、プログラマーが容量と格闘しているようですが・・・。

 で、私が塾生たちに言いたかったことは、「キミのやりたいことは本当に従来の出版物でいいのか」ということです。
「そうです」なら否定しません。
 同じ塾生でもどんどん書いて投稿して、賞の二次、三次くらいまでは残るようになったのもいれば、全然そんな気配の無い人もいます。
 塾にいて、3年、4年経っているのに持ち込みも投稿もしていない、というのは、ちょっと問題だと思います。本気じゃないともいえます。
 だったら他のことを試してみたら? と思うんです。

 続く



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2012年02月01日

コタツタカス

 中山市朗です。

 今年の冬は寒いですな。
 我が家ではいつもは冷暖房を使用していないんですが、今年はたまに使っています。
 まあグツグツ煮えた鍋料理と熱燗があれば、それでわたしゃ満足ですけど。

 ところで昨日の朝、辛坊治郎さんの出てる情報番組を見ていたら、緊迫するイラン情勢の話から、古代においてイランと日本は親密な関係だったという話をしていました。
 イラン、かつてのペルシャ帝国ですね。
 このペルシャの時代から、この国にはコタツに入って暖をとりながらザクロ(日本でミカンになった?)を食べる、物は風呂敷みたいなものに包む、玄関で靴を脱ぐ、寝るときにだけ布団を敷く、といった日本に共通した習慣がある、てなことを在日イラン人がテレビで言っていました。付け加えますと、年末に大掃除をしてお正月にはお年玉をあげる、義理人情の社会、という風習もあります。だからあの日本のテレビドラマ「おしん」はイラン人たちに共感されて大ヒットしたんですね。
 そういや、京都の祇園祭の山鉾の側面は、基本ペルシャ絨毯で被われています。
 山鉾の中を見せていただいたことがありますが、黒人やペルシャ人みたいな人形が乗っていました。

 実はイランにコタツがあるのは本当でして、コルシというらしいんですね。
 見た目はまったく日本のコタツでありまして、古代よりペルシャの人たちはコルシに足を突っ込んで、一家団らんをしていたそうで、今もイラン人と昔ペルシャ領だったアフガニスタンの一部の人たちは、コルシで暖まっているそうです。
 日本のコタツは室町時代、禅宗の僧が中国からもたらせたもの、とされていますが、中国にはコタツのようなものは無いんですよね。中国に畳みは無いですから。
 だから、コタツは畳文化の賜物だと思っていたら、ペルシャにもあったんですね。
 ペルシャも部屋に入るのに靴を脱ぐ、というのは絨毯が敷いてあるからなんでしょう。
 しかし昔の庶民はペルシャも日本もほとんど裸足で生活していました。今も中東では裸足で暮らしている子供たちもいるようです。日本の子供も明治の頃までは裸足でしたし。

 風呂敷は、今の日本人はあまり使わなくなりましたが、私の祖母はよく使っていました。あれ、便利なんですよ。どんなものでも風呂敷の上に置いて、その四隅を互いにギュッと結ぶと包める。昔の小柄な日本人はこれを首にかけて、ちょこまかと商売のために全国を移動しました。物を包まないときは着物の懐へ入れられて、携帯にも便利です。
 ああいう形式のモノも確かに日本以外では見かけません。韓国にもあるようですが、あれは19世紀に日本から伝わったものです。
 日本には奈良時代に今の風呂敷と同じものがありました。奈良の正倉院に舞楽の衣装を包んだものが残っています。そして平安時代にはもう庶民は使っていたらしい。
 「平裏」「平包」と呼ばれていました。
 これが風呂敷と呼ばれるようになったのは室町時代なんです。
 この頃の風呂は、蒸し風呂なんですね。
 その蒸し風呂に入るとき、平包をお尻の下に敷いたらしいんですね。だから風呂敷と呼ばれるようになった。で、おそらくこのとき、着替えも包んでいたと考えられるわけです。
 江戸時代になって銭湯ができます。庶民は入浴用の道具や着替えを包んで銭湯に通ったんですね。でもそのルーツはペルシャなんでしょうか?

