2007年09月

2007年09月26日

桐の一門参上!

 中山市朗です。

 先日、ワッハ上方の小演芸場で第4回「へたなら寄席」の公演がありました。
 ようは落語会です。

 この日の出演者は

 『手紙の末筆』 両口家 是清
 『胴切り』   桐のはこぶた
 『夏の医者』  桐の はてな
 『つぼ算』   桐の うだん
 『漫才』    漫才ゲリラ
 『看板の一』  桐の よぎり
 『癪の合薬』  桐のぎりぎり

 もちろんプロの落語家ではありません。
 是清の本職は漫才で「マシンガンズ」というコンビで活躍。
 中入りの後の漫才を演じたのは吉本興業所属の4人漫才。

 あとの「桐の」という屋号のある演者たちは私の率いる桐の一門のメンバーです。
 紹介しましょう。

 桐のはこぶた【作劇塾・作家志望】 
 4月に入塾したばかりの新人。自称・お笑いの専門家。

 桐のはてな【作劇塾・作家志望】
 今回の唯一の女性。いつも周りが「はてな」と思う不思議な行動を伴う。

 桐のうだん【魁塾・構成作家】
 「コメディスタジアム」「自由時間」など若手お笑いライブを主催。うどんを食べる仕草ができないのに『時うどん』が初高座。で、「うだん」に。

 桐のよぎり【作劇塾・マンガ家志望】
 ペンネーム小島雪で時代劇マンガに挑戦中。

 桐のぎりぎり【作劇塾・マンガ家志望】
 某マンガ雑誌で新人奨励賞をもらうが、ひそかに桂小米朝の一番弟子となって、次の米団治襲名を狙おうとする魂胆があるとかないとか。

 
 そして、今回出演はしなかったものの、桐の一門には、

 
 桐のええとこ【作劇塾・作家志望】
 現在育児専念のため、休塾中の主婦。

 闇のかなた【魁塾・構成作家志望】
 彼だけ屋号が“闇”なのは、落語の覚えがあまりに悪く、芸風もちょっと違うので…。自称「画伯」。絵の腕は最低。

 桐のうさん【魁塾・花嫁志望?】
 現在、お水の世界で活躍中。落語を始めたおかげで話術が身につき、お客が増えたとか。

 桐のぐだぐだ【作劇塾・?志望】
 元マンガ家志望だったが方向転換。『怪怪怪』の編集長の任に就くも現在行方不明。名は体を表す?
 
 桐のもぎり【作劇塾・イラストレーター志望】
 作劇関係のイベントの受付でよくもぎりをしている女の子。若いが塾では古株のひとり。

 桐のはなを【作劇塾・小説家志望】
 実は先日の公演のもぎりをしていて、公演後の打ち上げに参加。このとき中山塾長の強引な口説きに落ち、桐の一門のメンバーとなる。一門5人目の女性落語家誕生か?

 
 そして一門の総帥が、

 桐の雄加留斗【作劇塾塾長・映画監督志望】
 
 つまり、私です。すでに中学時代には落研を作って中入亭一門を結成。落語愛好歴30年の自称落語研究家。十八番は『ふぐなべ』『青菜』『遊山舟』『寄合酒』『煮売屋』『七度狐』『天狗さし』など。私の創作活動の魂は映画から、技術は落語から学んだといっても過言ではないと思っています。

 ちなみに落語・漫才のレコード、ビデオ、CD、カセットの数は膨大です。ワッハ上方演芸資料館と勝負したろか。

 まあ、そんなメンバーです。言葉の大事さを体感する、話芸が体得できる、間の勉強になる、キャラクター造形の参考になる、時代の研究になる、喜怒哀楽の表現が探れるなどなど、作家になるには重要なことが身体で学べることができるのが落語。
 最初は「いや、そんなキャラじゃないんで」と断りながらも、やっていくと楽しくなり、聞かせたくなり、とうとう客からお金を取っての落語会。

