2007年01月

2007年01月31日

へたなら寄席・終了

 中山市朗です。

 へたなら寄席、終了いたしました。
 ご来場いただきましたお客様方、厚く厚く御礼申し上げます。
 次回、あるとすれば九月頃、になると思います。


 私は『けんげしゃ茶屋』という、えらく難しい演題に挑戦したわけですが、客として来ていた一人の塾生に、意味が分かりませんでした、と言われ、大ショック。
 後で、お茶屋遊びのこととか、粋【いき】だとか粋【すい】についての考察、日本人独特の言霊思想についての解説をして、もう一度ストーリーをダイジェストで話すと「ああ、そういうことなんですか」と納得してもらえたのですが、う〜ん・・・。
 まあ確かに、けんげしゃ、太鼓持ち、幇間、しぶと、そうれん、といった今は死語となった言葉が多かったのも事実(マクラの部分で解説したつもりでしたが)なんですけど。
 次回はもっと簡単で、笑いの多そうなところでいこうかな、と反省。

 でも一方、落語ってこんなにおもしろく、世界一シンプルでよくできた芸なんや、と事細かく説明すると、填まるんですな、これが。
 うちの一門の塾生がそう。塾の私の授業で、着物着て、実演までやって、落語分析講座をやったんです。っそれを聞いてみんな填まって。
 この日落語を演じたほとんどの連中は、一、二年前は、落語のらの字も知らんような若者でした。で、今やみな名人のつもりなんですから、勝手なもんですな。
 落語に限らず、きっとカラオケなんかもそうなんでしょうが、素人芸なんてものは、やり始めると、凝るわけですな。すると本人はいい気分になって、どんどん玄人向けのレパートリーをやる。で、聞かそうという気分になる。やってる方はいい気分、聞かされる方はいい迷惑。
 まるで古典落語の『素人浄瑠璃』の世界ですな。
 でも、もう落語の魅力に取り憑かれたからには、行くとこまで行ったれ、という気持ちがあるのも正直なところ。こうなったら話術を磨いて、本職、怪談語りのテクニックにぜひとも応用したいところであります。
 春には我が後輩、大阪芸大の落研と我が桐の一門とのコラボ落語会も開催予定。
 まだまだ懲りずに、落語道、極めます。


kaidanyawa at 19:59|PermalinkComments(0)

2007年01月12日

インスタント・ラーメン

 中山市朗です。

 安藤百福さんが亡くなられましたなぁ。
 え? 誰って?
 ノーベル賞モンの発明した人ですよ! 私は、彼の発明品のほとんど毎日お世話になってます。
 インスタント・ラーメン。

 そう、百福さん日清食品の会長さんで、チキンラーメンの発明者。
 昭和30年前代前半に、家庭で食べられる魔法のラーメンとして大ヒットしたそうです。
 そんで、今もってロングセラー。
 ラーメンという名前も、この商品からメジャー化しました。
 それまでは中華そば、と言っていました。
 昭和46年には、カップヌードルが登場。これも百福さんの発明品。
 今はスーパーやコンビニに多種多様のインスタント・ラーメンが並んでますが、これは百福さんの存在があってこそ。
 よく、インスタント・ラーメンばっかり食べてたら、はよ死ぬで〜みたいなことを聞きますが、百福さんは毎日一食は食べていたとか。それで97歳の長寿でした。
 私の食生活でインスタント・ラーメン無しというのは、ちょっと考えられないんで、これはちょっとした勇気づけになりますな。要はバランスなんでしょう。

 さてさて、インスタント・ラーメンといえばこんな話を思い出します。
 『喜劇・駅前飯店』 昭和37年の東宝映画。フランキー堺、森繁久弥、伴淳三郎がことごとく怪しいカタコトの日本語をしゃべる中国系という役どころ。フランキー堺が「ぶたぶたこぶた、お腹が空いた」とエースコックのワンタンメンのCMソングを歌いながら、チキンラーメンを食べるという、妙なシーンがあります。ちなみに、この年はじめてホームラン王になった巨人軍の王選手も登場します。
 『殺人狂時代』 こちらはチャップリンの映画ではなく岡本喜八監督の昭和41年の東宝映画。あんまり斬新すぎてオクラ入り寸前だった、アクション・コメディ。風采の上がらない大学教授の仲代達矢が、どんぶりの中にチキンラーメンらしきものをニ袋入れ、お湯をかけて蓋で押し込むシーンが印象的でした。これがまた、ウマそうに食べるわけです。
 でもやっぱり傑作は『オバケのQ太郎』に出てくる小池さんでしょうな。

 ちなみに、かの黒澤明監督は、インスタント・ラーメンを食べたのは生涯でただ一度だけだったそうです。そのことは娘さんの黒澤和子・著『パパ・黒澤明』にほほえましく出てきます。

kaidanyawa at 17:26|PermalinkComments(1)

2007年01月08日

あけました。大阪の中山です。

 あけましておめでとうございます。
 2007年、どんな年になるのでしょう。

 ちょっと、おめでたいお話を。
 年末に、結婚披露宴に呼ばれました。
 新郎は、上方落語界のホープで、来年、桂春蝶の襲名が控えている3人。
 新婦は、私が出演している『心霊タクシー』の担当プロデューサー。

 やっぱり業界人の披露宴ともなると違いますな。
 三番叟の演奏から始まりまして。
 つまり浄瑠璃。これに文楽人形が鈴を振り振り会場を廻るという厄払いの出し物。いや、ええもん見せてもらいました。そして和太鼓演奏。ケーキ入刀なんて無い、代わりに酒樽の鏡割り。春団治一門によるコントなどもあって、まあ参加して楽しい、よく演出された披露宴でした。そうそう、司会はあの浜村淳さんでした。
 終わった後、ちょっと浜村さnにご挨拶したところ、私が『捜聖記』の作者であることをご存知で、古代史の話に花が咲きました。

 ところでこの日、ちょっとした『新耳袋』的体験をしました。
 披露宴が始まる前、私は受付のあるロビーのソファにどかっと腰を下ろし、どんな噺家さんが来てるんやろ? と一人で名前当てを楽しんでいたところ、まったく私の知らない人が、私を見て、ニコニコしながらこちらに近づいて来ます。まぁこの日何人かはこういう方がおられて、作劇塾のホームページを見てくれている人だったりしたんです。このブログのファンという妙な方もおられて・・・。
 ところがこの人は違いました。
 私に握手を求めて「今日はわざわざ沖縄からですか?」
 「はあ?」
 私を沖縄で見たという人は、これで四人目。
 一人は、専門学校時代の私の教え子。夏の沖縄の浜に黒尽くめの私がいたという。
 二人目は、大阪ミナミのバーのマスター。やっぱり浜に黒尽くめで。
 三人目は、新宿の屋台のラーメン屋の親父。沖縄のやっぱり浜で。この時は話をしたという。
 そしてこの人。
 で、私は言いました。
 「今、大阪に住んでます」
 「え? いつから?」
 もう二十年になりますって、言えませんでした。
 ちなみに私は、沖縄に行ったことがありません。

 と、いうことは、やっぱりもう一人の私が沖縄に?



kaidanyawa at 11:24|PermalinkComments(0)
プロフィール
中山市朗 【なかやまいちろう】


作家、怪異蒐集家

兵庫県生まれ。


主な著書に「新耳袋」など。

作家、漫画家の育成機関「作劇塾」を主宰。


作劇塾

オフィスイチロウ


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