 奈良の正倉院はシルクロードの東の終着点とも言われて、確かにペルシャの陶磁器や美術工芸品もたくさん残っていて、舞楽も中東の仮面劇から伝わったものですので、風呂敷もペルシャから伝わったものなのかもしれません。その風呂敷、泥棒が背負っているイメージがありますが、もう一つ、唐草模様というイメージもあります。唐草模様を英語に訳すとアラベスクとなります。アラビア風というわけです。
 このアラベスクも源流は古代エジプトにあると言われて、日本には5世紀末の古墳から、馬具や鏡に唐草模様が使われているのが発掘されています。

 そういえば、聖徳太子の叔父にあたる穴穂部皇子と宅部皇子が被葬者かと報道された藤ノ木古墳の棺内にエジプト原産のベニバナが敷き詰められた、という報道がなされたことがありました。

 そう考えると、やっぱり古代の日本の姿に興味がいきます。

 靴といえば幕末に坂本竜馬が履いたブーツが有名ですね。最初に様式の靴を履いた日本人だとされていますが、確かに江戸時代の日本人は靴を履いていません。下駄、雪駄、草履・・・草履が一般に履かれていたようです。しかし、聖徳太子の時代の皇族、貴族たちは靴を履いていたんです。中大兄皇子は蹴鞠をしていて革の靴を飛ばしてしまって、中臣鎌足に拾ってもらったという話もあります。靴ではなく沓と書きました。
 家屋に入るときには沓を脱ぐという習慣は、平安時代になって出来たものと思われます。聖徳太子の時代の身分の高い人は、外出時には靴を履く。部屋にはテーブルと椅子もあって、牛乳で煮込んだ鍋を食べ、蘇というチーズも食していました。
 となると、聖徳太子もペルシャ絨毯の敷かれた部屋に裸足で入って、コタツのようなものに入って暖をとったのかもしれません。それともなんにもない板敷きの家屋に、寒々として天皇や貴族が住んでいたのでしょうか?

 とまあ、古代の日本は我々が江戸時代や室町にイメージする日本とはまったく違うものだということなんです。神道も仏教も、今のものとは随分違います。
 ペルシャも今のイラクとは違います。イラクはイスラム教の国ですが、ペルシャはゾロアスター教でした。また、景教もペルシャで発展したんです。
 景教=ネストリウス派のキリスト教が、聖徳太子の頃に日本に入っていたという説は、その関係を思うと、もっともらしく思えてきます。
 景教の寺院は唐代の中国では波斯寺(ペルシャ寺)と呼ばれました。

 今のイラクと日本を見ると、遠い国という感じがしますが、昔はそうではなかったのかもしれません。
 そういえば、聖徳太子の母親はペルシャ人だった、という本を読んだことがありますが、それを語りだすとまた長くなりそうなので、今回は終わります!



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2012年01月27日

また私は告知する

 中山市朗です。

 最近オソロシイ寒さですな。
 そんな寒さを吹き飛ばすのが、心温まる妖怪の話。
 本日も夜20時から大阪ソーシャルネットワーク・USTREAM配信生番組『我ら、魔界探偵団』をお送りいたします。今回は前回に引き続き、妖怪談義パート2!!!
 ちょっと不気味な妖怪の話や、笑える妖怪の話など、盛りだくさん。
 お手すきの方は是非ともご視聴くださいませ。

 ご視聴はこちら

 また、皆様からのリクエスト、こういうテーマを取り上げてもらいたい、など、ご意見、ご要望もお聞かせください。
 また、皆様の体験談や情報もお待ちしています。

 オフィスイチロウ:メ−ル
 info☆officeichirou.com
(☆を@に変えてお送りください)

 オフィスイチロウ:ツイッター
 http://mobile.twitter.com/office_ichirou




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2012年01月26日

1/25の小説技法・・・?