 ほんま、演じてみたら楽しいんです。なかなか人前で話せない、人見知りする、「うち、内気やねん」という人、まあ、やってみてください。

 ちなみに“落語は人間の業を肯定するもの”と言ったのは、立川談志師匠。
 落語を極めると、人生を学べます。
 ほんま深いです。

 桐の一門のホームページはこちら  


中山市朗作劇塾は新規塾生を募集中です。
興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。


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2007年09月22日

小説コースの説明といこう

 中山市朗です。

 私は作家稼業をやっておりますが、作家といっても色々あるわけです。
 放送作家としてテレビやラジオの番組制作に携わったこともありますし、映像作品や携帯コンテンツの企画・脚本からトーク・イベントの企画、進行、マンガの原作など、色々とやってきました。

 怪談執筆に関しては、それまでは漠然としていた怪談の世界を、木原浩勝、そして東雅夫さんや京極夏彦さんの協力もあって、実録怪談(創作や都市伝説とは区別しようとしたわけです)という分野を開拓するひとつの動きに関わることができました。

 したがって、まだ実録怪談というものが色々と誤解を受けている部分もあるんです。レポートでもない、ドキュメントでもない、小説でもない、という特殊な分野に思え、読み手が戸惑っている部分は確かにあるでしょう。
 
 私としては、そんな特殊さが面白いわけです。

 この夏、私が上梓した『怪異実聞録・なまなりさん』も小説として読んだ人、実録ものとして読んだ人、『新耳袋』の延長上にあるものとして読んだ人…様々だったようで、読み方によって大きく外れるかハマるか、といく結果だったようです。

 以前角川書店から出した『捜聖記』は、外に出さないという約束で、色々古代史を覆す資料や証言をいただいたんです。だからあえて小説という形で書いたんです。

 すると面白いことに、四天王寺に存在する「未来記」という聖徳太子の予言書がフィクションの核にあるものと位置づけられたんです。でもそこが狙いだったわけで。

「未来記」は存在していたんです。それを表に出さないという関係者との約束だった。でも、あれを書くからにはそれを示唆しないわけにはいかない。だからフィクションという形にして、関係者に暗黙の了承をもらったわけです。

 まあ、今だから言えることですけどね。

 このように、題材をどういう技法で表現するかというところで、それに合った方法を、目的によって編み出せばいいと思うんです。別に過去にあったものに捕らわれる必要は無いかな、と。

 それが小説の形態になるのか、ノンフィクションとなるのか、シナリオがいいのか、それともまた今までに無い別の何かになるのか…

 別の何かをもし作ることができたら、あなたはその分野のパイオニアであり、スペシャリストになれるわけです。そういう柔軟な考えも必要でしょう。

 作劇塾は「文章を書いていきたい」という人にも対応しています。まあ、私の本職ですから、これは一緒に色々考え、表現方法を模索したいなと考えています。もちろん、初心者の人にもモノを書く心得といいますか、プロとしての考え方を示唆していくつもりです。でも、書いてもらいます。ここはマンガ家志望の人と同じ。

 今、小説コースでは“書いて合評する”を繰り返していますが、このやり方に間違いはないと思っていますので、このやり方は10月以降も継続するつもりです。

 まず、書くというクセをつける。見たもの、聞いたもの、全てを文章にしてみる。ただ、書いているうちに読ませなきゃ、という意見が芽生える。では「誰にどう読ませるのか」を考えて落とし込む。それが狙い通りになっているかを、みんなでチェックする。みんなの意見は読者の意見です。そして最終ジャッジは私が下します。それはプロとしての水準にあるかどうか。なければ何が足りないのか…

 とにかく、どんどんアウトプットしてもらいます。

 一方作劇ゼミでは、どんどんインプットをしてもらいます。
 ここは前回のブログで示唆したとおり。

 文章の志望者には、場合によっては私の取材や作業を手伝ってもらうこともあります。あるいは協力関係にある編プロや出版社から依頼された原稿を書いてもらうこともあるでしょう。プロの編集さんと打ち合わせしたり、意見を交えたり、ダメ出しをもらったり。すると書くことがもっと面白くなるし、当然書けなかったものも書けるようになります。対応能力も格段につきます。

 この実践は、カリキュラムとは別となりますので、授業以外の時間でも相談・対応いたします。

 ともかく、ここは塾ですので「こうやる」という方針はありますが、個々の塾生の要望には出来る限り応えるつもりです。そのためには膝を突き合わせて夜通し語ることもあってもいいと思います。

 まあ、そんな塾です。
 「なんや、おもろそうやな」と思った方、お気軽に作劇塾へご連絡下さい。


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2007年09月20日

スペシャリストになれ!

