2006年11月

2006年11月30日

硫黄島の背景

中山市朗です。

映画『トラ・トラ・トラ!』で描かれた日本海軍の真珠湾奇襲攻撃により、太平洋戦争は始まりました。1941年12月8日のことです。日本はこのとき、すでに戦っていた中国はもとより、米英豪とも戦争状態に入りました。
なんで、日本は世界を相手に戦おうとしたのか、

まあ、それは長くなりますので、ここでは置いといて…

ただ、『トラ・トラ・トラ!』にもその場面があるように、当時、連合艦隊指令長官の任にあった山本五十六(やまもと・いそろく)大将は、「アメリカを相手に1年や1年半は存分に暴れてみせるが、2年、3年となると、まったく保証できない」と近衛首相に言います。

これはまず日本には資源がない。軍艦や戦車を作っても、石油がなければどうにも動かない。そしてアメリカの工業力を持ってすると、長期決戦は絶対不利になることを、山本長官は知っていたのであり、現にその通りの戦争となり、泥沼化していきます。

戦争とは陣取り合戦です。
囲碁や将棋と同じです。ただ、駒になるのは生身の人間です。それも若者です。
日本は資源を求めて兵を送ります。中国、マレーシア、タイ、フィリピン…。まあ陣取りしていくわけです。最初アメリカは防戦一方でしたが、ミッドウェイ海戦に勝ち、ガダルカナル島を占領すると一気に戦況が逆転します。この戦いは映画『シン・レッド・ライン』に描かれます。ガダルカナル島は最初、誰も知らない南太平洋はソロモン諸島の端っこにある小さな島でした。
ここに日本軍が一本の滑走路を作ったことから、この争奪戦が始まりました。

ガダルカナル攻防戦は海陸での物凄い戦闘の末、米軍が勝利し、滑走路を奪います。この一本の滑走路から米軍の進攻がはじまります。ここから爆撃機が飛ばせるようになったんです。すると南太平洋上の日本艦隊を牽制できるし、南太平洋に散らばる日本軍基地を連日爆撃できるようになる。

そうして、グアム、サイパン、マリアナ諸島と米軍が押さえていくことになります。マリアナ諸島は超大型爆撃機B29が日本まで飛んで、帰ってこれる距離にありました。
つまり、ここから日本本土空襲が可能になったんです。

1944年10月。
B29の編隊がマリアナを飛び立ち、日本本土空襲をしかけました。
ところが、その中間地点に硫黄島があったんです。

日本軍は太平洋戦争が勃発すると、この島が重要拠点になると想定して、戦前から地下要塞を構築していたんです。
ここに日本軍の飛行場があると、本土に向かってやってくる敵機を迎撃できるし、マリアナにある敵飛行場の爆撃も可能です。

しかし、もうこの時点では飛行機も燃料も日本にはありませんでした。山本長官の言った通りの状態です。

そこで米軍は、この硫黄島上陸作戦を慣行します。

ここに大きな意味がありました。

大型爆撃機は航続力が長いので、マリアナから出撃してまた帰ることができます。しかし爆撃機は戦闘機に襲われたらひとたまりもありません。戦闘機は小さく、すばやく、スピードがあります。
大型爆撃機はそんなに器用には飛べません。

ですから、マリアナから出撃したB29は、日本の戦闘機の攻撃を避けるため、超上空を飛ぶことになります。

すると爆撃の命中率は悪くなります。

ところが。
硫黄島に滑走路があると、戦闘機をここから飛ばして、爆撃編隊の護衛ができます。戦闘機は小さい分、航続力は短いわけです。しかし、硫黄島からだと戦闘機も日本への往復ができる。すると、もっと大きな編隊を護衛つきで編成させることができます。
米国は太平洋戦争の早期解決のためには日本の本土を焦土化させることだとし、そのためには硫黄島を占領する必要があったのです。

一方、日本軍は米軍にここを奪われると、どういうことになるのかを知っていました。

日本守備隊の兵士たちは、日本を、いや家族や恋人を敵の空襲から守るため、玉砕覚悟でここを死守したんです。そして、ほとんどが死んでいきました…

結果、最後には米軍が勝利し、硫黄島から、東京、横浜、大阪、神戸などを爆撃するための編隊が、戦闘機の護衛つきで堂々と飛んでくるようになりました。
広島、長崎の原爆投下ばかりではありません。