 中山市朗です。

 昨日も東京から、プロのクリエイター集団が我が書斎にやってきて、塾生たちの前でその仕事を公開しました。詳しいことはまだ言えないので、情報解禁になれば。

 授業終わりにいつも塾生たちと朝まで飲み会をやっていることは、もうこのブログの読者ならご存知かと思いますが、まあ私は必要だと思ってやっているわけです。
 授業終わったら、私の部屋を朝まで開放するわけです。
 ホントはどこかへ飲みにいきたいわけですけど、塾生たち、プアなので、スーパー玉出で食材を購入、アルコールの買出しはヤマヤですると、一人500〜700円で朝まで結構飲めるわけです。
 スーパー玉出とは大阪府と兵庫県にある激安スーパーで、店舗は一見パチンコ屋かな、と思うほど派手な電光看板が光っていて、我々は慣れてしまっていますけど、他府県から来た人はきっと「なんじゃこれ」と違和感をもたれることでしょう。たまにTVの万引きGメンでよく行く玉出の映像を見ます。

 この玉出の食材をいかにうまく料理するかが、歴代塾生シェフの腕の見せ所です。
 過去、「お前、居酒屋できるで」と言えるほど腕を上げた教え子もいます。

 この飲み会には、たまにプロの人も参加してくれます。
 今までに小説家、ライター、マンガ家、映画監督、アニメの演出家、テレビ番組のディレクター、カメラマン、チーフプロデューサー、出版社の編集長、芸人、落語家、役者、映画の美術、脚本家、放送作家、大学教授など、色んな人が塾生と膝を突き合わせて、いろいろ話を聞き、アドバイスをくださり、実際に仕事をくださった方もいました。

 まずこの重要さを認識しない塾生はアウトです。
 普通の生活の中では、こういう人たちとは接する機会はまずないわけです。
 特に編集長さんやチーフ・プロデューサーなんて、こっちから営業かけに行って、で、会ってくれるかくれないか、という人たち。
 それが向こうから来てくれているわけです。

 何度も言います。私が塾を作った意図がまさにこれ。
 20代の私が、こういう人たちから仕事をもらうためにどれだけ東京に行って、会おうとしたか。門前払い、当たり前にありましたよ。
「ふーん、大阪から来たの? へえ〜」なんて奇異な目で見られたり。

 でもこういう業界の人と繋がらないと、仕事はもらえないし、リアルな情報も入ってこないじゃないですか。我々はサラリーマンじゃないわけですから、営業も自分が担当しなきゃならないんです。
 それが苦手、というのはわかります。本来私も苦手ですから。
 苦手だからクリエイターやっているわけですしね。
 でも苦手と言っている限りは食っていけないですもんね。
 趣味でやるなら、別ですけど。

 となると理想は、業界の人が来てくれる場所を作る。
 これが作劇塾です。
 おかげさまで、割りとブログやホームページをもっている塾生のこと、知ってくれている業界人、多いんですよ。これ、営業をかけているのと同じです。
 これはチャンスなのです。
 なのですが、何年経ってもアピールできないブサイクな塾生が多いのに謎が起こります。
 私からしたら、エース級の投手がど真ん中に打ちごろの直球を投げてくれているのに、バットを持っていなかった、みたいなことが起こっているわけです。
「まだ実績も無いので自信が無い」
 という声も聞きますが、誰でも実績の無いところからの一歩です。
 また、来てくれている人も、ここは塾で、塾生たちに実績が無いことは百も承知できてくださっているわけですから、そこはどんと自分の考えややりたいことをアピールすればいいわけです。
 もし、その考えがプロで通用しないんだったら、そう言ってくれます。でもその後でヒントとなる一言や「じゃあこんなのできないの?」という提案をくださります。
 それがプロとなる一歩だと思うわけです。

 ある映画のプロデューサーが、あまりに話さない塾生たちに向かって、
「キミたち、もっと僕と話そうよ!」
 と大声出したの、今も覚えています。

「お酒も嫌いで、人付き合いも苦手だから」
 と全然こういう会に顔を出さない塾生もいますが、そういう人は当然ながらコミュニケーションが苦手なので自分で人脈作りが築けない。で、年取るばっかりでなんともならずに消えていく、というパターン。ゲロが出るほど見てきました。
 こういう人はなまじ、作品を作るにあたっての技術に自信をもっている人が多い。
「まあ、これだけのものが自分にはあるんやから、いつかなんとかなるやろ」
 なんともなりまへん!
 それくらいの技術持っている人、プロの世界に山ほどいます。
 しかしながら新人をどの業界も求めているのは確かなこと。
 もう情熱です。
 あと「こいつ、おもろいなあ」と思わせること。そんな若い人に、業界人は関心をもちます。