 中山市朗です。

 私自らが講師を勤めます水曜日の小説コース、及び作劇ゼミについて説明いたします。
 
 まず、作劇ゼミはできれば塾生全てに受講してもらいたいと思っています。
 私が作劇塾を作ったもうひとつのコンセプトが、この講義に濃縮されているからです。
 
 プロとなって作品を作り続ける秘訣は、どれだけのことを頭の中にインプットさせるかということです。ここからスペシャリストの道が開けます。

 何かのスペシャリストになること。
 これがないと、この道で食っていくのは困難と言わざるを得ないでしょう。

 例えば、私は怪談のスペシャリスト(と、周囲は言うのですが…)。確かに怪談に関する仕事の依頼は色々きます。同じ作劇舎が運営している放送作家魁塾のかわら長介さんは、お笑いのスペシャリスト、有栖川有栖創作塾の有栖川さんは、ミステリーのスペシャリスト。決して小説のスペシャリスト、ではないんです。そんな人いないし。

 つまり小説家を目指すにも、マンガ家を目指すにも、何の描くのかという目と個性が必要となるわけです。それを発見するには、色々な雑学がなければなりません。別の世界を知る必要があります。ウンチクもいります。そのうち自分の中で新しい価値観が生まれてくる。これが個性を生むわけです。

 マンガ家になりたくてマンガを描いている人は、何万、何十万。小説を書いている人もその数くらいは全国にいることでしょう。ということは、普通に絵がうまい、文章力がある、だけの人なんて、世の中に相当数がいるわけです。

 そんなわけですから、マンガ家志望が編集者に「何が描けるの?」と聞かれて「マンガです」なんて言っても「そんなのわかってるよ」と冷たく対応されるだけです。

「だからマンガで何が描けるの?」と質問しているわけですから。

 では、何をどういう風にインプットするべきなんでしょう?
 そこを、私の作劇ゼミで示唆します。
 
 色々なものを、色々な見方を、色々な価値観をみなさんに投げかけます。プロが仕掛ける技の世界、感情を理論展開にする方法、「えっ」という信じられない裏世界、常識を覆すモノの見方、それらを修得する取材の方法、そしてそれを「作劇法」(9月12日のこのブログを読んでください)に落とし込む方法など…

 マンガ家志望の人なら「あっ、マンガ以外にも面白い世界があるんだ!」
 小説家志望の人なら「まさに事実は小説より奇なりや!」
 
 と思ってもらうことが私の目指すところです。

 作劇ゼミは専門学校や、作家、マンガ家の養成教室ではあまり見られないカリキュラムだと思いますが、実のところ、これをやらんといかんやろ、というのが私の考えであり、専門学校を辞してまで私塾を作った原因のもうひとつがコレだったのです。

 マンガ家、小説家以外の目標を持つ人でも、どんどん参加してください。新しい価値観というものは、色々な世界でも必要とされているものだと思います。この作劇ゼミを受講するだけの人も歓迎いたします。

 さて、私は作家です。
 もちろん文章で生きていきたい、という人にも作劇塾は対応しています。

 次回はその話題を。



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2007年09月19日

作劇塾が新しい体制に!