多くの日本人、その大部分が一般人でしたが、硫黄島から飛んできた爆撃機のために、家を焼かれ、財産を失い、命を亡くしたのです。高畑勲のアニメ『火垂るの墓』で、それが描写されます。あれはメゲます…

一方、米国としては日本の首都東京の領土である硫黄島に星条旗を立てた、ということは、先の見えず、士気も下がっていたアメリカ国民にとって、大きな希望の象徴だったわけです。そこにはヒーローが必要だったんです。

そこでわかった上で『父親たちの星条旗』を観てほしいのです。
日本人アメリカ人、双方にとって、教科書には出てきませんが、忘れてはならない重要な歴史です。日米安保とは何か、を考えるいい教材ともいえます。


kaidanyawa at 16:37|PermalinkComments(0)

2006年11月29日

男たちの星条旗

中山市朗です。

ようやく『父親たちの星条旗』を観る機会を得ました。
まず驚いたのは、平日の夕方上映の部だったのですが、館内はガラガラ。まあ20人ほどでしょうか。

それもほとんどおっさんで、一部おばさん、若い人の姿はまったくありませんでした。

私など、クリント・イーストウッドがこの企画に着手した頃からずっと注目してきただけに、何で? という気持ち。

この映画が描いているのは太平洋戦争における“硫黄島の戦い”と生き残ったある若者のその後の生涯です。

硫黄島の激戦を描いた映画といえば、戦後まもなくに作られた'49年の『硫黄島の砂』があります。アラン・ドワン監督で、主演は鬼軍曹を演じたジョン・ウェイン。ウェインはこの映画と、同年公開された『黄色いリボン』でアメリカを象徴する大スターになります。

ただし、『硫黄島の砂』の日本公開は4年後の'52。あまりに凄惨で、リアルな描写が日本での公開を遅らせたようです。劇中、地下壕やトーチカに篭ってなかなか姿を現さない日本兵が、いきなり日本刀をふりかざして斬り込んでくる場面など、確かに当時は日米両方の観客にとってショッキングなものだったと思えます。
そしてラスト、激戦も一息ついてふっと煙草を吸おうとしたジョン・ウェインが狙撃され、あっという間に死んでしまうシーンも印象的でした。その直後、摺鉢山に星条旗が掲げられ、海兵隊のマーチが流れて映画は終わります。硫黄島にはためく星条旗が、この映画でも重要なシンボルだったんです。

劇中、どんどん死んでいく仲間、まったく進めないような状況下である兵士が、硫黄島の砂を手に握って言います。

「こんな草も生えないような土地を何のために奪るんだ!」


さて、『父親たちの星条旗』ですが、私には興味深いテーマと激戦の描写でしたが、特に日本の若い人たちには、ちょっとわかりにくい作品かなとも思えました。

硫黄島にたったひとつある標高わずか169メートルの擦鉢山に掲げられる星条旗。そのとき撮られた1枚の写真がメディアで報道され、そこに写っていたというだけで、ヒーローに祭り上げられ、政治的に利用される3人の若者の苦悩…

まず硫黄島で激戦が行われた意味、そこに星条旗が掲げられることの意味が、若い人にはピンと来ないのではないかと思います。
硫黄島はまさに草一本も生えない言おうで形成されたほんの小さな灰色の島です。ここに日本陸海軍21000名の守備隊がはりつき、対する米軍も61000名を上陸させ、日本軍は2200名の捕虜以外は全員玉砕、米軍も6800名が戦死、22000近い戦闘員が負傷するという戦闘が繰り広げられたのです。
攻撃軍の死傷者が防衛軍の死傷者を上回ったという点で、米軍、および米政府が戦慄した戦いであったわけです。