 で、その予行演習が授業後の飲み会なわけです。
 塾生たちも私となら、そんなにストレスも無く遠慮なしに夢を語ったり、アピールしたりできるだろうな・・・。

 これが無い。
「僕、これだけやる気ありますよ」「こんなこと考えています」「これなら任せておいてください」「この仕事の速さ、どうです」
 みたいなの、無い。
 私にアピールしても無駄だと思っているのでしょうか?
 自信過剰なのはどうかと思いますが、とりあえずアピールしてくれないことには、なんにも分からないじゃないですか。
 私の隣にいてずっと黙っている奴なんて、かえってマイナスのイメージになるだけ。
 だったら無理して飲み会に参加することない。
 ただ、そうなると、こいつに仕事を任せよう、とか、こういう人に会わせてあげよう、なんていう気には絶対ならないですけどね。
 私がそう思うくらいなので、こういうのは、もう絶対プロの世界では津用しないでしょうな。
 それでもクリエイターになりたいと口では言っているんです。

 もう辞めたら、と思います。
 ただし、好きなことも完遂できずに、他の仕事ができるのかという疑問も大いにありますが。
 そういえば、自分の営業をすることができずにとうとう夢を諦めて、就職して営業部に配属された教え子がいました。意味わからん。
 1週間もたなかったようですけど。

 とは言うものの、塾生全員がそうだというわけではありません。
 積極的に業界の人と交流をして、そこから自分の創作フィールドを広げて、プロとして活動している塾生たちも何人もいます。
 
 イラストレーターBOMもそんな中の一人。女性です。
 妙な名前ですが、彼女の親友だという青谷圭が「あの子はいつもおっとりしてるけど、いざ切れたらBOMBERになる」のだそうで。
 私は彼女がそんな状態になったところは見たことがありませんけど。

 そんなBOMが「こんなの出しましたので先生のブログで紹介してください」と、一冊の本を手渡してくれました。

pzl_01
『かくし絵パズルみーつけた 2月号』(株式会社英和出版)
今月14日発売。








ds_wii_3_02
また、『ファミ通DS+Wii』(株式会社エンターブレイン)にもFF4コママンガを定期的に掲載しています。もちろん今月号にも。






「お仕事ほしいです」
 と本人も言っておりましたので、イラストや4コママンガなどのお仕事がありましたら。

 BOMについてのイラストや履歴はこちら

 えっ?
 25日の小説技法の報告は? ですって?

 いやもう、参加者4人、プラス見学者ひとり。
 作品提出者3人。
 というのはねえ、今月は本当に少ないんです。

 なんかもう拍子抜け。
 授業後の飲み会は7〜8人いたんですが・・・あれ?

 来月からは復帰する塾生も増えるみたいですが。








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興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。



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2012年01月25日

遊星からの物体コミックス

 中山市朗です。

 今日はコミックの紹介をします。

future 

『フューチャー・イズ・ワールド』
人類が消えた後、2億年後に現われるであろう未来生物たちの物語。







sinkyoryu

『新恐竜』
もし恐竜が絶滅しなかったら、どんな世界になっていたか!







 どちらも双葉社から出ています。
 原作は、どちらもドゥーガル・ディクソン。
 スコットランド生まれのサイエンス・ライター。あの『アフターマン』の作者。
 マンガが小川隆章くん。
 アフタヌーン四季賞で遅咲きデビュー。
 実は、大学時代の私の友人です。
 私のブログに掲載すれば仕事が来るというジンクスがあるので、「載せといて」と頼まれました。

 彼は40歳前後でデビュー。もともと緻密な絵を描く男でした。
 努力すれば年齢は関係ない、という見本です。

 さて、もう1冊。
 雑誌です。

honkyo_01『激ヤバ恐怖スペシャル』
 
 11月24日のこのブログにて報告しましたように、北野誠氏らと竹書房、某CS局、そして『幽怪案内』のメンバーで山の牧場へ潜入し、一晩明かしました。
 このときの体験を、同行していたマンガ家、ひぐらしカンナさんがコミックにしました。
 それが掲載されています。
 私もマンガに登場!
 なんとマンガの出演料というものももらいました。

 おなじみ伊藤三巳華さんのマンガも掲載されています。

 なお、山の牧場は、3月の『幽怪案内』でも取り上げる予定です。
 新たな私の『山の牧場』怪談と、現場のVTRとの構成でお届けしようと考えています。

 乞うご期待!