 中山市朗です。

 このブログを読んでいる方は、おそらくお気づきでしょうが、10月からの作劇塾のカリキュラムを大幅に変更しました。
 水曜日と木曜日の夜7時からの授業のみとシンプル化し、塾費も大幅値下げしたうえ、月謝制となりました。受講したい月だけ受講すればいいわけです。

 シンプル化したのには当然理由があります。

 ひとつには、作劇塾創設時とは事情が変わってきたことにあります。
 
 作劇塾を立ち上げた直接的な原因は、私が9年間講師を勤めた専門学校を辞職したとき、30人ほどの教え子たちが、同時に専門学校を辞めて私の元についてきたことにありました。そんな彼らの気持ちを汲んで、私財を投げ出して作ったのが、作劇塾でした。

 最初は私の書斎でひっそりと、とも考えていたのですが、マンガ家志望の1年生が多く、高校を出たばかりの何も知らない彼らには教えねばならないことが多かったのです。そこで、専門学校並みのカリキュラムを用意して、なるべく安価で学べる体制にし、そのために教室が必要だったわけです。

 それには、彼らの親との会談での要望なども反映させた部分もあったんです。

「うちの娘、先生に預けます。ちゃんとした塾にしてくださると信用しています」

 この、あるお父さんの言葉、肝に銘じました。

 また、出版社や編プロ(編集プロダクション)、制作会社と取引することによって、実践教育も可能とし、卒業後の出口にもしたいということや、私の活動のマネージメント及び、製作部門も合体させたいという思いもあって、法人化したんです。

 しかし、その後入塾してくる塾生のほとんどは社会人。
 昼間の授業には行けないという声も多くなり、問い合わせもそういう要望が増えてきていました。当初からの塾生も、もう10人ほどになってきましたので、専門学校を意識する必要はもう無いかな、と。

 そこで今回より、夜の授業以外はバッサリとカットすることにしたわけです。その分、塾費もお給料の中からやりくりできるようにと、安価になりました。

 正直に、この場合のデメリットを申します。
 やはり、特にマンガという表現方法は色々なものを要求されるわけで、例えば画力だけでも、描写力、表現力、造形力、バランス、構成など、様々なスキルが必要とされますし、これにプラスして、ストーリー構成やシナリオ作り、演出法から有効な持込方まで身につける必要があります。
 
 専門学校が実際にそれをやっているかどうかは別にして、それに対応したカリキュラムは一応存在しています。
 我が塾でも、それらに対応したカリキュラムを用意していたわけですが、今回からの夜だけの授業では、全てに対応するにはどこか無理が生じてくることになります。

 しかし、そこは考え方です。
 マンガでは、中島先生、法山先生のお二人には残ってもらうことになりました。
 お二人と相談して、今まで以上に徹底的に描かせることによって、足りなくなった部分に対応してもらうような方針を確認いたしました。

 とにかく描かないと、色々なものを頭の中に入れても、そのまま右から左へ出てしまうだけです。例えば、持ち込み方法も、実際にやった人でないと「こういうタイミングで持っていって、こういうときはこう対応したらいい」といくら言っても、ピンとこないわけです。

 だから描かせる。どんどん描かせる。そして先生はその作品に徹底的にアカを入れる。そしてそれぞれに合ったアドバイスと対策を与え、もしくは考えさせます。
 なかには、「描け、描け」と言われ過ぎて、ちょっと対応できなくなる人もいます。月謝制ですので、悩んだらちょっと塾を休止。また描く気になれば行く。そういう仕組みです。

 悩んで辞めてしまう人がたまにいるのですが、これはもったいない。悩むことで、次なる前進があるわけです。これを防ぎたいという一念でもあります。

 ともかく、これを徹底するつもりです。

 なかには、自分で判断して「これでは駄目だ」と描いている作品を途中放棄する塾生もいました。だから、なかなか作品があがらない。それもわかるんですが、自分で判断するより、プロの先生に判断してもらう方が、より具体的、理論的な意見が聞けるし、出版社の動向に合わせて対策も示唆してくれます。

 自分でも赤面するような作品をどれだけ描きあげるか。
 そこに一点集中したマンガの授業にするつもりです。

 一点集中することによって、目標がより明確になり、このデメリットはメリットに変わるはずです。
 だらだらと授業に出ているだけで、描いているつもりの塾生もいるようです。これには喝を入れて、とにかく作品を描くことに集中させます。