しかし、なぜ、こんな火山灰の何もない島が死の戦場と化してしまったのでしょう。
そこからわからないと、この映画が何を言わんとしているのかがわからないまま終わってしまうことになります。
特にこの映画は、硫黄島の激戦、生き残って米国中を巡業させられ、国民に戦時国債を買わせるためのキャンペーンに駆り出される3人。そしてそれを現代において老人となって回想するシーンなど、時間の流れが交差し、ちょっと一筋縄ではいかない構成で描写されます。

勝手なことを言わせてもらえれば、時間軸にそった物語であれば、わかりやすくはなったでしょう。しかし、それでは前半の激しい戦闘シーンで、後半にいくほど映像インパクトという点ではしぼんでいくことになります。
イーストウッド監督のテーマは『硫黄島の砂』のリメイクではないのですから、その後半の部分が実は重要である。そうなると、こういう複雑な作劇法をとらざるを得ないのではなかったのでしょうか。

イーストウッドのこのテクニックの根底には、おそらく黒澤明監督の『生きる』があったと私は思います。

さて、この映画に少しでも興味を持ってもらうために、ちょっと硫黄島の戦いについて次回は書かせてもらいます…
日本人としては、是非、知ってもらいたいのです。

kaidanyawa at 19:27|PermalinkComments(0)

2006年11月13日

なぜ「国歌」というものがあるのか?

 中山市朗です。

 ビックリすることがありました。
 先日の私の授業でのこと。たまたま、国歌の話になりました。

 君が代は 千代に八千代に さざれ石の いわをとなりて・・・

 思わずそれを私が口ずさむと、
 「あ〜、国歌ってそんな歌でしたっけ」
 と、一人の塾生。
 「はあ? お前日本人やろ。学校で国歌斉唱したやろ」
 「小学校ではやってたかも知れませんが、中学、高校ではまったくありませんでした」
 「オリンピックとかワールドカップとか、日米野球とか・・・あるやろ?」
 「スポーツ、まったく観ないんで」

 これは彼が悪いのか、大人が悪いのか?

 国旗掲揚、国歌斉唱に反対し、まったくやらない学校があることは知っています。
 東京都では、都内の学校にそれを強制しようとして、反対する学校が多くあったといいます。
 私の通っていた高校にも、反対する立場の先生がいました。でもこの先生、車で軍歌ばかり聴いていましたけど・・・。
 日の丸、君が代が戦意高揚につながるとか、右翼化思想になるとか、わけのわからん事を言っている先生。そら、あんたの思想の強制ちゃいますか?
 国歌斉唱ができない、知らない子供を作り出して、その責任は誰が持つんでしょうか?
 国歌や国旗に敬意を示すことは、人としてのルールです。日本だけじゃなくて外国の国旗、国歌に対する敬意の気持ちを、知ることができないということです。
 前に、アメリカの野球場での国歌斉唱時に、日本の若者だけが着席したまま知らん顔やったという赤面するようなニュースを耳にしましたが、これはもう、教育基本法の中に愛国心という言葉を入れる、入れないなんてレベルではない。それ以前の話です。
 国歌斉唱ができない、歴史の勉強はやってない、宗教に関する基本知識もない・・・。そんな若者を作って、国際競争に勝てって? 世界平和に貢献しろって?
 戦争反対、核反対。言うのは簡単ですけど、実際はいろいろ民族間、宗教間、国益と、そう簡単には氷解しない問題があるものです。それなのにこんな教育では、そこがわからないアホな日本人を増やすばかりです。
 このままでは、国際競争に立ち遅れて、バカにされる日も遠くない気がします。

 ほんま、学校の先生、しっかりして下さい。

kaidanyawa at 22:58|PermalinkComments(2)

2006年11月12日

寸言

 中山市朗です。

 先日のアメリカ合衆国下院議員選挙で、福島県出身の日本人が当選したそうです。
 初の快挙! おめでとうございます。
 その人はメイジー・ヒロノという59歳の人で、過去ハワイ州の副知事を経験しているそうです。

 さあ、メイジーさん、この後どこまで行くんでしょう。
 アメリカ合衆国はWASPの国。
 つまり白人、アングロサクソン、プロテスタントが真のアメリカ人だというんです。
 大統領もリンカーン、ケネディなど暗殺されたごく一部のカソリックを除くと、全員白人のプロテスタント。その側近はロックフェラーやモルガン、メロンといった財閥出身か関係者。そこに睨みをきかすシオニストロビー。
 北朝鮮問題にはどうも歯切れが悪く、中東問題には積極的なイスラエル擁護の図式はここにあるんですけど。