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2012年01月23日

1/18の作劇ゼミ その2

 中山市朗です。

 18日のゼミの報告の続きです。
 ちょっと説明が必要ですので長くなっちゃいました。

 ニュースなどを見ていてたまに独占禁止法の違反、などという言葉を聞きます。
 同時にカルテルとか談合、贈収賄なんて言葉も飛び交います。
 
「野伏りと談合する気か!」
 という言葉が『七人の侍』に出てきますし、台湾では「団子」という言葉が談合にあたるそうです。これは日本の統治時代に「だんごう」という言葉を使っていたのが「団子」と間違われたのだと言われています。
 日本の伝統、お家芸のようですね、談合というのは。

 談合はゼネコンが起訴されたりして、今はもう建築業界では無くなったと言いますが、今は自由競争という名のもとに建築業界ではダンピングが起こり、下請け業者と職人の人たちにそのしわ寄せがいっているとも聞きます。もしそうだとすると、ある意味、談合は日本人古来の知恵だったのかもしれません。和を以って尊びをなす、とは話し合いで決めよう、ということ。この場合、義理人情というのが優先されたりでしょう。
 しかし近年は一部の業者がこの制度を悪用したり、天下りとセットになって癒着のイメージをもたれたりして、悪いイメージが伴うようになりました。

 資本主義経済において、生産者や供給者が小売業者に対して商品の販売価格を指定して、これを守らせることを禁止した法律があります。それが独占禁止法です。談合やカルテルによって価格を決めることは法律で禁じられているわけです。
 商売とは競争ですから、そこに基本的なルールを作っておいて、その中で日々変化する経済活動に即して規定をする、というもので、公正取引委員会が各種ガイドラインを公表しています。
 独占禁止法があるから、スーパーの値引き、バーゲンセール、特価セール、激安販売なんてできるわけです。

 ところが、この独占禁止法から除外されている特殊な業界があります。
 つまり小売店にて値引きセールが決してできないという商品があるわけです。
 そうです。
 書籍、雑誌、新聞、レコード、音楽用テープ、音楽用CDの6種目がそれ。本屋で値引きやバーゲンなんてありませんもんね。なぜこの業界が独占禁止法から除外されているのかというと、「著作物」だからなんですね。これは法律上に適用されていて、いわば言論の自由、文化等を担う書籍新聞等を全国で一定の価格で販売することが目的、というわけです。
 これを再販制度(再販売価格維持制度)と言います。出版業界はこの再販制度というシステムの中にあるわけです。
 1953年に制定されたこの再販制度ですが、誰もこの制度に疑問をもたず、なんとなく本や雑誌、新聞、レコード(今はCD)は割引しないんだ、と思っていたわけですね。
 で、日本のCDは高いから、輸入盤を買ったりしますよね?
 日本語版のライナーノートがあるかないかだけで、中身一緒だし。

 ところがこの出版不況です。音楽業界も同じです。
 出版不況となった要因は色々ありますが、このままではどうやら不況からの脱出は難しいように思えます。出版界の不況は、作家やマンガ家、執筆を生業としている人たちにとっての死活問題ではあります。
 となると、出版業界そのものの見直しが図られてもいいのではないか、と思うわけです。電子書籍への対応はそのひとつでしょう。この問題はまたいずれ詳しくやります。
 業界のシステムの見直し。つまり再販制度でいいのか、という問題です。