 要は「無駄なものをどれだけ多く描くか」です。無駄なものは後でどんどん省いていけばいいんです。それが目標への近道です。

 初心者の人も、とにかく簡単なマンガから描くことを覚えてもらいます。そして、とにかく描く。描けば描くほど絶対に上達します。
 描きながらそれぞれの段階で、プロに必要な技法、考え方を当てはめていく方針です。
 
 さて、描くということは、アウトプットするということです。
 アウトプットした後は、自分の中のなにもかもを搾り出したような感覚になります。
 新たにインプットすることが、創作活動には必要です。

 そのために私の受け持つカリキュラムが水曜日にあります。
 次回はこの内容についてお知らせします。
 


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2007年09月13日

プロに作品をジャッジしてもらう意味

 中山市朗です。
 
 私は、某クリエイター系大型専門学校で9年間、講師をやっていました。
 マンガ科、小説科、CG科、ゲーム科なんかでシナリオやアイデアの出し方を教えていました。すると、毎年のように、特にマンガ科の学生たちの間で、ある動きが起こるんです。それは、

 友達数人と共同生活をして、トキワ荘を再現しよう、というもの。

「アホか、やめとけ」
 私は止めるんですけど。

 そういうことを言い出す学生に限って、トキワ荘の本質をわかっていない。
 確かにトキワ荘は、藤子不二雄Aの『マンガ道』にも出てくるように、藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、つのだじろうなどすごいマンガ家を輩出しました。
 
 ただし、あそこにはプロがいたんです。

 まず、手塚治虫というマンガの神様がいた。手塚のまわりには編集者が常にいた。つまりトキワ荘というものが、業界だったわけです。そこに才能のある若者が、神様を慕ってやってきた。つまり業界に身を置いたわけです。

 そういう環境にあったんです。

 だから、素人が数人集まって、「お互いがんばろうね」というのは、トキワ荘には絶対にならないんです。
 人間おかしなもので、手塚さんのような目標に近づこうとすれば、それなりに身を律して、真似からでもやっていかなねばなりません。努力がいるわけです。
 ところが、バカはすぐに移るんです。努力しなくても。 

 作家志望が4人で共同生活でもすれば、必ずなまけるヤツが出てくる。ゲームに明け暮れたり、バイトを最優先したり。すると、まあオレはアイツよりはやってるから、と妙な妥協点が出てくる。そして気がついたら、同質になっていた、なんてことは山ほど見てきました。

 もうこれはアリ地獄ですわ。

 これは、どこまで努力して、何を身につけたらいいのかわからないわけです。
 プロの基準がわかってないわけですから。
 素人だけが集まって作る“トキワ荘”は必ずマイナスに働く。

 断言します。

 ここにひとりでもプロが混じっていると、話は変わってくるんです。
 プロはキチッと仕事をこなしているからプロなんです。そこには言い訳はない。それを見るだけで、その差を痛感するはずです。

 プロの人がいれば、やっぱりそこはプロの人が訪ねてくるはずですし。そしたらプロの意識、考え方、知識、ルールといったものがわかってくる。「ああ、プロの世界ってこうなんだ」と。自分の目指す世界のことが、ようやくわかってくることになるんです。

 塾に協力していただいている人で、映画監督であり、作家でもある山田誠二という方がいるんですけど。

 彼が面白いことを言ったんです。

「高い技能を持った高校球児が100人集まって野球の練習をやって試合をこなしても、プロの選手は育たない。プロの選手を育成するんは、プロのレベルを知っている監督や鬼コーチがひとり入ることです。それだけで違う。この世界も同じことです」

 言い得て名言、だと思います。

 うちのような塾や、専門学校にはプロの人がいます。
 そのプロの人と会って、交流を持つこと。

 これが、こういうところに授業料を払って通うメリットなんです。マンガの描き方や、小説の書き方なんて、言ってしまえば本屋さんに指導書がいくらでも並んでいます。自分に合ったものを買ってきて、そこに書いてある通り実践することは家でもできます。それを根気よく続けて投稿なり持ち込みなりをすれば、そのうちデビューもできるかもしれません。

 でも、プロの現場に身を置いている人が、講師としてわざわざ教えに来る場所があるわけです。そのプロの人とパイプを作ることができるのは、こういう場所しかないと思うのです。

 しかも、こういうところで教えている人というのは、新人発掘に少しは興味があるということ。私など、私財を投資して塾を作ったくらいですから「何をいわんや」です。

 そういうプロの人のバックには、何があるのか? どんな人がいるのか?