 『聖書』一部を読み上げ(創世記第12章3節、意味深な言葉です)、手を当てて、大統領宣言は行われます。
 いずれも日系人が大統領になって、神道の祝詞を「かしこみ〜、かしこみ〜」とやってほしいもんですけど。まあ100%無い!


kaidanyawa at 17:07|PermalinkComments(0)

2006年11月09日

教育が原因?

 中山市朗です。

 最近になって、ある謎が氷解してきました。
 謎とは?

 専門学校の学生から今の塾生たちまで、千人以上の若者たちと接してきましたが、全体的にどうも知的好奇心に欠ける。世間の事情にうとい。ひきこもりが多い・・・。
 何でやろ? と思ってたんです。
 私の大学生だった頃とは明らかに違う。

 小説なんて知識と雑学がないと書けない。
 で、講義の中でいろいろ投げかける。そしたら、キョトンとしてるんですな。
 「いやいや、こんなん教科書で習ってるやん」
 すると「習ってません」と来る。
 それが、世界史、日本史。
 「えっ? 今の高校って歴史習えへんの?」
 「どっちか片方だけでいいんです」
 「片方だけでは歴史はわからへんやろ。日本史と世界史はリンクしてんねんから。そんなバカな教育はないで」
 おかしいな、と思ってたら、高校の履修問題が出てきた。
 つまり、これは随分前からあったということです。

 ずっと前このブログで、ある民主党の議員さんと話していたら、外国語はできるけど、自分の国の歴史や文化について語れない情けない官僚候補が日本から欧米に留学していて、えらい恥をかいていると書きましたが、原因はここにあったんですな。
 日本のエリートが、歴史を知らない。
 そんなアホな!

 歴史知らんかったら、日本とアジアの関係、アメリカとの関係、中東問題、国連問題、わかるわけない。民族だの、宗教だのに問題意識がいくわけもない。そしたら経済問題も絶対解けない。特にここ十年ほどで日本の国力が落ちた、いわれてますが、原因の一つは歴史の学習をおざなりにした日本の教育なんでしょうな。
 歴史は現代の社会の有様を解き、将来を考えるための基礎です。

 ところが、基礎が身についていないから、世の中がわからないわけです。
 たいていの人間は、わからないことから離れます。
 つまり、世間から離れることになる。
 すると、篭もるしかない。
 篭もって、バーチャルな世界に身を置く方が楽で、煩わしさもない。
 ひきこもりが増えるはずです。

 で、今から高校生たちは補講で足りない分を補うそうですが、そんなんで頭に入るんやろか?
 これでよけいに歴史を避けたり、嫌になったりせえへんやろか? それが心配です。



kaidanyawa at 15:30|PermalinkComments(0)

2006年11月06日

メディアの変革

 中山市朗です。

 私の受け持つ授業で、ある塾生からおもしろい質問が飛び出し、しばしそれについて議論しました。

 その質問とは…
 「僕がマンガの原稿を持ち込みしたある出版社は、従来の出版形態を全部止めて、インターネットでマンガの配信をすると聞きました。これから、マンガの形態も変わるんでしょうか?」
 これ、どう思います?
 つまり、これからのマンガや小説は“本”や“雑誌”という形態にはならず、パソコンや携帯電話の画像で読むことになるのか、ということ。

 「僕は本という媒体でないと、マンガや小説を読んだ気がしないんで、やめてもらいたいです」
 と、ある塾生の反応。
 「描き方が変わりますね。原稿のサイズが変わるし、画面が動くことを前提とされるようですし……」

 もうすでに配信されているマンガを画像で見ると、視点を画面上で移動させたり、止めたりできる。つまり、ちょっとしたアニメ的演出が求められるわけです。
 こら、ひょっとしたらセリフのフキダシも声優の声がアテられるかも知れない・・・。