 実は再販制度は著作権の保護の意味があるといいましたが、DVDやゲームソフト、映画などには再販制度は適応していないんです。映画のブルーレイが定価の半額とか2枚で2980円、ていうのは実は独占禁止法が作用しているわけです。
 PCソフトやゲームソフトにも再販制度は適応していません。
 ということは、著作権保護というこの制度は、すでに崩壊していると思うんです。
 さっき言ったようにCDなんて逆輸入させると再販制度は適応されないらしく、同じアーティストのCDも安く買えるわけです。
 輸入盤は私の中学、高校の頃は貴重盤でしたし、円も安かったですし。
 映画をDVDで買うとそこは自由価格。でもその映画のサントラCDを買うと再販制度で値引きなしという不可思議なことも。
 それに今はインターネットの時代です。ネット販売やデータ販売となるとすでに再販制度はあやふやな制度になります。私もamazonで購入することが多くなりましたが、書籍の値引きは無くとも配送代無料、てことはその分割引しているってことになりますよね。大型家電量販店にも本屋があると、クーポン券があれば値引き・・・。
 さらに、データのみの販売となると卸業者を介さず、直接メーカーなり出版社が販売するわけですから、ここも独占禁止法は関係なくなることになります。

 ということは、再販制度というのは今の時代、適応しにくい制度だといえましょう。
 では無くしたらどうか、という意見も出そうですが、業界の大半はそれに反対ということらしく、なかなかそうはならないようです。システムの崩壊は、既得権益を失う可能性があるわけですから。

 さて、再販制度とは出版業界においてどういうものかというと・・・

 出版社が本を大量に作ります。そして取次ぎ業者に送ります。取次ぎ業者は書店に送ります。ここから店長判断となります。売れそうもない本、売れ残った本は取次ぎに返せるわけです。これを返本といいます。
 本屋は本を委託販売している、という形なんです。買取ではない。
 だから売れない本は返せるわけです。
 ホントにここは店長判断。以前、ある作家さんや編集の人たちがいる席で、私が連れてきた塾生が本屋に勤務しているとわかるやいなや、その作家さんたちの態度が一変したなんてことがありました。

 聞けば、本はある一定期間書店に置かれたとしても、その後返本される本は40パーセント以上なのだそうです。
 年間5億冊が返本され、その損失は820億円というデータを見たことがあります。

 作家にもピンキリありますが、まあプロの場合、最低でも5000冊は刷るとして、2000冊は返ってくるとなると、これは商売になりません。
 大手出版は一部のメガヒットによって成り立ち、一部中小出版は共同出版という著者に出版費用を出させることにより、生き残りをしている状態です。
 そこまでしても安売りはしないという出版業界。
 その割りに、古本屋へ行けば、今ヒットしている本が半額で販売していたりするわけですけども・・・。
 そういう再販制度についてどう思うのかを、塾生たちに考えてもらいました。
 同時に、自分たちが作家やマンガ家デビューした場合、どういうシステムで自分たちの作品が売られていくのかを知ってもらうためでもあり、当たり前に世の中にあるシステムを考え直す、という知恵もつけてもらいたいと私は思ったからです。

 問題もあります。
 再販制度が無くなったら、本屋は買い取りになるので、売れそうな本しか仕入れない。
 CDもランキング上位に入っているものしか置かない、というような危惧もあります。 
 しかし一方、みんな品揃えが同じようなもの、ばかりでは販売店の特色もなくなります。そこはやっぱり自由競争の原理が働くのではないでしょうか?
 再販制度がないと遠隔地では価格が高くなる、ということも言われそうですが、これも今やインターネットの時代。そんな心配も無さそうです。
 再販制度が無いと小さい本屋は潰れる、という理由もあったようですが、すでに潰れていますしね。それに市場経済の理から言ってもそれは当然のことといえましょう。
 ただ、作家の収入は本の定価の10パーセント(目安ですが)にあたる印税です。これは売れた売れないに限らず、刷った冊数の分からもらえます。それが自由価格となるとその印税制度が維持できるのかという危惧もあります。しかし、約半分が返本、古本屋で買われても印税は発生しないわけですし。

 フランスでは時限再販制度だそうです。一定期間は決められた価格で売るが、1年、2年経つと書店の判断で値引き販売ができるというものなのですが・・・。

 面白いことに、わが塾生たちの印象は、必ずしも出版社というイメージはポジティブではないということ。持ち込みしたりして、かなり辛辣なことを言われたりしているのでしょうか?
 でもあんまり塾生たち、再販制度について知らなかったので、考えるというよりは私が疑問を投げかけて、どう? という形式になっちゃいましたが。