 それはおそらく、講義をただ受けているだけではわからないことです。
 でも講師がプロの作家である以上、出版社との繋がりがあるわけだし、ゲーム会社や映画会社に原作者として出入りしているかもしれない。仲間の作家やクリエイターもいるだろうし、新人発掘をしている編集さんと密接な関係にあるかもしれない。
 
 そういうプロの人と繋がりを持つことによって、プロのレベルを知り、業界はどんな人材を欲しがっているのかが分かるわけです。
 そういうプロの人と接触すれば刺激も生まれるし、作品のヒントになる出来事やキャラクターもどんどん発見できます。

 そして、講師の先生には、よりたくさんの作品を見せる。
 「あっ、コイツやるな」とまず講師の先生に思わせることです。
 そのことが大事です。

 マンガも小説もシナリオも。新人賞の応募で入選することからデビューの1歩が始まります。これは正攻法。

 賞なんて取らなくても、他にもデビューの仕方はあるわけです。
 だいたい私なんて、賞なんて取っていませんし、応募したこともありません。
 そういう方法もあるんです。
 これはプロの側にいないとわからない。

 プロの人に作品をジャッジしてもらう意味とは、そういうことなのです。



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2007年09月12日

作劇法とは

 中山市朗です。

 10月から作劇塾は第四期生を募集しています。

 作劇塾は、マンガ家、小説家と2つのコースがありますが、本来は“作家”養成塾として認識していただきたいと思っています。

 マンガ家が作家?

 そうです。
 プロのマンガ家は作家性を求められます。

 『広辞苑』で“作家”を引くと、芸術作品を作る人、特に小説家「劇−」
 とあります。
 
 “芸術”を引くと、美を創造・表現する活動の総称。
 とあります。
 
 “美”とはなにか? 
 これも『広辞苑』によると、うるわしい、うつくしい。
 とあります。

 まあ、なにを「うつくしい」と思うか、「うるわしい」と思うかは、各々のセンス、経験値などによるでしょうけど。

 私は、ハッとする衝動、ドキッとする瞬間、「それっ!」と共感すること、あるいは奮い立つ動機、価値観が逆転するとき…、そういう心の動きを与えてくれるもの、つまり感動ですな。
 これを創造するのが「作家」だと思っているんです。

 感動を喚起させるものこそが、「うつくしいもの」ではないでしょうか。

 小説に求められるものは、やっぱり感動であり、うつくしいもの、なのでしょう。
 うつくしい愛とか、人、友情、正義、世界、その対比として殺しや犯罪、戦争や差別、裏切りや背任といったものもリアルに表現するわけです。

 そうして万人にその感動やうつくしいものを与える有効的な手法が、エンターテイメントに落とし込むことだと思うんです。

 エンターテイメント。
 どう人を楽しませ、かつ感動させるかですね。

 人、つまりマンガや小説では、読者をどう楽しませるか。共感させるかの術(すべ)と志向を持てた人が、その道で生きていける人になる。つまりプロになれる可能性を持つわけです。

 アマチュアとプロの違いは、まさに「ここ」です。
 アマチュアは自己満足すればいい。ただ、その自己満足が、ワッと受けることも極たまにですがあるんです。ただし、それは長続きしない。

 そういう意味での、マンガの創作にも、そういう術と志向は求められるわけですし、その部分が欠如している限り、なかなか書店に流通する出版物には掲載されないわけです。

 こういうことを思ったこと、ありませんか?