 それに、今まではページを意識してコマを割っていたのが、そのページという概念も変わるかもしれない。だいたい雑誌と画像では、原稿の形も違う・・・。
 マンガを勉強している塾生たちも戸惑います。
 小説だって、文字の構成、形、行間が見開いたページにどう収めるかが重大な要素でもあるんですが、それも関係なくなる・・・。
 「やっぱり、小説もマンガも、雑誌や本がふさわしいです」と塾生。
 「いや、出版する方のスタンスを考えたら、今後出版物の形態は、インターネット中心になるやろな」
 と私は答えました。

 何故か?
 だって、紙代いらん、印刷代いらん。これ、本を作る時のコストの大部分なんです。おまけに流通代いらん、本屋への営業いらん、講談社大阪営業支店、なんていらんようになるわけです。経費がかからんわけですな。おまけに世界中に配信できる。

 さて、読み手はそれで満足するか?
 私の学生の頃、映画は劇場で観るものでした。ビデオでは画質も大きさも、映画と違うもの・・・。
 ところが今、画面は大きくなるわ、ハイビジョンはフィルムとほぼ同じ画質が再現、おまけに画質は劣化しない・・・。場末の劇場で観るよりは、うちで観る方がキレイで迫力、なんてことになってしまいました。
 作り手もシネスコだのシネラマだのからビデオサイズのビスタビジョンが主流化しています。フィルムで撮る、ということももう死滅寸前ですし。
 それを考えると、十年、二十年後、マンガや小説は画像で読むことが主流になっているかもしれません。だいたいちょっと昔までは電車の中でマンガ雑誌広げてた学生やサラリーマンが見られましたが、今、見かけませんわ。その代わり、ケータイの画面見て、カチャカチャ・・・。

 どっちの媒体に将来性を見るか、です。

 とはいえ、印刷媒体が無くなるとも思えません。どっちも両立していくんやないかと私は思います。
 まあ、これからマンガ家目指すいう人は、いろいろなメディアの勉強もしておくべきです。




kaidanyawa at 15:16|PermalinkComments(1)

2006年11月03日

やじきた怪談道中

 中山市朗です。

 北野誠氏と『幽』連載の「やじきた怪談道中」の取材を済ませました。
 場所は・・・えーと、言えません。
 『新耳袋・第三夜』”ロケ先の夜”の舞台となった某老舗旅館です。

 ここは、関西ではちょっとした怪しい噂のある所で、まあ、以前から泊まってみたかったんですけど。
 この宿の発祥は、関ヶ原の戦いの直後から始まるというのですから、約四百年の歴史があるわけです。
 まあ建物はそんなに古くなくとも、桂小五郎が上がった階段が残っているといますから、こら、なかなかのものですわ。
 ところがここ、風水的にはかなり問題のあるもので、なんやもう新築、改築が古い屋敷を取り巻くようになされて、部屋から外を見ようと障子開けたら、すぐ階段があったり、天井は低いし、桧風呂に窓が無かったりと妙なんです。

 で、宿のご亭主と女将さんから話を聞き出すと、やっぱり四百年の歴史、いろいろな話が聞けました。
 まあ幽霊が出ますかという話を否定はされませんでしたが、具体的な話もおっしゃらない。しかし、それを匂わす話はいろいろ聞き出せました。
 ここらの腕はさすが北野誠、素人から話を聞き出すの、天才ですな。
 素人相手にしてうまい、と思うタレントに明石家さんま、がいてますが、彼はあくまで、さんま、という自分のキャラを押し出すための素人いじり。誠の場合は違う。自分というキャラをスッと引いて、ポロッと本音を引き出すんです。
 いや、私も何百、何千と取材をしてきましたが、ああはいきません。

 ところで、深夜、怪しげなものが出現したんです。
 して、それは?

 おっとそれは、12月8日発売の『幽』6号にて。

kaidanyawa at 17:12|PermalinkComments(0)
プロフィール
中山市朗 【なかやまいちろう】


作家、怪異蒐集家

兵庫県生まれ。


主な著書に「新耳袋」など。

作家、漫画家の育成機関「作劇塾」を主宰。


作劇塾

オフィスイチロウ


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