 でも再販制度を考えることによって、経済の仕組みを考えることになり、また本を売る、ヒットを出す難しさとそのメカニズム、電子書籍が注目される理由などがわかってきたのではないかと思います。
 ということで、
 出版業界を考える、次回のゼミでも続きをやります。






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2012年01月20日

1/18の作劇ゼミ その1

 中山市朗です。

 お待たせしました。
 1月18日(水)の作劇ゼミの報告をいたします。

 2012年最初のゼミでしたので、今後の日本の社会、そんななかで我々の生きるクリエイターの業界はどうなるのか、ということを考えてみました。

 先日、久しぶりに大学時代の友人たちと会ってきました。
 マンガ家、CMの製作会社、フリーの映像ディレクターとそれぞれクリエイターの道で食っているようですが、彼らを取り巻く環境はなかなか苛酷なようです。
 彼らと話していて思ったのは、やはりこれからのメディアを知っておくこと。戦略をたてること。やりたいことを見定める、ということが無いと淘汰されるよな、ということ。
 私たちが大学で学んだ約30年前とは、メディアの様子も媒体も随分変わっています。その頃と同じやり方では、今はもう通用しない・・・。
 マンガ家の奴も、コミックが出ても初版はこれだけしか、なんてボヤいていました。聞けば悪い数字じゃないけど、それでも15年、20年前のコミック市場のことを考えると、落ち込んだなあと思うわけです。

 今の社会、二極化、格差社会、と言われています。
 米国などでは90年代から格差問題が起こっていましたが、日本はまだ自分たちのことを信じていました。戦後の日本は特に富の分配、再分配は比較的公平な社会でした。国民全体が中流意識をもった時代です。
 いい大学に入る、一流企業に入る、結婚し子供をつくる、マイホームを持つ、定年後は退職金と年金で孫のいる悠々自適な老後・・・。
 でもそのケインズ型分配社会は、今や崩壊しました。
 日本は今やハイエク型傾斜分配社会に移行しています。
 ハイエク型とは、資本主義の論理に基づく弱肉強食の市場原理を理想とする社会です。新自由主義、あるいはアメリカ流新自由主義とも言います。

 そうなったのは今から10年前、小泉構造内閣からのようですね。
 バブルが崩壊し、なかなか立ち上がれないでいる日本経済を何とか立て直そうと、竹中平蔵大臣は「市場の自由競争に参入すべし」と規制緩和、自由競争を推し進めました。

 その根底には、こんな理論があったように思われます。
 まず自由競争の中で冨める者をつくり、今度は冨める者が貧者を救う。だから小泉首相は「改革には痛みが伴う」と言ったわけです。
 ところが、その後10年で冨める者はますます裕福になり、貧者はますます貧者になり、脱出できない、という社会になってしまいました。アメリカが抱えた問題を日本も同様に抱えることになりました。

 ちなみに竹中氏は『日本経済余命3年』(PHP研究所)に、経済立て直しは2012〜13年が最後のチャンスで、1100兆円を上回る国債発行がなされると、日本は財政破綻へ向かう、としています。

 今考えると、あの公共事業というのはケインズ型分配社会に必要なものだったんですね。あれは地方への再分配でもあった。それを無駄遣いだと断罪した当時の野党やマスコミによって悪とされ、公共事業が止まった途端、どうにもならなくなったんです。しかし一方、国内需要から世界の市場に目を移し、国力を上げようとするとそれだけでは限界となる。だから公共事業を縮小させたというのもあるのでしょう。
 まあ私、そのあたりの専門家ではありませんので、笑われそうですが、そうは間違っていないと思うんです。
 問題は政治家の名誉と票取りのための公共事業が行なわれてしまったこと。私の田舎の近くに空港があるようですが、誰も使っていません。

 例えばバブル崩壊後、日本はやるべき公共事業がありました。あのとき、全国隅々にわたって光ファイバーのインフラをやっておくべきでした。そしたら今は世界一のインターネット大国になって、経済効果も相当あったと思われます。今はエネルギー、環境問題、こういったことは個々に解決できるものではありません。関連事業に補助金を出し、推進させ日本のノウハウにして国外にも売り出すべきでしょう。それを怠ると日本の企業はトップシェアから落ちていくことになりましょう。オーランチオキトリウムはどうなってるのかな?