 「こんなん、私の方がうまいやん」
 「オレでもこんなん描けるわ」

 でも、プロにはなれない。

 きっと努力しているのになれない人は、積極的な営業(つまり、持込やら投稿)をしていないか、エンターテイメントの法則を知らないで、無駄な努力をしているか、どちらかでしょう。

 そういう意味での作家性が必要なわけです。
 そこを教えるのが作劇塾です。
  
 私自身は映画が好きで、大学では映像学科を専攻し、シナリオ、映画演出、編集などを学び、映画制作に明け暮れる毎日でした。映画は、エンターテイメントのまさに集合体です。映画でそれを学び、気がついたら作家になっていたわけです。

 文法のテクニックなどは全く就学していません。それでもエンターテイメントの基礎の法則で怪談を著したのが『新耳袋』だったんです。
 デビューした途端、テレビ番組の構成の仕事を依頼され、放送作家にも対応し、劇作家のようなこともやりました。

 つまり、映画を介して学んだエンターテイメントの法則は、色々な分野で通用したわけです。もし、私に画力があったら、マンガにも対応させていたと思います。

 手塚治虫が長編マンガの技法を映画から持ってきたという意味、よくわかるんです。

 そういえば、一流の作家さんは、なんでもおやりになります。
 京極夏彦なんていう人は、意匠家でもあり、マンガも描けるし、シナリオも書くし、映画の編集までやってのける。落語や演劇の台本を書く作家も多いし、映画を撮るマンガ家がいるし、『呪怨』でハリウッド進出した清水崇などは、マンガも描いている。

 つまり、エンターテイメントの法則をちゃんと理解すれば、あとは、各々合った畑でそれを表現すればいいわけです。そこで、はじめてテクニックが必要というわけです。

 新鮮な食材もないのに、包丁さばきのテクニックをいくら極めても、料理人にはなれません。それと同じ。包丁ばっかり研いでいませんか?

 作劇塾の“作劇”とは、作劇法からきています。
 劇、つまりドラマ、ストーリーテリングですね。
 それを作る法則を「作劇法」と言います。

 『リング』などの脚本家、高橋洋さんがよく使う言葉です。 
 それをマンガに応用するか、小説に応用するか、はたまたシナリオに応用するか、というのは、各々にあった表現方法にあてればいいわけです。

 そこで、どんなテクニックが必要なのかが、具体的にわかってくるわけです。

 そこは、各々で書(描)いてもらうしかない。
 ただ、ここでもうひとつ重要なことが。

 できた作品をジャッジするプロの人がいるか、いないか。
 という問題。

 このことは本当に大きいです。
 次回はちょっとそんな話を。
  
 

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2007年09月10日

評価について

 中山市朗です。

 ちょっと珍しく体調を崩しました。
 金曜日の夜に収録予定だった奈良テレビ『怪談の間』もやむなく延期に。

 とは言っても、2〜3日安静にしているとだいぶ良くなりましたけど。

 土曜日は寝ながら、ずっとBS放送を観ていました。
 NHK=BS・HVの11時間に及ぶ小澤征爾特集。

 世間ではイチローが打ったの、松坂がどうしたの、と海外へ進出したスポーツ選手の動向はリアルタイムで報道され、オリンピックで金メダルを取ったら国民名誉賞を、とか騒がれていますが、文化・芸術での日本人の実績や活動は、あんまり騒がれないみたいですね。

 松坂投手は、ボストン・レッドソックスに入団し、日米親善大使なみの騒がれ方をしましたが、小澤さんは、米国でもっとも歴史のある名門オーケストラのひとつ、ボストン交響楽団の音楽監督を1972年から29年間務めていたんです。

 インテリが多く、また人種差別もひどかったボストン。
 ここはかつて、米国独立運動の中心であり、独立宣言の成された街でもあるんです。その文化の象徴に、独りの日本人が君臨していったわけです。

 しかもボストンは小澤さんの誕生日を「オザワ・デイ」といって祝福していたらしい。小澤さんは、当たり前のようにこのポストを手に入れられましたが、本来、想像もつかない凄いことだったんです。

 そして、今はウィーン国立歌劇場の音楽監督。

 これはもう奇跡!