 ともかく、今のままでは格差社会はどんどん広がっていき、歯止めが利きません。
 私の身近にいる若者たちを見ると、非正規雇用が拡大し、経済だけでなく人的資源をも劣化させているように思えます。彼らは未来への希望を見れず、今身近で起こっている現実に対処することに追われています。

 そうなるとこんな不安がよぎります。
 この状態はこれからも拡大する一方なのか?
 一度落ちたら、二度と這い上がれない格差社会なのか、それとも努力すればその分が報われる格差社会なのか?
「それはキミらの意識次第だよ」と塾生たちに言いました。

 さて、私や周りの仲間たち、教え子たちはどこの会社に所属するでもなく、一人で作品をつくって出版なり配信なり、あるいは放送でライブでパフォーマンスを見せる、聞かせる、読ませる稼業です。
 プロスポーツ選手や音楽家、芸術家、役者、演出家、技術者といった人たちもそう。
 つまり才能と努力があれば報われる世界なのです。

 とはいえ、我々の世界も業界でなりたっています。
 この業界は特殊な世界でございまして、労働基準法なんて無きに等しい。ゲームの下請け会社でシナリオやキャラクター製作をしている若者なんて、月に2万円ももらえない、なんて聞いたことがあります。雇うほうの言い分は、能率給、成功報酬だというんですね。いや、誰もが通るのが最初は無給という仕事。しかしこれはチャンスをもらえることであり、実績を積み重ねることなので、なんとか食らいつくわけです。
 そんななかで、ほとんどのクリエイター志望者は使い捨てられ、結果100人に一人も残らない、という過酷な業界でもあるわけです。「そんななかでも、この世界でやっていく根性あんのかよ」と試されるわけですね。
 昔、吉本興業の会長の林正之助氏(1991年に92歳で死去)は若手芸人に向かって「お前らにやる金があったらドブに捨てるほうがマシ」と言ったとか。

 それを思うと、クリエイターの世界はサイショから格差社会の原理が働いているといっていいのかもしれません。作家やマンガ、芸能界でもヒットを飛ばす一部の人と、全然売れない大多数の人によって構成されていますから。

 ただ私が日本の格差社会の話を塾生たちの前に持ち出したのは、作品を作るのは個々であっても、作品を商品とするにはこの業界が今どうなっているのか、前途はあるのか、新しいインフラが整備されているのか、危ない業者はどこなのかを見据えて、選択することが必要だと思ったからです。
 作品をつくるのはクリエイター個々の仕事ですが、これを商品として流通させるには、出版社、メーカー、製作会社、代理店、放送局、興行界のシステムが必要なわけです。個人がネットや同人誌などで発表したり売ったりできる時代になっていますが、ちょっとこの問題は後日考察することにします。

 さて、まず出版界ですが、もう皆さんご存知のように、不況知らずの業界神話はとうに崩れ、1990年代をピークに後退しています。特に出版社の屋台骨を支えていた週刊誌やコミック雑誌といった雑誌が売れなくなったんですね。今生き残っている雑誌も広告収入も減って、赤字を抱えているのが多いようです。

 一方、今の出版界は、世相を反映してか、極端な二極化となっています。
 つまり、特定の書籍は爆発的に売れてミリオンセラーズとなるが、その他はまったく売れないという二極化です。
 これを「メガヒット現象」と呼びます。

 なぜ、このような現象が起きるのでしょう。
 そしてもう一つ、出版業界そのものに問題はないのでしょうか?
 それを考えるには、出版業界がどのようなシステムで成り立っているのかを、知っておく必要もありましょう。
 
 ところで塾生たちは、このあたりのことをどこまで知っているのでしょう?
 例えば、出版界には再版制度というシステムが働いています。
 このシステム自体に問題がありそうです。
 では再版制度とはどのようなものでしょう?

 あれれ、知っているのは一人だけ?

 うーん。
 じゃあその説明からいきますか。
 でもまた字数食っちゃったので、次回に。
 
 

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