 彼がウィーンに就任したというニュース、1999年に発表があり、2001年10月からの就任ということを、当時一面トップで報じた新聞が、どれほどあったでしょう。

 日本は、明治の開国以来、工業や商業、政治がガラリと西欧化しましたが、その礎には文化・教育の面で変わる必要がありました。西欧の思想、哲学、芸術をしる必要です。

 思想・哲学・芸術(本当はここにキリスト教という宗教が加わらなくてはならないんですが)は、別々ではありません。強固に結びついています。日本人は長いことかかって、これを理解しようとしました。

 明治になって、文学も音楽も絵画も演劇も建築も、苦心に苦心を重ねて、先人たちが日本文化の中に融合させていきました。

 西欧に対するコンプレックス。これが近代日本を作ったのです。

 何かと“世界の”という言葉を使いたがる日本人の習性は、ここからきているように思います。

 さて、ヨーロッパにおいて、オペラは最高の芸術とされています。

 オペラは、音楽・美術・演劇・建物とすべての最高峰が集まってはじめて表現されるものですから。

 だから「オペラハウス」というのは、その国の文化を象徴するんです。ニューヨークのメトロポリタン歌劇場、フランスはパリ・オペラ座、イタリアにはミラノ・スカラ座、イギリスにはコヴェントガーデン王立歌劇場など。

 しかし、そのオペラの世界における最高峰が、ウィーン国立歌劇場なんですな。

 ここの音楽監督は、過去フルトヴェングラーやカラヤン、ベームといった音楽界の巨匠が歴任してきました。ヨーロッパ文化を象徴しているのがウィーン国立歌劇場。今、ここの音楽監督が日本人。これって明治以降ずっと日本人が求めてきたものだったはずなんです。

 約170年の歴史を持つウィーンの国立歌劇場の音楽監督が、ドイツ・オーストリア圏以外の、しかもアジアの、またその極東の、日本人がなるということの意味は?

 ちなみにウィーン国立歌劇場のポストは、オーストリアの大統領以上の存在とは、よく言われることなのだそうです。

 黒澤明という人もそうだったんです。

 同業者や映画評論家は、あんまり評価しなかった。ところが『影武者』でコッポラとルーカスが援助を申し出て、「クロサワは我々のセンセイだ」と言ったことから、「あっ、黒澤という人はすごい監督なんだ」と日本人は知ったんです。

 それでも「黒澤さんは、アメリカのアカデミー賞が欲しいんだ」とか「あれだけ金があれば、オレにだってすごい映画はできるんだ」と悪態ついてた日本人監督いました。

 あるテレビ番組でコッポラとその若手監督が対談していました。彼のそういう態度にコッポラがムッとして、「我々だって資金集めに苦労してんだ。あんたら、そういう努力してんのか」と言うてたのを思い出しました。

 人の実績を評価しない、そのことによって自分を優位に立たせる。

 これは最低のことです。
 人の実績に対して正当に評価する力を持つことから、プロへの道が切り開かれると思うんです。

 人や作品をけなすことは簡単です。

 しかし、正当に評価するのは難しい。知識も理論も、肥えた見識も必要なんですから。
 小澤さんのインタビューや対談を読んでいると、人の悪口がない。わが師・斉藤秀雄さんや、カラヤン、バーンスタインの業績をちゃんと評価している。そして、その意志を今後に伝えようとオザワ音楽塾を作って、若い才能の発掘に目を輝かせておられる。

 そういえば、小澤さんも黒澤監督も、若手の育成を常に考えていた人でした。
 つまり天才のように思われる彼らも、それだけ苦労したということです。

 ただ、ただ頭が下がる思いです。

 と、いうようなことを考えた1日でした。
 また、熱がぶりかえしそう… 
 



中山市朗作劇塾は第5期性を募集中です。
興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。


kaidanyawa at 17:14|PermalinkComments(0)
プロフィール
中山市朗 【なかやまいちろう】


作家、怪異蒐集家

兵庫県生まれ。


主な著書に「新耳袋」など。

作家、漫画家の育成機関「作劇塾」を主宰。


作劇塾

オフィスイチロウ


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